〈いよいよ明日開幕!生配信チケット販売中〉
肉乃小路ニクヨ×岩井志麻子×湯山玲子
「猛獣、放し飼い。」(開演:5月15日19:30〜)
会場チケット・追加席は即完売!
現在ご覧いただけるのは、生配信チケットのみです。
忖度なしで語り尽くす一夜。配信限定の「禁断の延長戦アフタートーク」も実施します。会場に来られない方も、ぜひ生配信でご参加ください。
▼配信チケットはこちら(税込2,000円)
https://bit.ly/stream-diamond-yt
※イベント後2週間、アーカイブ視聴も可能です。
▼そして、今回の動画内容は?
今回は、認知症の母、介護、延命治療、葬式、お墓、そして「残された人」のためにできることをテーマに、岩井志麻子さん、湯山玲子さん、肉乃小路ニクヨが語り合います。母が認知症になって3年。
月に2回、片道2時間かけて施設に会いに行く相談者。母はもう自分の名前を思い出せない。それでも、顔を見ると「あら、来てくれたの」と笑う。帰り際には「また来てね」と言う。でも、その「また来てね」は誰に向けられた言葉なのか。母に会いに行っているのか。その一言を聞きに行っているのか。もう自分でもわからない。
「母の体はここにいるのに、母がいない」
死んだなら泣ける。区切りもつく。
でも、ここにいるのにいない人を、どう悲しめばいいのか。
岩井志麻子さんは、自身の母との別れを振り返りながら、
認知症の親を見舞うこと、希望を持ってしまう苦しさ、そして「生きているだけでいい」と思えるかどうかについて語ります。母が自分をわかる時と、まったく反応しない時。その“まだら”な状態に、希望を持っていいのか、持ってはいけないのか。家族だからこそ揺れてしまう本音が語られます。
話はやがて、延命治療、葬式、お墓へ。
延命治療は本人のためなのか。それとも、残された人が罪悪感を背負わないためのものなのか。葬式やお墓は、亡くなった人のためなのか。
それとも、生きている人が区切りをつけるためのものなのか。
さらに、自分が認知症になったらどうするか。
誰が決めるのか。家族に何を残すのか。
老い、孤独、宗教、コミュニティ、そして“ただ存在していることの価値”まで、3人が深く語り合います。
▼出演者プロフィール
肉乃小路ニクヨ
ニューレディー/コラムニスト/YouTuber/クイズおばさん
慶應義塾大学在学中の1996年より女装を開始する。1999年ドラァグクイーンの全国大会DIVA JAPANにて初代Miss.DIVA JAPANの座に輝き、以後ショウガールとして活動。会社員としては主に銀行と保険会社でキャリアを積む。セクシャルマイノリティーとしての葛藤で苦しんだ青少年期とショウガール、ゲイバーのママ、会社員時代に鍛えた人間観察力を活かして、経済、お金、恋愛、ライフスタイル等についてを語る。
※関連アカウント
・YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/@japanesedragqueen6817
・Xアカウント
https://x.com/nikuchang294
岩井志麻子
1964年岡山県生まれ。
高校生のとき、第3回小説ジュニア短編小説新人賞佳作入選を果たし、少女作家時代を経て22歳で本格的に作家活動を開始。
1999年『ぼっけえ、きょうてえ』(角川書店刊)で第6回日本ホラー小説大賞、2000年には同作品で第13回山本周五郎賞を受賞、2002年『チャイ・コイ』(中央公論新社刊)で第2回婦人公論文芸賞を受賞するなどホラー作家として数々の文学賞を受賞。2013年12月には、『チャイ・コイ』が待望の映画化。常識にとらわれぬ発言や私生活が、世の女性の憧れとして、現在最も注目を浴びている作家である。
※関連アカウント
・X(旧Twitterアカウント)
岩井志麻子staff【マネージャー】
https://x.com/shimakonoheya
湯山玲子
東京都出身。学習院大学法学部卒。著述家、プロデューサー、おしゃべりカルチャーモンスター。著作に『女ひとり寿司』(幻冬舎文庫)、『女装する女』(新潮新書)、『四十路越え!』(角川文庫)、上野千鶴子との対談集『快楽上等! 3.11以降の生き方』(幻冬舎)。『文化系女子という生き方』(大和書房)、『男をこじらせる前に』(角川文庫)等。自らが寿司を握るパフォーマンス<美人寿司>、クラシック音楽の新しい聴き方を提案する<爆クラ>主宰。ショップチャンネルのファッションブランド<OJOU>のデザイナー・プロデューサーとしても活動中。父は作曲家の湯山昭。
オンラインサロン、湯山玲子カルチャークラブ「ワルい子のための読書会」開催中!常識を疑う「ワルい子」の視点の選書の月イチ読書会や芸術鑑賞会の課外活動。湯山玲子が投げかけるノイズで自分の新たな文脈の獲得へ。
https://t.co/7y702y8BTQ
延命治療を望まない祖母でしたが、叔母が延命治療を決断し祖母の年金を使い込んでいました。
私も同じでした。行くのを減らしても増やしても最後に母を看取った後に、もっと○○すれば良かったのではないかと後悔になりました。父を義父と義母を母をと4人見送り数年たった今でも自問自答します。ご自身が思う通りに会いに行かれるのが良いと思います。
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悲しいよね。でも貴女の名前は口に出なくても、貴女の姿を見ての認知はできている場合もあるのでは?
私の母は国際電話で自分の名前を言っても、『誰かな?、誰かな?』というばかりでしたが、子供のころ私を呼ぶときの『〇〇ちゃん』なら判りました。もっと酷くなって、日本に帰国して会った時にはもう全く認知できませんでしたが、居間にあったハーモニカを吹いたら反応して『荒城の月を吹いて欲しい』と言いました。びっくりしました。吹いてやると『もっと吹いて』といいました。きっと若い頃の思い出のある曲だったのでしょう。人間の認知能力って複雑ですよね。まだきっと何らかの接触が可能なのでは? お母さんとの繋がりが得られますよう。
落語 長屋?色々あるけど 賢い大人女友達にアドバイス ちょっとプラトニックに甘やかしてもらってます
私の母も認知症ですが、まだ私だと分かるので安心してますが、いつ分からなくなるか不安はあります。
でも忘れてもいいんです。
私はずっと母さん、母さんと呼び続けるつもりです。
延命治療するかしないか、お墓の管理(掃除に行けるかどうかの頻度や管理費、檀家さんならそのお金)も老いた母親の認知がまだハッキリしているうちにお寺さんとあらかじめ決めておく
最初はザックリでも良いから、困った時だけ何とかしてよは都合が良すぎ
それを機に友達辞めた人も居るから、他人に丸投げし過ぎないように自分から配慮もする事
よくネットにいる引きこもりの人も親の代で墓じまいするかを考えて、お金はいくら掛かるか、どこに相談すれば良いかをあらかじめ自治体の窓口に聞いてどう決めておくかぐらいは出来ると思う
相談会に何回か行っておく、1回で何でもしてくれる窓口は無いと割り切って心得ておく
(ハロワも同じ)
今は時間外でも即レスは難しいそうですが自治体の相談窓口のネット質問のWebホームでも質問出来るみたいです
余計なお世話かもしれませんが、幼馴染みからコロナ前から聞いた話です
何度も同じ映像が流れるのがいや。
何度も同じ映像が流れるのがいや。
祖母が認知症になり10年、最後の2年弱は病院と施設のお世話になりました。言語化出来なくても、まるっきり分からなくなるのではなく、まだらぼけのような感じで少しずつ少しずつこの世とお別れしていくんだなと理解しました。「もうどうせ分からないし」と割り切るのは、介護する側の気持ちの負担を軽くするための方便かと。認知のかけらでも最後まで残っている気がしています。
所謂、延命治療は苦しみを長引かせるだけでやらず、お葬式も小さく行いました。お墓に入れるか…悩み…取り敢えず、私の部屋に祖母の亡骸はいます。病院、施設、葬儀や納骨…全てまとまったお金も必要です。どこまでやることが本人のためになるのか、残される側もその負担に耐えられるか…丁度良い看取りを模索しながら、死ぬまでお金に付き合わされながら、いろいろ葛藤しながら生きていくんだなと思っています。
家で具合が悪くなり苦しがると救急車を呼ぶと「延命」にならないらしい。
その延命も点滴をすることで痰が増え咳き込み苦しみます。
延命についてと人としての感情を現実的に考える時です。
私も父がレビー小体型認知症になり、施設に会いに行っていました。子育てコミュニティはよく見るんですけど、湯山さんが言われてるように介護や親の老いに向き合うときの悩みや愚痴、やるせない思いを共有するコミュニティってないよなぁと私も思ってました。なかなか周りに話せる人もいないもんですよね
認知症になった親を見るのは悲しいしやりきれない思いになりますが、親と関わる最後のフェーズだと思って亡くなるまで通い続けました。今ふりかえると、親とのいろいろを思い出すことで、自分のこの先の人生とも向き合う時期だったなぁと思います
介護職です。認知症の末期の人も、赤ちゃんと同じで、そばにいる人がイライラしていたら、落ち着きがなくなるし、穏やかな気持ちでいれば、穏やかになるように思いました。想ってくれる人がそばにいてくれたら、それが誰かはわからなくとも、愛情が伝わっているような気がします。
私40代の父も脳梗塞後、高次機能性脳障害が残り、本人が一番辛いと思います。もう全く話しも出来ませんし、言語理解もできなくなってます。片麻痺で自分で体を起こすことも出来ません。寝返りも打てません。血が繋がっているせいか、顔を見てどう感じてるか何を言いたいか、意思疎通しているような感じです。ただただ苦しそうな時もあります。でも話しかけてます。本当は全部分かってたりして?などと思うこともありますね。今は往復3時間かけて行ってます。一昨年は海外に居たので年4往復して会いに行きました。資産もないしカツカツ。
皆さんのお話に頷きっぱなし。同じ境遇の人と愚痴言えたら少し孤独が癒されると思う。言ったからって現実は変わらないけれど前を向く元気は出る!母を見送ってそう思う。精神的にギリギリだった私は妹がいたからあの苦境を超えられたかな。孤独は毒☠️
30年前に50歳だった父親を癌で亡くし、おととし53歳だった弟を癌で亡くしました。ネグレクトだった母親はボケており、施設で薄らボンヤリ、弟が亡くなったことも分からず暮らしています。父、弟、母親の排せつ物の処理をしてきた私は、いったい何なのでしょうか。親について思い出話しができる方々は、幸せですね。ちなみに葬祭関係の仕事をしています。
延命措置しません。父と話し合ってます。
頭では忘れても ココロが覚えている
長年の在宅介護と看取りを通して、私が母から学んだことです
いやいや、動物的レーダーで、ちゃんとわかっているんだよ😮