520人の命が失われた日航機墜落事故から12日で41年。墜落現場である「御巣鷹の尾根」では、雨のなか“慰霊登山”が行われ、遺族らが“空の安全”に思いを寄せました。
■日航機墜落事故から41年 “慰霊登山”で遺族らが祈り
雨が降りしきる中、41回目の命日を迎えた12日。遺族らは墜落現場となった「御巣鷹の尾根」への“慰霊登山”を行いました。
同僚を亡くした女性
「犠牲になった520人の方、それぞれに人生があったと思うし、その人生の分まで我々が風化させずに、これから頑張っていかなくちゃいけないと強く感じる」
1985年8月12日。羽田空港から大阪・伊丹空港へ向かっていた日本航空123便が突然、操縦不能となり、午後6時56分、「御巣鷹の尾根」に墜落。生存者は4人、520人が犠牲となりました。
当時9歳だった健くんは、初めての一人旅で事故に遭いました。
9歳の弟を亡くした美谷島真さん
「今年も来たよっていう気持ち。家族が健のことを、弟のことを覚えていてあげなきゃっていう気持ちがある」
兄の真さんは毎年、娘とともにここを訪れますが、13歳の娘はもう健くんの年齢を超えました。
9歳の弟を亡くした美谷島真さん
「娘なりに、この事故を伝えていかなければいけないと言っていたので、そこはやはり嬉しく思った」
■「事故のない世の中に」 犠牲者520人分のろうそくに灯火
灯籠流しが行われた11日。慰霊に訪れた男性は41年経っても、亡き父への思いは変わらないと話します。
父親を亡くした増田善裕さん
「ここ来たら親父に会えるかなって、それだけです。いつもここでは言います。『一緒にゴルフ回りたかったな、酒飲みたかったな』というのは」
「やっぱり辛い。最期は誰でも死ぬが、看取ってやりたいなと。交通事故はそうはいかないので」
夜には雨も上がり、慰霊式典では、犠牲者の数と同じ520本のろうそくに火が灯されました。そして、墜落時間の午後6時56分に黙とうが捧げられました。
9歳の弟を亡くした美谷島真さん
「空の安全はもちろんだけど、事故とかない世の中になってくれたらいいなって。これだけ泣いて、みんな辛い思いして、守っていかなきゃいけないよね、そりゃ。無駄にしたら、今まで何だったの?って、亡くなった人何だったの?ってなっちゃうよね。そのためにずっと戦い続けてきているんだから」
■事故から41年 教訓の継承が課題に
小川彩佳キャスター:
事故から41年です。
ご遺族のみなさんの高齢化だけではなく、日本航空でも、事故当時を知る60歳以下の正社員はわずか2人となっています。
教訓をどう繋いでいくのか、課題となっています。
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もう忘れて楽しいこと考えた方が人生幸せじゃない?
ドキュメンタリーで健くんに兄がいるとは聞いていましたが、お兄さん本人を見るのは今回が初めてです。弟にそっくりでまるで大人になった健くんを見ているような感じがします。
どんなに生きていて欲しくてもなくなる命がある。
そうそう、近鉄の帽子を被っていてオレも当時は近鉄ファンだったから、他人事とは思えなかったな
この事件を稲川淳二が創作の怪談でネタにしてることを考えると、被害者への侮辱行為として許せない
痛ましい事故で胸が痛むけど、
いまのJALも、機長が飲酒とか
なにも変わってないじゃん
一番許せないのはJALって一度破産?して、国が助けたよね 潰れちまえや
機長や副操縦士のご家族はこういう場所には来ないんだろうか
同じ被害者だけど
この事故で子を亡くした家族にとっては計り知れない程の悲しみだろうか!子供1人での旅は当時幼いかった僕にとっては憧れであったし、今でも胸が痛いよ!
この御巣鷹山の惨劇、そして今日8月15日、終戦の日。命の重さ、大切さについて深く思いを馳せる日々。ケンちゃんをはじめ御巣鷹山の犠牲者、そして戦争の犠牲者の方々へ追悼慰霊の思いを捧げたい。
事故じゃなく事件だからな
遺族は今生きていたらで生活しているんです😢
日航機123便航空旅客機も出発せず走行せずにまずは航空旅客機の点検、装備等して航空旅客機の解体したほうがいい
当時小1でしたが、鮮明に覚えてます。
ケンちゃんが生きていたら、50歳
60過ぎても思いが変わらないのキツだろうな。。。。。
飛行機ってこう言う事故があるから怖い
当時インターネットは当然無く。情報最速手段は「電話」次にテレビ、ラジオ、新聞。レポーターや記者は電話で音声報道。速報はテレビやラジオは地図で報道してた。
私は病気で妹を亡くしました。少なくとも母と私は妹の事を一生忘れません。突然、弟さんを亡くされたお兄様のお気持ちお察しします。弟さんのご冥福をお祈りします。
自分も一人旅が好きだから、初めての一人旅で事故に遭ってしまうというのはなんともやりきれないものがあるな
自分は助かった川上慶子さんと同い年。そして彼女も自分もチェッカーズが好き。
当時チェッカーズも彼女にコメントしてた。
のほほんと生きてたたった13歳の自分には想像が追いつかないほどの衝撃だった…
この時大学受験の勉強をしていたな。
41年前です。
ご家族の皆様謹んでお悔やみ申し上げます。