ウクライナ東部で攻勢をかけるロシア軍は、戦車の約半数を失い死傷者数は20万人超とされる。
こうした中、ロシアの民間軍事会社「ワグネル」は、最前線で戦う自らの部隊に弾薬が十分に供給されないとして、露国防省や軍を批判した。手柄を急ぐ「ワグネル」など戦争推進派とプーチン政権軍部に確執が生じているのだ。
この対立の原因が、制服組トップでプーチン大統領の信頼が厚いゲラシモフ参謀総長が「特別軍事作戦」の総司令官に就いたことだといわれる。戦況のカギを握るゲラシモフ氏とはどんな人物なのか?いかなる戦術を考えているのか?
露軍の兵器や装備を検証し、最新の戦況を分析する。
#BS11 #報道ライブ #岩田公雄 #上野愛奈 #ウクライナ #ロシア #プーチン大統領 #ゲラシモフ参謀総長
日本が出来る事は何ですか?
安全なお花畑の専門家?たちが、さも解った様な分析をして、それを有り難く垂れ流して満足している呑気なメディア。それを鵜呑みにして、なるほどと納得している平和ボケした日本人。、、、、間もなく訪れる、三次大戦が、その現実をアンタらに知らしめるだろう。自由と人権、民主主義は、タダで無い事を身をもって理解するいい機会だ。、、、しっかり学習するがいい。
ロシア軍現在約70万人が展開してるとマクレガー米陸軍退役大佐が、衛生画像分析や諸情報から、総兵力約70万人、そのうち南部に18~22万人、東部に15~20万人、北部に15~20万人が展開し、北部正面からハリコフ・キエフ・ リヴィウなどに攻撃をかけるとみてると発言してる。最終的にキエフ攻略でウクライナを落とすかな。バフムトの陥落時間の問題とね、またウクライナ軍の兵力も余り余力が無く砲弾や弾薬が枯渇してる、また欧米NATOも枯渇していて生産も間に合わないと発言してる。ゼレンスキーも中国習近平に頼らざる追えない状況だよ、欧米も武器供与はレオパルドは最新式から旧型に変更してるしバイデンは戦闘機は供与しないと断言してる。西側がロシアのエスカレーションを恐れ始めた感じだよ‼️
なぜ世界各地で戦争や紛争は続くのか
世界経済はなぜ不安定なのか
実は現代という時代が今のような形になったのは「アメリカとロシアの闘い=冷戦」が多大な影響を及ぼしている
もともと欧米とロシアのこの闘いは 100年以上も前から続いており 地政学の大家・マッキンダーもこの闘いを「グレートゲーム」として考察していた
つまり ここ100年の世界の歴史は「地政学」と「冷戦」という2つのファクターから眺めると とてもクリアに理解が広がるのである
1945年8月 広島と長崎に原爆が投下された
人類史上初・唯一の核兵器実戦使用をアメリカが決定した理由は 終戦を早めるためだったと言われている
しかし「本当の理由」は別にあった
「地政学」+「冷戦」の視点から 従来の新聞やテレビの報道とはまた違った歴史のリアルを見ていこう
これこそ 各国の公式見解やマスメディアの報道ではわからない「THE TRUE HISTORY」だ
ヤルタ会談からまもない1945年4月 アメリカのルーズベルトが急死し 後を継いでトルーマンが大統領に就任した
ルーズベルトが死去したことを知ったスターリンはショックを受け 大きく落胆したと言われている
ルーズベルトの死からまもない5月はじめにベルリンが陥落してまもなくドイツ帝国は崩壊し 7月17日からベルリン南西のポツダムでチャーチル スターリン トルーマンが集まって会談が開かれた
これが日本に降伏を呼びかけたポツダム宣言で知られるポツダム会談だ
ポツダムはソ連占領地域にあり そこで会議を開くことになったのはスターリンの強い主張によるものだった
そのことにも ドイツを破ったのが実質的にアメリカではなくソ連だったことが示されている
会談は8月2日まで続いたが この会談の冒頭でスターリンがトルーマンに ヤルタ会談でルーズベルトからなされた対日参戦の要請に応じると正式に伝えている
そしてこの会談の最中に イギリスの総選挙で保守党が敗れたためチャーチルが帰国し イギリス代表は労働党のアトリー新首相に交代した
ところが 死去したルーズベルトに代わって会談に出席したトルーマンは ルーズベルトとは考えが違っていた
それは この会談でトルーマンの補佐官を務めた欧州連合軍最高司令官のアイゼンハワー(ドイツ系 後のアメリカ大統領)が ソ連の対日参戦に反対するよう助言していたためだった
東ヨーロッパでドイツ軍を破ったソ連軍の強大さを見せつけられたアイゼンハワーは もしソ連に満州と朝鮮半島の日本軍を攻撃させれば そのまま極東がソ連に占領されてしまうという危機感を抱いていたのだ
だがアイゼンハワーの助言は手遅れだった
ソ連軍はすでに攻撃準備を完了していたのだ
一方イギリス代表団はポーランド問題をはじめ東ヨーロッパの国境画定などさまざまな戦後処理についてスターリンと激しく衝突し スターリンは軍事力を背景に強硬な主張をくり返した
そこでアイゼンハワーはトルーマンに「ソ連が参戦する前に我々が日本に勝利しなければ 極東からソ連軍を排除できなくなる」とアドバイスした
アイゼンハワーの頭にドイツの東半分をソ連に占領されてしまったことがあったのは間違いない
こうしてトルーマンは アメリカの多くの軍司令官や科学者が反対したにもかかわらず バーンズ国務長官の強い主張を入れて日本への原爆投下を決定した
原爆投下には日本に対する処罰に加え 2種類の原爆 ウラン型とプルトニウム型の人体実験に スターリンに対する「日本まで南下するな 我々はこれを持っているぞ」という警告のメッセージが込められていたと考えることができる
無条件降伏しなければ原爆を20個以上も投下する予定だった
黄色人種へのじん種さ別感情が米国側の罪悪感を軽減したからだ
米国の軍人マッカーサーは朝鮮戦争での核兵器使用を考えていた
「30発から50発の原爆を満州の頚状部に投下すれば10日以内に勝利できる」
そうすれば「少なくとも60年間は北から朝鮮を侵攻する余地がなくなる」という発想である
広島と長崎への原爆投下の最終決定者であった当時の米国大統領トルーマンは「アメリカの所有するいかなる兵器も使われうる」と核兵器使用をほのめかしていた(1950年11月30日)
トルーマンとマッカーサーの思惑は重なっていたのである
けれども 翌年4月トルーマンはマッカーサーを解任している
沖縄・嘉手納に核兵器を集結させていたトルーマンがその使用をためらったのは 当時の英仏首脳がもし朝鮮半島で原爆が使用されれば ソ連が西側に原爆を使用する可能性があるとの危惧を表明したからだといわれている
結局 マッカーサーは解任され 核兵器の応酬はなかつた
なお アメリカの多くの科学者が「終戦を早めるために原爆の威力を見せつけるのなら 日本に投下しなくても どこか広々としたところで爆発させて日本の指導者たちに見せればよい」と主張したと言われている
こうしてポツダム会談が8月2日に終わると 4日後の8月6日に広島に原爆が投下され その2日後の8月8日 ドイツが崩壊してからきっかり3ヵ月後に ソ連はルーズベルトとの合意どおり日本に宣戦布告を行う
そして翌9日にはソ連軍が満州に侵攻を開始し その同じ日にアメリカは2つ目の原爆を長崎に投下した
このあわただしい動きを見ても 米ソのせめぎ合いが感じられる
ルーズベルトとスターリンの間にはなにか通じ合うものがあったが トルーマンとスターリンは明らかに競い合った
スターリンはアメリカが原爆を投下したことを知って「なんという残虐なことをするのだ」と言ったという
この状態は全てプーチンのシクジリです!