毎週、土曜・日曜日の21時頃より更新。 チェックしておいて下さいね!
◆〜日本について語ろう58〜
考察・失われた聖櫃〈アーク〉は四国にあるのか?
第4回:淡路島と徳島県にユダヤ遺跡!?
ただいま『北野誠のお前ら行くな』で日本古代ロマンSPとして、エンタメ~TVでオンエア中。
その中で北野誠さんと四国は剣山にて、アークはあるのか?を検証中!
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◆中山市朗ブログ→ http://blog.livedoor.jp/kaidanyawa/
2024年3月
#1 3/10(日)5時55分
#2 3/19(火)4時5分
#3(最終回)
3/2(土)21時(初)、 3/4(月)26時、 3/24(日)5時55分
中山市朗。作家・怪異蒐集家。
神秘学・隠秘学・オカルト研究家。
関西テレビ☆京都チャンネルの『京都魔界案内』、『京都魔界巡礼団』などを制作。
著書に『新耳袋』シリーズ、『怪談狩り』シリーズ、『聖徳太子・四天王寺の暗号』、『聖徳太子の「未来記」とイルミナティ』などがある。
古代史、聖徳太子の調査から、オカルト研究家としても活動している。
怪談とは、語りの世界である。
この語りは、日本語である。では、その日本という国とは?
◉お相手:のの(中山市朗秘書)
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[音楽] はい日本太郎え配収集家岡研究中山郎で ございますカメラ担当秘書のですよろしく お願いしますえ北さんとのお前ら行くなで えま悪を求めて剣木山にえ2泊3日の旅だ ということでえまそれにちょっと不随し てえとこういう配信をやっております失わ たアークについて本当に日本にあるのか どうかっていう話なんですけどもえっと 北野誠さんとねあのまあまあテレビ番組は 見た人もいると思うんですけどもま見れて ない人見る感じでない人もいると思うので ちょっとまえお話していこうという風に 思います前回ねあのちょっとえうまさの話 をしました京都ので僕と北野誠さんの旅は このうから始まったんですねででま前回 言いましたようにえそのまあこの島神社に ありますま宮トリーを見まして本に不思議 な形をしてるなとね三柱トといえばね あの 去年岐阜の山で三トを求めてったところ 遭難仕掛け話がねありましてもそれ 思い出してしまいましたけどもいや実はね あの北野さんからその見岐阜のミハシ取に 行きたいっていう要請があったんですけど 僕はもう2度と行きたくないって断ったん ですようんでそのとこあのさんはなんか 三神編集長自分のラジオに呼んでね三神集 長に岐阜の山の話をえ美香さんしてもらっ てじゃみかさん僕来たんですけどったらま あんなにはあのま紹介しますけどみかも 行く気なしもう2度といかんわみたいな ことでまそれでまあの葉さんの目端取りを 最初にま四国へのたに行ったわけですけど もでこの後テレビではおそらく四天王寺に 行ってるんじゃないかと思うんですけども なぜ四天王寺行ったのかっていう話を ちょっとしますねあのさっきました京都の 渦さていうのは旗市の本拠地なんですよで 小徳大使の時代は秦の川勝というま果の 資料ですねえがま交流を立ててそこにま 小徳対しの持っていた弥勒菩薩繁蔵をまえ ね元々本尊にしておいたと思うんです よでおそく牛祭りというのは実は当時から あったじゃないのかなと僕は四天王寺でも 牛祭りあったと思うんですけども実は小徳 大使が直接お寺を立てたとか云々したって いうのは日本職によればこの8の寺今の コルと四天のだけなんですよホルで出てこ ないんですよ だから小徳大使と関係か小徳大使の進行の 後が残ってるのが実はコージと四天王寺な んですうんで四天王寺はやっぱりねあの 果しがスポンサーですだから市来であると かなんかそういうあるいはあの労働者で
あるとこねうんうん建築技術だとかって いうものは全部果しがどうもえその色々と 力を貸して果たしが中心となってども立て ていったとうんいうことなんだそうなん ですね謎の果です謎の果トラジ果でこの果 というのがどう中国から来たんだけど 中国人でもないよねま昔のねシというかで もないよねとじゃあ一旦どこなんだ言っ たらまそのもっと西の方からやってきたえ ユダヤ人ではないのかというま話もあり ますえでこの人たちはま中国大陸から来た のは確かなことでで朝鮮半島特に白木経由 で日本に渡ってきた人たちということは これ確かなことなんですけども白木経由 ですんで朝鮮半島の人たちでもないという ことなんですねで信仰が非常にその何を 信仰してたのか分からないていうことなん ですけど うんま仏教が来る前に日本に来てますんで 仏教徒ではないんですよ果というのはうん じゃって何なのかっていうんですけどもで も僕調べたところねあの果がと真の思帝の 真のからま逃げてきたっていうことなん ですけども真の思考ってのことって一般の 人たて大きな信仰心持ってなかったんです よ今でいう大きな宗教を持ってなかったま ちょっとなんか今でいう同窓人みたいな ものを畑にお祭りしてそれをんでたいう ことあったかもわかんないですけどもま 何々教とか何々周波っていうのは庶民は 持ってなかったで果たしもおそらくそう いうのは持ってなかったじゃないかという 風にま僕は思うんですけどそれがま日本に やってきてから小徳大使についてえま仏教 でを作りながらも神社も立てていきました からうんうんだからま仏教とでもないしの 神社だったら日本の新党ですからねだら果 は日本の新党なのかとまちょっと似た概念 が持ってたんだなかと思うんですけどま謎 のトラジになるの確かですで四天農地に 行ったのは実はまあ2級同祖論を追って四 のてるってどういうことかていうと四天 王寺 え聖徳大使馬宿王子うん馬宿のみ馬宿っ てキリストのことだよねと馬宿でね生まれ た救世主でしょで救世主小徳大使はグ観音 と死でグ観音と仏様になって今ホールの 夢殿にアンチされってんですねうん勢観音 救世観音これメシア観音です いやこれ明らかにキリストの影響を見 られるよなということなんですねうんから ま四天王寺のガラそのものも非常に ちょっと不思議なガラの形態をしているの とだ小徳大使の進行は一体何なのかって いうところをま色々考えてみるとま仏教と
いうのはおそらく 学問として取り得たんだろうなとねだ王寺 ってだから学問大学でもあったんですよ 僧侶立ちが集まってそこで仏教を勉強する 大学でもあったし鳥があるありますんで 新党でもあっただろうしガラの配置が いわゆるえ北に向けて一直線に並んでる から同居なんでこれはねえ北進進行の同居 なんで同居であるしひょっとしたら京京の お寺でもあったかもしれないということが ありましたもう四天王寺はねもう詳しく 言うとこれだけでも3時間ぐらい喋っ ちゃうんでまこのぐらいにしときますけど ちょっとま四天王寺と小徳大使とウマ二 っていうのがこう混然体となってで牛と いうのはやっぱついてくるんですよねキー ワードが牛みたい牛牛なんですよ牛なん ですよであそこの辺はね昔はあの視線王寺 のあのあの通りのある辺りはあの辺牛バ って言ってですようんで牛のあのあの いわゆるなんか牛1がた1番最初に日本に 立った牛1が四天王寺のあの鳥の前って 言われてますんでこれ家畜をあの学んでい こと出てきますなのでちょっと牛とか犠牲 祭とかっていうのがこんな割れてんじゃ ないのかなとそうなるとちょっとユダ っぽいよねってのがあるわけですうんそう いうこともあって王寺にちょっと寄ってみ ましたでいよいよと今度は北野誠さんと 言ったのが 淡路島ね田島の えユダヤの遺跡っていうのがあるんですよ そこに行ったんですけどこのユダヤの遺跡 って何なのかなんですけど実は昭和9年の 9月にえま淡路島相本市の旅館え死首園 っていうねえま旅館がありましてそこの 経営者がま森吉さんていうことなんです けどもえこの州園というのは現代あの ホテルニアホテルニあていうシフでお 馴染みのあそこなんですけどもえそのま あの別てがあるんですけどもそこにね実は ユダヤ遺跡あんですけども元々この 森と人がそのゆを作ろうと思ってなんか 掘ってるとなんか遺跡のようなものが出て きたということなんですけどもこれなん だろうなと思ってその夜に休止されまし た40だ歳若ですよねそうなんですよで 亡くなってすぐにね室と台風が来たんです ようんであのこの旅館もなんか大被害を なんか受けたそうなのでこれたたりちゃう か言うて埋め直したんだっ てそれがそもそも始めでえ今度はえ その昭和27年か戦後ですね昭和27年の になって淡路古文化開放協会というところ のえま白山吉孝さんという人が中止となっ
て再度発掘したらしいんですよでこのこと は実は神戸新聞にこう連載されましてうん がネットを引けばきっと出てくると思うん ですけどもま日本人にもユダヤの地え淡路 で遺跡発見内藤博士なが調査っっていうま 見出しでえちょっとま何回かに分けて連載 していますえでこの時あの立ち合った人 たちが当時のGHQの総司令部の従軍牧師 だったローゼ大子教うんそれから日本 イスラエル教会のえ小林え高知さんという のかなうんだとかえーそれから えっと同えイスラエル日本イスラエル教会 の理事長のえ鶴健さんであるだとかええ それから横森中さんていう業務理事の人だ とかそれからまえ内藤博士っていう方だと かいろんな人がまそこに参加しましてうん でまう掘ったとだからえ老前大教とか日本 イスラ協会の人がもう参加してたってこと はこれもうユダヤの遺跡であるってことを まほぼ認めていたようなこのものなのかな という風にま思うわけですけどもまでそこ 祝典をやってまえ白作業がえ起こった ところ えっとその前その祟が起こったという時は あのなんかえっとVG型の石板が置かれて たんだってこうこうこう こうね石板がこう置かれていたのとそれ からえ石presentがこうあって石 presentにエフライムの紋章 エフライムうんエフラム今あのね前回言い ました子族の失わた子族のうちの1族です うんから石質があってそこに女院石 いわゆるま女性のあそこの掘り込んだこれ 女院石って実は日本の新党にも個新党も あるんですけど同窓人の元になるんです けどうんそうですね ただそ非常になんかリアルだったそうです ようん射術的なものだったので日本の入院 石とちょっと違うよなとでそれは聖書なる 梅を増やせよ地に満ちよということのあれ じゃなかろうかということと うん青いその玉石が出てきたとうんなんか そういうのもあってまユダヤのものじゃ なかろうかということでま掘ったという ことなんですけども えまこん時もちょっとま色々と出たらしい んですけどもなんかねやっぱりえ蓋がして あって えバベの木か先兵の石present8子 の玉石と青い石とV型にえた2枚の石板石 石っていうのとえまさき田ウケの像と エブラの紋章をもう一度確認したという ことなそう ですただこれ昭和34年の伊1台風で なんかV型の板なんかは流されたそうなん
ですけどもただ剣山検証学会っていうのが また入ってぺ埋めあの掘ったりしてるです ってうんでこれが平成8年1996年の ことでこの時に丸石と指輪が2つ出てきた とでえ丸石まこの辺にまた写真載ってると 思うんです丸石のヘブラ文字のようなもの があってとでえこの時はあのエリエリア 後編というまえ元中日イスラエル大使この 人が確認したところヘブライ語でそれもね そのヘブライ文字がBC7世紀から6世紀 頃に使用されたものらしいとうんで聖なる 波という意味に取れたということなんです てで指輪が出てきました指輪も1つは ダビデの紋章みたいなのがあって文字が あったと文字にはチオンと書いてあった シオンのことで中子とはいはいはいはい いうことと2つ目の指輪には鹿の絵が鹿の 絵っていうのはもうあの失た十部族の族の 紋章ではなかろうかというようなそういう もんがま掘られてで今あのなんとかていう とにあるんだよね魚谷さん魚谷さんそう そうそうこのこの魚谷さん本達しあるん ですけどあでもあれでよあの大きには魚谷 さんのところにあるてないんですよな盗ま れたら困るからあそうな魚谷さんのところ なんだけどねでももう動画で言うてはるや ん言ってましたよね言て言うてはるうんと いうことでちょっとまいうもがあるという のでまえ北野さんとまずそのま淡路島に 行って淡路島のまさっき行ったホテル淡路 あるんでねあのやっぱりあの止まって もらわんとみたいなこと言われてちょっと 止まられへんねん言うたら食事して いけちょっとちょっとお昼しは高級なもの いただいてですねでま見させていただき ましたそううんまちょっとでもね僕らの見 たのはもうレプリカなんですよ流され ちゃったりしてるのとまちょっとま掘った ものはま各に持っていかれたりだとかうん されたのでまちょっと何とも言えないん ですけどただ まおそらく色々とこの環境見たそのまその ロゼ大子教であるとかエリア編さんだとか も見ておそらくこヘブライのもので違い ないとで文字もえ今使ってるヘブライ文 より古いものであるだとかっていうことを 考えるとまユダヤの遺跡と考えてもいいの かなとうん別にこれは日同ソ論って大きな ものじゃなくて淡路島でなのでやっぱり船 を公開しているヘブライ人たちみたいな人 たちがまなんか漂着したりだとかあるいは 上陸し て でねでま誰か亡くなって亡くなった人を 伴ったりした可能性はあるよねとうんうん
だからま淡路島とかあの辺っていわゆる クロシオルートうん島ルートクシルト 分かれんですけどもあの以前なんか ベトナムの難民たちがなんか乗って日本に 着したことあったんですけどま黒潮に乗る とあの辺り行くんです四国だとか淡路島 あるいはえ木半島に行っちゃうこともある し津島に乗ると北九州から単子半島行ける のでまそういう人たちがまいたとしても別 不思議はないよなとうんいうことで まあまあユダヤの遺跡ではなかろうかと私 もなんとなく思いましたうんなんだけども まそれによってじゃあ二同祖論の証拠なの かとまそれはちょっと別問題かなとうん いう風なことも思ったりしますでえ1日目 はそのえ京都から天王寺で青島と言ってで 2日目です ね2日目は県民神社県神社県神社神んで 何かおしていただいたんですよなんで県民 人言った書いてまあの北野さん言ってる わけですよあの松浦谷君の件で県民神って 犬神を実は払える唯一の神社って言われて てねうんで県民神社の件はかこい書きます がま元々犬という書いてなかろうかとま 思うんですけどもうんなんですけどもで その時に田君をまお笑いしてもらったんだ けどでも北の誠さんが言うに はそノりがちょっと変わっててなと ヘブライをちゃうかと思うねんというよう なこと言ってちょっとそれ聞かへんかって 言われたんだよだからけ実は行く予定じゃ なかったんだけどもちょっと行ってみひん かってことでちょっとじゃあ行ってみよう かってことでまケ忍者にまあ行きましたえ 徳島県美市のえ白まテラのってとこにある んですけども山の中にあるねえあの今車で 行きますけども昔は相当大変だったんでょ ねき大ったと思うんですよ本当にうん双剣 がなんと5世期 ますでグさんとお話させていただきました けどまあ当時四国なんか誰も進んでなかっ たでしょうとうんで洞窟みたいなところに まあのどうも立てたみたいで立てたという かま神社とも言えないような祭場を作った んですよということを言ってありましたね ええなんか1888で明治22年にま今の 本殿みたいなものを改築して1975年に 配電を作ったという風におっしゃってまし たけどもえ非常にあの謎の残るでお祓いし てもらったんだよね野さんねはいお祓いし ていただきましたどうでしたあのノと僕は ちょっと聞いたところよく聞くノりとは なんか違うなとあのねずっと聞いてればね なんか山田のオチの名名前だったりア テラスだったりま出ては来てたんですけど
うんあの聞き取れることは聞き取れたとし ても全文は聞き取れなかったですねうん そうなのね中山さんもそうですよねでぐ さんに聞いたら一応大和言葉だとは言われ てはいたんですけどうんうんうん山言葉に 聞こえたかな聞こえないのよそれが普通の ね普通のあの通常のノりととはまた ちょっと違ったそううん発音の仕方とかも ちょっと変わっててなんか独特でしたね ちょっとねうんだからなんか言い回しも 独特だし発音もなんかちょっと独特で ちょっとねあのなんか上がるんですよね なんとかで感じそうそうそうだからで北野 誠さんとか鎌倉監督によるとなんかえ なんか松本かどっかの大学の教授がなんか 調べに来たらでなんかイスラエル人と一緒 に来たらしいね大人しったけどね人に来 たらユダヤぽいよねってウライ語っぽいよ ねっていう話にはなったらしいのようんふ うんうんうんなんだけどぽいおねなので 完全にそうというわけでもないていうこと なのでちょっと不思議だなと俺はね ヘブライとよりなんか調整半島うんうん うん例えば白木とかの言葉が残ってんじゃ ないのかなとうんなんとなく思ったうん なんか本当独特ですうんだから白木の言葉 の中に天みかであるとか大和の内みたいな 入れ込んでやってほんで昔の言葉がその まま残っちゃってんのかなとうんさっきは 5世紀に四国の山の中にできたわけなんで もう隠れされてるわけですよで周りは どんどんどんどんま言葉って変わるじゃ ないですかどんどんどん変わっていって 大和言葉もちょっと昔の山言葉と今の言葉 違うと思うんでうんだからその辺 が取り残されていったのかなと うん文字ではま残りますけど発音がわかん ないじゃないですかうんでいうような感じ もあんのかなとわかちょっと僕はでも まあまあまあでも変わったノりとであった こと確かだしま乗り手なることも確かだし 士さんもいやこれは大和言葉ですって おっしゃってたんでいやいやま言葉ちゃう やろと言いながら首ひい ながらえ戻ったということなんですけどね 全部は本当聞き取れなかったですねあそう なんですよねそうなんですよ でだからまちょっとま謎だなと思いながら まあ県民忍者を後にしたとでこの後実は 白人神社ってに行くんですよ白人神社とか て白と神社とまえ読むんですけど もこの続はまた次回やりましょうかその 奥宮がねとても長い石だでねそうそうそう そうまた次回で次回ではいではそれでら それそらありがとうございまし
[音楽] た
淡路島出身ですが母は鮎屋父は物部の生まれですが太陽や火を崇める風習があったそうです、拝火教景教のなごりでしょうか?
いつもYouTubeをご視聴いただきありがとうございます!
YouTubeへのコメントは拝読させていただいております。
YouTube上でのコメント返しはできませんが、同様の質問を『中山市朗ブログ』( http://blog.livedoor.jp/kaidanyawa/ )のコメント欄へ記入していただけますと、中山市朗がお返事をすることはあります。
今後ともよろしくお願いいたします!
淡路島や四国って、謎だらけですねー
真実は蓋をされて隠されている気がします。
DVD化して欲しいですね。
私も30年くらい前から賢見神社に行って祝詞を唱えてもらっています。この前神主さんにお伺いしたところ「私は何十年も休んだことがないです。土日祝日関係なく、毎日ここで皆さんに祝詞を唱えています。」と仰っていてびっくりしました。
😢
母方の家がH氏と言いますが瀬戸内海の離島出身です。嘘か本当か本家は太秦で航海中に海賊に捕らえられてここに住むようになったのではないかと言っていました。(笑)伯父は西洋人のように鼻が高く、眼光鋭く、仲代達矢みたいな感じで日本人離れした顔をしていました。
アークだけじゃなくて剣山の話も掘り下げて欲しいです
こんにちは。
中山先生、貴重な考察勉強になります。
お肉だけではなくて野菜もしっかり食べてくださいね!
ののさん、人柄が出て好感度大ですよ!
ところで、竹内氏は?
いろんな話があり、全部は難しいですが、少しずつ拝聴しています、最後、その世代の映画見ていたので、笑顔になりました。