【光る君へ】藤原頼通子孫 五摂家解説〜一条家編〜

【光る君へ】藤原頼通子孫 五摂家解説〜一条家編〜



#光る君へ
#藤原頼通
#一条
#藤原氏

五摂家解説シリーズ第3弾、「一条家解説編」です!

藤原道長・頼通の子孫で五摂家の一角を形成します!
九条家から分かれた一条家の血脈はどのように伝わっていったのか!
そして一条家は、第2の拠点土佐へ!
そして土佐で奮闘して、戦国大名・大内氏へ繋ぐ!
江戸時代には徳川家へと血筋を伝える一条家の家系がとにかく面白いです!

一条家家祖・実経から近代まで一挙紹介します!

⚫︎画像引用
「光る君へ」公式HPより引用
Googleマップより引用

⚫︎参考文献
公家事典 橋本政宣様著
一条兼良 吉川弘文社様編
図説藤原氏 木本好信様・樋口健太郎様著
日本の名族 四国編一条氏 新人物往来社編

11 comments
  1. 関白まで務めた一条教房が、京から遥か遠い土佐に来たとき、現地の人々はたいそう驚いたでしょうね。
    しかも土佐に居ながら「正二位」という高い官位を得ていたので、それこそ地元では「天皇」のような扱いだったのでしょうね。
    土佐と京都の2拠点で戦国の世を生き抜き、養子を迎えつつ現代まで家を保ってきたのは、やはり他の五摂家同様たくましいなあと思いました。
    一条家は、貴族の中でも地方に下って戦国大名になった特殊な家なので、以前から興味がありました。
    今回も詳しく解説していただき、ありがとうございました。

  2. 九條流では、九條家が嫡流か、一條家が嫡流か。これは歴史学的にも分かれるところになりますわね。五攝家の家格でも近衞家筆頭は揺るがないとして、近衞流の鷹司家を上位とするか九條流を上位とするか。

  3. コツバさんお疲れ様です
    土佐と言えば長宗我部家と坂本家が有名ですが一条家と言う名家が貿易の為に来てたなんて知りませんでした

  4. お疲れ様です。二条良基の孫、一条兼良は文学の世界で実績を残し、良基の嫡流以上の知名度があります。良基の嫡流は室町以後は一条家同様足利将軍から偏諱を受けました。良基の嫡孫二条満元の弟で後継者である二条持元と一条兼良で朝廷の主導権争いをしました。一条兼良の父、一条経嗣は父親と息子に挟まれてはいますが室町時代を代表する教養人として実家の兄弟をしのぐ功績を残しています。

  5. 一条家というと、明治天皇の昭憲皇太后(女御→皇后→皇太后)を筆頭に挙げたいです。
     たまたま子宝に恵まれなかったものの、明治天皇にお仕えする典侍(ないしのすけ)柳原愛子が産んだ親王を嫡妻の彼女が育ての母になったわけですね。
     今までの慣習が一掃され、昭憲皇太后が本来なら中宮になるのも明治維新を機に廃止。
     それはともかく、現代の皇后にまで続く、ファッションリーダーとしての役割の先進的存在は認められます。女子教育も積極的にすすめられた方でもありますから。
     いわゆる着物👘姿であることがごく普通だったのが、大きく変化するチャンスになったのが、関東大地震やデパートの火事🔥らしいですね。
     「和服は女子の行動を著しく制限し、不便である」と、見聞したことから、現在の上下に分かれていないのを痛感。それと、欧化政策の先頭に立って行動する立場を理解し、それまで和装だったのを改めて洋装を着こなすなんて、中々、できないこと❗️😊
     女子教育も本格的に始まり、「これからは、女性であっても、積極的に外に出て活動するべき」と、その当時の一流の女性歌人や教育者の下田歌子など、当時の大国イギリスからの影響が強かったらしいですね。
     社会事業振興の先頭にも立ち、現在の学習院女子中・高等部やお茶の水女子大学の設立、日本赤十字社の発展に大きく寄与。慈善事業の発展にも熱心で、東京慈恵医院、日本赤十字社の発展に大きく貢献しているとは、やはり、明治維新という時期だったからこその、皇后の姿だったのでしょうね😊

  6. いつも本当にありがとうございます!
    コツバ。さんの動画は、ワクワクドキドキ❤
    徳川慶喜につながるとは😮😮

    土佐一条家、
    大内春時、
    残念です😢

    これからもよろしくお願いいたします🙇

  7. 長宗我部元親に追われた一条兼定の評判を落としたのが、平田村の村娘・お雪という女性に入れ込んで政務を疎かにしてしまった事、それを諌めた老臣の土居宗柵を手打ちにした事…かつては国司さまと敬われていた一条も、兼定は「平田の入り婿」などと領民から陰口を叩かれる有様であったようだ。そんな兼定ではあるが、伊予に出兵したり、長宗我部や本山、安芸ら国人同士の仲を取り持ったりと、必ずしも暗愚とは言い切れないように思う。長宗我部元親と戦った四万十川合戦では、兼定についた武将も少なくはない事から、兼定には、人を惹きつける何かがあるように思える。

  8. 一条家で思い浮かぶのは(江戸時代はよく知らないが)

     経嗣 以前話題になった今谷氏の「室町の王権」、日記「荒暦」がけっこう引用されていたことを覚えている、二条家全盛時代にこの人だけ比較的

        長く関白をやっていると思ったら実父は二条良基だった

     兼良  言わずと知れた大学者、著書多数(子供も多数)

     尋尊  日記「大乗院寺社雑事記」は戦国時代研究の必須資料となっているそう

      教房  土佐一条家

    かな。

    一条家は九条流3家のなかではちょっと独自路線(?)をいったような感じがする。二条家と九条家は幕末に至るまで頻繁に養子をやり取りしほぼ一体と思われるほど関係が濃密だったのに対し一条家と九条家はそうでもないし、3家のなかでは唯一親王を養子にしてしまった(それで家格は上がったかもしれないけど)。一条家と九条家は鎌倉時代に東福寺の管理権などを巡ってゴタゴタが続いたようなので、そのせいで疎遠になってしまったのかな?知らんけど。

  9. 信長が長宗我部元親の四国 切り取り次第を撤回した一因には 土佐一条家への対応が大きく関わっていたとか

コメントを残す