家康の正室・築山殿暗殺事件 闇に葬られた黒歴史

家康の正室・築山殿暗殺事件 闇に葬られた黒歴史


10 comments
  1. アップありがとうございます。築山殿や信康の死は、謀反を起こした家臣にもチャンスを与えようとしたり、自ら裏切る事は決してない信長が命じたとは考えにくい。晩年に出来た子供を除き、他の複数の息子達にすら冷酷かつ薄情な家康が自主的にやったとする方がしっくり来る。家康を神格化するのに都合が悪い家康の悪事を隠蔽するために、築山殿と信康2人と信長を悪者にしたと言う方が自然。

  2. 鎌倉殿の13人 と少しも変わらない、後継者の問題。真相を知っている者は黙り、物語作家が話を作る。より謎が多いのは成功者だから=家康の最側近、元からの忠義者は年上だから 先に去っていく、加えて 悪者の汚名を背負うのだと思う=納得づくだろう。優秀な息子の独立=家康がおそれたのでなく信長が嫌がったのでは? 歩いていた時代、拠点が2つになっていたと書かれている。

  3. お隣の武田で信玄は父親を追放し嫡男を粛清してます
    美濃の斎藤道三義龍の例もありますし戦国時代における親子は時に強力なライバルと言えます

  4. 当時と今では価値観も違うし、今の考え方で見てはいけない。
    最終的に徳川家は幕府を開き天下に名を知らしめたわけだから、判断としては間違ってなかったのだと思う。

  5. 大平の世なんか築いてないし
    ちょうど時期的にみんな戦争に飽き飽きしてた時運良く政権を奪取できただけなんだが...莫迦の一つ覚えみたくいうなよ

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