1966年に発生した国内事故3選 #航空機事故 #飛行機事故 #飛行機

1966年に発生した国内事故3選 #航空機事故 #飛行機事故 #飛行機

14 comments
  1. 1966年8月26日
    日本航空
    コンベア880-22M(機体記号JA8030)が、羽田空港から離陸直後に墜落炎上したもので、乗員訓練飛行につき乗客の搭乗はなかったが、同社員4名と運輸省(現・国土交通省)航空局職員1名の5名全員が犠牲になった。

    1966年11月13日
    全日空
    大阪国際空港(伊丹空港)発松山空港行き全日空533便は、午後5時45分出発予定だったが悪天候と航空券のオーバーセール(定員超過)により、機種がフレンドシップからYS-11(機体記号:JA8658)に変更され予定を1時間半余り遅れて伊丹空港を飛び立った。
    松山空港へは同日午後6時35分到着予定だったが、以上の遅れから午後8時半に到着し着陸態勢に入った。
    同機は滑走路中央付近にいったん接地してすぐさま上昇に転じたが、副操縦士のゴーアラウンド(着陸やり直し)の無電を空港管制塔に残したまま、午後8時32分に松山空港西方約2kmの海上に墜落した。

    1966年2月4日
    全日空
    ボーイング727-81型機が羽田空港沖の東京湾に墜落した事故である。
    乗客乗員133人全員が死亡し、1966年当時において一機の単独事故としては世界最大の墜落事故となった。
    事故機である全日空60便に使用された航空機は、ボーイング727-81(100)型機(機体記号:JA8302、製造番号:18822/126)で、1965年(昭和40年)3月25日にアメリカ・ボーイング社で製造された。

    …これぐらい詳しく、画面も当該機種でお願いします。

  2. 全日空60便は左エンジンの異常が疑われてもいたが、つじつまが合わせられなかった事故調査委員会によって状況証拠から結果まで否定されてしまった「疑惑の事故調」
    柳田邦男さんの「マッハの恐怖」の中で掘り下げられている。

  3. 飛行機事故は減ったよなあ
    昔はニュース速報あったよなあ
    「◯◯航空◯◯便◯◯沖で行方不明」

  4. 松山の墜落事故はなんかばあちゃんが空港いたときに衝撃音があったけどまさか落ちたとは思わなかったって言ってたのは覚えてる

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