🇵🇱 2025年ショパン国際ピアノコンクール──
全ての演奏が終わりました。
そんな中、審査員クシシュトフ・ヤブウォンスキ氏の発言が、
ポーランド国営ラジオ「ポルスキェ・ラジオ・ドゥヴイカ」で放送され、
「音楽のためではなく、拍手のために弾いている人もいる」
という一言がSNSでも大きな議論を呼びました。
異例の審査中発言となった今回。
その真意、背景に迫ります。
🎹 出典・参考:
・Polskie Radio Dwójka(2025年10月12日放送)
・Wszystko Co Najważniejsze(2025年10月13日掲載)
・wPolityce.pl(2025年10月14日掲載)
・Rules of the Jury, 19th International Chopin Piano Competition (NIFC, 2025)
・ぶらあぼONLINE(2021年12月8日掲載)
📌 コメント欄で、あなたの意見もぜひ聞かせてください。
#ショパンコンクール #ヤブウォンスキ #ピアノ #クラシック音楽 #ChopinCompetition2025 #chopin
[音楽] 皆さん、こんにちは。きなりです。初パ 国際ピアノコンクール2025。先ほど 全てのファイナリストの演奏が終わりまし た。世界中が注目する中、1人の審査員の 発言が大きな波紋を呼んでいます。 ポーランドの国営ラジオポリスケラジオ ルボイカに出演した審査員の1人 クシストシトフヤオス氏彼の発言がSNS やメディアなどで取り上げられ注目されて います。ヤブオさんは1965年 ポーランドブロツワ生まれ。20歳の時に ショパ国際ピアノコンクールで第3位を 受賞しました。この時の優勝は スタニスラフルーニンさんで第4位には 日本の小山恵さんがいました。ギャブオス さんは演奏活動に加え、現在バルシャワパ 音楽大学の教授として更新の育成にも力を 注いでいます。そんな彼がコンクールの 審査のまっただ中に発言した内容が注目を 集めました。 彼は2 次予選の後パのポロネーズを演奏したくのコンテスタントが形式やリズムの本質を誤解していると語りました。 コロネーズはただ力強く引く局ではなく誇りと気品を備えたポーランドの部局。それを派手な賞として引いてしまう傾向にある。 そしてもう1つ注目されたのが24の前局 オパス28についてです。前走局は独立し た商品ではなく1つの連作ですけれど 今回はそれをバラバラに扱う演奏が多かっ た。彼は24局が調整と感情で地密に つがっており、1つの物語として構築され ていることを強調しました。つまり作品の 構造を理解せずに引くことは書版の絵を 見失うことだということです。 また次の発言も国内のメディアを通じて広まり、 SNS上でも物議を醸しました。 音楽のためではなく種のために敷いている人もいる。ピアノはアクロバットではない。大切なのは内面の試作と知識です。 [音楽] つまり見せるための演奏ではなく考える 演奏を晴れさよりも誠実さを求める メッセージです。また学の謙虚さこそが 偉大さの始まりだとも述べており、個性を 出すという教育が広がる中でオン さんは自由は理解の上に成り立つと語り ます。作曲の言葉を読むことが真の個性の 出発点なのです。もう1つ紹介したい発言 はこちらです。若者はインターネットで スタイルをコピーし、自分の声を探そうと しない。芸術は再生回数では測れない。彼 はYouTubeやSNSの影響が強い 時代に音楽の本質をどう守るかという問い を投げかけています。ではなぜこの発言が ここまで話題になったのでしょうか? 初パンコンクールの審査員規則には審査員 は参加者と接触せず各ラウンドの評価を 外部に開示してはならないと明記されてい ます。つまり構成を保つため審査の途中で 個人的な意見を表しないことは制度的にも 監修的にも重視されています。過去にも 1980年の大会で審査員の意見表明が 公平性を巡り議論を呼んだ例がありました 。それ以来審査員は途中で口を開かないと いう文化が暗黙のルールとしてね付いたの です。そのためヤオス氏の今回のラジオ 出演は慰例でした。一部メディアは審査の 中立性に影響するのではと報じましたが、 ポーランドの文化しフシストコツ内バ年で はこれはコンクールだけの問題ではなく、 音楽教育全体そして今日のクラシック音楽 の世界で起こっている全てのことの問題だ と染みくっています。彼の発言は若者への 批判ではなく、音楽そのものを守ろうと する教育者の立場から出た言葉だったの でしょう。タブンス氏が発言したラジオは ポーランドの文化専門チャンネルで クラシックや文学芸術を丁寧に扱う場所で あり政治的な意図よりも芸術的メッセージ が重視されます。従って今回のコメントも 文化的な場での誠実な問題定期だったと いうことです。 実はヤボンスさんは2021年大会後の インタビューでも同様の内容を話してい ます。書の自由は派手な感情表現ではなく と精神の理解から生まれるもの。 ピアニストには作曲会への経緯やむさが失われつつある。オスさんの言葉は初パンコンを通して音楽とは何のためにあるのか演奏とは誰のためにするのかという問いを投げかけています。皆さんは今回の動画で何を感じましたか是非 [音楽] [音楽] 教えてください。 最後までご視聴ありがとうございました。 高評価、チャンネル登録よろしくお願いし ます。それではまた次回の動画でお会いし ましょう。
ブーニンの英雄ポロネーズが、よっぽど憎いんだね。
ブーニンのCD聴き込んで自分のショパンが始まったので、動作はあまり見てなかったんだけど、ピアノのメーカーが良かったのかな
ザ・芸術って意見だけど、実際問題バランスよね
端正で保守的な演奏が評価されがちなこのコンクールを象徴していると思う。かつて1980年にダンタイソンが優勝した時にポゴレリッチがファイナリストに残らず、審査員のアルゲリッチが激怒した故事もある。このコンクールで優勝したポリーニやアルゲリッチはずば抜けたピアニストで業界の王道を歩んだが、そうでなくとも世界的に活躍するピアニストは数多い。やはりショパンを冠したコンクールという認識で受け取るべきだろう。
ヤブウォンスキのショパコンのポロネーズは名演なので皆さん聴いてほしい
発言内容は至極真っ当。このような人が審査員なのだと知る事ができて良かった。
途中での発言でも、ステージの合間なら、公平性に問題がないが、同じステージの中の日付の変わり目辺りで言うなら、その後で演奏する人に影響を与えてしまう。実際どうだったんだろう?
それにしても、ドゥヴォイカって、ポーランドの2チャンネルではないかw?
この様な考え方をする審査員もいれば、真逆の考え方の人もいる。この考えが正解なら、ショパンの思想だけを意識した演奏は、ショパンを音楽的に越える事ができない。
ショパンが完璧かと問われると、そうではない。ピアコンのオーケストレーションは、正直下手くそとしか言いようがない。ショパンはショパンで不完全だ。
「ショパンを音楽的に越える」必要はないし、
「ショパンの音楽性を逸脱した」演奏は、むしろ聴きたくない。
そのような演奏はショパンに失礼。⬇️
ヴィルトゥオーソの時代もあったし、華やかな演奏がもてはやされた時代、端正な演奏が評価された時代もあったり、ブーニンのような革新的演奏が評価されたり、いろいろあるんじゃないでしょうか、、、
つってもなあ。コンクールそのものの是非にならんか?
ピアニストの個性をプレゼンするのではなく、作品に寄り添って欲しいというメッセージを感じました。
エチュードを完璧に演奏されると自動的に拍手喝采してしまいますが、聴衆なんてそんなもんだって審査員はわかっているはずです。それを踏まえて審査して欲しいです。
昔むかし、自分に酔い痴れるために弾いているランランというキモ男がいた。
だってそもそも、審査員は技術力を審査するんでしょ?
そして、コンクール毎に必ず、賞を手にする人間がいる、それ自体おかしいと私は思う。
鳥肌の立つピアニスト がいたら、賞を与えればいいのに。
それならそりゃぁ、出演者は、ソレ目的に出場するでしょうよ。
審査員っていう人たちの存在すらも、怪しいし、おかしいよね。
コンクールに出る人についている先生たちへのメッセージでもあると思います。
コンクールには出てなくとも聴衆の満足度では『小菅優』は無二の存在です。(^^♪、
音楽のために技術は必要だが、技術によって技術を表現するようでは、それはもはや音楽ではない。
ポーランド風であれと言うがショパン本人はパリへいってしまっておりポーランド風といっていいのかどうか ポーランド風にすると田舎っぽくなるという節もある もともとショパンの作品は小曲が多くこうした大コンクールに向いてないという説もある まあいろんな評価があるのでしょう
技巧はポリーニ・アルゲリッチが極めた。
その代わり、感情が無いとも言われた
それで大袈裟に弾く人が出てきた
この配信に出会えてよかったと思います。ヤブウォンスキさんの言葉は音楽以外の世界にも言えると思う。
今回の本質を捉えていないものに対するヤブウォンスキさんの指摘、誠に痛快です。
ありがとうございました😊
その提言を尊重し演者の創造性や再構築がショパンには不当なら、カラオケマシンみたくコンピューターに採点させた方が簡単で公平ですね。
正論じゃないですか。ただのコンクールではなく「ショパンコンクール」なのだから。
コンクールという構造上審査員に評価される演奏を目指して現在のスタイルがあるわけですから審査員側にも問題があるのではないでしょうか。
奥深いコメントです。アマチュアほど自由や個性や感情にこだわる。自由は理解の上に成り立つ。その通りです。
三大コンクール優勝者とかで、その後も一流の活躍をする人がほとんどおらん
私はピティナ弾きなんかも
なんか苦手なんだよなぁ
ショパンのお母さんはスペイン系でスペイン戦争あり、時代はきらびやかな世界で脚色して人生を少しでも楽しもうとしていたのかもしれません。、、、日本なんてショパンの曲を子犬のマーチとかにしてますが、こころ根には激動の時代のささやかな喜びを表現しているのかも知れませんし、アレンジの工程も大切かと想いました。
ヤブウォンスキさんのおしゃってる通りだと思います。ショパン自身もある弟子に「役者じゃないんだから派手なゼスチャーは要らない、感情は手に籠もる」と言い、派手なパフォーマンスで内面が疎かになる事を危惧してた。
エチュードを高速に弾けば通過できるんでしょ?と思われてるようなコンクールなんだろうから 審査員もしっかりしてほしいけど
難しいところですね。クラシック音楽を商業として成り立たせる、下世話に言えば音楽家が演奏で食っていく為には聴衆の好みに合わせないといけない面はあるとおもいます。これはモーツアルトの時代から音楽家の頭を悩ませる問題だったわけですが、結局のところ大衆とある程度迎合しつつ自分の方向性を出していった結果が20世紀前半までのクラシック音楽の歴史になったのではないでしょうか。
その後の大衆を顧みず自己の方向性を追求して結果の現代音楽については語るほどの知識を持ち合わせませんが。
6:58 誰が弾いているかわかっているのだからそこで音楽以外のものが聴いている人に入り込む。公平な審査にはなり得ない。
コンクールの目的は何?
聴いている人がいるのだからその人たちに訴えてもよいのでは?
そうでなかったら審査する人たちだけ聴くコンペティションにすればよいのでは?
結局のところ、コンクールのための演奏になっているんでしょうね。。
でも音楽をお金を払って聴いてくれるのは聴衆であるから、聴衆の求めるものを演奏するべきじゃない?
音楽は自分のためにするものだと思う
この方、恐らく、
ポゴレリチに最低点付けるんだろうなぁ。
仰る通りです。今年はもう一回聴きたいと思う演奏が少なくて最後まで聞きたい程引き込まれる物は私には無かったです。
パフォーマンスショーみたいに見える奏者って今も昔もクラシック業界で珍しくないから、いまさら波紋ってのはむしろ意外
陸上競技のように,公正な数字で優劣を決めることができないので,コンクールで優劣を決めること自体が無理なこと.審査員の主観,好みによる採点で優劣が決められる.つまり,運の要素が大きい.内田光子がコンクールの審査員を断り続ける理由が見えてくる.音楽における才能の有無や優劣を絶対的な基準で測ることに懐疑的なのであろう.聴く側は,好きなピアニストを聴くだけで.ピアニストがどのような解釈でショパンを弾いているかなどは全く関係ないこと.
卑近な例で恐縮ですが漫画の『ピアノの森』のショパンコンクールの描き方が大好きです。
最後の最後で審査員が自分のしがらみから解き放たれて自分の心に正直に評価するシーンは胸熱でした。アニメの方が音楽もあって感情移入できるけどね❤
人間の”音楽”の演奏表現について、”主観的に”シンプルな言葉で、右か左か。といいうふうに言葉にあらわすことが許されるのならば、又、この度のような、ある審査員の主観的な言葉によるシンプル(誰でもわかる)なコンテステントたちの評価が一般向けに有効なのであれば、法律や学校の校則のように初めから、簡素に箇条書きにでもして、試験前にコンテスタントに提示すればいいだけの話。まあたしかに、ショパコンは他の国際コンクールに比べ、より演奏の芸術性を評価、選別しやすくて有効だなとはおもいます。なぜなら、課題がショパンの作曲だけだから、比較検討はしやすいとおもいます。
あたりまえですが、世界トップレベルの演奏は間違いなくすばらしい。(ものもあります)しかしながら、クラッシックピアノの世界の評価というものは、例えば、国内においては、バンクライバーンの辻井君や、NHK特集のブーニンやフジコさんに殺到する大勢の、町の自称ピアニストの域をこえてはいなく、世界的に見たところで、例えば、グラモフォンレーベルのランランやユジャワンの事を、演奏、音、そのものでなく”見た目”や“印象”で事を発言する。もうどうしようもない”聞き手”にあふれている。(というか全然聞いていないというか興味ないのでしょう)特に、バンクライバーンの時の辻井君の評価が純粋なピアノ演奏ではなく、”彼のハンデ!”について”奇跡だ!”とか”涙が止まらない!”だとか、ピアニストや”審査員”までもがのたまう始末である、、、、、これにはたまげた、、、、。
もちろんですが、そんな審査員や専門家より、”審美眼”(耳)、に優れたクラッシック”音楽!”の愛好家(オタク)も大勢いらっしゃるのもじじつです。
まあ昔からコネ審査って言われてるしね…
先生の解釈通り演奏して顔芸すれば高評価なのが悪い…
前回🐈⬛のピアニストが演奏した時、日本人がコメント荒らししまくったのも問題かな…
観たいように観て、聴きたいように聴いて、理解したいように理解してるだけ。
観客だってそんなもんよ。
昔の方が良かった…は老化現象です。