【】ザ・横山雄二ショー 25.11.29

【】ザ・横山雄二ショー 25.11.29



ラジコで話題のRCCラジオ「ごぜん様さま」です
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[音楽] 耳すますから取りの音。 我らが横山裕のひを丁寧についで紡いで編み上げる。こに乗せた上の優しさ。 [音楽] [音楽] あなたに届いて包み込まれる。 さあ、こ宵いもが上がります。ザ横山裕有賞。 [音楽] [拍手] [音楽] この番組は JFE スチール西日本性鉄書の提供でお送りします。 ジャパネット高田創業者高田明はこう言っ ています。 一生懸命やらなかったことが失敗であって 一生懸命やってダメだったことは失敗では ない。 そうね。でも、あの、ダメな人とかを見て たらお前が頑張んなって思ったりとか、 いや、そっち側で頑張ったらダメなんだっ てって思ったりすることもあるよななんて 思ったりします。私が天才横山でござい ます。この番組は58歳になっています。 私天才横山裕二が広島の大人元を送る1 時間のショタイムということなんですけど 、本番直前にメガマック森下が 渡り取りってかわいそうですねって言って なんでつったらあのね最近渡り取りってね 光っていう光の外が与えられてたくさんの 渡り取りがなくないるんだと。で、その光 の害、光っていうのはね、どういうことか というと、本来だったら渡りが飛んでる じゃないですか。バーって パタバタバタバタバタバつって寒寒 ちょっと鳥肌が立つみたい。いや、お前鳥 じゃんとかって思いながらパーって飛んで ます。だからお月さんが自分の上にある っていうのをDNAが知ってんだってなの でその法学とかさ、自分の平行感覚みたい なが保たれるのよ。ただ最近ワり取りが 飛んでるといわゆる人間が照らす光、日常 の例えば夜中に家の電気が付いてますとか さ、なんか街灯が付いてますとかみたいな 光が下にあるもんだからその方向とかさ、 いわゆる平行感覚が分かんなくなってもう 変な飛び方になってどっかにぶつかって なくなっちゃうみたいなことになってる らしいのよ。で、それを渡り取りって 本当かわいそうですよねつって。って言っ たから、それどこの情報テレビでやってた んですけど、 もう近所のおばちゃんじゃん。もうテレビ で会ったことをさにへえとかさもうちの5 月の死んだ母きよとかさテレビ見ながら ずっと頷いたいとかああそんね本当ねと かって言いながらいや話し相手じゃないん だよとかって思いながら設定日々を過ごし てたけどそれに近い感じでああそうなんす かつって今ちょうどテレビでやってますよ つって本当だって言いながらで俺 もかわいそうだね人間がねこういう風に するんだもんね。うーって言いながらそれ がどうしたみたいな感じなんだけどさ、 あるじゃん。人間でもさ、例えば有事賞で 言うならばさ、有事賞ってやっぱほら ゲストトークがメインだったりとかする から今たった今来た人とはい、会いました 。はい、横山です。はい、ゲストです。 じゃあよろしくお願いします。今からお 20分とか25分ぐらい話を聞いてで、 その後曲かけてで、そのまんまもう生放送 と同じようにそのまんま使いますからね。 つってで、万が一 NG事項とか、あ、これ言っちゃダメなん すよとか、先ばしっちゃって言っちゃだけ ダメなこと言っちゃったんすよみたいな ことがあったら後から切りますけども、 このまんまとりあえず行きますからね みたいな感じになるのよ。で、俺がいつも 心がけてることはさあって感じじゃなくっ て、なんかすっと入り、すっと入りたい みたいな気がするのよ。たら大体ゲストの 方がさ、あれ、もうこれ収録入ったんです か、もうって言って、あ、入ってますよ みたいな感じですって入るとみんなね、 やりにくいみたいなの。 俺はその方がなんかそのまんま入っていけ ますよねみたいな感じがするから普通にさ 、話しかけながら、ま、ほらインタビュー 番組とかでありがちなさ、広島には何度目 ですかとかね、なんかお焼きはもう 召し上がりましたかとかみたいな。だから そういうのは聞きたくないからでもま、 そういうのを聞いた方が向こうも安心する だろうなと思うからすぐ座ってさ、広島 今日怒られたんすかと思って。いや、昨日 から。あ、そうなんですか。昨日から、え 、てことは夜はあれですか、お焼きですか ?ああ、そうすか。うん。よっこいしょっ てあげて、それでねつって言ったところ から、もうそこから本編に入りますよ みたいな感じの普通のトーンで入りたい から、あれ、これはもうあの収録に入っ てるんですか?て、あ、そうですよつって 。あ、じゃあじゃ、じゃ、じゃ、じゃじで またこっから仕切り直すみたいな感じに なると、もうせっかくムード作ったのに、 ただ俺が分かりにくかったんだろうな みたいな。光みたいな。本来だったらこう いう風にしなきゃいけないところをなんか わかんないけど広島のさ、あのベテランの アナウンサーの人がさ、変な収録の入り方 してさって言われるんだろうなって思っ たりすんのよ。だけどあるよね、ああいう ことね。なんかこう人と人とが出会う時と かにさ、あ、ここで出会わなかったらこう いう関係にならなかったっていういいこと も悪いことも両方あるじゃないですか。で 、俺さ、今週さ、講演会があってさ、で、 もうなんかいわゆる講演会に呼んで くださった方々と誰と話してもしっくり話 が噛み合わないみたいな 何なんだこの人たちはとかって思いながら イライラするわとかカリカリすんなとかっ て思いながら公演の時間を迎えで80人 ぐらいの方が来てくださってさ、拍手で 迎えてもらってた。あ、どうもどうもつっ てで、なんか司会の方がさ、俺の経歴とか を紹介するのさ、え、今日講演をして くださる横山裕二さんはRCCに平成元年 に入社され、36年間テレビやラジオなど で活躍をされました。最近では映画監督や 映画のプロデューサー、また東日本大震災 の復興支援のチャリティライブなどもされ 、その議元金総額はおよそ3000万円を 超えていたりします。そして最近では作家 としても小説を出されみたいなそんな横山 裕二さんが来てくださいました。皆様 大きな拍手でお迎えくださいみたいな。 わあってなってじゃあよろしくお願いし ますみたいなね。今ちょっとご丁寧にね、 あの、ご説明を受けましたけれども、私が 改めて天才横山でございますね。作家の 先生だったりとかね、映画監督とかね、 ちょっとみんな笑ったりとかしましたよね 、みたいな、ちょっといじったりとかし ながらで、あの、成り止まないね、 たくさんの拍手で迎えていただきまして、 あ、成りやんでますね。あれ、おかしいな 。あり山ない拍手ありがとうございますと かって言いながらいじったり引き離し たりったり引き離したりでずっとああなる まで拍手でたくさんありがとうございます 。いや本当ねうるさいですよいつまでもと かって言いながらまあみたいな感じその辺 でなんとなくこうムードがつめたりとか するのよ。そこでさ とか反応がないっていうところがあったり とかすると待て待て待て待て。これは俺が 公演をする前にまずデーモン小ぐれが来て この人たちを老人形に この人を老人形にした後ではないかって 思うぐらい、え、ちょっと生きてますって いう人たちがガーっといたりとかする場合 があんのよ。ああいう時にどんどん どんどん自分でさ、入り間違ってしまった もんだから急いじゃうし面白いこと言わ なきゃいけないと思ってもうなんか後から 取っとこうと思ってたような必殺のネタ みたいな。なんかもうウルトラマンが出て きてへーって言った瞬間にピーって スペシムビーってやるようなもんだったり ウルトラセブンがへやって出てきて いきなり何もしないのにアイスラッカー バーっつってハゲみたいなバーみたいな もういきなりえ戦わないんだちょっとず ほぐレスとかしないんだみたいなもう いきなり出さなきゃいけない状態になって 出したけどやっぱり老人形みたいな時そん 時にあいた普通に入ればよかった。もう 全然面白いとかじゃなくていいんだ、この 人たちはって。ただあの天才岡山ですとか つってあのRね平成元年に入社しで いろんなことをしてきたんですけども、ま 、そもそもはね、スポーツアナウンサーと して入ったんですけどみたいな、もう普通 に入れば良かったものをなんか面白いこと 言わなきゃいけないんじゃないかとか、 ちょっと人いさせとこうと思うところの 入り口が 間違っとった。 今日はこっち側じゃなかったってなった時 の最初の10分とかさ、15分とかさ、 もっとや30分ぐらい喋った後におい、 あとこれ1時間あるぞ。この子 大丈夫か俺みたいな。で、心の中で頑張れ 頑張れ。頑張れ頑張れ。わあ 。さあ、えっとね、改めてまたみたいな、 もう気持ちをさ、切り替えないと全然ダめ ですよみたいなのだったのにこの間はさ、 その来てすぐにさ、会った人たちとなんか 噛み合わないけど、むちゃくちゃいい公演 でさ、俺もようやくこの世界に入って36 年心臓に汚えたわとか心臓強くない?これ が爆発を踏むってことなんだなとかって 思いながら今日もたった1人でスタジオに い、そしてマイクの前に語りかけながら皆 さんと共に楽しい時を過ごそうと思う。 週末の夜の都のステージングザ横山有事賞 。今日もごゆるりとお楽しみください。 サンタさんがおもちゃの確保に汗水 垂らしている今日この頃街行く人はどんな 姿を私たちに見せてくれるんでしょうか。 街実況中継今日はとあるおもちゃ売り場 からお伝えします。解説は街坊っちゃ山田 さんです。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 クリスマスの準備も大変ですけど、年賀状の準備をしないといけませんね。 そうですね。私 12を覚えるのが苦手なんですよ ね。最初っから行ってみてくださいよ。 行きますよ。ねえ、牛。 呼びかけてるわけじゃないんです。ネズミと牛でねえ牛。 ねえ、牛とラウ とって何なんですか?しかもラウって何ですか?とらうですよ。虎とウサギで虎ラう ねえ。牛と虎ラウ卓。 なんでですか?辰関係ないですから。 ああ、すいませんねえ。牛とう、吉田卓 [音楽] もっと関係ないです。 すいません。私ええ加減なやつじゃけ。 吉田卓郎さんの唇を噛しめてでしょ。それ ねえ。牛たらう川神卓郎 誰ですか? 地元の友達です。 全然関係ないでしょ。しかもたみなくなってますから。 あ、辰の残しですね。ねえ、うとらう、辰。うまい。羊は人ギスカ 違います。え、ラムチョップ派ですか? そういうことじゃなくて馬羊です。 厳しいなあ。ねえ、牛とウー、立つみ、馬羊、サルトリーヌ 絶対違うでしょ。誰ですか、その瀬戸カトリーヌみたいな人?サルトリーヌじゃなくてサルトリ犬。ちゃんと区切ってください。 サルトリ犬 区切りすぎですよ ね。牛とウー、辰、馬、羊と鳥犬い、辰 [音楽] もう辰さんはいいですよ。 街実況中継解説は街おっちゃ山田さんでした。ありがとうございました。 ありがとうございました。 今日はとあるおもちゃ売り場からお伝えしました。 [音楽] キングコング&Dジャングルガールズ で恋のブンブンダラー。そして開拓団で 街角実況中継とあるおもちゃ売り場編って ことでしたけど、あのね、辰さんネタね アウトですよ。辰卓郎さんに俺何度か仕事 させていただいてるんですけど、仕事する たびに辰卓郎だっけ、匠達郎だっけって なっちゃうんですよ。で、こんだけ分かり にくいから本人も間違ったら笑ってくれる んじゃないかと思ったけど間違うと怒 るって。ま、そりゃそうだよね。自分の 名前だからさ。いくら分かりにくいとは いえ、そこはちゃんと覚えてきなさいよっ ていうことになるんだろうけどいや、ま、 なんとなく雰囲気で言えばいいかと思った けど、もう怖くなってさ、あて、もう、 もう、もうさ、どっちでもいいみたいな、 もう口を閉じないね。とことで、今日は さんに来てもらいましたけどもね、田さん ね、よろしくお願いします。 さあ、田中さん行きますよつって、もう最終的田中さんに聞こえるぐらい雑に言わないと怖いってのがあったりするんですけど、え、この方も、え、こんな経歴なのか全然知らんかったわっていう過去を今日は語っていただきました。 横山トークショーゲスト ボーカル安引きるロックバンドローラン元マネージャーマン谷元の信の信谷元ランネージャーストは中学から [音楽] [拍手] [音楽] の親友学生時代は安のイベント出演の手伝いやデモテープなどの作成を担当していました。 [音楽] 大学卒業後に米し、被告後ローランのマネージャーとなります。 その後は歌オフィスやスターダスト楽出版で吉田卓郎やを担当。 現在は広島で業を継ぎながら安やローラの活動をサポートしています。 今回11月21日金曜日に安ご入り EP愛のためにが発売になりました。 [音楽] あの有事賞 はい。 では出演回数が 最田 はい の人間が安さん はあ だったんですよ。 でその八さんがボーカルを務めていたのがローラで はい。 で僕はその広島規て 1番最初に はい。 友達になっていただいたのがもうローラの皆さんみたいな感じがちょっとあってでマンさんはマネージャーだったじゃないですか ね。 なんでそもそもそのローランのマネージャーにマンさんがってことになったんですか? あ、それはあの、ま、ローランのマネージャーというより、えっと、安の指摘マネージャーを子供の頃からやってたっていう感じですかね。 子供の頃から。 子供は中学校からですけどね。 はい。はい。はい。 で、ま、中学校で出会ってで、あの、はい。 もうあの頃からもう抜群の小力、演奏力があってもう飛び抜けてたんですよ。 で、その頃でみんなこうバンドとか音楽とかやりたいじゃないですか。僕もギタとかやろうと思ってで、おここにうまいやつがいると思ってで 一緒にやりたいなと思ったんですけど、 あまりのうまさに、あ、これは一緒にできるレベルではないなと。 あの、前、 それこそヤさんを忍ぶ会がライブカフェジャイブで行われた時に やさんの中学校時代 はい。 の文化祭かなんかで はい。はい。はい。 歌ってるカセット はい。 をかけたんすよね。もう、 もう今もうこの時出来上がってた。 変わらないんですよ。 あれすごいすよね。 すごいですよね。 あんだ子が中学校にいたらそれちょっとモンスターみたいな ですよね。 ね。 はい。 そうか。あの時からじゃマンさんは そうです。そうです。 やさんついてたんだ。 そうそうです。だからなんかこうい家も近かったのでなんかあるたびに僕が腹見たくてくっついて行ってなんか手伝うよってから始まってでそのうちに僕機会が好きなんでうん。 ちょっとした簡単なPA 機会とか録音機会をちょっと買ってで、これ使ってって言ったら高校生の時かな、あの初会一高校なんですけど、そこのなんか 学職の上のホール うん。 そんな広くないんですけど、そこでやるからじゃ、そのままんちゃんそれ持ってきてよって言われて自転車でそれ持っていってスピーカーとかはい。 で、そこであぎでライブをするっていうのをちょっとや、 PA でやってみたりとかも本当マ事みたいなピですけどはい。うん。 で、そのうちに今度はレコーディングの機会をちょっと買ったんで 録音してデモテープを作って、だから最初に僕が録音したのは安の声で うん。うん。 で、それをだからそれこそお兄さんも一緒に来られて 2人でコーラスをどんどん重ねていって うん。うん。うん。うん。8 人ぐらいのなんかゴーラスで はい。 を作ってこれすげえってみんなで喜んでって遊んでたって感じですよね。 へえ。じゃあ俺たちが俺は音楽じゃなくて映画だったのであのみんなでビデオがあるからつってで学校にビデオ持ってってでみんなでちょっと簡単なシナリオとかで映画作ってて編集したりとかしてうわすげえ映画みたいになっちゃうとかってやったけど あれの音楽版だ。 そうです。まさにそうです。まさにそのはいはい。 でも、だからもうその段階でひょっとしてこの人はプロとして音楽で飯を食っていくのかなみたいな気配はあったんですか? もうそうですね。なんかもう本人はもうプロになるっていうイメージがもうあったと思うんで。 で、実際に中学校の時にあの横さんもご存知と思いですけど、押川先生、中学校 はいはいはい。山内毎回来てくださっててね、今ね。 そう。で、あの、川先生がその本当に安が相談しに行った時にやお前歌なら うん。なんとかなるよって。 うん。 ただ見たくがなって言ったらしいんですけど、当時。あの、当時ね、あの、あが [笑い] 何?天然パーマって はいはいはいはいはい。 で、くるくリくリです可愛い感じなんですけど、 お前見てくれかなって先生は言ったって言ってんですけど、でもま、でもその歌手になれるってことを信じてもうあの、もうデビューすることを目指していろんなことをやってたと思いますね。 だから最初フォークだけどだんだんロックが流行ってロックに移でバンドも組みっていう形でバンドを作っていってでその時に僕は要所要所こう手伝えるとこ持っていってあげたりとかギター持っていってあげたりとかたその中であの皆さんご存じたと思うんですけどその当時広島ではそのバンドのコンテストがすごくたくさんありまして うんうん でその82年かなそん時は ベストボーから全部安が通ったって言って はいキッカーさんとか出てて にもかわらず だからやさんは未だにっていうかもう生きてる間ずっとず あのキッカーとわしは同い年で今じゃこうなっとるけどあの高校の時はベストボーカ者はわしじゃけつってもうか落ちみたいそうです。そうです ね。だからそれも一緒に行って手伝ったりとかそんなことずっとやってましたね。 はい。あでそうやってバンド組んでいった。 はい。 で、こやってるうちにそれコンテストとかでどんどん通っていくで決まっていく で全国出ていく。 はい。 で、いきなりバーンってCM ソとか決まって、まあ、花しくデビューしたじゃないですか。 はい。 で、あの辺の時とかは満さ的にはどう思ってた?やっぱ来たかっていう感じだったんですか? 実は。 うん。 あのデビューの時に僕一緒にいないんですよ。 ほほほほ。 っていうのは、えっと、僕はそのさっき言ったレコーディングをしてたんで、 レコーディングエンジアになりたいうはい。てなって、 えっと、安が東京に行くタイミングで僕はあの、ロサンゼルズの方に留学しまして まさんロス行ってたの? 行ってました。 ほう、ほう、ほう、ほう。エンジアになりたくて。 そう。エンジニアになりたくて はいはいはいはい。 で、その語学校から始まって、で、ミュージックス行って、 で、たまたまそん時にあの、ちょっとずれちゃいますけど話が X が初めて海外レコーディングするっていうプロジェクトのスタッフの 1人と仲が良くてうん。うん。 で、手伝わないって言ってちょっと手伝ったりとかしたりまして、で、その後あの新サイザーであの一時有名だった郎さんって郎さんはい。もう第 1任者。 うん。うん。 あの、新生の大臣の、あの、北さんのスタジオで働くことになったりとかして 色々やってたんですよ。 で、そんなある日安が、ま、僕もそのこのまロサンゼスってメカでどうなんだろうと思ってる時に うん。 いや、実はちょっと手が足りないから マネージャーやってくれないって。 うん。おうん。 相談があって うん。 僕も今ちょっと悩んでるからじゃあちょっと一緒にやろうって言って日本に帰ってきたんですね。 うん。はい。はい。 だからそん時にもうだからそのそれこそビクトリアとか CMが うんね 入ってて ああ でもそこからようやくですね実はそのビクトリアとかの曲を作る時に僕があの アメリカで結婚式かしたんですけど そん時に呼んで うんうんうんうん でロサンゼスから当時コロナドに住んでたんで コロナドまで車で一緒に はいはい 旅をして うん でなんか色々インスパイアされたんじゃないかなと僕は思ってるんですけど お うん。そうか。そんなかっこいい経歴をまずさん持ってたんだ。 いや、全然かっこよくないですけど。そうでろんなことやってました。 俺まずさんもう初刑時から出てないぐらいぐらいの気持ちでいたけど。そうか。ロス行ったりとかしていやってました。はい。 [笑い] いわゆる音楽で食っていこうだから。安だったら全然違うけど。 そうだからあの元に戻っちゃうんですけど安のレコーディングをしたくてエンジニアになりたかったんですよ。 はい。へえ。すごいな。 やさんもいいしまんさんも素敵ね。 いやいや、ありがとうございます。 おお。はあ。なるほどなるほど。じゃあマネージャーになってからはある意味ローラーがバーっと来た。戦国的に来た。で、でも逆にやっぱそう天井があってというか はい。 少しずつ少しずつあれちょっとおかしいよってなってきてで 1 回ローラー解散してやさんがちょっとソロになります。だからそうやって 流れが変わってくる時にちょうどマさんはいるってことよね。 そうそうです。 はあはあはあはあははあは。なるほどね。だけどある意味 1回ドンと来た でそのいわゆる大人の世界を知ったというか、音楽業界を知ってで、そこからじゃあこっちにあったらそのカ路が見い出せるんじゃないかとか自分のこう立ち位置を はい。はい。 こう安さんが模索してる時期があったじゃないですか ね。だからああいう時に寄り添ってたってことですよね。 はい。そうですね。 そのソロでやるってたにデモテープを作るのに当時別の事務所で僕働いてたんですけどそこに夜中行ってずっと録音したりとかしてましたね。 [笑い] あうんうん。 俺たちもだって俺も会社入ってから映画監督やりたいとか、ま、プロデューサーとかやりたい映画に関わりたいと思ってで自分で撮ったやつを会社にこっそり夜来てでうちのエンジニアの人間に編集付き合ってもらってで、あんだた逃げるぞ、逃げるぞみたいな、もうそれはひたすら繰り返すみたいなことやってたけどそうやってなんかみんなやっぱその儲かるとか儲らじゃなくてやりたいか [笑い] はい。そうですね。 やりたくないかみたいな情熱ですよね、あれね。 そうですね。当時本当にそうでしたね。 あーでも楽しかったでしょ、ある意味。 あ、めちゃくちゃ楽しかったです、その時間は。 ああ、 本当に。だからそれがあったから仕事もできたのかなと思うぐらい楽しかったですね。 で、そっから安さんはそのいわゆるソロになってで、今までローラでその全国規模でやってたけどその路上立ってで 1人で はい。はい。 そのCDを手売りするみたいな 自分の曲を聞いてもらってとにかく音楽を手で届けるみたいなことを始めるじゃないですか。 はい。 でもあれがその初心に帰るというか原点としてあれがあったから結局今みんなとつりができたのはやさんがあれをやったからですよね。 いやも本当にそうだと思います。 あれはだからあの安がちょうど クリスさんって言って事務所であの財さんのコーラスをやっても回ってる時はい。 で、そこの事務所に所しているに、あの、路上やったらって話をもらったらしくて、ま、僕全然僕のた方ないんですよ。 うん。うん。 で、あの、当時、 20 歳ぐらいの女の子がずっとその道具運んで、で、渋谷のもう今ちょっと変わってますけど、 8 校の前でずっと毎日毎日やっててうん。はい。 で、ま、僕はたまたまその時別の広島出身の女の子のあの担当をその別の事務所でやってたんで、その子をちょっと離れた渋谷で路上もやらしたりしてて、だからあのちょっと見に行ったりとかしながらね。 はい。うん。うん。うん。 やってたんですけどね。でもそん時に うん。 やっぱり相当苦しんでたみたいで、特に初め はい。うん。うん。うん。 やっぱり本人としてやっぱりプロでやってたっていうところからのプライドもあるのか教えないですけど、やっぱりそのなかなか歌わないって言ってその女の子が悩んでたりとかして ああ、 頑張ってねって言ってなんかあった言うからって言って で頑張ってもらってでもその彼女は一生懸命支えることによってだんだん輪が広がっていってお客さんも見に来るようになってきて で結局1年かけてしぶうん のチケット売り切って 手売り3000枚 3000枚ですから3000 枚ってすごい数ですよ すごいすよ。だって今のミュージシャンでもその 3000 人キャパのそのステージを埋められる客席埋められるミなかなかいないですからね。 そうですね。本当にそう思います。 それを手売りで、あの、しかも渋谷のところに立ってずっと演奏してそのチケットを履かしたっていうのはものすごい立派なことなと思って、やっぱりその経験がその後やっぱり人と出会うことになっていくし [音楽] で土上のカリスマって呼ばれたじゃないですか。やっぱりそれがやっぱり彼のなんだろう人生の中で 1 つのターニングポイントになったんじゃないかなって本当思いますね。あ、 うん。 ということで今日のゲストはボーカル安 ひきるロックバンドローラン元 マネージャーマン谷元の信さんてことです けど俺たちはもうねいろんなその安さ絡み のイベントに行くと必ずマンさんがいてで まさんがすごいよくしてくださったりとか ちゃんとしてくださるからさまさんまさん つったけどえまんさんにこんな歴史があっ たのみたいな全然知らんかったみたいな ことがいっぱいな まだまだそんなマンさんのお話は続きます。だって今で言うと例えばほら広瀬こさんとかがねその冬ソングの女王になったりとかしてるけどあれはいわゆるスキーの [音楽] CM そうですね のバックで流れてましたっていうので冬になると広瀬小美さんですよとか 夏になるとチューブですよみたいななんかあったけど あれですからね。そうですね。 あれに安さんがね、楽曲が使われてて。 そうです。そうです。そうです。で、しかも小さんと同じタイミングですから。 はい。はい。はい。 ね。 そうです。 なのであそこの位置からはい。じゃあ 1回そのバンド解散してそうですね。 で、1人になってで、じゃあ渋谷の 8校前で1 人の力でどんだけ集められるよって言われてもいいやいや、ちょっと待って。まだ切り替えができんわみたいになるのはなりますよね。 そうですよね。そうなると思いますね、やっぱり。 うん。 うん。だけどそっからその路上のカと言われ始め でんな人たち音楽仲間が そうですね 磁石のようにくっついてくるようになり でいろんな人たちのプロデューサーとかを 始めるじゃないですか。だけど結局なんか安さんってああした方がいいこうした方がいいっていうことよりもなんか優しく包んでて悩みを聞くみたいな プロデュースの仕方だったですよね。 うん。本当にそう思いますね。うん。 だからやっぱり、あの、逆に亡くなった後、そのプロデュースしてもらったアーチストから話を聞くと、 やっぱり悩んでる時にその、いや、お前これがダメだからこうしないよとかって言うんではなくて、いや、今日今回ちょっと残念だったねって言って、で、今度はあのやりたいこともっとやってごらんって言って、どんどんそのやりたいことを、えっと、閉じ込めずにやってごらんって扉を開くような はい。 指導、指導ってちょっと言い方おかしいですけど、あの、アドバイスをしてで、みんなこうのびノびと物事をやっていくっていうのを彼は多分やってきたんだと思うんですよね。だから皆さんそのプルツしてもらった若者はみんなそこに感謝していてで安さんがあのた、いてもらったおかげで私は色々のみノびとやってそれが今の結果に繋がってるんで本当に感謝してますって皆さんおっさりんですよね。 [音楽] うん。 うん。だってね、今で言うとね、あいとかもそうだったりとかするし、みんながやさんってほら才能があると思った人間 に対しての愛をずっと注ぎ続ける 人だったしとかそれこそ青いベンチとかで売れたけどちょっとダメになった時のさスケだったりとかもそうだったりとかしたしだからみんながその安道場みたいなところああ、そうです。安道場いい表現ですね。そうですね。 ね。で、そこに市販のさんがいてで、ちょっと今悩んでんですけどつって、あ、まあまあやってみろ、やってみろみたいな感じでいいじゃないみたいな。 そうです。 ずっとみんなをこう温かく見つめながら育てながらではい。 また自分ではもう一方でメロディメーカだったりその歌詞を自分で書きながら自分で歌うっていうことにもこだわりをずっと持ち続けてで僕だったら例えばその八さんと横山と八の組ませてもらって音楽活動もやらせてもらったしあとは映画で 僕が作った監督作品は全部屋さんが 音楽監督やってくださってるから もう何時でも夜中何時でもやさんごめんなさいのシーンのあの曲をもうちょっともうちょっとなんかないすかった がちょっと待って10 分待ってとか言ってでそれでデータでガーっと送ってきたでこれこれとかいや皆さんもうちょいもうちょいとか何曲作らすんやとかって言われながらお願いしてたけども要するになんかこう才能があるとか自分もやりたいんだと思うことに対してものすごくフラットにうん。ですね。 年が上であろうが下であろうが はい。それ関係全く関係ないですね。 ね、なんか一緒に楽しんでいって結果いいものができたらもうそれに越したことはないよみたいな付き合い方だったですよね。 おっしゃる通りですね。そういう形ですね。とにかく楽しくやっていいものができればいいよねっていう うん。 ね、広がればいいよ、みんな届けばいいよみたいななんかそんな考えだったのでなんか誰でも紹介できるというか。 ああ、なるほど。 その代わりでもやさんが喜ぶような人を紹介したいよねとこっちも思ってたし。 あ、はい。 で、そういう付き合いをずっとやりながら で残念ながら そのミューシャンとしてもプロデューサーとしても頑張ってらっしゃったけども、去年の 5月に水道ガでお亡くなりになって、 で、僕らに知らせてからもう 3ヶ月ぐらいもうあっという間は はい。ま、ですね、 もう心配する時間もないぐらいのそうですね。 時間でお亡くなりになった。 ただあのRCCラジオとしては はい。 うちのチャリティミュージックスの定番曲をやさんが作ってくださってるメロディっていう曲ですけど、 だからもうずっと亡くなってからもう年末なると RC ラジオからもう何百局ってもうガンガンにかかってくるじゃないですか。 本当にありがたいですね。 ね。だからあさんの楽曲がまだ皆さんの心に うん。 届いたりとか響いたりとかするんだよなと思ってましたけど うん。 なんとこの11月に はい。 未発表の 曲を5局 はい。はい。 EP として、アルバムとして皆さんにお届けできましたよと。 そういうことです。 これまあまあその大変は大変だったですよね。作るのはね。 いや、結構大変でしたね。ま、僕は広島いるので直接あの関わってはないんですけども、東京にいる人たちはあの人に声をかけて、え、その楽曲自体が途中で政策が止まってる。 それは例えばそのレコーディングする時間が合わなくてミュージシャンが揃わないとかスタジオが取れないとかでやってるうちにプロジェクトが始まっちゃって止まっちゃったとかっていう曲とがあったので でま安もその亡くなる前にそういう曲なんとかしたいよねっていう話はあのしていて でいろんな人がもう協力してくださってであん時はこうだったよとか確かこの曲はこんな風にやってたよねとか このスタジオでやったよねとかっていう もう 1箇所に集めてじゃこうだね、あだねっていうなんかピースを 1つずつはめていって 作り上げたっていうですね。 ね。で、この5局が はい。 そのいわゆる初出しなんだけどでもライブではもうお馴染みの楽曲ばかりでうん。実はそうなんですね。はい。ね。で、え、この曲 CD 化してなかったんだっていうのがいっぱいあって はい。 で、聞くじゃないですか。 はい。 ただそのヤさんが歌ってる様のつ先立ちみたいになってもうマイクにもう入りたいぐらいの思いで口つけて歌ってみたいななんかあの景色まで浮かぶような歌声だったなと 思ったですね。なんかね。 いや本当になんかうん。生き生きしてるっていうかもちろんもうそん時にもう全力で多分作ってると思うんで。 それがもうほ、なんか今となったらもうなんか懐かしいやら嬉しいやら うん。うん。 ものすごい複雑な気持ちにはなりますけど はい。 とにかくなんかあ、聞けていいなっていうのとやっぱりあの普通 CDうん。 作品が上がって皆さんそれをあのお聞きになってからアーティストのライブがあるんで行きましょうっていう順番が重いんですけど散々ライブで聞いてきたやつをこう うん。 綺麗にまとめて うん。 作ったものっていうのは逆にすごい新鮮で うん。うん。うん。うん。うん。 すごい楽しんで聞けましたよね。 はい。だから なんかこう笑顔景色が浮か。 うん。うん。ね。 で、その5局あるけど4局はいわゆるその なくなるとかなくならないとかってことじゃなくて普通に元気な時に そうです。そうです。 取られていたけども 1 局だけ はい。 そのわゆるもうそろそろ本人の中ではちょっと先がそんなないのかもしれないと 分かりながらでもこの楽曲を残しときたいっていう曲を改めて亡くなる 1 ヶ月前に実はレコーディングされた曲があるんですよね。 はい。そうですね。 だからそれは多分本人が色々自分の作品をもう構成に残したいっていう気持ちが強くて、え、曲を YouTube とかにはね、あげてたんですけども、そん中で完成する前の曲があったので、これはもう是非歌を入れてっていうのをわざわざ機械を自宅に持ってきて録音したっていう作品ですね。 うん。うん。でもあのね、僕らには なんか戦ってくるねとかって言って はい。 また戻ってくるよみたいにかっこつけて はいはい 言ってたけど多分本人の中ではきっとこれはまずいなっていうものだったりとか ちょっと自分が持ってるスピード感とその戦いがちょっと展開が早いなときっと思われてたんだろうなと思いながらも ずっとその 式が迫る中 はい 自分の曲を自分でギター書き鳴らして歌ってでそれ をSNSにずっと はい。 アップされ続けてたじゃないですか。 はい。 だからあれその亡くなってすぐん時は見られなかったけど今見ると うん。 なんか絞り出して魂の全部を乗っけて はい。うん。もう本当そうですね。 ね。なんか体調がいいとか悪いじゃなくて うん。 ベストを尽くしてなるべく 自分の楽曲を その思ったまんま伝えたいみたいな熱がすごいすね。 すごいですよね。 うん。うん。 だからもう僕も最初アップが急に始まった時もちろんその時点で僕は勉してたんですけど アップが急に増えたので あ、これはもうその魂を入れてるんじゃないかなって思って毎回その時は見てましたけど うん。はい。 多分本人も体力がどんどん落ちていくっていうのを感じていたでしょうし うん。うん。 これは急がなきゃいけないって多分思ったんだと思うんですよね。本当に ね。で、そんな中、その 1局だけはてなるけど、でもその 死が分かっていてで、あと 1 ヶ月後に、ま、結果的になくなるわけだけどでも今聞いても はい。 そんなこと未人も感じさせないエネルギーですよね。 あ、もう本当そうですね。あの、ま、普段と変わらないって今言うのがちょいかどうかわからないですけど、普段と本当に変わらない歌です。本当に。 はい。 ね、どれなんですかって言われてもさあ、どれですかねって言ってもいいぐらい損がない ないと思いますね。 本当にあの言われないと分からないんじゃないかなと思うぐらい。 はい。 はい。ね、ぜひぜひあの RCC ラジオのリスナーの方々はその安さんって言うとね、ま、ローラの方っていうのもあるかもしんないけど横山の友達とか あとはいわゆるミュージクトンのメロディを作った人とかなんかいろんな見え方そしていろんな角度で安さんの覚え方がリスナーの方は違うかもしれないけど、ま、これからさっきはしばらくの間はあのチャリティミュージクスのメロディの作曲の方 そうですね が去年お亡くなりになってでその方の温かい名曲楽う たがライブハウスでだけ響いてたものが CDになりましたよと。 で、5枚組ですよ、5 局入りですよ。はい。 いうことだったりするけど、これはもうとにかくヤさんのファンのみならずその広島に住まれてる音楽好きな人たち 1回ちょっと聞いてくださいって。 本ん当すませ聞いてもらいたいですね。 うん。 これでも本当人たちの思いがあるんすよね。 このCD1枚作るっちゅうことのために どんだけの人たちがもう最後まで安は 世話かけるみたいに言いながらもニコニコしながらやってた様はあいに想像できますよね。 いや、もう本当にそのおっしゃる通りでもうみんなそういう感じでしたね。 だから時間を惜しんで集まってくださって はい。 でもその作業自体はあっという間に 済ませてしまってうん。はい。 で、もうあとミックスもしっかりしてっていう感じだったので うん。はい。 でね、ま、この楽曲を皆さんにお届けできるようになったのは友人としても八さんのファンとしても嬉しいなとか思うけど、そんな安さんをしんで、また来月 12月になりますけどはい。東京で 23 日になんかライブが行われるみたいですね。 はい。そうですね。 あの、リースイベントということで今回の楽曲をみんなで聞こねっていうテーマであの安があの昔やっていた家族会議というイベントがありまして、歌の族の会議とあるんですけれども、その家族会議形式で、え、ライブをやりましょうというのがありますんで、是非ぜひ、えっと、場所がですね、あの、 そもそも四、あの、四フバレっていうところがあって、そこの店長さんがやった、あの、天窓というお店があるんですけども、そこは神楽坂に引越しまして、その神楽坂の天窓で、 え、う え、そのライブをやりますんで、是非ぜひ皆さん来ていただければと思います。はい。 はい。12月の23日火曜日 はい。 愛のためにリース記念全局視聴会 家族会議スペシャルということで東京の神楽坂の天窓と いうところで行われますんで、もしもま、行ってますよとかはい。近くにお住まいの方を知ってますよっていう方がいいたら知らせていただいて はい。是非ぜひその安さんの歌声を浴びて はい。いただけたら嬉しいなと思います。 でもこうやってね、まさか僕はね、そのやさんのその広島にいるその、ま、たくさんやさん友人多いからの夜の中の 1人として はい。 いつも番組で馬鹿話してて だけどやさなくなってまさかまんさんと うん。 安さを語って番組やるのって思いもしなかったから 僕もなんか一緒に話せるとは思ってなかったですね。 あの、ま、そもそもスタッフであるっていうのが 1つなんですけど、プラス 安の友達である横山さん。 はい。はい。 僕の友達ではないんです。そもそも 安の友達なんすよ。 確かに。確か でRCCのギャAALX シも取られた有名なアナウンサーさん なんですよ、僕にとっては。 うん。はい。はい。 なのでなかなか話ができなかった。 何をおっしゃいますか? 本当もうつもやさんという時はまさんがマンさんがもう本当まで介護のようにもう全部安く靴ここにあるけろとかもう含めて荷物持っとるかやとかって言いながらなんかもういっつもだったからもうやに会うことはマサに会うことでもあったから [笑い] あありがとうございますね時をさせてもらったけどまさかほと番組で あ本ですね こうやって話とは思わなかったからある意味またさんがくれた円だよなとかう 本当にそう思います。ありがたいなと思いますね。 ね。 で、さんがこいなくなってからなんか横山さんとね、またなんかいやりたいからつて 横山ナイトで ね、警備をしてくださったりとかして、で、毎回また来てくださるようになったりとかして、で、リスナーの方ともまた交流ができたりとか、またこれもおかしな縁だなとかって思うので、なんかさんが 作ってくれた縁はまだ続いてますよとか、まだ広がってますよとかって思ったりするので、是ひ、あの、広島にお住まいの皆さん、八さんの歌声をぜひぜひま 改めて聞いていただければと思います。 はい。 じゃあ最後になりますが 1 局お届けしようと思うのです。 この愛のためにのご曲入りですけども何行きましょうか? はい。ではですね、幸せになれ ていう楽曲がありますんで、これを是非皆さんに聞いていただきたいと思います。 はい。 ではではタワーレコード店倒ンライン、そして Amazon のオンラインなどで限定販売となってますさんのアルバムから幸せになれです。 まさん、どうもありがとうございました。 どうもありがとうございました。 ということで、今日のゲストはボーカル安引きるロックバンドローラン元マネージャーマン谷元信さんってことでしたけど、まさかね、その、ま、マンさんってそのマネージャーだったからさ、ある意味裏方さんじゃないですか。 だからマンさんとこうやってマイクの前で しかもゆっくりマンさんの話を聞くみたい なこともなかったし、その俺がねとっても 大好きだったそのローランのヤさんが去年 水館で亡くなったと。で、まあなかなか俺 たちもさんの曲を聞くとかさんの声を聞く みたいなことがあったらさ、まだなんか こういるんじゃないかだったりとか急に 感情がぐっと来たりとかするのでなかなか ね、そのさんをの死っていうのをそのなん だろうね、近いとこで感じいるみたいな ことから避けてるところがあったりもする んですよ、まだ。だけどこうやってまさん の話からヤさんを聞いたりとかすると やっぱ微笑しかったりとかさ、その中学校 の時から指摘マネージャーだったと。で、 結局やさんがデビューしてで、全国で ブわーっとCMソングだけダーーっと売れ ていった。そん時やっぱマさんがいたりと かさでいろんな海外とか行っていろんな ミューシャンとやったけど結局安さんとか 戻ってるとかいうの考えたらそのまんさん も魅力的な方だしそのまんさんを取り子に してるさんっていうのがさ俺らもそうだっ たもんなと思っていっつもなんかいっつも 困り事を抱えててさ、横山頼むよって言っ てもうやさんはみたいに先輩なのにさ、 もうとかつってで会ってさ、一緒に酒飲ん だりとかするとさ、もうバ話しかしないし 、自分の小学校や中学校みたいなところの 本当にさ、記憶が曖昧であってもおかしく ないのことをものすごい詳細に鮮明に覚え てて、まるで笑顔のように話してくれてて さ。で、それが本当面白かったし、幸せな 話だしで、そういう小さな幸せから いわゆる世の中の平和とかさ、幸せって なんだみたいなことをロックを使って 歌い上げてたのがヤさんで、そのメロディ を作るのもうまい、塩を描くのも見事。 何よりも安ぶしと言われたさんのこの歌声 、この今聞いていただいてる愛を歌うの 疑いもそうだけどしか歌えない。 歌い方てあってでさんが歌うと全部がさんのオリジナルに聞こえるっていうぐらいあ、なんか素敵なシンガーだったなとかって思ってで映画愚か者のブルースのサウンドラック主題家をお任せしたりが初めて映画監督をした浮気なストリッパーの時もサウンドラックお願いしお願いした。 [音楽] [音楽] [音楽] で、なんかね、俺が書いた脚本っていうの と、あと撮った映像を渡したら完璧にその 世界観をさんが食べて咀嚼して出して くるっていう歌詞を作ってくださってたの ね。だから今その曲たちを聞いてもあ1番 この作品を理解してくれたのはさんだった んだなと。そんなやさんの作ったメロディ あるRCずっと流れますんで皆さん口ずん でくださいね。 ということでお相手は天才横山でした。 この番組は JFE スチール西日本制鉄の提供でお送りしました。 あ。