武士の大学~外国語の翻訳能力必須!江戸の最高学府、驚きのカリキュラム~

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#時代劇 では描かれない #武士の実態
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武士の教育の総本山
昌平坂学問所の実態とは

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[音楽] 三度の飯より江戸が好きお江戸系 YouTuberホーリーこと堀口茉純です本日のテーマは武士の大学 江戸の教科書と いう動画なんかでもねご紹介した庶民の教育の場が寺小屋 寺小屋では読み書きや そろばんなどを中心にその子の個性や将来の道に応じて日常生活に必要な実用的な知識を 学んでいったんだよ なんでお話をしました じゃあ武士はどうだったんでしょうか 後半には武士の大学の現地リポートも ございますごゆるりとご覧ください 身分制社会だった江戸時代武士は庶民の上に立つ存在 支配者階級です。ただ、だからと言って ふんぞり返っているだけでは庶民は言うことを聞きません。庶民からやっぱりお武家様は 立派だね。お武家様の言うことは聞かなきゃね。 と信頼されるためにも武士には文武両道が 求められました。つまり武士こそしっかりした教育を受けて人々の模範となる教養を身 につつけるべきと考えられていたわけです。 例えば江戸幕府に使える旗本・御家人などの 幕臣の場合はどうだったのかと言うと56歳になるとねまずはコミュニティの中で 初等教育が始まります。当時は組屋敷といって 大体同じような役職に着く家柄の人 たちが、1つのエリアにまとまって暮らしていたんですよね。でこの組屋敷などの コミュニティの中に、大体ねやっぱり寺小屋とか手習いのお教室があってそこで学びを スタートさせました。ご覧いただいているのは、 幕末に御徒歩という役職を務めた下級 武士の山本政恒という人が自分の経歴を さし絵入りで書き残した資料なんですが これを読んでいくとね当時の一般的な武士 の子供がはどんなことを学んでいたかが 細かく分かってきます。山本政恒の場合6歳 から御家流手習いというね幕府の公式 文章に使われる文字を使った読み書きの 習得を始めまして7歳からは中学当時学問 といえば中学です。そして8歳からは算術。 つまり、算数、数学をそして9歳からは水練 水泳を始めました。あの彼は御徒歩組の家に 生まれたわけですが、御徒歩組っていうのはね将軍 の警護を務めるSP的な役所なので身体能力の高さていうのが重要なポイントだったんですよね さらに13歳からは絵画 芸術系の勉強を始めえ17歳頃からは剣術 柔術、軍学とま武術ですね本格的に開始しました、武士の子供は読み書きそ番の日常 的な実用の学びに重きを置いた庶民の子供に比べると学問だけじゃないなくて、芸術と か体育を含めたもう幅広いジャンルを学んでいたというわけなんです。あの幕臣だけ じゃなくて地方の武士も概ね同じような段階を踏んでいくんですね。というのも武士 の子供って大体16歳から17歳頃になると いよいよお役目についてキャリアを スタートさせるんですがこの最初の配属審査の時にどの師匠について何を学んできた 人なのかっていうのがねすごく重視されたんですよ。だからまあ内心点アップのため にも武士の子供は様々な師匠について様々なことを学んだんです。で10代後半頃に 進む学問の総本山。いわば大学というべき場所もありました。それが湯島の昌平坂学問所。 江戸時代にただ単に学問って言え ば儒学のことだったんですが、幕府は儒学の祖 孔子を祀る巨大な孔子廟と儒学教育の場を湯島に作りました。この場所は聖堂と 呼ばれ幕府が学問を強力に奨励する拠点としてね。幕府が運営する官立の学問所とし て整備されていったんです。このために聖堂学問所とかま聖堂近くの昌坂に ちんで昌平坂学問所と呼ばれるようになったんです。あちなみに昌平っていうのは孔子 の故郷である昌平郷にちんだ名称でして 聖堂の近くにはねいくつか坂があるんですよ これがま 孔子の故郷にちなんで昌平坂と呼ばれていたんですよね。 広大な敷地内に孔子を祀る聖堂 と、あと学問所が作られていたわけなんですが こんな風にね傾斜地に作られてるので階段みたいな壁が特徴的でありました あの、様々な浮世絵にもね江戸名所として、この辺りは取り上げられていますえ地方にも藩校 っていう各藩が運営する学校があったわけなんですが幕府が運営する昌平坂学問所はその 総本山というような位置付けでありまして 寮あったので江戸で暮らしている幕臣 だけじゃなくて地方の優秀な武士ま、藩士たちも 昌平学問所で学んでだから全国から 江戸に優秀な武士たちが集まるようになっ たわけなんですねで武士だけじゃなくて 一般に講義が解放されるなんてこともありましたえこの学問所昌平坂学問所に入学 するためにはまずは紹介が必要ですでその後 面談試験があって儒学の基礎がきちんと 身についているかということが問われました また昌平坂学問上会場にした学力試験 も行われていたんですそれが素読吟味と学問吟味。素読吟味は主に15歳未満 ぐらいまでの年少者を対象とする試験で 幕府の役人とか坂学問所の教授がずらっと 並んでいる中で儒学の基礎になる教科書の中からその場で指定された箇所を音読する というものですね。あの時代劇とかでも子曰く、 というようなあの子供がねえ暗誦し てるっていうシーンがありますけどあれですよね。いや音読なんて簡単じゃんなんで それがそんなに大事な試験なのって思うかもしれないんですけど要は漢文で元々書か れているものを正確に日本化して読み上げ られるかどうかま翻訳能力だったりとか この漢文の元々の教科書の内容っていうのをきちんと理解しているのかということが 問われる非常に大事にされた試験なんですよね。成績優秀者は表彰されましたえ さらに学問に打ち込んだ上級者が受験する のが学問吟味ですこれは中国の古典の和訳 問題とか論文それから課題に対する解決策 を述べる策題だったり、史記とか三国史とか の歴史から出題される質問に答える問目と いったえ試験をね数日がかりで行っていく というねも大変な試験なんですがこれも やっぱり成績優秀者には金品とか賞状が 送られるんですね。でこの幕府公式の昌平坂学問所 の試験で表彰されたんだっていう 経歴は出世にものすごく有利に働いたん ですえ例えば遠山の金さんのお父さんの 遠山景晋という人はえ第1回のこの学問吟味と第2回の学問吟味で最優秀の成績を 納めたということなんですあの遠山家って 幕府の主要ポストとは無縁の家柄だったんですけど 学問吟味でいやすごい人いるなっ ていうことで注目されて長崎奉行とか 勘定奉行とかもう異例の昇進、家柄としてはもう 本来考えられないような昇進を果たしています 同じく最優秀の成績を納めた人に大田南畝という人がいて、えこの人はあの四方赤良 蜀山人とかいうペンネームで狂歌 などのねあの文化人として世間的に超 有名人だったんですがやっぱり身分の低い 武士だったのでえ出世は無理だろうなと 思われていた人なんですね。ただ46歳で受けたこの学問吟味で超優秀な成績を納め たので、支配勘定っていうね今だとま財務省の中の重要なポスト的な役職に抜擢されたり しました。えこういった有名人の活躍もありましてうわ~学問を一生懸命やると 出世できるチャンスがあるんだということ でね武士はもちろんなんですけども やっぱり庶民も含めた社会全体に学問を重んじる風潮というのが波及していったんです 現在この昌平坂学問所はどうなって いるのかということなんですがこれはJR お茶の水駅のすぐそばにある聖橋からの眺めなんですけど低くなってるところが神田川で それを挟んで向い側に分かりますか印象的 なあの階段のような形の壁が見えてますよね あちらが孔子廟のある現在の湯島聖堂。学問所があった場所は現在東京医科歯科大学に なっております湯島聖堂、孔子廟はね史跡と して残っていて現在も見学することが できるんですよ。私の大好きな場所。敷地内に は儒学の祖・孔子の巨大な像が。 孔子は紀元前551年頃古代中国の春秋戦国時代の末期、魯という国に生まれました 幼い頃に両親が他界。大変な苦労の中で育ちましたが学問に打ち込み。やがて戦が続いて 政治が乱れ役人が横暴を極めて庶民がしいたげられる無秩序化した社会を正し平和が 続く理想の社会を作るにはどうしたら良い かそのために人の上に立つものはどうある べきかということを解いて諸国を歩くようになりました孔子をしたう弟子は3000人 にも登り多くの優秀な才能を世に送り出しました 孔子がなくなった後もその教えは 大切に語り継がれその教えを大系化した 学問が儒学です日本にも古墳時代には伝来 しますが一部の知識階級のみが知る学問という位置付けで長い間一般化はしませんでした しかし戦国時代儒学を重視する1人 の武将が現れます。それが徳川 家康。家康は 徳のあるものが徳を持って民を治めるべき であるとする儒教の政治理念を重要視し 天下泰平を目指しました。やがて幕府を開くと さらなる理想の社会の実現のために儒学者をブレーンとして用い自分の子供たちに も儒学を学ばせます。その結果儒学は徳川将軍家の帝王学とも言うべき学問となり 江戸時代265年をかけて武士はもちろん庶民にまで儒学が 浸透人の上に立つ人はどうあるべきか理想 の社会はどうすれば実現するのかという ことが学問の大きなテーマになっていったんです いや儒学の世界って本当に奥深くて まだまだ私には理解しきれていないんですけれども あの湯島聖堂にはね私のような凡人 でも孔子の教えの一端が分かりやすく理解 できる宥座之器の木という道具が置かれています ます宥座之器はいつも座る傍に置い ておく器っていうような意味なんですが これはね孔子にまつわるこんなお話に由来した道具です 孔子が魯で桓公という君主の御霊屋を見物 していると傾いた器がつってあった 孔子の弟子が御霊屋の番人に質問していった これは一体何ですか? 番人は、これはおそらくユウザノキという やつだと思いますと答えた すると孔子が言った 私が宥座之器について聞いたところによると 空っぽの時は 傾き、ほどほどに入っていればまっすぐに立ちいっぱいになるとひっくり返ってしまう ものだそうです 名君たるものは それを最高の戒めにしようといつも座る 場所の隣に置いておいたと言い ますそして振り返って弟子に説明しながら言った ですから試しにいっぱいになるまで水を 注いでごらんなさい 器に水を注いでみるとほどほどの量 ならまっすぐに立ちいっぱいになるとどうあってもひっくり返ってしまった 孔子は 思いを込めて語った そもそも万物は満ち足りてしまえば ひっくり返らないことはないんです そこで弟子が質問した 満ち足りたままでいられる 方法はないのでしょう か講師は答えた 聡明な知恵者ほど愚か者のふりをして自分を守ります 天下が知るほどの功績があるなら一歩譲ることで守られます世間に轟く勇気が あるならそれは怯えることで守られます 世間の人が羨ましがるほどの富は へりくだることで守られます これが いわゆる減らすことで元をさらに減らして見せる法 というものなのです というわけで ね名君たるものなさすぎてももちろんいけないし 満たりすぎてもいけない絶対に ひっくり返るのでどちらかに偏ることなく 調和が取れている状態中が大事だというね 孔子の中庸の教えを表した道具なんですよね いや深い。このように江戸時代には昌平坂学問所を総本山とする受学中心の学問が 主流でしたこれが明治維新後 日本の学問の主流は儒学から洋学へと移り変わっていきます 昌平坂学問所は新政府の所管する ところとなり大学校 大学と改称され存続し ましたが明治4年には廃止して文部省が 置かれることとなり儒学教育の場としての 歴史に幕を閉じます しかし明治5年には日本で初めての 文部省つまり政府主催の博覧会の会場と なりました翌年オーストリアで開催される ウィーン万国博覧会の参加準備も兼ねて 広く全国に出品を呼びかけ名古屋城の金のしゃちほこ など600件あまりの展示物が並び話題を 呼びこれが現在の東京国立博物館の原点と なっていますそして日本初の近代図書館である書籍館が置かれこれが国立国会図書館 の原点また同年には師範学校が置かれ これが現在の筑波大学の原点 明治7年には東京 女子師範学校が設置されこれがお茶の水女子大学の原点です ちなみに東京大学の 原点の1つも昌平坂 学問所 江戸幕府が整備した学問の中枢 昌平坂 学問所が明治維新後 日本の近代教育発祥の地となったんですね いかがでしたでしょうか お江戸いいねと思ったら高評価チャンネル 登録お願いいたしますそれではまた次の 動画でお会いしましょう本日はこれまで

30 comments
  1. 江戸時代の大学制度と明治維新後の大学制度改革
    江戸時代には、現代的な意味での大学制度は存在しませんでした。当時、高等教育機関としては、藩校や寺子屋などが存在しましたが、体系的な教育制度は整っていませんでした。

    明治維新後、近代国家建設を目指す新政府は、欧米諸国の制度を積極的に導入しました。大学制度についても、欧米諸国を参考に改革が進められました。

    具体的には、以下の国の大学制度が参考にされました。

    フランス: 大学を国家機関として位置づけ、中央集権的な管理体制を導入しました。
    ドイツ: 研究重視の大学制度を導入し、大学教授の地位向上を図りました。
    アメリカ: 選抜試験による入学制度や、自由な学風を取り入れました。
    これらの制度を参考に、1871年には「学制」が公布され、大学制度の近代化が本格化しました。その後、高等教育機関の再編や学制改革を経て、現在の大学制度へと発展しました。

    Doctorの日本語訳と欧米との文化の違い
    「Doctor」の日本語訳である「博士」は、森鷗外によって明治時代に定められました。森鷗外は、ドイツ語の「Doktor」を参考に「博士」という訳語を考案しました。

    欧米諸国では、Doctorは高い学識や専門性を有する人物に対する敬称として用いられ、名誉と尊敬の象徴とされています。一方、日本では、学術的な功績を称える学位名称として認識されることが多く、欧米諸国のような強い敬意は込められていない傾向があります。

    この違いは、欧米諸国と日本における学問に対する価値観の違いが反映されていると考えられます。欧米諸国では、学問は社会をより良い方向へ導くための重要なツールとして捉えられ、高い学識を持つ人物は尊敬されます。一方、日本では、学問は個人の教養を高めるためのものという側面が強く、必ずしも社会的な尊敬と結びついているわけではありません。

    近年では、日本でも欧米諸国のような学問に対する価値観が徐々に広がりつつあり、Doctorに対する敬意も高まってきているようです。

  2. たとえ身分の低い家の出身であっても、 ”テスト” の成績が突出していれば幕府の要職に就くことができる、
    封建体制下であっても一部で「能力主義」を採用していたことが、江戸時代の柔軟で自由なイメージ(私の中で)に結びついていたのですね!
    納得です!!

  3. なんか、孔子て言うと「習近平語録」の先駆者的な気がするのは気のせいだろうか( 一一)

  4. 器は足利学校にもあります。儒学は現代にも必要かもしれません。

  5. 明和期推しです。大田南畝、すごいんですね、実は。お仙とお藤とどっちが顔で勝っているかとか論じているただのスケベおじさんじゃなかったんですね。w

  6. 宥座之器の話は初めて知りました。非常に含蓄に富む話ですね。さすが孔子です。この話を聞いて、現在のポリコレやLGBT運動のことを想いました。

  7. 昌平坂学問所って何か見た事あると思ったら東大の前身だったね。
    江戸時代、鎖国しながら欧米に遅れを取らなかったのは学問の賜物。
    「和算」と言うとても進んだ数学があったそうだけどそれについてほーりーちゃんに解説して欲しいな。

  8. こんばんは🌙😃❗江戸時代の「学問」の話し、大変おもしろかったです。この前、テレビ番組で「あるラジオ」で、「DJ日本史」にご出演でしたね。拝見しました。どんな風にラジオ番組を収録されているか判って、興味深かったです。

  9. 宥座之器から学ぶ「中庸」って理屈ではなんとなくわかったような気になるけど、実践となるとかなり厳しい!
    あの器はぜひ観たい。足利にもあるんですね。情報ありがとうございます。

  10. 武士は龍馬伝によると上士と下士に分かれいた。下士は俸禄では家族を養えず農業に励む者いたとか?
    教育で言えば読み書きと武術は共通。数学界では有名な江戸武士も(名前忘れた)下士だったはずで算盤(計算)の達人と聞いた。
    算盤は下士の勉強では?その流れは今でも社会の底流に流れていて経理は女性のするものと言う風潮がある様な?

  11. (ちょっと脱線しますが)江戸って”坂”が多いのが魅力なんですよね〜。ロンドンやパリには坂はないもんね! (ま、ここから先はタモリさんの研究領域ですが笑)
    それと、ガチガチの階級社会ではあったけど、いっぽうで「猛勉強すれば大抜擢されるチャンスもあった」わけで。だから猛勉強する人が多かった。だから「インテリエリート」が多数輩出された・・とも言えるのかも。階級社会も、悪いことばかりではなかった。といえるかも。

  12. ローカル(地方)でも Mキャス のアプリで 土曜日11:30~の江戸散歩 見るようになりました。東京MXテレビ。リアルタイムでも後から視聴も出来るので👍です

  13. 画像にコメント入れると、本当にそんな話をしてそうに見えるね。面白い😊

  14. 達磨さんが転んだ。七転び8起き。だるま倒し、こっちのほうが孔子より偉い。

  15. 江戸時代が近現代日本に大きな影響を与えている事が垣間見れますね。
    動画をアップしていただきましてありがとうございます。

  16. 孔子の教え、儒学、朱子学については石平さんの著作、江戸時代の儒学については茂木誠さんの動画が参考になる。江戸時代、徳川幕府が儒学を官学化したが、なぜ御三家の水戸藩が討幕のキーとなったか、国学が尊王攘夷の原動力になったか、など興味深い。たぶん、その影響は現代の日本にもあるのだと思う。

  17. 映画たそがれ清兵衛のような環境って現実的にいたんですかね。おかかえなのにその日暮らしの武士。

  18. 茉純さんお大変お疲れ様です。
    とても良いお勉強になります、僕は歴史はとても大好きですので、お楽しみにしています。

  19. 中国の科挙とはちょっと違った教育のように思います。中国の場合は古典をガッチリと学んで皇帝の面前でその時代の社会を論じたりしてました(これは宋代以降)日本はそれに比べて緩いだけ自由が効いてたと思います。

  20. 「宥座の器」なるほど面白い。これは「ピーターの法則」の具現ですね。
    ローレンス・ピーター博士によれば、成功によって昇進するヒエラルキー社会においては、人間はいつか仕事のできない無能レベルに達します。
    つまりいつかは能力を超える地位に達して、人は無能化するという理論。これが偉い人なのにバカが多い説明となります。
    ピーター博士は回避策として「創造的無能」の実施を推奨しています。つまり自己能力が100%発揮できる地位にわざとヘマしてとどまり続けようということ。
    つまり「器を一杯にしてはいけない」という、儒教に通じる教えなのですね(違う、絶対に違うぞ!)w

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