秀吉に懸賞金をかけられた叩き上げの苦労人 徳川四天王 榊原康政の生涯【どうする家康】

秀吉に懸賞金をかけられた叩き上げの苦労人  徳川四天王 榊原康政の生涯【どうする家康】



榊原康政は、もとは松平家臣、酒井忠尚に仕える、家康から見たら陪臣でしたが、その才能を家康に認められ、武将として出世を重ね、上杉謙信や豊臣秀吉といった大名からも認められるまでの存在になります。
軍事、内政、外交全てに通じたエキスパートとして重用され、関ヶ原の戦い後には、老中として初期の幕府政治も担うなど、家康の覇業を支え続けました。
今回は、徳川家一の出世頭、榊原康政が、最下層から徳川家を代表する重臣に成長していくまでについて詳しく紹介していきます!
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参考文献
『寛政重修諸家譜 第2』
https://dl.ndl.go.jp/pid/2983749/1/136
平野明夫『榊原康政の全生涯–多くの合戦で武功を立て家康・秀忠に信頼された硬骨の武将 』(『歴史読本』第52巻3号)
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【画像引用】
大河ドラマどうする家康公式サイト
https://www.nhk.or.jp/ieyasu/

#どうする家康 #日本史 #歴史

19 comments
  1. 名字の由来が「湯は七栗」の榊原温泉の榊原村だったとわ。
    康政といえば重武装で何故か怪我をしている人の印象がw。

  2. 家康の陪臣でありながら、若くしてどんどん出世を果たし、家康を烏帽子親として元服したとは、すごいですね!!家康にとっても康政にとっても、大樹寺での出会いが、大いにその後の歴史を作って行くきっかけになったわけですね。武勇だけではない知略にも優れていたのは、後に軍団長まで出世し、26歳にして徳川家の重臣として他国から認められていたということからも、分かります。小牧・長久手の戦いでは、主力として戦いながら、秀吉が信長の家系を断って天下を取ろうとしているという高札を立てるとは、見事ですね!名案です。しかしもっと驚くのは、この後秀吉に憎まれるどころか賞賛され、豊臣姓を与えられ豊臣大名となったことですね!!徳川、豊臣両属状態とは、初めて聞きました。関ヶ原の戦いではどちらにつくか迷うわけでもなく、巧みに動いています。そんな無敵の康政でも、本田正信とは相容れなかったというのは、人間らしくていいエピソードですね。康政死後は、榊原家もいろいろ大変だったようですが、なんとか危機を脱し存続し、明治時代まで続くのは、大したものです。

  3. 画像のお城良いな!と思って調べましたら、動画で触れていた越後高田城なんですね!
    良いお城ですね!行ってみたい!

  4. 武勇伝も凄いけどこの人の真価は調停者
    だよね秀忠の遅参の取りなし
    二人の共通の友人だった忠勝と直政の
    取りなしとか
    館林では現在でも 名君として慕われているとか

  5. 康政に、スポットを当てられ
    知らなかった事も有ったので、
    勉強になりありがとうございました。

  6. 徳川家臣に人は多いですが、戦場の逸話の多さで言うとこの榊原康政か本多忠勝かになりますね。
    どちらも秀吉から再々スカウトを受けながら徳川家から離れない辺りもまた魅力ですよね。
    晩年本多正信親子を快く思わぬながら権を競わなかった所は豊臣家の轍を踏まない康政の賢明さを感じます。

  7. 榊原康政は豊臣康政名義で従五位下式部大輔に叙任されている。

    これは、直江兼続が豊臣兼続名義で従五位下山城守に叙任されていることと同じで

    陪臣の身で豊臣秀吉からも重要視されていたことがわかります。

  8. 榊原康政の挑発に怒りに任せて懸賞首を当てた時点で秀吉は冷静差を失ってますよね。

  9. 榊原康政は文武両道、智勇兼備の万能型武将で三国志でいえば趙雲でしょうか。手柄を立て順調に晩年まで出世しましたが、最晩年はどうしても関ヶ原の戦い(上田城合戦)での秀忠の失態の責任を負わされた感があります。康政の取りなしで秀忠は家康から許されたとありますが、家康からはお前がいながら、このざまは何だと詰問されたと本で読んだ記憶があります。本多正信、正純親子と仲が悪かった事も関ヶ原の遅参に繋がったと思います。最期は失意の内に病死したとも本で読みました。

  10. 自分の名も奥さんに教えてもらうまで書けなかった本多忠勝と違い、大樹寺で家康に出会った時の
    榊原康政は石田三成ばりに学問もでき、家康の書状を代筆する祐筆や年貢の受け取り状の署名も
    してるんだよな。三成と違って忠勝に匹敵する軍功を上げてたんでヘイトが全く無いどころか尊敬
    されているのが大きな違いだな。毒舌家だが味方に毒舌はしないし、本多正信、正純父子を嫌って
    いたと言うが実際は自分を神輿に担ぎ上げて本多父子を除こうとする大久保忠隣をもっと嫌っていた
    ようで「老臣が権を争うは家の乱れ」と言ってさっさと引退してるんだな。

  11. 本多忠勝は個人の武勇伝が多いが榊原康政は軍を率いての武功が多い 
    徳川躍進の武将なのに影薄めなのは無念

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