【BuzzるChannel vol.6】ザ・フィンガーズ伝説<part1>! 偉大なるエレキ・バンドの前身は「いやらしい音」!? 中3コンビ昌和&幸宏が軽井沢で泣いたワケとは?!

【BuzzるChannel vol.6】ザ・フィンガーズ伝説<part1>! 偉大なるエレキ・バンドの前身は「いやらしい音」!? 中3コンビ昌和&幸宏が軽井沢で泣いたワケとは?!



音楽プロデューサー・髙橋信之と、アーティスト東郷昌和(BUZZ/BUZZ NEXT)。このふたりの65年に及ぶ交流を、「音楽」という共通言語をもって語り合うトーク番組です。

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※知っておくと便利なメモ

02:27
高叡華
幼稚舎から大学まで慶應義塾で過ごし、大学時代は<風林火山>に所属。数々のコンサートやイベントを企画・運営し、卒業後にはロック・ミュージカル「ヘアー」でアシスタント・プロデューサーを務める。その後、サンローランの日本ブティック1号店、青山サンローラン・リブゴーシュのスタッフとして働き、1971年、小坂忠と結婚。愛称・ぺん。

03:00
BLUE SOUNDS~第1期ザ・フィンガーズ

髙橋信之/ギター
ご存知、BuzzるChannel主役のひとり。ザ・フィンガーズの前身バンドを作り、当初はリード・ギターを担当するが、ほどなくしてその座を成毛滋に譲ることになる。慶應義塾大学在学中は同大のイベント企画サークル<風林火山>二代目リーダーとして数々のイベントを開催。のちにCM音楽作曲家として、昌和や実弟・高橋幸宏ら数多くの新進気鋭のミュージシャンを世に送り出した。

成毛滋/ギター
日本のエレキギター黎明期の文字通りの先駆者。アマチュア時代から高度なテクニックに定評があった。ブリヂストン創業者である石橋正二郎の孫であり、同社の重役・成毛収一の息子。母方従兄弟に鳩山由紀夫・邦夫兄弟がいる。

斎藤茂一/ベース
精神科医であり、大正から昭和前期にかけて活躍したアララギの中心人物でもあった歌人・斎藤茂吉の孫。父は精神科医・斎藤茂太。叔父に北杜夫がいる。

三野村清雄/キーボード
三井財閥中興の祖・三野村利左衛門の玄孫。

朝吹マイク(誠)/ドラム
三井財閥四天王・朝吹英二の曽孫。衆議院議長・石井光次郎の孫。シャンソン歌手・石井好子、仏文学者・朝吹登水子の甥にあたる。

04:18
石井光次郎
第54代衆議院議長。副総理や数々の大臣を歴任。1951年には朝日放送2代目社長も務めた。

04:22
石井好子
政治家・石井光次郎の次女であり、日本のシャンソン界の草分け的存在。東京音楽学校(現・東京藝術大学)でドイツ歌曲を学び、卒業後はジャズ歌手としての活動を経て、渡仏。パリでシャンソン歌手としてデビューする。1954年に帰国すると、シャンソン歌手として活躍する一方で、国内最大のシャンソンの宴「パリ祭」を立ち上げ、日本のシャンソン界をけん引。岸洋子、加藤登紀子らを育てた。また、エッセイストとしても知られた他、現在で言う芸能プロモーター的な仕事も行う実業家でもあり、フィンガーズも石井好子が設立した事務所に所属することになる。

04:25
朝吹登美子
フランス文学者。女子学習院中退後に渡仏し、ブッフェモン女学校、パリソルボンヌ大学で学ぶ。1939年に帰国するが、第二次世界大戦が終わると再び渡仏し、1955年、フランソワーズ・サガン「悲しみよこんにちは」を翻訳、ベストセラーに。以後、サガンの作品を中心に、多数の翻訳を手掛ける一方で、自伝的小説「愛のむこう側」「もうひとつの愛」など小説やエッセイも多数出版する。1958年には第11回カンヌ国際映画祭の審査員を務め、2000年、フランス政府よりレジオンドヌール勲章シュヴァリエを叙勲。石井好子は兄嫁の妹で、深い親交があった。

05:21
高峰秀子と松山善三
戦前から名子役と称され、生涯において300本以上の作品に出演した映画俳優、高峰秀子が、夫で映画監督の松山善三と長く暮らした家が、麻布・永坂町の一角にあった。それまで住んでいた英国人が帰国するという話を聞きつけ、当時のお金で500万円を即金で支払い購入したという。もともと古い洋館だったものを豪邸に建て替え、使用人の数も増えた時期もあったが、晩年はまた小さく立て直されて夫婦の終の終の栖(すみか)とした。

06:05
第2期ザ・フィンガーズ

高須研一郎/ベース
幼稚舎から大学まで滞ることなく進学した生粋の慶應ボーイ。それまで全く楽器など触ったこともなかった高須だったが、「下手に楽器をやっていて変な癖がついているより、ゼロから教えた方が良い」という成毛の考えから加入と相成る。「頑張って練習をして何とか最後までついてきた努力家」とは信之の評。大卒後、音楽とは離れてファッション関係の馬里邑(マリムラ)に入社、仕入れ担当のバイヤーになった。

関口恵一/ドラム
別バンド、ヴィンディゲーターズから助っ人的にフィンガーズに加入。歴代フィンガーズのメンバーで最もまともな性格で、皆から「アニキ」と呼ばれ、親しまれた。大学4年の夏はバンド活動を休みゼミに参加。高橋幸宏が年長者の不特定多数の前で演奏を披露するきっかけとなった。

13:50
クリストファー・レン/キーボード/ヴォーカル
本名・蓮見不二夫。クリストファー蓮見を名乗り、後にクリストファー・レンとして活動。つのだ☆ひろ「メリー・ジェーン」(1971年)の作詞を手がけた。このときの名前の表記はChristpher Lyn。

15:13
第3期ザ・フィンガーズ
シー・ユー・チェン/ベース
北京の豪商の家で生まれ、5歳で両親とともに東京へ移住。映画『陽のあたる坂道』の撮影にも使われた田園調布の洋館に住んでいた。アメリカン・スクール時代に音楽やファッションに目覚め、アマチュアバンド、ディメンションズを結成、フィンガーズ最大のライバル・バンドだったが、信之や成毛滋の求めに応じ、後にフィンガーズに加入。解散後は大学を中退して渡米し、ヒッピー文化の洗礼を受け、帰国後にミュージカル「ヘアー」日本公演のメンバーに。その後は、空間プロデュースを手がける会社CIAを1984年に設立。ユニクロ、青山フラワーマーケット、ピーチ航空など数々の企業ブランディングを手がける。

松本幸三/ドラム
関口の脱退と、本格的なプロ・デビューを前にして、成毛と信之が都内(時には地方まで)のライブハウスを回って次期ドラマーを探した。最終的に、滋のお眼鏡に適ったのが、当時はアマチュア・ドラマーだった松本。シンプルでタイトなリズムを叩き出した。解散後、ハンバーガーショップの店長を経て独立、オーナー・シェフとなって人気のハンバーガー・ショップを経営する。

クロード芹沢/ボーカル
フィンガーズがプロ・デビューして2年目の1969年、脱退したクリストファー・レンの後任ボーカリストとして参加。この頃、フィンガーズはインストのバンドからヴォーカルをフィーチャーしたいわゆるグループ・サウンズのモードで活動していたため、成毛のギター・テクニックは封じられた。その後、クロード芹沢は、加橋かつみと共にダブルキャストでロック・ミュージカル「ヘアー」日本公演に出演。後に料理人、写真家としても活動。信之がプロデュースを務めた小林啓子のアルバム「ちょっと気分をかえて」のジャケットは、クロードが撮影。

16:25
ウエスタンカーニバル
東京・有楽町の日劇(現・有楽町マリオン)で開催された音楽フェスティバル。平尾昌晃、山下敬二郎、ミッキー・カーチスらの出演による第一回が開催されたのが1958年。9日間で45,000人という、大型アリーナが存在しない時代に驚異的な動員数を記録する。60年代にはザ・スパイダース、ザ・タイガース、ザ・テンプターズなどのGSが主力のイベントになる。事務所の力もあって、この時代にフィンガーズも出演。

16:42
ザ・タイガーズ
沢田研二(ジュリー)、岸辺一徳(サリー)、加橋かつみ(トッポ)、森本太郎(タロー)、瞳みのる(ピー)、岸辺シロー(シロー/1969年、脱退した加橋に代わり参加)によるカリスマ的人気を誇ったGSグループ。京都で大きな人気を集めた後、1966年に上京。1967年「僕のマリー」でデビューすると、メンバーのルックスも相まって人気が爆発、国民的アイドルに。1971年に解散するが、10年後の1981年、旧・日劇の取り壊し前に開催された「サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル」に出演。同年に「同窓会」という名目で再結成シングル「十年ロマンス」をリリースし、翌年に発売した「色つきの女でいてくれよ」が大ヒット。その後も度々、再結成的な活動が行われた。

16:46
アンダー・マイ・サム
ローリング・ストーンズの楽曲で、アルバム『アフターマス』(1966年)に収録。英米ではシングル化されなかったが、日本では独自にシングル・カットされ、人気曲に。ザ・フー、ティナ・ターナーがカバーしているほか、ザ・タイガースも初期からライブ・レパートリーに取り入れていた。

16:55
テンプターズ/エメラルドの伝説
ザ・タイガースの絶大な人気に対抗し、彼らのデビューから8カ月後に登場したライバルGSバンド。メンバーは、リーダー松崎由治(ヨッチン)、萩原健一(ショーケン)、田中俊夫(ブル)、高久昇(ノボル)、大口広司(ヒロシ)。結成は1965年。ザ・スパイダースの田辺昭知にスカウトされ、1967年10月「忘れ得ぬ君」でデビューを果たす。外部作家ではなくリーダー松崎が手がけるオリジナル曲で勝負するという、当時のGSバンドには珍しい存在であったが、「エメラルドの伝説」に関しては、レコード会社の意向で作曲・村井邦彦、作詞はなかにし礼が手がけている。
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■東郷昌和ライブ情報
東郷昌和ライブ Old Friends
7月5日(土) 開場17時30分 開演18時
Cafe & Live spot FJ’s
03-6303-1214
東京都目黒区中目黒5−1ー20
チケット料金4,000円前売(当日500円UP/税込)

■BUZZ NEXTライブ情報
BUZZ NEXT LIVE in NIIGATA

6月21日(土) 18時開場 18時30分開演
ライブスペース楽道
0256-32-6245
チケット料金4,000円(ドリンク代別)
新潟県三条市東裏館2-3-7 横山酒店内

6月22日(日) 17時30分開場 18時開演
LIVE CAFE LEON
025-788-0498
チケット料金4,000円(ドリンク代別)
新潟県南魚沼市浦佐904-1

■BUZZ NEXT新作配信情報
BUZZ NEXT LIVE 2024
ダウンロード&ストリーミング 4月15日(火)リリース!
https://www.tunecore.co.jp/artists?id…

東郷昌和が、百田忠正というパートナーを迎え入れて組んだ新生ユニット、BUZZ NEXTが、2024年11月に東京・有楽町のI’M A SHOWで開催したライブ、その音源がついにリリース!すべて新曲、珠玉の10曲をご堪能ください。ダウンロード&ストリーミングで絶賛配信中!

■ライブ&音源等、BUZZ NEXT新着情報は、こちらから
→髙橋信之のnote https://note.com/nobuyuki0715/

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3 comments
  1. ニューミュージックのプロデューサーは村井邦彦さんだと思ってましたが、高橋信之さんもそのお一人なのですね。

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