豊臣秀吉は、なぜ徳川家康を殺さなかったのか?【戦国武将の経営理論】#入山章栄 #本郷和人 #世界標準の経営理論 #歴史 #ダイヤモンド社

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46 comments
  1. #3 家康が信長を「裏切らなかった」経営学的理由、戦国武将の戦略をゲーム理論で読み解く【動画】

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  2. この人は、何処から来たのでしょうか 大和の作法言葉も知らず立ち尽くすだけだったと記録に残っています

  3. 秀吉が家康を倒そうとした時に大地震があって頓挫してる。余裕で勝てなくなったとかね。あと昔の人だと天命とか気にしたんじゃないかと。

  4. 【天が家康の味方をした】
    決断した時に地震という天災で秀吉は怯んだ❗
    秀次を排除した時点で自分の没後に遺言を遺そうが、どうなるかは織田家で学んでたたはず。

  5. 戦術的には家康の方が上かも知れないけど戦略的、政治的なら秀吉の方が上。

    家康が勝っても所詮は局地戦でしかない。

  6. やっぱ暗殺されちゃったけど織田信長が一番好きだ。戦国時代を暴れまわって50手前で華々しく散るなんて最高やん

  7. 源平合戦も、富の西国を坂東武者が倒す図式でした。
    家康公関東入府は、兵(武力)を養うという面で徳川を利するものだったと思います。
    都から見れば、坂東の地、華麗なる座敷牢のつもりだったと思います。
    加えて…文禄、慶長の役に徳川家は最終的に渡海しなかった。これも大きかったですね。

  8. 自民党に置き直すと、何故、媚中派は高市早苗を潰さなかったのかということ。

  9. 家康が75まで生きるなんて秀吉存命時点では誰もわからないし、秀忠が外戚になることを奨励しているから、晩年の秀吉は「徳川家を信じて委ねた(なんなら、それ以外に豊臣家の安全は守れないと考えていた」んじゃないかと思います

  10. 殺さなかったではなく殺せなかったが正しいのでは 小牧長久手で倒そうとしたけど家康強くて倒せなかった 妹と母親を人質に送ってそれでも臣下にならないならやってる予定が臣下になるよ 北条を潰して関東に追いやる抵抗すれば今度こそ終わらせるつもりがこれも無抵抗で倒せない結局死後に天下を奪われる

  11. 家康を打倒しようとするならもれなく北条との連合で対抗してくるから。そうなると天下統一がかなり遅くなり展開によっては島津や長宗我部辺りの減封された大名が離反して益々ややこしくなるから。

  12. 自分的には天下を統一していることを示したいから無駄に争わないようにしてたのかな。と思った。キリスト教も広まって来てて日本人同士で戦う必要は無いと思ったのかな

  13. 「天正地震さえなければ家康を滅ぼせてた」はなんかこうダウト 九州や小田原の征伐はその後だから 天正地震で準備が遅れたとしても滅ぼせたなら滅ぼしてた気がする 家康の政治力まで含めた底力を評価し「滅ぼせない」「取り込もう」と判断したのでは

  14. 小牧・長久手の戦いで勝ったこと、
    天正大地震がおきたこと、
    家康が無理に抗い続けなかったこと

    この3つじゃないかな

  15. 日本史上最大の失敗が豊臣秀吉の徳川家康討伐の挫折、天正地震ですね。徳川討伐に成功していれば、豊臣300年政権が「自由で開かれたインド太平洋」、「環太平洋パートナーシップ」を主導して、日本人は大いに繁栄していた。

  16. 考え過ぎかもだが…
    信長時代の越前朝倉攻めで浅井の裏切りによりセンガリを務めた秀吉に家康が協力したことで、少し家康を信頼する気もあったのでは😅
    小牧の戦いで痛い目をみた秀吉は、とくに無理し過ぎたくなかったってのもあるな😂

  17. 小牧・長久手の戦いで本当はケリをつける予定でいたのが野戦の直接対決では家康に勝つのは難しいと踏んだんだろ。
    家康は信長のバックがいたとはいえ、常に武田、北条と睨み合って実戦ノウハウは一日の長があったし。

  18. 家康は信長を決して裏切らなかった。秀吉はその姿を見ていたから、その家康を信じたかったのかも。

  19. 実は途中から自身の子孫に政権運営させるのを色々な意味で諦めていたとか…。
    没後の顛末を我々は知っているから生前からの潜在的な脅威と認識しているけど、秀吉自身は本当にそうかどうか分からない突然現れた自分の子どもより自分が作った体制の方が案外大切だったんじゃないだろうか。

  20. まぁこいつもそのうち死ぬやろと思ってたんじゃないかな?5歳しか違わないし。まさか自分の死後20年近く生きるとは思わないよ。

  21. 家康を倒すのには、何か気後れするものがあったのでしょうね。ただ、やはり関東に移封させないで手元に置いて、いずれ因縁をつけて潰してしまえばよかったと思います。

  22. 北条、島津、徳川と一番弱い徳川にこれだけ手間取ったのを感じて仲間にすることにした。もちろん地震が起きたことへの方向転換だと思いますが…

  23. そもそも毛利輝元も長宗我部元親も島津義久も北条氏直も上杉景勝も伊達政宗も生きてるのだから、大大名の当主は殺す方がよっぽどレアケース

  24. 家康以外にも危ないのはうじゃうじゃ居たから、不条理に家康をやってしまえば他の大名達が疑心暗鬼になって必ず裏切るようになる
    戦国時代に逆戻り

  25. そもそも、徳川家康は初めから天下を狙っていたのかは分からないですね。成り行きで天下を狙える立場になっただけなのでしょう。だから、豊臣秀吉は徳川家康を殺そうと考えてはいなかったのかもしれません。
    人間、そこまで「未来に対して計画的」なはずはないのです。未来人が歴史を逆算して語っちゃいけないんですよ。
    少なくとも、家康はこのときまで「天下一の律義者」として通っていたんです。これは客観的な事実ですし、主観的にも「猫かぶり」ではありません。石田三成は「真実を見抜いていた」んではなく「対立派閥にいたせいで色眼鏡でしか見られなかった」といえます。死に際の秀吉は、家康を信頼していました。
    そのあと十数年で事態がどう変わるかは、別の話です。

  26. 信長のいないスキに秀吉自身が天下を取る機会を手にした。家康の有能さは認めているが、有能だからこそずっと家康を戦国武将として警戒しなければならなかった。そのためいつでも牽制できるように手元に置いておかないと不安が尽きないと感じた可能性はあると思う。

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