0:00 創立75周年記念チャペルコンサート
0:58
1:37 エオリアン・ハープ Op. 25-1(ショパン)(※ここから音が出ます)
6:56 スラブ舞曲 No. 10, Op. 72-2(ドボルザーク)
12:50 インタビュー(吉田よし姉遍歴)
28:24 ペール・ギュント組曲より「朝」「アニトラの踊り」「ペール・ギュントの帰還」「ソルヴェイグの歌」
48:08 エチュードOp. 25-7、舟歌 Op. 60
1:06:08 主よ御前に(歌唱)
1:10:05 戸川偕生牧師挨拶
1:20:39 ハンガリー舞曲 No. 5(ブラームス)
[音楽] [音楽] ສ [音楽] [拍手] 皆様、こんにちは。 え、今日は、あ、このように、え、大勢の 方がこの教会の75周年記念、そして、え 、経路の日のコンサートに、え、お越し いただきまして本当に心から嬉しく思い ます。え、本日は、え、今年白除迎えられ ました吉田義の、え、今回そのピアニスト をお迎えしてのコンサートとなっており ます。最後まで、え、楽しんでゆっくりし ていただけたら、え、幸いでございます。 まずは、え、このエオリアンハープという 曲で、え、1番最初にご挨拶させて いただきました。え、この、え、 エオリアンハープとは書版のエチュードの 中の曲なんですけれども、え、この風を 表しております。この写真にありますよう に、え、風が奏でることということなん ですね。え、それがですね、え、聖書に出 てきます、え、ダビネの王様が いらっしゃるんですけれども、その方が、 え、ま、音楽家でもあったんですね。 そして、え、その彼はいつも、えー、こと を片手にして、え、 賛をしていたという風に言われております 。また若い時は、え、羊会でもありました ので、え、その羊の番をしながらいつも ことを片手に総言で、ええ、その本当に 気持ちよく 賛備をしていたそのようなことが書いて おります。 そのことを思い起こさせるような曲かなと 思いまして、1番最初にご挨拶をさせて いただきました。 え、それでは早速、え、吉田義姉妹をお 迎えしたいと思います。よし姉妹は私の 恩師ですので、え、よし先生という風に 呼ばせていただきたいと思います。最初に ドブルザークのスラブ部曲をお届けしたい と思います。それでは皆様拍手を持ってよ さんのおせをお迎えください。 [音楽] あ。あ [音楽] 。 [音楽] ありがとうございます。 ではここで、え、しばらく、え、よし先生にインタビューをお願いしたいと思います。ちょっとお立ちになっていただける? うん。 えっと、はい。インタビュータイムです。そうよ。うん。向こうね。あ。 あれ?します。 はい。リみたいになりましたけれども。はい。 えっとですね、よし先生は白樹ということですけれども、何年生まれになったのでしょうか? 1926年。 あ、もうちょっと 1926年。 え、大正15年。 ええ です。ということは昭和年でもいいですけどね。 でも大象です。 はい。え、先生の誕生日は、え、間違えて 5月に登録されていましたけれども、4月 に、え、おまりになっていますので、大正 15ね、12月からでしたっけ、あの昭和 元念に変わらってたのが、あ、たった1 ヶ月で昭和元念を終わってしまった。で、 そのちょうどね、最後の大正15年にお 生まれになったということ。どちらでお 生まれになったんです。 も母の協利である新潟で育ちました。 うん。先生は少女時代とってもな子だったという風に聞きましたけど はい。もう母が私を丈夫に産んでくれましたので健康有料児げ全国新潟県 15人の1人に選ばれました。 [拍手] ね、お母様に感謝ですよね。では、ピアノはどのように始められたんですか? ピアノはどのぐらい?何歳? あの、母を引いていましたので、なんとなくあの、幼い頃から引いておりまして、まあ、 1年生ぐらいからちゃんと始めましたね。 はい。うん。 で、4 年生ぐらいから、あの、その当時、あの、素晴らしいピアニストをたくさん育てられたウクライ、ウクライナ人のレオ田という先生に指示して、あの、東京のお教室と夏休みは軽井沢への先生の別荘にもう月 1回しかレッスンに私はう 伺いませんので、 そんなことでレッスンを受けました。 うん。月に1回と言いましても10 歳から記者ですよね。 東京から、え、東京まで新潟からどのぐらいかかったんでしょうか? 12 時間かかりました。 片道12時間かかった。 遠いの道乗りでしたよね。 はい。 それから東京の学校へいらっしゃるんですよね。 はい。はい。え、東京学校 に入学しました。 ああ、それが1944年。 そうです。 昭和19年。 いらっしゃる。 そうですね。あ、東京学校とは現在の東京芸術大学ですよね。 はい。 はい。戦争中は上野で学生時代を過ごされることになるわけですけど、何か当時のエピソードなどありますか? はい。 もう先中になりましたので学と同員で私は寄宿者にいましたので寄宿者の生徒は全部千葉の金坊に同員されました。 で、そこでか薬教の検査とか うん。 期間中の検査とかそういうことをさせられていました。 うん。その玉の そうそう。玉がもうほとんど不良品ばかりでもうこんなことでアメリカとの戦争に勝つわけがないわと思っていました。 [音楽] え、ということは空習などもでしょうか? はい。そうです。 あの、空警報がなると暴空っていうのは私たち寄車にはあの金房ではなくて地下道に避難させられるんですね。 それと地下道の上は軍量、軍用道路でしたから、 あの、軍用のトラックが生きっていましたのでね、もう空の恐ろしさで、 あの、泣き出す生徒もたくさんました。 お母さんって言って泣くんです。 ああ、怖かったんでしょうね。え、 そんな時なんかふっと賛美口をついて歌い出していました。 うそう。それに皆さん [音楽] その賛日か うん。そのや、その皆さんで一緒に歌 そうです。そうです。 私が歌い出すと泣きながらみんなそれに昭和して あのちその地下道の中で もう合唱になりました。 うん。うん。その時の賛美っていうのはどんな賛美だったんですか? うん。それは周囲を身元に近づかんでした。 もうね、天国のことをね、歌っている賛美ですよね。 はい。 [音楽] [音楽] 懐かしいですね。 え、このメロディの曲でも皆さんで昭和したそんなことがあったんですね。え、そしてその後に、え、戦後、 1947年、昭和22年に卒業された ということですが、その頃はおじ様が支えになっていたとか はい。もう毎月叔父の事務所にお小遣いもらいに行きました。 ね、その事務所というのは丸ビルだったそうですね。 丸ビルだったんですよ。 そうです。そうです ね。そのおじ様っていうのは、え、社会党の大義師だった。 そうです ね。そのおじさんの鈴木議さんにつもお小遣いをいてた。 はい。そうです。父の兄なんです。 ああ、そのおじ様というのは、あ、鈴木議 さんとおっしゃいまして、え、NHKでも 放映されましたが、え、憲法9条や、ああ 、また、え、戦争法期、またその25条の 戦存権の規定、これらの制定にご人力され て、後に司法大臣になられた方なんですね 。 え、そしてその卒業後はどんなお仕事をなさってきたんでしょうか? はい。卒業後は東京学大学のピアノ行講行師をしたり、また自宅で生徒さんを教えたりしていました。 うん。 そう、 絆創も そうですね。その間あ平井孝ブ郎先生の あの番大歌の番も随分させていただきまし たけどあのご則で非常に素晴らしい チェリストで平井武一郎さんの絆創 も随分長年 させていただきました ね歌はヘサ先生の番奏もなさいたとえサ 先生というのは当芸団や武蔵野で教えられ ていたとても発生法の良い先生で、え、 またあの高ブ郎先生、平井孝ブ郎さんと いう方は作曲家で日本科局の奈良山や くじくりまたあ、同様のトンボの眼鏡は 水色メガネとかこういうのをあ、作られた 作曲家の方でいらっしゃいます。え、私事 ですけれども、え、講座さんのお孫さんで ありピアニストである平井元樹さんとは ロンドンのロイヤルアカデミーで同門で 同級生でした。ここにも、え、不思議な神 様の繋がりを感じております。ちなみに私 は先生に8歳からついてるんですよね。7 歳だったかしらね。 そうだということで、え、本当もう今では親子のように そうです。もう恵みちゃんは、ま、私の娘か孫みたいな存在です。 いや、孫というような年でもなくなったんですけれども、でも、ま、あの、それでですね、結婚した時、私が吉田でいるんですけれども、え、恵みちゃんは吉田恵のままがいいわよってね、先生おっしゃって、 [音楽] もうあの吉田恵で活動してましたからね。 なんか松本恵なんかご主人には申し訳なかったんですけどやっぱり吉田恵で活動した方がいいんじゃないかと思いました ね。それでこうやってそのまま使わせていただいております。 次によ先生がクリスチャンにならなられた生殺などについて伺いたいと思いますが、え、牧語で賛美化を歌ったということで教会とは以前から繋がりがあったのでしょうか? そうです。私、あの、小、小学校1年生 ぐらいから、あの、ちょうど家から歩いて 30分ぐらいな丘の上に、あの、 カトリック協会がありまして、そこへ 日曜日にはお店に通した。 でもだんだんピアノが忙しくなってそう です。 で、ずっとあの、そこへ通っていたんですけど、だんだん受験の練習をしなければならないっていうこともあって、 時間が制約されたのと、それから戦争の時代にも入ってきましたので、うん、 だんだんあのと教会から遠いてしまいました。 うん。うん。 それが あの恵さんの結婚式で腰にあったこの前のあの海岸の うん。 ところの 海の前でしたからね。 はい。教会に 恵さんの結婚式に 伺って 本当に久しぶりに教会に足を踏み入れて ああやっぱり教会はいいなと思ってあこに通ってきたいなって思いました。 [音楽] ま、ちょっと通ったんですけどやっぱり遠くて うん。うん。 通いにくいなと思っていましたら、 ま、ありがたいことに、あの、私の今の家から歩いて本当に行ける近くにこの教会がここへ引っ越してきてくださいましたので、 もう本当にありがたいと思って うん。うん。 毎週こに通ってお店に伺っています。 うん。よし先生のおじい様は牧士さんだったそうですね。 [音楽] はい。そうです。うん。 あの、その当時のあの内村先生と一緒に全国をキリスト教不教のために回って歩いたそうです。 うん。その後福島の白川の方へ はい。あの、白川は代々のあの休暇ですの で、あの、私の祖父はその白川に住んで おりまして、で、その白川にあの教会を 立てて白川の不教に随分です。うん。ね、 まさにこの教会に導かれたのはね、おじい 様の命もあったのかもしれませんよね。 やっぱり祖父の導きだと思っています。 うん。うん。そして昨年にね、昨年の [音楽] 4月に はい。 そうです。 なんとなくずっと教会には子供の頃から通っていましたのに なんかカトリックっていうのにちょっと私なんあったのかあの洗礼を受けるっていうとこまで気持ちが言ってなかったんですけど こちらの教会に伺うようになってあった と思って 昨年の うん昨年昨年 ね。 あ、昨年ですか?もうそんななっちゃった。 4が4月でしたね。 にあの洗礼を受けさせていただきました。うん。なられて今のお気持ちはいかがですか? もうあのなんていうか前のような不安定な感覚がなくていつも感謝の気持ちでなんか過ごさせていただいてます。 うん。 あの、やっぱりイエス様の愛に包まれているていうような、こう感覚があって、 本当にあの、ありがたいっていう気持ちで日々過ごさせていただいてます。 うん。うん。え、こうやっておじ様と神様に導かれてこの教会に来られたということですね。 ありがとうございました。それでは再びよ先生との連談でグリーグのペールギュント はい。 を引きましょうか。 はい。 はい。ありがとうございます。 え、この次のペールギュントという曲は、 え、ノルウェイの作家 の、え、物語であります。え、故郷から 旅立った自由奔包なペールギュントと、え 、彼の帰りを待つ母親やまた彼のことを 好きで同じように帰りを待っている女性を 描いたそのような組局になってます。その 中から今日は4局、え、お届けさせて いただきたいと思います。お聞きください 。 [音楽] [音楽] [音楽] [拍手] [音楽] ສ [音楽] こ [音楽] [拍手] うん。 え [拍手] 。 [音楽] [拍手] [音楽] り [音楽] [音楽] [音楽] うん。 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] た。 [音楽] [音楽] [音楽] Ja [音楽] [音楽] 今一度吉田先生にどうぞ。 ありがとうございます。では、え、次に ソロで、え、2局ほどあ、引かせて いただきたいと思います。え、ショパの エチュード、そしてバルカロール、え、 フナウをお聞きいただきたいと思いますが 、この2局はショパの曲でも円熟期に書か れた曲でありまして、特に船歌はショパの 晩年の曲でもあります。メチュードは練習 局という意味ですけれども、え、この曲は 練習曲らしくなくて、え、コンクールの曲 からも必ず省かれて滅たにコンサトでは 演奏されない曲ですが、え、左手がとても 美しく時に右のメロディも加わって、本当 に熟年の頃の曲として味わい深い曲となっ ています。初パンは結でなくなるんです けれども、え、この船歌というのは主を 直前にして、え、自分の歩みを振り返り 書いたそのような曲でございます。 人生は後悔のようなものともよく言われ ます。また神様の愛は海のように深く広い とも聖書に書いてあります。また、え、 私たちの教会の名前も海岸教会。今日は 75周年記念ということも覚えて、え、皆 さんの心に神様の愛が満たされますように とそのような気持ちでこの2局を賛日とし て引かせていただきたいと思います。 [拍手] [音楽] ありがとうございます。 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] [音楽] お あ [音楽] 。 [音楽] ち [音楽] 発 [拍手] [音楽] [音楽] り [音楽] [音楽] ではここで、え、最後の曲でしたので、え 、当局会、あ、え、ではですね、皆さんで 先ほど、え、吉田義先生が、あ、 暴空校で歌っ 美化。これをですね、皆さんで一緒に 勝たらそんな風に思います。それを吉田義 先生の番でどうぞよろしくお願いします。 え、皆様にも、え、前にパワーポイントで 歌詞が出ますので、そちらの方をご覧に なってくださりながら一緒に紹介して いただければと思います。では、よし先生 どうぞ。はい。 え、この曲をご存知な方はどのぐらいいらっしゃいますか?あ、皆さん大体ご存知でいらっしゃいますかね?この曲はね、あの映画のタイタニックで、え、船がちょうど沈んでいくそのシーンでも使われていたそのようになけれども、皆さんで一緒に、え、ごだけたらと思います。 じゃあ先生、お願いいたします。では皆さんもどうぞ。 [音楽] に 近づか [音楽] 登る 道 は 十 ともなど悲しむべき主を見に [音楽] [音楽] かずかもいしば離れてかける [音楽] [音楽] き たら ば いい よ [音楽] に行き 主 みかお気味 [音楽] ありがとうございました 。です。ありがとうございました。 それではここで当局会の、え、牧師から、 え、一言ご挨拶をさせていただきたいと 思います。よろしくお願いします。 こんにちは。 こんにちは。 え、皆さんよくおいでくださいました私はこの協会の牧士をしておりますけれども、絶対に牧士はならないと決心したものは今牧士になってるんです。 え、ならない決心をして 60過ぎまでですね、こので大いに働き ました。 しかし不思議があって64歳の時に牧士に なりました。 牧士になってみて分かったこと。 世の中にこんな素晴らしい仕事はない。 そう思いました。なぜかそれが皆様を天国 にご案内できるからなんですね。 なかなか信じられないことですけど、え、 私たちの教会はもう何千年、あ、あれです ね、2000年ぐらい続いている、うん、 聖書から神の言葉を学んで、そしてそれを 皆さんにお伝えしています。 聖書不思議なです。毎年何億冊っていう方 がですね、 すられて、そして皆さん読んでいるんです 。世界のベストラ 日本でもそうですね、聖書は読われてい ます。その聖書は 信じられないようなことがたくさん書いて ありますけども、是非皆さん聖書を読んで いただきたい。 信じなくてもいいです。読んでいただき たい。 と神様は本当におられるんだなということ が分かります。 75年前、私は小学校2年の時にこの東京 カ路に引っ越してきました。腰の海岸の 近くのところに教会がありますけど、 当時は町でした。まあ、今も漁師の方少し 残ってますけども、当時はもう漁師の人 たちがたくさん住んでいてですね、 いじめられました。 本当にいじめられました。 わけわかんなくですね、海岸で遊んでると 引っぱかれたりね。 として私たちは非常に貧しい家庭でしたの で街道の中にですね みたいそな生活をもう長く続けたんです と街道の中にですね土砂を投む人もいまし た。 そして私は決心したんです。牧士には絶対 にならない。 そして今はこうして喜んで牧士になってる んです。 その秘密をですね、是非これ教会に来て いただいて知っていただきたい、ま、私 牧士になる話と長くなりますからやめとき ます。是非ぜ非あの置いていただきたいと 思います。そしてこの教会がですね、でき たわけを 書いてある本があるんですね。これは2、 ちょうど成暦2000の、2000年の時 、教会創立50周年の時にですね、え、 出した本です。非常に立派な本ですね。 なぜこんな立派なのかね。こんな貧乏協会 が作ることができた。私がその当時はまだ サラリーマンで 印刷会社なに相手に印刷機会を売っていた んですね。ね、そのお客さんがですね、 非常に行為的で破のお値段で作ってくれた んです。だからもう印刷の料金のはですね 、 南部スロートってじゃなくて、ま、非常に 多く、ちょっとでも多くてもあんまり値段 が変わらないっていうことがあって、 ちょっと作りすぎちゃったんですね。 ですから、今もこれがね、残っているん です。ですから、あの、帰りにですね、え 、この私のね、牧士になるきっかけの話も 出てますしね。 でもその時ま牧士になる気全然ないんです ね。ま、そういうことで、あの、是非 おかったらお持ち帰りください。 それから70年の時にですね、総立70年 の時にこういうね、CDを作ったんです。 これは政務と聖なる夢っていう台の本の、 ま、朗読を主体にして、え、今日あの演奏 してくださった、え、恵姉妹がですね、番 入れたりしながらですね、え、朗読のCD です。これもなかなかね、聞題があります が、是非これも差し上げます。ごキの方に ね。 よいしょ。 だとこういう これは40周年の 記念士ですけども、ま、私のはこういうの 作るの好きでですね。え、作って私は全然 ズブラでダメなんですけども、え、これを 作りました。是非これもあの そこに余っておりますので、え、おりお 持ち帰りいただきたいと思います。 そして今日は皆さんの手元にこれをお配り しましたね。ここに私がね、牧士になって 殺が書いてあります。 不思議なことですよ。 もう皆さんも本当にね、え、その話をする とね、すごいですね。偶然の重なりですん で。偶然じゃないんですね。 神様がそのようにしてくださったってこと は後でよくわかる。ま、そのようなことが 書いてあります。 それで、あの皆さんのお手元にアンケート は お配りさせていただいておりますけど、 アンケートに是非ね、ご記入ください。 名前書くの嫌だっていう方は名前書かなく て感想だけでも書いてください。 カリーの受付に出していただくとですね、 教会特性の空気をね、持って書いて いただき、 あの、手作りて非常に美味しいです。材料 にあの、こだわる方が作っておりますので 、え、是非お持ちりいただきたい。 ということで、え、私の挨拶はそこまでし たいんですけども、あとあの、お茶などは あの集会処のに用意してありますので、 あの 、喉売ろしておかりくださいますようにお 願いいたします。 私は今年82、ま、もなく83になります けれども、え、人生はまだこれからだなと 思っています。 でもね、癌になっちゃったんですね。 ま、3つの癌を患らいました。 でも、ま、あの、早期で今現役にやって ますけども、でもクリスチャン信じた人に は永遠のイドがね、与えられると聖書に 書いてあるんですよ。素晴らしいです。 永遠ので何だろう? 分からないでしょうけど教会に来て ください。 説明させていただきます。そして永遠の命 を皆さんに持っていただきたい。そうする とね、 Cで終わりじゃなくて希望があ るっていうことが分かるですね。人生に 希望があったら 今の辛い状況を乗り越えていくことが できるんですね。 ま、私もそういう体験をさせていただき ました。本当に神様をおられる。だから ここに教会がある。この教会は私たちお金 1戦も出してません。それで神様が作って くださってここを使いなさいって 使わしていただいてんですね。だから 私たちのものじゃない。神様のものなん ですね。 そういう不思議なキリスト教ですから 是非ぜ非 あの 私のま人生経験もお引かせしたいし そして素晴らしい聖書のことをお伝えし たいと思ってますんで、え、これから 日曜日の10時半からですね、え、 賛備してそして聖書を読んでそして、え、 私の口を通して聖書の話を聞いていただけ たらなと思います。はい。本当に今日は ありがとうございました。 こんあ、あの、ちょっと時間がね、経ってるんですけども、 お願いします。 あの、アンコールを勝手にお願いしたいと思うんです。かがですか?はい。すいませんね。 [拍手] あの、気が聞かなくてはい。 はい。先生、ありがとうございます。え、またご興味のある方よろしければ、え、またこの協会にしてください。今日は本当にありがとうございます。では、え、先生からアンコールというお声をいただけますか?ありがとうございます。 それではまたよ先生いらしてくださいまし て、え、一緒にちゃっかり1局用意して おりますので、 最後にはあのブラムスのハがり部局で元気 に、え、また皆さんとお会いできるきる ことを期待しながら、え、引かして いただいてこの回を閉じたいと思います。 今日はどうもありがとうございました。 [音楽] [音楽] [拍手] [音楽]