【驚愕!!】実は金持ち…日本の裕福過ぎた藩8選 【ゆっくり解説】

【驚愕!!】実は金持ち…日本の裕福過ぎた藩8選 【ゆっくり解説】



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25 comments
  1. 徳川頼宣を紀州に転封したのは家康ではなく秀忠でしょう。広島の福島正則が取り潰しになって、紀州にいた浅野がそちらに転封になったから頼宣がこちらに移ってきた。

  2. 新田開発や、殖産更新な、商品作物等の促進に、各藩は勤しんでた様で、地元の藩では、和紙の専売に、勤しんでて、時折、一揆を起こされたし、特産の木材を、吉野川に流してたらしく、徳島藩に、ぶーたれられてたって話しは、伝わってるな、

  3. 裕福リストに上がってる仙台藩。対外的に裕福なフリしてただけで、中身は闇深ですよ。
    熱帯~亜熱帯が基原の米が、寒い仙台で売れるほど沢山取れるでしょうか。なのに江戸には大量の仙台産米が輸出されてます。なぜ?どうやって?おお怖い…。

  4. 2:51 逆に表高より実高が少なかったのが、水戸家(水戸藩)。
    御三家の一つでありながら、当初は他の二家の半分の石高(28万石)しかなかったのを1701年に高直しして35万石にしたのですが、これに無理があったようで実高を超える高直しだったようです。
    プラス水戸藩が「江戸定府」という参勤交代を免除された藩で江戸藩邸の運営費が他藩より多くかかったり、2代当主・光圀より始まり明治時代に完成する『大日本史』の編纂に多額の費用がかかったりで、尾張家・紀州家が裕福だったのに対し水戸家は「貧乏藩」の代表格でありました。

  5. 仙台藩はあまりに米に頼り過ぎた経済体制だったために、飢饉の際には武士階級にまで餓死者が出る(これは他藩では見られない)ような貧窮ぶりだった一方で、豊作が続くと積年の借金が一気に返済できたようです。

    仙台が「杜の都」と呼ばれたのは、藩士が飢饉になっても困窮しないように武家地(藩士の屋敷)に建材や燃料に使える樹木(スギ・マツ・キリ等)や、食べ物が成るような樹木(ナシ・クワ・クリ・リンゴ等)を多く植えたために、城下町が樹木で埋め尽くされたかのように見えたことによるものです。

  6. 色々齟齬が有りますね
    先ず長州藩の関ケ原直後の石高は29万石です、毛利家は大量の召し放ちを行いましたがそれでも家臣に必要な石高を計算すると54万石になりこの必要経費で幕府に申告。幕府の担当だった本多正信は何度も『表高で軍役賦役が決まるから抑えたほうが良い』と助言して37万石に落ち着きました。ただ、防長では一揆が多発。これを親子二代で長州藩の執政に就いた吉川広家・広正が新田開発を進める事で解決。子の広正が執政を退くころには実高60万石強になり一揆も収束、大体50年程で最初の架空石高を超えたと見るのが穏当でしょう
    細川家が肥後を一揆なしで治めたのは加藤家顕彰でなく、踏み倒しの常習犯だったから。細川家は農民一揆が起こると懲罰改易が有るも、商人を破産させてもお咎めが無い事に気づき借金を踏み倒しまくっています。大坂商人から蛇蝎の様に嫌われていますが大藩の威光を持って取引を強要。これは肥後の鳳凰と謳われた名君重賢が商品作物の開発に成功するまで続きます(重賢も踏み倒しはしている)
    薩摩藩の石高が籾高になったのは島津家でなく豊臣家の軍事的思惑から。九州征伐後の島津処罰で島津家の動員兵力を1万人以上にしたかった豊臣家官僚が50万石の石高を強制させたのが始まり。それまで島津家は貫高を用いており石高での計算を知らず、敗戦直後と言うことでこの計算をそのまま導入。表高と実高の差に苦しむことになる
    加賀藩は利家時代の石高は83万石。子供の利長の時代に関ケ原後の加増を合わせて122万石へ。利常の時代に富山藩と大聖寺藩を分家させて103万石へ。という流れ
    後、幕末に日本有数どころか恐らく日本一裕福な藩になったのが前橋藩。この藩は利根川の氾濫で土地が荒れ居城の前橋城も河川侵食で被害を受けたので飛び地があった川越城へ移転(以後川越藩とも)。ところが幕末に開国すると上州特産の生糸貿易で巨万の富を得る。更になんと領民が自らの資金で利根川の改修と前橋城の再建迄してくれた。明治以降日本の主要輸出品が生糸だけだったことから、この生糸をほぼ独占していた前橋藩の経済力がどれだけあったかは想像に難くない。しかも尊王攘夷論争に加わらず軍備増強とも無縁だった

  7. 紀州藩は七公三民、隣の大和国天領は四公六民…紀州の農民は隣を凄く羨ましく思ったとか…

  8. 岐阜といえば加納藩ですが、長良川の鵜飼で有名な川原町含め中濃の広域はほぼ尾張藩領だったので岐阜は名実ともに尾張名古屋の植民地でした

  9. 勉強になりました。
    上杉鷹山の改革がないのは、多分、あなたの無知なのでしょうね。
    アメリカ大使、表敬訪問、知らないでしょうね。(笑)

  10. アイヌは先住民ではない、
    DNA鑑定から判定している。
    アイヌ人と呼称するのは正確な言い方なのか?

  11. 出羽の庄内藩は差程裕福ではありませんが日本屈指の豪商だった本間家が栄華を誇っていたので、戊辰戦争の際は最新鋭の武器を揃え連戦連勝でした。

  12. ハッキリ言えば関西は在日が支配する国さ、歴史的事実でそいつ等が東日本を千年単位で攻撃しているのが日本の歴史だしタブーね!。
    ブリカスと長州の事ね

  13. 仙台、白石、亘理、涌谷、一関など含めて62万石。伊達騒動以降は58万石に減らされました。

  14. 史実と異なる解説ではないのか?と感じています。たとえば、紀州藩が和歌山に移封されたのは、家康の死後、秀忠の命によるものではないでしょうか。

  15. 加賀藩の 前田利常公は 二代目ではなくて三代目です(*^_^*)
    二代目は前田利長公です。
    利常公は利長公の弟さんになります。
    たしかに三代目の利常公が
    加賀藩の繁栄の道を盤石なものにしましたね☺️

  16. 新発田藩がお金持ちでしたよ。改易された大名有名家臣を多く召抱えてる。此処を改易さすとヤバイと幕府に思わせた藩でもある。信濃川河川荒地開墾して実高二十万石と言われていた。

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