寺田寅彦先生に、文科省不認可の「京都面白大学」の「名誉総長」になって、「霊界」からいろいろとメッセージを送ってください、とお願いしたら、いとも明るく闊達に、「よか~! いいよ~!」と二つ返事。そして、「面白大学、おもろくやってよ~!」、とエールを。
寺田寅彦先生、ありがとうございます。
せんせいこそ、めちゃかうちゃ、おもろいし、今こそ必要なお方です。この世界に。この宇宙に。
明治11年(1878)東京に生まれ、高知で育つ。
9年(1896)熊本の第五高等学校に入学し、英語教師の夏目漱石より教えを受け、俳句を始める。
明治32年(1899)東京帝国大学理科大学に入学、同36年(1903)首席で実験物理学科卒業。翌37年、同大学講師となる。
明治41年(1908)「尺八の音響学的研究」で理学博士。
明治42年(1909)東京帝国大学理科大学助教授。同年ベルリン大学留学、明治44年(1911)帰国。
大正2年(1913)論文「X線と結晶」を『Nature』に発表。
大正5年(1916)東京帝国大学理科大学教授。同年12月9日夏目漱石49歳で死去
大正13年(1924)理化学研究所研究員兼務。
昭和元年(1926)東京帝国大学地震研究所研究員兼務。
昭和3年(1929)帝国学院会員。
昭和10年(1935)57歳で死去。
金平糖の角の研究、ひび割れの研究などユニークな科学研究で知られる。
夏目漱石の小説『吾輩は猫である』の水島寒月,『三四郎』の野々宮宗八のモデル
動画リンク
ファイル名
公開シンポジウム「京都の森と文化」第二部 2023年12月16日.mp4
亡くなる少し前に「災害雑考」を発表。これは、寺田寅彦先生の日本に対する警告的遺言であり、激励だと思う。
寺田寅彦「災害雑考」昭和10年7月/1935年「中央公論」
◆平生地震の研究に関係している人間の目から見ると、日本の国土全体が一つのつり橋の上にかかっているようなもので、しかも、そのつり橋の鋼索があすにも断たれるかもしれないというかなりな可能性を前に控えているような気がしないわけには行かない。
◆来年にもあるいはあすにも、宝永四年または安政元年のような大規模な広区域地震が突発すれば、箱根のつり橋の墜落とは少しばかり桁数のちがった損害を国民国家全体が背負わされなければならないわけである。
(中略) ◆しかし、「地震の現象」と「地震による災害」とは区別して考えなければならない。
◆現象のほうは人間の力でどうにもならなくても「災害」のほうは注意次第でどんなにでも軽減されうる可能性があるのである。
◆そういう見地から見ると大地震が来たらつぶれるにきまっているような学校や工場の屋根の下におおぜいの人の子を集団させている当事者は言わば前述の箱根つり橋墜落事件の責任者と親類どうしになって来るのである。
鎌田先生、寺田寅彦名誉総長の話ありがとうございます!
我が友、太田文夫君の父親は寺田寅彦研究の第一人者、太田文平先生です!
寺田寅彦を寺田虎彦って表記してしまうことは残念至極ですが、大評価してくださいましたことは、感謝感謝申し上げます!
井上きゆき 拝
ありがとうございます。寺田寅彦先生からのメッセージを真摯に受け留める時が来たことを痛感いたしました。鎌田先生でなければ出来ない年頭講義に感動し身の引き締まる思いです。今年もよろしくお願いいたします。地上のお身体も大切にこれからも私たちにメッセージを送ってください。合掌