邪馬台国の場所に関する総集編となっております。
90度回転説からオーソドックスな九州説までを解説してあります。
邪馬台国基礎知識編や考古学から見た邪馬台国などの総集編も作成予定です。
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筑紫平野だと思いますよ。
北に伊都国比定地(糸島)があり南に狗奴国比定地(球磨)がある。
海(海産物)と平野(稲作)で多くの人口を養える。
奴隷160人を献上した面土国比定地の吉野ケ里(目達原)に近いので更に発展して大国になった可能性がある(帥升から倭国大乱を経て卑弥呼擁立までおおよそ8~90年と見る)。
魏から下賜されたと思われる金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡が唯一出土した日田にも近い。
魔理沙ちゃん、霊夢ちゃん、妖夢ちゃんこんにちは🎉よろしくです✨
佐賀県民ですけど、今の唐津から佐世保あたりまで肥前国松浦(まつら)郡でした。
『北』を日本人が何と呼ぼうが、中国(や朝鮮)の人は『北』を北と書くはずなのだけどな。
もしかして魏志倭人伝を日本人が書いたとか思ってない?
邪馬台国問題を上手に整理していただき感謝します。もう、江戸時代から三百年議論しても見つからないのはなぜか?答えは出ていますよ。邪馬台国が存在しないからか?違います。邪馬台国や倭国女王の卑弥呼(姫巫女)は政治的理由で作られたものですが、倭国女王とされた卑弥呼の居城が存在することを突き止めています。邪馬台国への行程記事を誰が書いたのか?ですが、通説となっている「漢字を書けない倭人の発音を魏の役人が聞いて書いた」のではないのという証拠も発見しています。景初三年六月に帯方郡に出かけた倭の大夫難升米が太守の劉夏と談合して、魏の実力者で、後の西晋を創業した司馬懿の功績を曹魏第一等のものに持ち上げるためのでっち上げだったのです。ですから、いくら天才的な行程記事の解釈を発明しても、皆さんが納得できる場所には到達できないのです。魏志倭人伝の行程記事以外の以下の内容から邪馬台国の候補地を探すしかないのです。
①卑弥呼の径百余歩の冢(直径約150mの円形墳墓、しかも前後の状況から急造の土を盛り上げただけの墓)です。
②さらに、その周辺に城柵で囲われて兵士で厳重に護られた王宮があること(弥生後期の集落)。
③また、その場所に、卑弥呼に纏わる伝承や地名などがあること。
④そして倭地温暖で冬でも生野菜を食べ、はだしで生活できる場所。
⑤卑弥呼は人前に出ないことから巨大集落から少し離れた場所が居城。
⑥女王国の東側が海で、渡海千余里でまた倭種の国がある。范曄後漢書では倭種の国を狗奴国としている。九州説なら周防灘に面した豊前地方が該当する。
候補地が複数あれば、考古学や民俗学などの成果からどれが邪馬台国かを比較検討して決めることができると思います。詳しくは「刮目天の古代史 【邪馬台国問題】解決の糸口でした」をご参照ください。お邪魔しました(;^ω^)
邪馬台国が九州なら「奴国から南千三百里で邪馬台国」とシンプルに書けば済む話
不弥国や投馬国に行く必要も無い
そうじゃないのは、九州じゃないから
これって昔、飛鳥昭雄 氏が言ってた古地磁気学の事じゃね?大昔日本は二つに分かれていて地殻変動で西日本は反時計回りに東日本は時計回りに反転してフォッサマグナでぶつかっている、と言う説、
説が多すぎて邪馬台国が陰謀論みたいになってきてるの草
直線距離で無く実走行距離だと思っています。沖縄·ジャワ島だと九州に上陸せず海岸線を船移動すると思います?水行は海岸線(河川沿い)を行進、私は宇佐地方ではと思っています。
学者だけが論じていた邪馬台国のことをみんなが論じるようになったきっかけは宮崎康平でしょうね。歌「邪馬臺」もいいかも。
親魏倭国王の金印がでる奇跡でもおこらんかぎり
永遠に分からないと思うよ
天皇陵を全部調査してもわからんだろうな
個人的には、邪馬台(ヤマト)国と大和(おおやまと)は別物ではなかったのでしょうか。
「九州の山門=邪馬台(ヤマト)国」である説が濃厚なのではないでしょうか。
当時、九州にも「ヤマト」と発音するクニが存在し、奈良の大和とは別物の国家が形成されていた。
邪馬台国の「倭」というのは、山門のことを指す。「倭種」は奈良方面の日本人(倭人)を表す。
当時文字がなかった日本では、「山門」と「大和」を文字で区別する必要がなく、また交流も少なかったことから
特に問題はなかったと思われる。
主に、魏国と交流があったのは山門(邪馬台国)であり、呉国と交流があったと考えられるのは狗奴国。
そして、卑弥呼が収めていたのは山門(邪馬台国)であり、魏国との交流により権威付けを得ていた。
「女王国の北の伊都国」で女王の所在地は筑紫平野で決まりです。簡単です。
四国だと思うんですけどね~~~^^;どうなんでしょうね~?
高千穂町、天岩戸神社が天皇家の天孫降臨の地で、高天原ならば。
高千穂町の西の山都町の幣立神社は狗奴国の天孫降臨の地であり、高天原ですね。
南の霧島の縦鉾は隼人族の天孫降臨の
地ですね。
つまり、高千穂町の天岩戸神社と山都町の幣立神社の宗教的な対立があって、戦争になったのではないでしょうか?
卑弥呼vs卑弥弓呼の戦いですね。
映画化したら面白いかもですね。
下記のように思えてなりません・・・。
https://drive.google.com/file/d/16L-rdkF-SQN2kBOepbbXAyhEn3ZQklpF/view?usp=sharing
ユーチューバー八俟遠呂智の説が全くその通りだと考える 藤原不比等は八咫烏 なる架空の所在を作ってまで保身を構築した構想は素晴らしいが庶民を煙幕にまく大犯罪だろう
当時の中国人が、日本列島を九州北、本州南につらなっていると信じ込んでいただけの事でしょう。昆一図だけを問題にしていても無意味でしょう。明確な根拠として、西洋で8枚、中国で昆一郷里一代国都の図を含めて、4枚その様な地図が確認されています。これだけの16世紀以前のその様な地図が残っていれば、それを頑なに、頭ごなしに否定してしまう事は常識としてあまりにも無理があると考えています。
魏志倭人伝の元ネタ本ってあったのだろうか。あくまでも伝なわけで、書いた本人が邪馬台国に行ったわけではない。そこをどう評価するかで、説は色々。
それでも、生活様式、風俗等についての記述は詳しく、それを見る限りでは、邪馬台国は豊穣の海に面した場所にあったと考えられるのではないか。
それから魏志倭人伝に出雲の国の名が見られないのは不可思議だ。1世紀頃から半島からの船団が行き来している強国の一つだったと思うが何処へ行った? おそらく出てきている国名のどれかがそれなのだろう。
『邪馬台国が無かった』説も紹介して欲しいですね。
自分は、岡田英弘説を支持します。
端的に、魏志倭国伝は、魏の朝廷内の権力闘争&晋朝に仕えた三国志編者、陳寿の忖度の産物ということですね。
東洋史家として、中国の正史の本質を見抜いた者の『当然の帰結』だと思います。
とはいえ、『魏志倭人伝』の記述を自説に合うように弄くる様は、『トンデモの世界』に毒された世代にとっては、なかなかに面白いコンテンツだと思います。