【ゆっくり解説】徳川家康は二人いた!?影武者説の謎!!

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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。

こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太

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#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説

13 comments
  1. 確か、隆慶一郎先生の小説「影武者徳川家康」ってありましたね。
    オッサンは家康の影武者は二人いたって思ってますが。1585年から1600年迄と、1600年から1615年迄。
    1585年は確か家康が背中の出来物がもとで死に掛けましたし、1600年は関ヶ原でしにかけた。そう思ってますが・・・・
    どうですかね?

  2. 俺も何で徳川家康に影武者がいた事にしないといけないのかをずっと考えていました。
    この動画主がやっている戦国時代から江戸時代にかけてのUダヤ教のフロント宗教のKリスト教の擁護を見てひらめきました。
    日本を侵略しようとしたから禁止されたKリスト教を、家康が変わったから禁止されたように誤魔化したいのだと思います。

  3. 松本荘吉氏著作の『伝説の堺』にも
    家康影武者の話が書かれていたなあ。
    やはり南宗寺絡みで。

  4. 『影武者徳川家康』の隆慶一郎氏は、家康影武者説を前提にしてない『捨て童子 松平忠輝』も書いてるんですよね。
    共通なのは家康と、後継者である二代将軍の徳川秀忠との不仲説で、『影武者徳川家康』では入れ替わった影武者が自分の思惑通りに動かない事への苛立ちで、『捨て童子 松平忠輝』では次兄である結城秀康への家康の仕打ちと、自分が嫌っている忠輝に家康が入れ込んでいる事への反発が秀忠の家康との不仲の原因として描いてますね。

    そういえばSAKONでの徳川家康=世良田次郎三郎がけっこう好きですね。

  5. 聞いた話だが大阪府堺市(阪堺線沿線)の方に家康の墓(家康戦死の地)があるらしい

  6. 最終的に天下を取った徳川家。大阪夏の陣で討ち取られた説が真実味がありますが(その時の逃げる時、使用した、かごが残ってるみたいですが)。はたして家康が死んだ証拠(かご)を天下を取った徳川家が証拠としつ残す必要があったのか。

    また最初の明治に言われてる桶狭間の戦いの説は余りにも飛躍しすぎかと。一時資料でも残ってるんでしょうかねぇ。二次資料以下だと、かいざんされてる方が可能性高いかと。

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