ご視聴いただきありがとうございます。
今回は激動の昭和に起こった日本史上最悪のクーデター「二・二六事件」を振り返っていきます。
ぜひゆっくりしていってね!
【目次】
0:00 オープニング
1:38 二・二六事件の概要
3:52 本編:二・二六事件が起きた背景
11:35 本編:二・二六事件の経過
28:27 本編:二・二六事件のその後の影響
33:41 エンディング
【参考文献と引用サイト】
・二・二六事件―「昭和維新」の思想と行動(高橋 正衛)
・二・二六事件蹶起将校 最後の手記(山本又)
・二・二六事件全検証(北博昭)
・国立国会図書館 (https://www.ndl.go.jp/ )
・Wikipediaコモンズ(https://commons.wikimedia.org/wiki/Main_Page )
【関連動画】
・北一輝 → https://youtu.be/ubW-mYpJjKM
・安藤輝三 → https://youtu.be/ggSn4FHxsYA
・高橋是清 → https://youtu.be/PCLzJBTUxpg
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#ゆっくり解説#二・二六事件#歴史#日本史#昭和天皇
皆さんこんにちはゆっくり霊夢です ゆっくり魔理沙だぜ2024年2月6日は 都心で最大9cmの雪が降り関東は大混乱 になったわねやを得ない事情さえなければ 大雪が降った日はこたに入ってみかを 食べるに限るわ違いないなただ過去見れば 都心で9cmの積雪は決して多くない明治 16年1883年2月8日には46cm 昭和20年1945年2月22日には 38cm昭和11年1936年2月23日 には36cmという積雪が確認されている 今それだけ都心で雪が降ったら大根乱どこ ではないわねてか1936年2月23日は 陸軍の青年症候が起こしたクーデター未遂 である26事件の3日前のことね2月26 日時点で都心では35cmの積雪が残って たそうだな226事件は陸軍の青年症候が 昭和維新をかか政府用人の暗殺を断行し 霞ヶ関や陸軍省などの各地を占拠した大 事件金元大史における特筆すべき事件で あり事件収束後も軍部の助長を招くなど その後の日本を運命づけるターニング ポイントになった特定の人物から226 事件を取り上げたことは多々あれど事件 そのものを解説した動画を作ったことは ないわね時期も近いし事件が起きた背景や 事件の経過事件がその後の日本に与えた 影響について改めて教えてほしいわそうだ なそれじゃあ今回は26事件について できるだけ分かりやすく解説するぜ [音楽] ワクワク26事件は昭和11年1936年 2月26日から29日にかけて発生した 陸軍の行動派青年症候によるクーデター 未遂事件参加人数は1400人を超え彼ら は政府の用人や昭和天皇の側近を襲撃し 警視庁や陸軍省などの日本の中数期間を拠 したなくなった方にはご明服をお祈りする わどうして青年症候はクーデターを起こし たのそれは根深い問題だ陸軍の派閥争いに 農村の久房と当時の日本は様々な問題を 抱えていた青年症候は日本の現状を日本が 本来あるべき国体から外れた結果だとし 昭和天皇の側近つまり軍足の間を排除すれ ば日本は天皇を中心とした国家体制に 立ち返り現状を打破できると考えた国体と は天皇と国家の関係のあり方を意味する そうね青年症候の行動を知って昭和天皇が 喜ぶと思えないけどああ昭和天皇は彼らの 行動に激怒しクーデターはあけなく鎮圧さ れたぜ昭和天皇はイギリス龍の立憲君性で ある君臨すれども統治せずの立場を原始し ており明確に意見を述べたのは慰霊だった だが陸軍内でも青年症候の行動に道場し クーデターを助ける動きがあったことも
事実軍部上層部が青年症候に同調していれ ば昭和維新が成功した可能性もあった 226事件は私たちが思う以上に複雑な 事情があったのね青年症候や軍上層部昭和 天皇が226事件でとった行動に226 事件がその後の日本に与えた影響気になる ことばかりだわ本動画では26事件以前の 日本の情勢を簡単に解説しその後で事件の 経過を解説するぜちなみ日本チャンネルは 特定の人物の障害に焦点を当てつつその 時代に起きた歴史の出来事を多的に見 られるようどを作成している今回は青年 症候に多大なる影響を与えた思想か期待 一期の動画も同時に作成しており興味が あればこちらも視聴して欲しいそれじゃあ 今回は青年商工による昭心26事件の全貌 を解説する是非最後まで見ていってくれよ なわい楽しみそれじゃあ本編スタートだ ぜさて1930年代の陸軍は長田鉄山少を とする統制派荒木佐対象正人三郎対象を 中心とした行動派による派閥争いが起きて いたどの世界も派閥はつき物ね両者の スタンスはどんな感じ行動派は天皇申請に よる国家改造を目指すソ連を仮想敵国と するという考えを持ち盛遺憾クラスの青年 層が多かった統制派は政府との連携を強め 国家総力線を想定した技術の近代化を図る 中国への拡大という考えを持ち南関の軍大 学校の卒業者が多かった同じ軍人でも考え 方は割と違うわねなぜ統制派と行動派と いう構造が生まれたのかしら理由は多々 あるが陸軍は陸大の成績で出世ラインが 明確に決まる超学歴社会だったことが挙げ られる陸大を卒業したエリートたちは陸軍 省参謀本部教育総管部などの中央機関に 配属され軍の中枢に携わった反対に陸大に 進まなかった進めなかったものは現場主体 の体症候になることが多かった彼らは現場 勤務という立場上長平で農村漁村から入営 する兵卒と接する機会が多い当時の東北を 中心とした農村は昭和教皇や昭和三陸地震 などの影響で壊滅的な状況が続き対月証拠 は娘の身売りなどの状況を徴兵から耳にし た農村の久房に娘の身売り胸が痛むわ私も だなやがて対月商工たちは荒木サを対象の 元に結束し始めた荒木は陸を皇軍と呼び 行動精神を唱える精神主義を掲げていた 精神主義か荒木ならこの状況を打破して くれると思ったのかしらそうだなただ彼ら が荒木の元に結束した背景には1923年 に国家社会主義者期待機が表した日本改造 法案対抗に感銘を受けていたことも挙げ られる日本改造法案対抗は国家改造のあり 方をまとめたもので内容を要約するなら 明治維新を経て日本は天皇を代表とする
民主国家となるが財閥や反発などの特権 階級により一体化が損なわれている解決策 は天皇と合体した国民による社会意思の 発動たるクーデターであるクーデター後は 天皇の名で3年間憲法を停止し全国に会元 例を敷く天皇顧問員の設置や男子普通選挙 を実施する国家改造を行うための議会と 内閣を設置するという感じだより詳しい 内容が知りたい場合は北の動画を視聴する んだぜ対月症候は日本の社会不安はは特権 階級のせと考えたのか状況を打開するには 天皇申請が必要で荒木のような精神主義者 の元で結束する必要があったのねああ対月 症候は軍人だが政治的な思想を持ち青年 症候と呼ばれた荒木は昭和6年1931年 12月に犬か強し内閣の陸軍大臣に就任 すると副審の陸大出身者を軍の洋食につけ 青年症候を東京の第一師団に集めた荒木は 天皇申請による化改造を掲げた行動派と いう派閥を形成し大きな影響力を持つ そして荒木に反発した長田少々羅陸大出身 者による中争が結束し統制派という派閥が 生まれたぜただ統制派は荒木が陸軍大臣を 辞任した1934年1月から巻き返しを 図った統制派の巻き返しつまり行動派の 養殖者や青年症候を排除するとああ3月5 日に長田陸軍省軍務局長に就任すると8月 に柳川介陸軍時間は慎二憲兵司令官などの 行動派の重鎮を駆逐する昭和9年1934 年11月に磯部朝一一等式行動派青年商工 と陸軍士官学校セトラが重心や言girを 襲撃する計画が発覚し彼らは謙虚された ただ磯部たちの計画自体が陸軍志間学校に 派遣されていた参謀本部好きの辻正信部隊 による立ち上げ説も根強い磯部たちは後に 不になるが祝軍に関する意見書という文書 を陸軍省内にばらまいたことで翌年8月に 軍人を面感となる仮に襲撃計画が立ち上げ なら磯べたちの怒りは相当のものだわああ ただ統制派は行動派の徹底的な排除を 目指し昭和10年1935年7月に正人 三郎教育相関を否めさせる正木は唯一養殖 にとまっていた行動派で青年将校はこの 人事に分外した結果的に長田は行動派の 怒りを買い8月12日に行動派の年行相座 三郎中佐45歳に白堂々斬殺されている 軍人が軍人を白斬殺するか派閥争いは激し さを増しているわねただ荒木山崎が軍の 養殖から失脚した以上行動派の巻き返しは 難しそうああ追い詰められた青年症候は 昭和心つまり天皇神聖による国家体制を 自立するため実力行使に出始める昭和11 年1936年1月28日に磯べは将に クーデターを唆し正は磯べに借金を 申し込まれると金銭を提出すると約束する
正は何事か起こるなら何も言ってくれるな と述べ磯べたちは正陸軍上層部が クーデターに理解を示していると判断2月 13日に青年商工たちは決起した理由を 決起周書にまとめ昭和天皇に伝達すること を決めたぜ決起首書これは決起の理由を 昭和天皇に伝達するもの要約すれば政治家 や官僚水権を看板する軍人たちが昭和維新 をあげる理由であるとしこれらの族を中目 すべきと書かれているさらに正を総理大臣 とした軍事政権を樹立し準備段階として 会元例を敷くなどの具体的な要求も 盛り込まれていたぜ青年症候は天皇神聖に よる国家改造を目指しているけどそれは 昭和天皇の協力が不可欠どうやって昭和 維新を成功させるの青年症候は自分たちで 一連の政策は実行せずクーデターを実行 する役割を担おと考えたつまり昭和天皇に 制を行わせている側近軍足の間を排除する 役目は自分たちが行い排除後の一連の政策 は昭和天皇に委ねるつもりだったんだぜ 計画は期待一期や青年症候のリーダー的 存在の元陸軍軍人西田三に知らされるが彼 らは計画に消極的だったクーデターに消極 的な青年症候もいたが磯べ積極派の勢いで 計画は進められるまた1932年5月15 日には海軍の青年症候が犬か強し総理大臣 を暗殺する後一後事件が起きているただ 青年症候に同上する声も多く判決は近古 15年以下という軽い判決で住んでおり そのことが昭和維新の決起の要因になった 点は否めない水面下で進む国家改造運動化 私が統制派の人間なら危険な青年症候を 東京の第一手段に置いとくのは危険と 考えるわ鋭いな統制派は過激な青年症候を 目障りに感じ青年症候の多くが所属する 東京永住の第一師団をを満州送りにすると 決めた通達は2月22日に下され出発は3 月1日に決まるが強引な人事は青年将校の 行動を急がせた青年商工は満州送りを昭和 維新を妨げる意向と受け取り予定を早めて 2月26日にクーデターを起こすことを 決めたんださて2月26日の明け方から 青年商工たちは1473名の兵力を引き 各地の持ち場へ向かう昭和維新には青年 症候の司令で多くの貸観が駆り出される 積極派の主観もいたが彼らの多くは適な 出動と思ってい たついに昭和心いや226事件の勃発か 青年商工たちは東京のどこを襲撃したの彼 らの行動を解説していくか2月26日の 明け方午前5時頃民間人となった磯部朝一 や村中高島は江崎よさタと150人の兵卒 を連れ陸軍大臣官邸を選挙する同時国に 警視長もの中史郎対位により占拠される
警察官は拘束されるがこの場所では怪我人 や犠牲者はいなかったつまり他の場所では 犠牲者が出たとああ5時5分頃に中橋元明 注意は100人の兵を連れ元総理大臣で 当時大倉大臣だった高橋こよの邸宅を襲撃 高橋は教皇から何度も日本を救った レジェンドだが陸軍の予算を削減したため に軍足の間とされた高橋は拳銃で狙撃され 群島でとどを刺されて即死するぜこれきよ が軍足の間とされる演説は彼の解説動画で 取り上げているわね興味があれば視聴して 欲しいぜ話を進めると同時国に元総理大臣 で当時は内大臣だった斎藤誠大役海軍大正 の邸宅も襲撃される境い直し中位党が引き いる約150名が襲撃し斎藤は銃弾で 蜂の巣にされ絶命する斎藤の妻はる子は 打つなら私を打ちなさいと斎藤の前に 立ち塞がり腕に重傷を追った斎藤の遺体 からは40発以上の銃弾が摘出されたが それが全てではなかったひそして午前5時 10分に栗原安秀で中約300名が総理 大臣岡田啓介大役海軍対象を暗殺するため 総理官邸を襲撃するぜ警備の警官4人は 銃撃戦の末に殺害され栗原たちは岡田と 思われる人物も射殺しただが岡田は女中に 女中部屋の押入れにかまれ生きており岡田 と思われる人物は妹向この松を伝造だった 岡田は妻がなくなり独身で松尾が秘書とし て首相官邸に住み込んでいたどうして栗原 たちは岡田と松尾を間違えたのかしら2人 に血縁関係はなく容姿は似てないが岡田は 当時68歳で松尾は64歳と年が近かった 栗原は鑑定に岡田と同年代の秘書官がいる と知らずさらに顔を確認に使われた教室に ある岡田の肖像はドイツ人画家が描いた ものであまり似てなかったそして銃撃戦で 肖像に大きな日々が入っていたつまり栗原 たちは岡田を殺害してでもそれが岡田と 確信できなかったのかそうだなだがこの 時点で世間も青年症候も岡田は暗殺された と考えており岡田自身も隠れ部屋から出 られなくなったんだそして同時国に自重長 官邸にいる鈴木神太郎予備役海軍対象を 安藤テルゾ対位が150名の兵を連れて 襲撃する安藤は最後まで計画に反対したが 同士を見殺しにできずにクーデターに参加 したぜ安藤は青年症候の良心と言える存在 だわそうだなちなみ226事件が勃発する 3年前の1933年昭和教皇で農村が急 whoseする中で安藤は鈴木亭を訪問し ている安藤は鈴木から国家のあり方などの 話を聞き深い感銘を受けており内心は襲撃 に消極的だった安藤は舞台を2つに分け 一体を安藤がもう1体を長田早朝が引き いるが最初に押入れの襖にいた鈴木を発見
したのは長田の部隊だったすぐに安藤隊の 同ゴミ早朝も鈴木のいる部屋に合流しドコ はは神族覚悟しと発砲を命じる鈴木は左足 つけ根左胸左頭部に銃弾を浴び畳は血の海 になるぜひ遅れて安藤が襲撃部屋に到着 するとそこには兵士たちに囲まれて倒れて いる鈴木と鈴木の妻である高夫人がいた 鈴木はまだ息があり貸間は安藤にとどめを 刺すよう促したため安藤は群島を抜くだが 高夫人は老人ですからとどはやめて くださいどうしても必要というなら私が いたしますと非常に叫んだぜ安藤の判断は 安藤は頷いて群島を納めると鈴木自重長 閣下に敬礼すると号令をするそして他の前 に歩み出て誠に沖のどなことをいたしまし た我々は閣下に対しては何の恨みもあり ませんが国家改造のためにヤを得行した 行動を取ったのでありますと語る高が あなたはどなたですと質問すると安藤は 安藤テルゾとみ答えその場を去る安藤が とどを刺さなかったのは蘇生の可能性が ないと思えるほどに現場が生産だったこと もあるが他の物おじしない姿に感銘を受け たことも大きい他の青年症候が鈴木亭襲撃 の指をしていたら間違いなく鈴木は死んで いたが結果的に鈴木は一名を取り止めたぜ 鈴木の性感はほっとしたけど青年症候は 各地で生産な事件を起こしたのねこんな 状況だけど警察は機能しなかったの襲撃は 5時頃から同時多発的に行われたため襲撃 を止められなかった野中対は警視長をした がこれは警察権の発動を停止させるため 野中は電話交換室を選挙し連絡手段を遮断 するが実際は全ての通信は維持され警視庁 の各部所長は警視庁選挙時点で各地の状況 を知っていたその後総管部長は官田式長 警察署に非常警備総子令部を設け襲撃先 から続々とテロの参上が知らされたぜ昭和 天皇は高人経由で鈴木襲撃を知り事件発生 から20分後の5時20分に斎藤艇の所生 が木戸高一内大臣秘書長に襲撃の件を 伝えるキドラ中グループは斎藤の殺害に 激怒したぜそり大切な人たちが襲撃され たら激怒するわてか高夫人は昭和天皇と 連絡できる立場の人だったの高夫人は昭和 天皇が4歳から15歳の時まで高村御用 係りとして使え昭和天皇と親しかった昭和 天皇は甘露寺幼が自重から事件の報告を 受け全く私の不のいすところだと述べ軍曹 に着替え無に向 この時に昭和天皇は青年症候を賊軍と呼び 激しい敵意を持った青年症候たちの制作は 軍足の感を排除した後のことは昭和天皇に 委ねるスタンス昭和天皇や中グループを敵 に回した時点でクーデターは失敗と言える
わねそうだなちなみに事件発生から40分 後の5時40分に元内大臣の牧野信明も 襲撃を受けたが何を逃れたぜ襲撃したのは 河野久したイラ8人で河野は民間人を死体 としした襲撃部隊を指揮していたまた午前 6時に陸軍教育総会の渡辺承太郎陸軍大正 が暗殺されている襲撃したのは安田豊か 正位で30人ほどの兵卒を指揮していた 安田たちは斎藤襲撃隊にいたが斎藤暗殺後 に渡辺邸に向かった当初渡辺は暗殺対象で はなく陸軍大臣官邸に連行する予定だった クーデター発生から1時間も経つのに渡辺 は斎藤や高橋たちが襲撃されたことを知ら なかったのおかしくない鋭いな渡辺は クーデターの剣を知らぬまま襲撃された説 がある渡辺は行動派の希望であった正の 公人で教育相関になった人物であり行動派 から恨まれていることは誰もが知っていた 一連の不審な点から渡辺の神辺に内通者が いた説もあるぜまた6時35分頃に五藤不 を悩む大臣の官邸も襲撃されるが後藤は 外出中で何を逃れているやがて青年証拠 率いる氾濫部隊は9時頃に東京日新聞社党 の各新聞社を占領政治の中枢である長田町 や霞ヶ関の他に陸軍省参謀本部教育相関部 島の陸軍の中枢が存在する三宅坂の一体も 占領した青年商工が用人を暗殺して国家の 中枢を占拠するこれは過去に現実に起きた ことなのねああ彼らは軍足の間の排除に ある程度成功したがやるべきことがあった 事件発生から1時間半後の6時半陸軍官邸 陸軍大臣官邸を選挙中の磯部や村中田たち は陸軍大臣の川島義行大将と会見する川島 は行動派でも統制派でもない無職の人物 ゆえに双方の派閥から指示を得られず青年 症候は川島を海来にすることを考えた磯べ たちは川島に決起首書を読み上げ要望を 川島に主張したぜ血首書は青年症候が昭和 天皇に上層するために書いたもの今更だ けど何が書かれていたの内容を要約する なら国体破壊の原因は言論や重心軍閥など でこのままでは日本は破滅する私たちは 日本破壊を阻止するために軍足の勘を 切り倒しましたというもの磯部たちは川島 に決起首相昭和天皇に上層する以外にいく つかの要望を求める要望全てを詳細に各し はないが端的に話すと事態が安定するまで 現在の選挙体制を維持させる自分たちの 同士の証拠を東京に招待する荒木正などの 行動派の重人を陸大臣官邸に承知するなど だ川島はこの要求を受け入れたぜ川島は 青年症候に強く言えないのねああ川島の 優柔普段な態度は昭和天皇の失望を買うな 事件発生から3時間後の8時頃に青年商工 の要求通りに荒木正山下智行少々などの
行動派の面面が陸相官邸に現れた正木は 軍一等の勲章を胸にぶら下げていたそうだ ぜ正は総理大臣に両立された時のために 勲章をぶ下げてきたんじゃないでしょうね そのまさかと思われるまたこの頃には クーデターを止めるため陸上官邸に 乗り込んだものもいたそれが参謀本部作戦 課長であり満州事変の死亡者である石原 感じ大佐だ当時の石原は派閥争いに関与せ ず自称満州派を名乗っていた安藤対位は 石原が青年症候が占領する一体に足を 踏み入れた時に部下に命じて石原に銃口を 突きつけさせたそうだ要は石原に対する 脅しだな石原は銃を突きつけられてどうし たの石原は何が維新だこの石原を殺し たければ直接貴様の手で殺せと怒鳴りつけ ている石原は青年症候が陸海軍は天皇の 命令で動くという原則を無視して武力行使 したこと青年将校の昭和維新があまりに遅 だったことに立腹していた事件のさ中石原 は維新についてどう思われますかと将校 から質問された時に軍備と国力を充実さ せればそれが維新になるというものだと 答えたとされる石原は満州事変の死亡者だ から積極的に昭和維新を指示していたと 思っていたけど彼なりの信念があったと ああ安藤は石原の気迫に押されて発砲する ことはできなかったぜさて事件発生から4 時間後の9時川島陸軍大臣が昭和天皇に 配列し青年症候の血気周書を上層する川島 の上層寺普段はセビの昭和天皇が大元帥の 軍服を着用していた昭和天皇は川島にどう してそんなものを読み聞かせるのか事件を 鎮圧せよと一括その後も昭和天皇は数十分 おきに本上しげる武館長を呼び出し速やか に事件を鎮圧せよと明治続けた君臨すれど も統治せずの昭和天皇がすごい見幕ねただ 青年将校の空デターに陸軍首脳部がどんな 対応を取るかが大事よねああ統制派と行動 派は対立していたが同じ陸軍に変わりは ない生後には軍事参議官たちで飛行式の 会議が行われ荒木や正も参加する今回の 問題は我々の関任だから全員で辞職しよう という意見も出るが荒木と正木が反対し 氾濫部隊に忘る大臣国事が出されたそして 音便に事態を収集させるという方針が 決まるぜ同時に岡田内閣の閣僚も行動を 開始しており21時頃に後等不を内務大臣 が首相臨時代理に指名されるぜ後等は事件 の責任を取り閣僚全員の次表を昭和天皇に 提出するが昭和天皇は自局の収集を優先 せよと事業を一時預かりとし内閣の存続は ある今内閣が掃除職したら行動派死体の 内閣ができるかもしれないし優先すべきは クーデターの収束ねその通りだ同時国に
青年症候は軍事参議官と会談したが今後の 方針は定まらなかったただ陸軍首脳部には 親が子供の知り拭いをしてやろうという 心境を持っていたものが行動配害にも割と いたさて事件から1日後の2月27日午前 3時の真中に会元例が宣告され会元司令部 が設置されたぜ会元例は憲法法律の一部の 効力を停止し行政権士法権を軍部の指揮化 に移行すること治安悪化や過激な暴動を 中止させる緊急処置で過去には日比谷焼打 事件関東大震災で宣言されたぜこの会元例 は石原が川島に強く働きかけたものだ確か 北一期の日本改造法案対抗ではクーデター 後は天皇の名で未年間憲法を停止し全国に 海原例を敷くという構想があったはず今 敷かれた海原例は自分たちを鎮圧するもの か昭和維新の実行の会元例が敷かれたもの か青年症候から見れば分からないわねその 通りだ会元司令間にはカ公平中上が海原 参謀に石原が任命されるがカは青年症候に 道場的でギリギリまで武力鎮圧に躊躇して いるグダグダの状況は続くが夜明けに事体 は動き出す事件発生翌日の2月27日午前 8時20分参謀本部から青年症候は原体 復帰することという法則命令が上層され 昭和天皇は即座に最下青年症候は兵を収め ないと逆賊になることが確定したぜつまり 正式に小心いやクーデターの失敗は確定か でも陸軍首脳部の多くは青年症候に道場的 だけど本上や川島は昭和天皇に弁名でも するのかしら本条は青年症候の精神だけで も認めて欲しいと昭和天皇に上層するが 昭和天皇は凶暴な証拠に許しを与える必要 はないとその訴えを一周する12時45分 にはち自らこの江団を率いて鎮定に当たら んと徹底鎮圧の指示を川島に伝達したぜ また13時頃には岡田賞が官邸から救出さ れた内閣画会の必要がなくなったこと天皇 の姿勢が川島に直接伝わったこともあり 陸軍は青年商工の鎮圧へ家事を切るちなみ に海軍省は26日午前の時点で徹底交戦を 発令するなど早い段階で青年症候に初段を 下した岡田師匠も救出されて良かったわ 海軍が早くに徹底交戦を主張したのは襲撃 された斎藤や鈴木が海軍の人間だったから かなこの状況で黒幕っぽい正はどうするの 将は青年症候に原体復帰を進めるなど青年 症候を裏切ったさて事件から2日後の2月 28日0時青年商工に法則命令の情報が 伝わる敗北を感じた青年商工の栗原は将校 の自決と貸官兵の期間を条件に昭和天皇 から直子を派遣してもらい自分たちの石を 伝えようとした栗原の思いは本上を通じ 昭和天皇に上層されただが昭和天皇は自殺 するなら勝手になすべくこのごとき者に
直子など持っての他なりと本性を出席した ぜ自決するなら勝手にしろとああ昭和天皇 はクーデターに既然とした態度を貫いた そして2月28日16時に海原司令部は 武力鎮圧を表明するぜこの頃には青年症候 や貸観の家族にもクーデターのことは 知らされており兵士の不形数100人が平 第3連帯司令部前に集まり彼らを説得した ぜ一方で青年将校は夜の間に首相官邸陸軍 省参謀本部などに婦人し法意軍を迎え打つ 体制を取るやがて事件から3日後の2月 29日明方の5時10分に討伐命令が発生 られ8時30分には攻撃開始命令が下され たああ今年と同じく1936年はウルード しか青年症候も貸観も陸海軍に鎮圧された の勝ち目はなさねいや陸海軍は青年症候 たちを放しつつ投稿も呼びかけたビラ ラジオアドバルーン直属上間による涙を 流しての説得これらの説得は絶大な効果を 発揮し攻撃開始命令から6時間後の14時 頃には貸官たちは原体に帰り青年症候は 陸相官邸に集まったぜ青年症候は自決を 考え陸軍首脳部も成年症候の自決を想定し 30ありの棺桶を準備しただが野中対が 軍法会議で昭和維新の正当性を訴えること を主張したため校たちは生きる道を選び2 月29日17時に逮捕されるこうして彼ら の昭和維新は終わった余談だが野中は皆を 説得中に山下たやでのぶと大佐に連れ出さ れその後で自決したこの時に自決の共用が あったのか野中の石で自決したのかは 分からないただ青年症候は野中の死を多と 解釈しているぜこの辺りは闇に葬られたと 言えるわね 青年症候が日本の将来をういて226事件 を起こしたことは分かるけど武力による クーデターは良くないわ226事件がその 後の日本に与えた影響について教えて ほしいわ青年症候の主張は法定闘争に 持ち込まれたらしいけど彼らは自らの主張 を世論に訴えることができたのかしらいや 青年将校の軍法会議は4月28日に行わ れるが非行開同機の心理も行われないまま 迅速に進められる理由として長田を残した 相澤三郎の軍法会議が通常公開の形で行わ れたことで相澤青年症候の思想を世論に 訴える場に変わったことが大きい結果的に 7月5日217人が死刑判決を受けその他 の関係者は勇気系の判決が下る安藤対位 などこの動画で登場した青年商工たちは 死刑となり磯部朝一村中高治を除く15名 の刑が7月12日に執行された鈴木にとど を刺さなかった安藤も刑か当然といえばね そうだなまた昭和12年1937年8月 14日に北一と西田三は民間人だが死刑
判決を受け8月19日に磯べ村中と共に刑 が執行された黒幕説もある正人三郎は9月 25日に無罪判決が下り26事件の発端と なった相澤は青年勝行より早めの7月3日 に銃殺系となる正がどの程度に26事件に 関与したかは不明だが将は割と怪しいけど ら行動派の人たちは226事件を経てどう なるのかな行動派の荒木山崎は226事件 直後の3月に予備役となり山口や武口連や 大佐など予備役をまかれた行動派の面面の 多くも中央から左川の右目に合うちなみに 優柔普段だった川島陸軍大臣青年症候に 道場的だった本条し武館長やカ公平中将も 予備役に回された彼らの処分は仕方ないわ ねこれだけ行動派や軍の上層部の面面が 予備役になれば陸軍の発言力は小さくなる のでは確かに行動派は壊滅したが統制派が 陸軍内で格を表したことで陸軍は今まで 以上に政府への影響力を増した26事件 収束後に岡田内閣は掃除職し岡田内閣の 外務大臣広田後期が新たな内閣を発足する が軍部の要望を次々と受け入れている広田 は陸軍の様々な要求を飲むが最たるものが 軍部大臣現役武漢性の復活だ軍部大臣現役 武漢制これは軍大臣は現役の中上化対象 しかなれないという制度だこの制度により 内閣に不満を持った陸海軍が大臣を辞任し 公認の大臣を出さなかった場合内閣は無 条件で掃除職するという即死コンボが 出来上がる軍部大臣現役武漢性が復活する までは予備役の中上対象でも陸軍大臣に 就任可能であり事件後も荒木が陸軍大臣に 就任することはできた統制派は荒木たちが 陸軍大臣にならないよう軍部大臣現役武官 性を復活すべきと主張してこの制度を復活 させるが内閣は軍部の意行を無視できなく なり軍部の発言力が増大することにつがっ た陸軍は自分たちの不祥事を制度改革に すり替えたのねああ日本は陸軍からの圧力 を受けつつ日中戦争や太平洋戦争に 突き進むぜまたクーデターに駆り出された 貸観は原体に復帰するが他の隊員や上官 からの風当たりは強かった彼らの多くは 中国などの戦場の最前線に駆り出され戦士 またクーデターの鎮圧に尽力した石原は 参謀本部でかっこたる地位を築いたが後に 起きた日中戦争で早期和兵を主張し作戦さ れる確か日中戦争の発端は昭和12年 1937年7月に起きた路行共事件この あたりの経過も個別の動画で知りたいと 思うわそのうち解説するぜ最後に昭和天皇 の話をして話を閉めるぜ大日本帝国憲法で は天皇は保湿する国務大臣の署名がないと 国策を決定でない仕組みだったただ26 事件は岡田啓介総理大臣不在鈴木神太郎
自重長重賞斎藤誠内大臣暗殺という長緊急 事態26事件では昭和天皇自身が前後作を 講じる必要があった昭和天皇は大変だった のね26事件で軍部が青年症候に道場する 中で昭和天皇の青年症候への近善とした 態度こそが事件集結の最大のポイントだっ たのねその通りだただ昭和天皇にとって2 事件の衝撃はとても大きかった昭和天皇は 晩年に至るまで毎年2月26日はおしみの 日として公務を休んだり娯楽を控えたそう だな昭和天皇は戦後を経ても226事件を 風化させるつもりはなかったのねその通り ださて青年将校は昭和教皇で農村が困窮 する現状を見て北一期の表した国家改造法 案対抗に感化されて昭和維新という名の クーデターを断行するただ昭和天皇が明確 に青年症候の意思に反対したことであけ なくクーデターは失敗する26事件で多く の犠牲者が生まれたこと事件を経て軍部の 発言力がさらに強まったことそのことを 私たちは忘れてはいけない な今回は226事件について解説したぜ 26事件は昭和維新を掲げる行動派の青年 症候による空でた彼らが農村の久房に胸を 痛めていたのは間違いないが事件の発端は 統制派と行動派の派閥争いという面もあっ た荒木や正が彼らの暴発を抑える必要は あったと思うけどねそうだな青年症候の 昭和維新はお松な計画とはいえ陸軍首脳部 の中には彼らを助けようとする動きがあっ たことは事実事件解決の最大の厚労者が 昭和天皇だったことは間違いないぜその点 は私も同意するわでも26事件を経て日本 は戦争に突き進むのよねああ226事件を 経て日本の軍国主義はさらに強 だからこそ226事件は戦前の日本の ターニングポイントなんだなちなみに 226事件で生き残った鈴木貫太郎自重長 と岡田啓介元総理大臣は日本の終戦工作に 大きな影響を与える鈴木の動画は以前作成 したしいずれ岡田の解説動画にも着手し たいところだな以上でゆっくり解説26 事件を終了するぜもし少しでも良かったと 思ったら最後に高評価ボタンとチャンネル 登録をよろしくお願いします DET
昭和天皇の強い意志の土壌には海軍部の昭和天皇への絶大な支持があったことも付け加えてほしい。
そのことが日中戦争から太平洋を挟んでの太平洋戦争へと進んで行きますからね。
戦前の少年犯罪という本ではクーデター後の構想が無く後は昭和天皇がなんとかしてくれるだろうという無責任なものだと批判してましたね
歴史にifは付き物だが鈴木貫太郎元首相がこれで命を奪われていたとしたらゾッとする
敗戦革命しかなかっただろうな。
人にスポットを当てた解説も面白いですが事件にスポットを当てた解説もとても面白いですね!
2.26は海軍にも内通者がいた。(皇道派とさほど変わらない立ち位置の小笠原長生を中心に、繋がりが深い伏見宮や、YESマンの大角大臣、他、艦隊派より上層部は確実に知っていた)
陸海軍とも、事前に首謀者や襲撃対象を把握していたにも関わらず「止めなかった」ことがとてつもなく衝撃的、闇の深さを感じる事件。
「非常呼集でたたき起こされてなにがなんだかわからないうちに反乱軍に参加させられていた」
「(山王)ホテルに立てこもっていた時に上官に言われて『子褒め』を演ったがまったく受けなかった」五代目・柳家小さん談
この事件の際、昭和天皇が自身で首相官邸近くの交番に電話を入れて岡田首相の安否確認を命じるという珍事(?)が発生しています。
鈴木貫太郎は青年将校達が立ち去った後、床の上に上体を起こして「もう行ったか?」と夫人に聞いたとか。
鈴木を銃撃した二十六年式拳銃が使用する「二十六年式実包」は低初速・低威力、おまけに弾頭が鉛の無垢で貫通力に欠け、
看護婦出身である夫人の的確な治療で一命をとりとめました。
この事件が無かったら本多猪四郎の監督デビューが早くなり、ゴジラが生まれなかった可能性もあったんだな
5.15の時に世論に流されず裁いていれば……
昭和天皇が激怒するのは当たり前。
このクーデターを容認したら、傀儡になってしまう。
英断ではなくただの保身。
この時 青森県から勝手に部署を離れて皇居に来た秩父宮に対し 昭和天皇は『何しに来た‼️💢🔥』とお言葉を発せられたほど、緊急事態で余裕がなかったのでしょう😞💨
事件当時の総理大臣岡田啓介については後々彼の解説動画が作られて触れられるかもしれないけど、反乱軍に占拠された官邸から岡田首相を救出すべく、総理秘書官の迫水久常や憲兵の小坂慶助らによる奇策で無事脱出させるのに成功した。
こんな感じでクソな政治家が暗殺されるようになれば今の政治家も少しはマシな政治を行うようになるのかな?
私利私欲に走り私服を肥やす政治家は根絶してほしい。
昭和の長き時代で、本当に昭和天皇陛下はご苦労の連続、政治には口出さない天皇陛下の怒りがお労しいです。平安を望む陛下のお気持ちをこの青年将校達は、どう考えていたのでしょう。まずは、陛下のお気持ちが先でしょうと思います。
秩父宮の動向を重ねた226事件もお願いします。
もし昭和天皇が人格者ではなくて
暴君の様な人間だったら日本の歴史は
180度変わっていただろうね…
なお、農村貧困層と貧富の差を憂いて青年将校部隊が出発した歩兵部隊跡は、現在、新国立美術館と東京ミッドタウンが建ち、港区女子が象徴する若年成金層ばかりが屯するエリアとなっています。
美術館横の政策大学院構内には当時の兵舎の一部が残存し、美術館構内には建物全体の再現模型が展示されています(入場料無料で見られます)
ここにも牟田口がいて草
荒木、真崎は汚いよな、今も昔も結局は上層部は寛大で下っぱが犠牲を取らないとね、
軍部の暴走に火がついた!!
寛仁親王殿下が昭和天皇とサシでお話をした時「自分の意見を言ったことが二度ある」と聞いたそうだ。
そのうちの一つが二二六事件の時の「馬を引け!朕自ら近衛師団を率い、事の鎮圧に当たる!!!」だとか。
(もう一つは御前会議での「平和を望む」のポツダム宣言受け入れ)
前に海軍視点で二・二六事件を見たドキュメンタリー番組があったけど、諸判断が遅れていたら
酷い内戦になっていたという内容に恐ろしくなった記憶がある。
(艦隊が東京湾に集結していて、いつでも射撃出来る態勢になっていたらしい)
226事件のあった前日に今大雪が降っている。
何やら不穏である。
身分制度の残る封建的格差社会が崩壊する過程に起こり勝ちな事件で、類似のクーデターは世界各国に散見します
昭和天皇は、クーデターの方向がいつか天皇制の否定に繋がりかねないのを直感的に察知したのでしょう
88年前の出来事とは思えない…。
今の日本…いつ蜂起されてもおかしくない状態になっているが、骨抜きになった日本人には無理か…。
当時に生まれていたなら、行動を興した将校に賛同していただろう…。
純粋に日本の行く末を憂いて行動を興した1500人もの軍人さん達を責める気にはなれないのは、小生だけだろうか…。海軍も卑怯なやり方をしている印象も拭いきれない…。
愚政に巻き込まれた方々の安寧を心より御祈り致します。
クーデターって普通は自分たちが権力を奪取するためにやるもんだけど226の反乱軍は自分らが君側の奸を排除して後は偉い人にお任せってところが特殊というか、結局指揮系統を利用した点が特異なだけで内実は515事件とかの要人暗殺テロの延長線でしかなかったから厳密にはクーデターとは言えない気がする。昭和天皇だっていきなり親政しろとか言われても困惑するだろう
あまり表に出ていないが、昭和天皇と秩父宮との対立感情も2.26事件に影響した様子。
病弱だった大正天皇が軍部に軽く扱われていたことや、昭和天皇自身、吃音を抱えていた事に相当なストレスを感じていた様子。
反乱軍にしても、どうも青年将校に同情的な秩父宮に期待するところが多かった。
それが却って昭和天皇の逆鱗に触れるとも想定出来ず。
まぁ、基本的に明治維新の再現を狙ったのだろうが、当時は複雑な歴史の裏事情など殆ど明らかでは無かったので、講談話じみた展開を期待した、空想的なクーデターでしかない。
この事件で残された最大の教訓は、こういうハプニングを上手く利用しようとする連中に、結局しゃぶられただけだという現実だ。
昭和天皇が事件の渦中にふと漏らした「日本もロシヤのやうになりましたね」という一言がなぜか漏れ伝わって獄中の磯部浅一を激怒させ、血涙を流させた。つまり、この人は今回のクーデターをボルシェヴィキ革命と同一視し、自分が下手をすると退位はおろか、ニコライ二世のように一家粛清される可能性まで想定し、恐怖していたことになる。もっとも、陸軍内に「錦旗共産党」なる極秘組織があるという奇怪な噂があり、それがどこかで耳に入っていたのかも知れないが。ただ、普通に考えれば正真正銘の「現人神」の身であればそのような事態が起こるはずもなく、いかに彼がヨーロッパの君主並の常識的・現実的な政治感覚を持ち、自らが神などという意識など微塵も持てない普通人であったかを伺わせる。このような人物をひとえに当てにして信仰し、事を起こしてしまったことに、蹶起将校の最大の悲劇があった。
陛下公認の逆賊
この将校達に同情的な方々の心情さっぱり理解出来ないわ。
当時は高橋蔵相の元、好景気。経済状況が今と異なるとは言え、日露戦争の影の英雄でもある賢臣を弑して、何が東北の農村がーだよ。
まして、今現在に決起とか抜かす奴は論外でしょ。
衣食住医、全て江戸期の殿様より良い生活を送りながら、何を考えているのやら。
反乱軍の中に前座時代の柳家小さん師匠がいたのは有名な話で、この為師匠は戦地送りになりました
野中四郎大尉は桜花特攻隊の指揮官野中五郎少佐の兄
それぞれの妻達が毅然としてるのが印象的。明治生まれ女性は強いなぁ
昭和天皇が怖かったのは、革命、クーデターによって皇室を否定されるコトも有り得るからでしょ。
国や国民の為じゃない。自身が脅かされる未来を想像しただけ。ロシア、ヨーロッパで次々に起こる、王室へのクーデターを見て来てるから、クーデターに対する恐怖は我々が想像する以上に持ってる。ヒロヒトは。
昭和帝はまごまごしている将校にも激怒して自ら近衛兵を従えて暴動鎮圧に向かおうとしたんですよね。反乱軍を鎮圧せよ!と明確にお命じなさったとか。これが他国だったら現代でも成功しちゃう国も多い。天皇陛下の存在で失敗したクーデターは多いんですよね。
後のミスタープロ野球
長嶋茂雄氏は生後六日の
赤ん坊でありました!
当時の日本の陸軍海軍は、無謬性を許さず自己増殖する日本的官僚組織。テロ行為の実行者は、やくざでいうと鉄砲玉なので、実権を握る指導層はお咎めなし。朝日毎日といったマスコミが後押し、国民が熱狂したものだから、ほとんどの先進国相手に喧嘩を売ってしまった。別の人も書いてるけど、本土決戦を回避できたのは不幸中の幸いだった。もしも起きていたら、戦後復興も数十年遅れていただろうし、今も東西に分割されているだろう。日本人がお家第一すぎるのは、注意すべき特性だと思う。
重大な転換期という意味では政党内閣が終焉を迎えるきっかけとなった五・一五事件の方が重要と思う。
あと真に二・二六事件から学ぶべきはデフレ不況はあかんと言うこと。
当時は金本位制下で通過発行量の制限があったが故に各国がデフレ不況に苦しめられることになったわけだか、金本位制を止めて通貨発行量を増やし、金融政策的インフレで景気回復を目指した高橋是清を暗殺ってところが闇深い。
大規模な金融緩和なんてとんでもない!
ハイパーインフレがーッ!
そんな言論に惑わされ続けてきた平成日本……。
この当時と大差ない気が……。
金融緩和するだけで景気回復するかーッ!
構造改革じゃーッ!
抜本的な改革が必要なんじゃーッ!
実際には大規模金融緩和しただけで景気良くなりましたが何か?
日本政府が地方の疲弊の現状を何とかしてくれたら、青年将校の反乱が起きなかったのに。
血の気が多いね。
開戦指示した首謀者だからね。
純真な将校たちが お上に 殺された、、、
陛下!陛下!!と言いながら、その肝心の天皇陛下の御心を一切確認・考慮・配慮もせずに、希望的観測のみで物事を進める。。。
先の大戦の悲劇的結末はこのクーデターからも予見できたかもね。
責任を取ること・取らせることを極端に忌み嫌い、空気で事が進んで行き、いざ問題となると責任者ではなく末端が割りを食う。
昭和帝の立憲君主そして日本の国家元首としての姿勢が素晴らしいです。この方が激動の時代の日本の帝であられて何とよかったことか。
早稲田大学の入試問題で「2.26事件当日の積雪量は?」という問題があったのを思い出しました。
昭和天皇を神格化した勘違いが失敗の原因ですね。自分以外は馬鹿なおっさんと考えて、自分の力で政治活動をすべきです。
岸田よ 自衛隊で良かったな 日本陸軍が存在したら 今頃 お前らが的になってたぞ
事件後の処分や詳細な内容 今後の行方等、国民の関心が高かったのに
当時のマスコミはその頃起こった阿部定事件ばかり報道して国民の興味関心をそっちに向かわせた