津波で母親と弟を亡くした少年が、結婚し新たな家族を築きました。父親と2人、仮設住宅に暮らした日々から15年。その歩みを追いました。
■震災から15年 父子の新たな歩み
吉田芳広さん(24)。15年前、岩手県陸前高田市で母親の真紀子さん、弟の将寛さんらを津波で亡くしました。
芳広さん
「これ、お母さんの。俺が選んだの、高いよこれ2000円」
寛さん
「お母さんの財布。乾かさないと」
芳広さん
「カードとか出す?」
父親の寛さんとともに、避難所での生活。
寛さん
「うめーべ?」
芳広さん
「うん」
寛さん
「逆にこのレトルトカレーっていうのがうめーんだぞ」
芳広さん
「レトルト?」
寛さん
「うん」
寛さん
「見ろ、このがれきの量よ」
当時、近くに住み、小学1年生の娘を含む家族全員を亡くした小島幸久さんと、互いに支えあいながら暮らしていました。
■仮設住宅で暮らす父子2人の絆
寛さん
「はい、ただいま」
芳広さん
「おかえり」
やがて仮設住宅へ。寛さんと2人暮らしが始まりました。
寛さん
「外食なんか誰でもできますよ。一生懸命愛情のこもった料理を作る事が子育ての一環ですよ」
寛さん
「芳広ー、できたぞ」
「デミグラスもどき、うーんうまい」
寛さん
「妻がいたからやっていなかったんだ。いなくなった瞬間からやらなければいけないのは、最初は抵抗がありますよね、できるのかなっていう。少しはありますね。ただそれよりも息子のために料理を作れるのは喜びですよ」
小島さん
「完璧だな。2回目にしてこの出来はゆるぎねーな」
中学3年生の頃。将来の夢を語るなかに、母への思いがにじみます。
芳広さん
「早く結婚する」
寛さん
「知らねーよ」
芳広さん
「(Q.目標いくつで?)22。父さん23(で結婚した)だから。父さんはめっちゃいい人をつかまえたから、おれもそれなりのいい人をつかまえたい」
寛さん
「頑張ってください。誰と結婚しようが、誰と何をしようが俺は俺の人生がある。おめえはおめえの人生がある」
高校2年生になり―。
芳広さん
「いいねー」
寛さん
「熱い、器が持てない。タマネギ入ってる?」
芳広さん
「めっちゃ入れている」
当時を初めて振り返りました。
芳広さん
「すぐそこに火葬場があるんだけど、(家族を)火葬したんだけど、その時に本当に棺桶があって。お母さんがこの中に入っているんだなと思って。それが一番つらくて。3日ぐらいずっと涙が止まらなくて…」
■少年から大人へ 新たな命も
そして今年、芳広さんは菜々実さんと結婚し、椿ちゃんが生まれました。
寛さん
「おとうさん、おかあさん、おじいちゃんかな?じいじ?」
■支えあう3人 当時の思い出語る
妻の菜々実さんと一緒に、久しぶりに実家がある陸前高田に。寛さんの仕事場で小島さんと再会しました。
小島さん
「お父さんとおじいちゃんと一緒に過ごしていたんだよ」
小島さんは再婚し、新しい家族ができました。
小島さん
「だってさ避難所の時、おめえ真ん中でさ、寛、俺だったんだよ。一回転すっかんな一晩で」
芳広さん
「たまにあの裏返しになって寝てる、起きたらたまにNみたいになっている」
3人で、あの日のことを振り返りました。
つかの間の特別な時間でした。
■墓前で「見守って」
そして真紀子さんと将寛さんが眠る場所へ。
芳広さん
「お母さんと弟、おばあちゃんとその3人が眠っている。見守ってもらえればいいかなと。これからの活躍を」
■震災当時のまま…母のかばんに娘は
その後、倉庫を訪れると、真紀子さんのかばんが残されていました。あの日のまま、時間が止まったように。
芳広さん
「これや」
寛さん
「まだ。311のまま。亡くなった女房がそのままかけていたかばん」
菜々実さん
「何も言葉が出ないけど…。ばあばの」
かばんを見つめる椿ちゃん。会ったことのないおばあちゃん。けれど、確かに続いている命のつながり。
■“ただいま”いえる場所 少年の歩み
現在、芳広さんは宮城県で電気工事の仕事をしています。
この日は、寛さんも現場を手伝いました。
父と同じ仕事を選び、その背中の大きさを感じていました。
芳広さん
「すごいなみたいな感じは思ってましたね。その時はやっぱり。自分が今こうやって何もできない状況で、もうその小さい時からやっぱり親父の場合はお父さん(祖父)の手伝いをしてたから。もう22、23の時にはこんなにできてたんだって」
自宅への帰り道。「ただいま」と言える場所があることをかみしめます。
芳広さん
「帰ってきて家に誰かがいる安心感。ほらもうやっぱ小学校とか中学校の時とかもなんか言った気もするんですけど、家に帰ってきてもただいま言っても誰もいないっていう状態がその時なんかすごい辛かったっていうか。まあしょうがないんですけど。そういう状況ってなんか当時の自分にはすごい寂しい感じがしてたんで。それが今家に帰ってただいま言って、子どもと奥さんが待ってるっていうのはすごい幸せなことなんだな」
胸にあるのは、故郷への思いです。
芳広さん
「まあでもいずれは戻りたいですね、気持ちは。やっぱ(椿ちゃんが)小学校とか入る前にあっち戻って。自分もあっちで基盤を固めて。奥さんはいつでもいいっては言ってるんですけど、みんなで高田に家を建てて住みたいっすね」
寛さんも、陸前高田に戻ってきてほしいと願っています。
寛さん
「まあ自分がよぼよぼになって、仕事がちょっと厳しいなっていう前にはもちろん高田に帰ってきてほしいですけどね」
■命つなぐ にぎやかな住宅
自宅では菜々実さんが椿ちゃんのご飯を準備。
菜々実さんは、会ったことのない真紀子さんに思いを寄せています。
菜々実さん
「(真紀子さんが津波で亡くなったことを)あっさりした感じで言われたんで、やっぱ聞きたいこともたくさんあるけど聞いちゃいけないっていうか。本人が話したい時に話してくれるから、余計なことは聞かずにって思って。正直ヨシ君とかお父さんの前ではあんまり言えないけど(真紀子さんと)会いたかったなっていうのはすいません、あるんで。生きてたら多分うまくやっていけたかなって思います」
芳広さんは、これまで身につけてきた料理の腕を振るいます。
寛さん
「えー結構な量があるよね、すごいね。結構このイモ食べ応えあるよね。これサツマイモか!ジャガイモじゃなかったんだ!これおいしいね。ね、椿ちゃんおいしいね」
菜々実さん
「じいじ食べたの?」
寛さん
「つまみ食いしてしまった」
4人で囲む夕食です。
芳広さん
「今はもう正直自分が作んなくてもなんかまた作ってくれる人もいるし、2人でコンビニ弁当を食べるよりも、こういうなんか食卓で普通に作ったご飯を食べる方が…」
寛さん
「当たり前だよ、そんなの!」
芳広さん
「おいしいですね」
かつて、父と息子の2人きりだった食卓。今は、笑い声が増えました。
[テレ朝NEWS] https://news.tv-asahi.co.jp
この震災で人が何千人も死んだのか、、 震災に遭われた方、家族や友人をなくされた方に心からご冥福をお祈りします。
女房って聞いて最初は笑ったけど、父ちゃんカッコいいな。息子も強く育った。いい親子関係だね。
東日本大震災でうちも津波で流されて、育った地元がなくなったり、親戚や同級生が死んだり、ツラいことや大変なことはたくさんあったけど、それよりももっともっとツラいことがたくさんあって、印象深いけど、いちばんツラい体験ではない。津波では個人的に近い人は死ななかったから。
まだ好きだった元カノが死んだときのほうが10倍ツラかった。
母親が棺おけにいて泣く話に共感した。骨壺に入ってしまったから。ヤフーニュースで知って3ヶ月くらい毎日泣いた。
母親の思い描いた以上の理想の息子になったのですね。喜んでいらっしゃると思います。
何でだろう、人が苦しんでるのを見ても号泣するし、幸せになってるのを見ても号泣する。やっぱ心弱い人やな😭
椿ちゃんを見ていると、おばあちゃんが話しかけているように感じます。皆様の幸せを祈ります。
椿chanパパそっくり😊幸せですね😊
待って、中学生になった途端息子さんすんごいデカくなってびびった。すごい。お父さんのおかげだね…。
すごく平常を装ってるけど、息子さんとお父さんもう頑張りすぎてた。今勉強しない小学校の娘を叱っている自分が恥ずかしいです。生きてるだけで満点なんですよね。お母さんと弟さんの分まで生きてください。
気仙沼の知り合いがいます…皆…似てますね…顔が…U字工事の福ちゃんみたいな顔…新沼謙治みたいな顔
津波大好きありがとう
また津波来い
10万人くらいキルしろ
子供がいるから頑張れる。
次のだいに受け継ぎ頑張っていってほしい。
当時0歳で生後4ヶ月でした。
震災と同い年ですので2026年3月11日友達と関東から東北の方角向いて黙祷しました。
こんな素敵な大人になりたいです。
俺は耐えられない
妻と数年険悪だが、家族仲良くだよね
コメ欄の偽善者「どぼじでごんなごどずるの」
津波被害者の9割は津波舐めて逃げなかったやつだから自業自得
家族皆んなの幸せを心から祈っております。
奥様と娘ちゃんめちゃくちゃ可愛い。たくさんの幸せが訪れますように。
よしひろさんめちゃくちゃイケメンに育ってる!!!
いい奥さんゲットできて良かったね😊お子さんもかわいい♡
この方詐欺防止の表彰されてるニュースも見た、すごい方
15年前に撮影したセルシオかと思った😅
お父さんよく15年頑張ったよほんとにかっこいい。15年の歩みをみてると涙が溢れてくる。これからは幸せになってほしい
侍ジャパンの近藤選手かと思った。
どん底の悲しみの中から幸せを掴んでくれてありがとう
優しそうなお母さんと可愛い弟さんの写真を見て涙が止まらない………
お父さんもお兄ちゃんも辛かったであろうに、本当に力強く生きてくださった これからたくさん幸せになりますように
私は当時中学二年生だった 東北ではないけどその近辺の県に住んでいて、地震のことは今でも覚えている
震災の1年後に当時15歳で母を癌で亡くしました。亡くなるとは思わなかったけど病気はある程度覚悟はできる。震災で突然の日常が壊れるなんて思ってもみなかったですよね。何年も経ったからある程度心の傷は癒えてると思われがちですが、不思議と何年も時間が経ってから苦しくなったりずーっと心の傷は癒えないものだと思います。忘れることはこれから先、一生できないですが、この方達がこれから先、幸せで満ち溢れる人生になりますように。
思春期の時代に息子が父にお父さんは良い人を見つけたから俺も良い人見つけたいって言えるの良い家庭過ぎて。
眩しい。
亡くなった親族のことは語れない ましてや震災で亡くすのは 言葉に出来ない。一緒に生きていくそして親となり今がある。凄いことだと思います。
サムネの写真なんとなく野茂英雄さんに見えた。
泣ける、お父さんもかなり苦労したね。ご家族に幸あれ。
おじいちゃんは美しい孫を腕に抱いて、とても幸せそうです。
その瞳には、新しい希望と小さな輝きが戻ってきたように見えます。
まるで人生がもう 度やさしく巡り、今度は“おじいちゃん”として新しい物語が始まったかのようです。 💛
Grandpa is so happy holding his beautiful grandbaby. You can see a new spark in his eye a quiet sense of hope and purpose. In that moment, it feels like life has come full circle, and now he gets to begin a brand-new chapter as a grandfather. 💛
お父さんが料理するシーン、正直上手とは言えないけどそれが逆にお父さんの涙ぐましい愛情と努力を感じるね
大変でしたね。
東北の方たちが
これから幸せで明るく楽しい日々が送れる様にと願う
お父さん よく頑張った兄ちゃんも頑張ったねちょっと涙が出そうになっ
父親って偉大なんだよな…
お母さんの映像残ってるのがせめてのも救い🥹