寿桂尼は、今川義元の父、今川氏親の正室であり、病弱な嫡男、氏輝の当主代理として今川氏を切り盛りした人物です。
今川義元に対しても、実の息子ではないながらも、家妻として主に外交面で義元を支え、寿桂尼の存在は武田氏、北条氏にも認めるほどでした。
桶狭間の戦いを前に、表舞台からは引退しており、義元戦死後、衰退していく今川氏を救うことはできず、今川氏滅亡直前に、80代でこの世を去ります。
今回は、氏親、氏輝、義元の3代にわたって今川氏を支え続けた寿桂尼の生涯、武田信玄も駿河侵攻直前までその存在を気にしていた寿桂尼のその後について紹介します!
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参考文献
黒田基樹『今川のおんな家長 寿桂尼 (中世から近世へ)』
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小和田哲男『駿河今川氏十代(中世武士選書25)』
https://amzn.to/3Z6Dbxv
黒田基樹『北条氏康の妻 瑞渓院 (中世から近世へ) 』
https://amzn.to/3vPaB6r
黒田基樹『今川義元とその時代 (戦国大名の新研究)』
https://amzn.to/3GxV13Q
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【画像引用】
大河ドラマどうする家康公式サイト
https://www.nhk.or.jp/ieyasu/
#どうする家康 #日本史 #歴史
寿桂尼がいくら頑張っても
雪斎禅師らが居ないハンデは、
厳しいですね。
大河では義元の実母、氏真の祖母として扱われて来ましたね、一話で義元が亡くなるどうする家康では登場しませんが武田信玄や風林火山、直虎では目立った存在でした、風林火山で孫の氏真にあほうとゆうシーンが印象に残っていますw
こんにちは。
公家のお姫様なのに、一国を治めていたなんてすごいですね。義元がよく公家かぶれとか言われるのも寿桂尼と関係あるのかな?
大河「おんな城主直虎」の寿桂尼(浅丘ルリ子)は黒幕的な怖い存在感がありましたね
寿桂尼が今川義元の実母ではなく、自分の息子が二人共不審死をとげているのは、知りませんでした。この死、何だか陰謀めいていますね。結果義元を養子とし跡継ぎとするわけですが、その後彼が政策を大転換し、北条を切り武田と同盟する事態になった時は、彼女は驚いたでしょうね。でもその後、武田、北条との和睦の仲介をし、それが甲相駿三国同盟へと発展するとは、見事ですね!
寿桂尼が大河になる日もあるかも
家の存続のために家康に頭下げてこいと旦那の尻を叩ける(想像)
早川殿の妙な肝の据わり方は寿桂尼の薫陶による部分も大きいのかな。
寿佳尼はどうしても今川家を公家かぶれにした印象があります。氏親の結婚が遅かったことが花倉の乱の遠因かと思います。
寿桂尼が主人公の歴史小説「姫の戦国」が傑作なので興味のある方はぜひ
「今川滅亡の際に寿桂尼の姉が悲惨な最後を遂げている」という一文が気になる
ググっても具体的な事情が出てこないので
4:23 その年(永正15年(1518年))に北川殿の兄(従来説)とも弟(新説)とも言われる伊勢宗瑞(北条早雲)が嫡男の氏綱に家督を譲ったとされる。宗瑞は翌永正16年(1519年)にこの世を去った。
桶狭間前には既に政務隠退してたなんて話も聞くしなぁ そう考えると氏真は助言してくれる人間もいないし主力も強制的な世代交代とかあったから苦労したろうね
女性の地位が下がったのは江戸時代からでそれ以前は龍造寺隆信の慶誾尼、北政所、淀、立花誾千代、お田鶴の方やおつやの方、足利義氏に子供いなかったから古河足利の家督継いだ娘に日野富子に洞松院(赤松家のあらゆる内政関連の文書署名に関与)と戦国・室町以前はガッツリ女性が絡むし家督相続やお家の当主になるのはよくある話だった
母も寿桂尼に等しく、このまま私は氏真で終えそうだが、何か残していこう。
大河「武田信玄」の岸田今日子さんの演じる寿桂尼が一番印象が強いです
五代目中村勘九郎さんの義元も全く逆らえない威厳(というか怖さ)と策士ぶりが恐ろしかったです(笑)
おおおおおおお、駿河の女帝‼️