徐福は『素戔嗚尊』『火明命』『饒速日命』だったと言う…
とても受け入れ難い
私もそうでした…
この動画は、『出雲口伝』で語られる
『徐福渡来説』を検証・考察する動画です。
『出雲口伝』を全面的に肯定する
逆に完全否定する目的で、動画制作している訳ではありません。
考察や、感想を述べますが
あくまでも、私個人の見解としてお聞き下さい。
『神旅』では、各地方の伝承を紹介し
記紀では表されない『真実』への判断となる情報を
提供する事を目的としています。
この動画が、貴方の考察のお役に立てれば幸いです。
神旅
◼︎『徐福渡来説』
紀元前3世紀末
徐福は、秦国からの軋轢から逃れる為、
倭国へ亡命したが、追いやられ
大陸南方の蘇州へ逃れた。
自身が倭国の王となる野望を抱いていた徐福は
始皇帝が欲した『不老不死の仙薬』を取りに行く名目で資金を得る。
大船団で倭国へ渡来した徐福は、自ら『ホアカリ』と名乗り
出雲王国で、クーデターを興し、失脚するが
主王大名持と、副王少名彦を失うという
出雲王国最大の悲劇が起こる。
後世『徐福』が犯した前代未聞の行いは
『スサノオの粗暴』として記紀で残された。
徐福は、秦国へ逃れ
再び倭国へ向かう為、始皇帝に謁見し
仙薬があるという三神山に向かう海で、
神に会い蓬莱に上陸出来たが
貢物が足りないと言われ、仙薬を見る事しか出来なかったが
童男童女と五穀、各種百工を献上すれば、
不老不死の仙薬が得られると偽り
始皇帝から全てを搾取する。
徐福は三神山に向かわず、再び倭国へ渡り
秦へ戻ることは無かった。
徐福は、筑紫で『ニギハヤヒ』を名乗り
その勢力を拡大させるが
倭国の王となる夢途上でこの世を去った。
◼︎出雲口伝で語られる『徐福渡来説』
徐福は『素戔嗚尊』『火明命』『饒速日命』だったと言う…
とても受け入れ難い
私もそうでした…
神旅史上最大の難所とも言える『徐福渡来説』
神旅の考察を是非、お聞き頂きたい思いから
長編となりました。
出雲口伝は、全く別次元の世界に思えますが、
そこに展開する点と、今知る世界観との点が
実は結ばれていたのです。
それを知る事で、新しい真実が見えて来ます。
テーマ毎に詳しく解説し、後半で検証、最後に考察させて頂きます。
どうぞ最後迄お付き合い下さい。
チャプター機能をご用意しました。
お時間のご都合に合わせ、ご覧頂ければ幸いです。
◼︎ナレーション
古文書 中部つるぎ
神旅の声 玄野武宏
本文朗読 青山龍星
VOICEVOXを使用して制作したものです。
VOICEVOX 公式)https://voicevox.hiroshiba.jp
◼︎目次
00:00:00 OPNING
00:02:21 今回の神旅は…
00:04:48 1.徐福、最初の渡来
00:12:32 2.徐福は斉の王族だったのか?
00:16:09 3.迫り来る『出雲の闇』
00:25:34 4.徐福石見上陸
00:31:50 5.徐福の信仰
00:37:12 6.前代未聞の事態
00:45:27 7.徐福、再び倭国へ
00:48:17 8.検証開始|徐福渡来は真実なのか? 8-1.神旅を悩ませた『徐福渡来説』
00:50:05 徐福は渡来していたのか? 8-2.徐福1回目の渡来
00:51:05 8-3.徐福2度目の渡来
00:56:39 8-4ホヒは、出雲側の警戒心を解けたのか?
00:58:23 8-5都市伝説|徐福誕生
01:00:12 8-6徐福3度目の渡来
01:06:26 8-7『淮南衡山列伝の徐福』は、『誰かが伝えた昔話』
01:11:03 8-8『万国津梁』『渡来人を受け入れる包容力』
01:14:03 9.考察 9-1倭人の移住、故郷への帰還
01:16:03 9-2伝説
◼︎動画内 インフォメーション表示
26:54 【秦氏のルーツ】日ユ同祖論の謎に迫る!
49:48 出雲口伝 真実を知る覚悟
◼︎出雲口伝(出雲王国と天皇政権)
公式)大元出版
http://oomoto.net
◼︎参考資料
公式)土井ヶ浜遺跡_人類学ミュージアム
https://www.doigahama.jp
下関市)土井ヶ浜遺跡における埋葬遺構と人骨形質 松下孝幸*・松下真実** PDF
https://www.city.shimonoseki.lg.jp/uploaded/attachment/17390.pdf
〔資料紹介〕土井ヶ浜遺跡第4次調査の映像資料 高椋浩史(土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム)PDF
https://www.city.shimonoseki.lg.jp/uploaded/attachment/17400.pdf
土井ヶ浜1号・124号人骨
松下孝幸・松下真実
貝殻集積からみた先史時代の貝交易
2018年度の炭素14年代測定結果をもとに
木下尚子
公式)南城市 神座原古墓群出土人骨の研究調査結果報告(2022/05/20)
https://www.city.nanjo.okinawa.jp/nanjo-diary/1653466722/
JCC WEB 美術館 万国津梁の鐘
https://art.jcc-okinawa.net/rekishi/bankokushinryo/
◼︎制作・著作 神旅
ワンオペで制作しています。
#徐福
#神旅
#出雲口伝
ありがとうございます❤😊
素晴らしい動画の配信を有難うございます😊神旅さんの 出雲口伝編の続編 を楽しみにしていました。私が、日本民族、国家とはなにか?を真剣に考えている時に、神旅さんの動画を視聴できて、とても有難いと感じています。これからも応援しています。😊
時系列で見て欲しい。紀元前2~300年前に識字人が数百人単位で日本にきた?その後卑弥呼が魏に使者を送る。しばらくして遣隋使→遣唐使この時史書「三國志」を持ち帰る。帰国して内容をじっくり読む、なななんと一千年前の始皇帝の時に徐福を棟梁として東海の三神山に不老不死の仙薬を求めて船出してる事に気付く。ここから日本国内に徐福探しが始まり、あっちっこっちにおらが村に来てたんじゃねぇ。早ぇ~者勝ちだぁ、徐福神社お建てちゃうべ~と日本各地にそれっぽい神社が蔓延るのであった。ビックリコキマロ
さすが、神旅さん。いつか、出雲の闇が映画化されることを期待しております。これは、神旅さんの生涯のテーマですね。今までみた動画の中で一番クオリティが高い。大満足でした。ありがとう。
丁寧で奥深い考察
ありがとございます♪
近年、沢山の口伝や文献が公表され、
一気に観える世界が変わって来ましたね。
縄文時代の遺跡や出土物、
日本各地に点在する多くの磐座。
世界の遺跡や伝承を重ねてゆくと、
古代人の移動は
結構広範囲で行われていたと
想像できます。
縄文時代の海人族が、
琉球地方や東南アジア
オセアニアや南北アメリカ
更にはハワイまで、
ぐるっと航海をして
たどり着いていたのではないか…
と言ったお話は、
結構、以前からありました。
海流の流れと
風を上手く使えば、
十分、可能であると思います。
その地の原住民たちの
文化風習や言語など、
日本と似たものが沢山あり、
更には
縄文土器なども
遠い南の島々で
出土していることを鑑みますと、
先人たちの冒険物語を
想像してしまいます。
実際に
7300年前の鬼界カルデラの噴火は、
九州から西日本一体を
人が住めない状態にし、
多くの縄文人たちが
海の向こうへ旅立って行ったと
思われます。
更に6000〜6500年前が
縄文海進のピークとなっており、
この前後は北極海航路が
開けていたので、
北欧は案外近所であったと思います。
日本とそっくりな建物や土器なども
欧州に残されており、
行き来していたであろうと言うお説も
否定できません。
もっと近場を見ますと、
16000年前くらいから
長江文明が登場しますが、
【南舟北馬】と言われるように、
黄河流域に栄えた中原の民と
長江以南の民とは
大きく習慣が違っています
海人族であった可能性があり、
東南アジアや日本まで
縦横無尽に航海していたかも
知れません。
ジャポニカ米も
出土していますね。
長江下流から
上流に進み、
5000年ほど前から
素晴らしい青銅器文化を持った
【三星堆遺跡】が栄えます。
チベット族の祖となった人たちです。
チベットの他にも
雲南省やタイやベトナム、
ミャンマー、ラオスなどに住む
少数民族で、
【イ族】と呼ばれます。
このイ族は
【夷族、倭族】と書かれていました。
【倭人】【東夷】ですね。
つまり、
大陸と日本を行き来していた
倭人の末裔とも言えます。
倭国とは日本列島だけではなく、
もっと広い範囲を示していたと
考えられます。
イ族の風習や言語は
日本と似たものが結構あり、
チベット人の遺伝子は
日本人と重なっているのは有名です。
縄文の海人族は
日本では後に、
熊襲や隼人と呼ばれますが、
【曾於(そお)】とも言われます。
三星堆遺跡周辺の
長江流域は
【楚】という国ができ、
長江河口には【呉】ができます。
この【呉】という国に
日本と大陸を行き来していた
【安曇族】がいたと言う
お説があります。
日本での拠点は
九州北部の志賀島。
【志賀海神社】のご祭神は
ワタツミ(海・綿津見・少童)三神
安曇とは
【海住み(あまずみ)】
からと言われ、
【海住み(わたずみ)】から
【海神(わたつみ)】を
祀っていると考えられます。
『古事記』
誕生した三神の
底津綿津見神・
中津綿津見神・
上津綿津見神を
「綿津見神」と総称し、
「阿曇連(あずみのむらじ)らが
祖神ともちいつく神なり」と記す[5]。
『日本書紀』
「生めりし海神等を少童命と号す」
と述べたのち、
誕生した三神の底津少童命・
中津少童命・
表津少童命について
「阿曇連らがいつきまつる神なり」
と記す[5]。
【少童】を《ワタツミ》と読むのは
何故か…⁈
亀山勝氏は
徐福の渡来の足となったのは
この安曇族であったと説きます。
海人族ではなかった徐福は、
既に日本と呉を往復して
状況を熟知していた安曇族に
援助を求め、
一緒に渡航したのだと言います。
そして安曇族は
日本において
【少童(ワタツミ)神】を
祖神としています。
【童男童女三千人】とは
子どもたちではなく、
安曇族を指すのではないでしょうか⁈
どうしてこう記されたのかは
分かりませんが、
何かの表現であえり、
ダイレクトな【子ども】という
意味ではない可能性も
十分、考えられます。
出雲口伝では
安曇氏は海部氏の親族であった
と言っていますが、
もし、徐福が安曇族を
航海士として雇い、
部下として一緒に航海していたとしたら、
親族となって行ったのは
自然なことです。
安曇族の棟梁は
五十猛であったと言う説もあります。
徐福が妻子を置き去りにして
大陸へ戻ってからは
五十猛が残った少童たちを
まとめてゆきます。
辻褄は合うわけですね。
【安曇磯良】
《安曇の五十猛族》
安曇族が
【倭族・夷族】であり、
大陸と日本列島を往復していた
縄文の海人族の末裔であれば、
九州の熊襲や隼人とも
辿れば同族となります。
五十猛が移住した籠神社のある
天橋立の内側は
【阿蘇海】と言います。
隼人や熊襲なども
この地に集結していた可能性も
考えられます。
そして、
出雲口伝がもし本当だとしたら、
正史に記される
【海幸彦は海部氏】
【山幸彦は物部氏】となります。
《海幸彦が【隼人の祖】》だと
記される意味も
これだとスッキリします。
そして、【武夷鳥命】の《夷》
【夷族】の血が
入っているかも知れませんね。
単なる想像です。🐦️
【三星堆遺跡】から出土した
青銅製の【扶桑樹】(青銅神樹)
素晴らしい作品です。
5000年以上前から
故郷を蓬莱島だと
言い伝えて来たのかも知れません。
伝承や文献も
色々、工夫して
ストーリーが組み立てられており、
必ずしも、意味はそのままでは
ありません。
後世の人が読み解く際も
その人の主観で読むわけです。
《真実は分からない》
というのを前提にして、
自分なりに受け止め、
楽しんでゆけばよいのでは
と思います。
ほんとに仰る通りだと思います。
過去に何があったか真実が知りたい人達と、過去を空想したいだけの人達とでは、やっぱり筋立てとか考え方が異なりますね。
口伝をただ追従するのではなく、あり得るかどうか検証する視点で捉えておられるので好感が持てます。
徐福が出雲に来たことを、明確な理由もなく否定するのはどうかと思う。徐福が献上した編鐘が残っていないか、吉野ヶ里近くに徐福の墓がないかとか、調べる必要がありますね。
なんか昔から徐福中国人の思考が今と変わらないのは今も昔も同じで今でも平気で騙す誑かす私利私欲我利自己中心で地位と名誉と金と欲望がド超スーパー魔界人。日本書紀古事記と生きていた人間を神と洗脳するやり方が本当にオカシイが何人の日本人が気がついて居るのか?。殆どの日本人は自分が日本人と洗脳されてるが60%は渡来人系(中華か朝鮮)の子孫である事も気が付いていない人の方が多いし昔から日本国は真実を隠してデタラメな話で洗脳する思考意識は今の政治界金融界芸能界メディア界と魔界の使者だらけだが今も昔も何も変わっていない日本国これからもどんどん異国の人が入って来て日本を徐福達の様に乗っ取る今も日本人は洗脳されていて平和ボケ何が真実で何が嘘か何が本当で何が嘘かも解らない日本人達のボケさ加減を治せる医者も病院も無い。
「原文から読み解く」のには相当な時間がかかったことと思います。いつものことながら、膨大な調査研究、丁寧な考察に敬意の念を抱きます。神旅様の旅の行方が楽しみでなりません。長編動画、大歓迎です!
声が涼風真世さんに似てて良い😊
神旅は素晴らしい、のめり込んで見てました、ありがとございます♪
いつも配信ありがとうございます😺こういう素晴らしい考察をしていただき感謝しています。今後もよろしくお願い致します🙏
我が家の祖は出雲振根みたいですよ。
一緒に狙われてた、八瓜入日子王(神大根王)と水戸~香取まで逃げまくって、
最後、全滅させられたみたいですね。
その生き残りの直系をコッソリ隠してきた一族みたいです。
神宝は十種神宝じゃないですかね?
元々、饒速日の物を神武が強奪し、それをタケヒラトリが持ってって、
出雲の神宝にしてたのでは?で、それをまた崇神が奪い取る。
この流れで行くと、徐福が来たのが武御雷と布津主?あ、天鳥船一緒ですね。
チャプター有ると便利で助かります。ありがとうございます。
ありがとうございます😅他のYouTuberさんも、出雲口伝を取り上げていますが😮非常に専門的考察をして頂き感謝いたします🤗
3500年を経た後に日本統治権を、出雲王家に返上するという話もお願いします。
文字の響きを根拠にし過ぎると時代が合わなくなってくるところがあるから創作の可能性があるかどうかわかりやすい。
出雲口伝は面白いけど徐福が万能すぎるところがねぇ。
徐福が来た巨大な証拠が!
有明海の西にある雲仙岳の北西に7つの千々石町(+甲乙丙丁戊己庚) それから、雲仙岳の南東にある布津(フツ)町
これらが北斗七星と北極星の形を成しています。
布津町は布津主(または経津主)の名から。千々石町はおそらく栲幡千々姫の名から。
徐福 本名・徐巿(ジョ・フツ)
字の意味は、徐は道・経路の意味 巿は膝掛け布の意味。
まとめると、徐福=徐巿=布津主=経津主=物部氏の祖神=饒速日=天火明。
栲幡千々姫は、異名が万幡豊秋津師比売、万幡姫の児・玉依姫とか
でこの姫さんは、饒速日の母つまり徐福の母です。
この名前の中の”ハタ”豊”安芸”に気付きました?この人、宇佐族の女王ですよ。
宇佐族と徐家と政略結婚してできた子が、徐福です!
(玉依姫が母ということは徐福もまた神武のモデルの一人ということですねまぁそれは今はどうでもいいのですが)。
さらに・・・
宗像三女神の母も宇佐族の女王なんですよ!?
宗像三女神は宇佐系神社でも奉られています。
出雲王家はどこかの時点で伝承から自分達に宇佐の女王の血が入ってることが分かる箇所を削除してしまったと考えられます。
だから伝承は未完全なストーリーになってるはずです。
結局ね、みんな先祖に関して何かしら隠し事をしたんです。
宗像と阿波辺りは丁度出雲族と宇佐族の緩衝地帯ですよね。そこで神門家は宇佐族と政略結婚を試みてたんでしょう。
だから高照姫も市杵島姫も宇佐の人間でもあり、徐福渡来はもともと神門家には話が通ってた可能性が考えられます。
これが記紀で宇佐の豊玉姫が出雲信仰対象のワニの姿になって出産した意味でしょう。