先程、『怪物』を観てきました。 北丸さんは二つの解釈が成り立つ中途半端なエンディングと感想を仰っていましたが、わたしは肯定的に捉えました。 『生まれ変わった』『いや、何も変わっていない』』『うん、何も変わっていないね』の言葉には、僕たちは『変わる必要はない』という少年たちの意志を感じると同時に、中村獅童扮する父親(おそらく日本社会のメタファー)こそ変わらなきゃならないというメッセージに感じました。 そしてお日様が出て明るくなった世界へ力強く走り出す少年たち。彼らの将来を暗示しているかのよう。 もちろん、LGBTQの子どもの受ける社会(親を含む)からの疎外感は想像を超えるものがあると思いますし、ハッピーエンディングという訳には行かないケースが現実には多いでしょう。そのようなエンディングの方が問題提起としては良かったのかもしれません。。 しかし映画って見る人によって受け止めか全く違ってくるのが良いですね。。
とてもいい内容でした。 北丸さんの「怪物」評は説得力あります。カンヌ受賞後の影響を加味して、評するのはとてもいい視点だと思います。 “LGBTQは理解するけど、LGBTQを嫌うことも認めよう”というあからさまな差別が依然として広くあると感じます。
怪物をみて、どっちなんだろう?と思いました。入管法の改悪、かえって差別を助長するようなLGBT法も通ってしまい、幸せな終わりには、思えず…。映画で一番思ったことは、「少年達の本当に生き生きとした笑顔を奪わないで欲しい」だったので、北丸先生が言われたように、もっと前向きにとらえようと思いました。
「怪物」のラストを私は悲劇的に受け止めていたので(お話の中でも言及されていた歴代の物語に出てくるクィアの悲劇的な結末からこの作品も脱せないのかと悲しくなっていました)、北丸さんとダースさんの解釈は目から鱗でした。 映画を見たあと坂元裕二さんのシナリオを読んで感じましたが、是枝監督は意図的に同性愛的表現を含んだセリフや描写をギリギリまでカット(もしくは変更)しているようです。結論をあくまで明示せず、言語化もせず、音と映像を観客に委ねる作品の作り方は今までも一貫していると思います。「映画」という媒体なので、それで良いと私は考えています。
是枝監督のLGBTに特化したものではないという発言が問題視されていますが、これは二人の子役に対しての当然の配慮だと思います。以前「万引き家族」についてのインタビューで、大人の役者が殺人犯を演じても誰も本当に犯罪者と思わないのに対して、子役の場合は慎重な配慮が必要だという旨の発言をしています。今回は、万引きどころかはるかにセンシティブな同性愛であり、学校等で「お前ホモか?オカマか?」(下品な言葉でごめんなさい)など心無い言葉を浴びせられる危険性も孕んでいます。二人の子ども(そして実質的には出演契約書にサインしたであろう親権者)に対して、何を言われても闘う覚悟を持って出演しろというのは余りにも酷というものでしょう。明らかに主題は同性愛だとしても、そこをストレートに出すべきではなく、いわば「隠れた主題」でいいと思います。
『怪物』は教師保利が学校の無理な要求で辞職されている。この主題は取り残される。母早織の要求も結局は果たされない。嘘でごまかされた訳だから。真相を知れば無理な学校の闇にうまく利用された後悔か不満が残るだけだ。星川君は父にいじめられ、学校でいじめられる。湊は母親に心配される。教師保利も辞職した後に、探すのは湊であって堀川ではない。対照的な二人である。映画として『怪物』はパート1とパート2の大人の部分とパート3の子どもの部分で分かれている。内容が盛り込みすぎで、情報量が多い。私は星川、湊が死んだラストの方が良いと思う。フィクションのキャラクターは死ぬのも役割のひとつでしょう。本題とは関係ないが、水道の停水を扱った『渇水』は励ます映画で、原作とは内容を改変して、生きるキャラクターにしている。 『怪物』は特に優れた作品でもないし、北丸氏の指摘はクイア映画、ゲイ映画への思いが強いので、的外れな気がしました。是枝氏にはクイア、ゲイを励ます映画を作る気持ちはなかった。それは事実でしょう。しかし映画は、あくまでも映画の力しかない。 LGBT理解増進法はくだらない法だ。政党(自民公明維新国民)に文句を言うのは意味がある。映画に何か言うのは違う。特に『怪物』への批判は行き過ぎたものではないのかね。
ここ数年の坂元裕二のテレビドラマは複雑でよくわからないままに次々と新作が放送されてとてもついていけませんがすごくおもしろかった。是枝さんはどこでも話題になるから今度は坂元裕二さんのテレビドラマに詳しい人の話が聴きたいです。一番最近の『初恋の悪魔』は目が回りそうでした。コミカルなんだけど出てくるエピソードは物凄くてびっくりしているうちにドラマは終わっていきます。『怪物』の話を聞いて、やはり坂元裕二が気になりだして、彼のドラマの詳しいお話が聴きたくなりました。是枝さんに聞けたら面白いかも。忙しいから無理か。
「怪物」という映画はLGBTQの問題を誠実に描く気が無いのではないでしょうか?どんでん返しの1つの装置としてしか扱われていないように感じます。 劇中で先生に虐待を受けていたと、嘘を吐く大きな理由が「自分がゲイであることを隠したかったから」しか見つかりません。この嘘を吐かせたいがために持ってきた設定で、本当は、後付けで考えた設定なのではないかとすら邪推してしまいます。だから、監督もLGBTQに特化した映画では無いと言っているのではないかと勝手に想像してしまいます。
そもそも、子どもをネタにつかって「怪物」というのは……。(学校とかでの「いじめ」を助長してしまわないか、とか)「どんぞこ極東大好きな」カンヌおもらい人間性があからさまになったと。「パパ、次回作の題名なに?」「……」。○×だーれだ?
この映画は”特に”LGBTQに興味がない嫌悪感すら持つ方々に鑑賞し考えて欲しいという意図で制作されたように感じた。ハッピーエンドと思った人は物語の向こうにLGBTQは特別な存在ではない社会を見ており、バッドエンドと思った人は逆の社会を見ている可能性が高く、後者は気づかずに人権無視という『怪物』になっていますよ、というオチなのかと。満場一致での「クィア・パルム賞」受賞は未だにLGBTQに不寛容な日本社会へのカウンターパンチに見え社会派映画祭らしい。ただ”特に”観てもらいたい層の足を奪ってるとしたら余計な箔をつけられ残念。
作品について、立場を明確にすべきとの指摘はその通りだと思いました。北丸さんはトランスジェンダーの方が、自認する性別に従って(生殖機能は元のまま)職場のトイレを使用したいとする裁判が起こされていることについて、どのような立場を取られるのか明確にして欲しいと思いました。
お疲れ様でした
ありがとうございます❤
真夜のカーボーイは日本人が演じられないと言うのはおかしい。日本人の解釈でゲイを演じるのも面白いと考えるが。私が好きな映画はバードケージで日常にゲイがいるのが当たり前と言う状況が良いのではないか。
fleeの回も見直そうとおもいました。とまとさんと北丸さんがトランス映画の紹介をされていたシネマニアも大好きです
ありがとうございました。何回か聴き直さなければ。
『his 』今泉力哉監督、日本映画 ドラマ 良かったですよ。
ダースさん、北丸さん、「怪物」のことと絡めて今回の法案について深く話し合ってくれてありがとうございます。
配信ありがとうございます‼️
戦後日本は思想が変わったって言うけれど
なにも変わらなかったと思うよ
日本人は強い者に従うのが好き。そして従わない奴が嫌いで潰す
大日本帝国軍がアメリカ軍に変わったそれだけ
先程、『怪物』を観てきました。
北丸さんは二つの解釈が成り立つ中途半端なエンディングと感想を仰っていましたが、わたしは肯定的に捉えました。
『生まれ変わった』
『いや、何も変わっていない』』
『うん、何も変わっていないね』の言葉には、僕たちは『変わる必要はない』という少年たちの意志を感じると同時に、中村獅童扮する父親(おそらく日本社会のメタファー)こそ変わらなきゃならないというメッセージに感じました。
そしてお日様が出て明るくなった世界へ力強く走り出す少年たち。彼らの将来を暗示しているかのよう。
もちろん、LGBTQの子どもの受ける社会(親を含む)からの疎外感は想像を超えるものがあると思いますし、ハッピーエンディングという訳には行かないケースが現実には多いでしょう。そのようなエンディングの方が問題提起としては良かったのかもしれません。。
しかし映画って見る人によって受け止めか全く違ってくるのが良いですね。。
差別はよくないけど差別がなくなったら自由はひとつもなくなるということ、
とてもいい内容でした。
北丸さんの「怪物」評は説得力あります。カンヌ受賞後の影響を加味して、評するのはとてもいい視点だと思います。
“LGBTQは理解するけど、LGBTQを嫌うことも認めよう”
というあからさまな差別が依然として広くあると感じます。
怪物をみて、どっちなんだろう?と思いました。
入管法の改悪、かえって差別を助長するようなLGBT法も通ってしまい、幸せな終わりには、思えず…。
映画で一番思ったことは、
「少年達の本当に生き生きとした笑顔を奪わないで欲しい」だったので、
北丸先生が言われたように、
もっと前向きにとらえようと思いました。
認めたんじゃなくていつだって大差別社会になる社会になる認めかたの今だよな、
合法的な虐殺
今入管で起こっていること
「怪物」のラストを私は悲劇的に受け止めていたので(お話の中でも言及されていた歴代の物語に出てくるクィアの悲劇的な結末からこの作品も脱せないのかと悲しくなっていました)、北丸さんとダースさんの解釈は目から鱗でした。
映画を見たあと坂元裕二さんのシナリオを読んで感じましたが、是枝監督は意図的に同性愛的表現を含んだセリフや描写をギリギリまでカット(もしくは変更)しているようです。結論をあくまで明示せず、言語化もせず、音と映像を観客に委ねる作品の作り方は今までも一貫していると思います。「映画」という媒体なので、それで良いと私は考えています。
「ブロークバックマウンテン」見ました。確か新宿ピカデリーでした。特に若くも美しくもない、労働者階級の二人の恋の話です。ラストシーンがとても切ない。忘れることができません。
是枝監督のLGBTに特化したものではないという発言が問題視されていますが、
これは二人の子役に対しての当然の配慮だと思います。
以前「万引き家族」についてのインタビューで、大人の役者が殺人犯を演じても誰も本当に犯罪者と思わないのに対して、
子役の場合は慎重な配慮が必要だという旨の発言をしています。
今回は、万引きどころかはるかにセンシティブな同性愛であり、
学校等で「お前ホモか?オカマか?」(下品な言葉でごめんなさい)など心無い言葉を浴びせられる危険性も孕んでいます。
二人の子ども(そして実質的には出演契約書にサインしたであろう親権者)に対して、何を言われても闘う覚悟を持って出演しろというのは余りにも酷というものでしょう。
明らかに主題は同性愛だとしても、そこをストレートに出すべきではなく、いわば「隠れた主題」でいいと思います。
『怪物』は教師保利が学校の無理な要求で辞職されている。この主題は取り残される。母早織の要求も結局は果たされない。嘘でごまかされた訳だから。真相を知れば無理な学校の闇にうまく利用された後悔か不満が残るだけだ。
星川君は父にいじめられ、学校でいじめられる。湊は母親に心配される。教師保利も辞職した後に、探すのは湊であって堀川ではない。対照的な二人である。
映画として『怪物』はパート1とパート2の大人の部分とパート3の子どもの部分で分かれている。
内容が盛り込みすぎで、情報量が多い。
私は星川、湊が死んだラストの方が良いと思う。フィクションのキャラクターは死ぬのも役割のひとつでしょう。
本題とは関係ないが、水道の停水を扱った『渇水』は励ます映画で、原作とは内容を改変して、生きるキャラクターにしている。
『怪物』は特に優れた作品でもないし、北丸氏の指摘はクイア映画、ゲイ映画への思いが強いので、的外れな気がしました。是枝氏にはクイア、ゲイを励ます映画を作る気持ちはなかった。それは事実でしょう。しかし映画は、あくまでも映画の力しかない。
LGBT理解増進法はくだらない法だ。政党(自民公明維新国民)に文句を言うのは意味がある。映画に何か言うのは違う。特に『怪物』への批判は行き過ぎたものではないのかね。
ここ数年の坂元裕二のテレビドラマは複雑でよくわからないままに次々と新作が放送されてとてもついていけませんがすごくおもしろかった。是枝さんはどこでも話題になるから今度は坂元裕二さんのテレビドラマに詳しい人の話が聴きたいです。一番最近の『初恋の悪魔』は目が回りそうでした。コミカルなんだけど出てくるエピソードは物凄くてびっくりしているうちにドラマは終わっていきます。『怪物』の話を聞いて、やはり坂元裕二が気になりだして、彼のドラマの詳しいお話が聴きたくなりました。是枝さんに聞けたら面白いかも。忙しいから無理か。
ありがとうございました。
とてもとても、勉強になりました。
「怪物」という映画はLGBTQの問題を誠実に描く気が無いのではないでしょうか?
どんでん返しの1つの装置としてしか扱われていないように感じます。
劇中で先生に虐待を受けていたと、嘘を吐く大きな理由が「自分がゲイであることを隠したかったから」しか見つかりません。
この嘘を吐かせたいがために持ってきた設定で、本当は、後付けで考えた設定なのではないかとすら邪推してしまいます。だから、監督もLGBTQに特化した映画では無いと言っているのではないかと勝手に想像してしまいます。
そもそも、子どもをネタにつかって「怪物」というのは……。(学校とかでの「いじめ」を助長してしまわないか、とか)「どんぞこ極東大好きな」カンヌおもらい人間性があからさまになったと。「パパ、次回作の題名なに?」「……」。○×だーれだ?
この映画は”特に”LGBTQに興味がない嫌悪感すら持つ方々に鑑賞し考えて欲しいという意図で制作されたように感じた。ハッピーエンドと思った人は物語の向こうにLGBTQは特別な存在ではない社会を見ており、バッドエンドと思った人は逆の社会を見ている可能性が高く、後者は気づかずに人権無視という『怪物』になっていますよ、というオチなのかと。満場一致での「クィア・パルム賞」受賞は未だにLGBTQに不寛容な日本社会へのカウンターパンチに見え社会派映画祭らしい。ただ”特に”観てもらいたい層の足を奪ってるとしたら余計な箔をつけられ残念。
平等がもはや配慮になっていないから当然配慮ない社会になるよな、
おきなくてもいい性犯罪があってでも平等と言ってる人間の姿が人をたいせつにすると言ってる人間の姿ですか、
日本映画では『メゾン・ド・ヒミコ』『彼らが本気で編むときは』『怒り』『46億年の恋』などを思い出します。
作品について、立場を明確にすべきとの指摘はその通りだと思いました。
北丸さんはトランスジェンダーの方が、自認する性別に従って(生殖機能は元のまま)職場のトイレを使用したいとする裁判が起こされていることについて、どのような立場を取られるのか明確にして欲しいと思いました。