【秩父の山】武甲山下山(山頂〜浦山口/西武秩父・祭の湯)

【秩父の山】武甲山下山(山頂〜浦山口/西武秩父・祭の湯)



■武甲山御嶽神社 御由緒
◇武甲山頂に祀られる社、山麓の根古屋に里宮がある
 当社は、第十二代景行天皇の御代(約千九百年の昔)皇子日本武尊がご東征の折、武甲山頂に武具を埋めて関東の鎮護となされたのを起源とする。その後、安閑天皇の御代に我が国の農業も進み、各所に義倉を置き凶作に備えるようになり、義倉を置いた国の高山には蔵王権現が勧請された。当社もその一社で、そのため武蔵の国号神社とも呼ばれる。更に欽明天皇の御代に日本武尊・男大迹尊・武金日尊を配祀する。のち朱雀天皇の天慶七年(九四四)に関東地方に大流行した悪疫に対し、時の郡司は医薬の神、少彦名命を当社に配祀して祈願、降って文治五年(一一八九)源頼朝公は当社に武運を祈願し、その功験あって建久二年(一一九一)に社領を寄進、また畠山重忠公も当社を厚く信仰して宗近銘の太刀を奉納する。
 永禄十二年(一五六九)には甲斐武田の軍勢が乱入して当社を焼いたが、この時北条氏邦公は当社に祈願して武田勢を追い払い、報賽として当社に國光銘の太刀と社領永三貫目の地を寄進し、天正二年(一五七四)には、社殿を再建して大山祇命を配祀する。また大坂夏の陣には徳川家康公が当社に戦勝を祈って正宗銘の太刀を奉納する。以来、多くの人々の厚い信仰を受け、明治四年に村社となる。
 なお、当山頂のお宮を里でも参拝できるように里宮が設けられ、里宮には御神殿と神楽殿と社務所がある。
 当社に伝わる神楽は、文禄五年(一五九六)秩父の代官、日下部丹波守が初めて神前に奉奏し、装束類を奉納したのに始まるという。
里宮 横瀬町横瀬八八〇―二

◇御祭神
日本武尊・やまとたけるのみこと/男大迹尊・おおとのみこと/武金日尊・たけかなひのみこと
少彦名命・すくなひこなのみこと/大山祇命・おおやまづみのみこと
◇御祭日
・春祭り(四月十五日)
・武甲山山開き(五月一日)
・秋祭り(十月一日)

■使用音楽
https://dova-s.jp/bgm/play14476.html

1 comment
  1. 中学3年の遠足は武甲山登山が恒例行事でした。鎖場などがあり私は体力があまりにもなくて初めて遠足を休みました。武甲山は秩父生まれ秩父育ちにはなくてはならない山です。バス旅行で武甲山が見えてくると帰って来たんだとほっとするのと同時に楽しかった時間が終わっしまったんだとさびしさを感じたものですが、秩父を離れてみると武甲山が見えてくるとほっとするのと同時に楽しいことがあるわくわく感,そして武甲山がとうざがって行くにつれさびしさを感じる今日この頃です。

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