1月30日、沖縄県石垣市は尖閣諸島周辺で2回目の海洋調査を実施した。今回は、漂着ごみや気候変動の影響を受ける尖閣諸島と周辺海域の最新データを収集。小型無人機「ドローン」による景観調査も行った。
調査中、中国海警局の船1隻が領海に侵入し、調査船に接近する動きを見せたため、海上保安庁の巡視船が間に入り、安全を確保したという。
中国海警局が武器使用のハードルを下げる「海警法」を施行してから、2月1日で丸2年。尖閣諸島沖での活動はエスカレートし、接続水域内での海警船の確認は、去年1年間で336日と過去最多を更新した。また、去年12月には、領海での連続滞在時間が、2012年の国有化以降で最長の72時間45分に及んだ。
果たして、中国の脅威に日本はどう備えるのか?海洋調査に同行した東海大学・山田吉彦教授が生出演。調査結果や現場の状況などを報告する。
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上野さん、かわいい!
「中国との条約交渉により日本が尖閣諸島を獲得した」と主張するのであれば、
中国が、日本との条約以前に何らかの権益をわずかでも
尖閣に持っていなければ、条約で交渉する権利がない
のである。
では、中国が何らかの権益を尖閣に持っていたかと言えば、それは皆無だ。
何の権益も持っていなかった自分の土地ではない土地について、「俺と交渉せよ」と主張するのではジャイアニズムの典型であり、国際法上は全く相手にする必要がない。
実際、中国は、尖閣どころかその手前の台湾島でさえ、明治期になってもほとんど開発せずに放っておいた。
台湾島南部の狭い地域だけは、明王朝の末裔が住み着いた時期があって開発されたが、それ以外の地域は半裸で弓や槍をもつ土着民たちが住んでいた。
彼らは野蛮な首狩りの風習を持ち、1871年(明治4年)には牡丹社事件を起こしている。
これは、宮古島の島民たち60数名が、船の難破により台湾島北部に漂着したが、台湾原住民たちが彼らを襲って首を狩り、50数名を殺した事件だ。
中国は中華思想により僻地の台湾なんぞにはまったく興味を持っておらず、有史以来の状態にしておいたため、台湾の南部の狭い地域を除くほぼ台湾全域でパプアニューギニア系を含む南洋土人たちが原始の生活を続けていた。
そこに日本人たち60数名が流れ着いたために、首狩りのいい標的とされた。
この時の中国側の対応で注目すべきなのは、日本政府の抗議に対し「台湾島のほとんどは、文明の外に住む我々の統治の及ばない民族が支配している。彼らは中国の管轄外の存在であるから、中国政府は今回の事件に対して責任を負う必要はない」と主張したことだ。
つまり、台湾島のほとんど全域を原始時代のままの南洋土人が支配していて、中国政府の実効支配が及んでいなかったのである。
さらに、牡丹社事件の結末における中国政府の対応にも注目するべきだ。
当初、中国側は「中国政府とは関係ない蛮族がしたことだ」と言い張って謝罪と賠償を拒んだため、日本側が抗議を繰り返したが、中国側は態度を変えなかった。
そこで、日本側は西郷隆盛が主導して「中国政府の管理の及んでいない土地であるならば、日本軍が犯罪者たちを捕まえても問題はないはずだ!」と主張し、台湾に日本兵を送って犯罪を行った部族の酋長とその息子を捕らえて処刑した。
これに中国側が抗議して、日中で戦争が起きかけた。
日中で散々揉めたが、最終的にはイギリスの仲介で「中国政府が日本国と日本国属民に対して賠償金を支払う」と言う事で和解した。
牡丹社事件において結ばれた1874年の条約において、中国政府が賠償を認めたことにより所属が不明確だった台湾が中国領として承認されることとなり、また、「日本国属民」に対して中国政府が賠償をしたことにより沖縄が日本の領土として承認された。
このように中国に近い台湾島でさえ未開民族が原始のままに暮らしていて所属が不明確であったのだから、1895年の下関条約に現れる「台湾の付属島嶼」に尖閣は明白に含まれていない(未開民族たちが150kmも海を渡った先の尖閣を自分たちの活動領域にしていたはずがないからだ)。
尖閣に対して何も関係したことがなかった国が、条約において「交渉した」などと言うのでは、夢幻の如き話だ。