都内でトレーニングに打ち込む1人のアスリートがいた。
「体力がめちゃくちゃあるから勝てるスポーツではないので、僕たちやっぱり機械を使っているので、ただ本当に勝つためにどれだけ自分を追い込んできたかが最後の勝敗を左右する決め手にもなるかなと思っているので」
プロ・レーシングドライバー、山本尚貴、35歳。
日本最高峰のスーパーフォーミュラで、2013・2018・2020年と、これまで3度の年間チャンピオンを獲得。
この男、実は一筋縄ではいかない”超負けず嫌い”だ。
「一昔前だと他の選手には自分がここで得ている知見とかを提供して他の選手のプラスになるようなことはさせたくないなって思いはあったんですけど」
――どこまで負けず嫌いなんですか?
いや教えたくないですね、やっぱり自分が一番でいたいので。
不敵な笑みが返ってきた。
そんな勝ちにこだわってきた山本だが、去年9月17日、その勝負の世界から遠ざかってしまうアクシデントに襲われた。
宮城県のスポーツランドSUGOで行われたスーパーGT第6戦。
38周目、他のマシンと接触した山本のマシンはコントロールを失い、そのままガードレールに激突。マシンが大破するほどの激しいクラッシュに見舞われた。当時の様子を山本は振り返る。
「記憶は全部残っていて。当たる前から、当たった瞬間、当たった直後。もう全部残っちゃっているんで」
「2、3回大きい衝撃があった後、自分の首から下の感覚が一切なくなっちゃって、正直短い時間だったんですけど、瞬時に悟って、『もうこのまま、もうレースは無理だな』って」
幸い手足の感覚は戻ったが、その後、山本を襲ったのは今まで経験したことのない首の激痛だった。
精密検査の結果、目の前に提示されたのは2つの選択肢。
首にメスを入れるか、レースを辞めるか。
「本音としては5%ぐらいは、感覚的には5%ぐらいレースは辞めて、家族もいますし、やっぱり命より大事なものはないと思う期間もあったし。ただ95%って言ったらほぼほぼ100に近いと思っているんですけど、自分の中からレースを奪われる、レースがなくなるっていうのはあり得ないというか、もうレースがあって今の自分があるので」
「簡単に諦めるのはやっぱり嫌だったので、可能な限り挑戦してレースに復帰するっていう思いで、手術とリハビリを決断しました」
どこまでも負けず嫌いな山本の選択。手術は無事成功。
ここから山本のレース復帰に向けたリハビリとトレーニングが始まった。
照準は3月に行われるスーパーフォーミュラ2024シーズンの開幕戦。
あのクラッシュからわずか175日後のレースで、勝負ができる状態に体を戻すこと。
本当に間に合うのか?
それはやってみないと分からない過酷なチャレンジ。
それでも山本には“戻りたい場所”があった。
「僕はレーシングドライバーでもあるんですけど、やっぱり『プロ』のレーシングドライバーっていう自覚を持ってやっているつもりなので」
「本当にトップを目指す、目指せる体に戻したいし、『またやっぱりレースをしたい』じゃなくて、『また勝負をするポジションに必ず戻る』っていうか、それがやっぱり最大のモチベーションだったのかなって」
そして今年3月10日。鈴鹿サーキットには戦う男の姿があった。
「やっぱりあれだけの大きい事故をして、自分の大切にしてきて、長年努力して強くしてきた首にメスを入れて、一度切ってしまったものをまた戻すというのはかなり辛かったですし、本当に努力したから。また戻れるのかっていう不安もたくさんあったんですけど、ただやっぱり頑張ったことに対する報いっていうのは、やっぱり本当にあったなと思うので」
あのクラッシュから175日後の3位表彰台。
それは真剣勝負の世界に戻ってきた証。
レース後のインタビューで山本は涙した。
「本当に辛かったんですけど、ここまでレースを戦える体に戻してくれた病院の先生とチャンスをくれたホンダさんとチームの皆さんに本当にお礼が言いたいですね。ありがとうございました」
その後、4月のスーパーGT開幕戦でも3位。
さらに5月のスーパーフォーミュラ第2戦では4位。トップを狙える結果を残している。
選手生命も危ぶまれたあの大クラッシュ。
それでも再び勝負の世界へ戻ってきた山本尚貴。
その理由は、やはり負けず嫌いな男ならではだった。
「レース以外にこれほど情熱を注げるものが僕の人生の中にないからだと思います。それにライバルドライバーもそうですし、他のメーカーさんに対してもやっぱり負けたくない、プライドを持って他のライバル達に負けたくないっていう思いがやっぱり自分の原動力だと思っていますし、それが全てだと思いますね」
――究極の負けず嫌いですね
負けず嫌いですね。負けず嫌いだし本当に負けが嫌い。この世界はもう勝つことでしか評価されない世界だと思っているので、極論を言うと。とにかくまた勝ってチャンピオンを取りたい、その思いだけです。
今週末23日、あの事故のあったスポーツランドSUGOでスーパーフォーミュラ第3戦が行われる。
表彰台のトップへ、そしてチャンピオンへ。
負けず嫌いな男の挑戦は続く。
(映像提供:JRP・GTA)
「MONDAY MOTOR SPORT」
フジテレビ系「FNN Live News α」内で放送
毎週月曜23時40分~
スーパーフォーミュラ2024
第3戦 宮城県・スポーツランドSUGO
6月22日(土)~23日(日)
https://superformula.net/sf3/
スーパーGT2024
8月3日(土)~4(日)
第4戦 富士スピードウェイ
https://supergt.net/pages
トヨタイムズ
https://toyotatimes.jp/
FNNプライムオンライン
https://www.fnn.jp/
応援してます
首から下の感覚が一時的にでも消失するという体験をしたのにも関わらず、レースに戻ることにほとんど迷いが無いというのが俄かに信じがたいことですね。
在りし日の国さんをして「ホンダエンジンの車を一番速く走らせられる男」と言わしめた山本選手の走りが今年も見られるのが本当に嬉しいです。
それにしても、レーサーとしては当たり前なんでしょうけど、めちゃめちゃ首太いなあw
山本尚貴の活躍は無駄には出来ない‼️頑張れ‼️俺は応援する‼️それと、山本尚貴君、おかえりなさい🙇
表彰台のったのを見たとき、戻ってきたんだなって思って涙して見てました。これからも優勝🏆目指して頑張って下さい。ずっと応援していますよ~。
やっぱ首太いね。ドライバーは。顔の幅と同じぐらいの幅やね。
やっぱアスリートだなー!
レーサーって凄い!
HANSあってもこんな事になるのか…逆にHANS無かったらどうなってた事か。ホント良く戻ってきてくれた
ほんと部長すげぇよ…日本のミスターフォーミュラであり次世代のミスターGTだと思う。
狩野さんも相当心配だっただろうね
山本選手は、僕が小学校の頃からの憧れの選手。
当時、伊沢選手とタックを組んで走っていた、
100号車REIBURIKKUNSX、岡山で、ZENNTと最終ラップまでやりあっていた感動や数々のドラマを、
ファンはいつまでも忘れません。
部長の涙って、いつも悔しさや失望を超えた先にあるものっていう感じがする。我慢して我慢して、更なる先を掴み取る姿は本当に美しい。
このSUGOのクラッシュ、服部さん達GTAの検証結果による過失割合は、リアライズが9、スタンレーが1のようですね。
これは両者が動いてる以上、0はないとの事。リアライズはウインカーを点けてなかったそうです。スタンレーは右に行く以外の選択肢は無かったとの事。
山本さん本当に元気で戻ってきて良かったです🥲
レースを2年間見てきてワンメイクのスーパーフォーミュラで表彰台に乗ることがどれだけ難しいのかわかってきました。
怪我の前不調だったのもあり、復帰後3位表彰台を見てテレビの前で涙しました。このようなリハビリをされていたのですね…
盛大なフラグになってしまったな、この動画。
そもそも負けず嫌いじゃなきゃトップになれないだろう
やっぱ首が太い
申し訳無いけど違反したのにそれをしてないって反抗してすっごく嫌いになった
その後GTAに謝って自分に謝って来ないのも人としてどうなのかなって思った
お、トヨタ系以外で初めてのオンエア
さすが山本さん。いろんな関係者からもリスペクトされている証ですね。
状況は厳しかったんですね。
頸椎の手術されてからのリハビリ、復活には頭が下がります。
菅生現地で見ていました…
戻ってきてくれて良かったです😭
山本選手、復帰おめでとういございます!大変なリハビリだったんですね。もらい泣きしちゃいました( ;∀;)
山本選手おかえりなさい!
ホンダいや…
全てのプロレーシングドライバーの中で一番好きです
ダブルチャンピオンの時はF1にレギュラーで乗せて欲しかった…
ベテランになりましたがまだまだこれから!
引き続き応援します!
そしておかえりなさい!
あなたの存在に感謝です!
マジでHONDATHANKSDAYで出てきた時はうおおおお!!ってなったなぁ
SFとSGTの同年ダブルチャンピオンを2回達成した男。
競技関係無く、本当にトッププロアスリートの存在ですね。コンペティション選手としての山本選手の活躍に期待。そしてこう言う人と一緒に仕事したい人々は沢山いるでしょうね。
その時奥様と双子の娘さん🫢したのかなぁ
牧野選手と共にホンダを引き行ってほしい!
ついに引退してしまった…
復帰戦で涙の表彰台でまだまだこれからって感じだと思ってたのに、寂しい…
菅生でのクラッシュで後遺障害あったのですね。
「次やったら…」
決断するしかないですよね。
首は手術しくると車椅子になるので本当に怖く、私は震えて寝られない日々が続きました。