【ゆっくり解説】9割が誤解している!庄内藩の謎!!

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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。

こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太

※動画内の素材はすべて引用であり、著作権や肖像権を侵害する目的はございません。

著作権などに関するお問い合わせはこちらのアドレスまでお願いします。
osigotoiraihakotira@gmail.com

#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説

22 comments
  1. 戦後の旧朝鮮半島出身者を含むサヨクには、朝鮮半島のUダヤ教のフロント宗教のKリスト教勢力がいて、その裏にISラエルを建国する事になる勢力がいたのです。
    そして明治維新による新政府は欧米からKリスト教の布教について圧力を受けて、明治政府になってKリスト教の布教が許されたが、神道を国教化する事で日本を侵略から守ったのです。
    戦前におかしな宗教や日本にKリストがいたなどと言うのは、戦後の旧朝鮮半島出身者を含むサヨクがやっていた事で、その頃から明治新政府を敵対視していたのです。
    この動画主は戊辰戦争で中心的役割をした庄内藩を称賛して、孝明天皇と明治天皇に対する旧朝鮮半島出身者を含むサヨクの陰謀論を出しているので、間違いなくそちら系です。

  2. 日本の江戸時代には儒教の朱子学ではなく陽明学と言う儒教を日本的に解釈した学問が流行っていたのです。
    旧朝鮮半島出身者を含むサヨクが大好きなのが儒教の考えで、本国ではそれが主流だったので仕方ないですが、この動画のように押し付けるのは問題ですね。
    この自律的に動けると言うのは「普段から想定して対応できる能力を鍛えている」から良いのであって、一歩間違うと役割勘違いして私利私欲に走ってしまうのです。
    今半島などで起こっている状況がまさにそれで日本が絶対に許容してはいけない考え方ですね。

  3. 庄内藩の三方国替えの相手が長岡藩と川越藩だった件
    川越藩の藩主が将軍家斉の子供だったので
    裕福な庄内藩に移封を希望したのがきっかけだった

  4. 幾多の豪農や豪商が存在したように、日本海側は雪深い代わり太平洋側より水利が良く海運も盛んで、豊かになれる下地はあるんですよね。なのに貧乏藩ばかりだったのは、武士達が農業や商業に無知だった事に尽きます。豪商に藩の財務を委ねれば他の藩だって財政を好転できたはずですが、それができなかった事も武士の世が終わる一因だったでしょう…。

  5. 凄いと思うのが、この異端的と言っていい方針に対して藩内がガタつかない藩の人々

  6. 庄内生まれであることを誇りに思えました。庄内の歴史を取り上げていただきありがとうございます。

  7. 徳川四天王で一番冷遇された酒井家が、幕末は一番奮戦するんだから、歴史は分からんものですよね

  8. 大河ドラマだと会津戦争がよくクローズアップさせる。
    「峠」で北越戦争を題材にした映画が上映させたからいつかは秋田戦争もやってほしい。
    あとは庄内藩と共に戦った村上藩も紹介してくれると嬉しいです。

  9. 本間を早くに登用して財政改革したのが大きい。本間も小作農を大事にして砂丘に大規模な防砂林を築き地元の発展に尽くしたから、武士と農民、町人は一体だった。
    幕末は最新武器を装備していたからゲリラ戦も可能だった。西郷どんも庄内藩の君臣一体の体制を見て寛大な措置を取るしかなかった。
    また本間が新政府に30万両の献金をしたのも効いた。

  10. そもそも儒教って官僚とは相性がいいけれど、武士とは相性が悪いんだよなあ。儒教の考え方を本格的に進めていけば武士が官僚になってしまって最後は武家政権そのものが崩壊してしまう。だから日本の儒教は大陸の儒教とは違うものになったと思っている。

  11. 庄内ナンバーが何度確認しても何県のナンバーか忘れてしまっていたけど、もう忘れないですね!

  12. 補足、藩祖が徳川四天王の酒井忠次で、息子の家次が、色々な藩を転々とし、忠次の孫の忠勝が、初代藩主になりました。

  13. 8年で黒字になるなんてよほど起用した商人が有能だったのか、それともそれまでの財務体制がガバガバだったのか

  14. 庄内藩に新徴組があり沖田総司の義兄沖田林太郎も居た、女剣士中澤琴も、
    次、長岡藩、河井継之助取り上げて

  15. 戊辰戦争で庄内藩から城を落とされた街の住人です(笑)‥

    戊辰戦争時の庄内藩の大奮戦ぶりは‥

    隣藩‥『新庄藩戊辰戦史』という本にも事細かに記載されていますね‥

    鶴岡の酒井本藩と庄内松山の分藩(ご分家)の連合軍は本当に強かったそうですね‥

  16. 9:21 こういう背景があったから清河八郎のような人物がでてきたんですね 
    発想や思想が、この時代の人達らしくなかったのが不思議だったので、おかげさまで納得できました😧

  17. 幕末の庄内藩ドラマチック過ぎるんだよなあ。
    若き貴公子(優秀だけど病弱早逝)が指揮官の精鋭部隊があったり、そこに沖田総司の兄貴が居たり。
    豪商本間家のバックアップも侠気あふれ過ぎる。

  18. 本間家は元は佐渡の土豪の分家です。さらにこの本間家の庶流には「本間ゴルフ」の創業者一族がいますね。

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