1942年8月8日、米軍がガダルカナルに上陸した翌日。ラバウルの第四航空隊と三沢航空隊の一式陸攻が魚雷を抱いて1040キロを飛び、ツラギ沖の輸送船団に海面すれすれで突っ込んだ。この写真は、その瞬間を輸送船の甲板から撮った実写である。
ブーゲンビル島の沿岸監視員ジャック・リードが到達の80分前に機数と針路を通報し、船団は荷役を止めて水道に出て一斉回頭で待ち構えていた。23機のうち、魚雷を落とせたのはわずか3機。帰ってきたのは5機だった。それでも報告された戦果は17隻撃沈破で、翌日もまた飛んだ。
機上で白飯と味噌汁の朝食をとっていた電信員の証言、戦死した二人の中隊長の顔、米海軍の記録、戦史叢書で、この一枚の前後をたどる。
▼ 映像について
事実については複数資料を参照していますが、間違い・補足があればコメントで教えてください。
▼ ナレーションについて
音声読み上げにはAI音声生成 ElevenLabs を使用しています。
日本語は同じ漢字でも複数の読み方があり、特にこうした歴史用語は学習データが少ないため、AIの読み上げが破綻したり不自然になる箇所がありますが、ご了承ください。
この技術も日々進化しているので、今後さらに自然になっていくはずです。
https://try.elevenlabs.io/faobkrcn4shu
▼ タイムスタンプ
0:00 高度10メートルの一式陸攻
1:58 8月7日、ラバウル
3:45 夜の命令、目標は空母
5:19 午前5時30分、白飯と味噌汁
6:36 80分前に知っていた
7:57 午前9時50分、突撃
9:44 燃える機体で、重巡洋艦へ
12:32 午後1時15分、単機で帰る
13:55 その夜、内地のニュース
14:59 翌日、また飛んだ
17:00 生きて帰った男たちのその後
▼ あわせて見てほしい
山本五十六の墜ちた一式陸攻の実写。待ち伏せたP-38は16機、護衛の零戦はわずか6機。2分間の空戦を日米の記録でたどる、山本長官機を守れなかった6人の悲劇
https://youtu.be/0SirFtHcTbw
202機撃墜。日本海軍最多の撃墜王・岩本徹三の生涯。妻が十数年しまい続けた大学ノート3冊に残した空戦7年半
https://youtu.be/pX1lYsS4moo
この写真の魚雷を撃ち終えた雷撃隊は、火を吹いたまま敵空母へ体当たりを敢行した。真珠湾で最初の魚雷を撃った村田重治が率いた雷撃隊、最後の攻撃。撃たれる側の米兵が撮った空母ホーネット撃沈の実写
https://youtu.be/IdVHS_uEPNQ
【特型駆逐艦吹雪型全史】世界の駆逐艦を一変させた革命の艦
https://youtu.be/N40TzTnvRiI
【坂井三郎】片目を失っても飛び続けた大空のサムライ
▼ 参考文献
防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南東方面海軍作戦〈1〉ガ島奪回作戦開始まで』pp.451-461 / 佐藤暢彦『一式陸攻戦史』(光人社NF文庫) / 『海軍戦闘機隊史』 / Naval History and Heritage Command 80-G-17066・NH 97751・NH 97753・NH 97766・NH 69117・80-G-K-383・80-G-19205 / NHK「日本ニュース」第115号(1942年8月18日検閲合格) / Wikipedia「第四航空隊」「第一次ソロモン海戦」「USS Jarvis (DD-393)」「USS George F. Elliott (AP-13)」
昔の日本人はこんなに素晴らしい人々なのに、それに比べ自分は、同じ日本人なのか?
ゴミ以下で、役立たずで、無駄飯ぐらいで、なぜ、自分みたいなクズが生きているのか、涙が止まらない。
親戚の一人が特攻隊員でした 必ず死ぬ攻撃なので怖さを紛らわすために夜は近くの飲み屋に相当カヨツタそうです 特攻命令の前に終戦になり生きて帰りましたけど死の怖さが終戦の後も続きアル中にナツテしまい戦争終了の8年後も庄内平野の親類回りで酒を飲んでました 5歳程でしたから最低1945年から7年間は飲んで歩いてたわけですね❗戦争は何も良いことを残しません
説明文が面白い😂
先の大戦で亡くなった空の英雄たちに合唱😑
91年に配布された中学歴史教科書に掲載されており超低空写真に衝撃を受けた。
当時の海軍は、4発の深山でこれをやろうとしてたんだからな。さすがに無理でしょう。
海面すれすれを突っ込んだ一式陸攻隊の雷撃から、ガダルカナル戦の凄まじさと搭乗員たちの過酷な運命が伝わってきます。
昔の日本国民は、とても勇敢でした。今では、日本国内では、中国人など外国人に、日本国民は制圧されています。
感動 感謝しかないよ・・・
航空隊の皆さん、そして一式陸攻 国の為にありがとうございました。
そして・・現在の祖国をどう思われますか?
三川艦隊が輸送船団を攻撃しなかったことは悔やまれる。 そもそもアメリカ艦隊は輸送船団を護衛するためにあった。 そのアメリカ艦隊はほぼ壊滅した。 輸送船団を壊滅させる事は簡単だった。
輸送船には 兵員 火器 弾薬 分解した戦闘機 戦車 ブルドーザー 等満載だった。 これらは無傷でガダルカナル島に陸揚げされた。 沈めておけばよかった。
組み立てた戦闘機を撃墜するは難しいい。
超低空で侵入するのは、高角砲や機銃の弾幕を
かいくぐって敵艦に可能な限り近づく為であって
魚雷を落とす為に超低空で迫ったわけじゃありませんよ
写真でもわかるように、高角砲の弾は一式陸攻の
上方で爆ぜています
この頃の日本の凄いテクニックや精神性は移民国家日本となりつつ現在ではロストテクノロジー😢
帰還機があったのに帰還者ゼロとな
最初の写真3機とありますが、昔この写真は見た事はありますが、もっとたくさん飛んでたような2機目と3機めの間の奥の方にも1機が見える他にもあったような気がしたけど、最近目悪いし、写真写りも悪いしもうないかな?
この高度、
この機体で、
零士です🫡
人命をかるんじた大本営の無能さが敗戦につながりました。ガダルカナルの動画を見るたびに悔しさで腹が立つ。ジパングで描かれた大和からの艦砲射撃が実行できたなら、46センチ砲が初めて役に立っただろうに
この戦いには、確か零戦も護衛のために一緒に飛んでるんだよね今の戦闘機と比べても増量タンクで3000km飛べる零戦すごかったね
16:16
一式陸攻の形いろいろおかしくない?
囮役の陸攻の勇気と使命感も凄いと思う。少しでも成功率を上げるために真っ先に撃ち落とされる覚悟で味方を助く。正に滅私奉公ですね。
一式陸攻の海面すれすれの有名な写真ですよね。
海に堕ちたあと撃たれるのか…😢
一式陸攻のパイロットと乗組員は非常に勇敢だった。 Type 1 Land Attack Bomber pilots and crews were very brave.
日本もドイツもアメリカ、イギリスと違いパイロットをこき使いすぎ
私は今54歳ですが、この動画を見て亡くなった祖父のことを深く思い出しました。
小学校低学年の頃、田舎に帰ると祖父の農作業にいつもベッタリで、孫の中でも特に可愛がってもらいました。
夕食後には決まってアンマ機で祖父の腰などをマッサージするのが日課で、そのときに旧陸軍兵士として満州から帰還したことや「お国のために」という話を聞かされたものです。
祖父は菊の御紋が入った金杯をとても大切にしていました。満州の硬貨などは気前よく私にくれたのですが、その金杯だけは触ることも許されず、「よっぽど大切なものなんだな」と子供心に思ったことを今でも鮮明に覚えています。
祖父にとって、あの金杯はいろいろな記憶が詰まった本当に特別なものだったのだろうと改めて思いました。
戦争を美化するつもりはありませんが、かつての日本人が命をかけて守ろうとしたこの国を現代に生きる我々も次世代に引き継ぎ、この国の歴史、記憶と共に紡いでいかないといけないと思います。
簡単じゃないのに素晴らしい編集です!
感動をありがとうございましたm(_ _)m
神がかりの上級官僚は命令の言葉を空読みしていればその日の業務で満足だ。今日の審議とやらも空答弁のやりとりで税金の取得も無税か。
当時の米海軍は、危険すぎるという理由で、双発機(B25など)による雷撃という戦法は採用しなかったみたい。
双発機(さらに4発機)による雷撃にこだわったのは世界的にみても日本くらいかな。
(九六式陸攻、一式陸攻、銀河、靖国、深山、連山・・)
涙が出ます。
既に前線搭乗員に杜撰で無理な作戦を強いているような・・・国力に乏しい日本海軍が1回の攻撃で大損害を出すような、こんな戦い方してたら攻撃の続行が困難になることぐらい上層部は理解できなかったのだろうか
航空魚雷1発しか積めないのに撃墜されるとB-17に迫る7人の乗員が戦死する…