4月 28日 主日礼拝式『主はまことのぶどうの木』朝川清英牧師 10:30~ライブ配信

4月 28日 主日礼拝式『主はまことのぶどうの木』朝川清英牧師 10:30~ライブ配信



4月 28日 復活節第5主日礼拝式
前奏      黙とう
招きの言葉   ローマ5:5
頌栄      新聖歌 62
主の祈り    新聖歌 P826
交読      詩篇 19:1~10
讃美      新聖歌 11
使徒信条    新聖歌 P826
聖書朗読    ヨハネ 15:1~11
牧師の祈り   
讃美      新聖歌 483
説教      朝川清英牧師
題      『主はまことのぶどうの木』
祈り
讃美      新聖歌 332
献金
頌栄      讃美歌21 27
祝祷      牧師
後奏      黙とう
アナウンス

枚方希望教会HP 
https://www.hirakatakibou.org/top.html
アンケート
https://docs.google.com/forms/d/1H_dvNy-J1gSlIyo-dz8w17IFoVjud9Ju6SCEdPRAC04/edit

はい [音楽] [音楽] こH よ アナウンスをいたします礼拝の時に差し ていのない方はプログラムの米印のところ ではご起立をお願いします携帯電話をお 持ちの方は電源をオフにするかマナー モードにするにお願いします礼拝が始まる まで静まってお待ち [音楽] くださいJA [音楽] [音楽] TR [音楽] [音楽] あ [音楽] [音楽] [音楽] ます IK [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] こJA [音楽] [音楽] [音楽] T [音楽] 2024年4月28日復活説第5実礼拝式 を始めます黙祷のうちにのの中心を沈め ましょう [音楽] [笑い] [音楽] [笑い] [拍手] [音楽] [笑い] [音楽] ご立願います この希望は失望に終わることがありません なぜなら私たちに与えられた精霊によって 神の愛が私たちの心に注がれているから ですご起立のままで照英新成果62番に よって賛美を捧げます [音楽] つみを死にあるものも 込み たろ神をえよ 神を [音楽] [音楽] れよご着席 ください主の祈りを捧げます新成果826 ページです [音楽] 天に増します我らの父を願は皆を崇めさせ た前国を来らせた前見の天になるごとく地 にもなさせたま我らの日のをもえたま我ら に罪を犯すものを我らが許すごとく我らの 罪をも許した前我らを心に合わせず悪より 救い出した前国と力と栄えとは限りなく 何十のものなればなあ 四辺の読をします四辺19編1節から10 節 です天は神の栄光を語り大空は見ての技を 告げ知らせる 古はへをえ世はへ 話もせず語りもせずその声も聞こえない しかしその方法は全にその言葉はのまでっ たは全のにられた花のように太陽は部屋 から出て勇のように僧侶を喜び走る天の果 からそれはに天の でそのから隠れるものはない主の教えは 完全で魂を生き返らせ主の証は確かで浅な ものを賢くする主の目はれ人の心を喜せ主 の れのを 主からの恐れは記 までも変わらない主のさきは誠であり ことごとく正しいそれらは金よりも多くの 純金よりも親しく三よりも三の素の下り よりも 甘いご起立願い ます新成果11番によって賛美を捧げます [音楽] れよ 作りも [音楽] きに れされ れ見もタ もでなきにな あめ て [音楽] すしかな 神の 力 波を 沈めて きり 神を守り おの のに 果し 恵の民 さの主を えあげてえよ [音楽] 強きてで 導主のに え [音楽] れご立のまま心情を告白します 826ページ [音楽] です天に天地の 作り前脳の父なる神を信我はその人を我ら の主イエスキリストを信主は霊よりりお マリアより生まれポンテピラトの元に 苦しみを受け十につけられ死られ読に下り 3日目に死人のうより蘇り天にり前脳のる 神の右にざしたりかりきりて生けるものと 死にたるものとさきた我は霊を 聖なる行動の教会生徒の交わり罪の許し体 の蘇りどしの命を 信 あご着席 ください聖書を朗読します朗読所はヨハネ の福 15章1節から11節 です私は誠の武道の木私の父はノフです私 の枝で身を結ばないものは全て父がそれを 取り除き身を結ぶものは全てもっと多く身 を結ぶように込みをなさいますあなたは私 があなた方に話した言葉によってすでに 清いのです私にとまりなさい私もあなた方 の中にとまります枝がブドの木にとまって いなければ自分では身を結ぶことができ ないのと同じよう にあなた方も私にとまっていなければ身を 結ぶことはできません私は武道の木 あなた方は枝です人が私にとまり私もその 人にとまっているならその人は多くの身を 結びます私を離れてはあなた方は何もする ことができないのです私にとまってい なければその人は枝のように投げ捨てられ て枯れます人々がそれを集めて火に 投げ込むので燃えてしまい ますあなたが私にとまり私の言葉があなた がたにとまっているなら何でも欲しいもの を求めなさいそうすればそれは叶えられ ますあなた方が多くの身を結び私の弟子と なることによって私の父は栄光をお受けに なり ます父が私を愛されたように私もあなた方 を愛しました私の愛にとまりなさい 私が私の父の戒めを守って父の愛にとまっ ているのと同じようにあなた方も私の戒め を守るなら私の愛にとまっているの です私の喜びがあなたがたのうちにあり あなたがたが喜びで満ち溢れるようになる ために私はこれらのことをあなた方に話し ました にお祈りをしていただき ます主イエスキリストの父な神あなたが 私たちの父であられることを私たちの作り の支配者であられることを心から言い表し 褒めたえることができますようにどうぞ この朝あなたの新しい言葉をもう1度 はっきり聞かせてください私たちもこの 信仰の告白に生くことができるとの確信を あなたからいただくことができますように 何も携えてこなかった私たちですしかし あなたはへりくだり砕けた心を何もまさっ て喜んで受けれると約束してくださって おりますどうぞ私たちに祈りの言葉を与え てください愛に生きる力を与えてください 主はおりになっておられるという確信を 与えてください死に直面してもうえないで おられる心を与えてください隣人との 関わりにおいても祈る心を与えてください 避難することよりも理解し先に受けれる ことを学ばさせてください憎しみの心を 消してください怒りの心をやげん堀 やかな心を抱いて接することができます ように父なの神苦しみの中にある方のため に祈ります肉体の弱さのためにここに来る ことができず病床の中にあります方に特別 なあなたの帰りみがありますように私たち の家族を帰り見てくださいこの礼拝を慕い ながら来ることのできない方を今深くあれ に癒しと慰めを与えてください信じ と 信じそしてえその苦難の中で涙も乾いて しまうほどに心乾きえ過ごしておられる方 にあなたの慰めとどうか平屋を与えて くださいこの世界にどんなに多くの悩みが 溢れているかと思わずにはいられません 世界では戦争が起こってる地域があります このことで人間の心のにある悪が闇が 広がっているように思えてなりませんこれ から先に一体どのようになっていくの だろうかと私たちは不安を覚えることも ありますしかし主をどうぞそのような 世の中ではありますがあなたの平和が もたらされますようにノ半と自身による 恐ろしいカナのただ中にあって1人でも 多くの命が守られますように導いて ください悩みの中にいる人々の心が支え られ今後の復興のが導かれますように心 からお願いしイエスキリストの皆によって この祈りをお捧げいたします あめんご切立願います新成果483番に よって賛美を捧げます あイス様に聞いてみたんだ ら僕を愛してるのこれくらいかなこれ くらいかなイス様は黙ってえ てるちのさ に聞いてみたんだどくらい僕を愛してるの くいたな くいたなイス様は優しくれ てるある日イエス様は答えてくれた静かに 両手を広げ その目のひに首を打たれて十 にてくださったそれは僕の罪のためごめん で ありがとうイス様それは奥の罪をれ ごめんてありがとうイエス様ごめんで ありがとイス [音楽] [拍手] [音楽] 様ご着席ください朝川牧に子供のお話をし ていただきます [音楽] 今日はえリモート でえ子供たち がこのメッセージを聞いて あおはようござい ますあの イエス様という方この方 が大にと言いましょうか多くの人の前に出 てこられた時にえ今まで聞いたことがない ようなこの方お話をされましたそしてこの 方は貧しい人は幸いだということをお 話しなさったり あるいは悲しむものは幸いだという話を なさっ たりニなものは幸いだという話をされ たり皆さんこのイエス様の話を聞かれた人 たちはびっっくりしました えそれがどうして幸せな のそう思ったと思うんですでもイエス様は 本当に 私 は心が 貧しい自分のことばっかり考えて人のこと なかなか考えていなかったなと思っている その人をイエス様大丈夫だよそんなあなた を神様は帰り見てくださっているよと おっしゃったんだと思うんです悲しむもの は幸いですというのはああ私はあの人に 悪いことしちゃったんじゃないかなとか ああ嘘ついたこともあるなとか思った時 こう悲しみますねその時に大丈夫だよ あなたのことを神様許してくださるよ そんな話をイエス様されたもんですから イエス様の話を聞く人たちは えそんなに神様は私たちのことを許し愛し てくれるのと聞いて安心してお話を聞いて いたとそう思い ますそしてイエス様のお話をえ伝えるため に様はお弟子たちを招きましたそのお弟子 たちの1番の人はあのペテロという人だっ たんですでこの人がイエス様お弟子になっ てからこの人の住んでいるカペナウムと いううその村があってそこにえペテロのお 嫁さんのお母さんがいらっしゃってでその お嫁さんのお母さんが病気の時にえイエが そこの家に行って病気を癒してあげたりし たこともあってペトロはこの人はすごいと いう思いを持ってたようですある時ペトロ さんは漁師でしたのでえカというところで 両をしていまし たらさあお魚取れたかな残念ながら1匹も 取れなかったでその時にイエス様がペテロ に言いました沖へこぎ出してもっと深い ところに行って両してみなさいと言ったら 魚がいっぱい取れたということがあったん ですペテロは漁師でしたからイエス様より も湖のことは知っていますその私にえもう 1回全然取れなかったのに霊しろというの か私の方が詳しいのに取れなかったんだ からこれから言ったって取れないんだと 言わないでイエス様がおっしゃるんでし たらと言って船で置きへこぎ出して両して 見たらなんとたくさんの魚が取れてそして 船にその魚を入れた船が沈みそうになった ということが書かれ聖書に書かれています ねそれでペトロびっくりしました驚きまし たこの人何者と思ったんですねそれでそれ までは先生と呼んでたんですけども魚が いっぱい取れた時にいやこの人はもうただ の人じゃないいや神様だと思ってペトロは イエス様に言いまし た主よ私のようなものから離れてください 私は汚れたものですって言ったん です聖なる方清い方そして神様にあったら 私たちは自分はどれだけ汚い心か汚れた心 かということが分かってきますその時に ペトロは主よという呼んなんですそれまで 先生と呼んでたのに所与これ神様という ことです私から離れてください私は汚れた ものですそう言ったらイエス様はね大丈夫 だよと言われたそしてあなたをこれから人 にね私のことを伝える人になるんだよと 言われてペトロはイエス様についていった んですだから大丈夫だよ自分がどんなにね 汚れているきに心を持っているなと思って いてもイエス様は大丈夫だ私あなたを許し あなたを記憶してあげるだからあはこれ から私に使っていくんだよとこう おっしゃったそれ私たちにもねイエス様に 会うとイエス様は清え方で素晴らしい方 ですけども自分のね汚れも分かってくるで もそれを勇し清めてくださるためにイエス 様十字にかかってくださったんだという ことをね思い起こしていただきたいと思い ますちょっと難しかったからごめんねまた ね隣の人に聞いてください ではお祈りします父なる神 様あなたはイエス様を送ってくださって ありがとうございますそして私たちのえ罪 はれそして辛いこと悲しいことも全てご 存じでそして心の貧しいものは幸いです 悲しむものは幸いですと言ってくださり そしてあなたは許しと愛を与えてくださる ことを感謝しますあなたには到底近づけ ないのにあなたの方から私たちに近づいて くださいましたそしてあなたを愛している とあなたを許すとおっしゃってくださり私 に従ってきなさいとおっしゃいますその あなたに従っていきますどうぞ導いて くださいイエス様のお名前によってお祈り します メンそれではえヨハネの一緒 にあ3人がありましたえ主は誠の武道の木 と題して朝川牧に説教をしていただき ますえ先ほど朗読された箇所えヨハネの 福音書15章この1節以下これはえ キリスト者クリスチャンになられた方々が この御言葉好きですという方が結構 いらっしゃいますね私は誠のブドの木私の 父はノフです私は誠のブドの木ですよこう おっしゃる5説では私はブドの木あなた方 は枝ですともおっしゃってくださっており ますイエス様が十字にかけられる前の番の こと です弟子たちが風に吹かれる海の大波の ように心が揺れ動いておりましたこれから 何かがイエス様に 起こるとっても弟子たちは不安に思ってい たよう ですその弟子たち の心ご存じであったイエス様は最後のこの 晩餐の世で弟たちに残らずご自身の愛を 示しておられましたそしてこの箇所でえ イエス様はブドの木を例えとして語り ながら弟たちを励まそうとしておられると いう箇所 です聖書の世界でありますイスラエルでは え武道の栽培が盛であると聞いております 旧約聖書にもこのブドの木に関する記事は 多く書かれており ます旧約聖書ではブドの木は神の選びの民 であるイスラエル民族の象徴としても描か れており ますこのイスラエルの国で紀元前160年 頃のえマカベア王朝という王朝がありまし た時には貨幣が発行されておりましてその 貨幣には武道の木がま刻まれていたと言わ れておりますまた神殿のの1つは聖女の 全面にある大きな黄金の武道の木であった とも言われるほどでござい ます支援の80遍の8節にはこのように 記されておりますあなたはエジプトから ブドの木を引き抜き違法の民を追い出して それを植えられましたこれは明らかに主 エジプト機の記事のことでですねエジプト からイスラエル民を導き出されたという ことをブドの木を 引き抜きそれを植えられたそのように書い てい ますこのようにイスラエル民族の象徴で ある武道の木 を神が植えなさったの に身が鳴らなかっ たり野生帰りして酸っぱくなってしまっと エレミア書あるいはエゼキエル書イザヤ書 補書などに記されており ますしかし考えてみればこれはイスラエル の民だけのことではなくて神が私たち人間 を神に似せて作られたのに人間は自由意志 を乱用し て罪を犯し神に背いて しまったそのために元々は良いブドにえ 作られていたはずなのに酸っぱい身を祈ら せる武道になってしまったということでは イスラエルの民と変わりないのではない だろうかと思わされもし ますそのような私たちにイエス様はこしい ます私は誠の武道の木私の父はノフ ですさらに 今申しましたようにえ5説では私は武道の 木あなた方は枝です人が私にとまり私も その人にとまっているならその人は多くの 身を結びます私を離れてはあなた方は何も することができないのですともおっしゃっ ており ますイエス様 は父を私の父 と紹介 この父なる神は紹介されている父なる神は 水やヒをやり枝の照りをするえノフに例え て語られており ます主イエスキリストはブドの木弟子たち はそのミにつがる枝であるとこう語られて おり ます枝は木が地中から吸い上げる養分を 持って果実を実らせます だけではもちろん身はなりませ んブドの枝が木につがっていなければ自分 では身を結ぶことができないように信仰を 持っているものもキリストにつがってい なければ身を結ぶことはできませんここで イエス様と弟子たちが互いにつがることを 語りつつ7節でイエス様はこうおっしゃい ますあなた方が私にとまり私の言葉が あなた方ににとまっているなら何でも 欲しいものを求めなさいそうすればそれは 叶えられ ますこのようにえおっしゃい ますイエス様の言葉が弟子たちにとまる ならばイエス様もまた弟子たちのうちに とまら れる4節には私にとまりなさい木にとまっ ていなければ私にとまっていなければと いう言葉が続いて語られておりますミキと 枝はガナ一体のものです枝はミキから出て きますそういう一体のミキと枝の全体を 指してイエス様は私はブドの木と おっしゃい ますイエス様はこの最後の晩餐で目の前に いる弟子たちに語られながらまたこの 御言葉を通して現代の私たちにも語られ ます 私に繋がっていなさい私の中にとまり なさいそして私はあなた方の中に受け入れ なさいそうすれば豊かな身を実らせるのだ とイエス様はおっしゃっておられ ますこの枝はミと根から生命力樹液によっ て伸びもし生きもします に は自発的な欲求があるのではなく樹液が 溢れてる時枝はしげるそれはとえる時枝は 枯れますそうであれば枝である私たちは 自分の力で立ち育ち生きるのではないと イエス様おっしゃっておられると思い ます枝は本来その精子を決定するのは枝 自体の力ではありませ んあなた方は枝ですと宣言なさるイエス様 が私にとまりなさいと呼びかけていて くださっており ますそして身を結ぶ結ばないは自分の力で 結べるか結べないかということではあり ません身を結ぶかどうかはイエス様に つがっているかどうかで決まり ますそしてイエス様は2節でこしいます私 の枝で身を結ばないものは全て父がそれを 取り除き身を結ぶものは全てもっと多く身 を結ぶように駆込みをなさいます張り込み をなさいますとこう言っておられ ますブドの木を栽培する時に特に注意する ことは選定すること張り込みをすることで あります枝ががあちらこちらにいっぱいに 出てくると根からの栄養が十分にえ生き 渡らなくなりますので えー良い意味は実りませ んそのために年利な準備が必要となるある 職人さんはこう言っています素人は もったいなかって枝を切ろうとしない そして鳴った身を全て実らせようとする それではいい武道はできないこう言って おられるこの私の枝で身を結ばないものは 全て父がそれを取り除き身を結ぶものは 全てもっと多く身を結ぶように張り込みを なさいますという言葉ですがえ大変これは 身を結ばない枝は取り除かれるということ は非常に厳しい言葉とえここは聞こえて まいります 張り込み選定という言葉を聞くとなんだか 痛くて辛い言葉のように響いてえまいり ます張り込みなのですから余分で不要な枝 は切り落とされてしまうのではない かだから身を結ばない役立たずの枝は 切り捨て られる立派でもない自分は不要な枝と 見なされて切り落とされてしまうのでは ないかとここで不安を覚えるという方も おられるかもしれません がしかしここでこの駆込みをすると訳され ている言葉は手入れをするあるいは綺麗に するという意味の言葉本来の意味は清める という意味の言葉だと説明されますつまり 私たちは清められる必要があるのだと イエス様は言っておられるようですです からノフは身がなる木の場合にはもっと身 がなるように枝を張り込んでくださる 私たちがもっとイエス様と繋がって身を 実らせるために私たちのうちにあるその身 を結ばない枝をこの刈り取られるという ことではないでしょう かいずれしましてもノフは武道の木とその 枝に対して配慮をしておら もっと豊かに実らせるために定例をして これを綺麗に なさる葉っぱや小枝を お切り落として くださるふさわしくない邪魔な要素を神は 切り落としてくださる私たちがキリストに あって身を結ばさせるために針を持って そのようにえ神はなさる武道の選定はいつ するかと言いますとま色々本読んでおり ますとこの身がなる時の終わり頃冬に選定 をするとある本には書いておりまし たどうして冬なのかと言いますとえ木が 冬眠しているということだからだそうです ですからあまり痛みを覚えないだから冬に 選定をするとそう書いておりました私はえ そういう経験がありませんのでよくわかり ませんけれどもまそういうことだとあ本に はありまし た駆込みは冬に行うということを聞いて 私たちにもうん改めて当てるのではないか とこう思ったようなこと ですこの冬 これは人生に例えますと試練や苦しみの時 と言えるかもしれませ ん私たちは知っていますイエス様信じます という信仰を持ったらすぐにバエルの生活 が始まるというものではないということ です信仰を持って も苦難があったり悩みの日があるという 経験を誰もがしていると思い ますその悩みの時試練の時それを冬という 言い方で表しますとその時に実は私たちは 張り込みを促されている選定されていると いう風にも受け止めることはできるのでは ないかということ ですその試練や苦しみの中でイエス様の 御言葉によって色々と気づかされるああ 自分は今まで ええ自我が強かったのではないかあるいは 傲慢さがあったかもしれないそのことに こう気づかさ れるそれが実は私たちの成長のために イエス様が気づかせてその部分を記憶 しようとしてくださっている働きが あるですから試練や苦難 悩み悲しみというものはできれば経験し たくないし痛みを覚えたくないと私たちは 思いますけれどもしかしその時こそ神様の 前に減りくだされながらああ今もしかする と神様が私にこのり張り込みや選定をして おられて心を清くしようとしておられるの かもしれないという受け止め方もまたえ できるのではないででしょ かイエス様 は恵みを運び続ける小さな枝その枝をえ この育てるために張り込みをして世話をし て くださるある聖書学者は5節をこう訳して います私につっているものがあれば私も その人の中にあって働くそうすればその人 は豊かなをぶのである私がその人を通して 私の技をするからで ある私はその人を通して私の技をするこ おっしゃるそのことが語られた上で4節 以下で誠の武道の木であるイエス様とその 枝である信仰者の姿が語られていき ます信仰者は御言葉によって選定されると いう形で父なるの手入れを受け記憶され 豊かな身を結んでいき ますえしかし神様のこの選定私たちはその ように張り込むれたり選定されていると いう時実はそれほど意識していないという こともあるかもしれません実感がないかも しれませ んそれはもしかすると私たちが本当に 御言葉に聞きそれによって自らが切り取ら れていく刈り取られていくということを 拒んでいることによるのかもしれませ んもしかすると自分を この借り刈り取ると言うんでしょうかこの 選定するという時のその 御言葉の部分には耳を塞いでそしてえこれ はちょっと自分にえなされたら神様によっ てなされたら困るなという部分には耳を 塞ぐということさえ私たちはましねないと いうことであります しかし本来のあり方としては私たちの悪い 部分が切り落とされていくということです から耳を塞ぎたいしできれば聞かなかった ことにしたいという御言葉もやはりえ 受け止めなければならないというところが あると改めて思います6節に は私にとまっていなければその人は枝の ように投げ捨てられて枯れます人々がそれ 集めて日に投げ込むので燃えてえしまい ますとあい ます私たちは木と枝の関係よくわかります 木の幹は地面に根を下ろし水分や分を 吸い上げそれぞれの枝に与えますもし枝が ミから気に離されたら枯れてしまい 投げ捨てられて焚きとして焼かれてしまい ます私たちは枝が木のミにつがってい なければ鼻も身も結ばないことをよく知っ ていますとくところがよく言われます私は イエス様を信じて生活しているのにどうも キリスト者としてちゃんとして花を咲かせ たり身を結ぶことに自信が ない身を結べているんだろうか確信がない と思われる方もいらっしゃるかもしれませ んそれではイエス様にとまること繋がる ことはどういうことでしょうか身を結ぶと は一体どういうことでしょう かこの世で は成果をあげるという言葉があります 私を身を結ぶことができるだろうか大きな 立派な身を結ばなければならないのでは ないか成果を上げなければならないのでは ないかと考えてしまうかもしれませんそれ はこの世で立派なことを成し遂げることだ と思ってしまいやすいですあの人は立派な 身を結んでいるそれに比べて自分などは ちっとも立派な身を結べないと思って しまう しかしそれはイエス様がおっしゃっておら れる身を結ぶということではありません イエス様そういう意味で語っておられるの ではありませ んえ最後に1つの話をして終わりたいと 思いますかつて東ドイツという国があった 時のことです東ドイツのプロテスタント 教会の指導者であった アルブレヒトシェンヒルという方がおり ましたこの方は社会主義国ドイツにあり ましてプロテスタント教会守りながら戦っ た人ですこのシェンヒル先生はあの ヒットラーがシェアしていた時代自分の 信仰を貫くのに厳しい戦いをした人 ですドイツ告白協会というグループに属し てすでに若い牧師でありましたけれども 初めはま牧師の卵であったという時代で あったといいと思いますが研修を続け ながらすでにヒットラーに対する戦いを 始めやがて牧師になりその戦いを継続し ましたしかしこういう勇敢な牧師 はヒットラー政権は兵隊として勝平して しまって戦線に送ったそう です自分に歯向かうものそういう人はもう 先生に送る それに引っかかってしまって東部戦線に この人は送られドイツが敗戦した後 シベリアの捕虜収容上に入れられて3年の 間そこでえ苦労な日々を送られたんだそう ですただこの先生なかなか偉いところが ありまして若くて元気もあったのでしょう その収容所の中に小さな新学校を作って しまったそうです 毎日肉体労働に出ていながら勉強したと いうことですから大変です何の教科書も なかったことでしょうから一体どうやって 教えたのかと思わされます私だったら とてもそんなことはできないなと思って しまうところですけれどもこのシ ヒルは小さな進学校を作ってそこで捕虜に なっている間にも神様に献したい目地に なりたいという人が何人もそのドイツ兵の 中からえ現れましてこのシェンヒ先生の元 で進学を勉強した聖書の勉強したそれまで シンヒ先生がですねえ学んできたことを 知識を全部その検診したいこの捕虜保 収容所からえこの出てえ社会に戻れた時に には新本当にまた新学校に入って資格を得 て牧師になりたいという人たちが まあいらっしゃったということですえその 人たちに勉強を教えたそしてこの千百先生 も3年経って収容所から釈放されて帰国し ましたそして故郷に着く前にミヘに行って え教会本部に立ち寄ってそしてこの ヘル先生はこの教会本部に立ち寄って得意 になってこの話をしたそう です何と言ったかと言いますとこういう風 に言ったそうですあの苦しい捕虜収容所 生活で私は進学教育を成功しましたと言っ たそうです私はこういうことに成功したん だということをえ胸を張ってですねって 言ったそうですそれを聞いていた指導者で ある監督がこう言ったそうです若い兄弟を キリスト者に成功はないはずです私たちに あるのはただ身を結ばせていただいたと いうことだけ ですこう答えたそう です俊秀先生はそれを聞いてとっても 恥ずかしく思ったそうですしかしこの言葉 を聞いてとても嬉しくなったとも言いまし た身を 結ぶそれはこの5節の言葉です私は武道の 木あなた方は枝です人が私にとまり私も その人にとまっているならその人は奥の身 を結びます私を離れてはあなた方は何も することができないの です収容所の厳しい生活に耐えてきた若い 同僚に きちんと私たちには成功という言葉はない のだキリストにつがって身を結ぶことだけ だとはっきりとこの指導者が新先生に言え たということこれはこの指導者も偉いと 思い ますその人自身 がこの指導者自身がイエス様の御言葉に しっかり聞いていた人だったと言えると 思いますこの御言葉がこの指導者の中に あったからこそ自然にそういう言葉が出て きたのでしょう多くのことを語る必要は ありませんこれは私たちにとっても警告で あり同時に慰めの言葉だと思います身を 結ぶということは成功するということとは 違うということです私たちが成功不成功に 一期一憂するというようなことは関係あり ませんそういうことをイエス様が言って おられるわけではありませんむしろそこ から解き放たれる成功するあ不成功 だそういうことから解き放た れる私たちは色々なところで成功している か不成功であるかということを図ってい ます考えてみてくださるといいと思います 捕虜収容所で新学校を作ったんです別に 校舎を立てたわけではありません小さな 群れでしたでしょうそこに献身者たちが 集まってきた神様喜んでくださいこの成功 を喜んでくださいと言っても何の差し使い もないのではないないでしょうかしかし おそらくこの若い進学者ンヒルはそこで から遠くなっていたのだろうと思わされ ます清さから遠くなっ た汚れが混じりこんでき たそのことにすぐ監督は気がついた からこのようにして私たちには成功という 言葉はない主なる神が身を見せてくださる だけのことだと言ってその言葉によって このシェンヒルに入り込んできた汚れと いういうものを清める働きをしたと言える と思い ますこの清さは8節ではあなた方が多くの 身を結び私の弟子となることによって私の 父は栄光受けになりますと語っておられ ますこの通りに生きることこそが聖なる 生活ですキリストの父なる神の栄光が 現れることそのためにキリストの弟子に なりきるということです 神が神であることが私たちの働きにおいて 明らかになり ます私たちはイエス様の清さに真て 生きるそこで私たちは自分の人生の成功不 成功に喜んだり悲しんだりする思いから 解き放たれ ますそれはたえ不成功と思える歩みにおい ても神喜ばれる神の恵みの実りは豊かだ人 から見れば 評価されないということであるかもしれ ないしかしその人は神の巫女であるイエス 様につがって生きたその働きは人には評価 されないかもしれないけどもその人は キリストの清さに生きたということであれ ばその清い身が結ばれていたんだという ことができるイエス様はそのことを評価 なさるということが言えると思うんです このシェンヒルという進学者は後でこう 言っています振り返ってみれば自分は何度 も挫折し失敗をして自分の人生が全て人間 的な目で見れば祝福されていたとも言え ないしかしある時こう言われたあなたは ようやくキリストの恵みを語る牧師となっ てくださったと信徒の人に言われたという んですねようやくキリストの恵みを語れる 牧師にあなたはなってくださった ね私はなかなかそこまでは言ってもらえ ないかもしれませんけどもこのシフル先生 はいろんな挫折を経験したり失敗をしたり そしてあの私は進学校を作りましたと言っ て誇って言ったところ成功したて言った ところが私たちには成功はないキリストに つがって身を結ぶことだけだと言われた いろんな経験をしたそういう中で ああ私本当にイエス様に繋がっているの だろうか死なう神のエが表わされる障害を 送っているのだろうかと心が探られたと いうことですそういう中で本当にイエス様 の前にひくって謙遜になってえそしてえ私 のようなものをお持ちくださってしを本当 にありがとうございますと言って言った時 に先ほどの信徒の方からのこの言葉がこう かかってきたああ自分のようなものでも主 の恵みを伝えるものとさせていただいた そういう思いがこの伝わっていくのでは ないでしょうか私のようなものを選んで くださって立ててくださってそして身を 結ぶような障害へそれは多くの人々のから 成功とか言われないかもしれないけども 小さな働きかもしれないけどもイエス様は それを評価してくださいよくやった私にて きてくれたねと言ってくださるそのイエス 様の言葉をですね本当に受け止めながら 私たちはイエス様につがる障害を送らさせ ていただきたいと思うんですお祈りを いたし ます天の父なる神様私たちの小さな歩み 家庭での歩み職場での歩みの中でいろんな ことを経験します時には悩み苦しいと思う 経験もいたします しかしその時 に私たちの心の中が探られているのかも しれませんそして私に繋がっていなさい私 に頼りなさいと言って くださる本当にあなたにお便りします主を 助けてくださいとあなたに祈りますそして どうかあなたの導きがありそしてあなたに 根ざす時にあなたから 精霊によって恵みが私たちに注がれます その恵みの中でどうかあなたに栄光をきす ことができますよう にそしてあなたが私たちを通して身を 鳴らせてくださいイエスキリストの皆に よって祈ります [音楽] メンしばらくの間メッセージの応答として その場で祈り ましょうこれらのお祈りを主イエス キリストのお名前によってお捧げいたし ます アーメンご切立願います新成果332番に よって つ感謝の捧げ物をいたします献金の奉仕を 姉妹朝川子しまいお願いいたします [音楽] 主は 誠の 不のき ですその気に つれ て れが主に とまれば 豊に身を [音楽] 結ぶキリスト の愛 の中 にそまれ たのめよ 手 を主は えて [音楽] くださる すな ほさ そ に [音楽] れ 心の ルの木 ですその木に つながれ [音楽] て主の 言葉が 無にある なら 豊にみを 結ぶキリスト のあ で 心満たされて た に すも主な とに のら [音楽] れる主 のこがり 豊にを [音楽] る天の父なる神様主の皆を心より賛美 いたしますこの月も私たちをいつも支え 導いてくださり4月最後の礼拝をお捧げ できましたことを感謝 ます美であるイエス様なる木にしっかりと とまる枝として主に清めていただけます ように神様の恵みによる身そのよな身を 実らせてくださるようお願いいたし ます不安なこの世界にあって主のご支配が いつもあることを覚え平安な心を与えて くださるイエス様をそば近くに感じてこの 1週間歩ませてください病の中にある方や 試みの中にある方と主が共にいて励まして くださいますよう にただいまあなたの豊かな恵みに感謝し 献身の記としてお捧げいたしましたあなた の見栄えのためにお持ちくださいますよう に捧げられたお1人お1人の上に主のの 恵みと祝福がありますように主イエス キリストの皆によってお祈りいたします メン照映3日2127番によって照映をお 捧げしその後朝川牧師に祝Resultを していただきます [音楽] のせの りの主 よ さえと 力は たしに あれ とこしえ [音楽] まで あ主があなた方を祝福しあなた方を守られ ますよう 主が3日をあなた方に照らしあなた方を 恵まれますように主が3日をあなた方に 向けあなた方に平安を与えられますように 主イエスキリストの恵父なる神の愛精霊の 交わりがあなた方の上に今も後もとしえ までも豊かにありますようにあン [音楽] [笑い] [音楽] [音楽] お着席 ください宗法に基づいてアナウンスいたし ます見開きのページへ参ります来週手術 予定復活説第6手術礼拝式午前10時半 説教弟友となられた恩方生産者梅村姉妹 姉妹寺田 瀬 兄弟5月度拡大役員会午後1時集会室予告 は各自ご覧ください教会ニュースに参り ます今朝は教会学校の子供たちと一緒に親 と子の家族礼拝として主に捧げました各 家庭と教会に委ねられた子供たちの救いと 主の守りと覚えてお祈りください 自自習手術は5月第1手術ですので生産を 行います主の十字架と復活を記念し再臨の 主に対する希望を新たにし互いに主にあっ て1つ体とされていることを感謝し ましょう覚えてご出席 ください今週5月4日土曜日祝日午後3時 より東京会において 青木姉妹の記念会を行います出席を希望さ れる方は受付の用紙にご決め ください5月19日日曜日には加藤充宮谷 協会牧師を講師に招いての特別伝動集会を 予定していますお祈り ください5月12日決算総会のご案内をお 配りしており ますされる方は委任城を総務担当のし尚江 姉妹朝川牧にご提出 ください後ろのページに参ります次回礼拝 報党版司会藤田まどか姉妹総額薄い献金 藤田安生兄弟繁明姉妹受付河野三兄弟会場 瀬 姉妹準備梅村 兄弟音響録音斎藤兄弟教会学校柳瀬浩 兄弟聖書の学びと祈り会5月1日水曜日林 幸子姉妹5月2日木曜日繁明 姉妹街道清掃4月28日から5月4日3 林和姉妹のの班です5月5日から5月11 日4般梅村兄弟の班でお願いいたします 州法からのお知らせは以上でございます他 に何かありますでしょう かえあの伝動部の方からなんですが 特電が19日に行われ ますそのためのチラシ配布チラシ配布を 行いたいと思いますえっとあのこの前室の ところのテーブルの上に えあのチラシとそれとチラシを配布される 方は重複しないために あの配る枠をABC えDEFまで6つぐらい用意しております でそこをえっと例えばあのAに配れたかっ たらAって書いてもらAのとこ欄があり ますからそこへ名前書いてもらって あの行ってくださったら結構だと思い ますで えっとまあの1つ単位が大体100ぐらい に見てますでえ100部ですけれども半分 ぐらいにしたい50部ぐらいで行きたいと いう人はあの100部の半分持ってって もらって例えばAのところでその半分行く とたらAダッシュして名前を記入して くださったら結構だと思いますちょっと ややこしいかもがまあのまた後でそっちで 説明いたし ます あの特電までにちょっとだから前週の19 日12日ですかぐらいまでには配布したい と思いますよろしくお願いし ます他にございませんでしょう かなければ以上を持って本日の礼拝式を 終わり ます引き続きえガイドブックの合せしたい と思い ますガイドブックをお持ちの方はお開け くださいない方は前にも出しますので そちらをご覧くだ え今日は3ページ目の3ページの2つ目の 塊丸の私たちは主の恵の故にというところ からえ4ページの1つ目の塊りえ精霊点の 前のところまでですねえそこまでを読み たいと思います丸印を私が読みますのでえ 四角印のついたところを皆さんで読んで いただきますようにお願いをいたします 始めますえ私たちは主の恵の故にに預かり キリストの体なる教会の枝とされました その教会の頭であるキリストを中心とした 礼拝を捧げることによってキリストの身体 なる教会が形づくられていくのです礼拝は キリスト者の生活と教会の所活動の中心 ですもしも礼拝中心の生活が確立してい なければあるいはまた教会で他のどんな 活動に力を入れたとしても礼拝がその中心 に据えられて充実していなければ全ての 働きは虚しいものとなります私たちは愛を 通してリストにあって1つとされ主に教会 を 輝にさます神の神のて界は教会の力であ我 の他に全の想像さってられますですから 私たちにとて愛は信なものにはな礼拝こそ が攻撃なです礼拝に参加している私たち全 はもに経に めそれぞれの役を果 礼拝は前走から始まって高層までが一貫し て主に捧げられる人まとまりのものです その中で心から主に向かって賛美と祈りと 献金と捧げますまた主から1週間に必要な 霊の糧を説教を通していただきますその ような御玉と心理とによる生きた礼拝を 捧げていくたために私たちは毎週よく準備 をし礼拝を整えていく必要があります 私たちは礼拝によって罪許され励まされ 強められて1週間の生活に使わされていき たいもの ですその 者ののそが同者へのれない遣い信頼会社へ の与信行生活の彩と殺の通とての さらに引き上げられいるよ心に祈りもめて まりましょうはい以上ですありがとう ございましたお祈りして終わりたいと思い ます天の父様礼拝の後のこの学びの時を 感謝いたしますえこの礼拝こそが私たちえ キリスト者の強的な務めであるということ を学びました当に私たちはえこの身も身も 玉も本当にお捧げしてえ礼拝を捧げし ますます礼拝を通して恵まれたものとなり ますようにどうぞ導いてください等々主 イエス様の皆を通し感謝してお祈りいたし ますメン以上ですありがとうございました した

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