自分のブログを「佐藤雄基」で検索したら、全部で45投稿あった。
中世国家論について、水林彪『天皇制史論』に心酔して以降の考え方の変遷を述べようとしたが、相当の紆余曲折があり、視聴者には分かりにくそう。
そこで、現時点での私見を簡潔に整理した後、後で改めて詳しく述べることとした。
私見では、佐藤雄基氏の権門体制論の理解が現時点での中世史学界の到達点。
0011 川合康氏の奇妙な権門体制論(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/221f61f251ba8c0ddcf555d01673cef9
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9d60347b2ce27855fc69002e121f7368
そこで、佐藤氏の見解と対比の上で、私見を述べることにしたい。
「鎌倉時代における天皇像と将軍・得宗」(『史学雑誌』129編10号、2020)の注10、
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(10) 現実の最高実力者が鎌倉幕府・得宗であることをもって権門体制論への批判とする類の議論が後を絶たないが、黒田も幕府が「権門政治の主導権」をもつことは認めている。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c17a2e0b20ec818c1ab0afd80862eb6f
佐藤雄基氏『日本中世初期の文書と訴訟』(2014年 5月30日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/73554b5de2f9422a4bae8652e1010485
與那覇潤・安冨歩・東島誠のトライアングル(2019年 7月 9日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6a7a3820d4cc5c44d40c529c94d36cf8
論文に社交辞令は不要。(2020年12月20日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e9edff0971aa758cfeb4e3276cf926f6
新年のご挨拶(その1)(2021年 1月 2日)~(その4)(2021年 1月 5日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/896f6f1d4184ed0b84f204fe8cddc712
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c17a2e0b20ec818c1ab0afd80862eb6f
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d78d824db0eff1efeecc14e0195184d2
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7ea75a0c1ebee9f2337b054434882704
新年のご挨拶(補遺)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4f7e604e47b3c0e59d1e30df10b5bf02
赤橋種子と正親町公蔭(その4)(2021年 3月11日)(2021年 1月 5日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/588e84f3ea3f9104df0529410ddf29c0
長村祥知氏『中世公武関係と承久の乱』についてのプチ整理(その6)(2021年 9月24日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c4893cecdbe17efd08552b2c196e1a35
「朝幕関係が一変したとか、幕府が朝廷を従属下に置こうとしたというわけではない」(by 高橋典幸氏)(2021年 9月29日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8fc879a7e15b24002c5aa3efd256d232
「乱の敗北を契機として、朝廷が「携武勇輩」を常備し得なくなったことは間違いない」(by 本郷和人氏)(2021年 9月30日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/056502e6f1d4fb3458cd1f83c19f78c9
承久の乱後に形成された新たな「国際法秩序」(2021年10月 1日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c6e725c677b4e285b26985d706bf344c
佐藤雄基氏の論文の検討は止めて、暫く中世史を離れることにします。(2021年12月12日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/654eba568b8b323b644b90abdae150b6
第24回配信を始めますタイトルは佐藤 勇紀氏の研究についてその位置 ですえっとですねあの中世国家論について え水林たの天皇政子論に進水して以降です ね私があどのよう な考え方に変していったかをですねえ 述べようと思ったんですがやっぱりですね あの相当の右曲折があって非常に分かり にくい話になりそうなんです特にですね あの日体一郎市の中世に国家はあったかに ついてですねえ詳細に検討する必要がある んですがえっとそのまず日田市のですね 考え方を理解するのが相当変でえその上で またそれを批判するのもまた大変なのでえ そういったものをえいきなりですね YouTube始めたばかりで色々やるの はどうかなっていう感じもしてたんですね でたまたま昨日ですねえ書いたようにばの 家で新聞赤読んでですねえ近藤寿司の 佐藤ご式目のを見てですねあの佐藤勇市を 媒介としてですね現時点の自分現時点での 試験をですね完結に整理することができる んじゃないかという風に感じたんですねで え自分のブログでえ佐藤佑樹で検索したら 全部で45投稿あってですねそれなりに私 は佐藤佑氏の論文を読んでいますそして あの佐藤ですねえやっぱり非常に優れた 研究者だと思ってるんですよ ねま私も結構 あの生活はシトですが木ぐらいは高いと いうか結構偉そうだこと言ってるんです けども佐は本当にえ構成恐るべしと 考えている研究者 ですそれでですねあの論についても佐藤勇 氏の理解が現時点での中世地学会の到達点 を示しているんじゃないかと思うんですね そうするとえ佐藤市の見解に対してですね それなりに合理的に反論をすることが できればあ他の研究者のですね見解を いちいち全部参照せずともですねある程度 の確信部分に近づけるんじゃないかという 風に感じるんですね うんま比較するの恐縮ですが可い安しも 検問体勢論についてですねえ色々言われて います が可愛し本当に えー事実の救命についてはものすごいシワ を持っているんですけれど も検問体制という理論についてです理論に ついての説明は相当変なんですよ [音楽] [音楽] ね川師は鎌倉バは軍事検問として国政に 位置付けられながら検問として捉えられ ない性格を色こく持っていたとかいうわけ
ですよねしかしもうそうだとしたらそれ もう検問じゃないんじゃないか超検問的 性格を持つ検問とは一体何なの かまそういう疑問 を普通のですね論理的思考力がある人は 抱くんじゃないかなと思うんです [音楽] ね私は彼の超検問的性格論は検問体制論と しては論理的に破綻しておりその破綻は 上級の乱の戦後処理に最も鮮明に現れて いると思います え川は優れたり実証しかですが理論化では ないというのが私の評価 ですなととま偉そうなこと言ってしまい ましたがそれと比べるとえ川と比べると ですねやっぱり佐藤者実の方でもすごいし 理論的な整理の仕方もですね見事なんです よねで え特に検問体制論に関してではですねえ 鎌倉時代における天皇像と将軍特装という 市学 雑誌129編15号に載った論文でですね 現実の最高実力者が鎌倉バ特装であること を持ってえ検問体制論への批判とする類い の議論が後を立たないがあ黒田もバが検問 政治の主導権を持つことは認めているとあ いう批判をされているわけですねま あ例えばですね え本郷和敏なんかはこの現実の最高実力者 が鎌倉バ独走であると思ってえ検問体制論 への批判とする類いの議論をま一般書です が結構されてますよねで私もですね実は前 の掲示板な見るとですねこういうこと結構 書いてるんですよね しかし まあしかしま あ殺の批判もです ねじゃあ殺説はあ上級のランの戦後処理を 説明できるのかというですねえ疑問を私は 抱いてるわけですねまあそこに至るまでは 結構長い経緯がありますのでえっともう ちょっと遡ってですね佐藤との関わり合い を見ていくとまあそれを通じてですね佐藤 市がどんな考え方の人なえ考え方の人なの かっていうのをですねえ漠然と理解してえ もらうためにですねえ私の古い投稿をです ねちょっと遡ってみましたえ最初に佐藤市 の名前が出てくるのは2014年の5月の 投稿なんです が佐藤佑紀氏が日本の日本中世初期の文助 と訴訟と いう本を出されてですね えそれを船山さんが言及されて えうんなかなかなんか面白そうだなとは 思ったんですけれどもえこの時点で私は
ですねあんまり顧問女学に興味がなかった んでえ佐藤ちは読んでいませ んでその後ですね え変なところにちょっとサトの名前出てき まして2019年ええ5年経って2019 年です が あの東島誠っていう人がいますよね 最近も幕府とは何かというあんまり学問的 価値のない本を出しました がその方がですねえ暴露のための基礎概念 除雪というのをですねえPDFで読める ようにされてたんです ねそれで え この東島 私はガーシーと呼んでるんですがえ ガーシーの この論文でです [音楽] [音楽] ねガシはあの佐藤新一は 誤解され誤読されていて えーなんだかんだ言っても要するに正確に 読んでるのは自分だけだということを言 みたいなんですよ ね世上画境提唱を停止ているかに見える爆 論が佐藤新一の目指したものよりは生産的 な議論となっているのかと言えばこれまた 疑問なしとはし [音楽] ないそのちょっと後ですねまた佐藤佑樹が 近藤しかの近所への諸表で公生段階で東島 誠市の仕事に学ぶ必要に気づいたと述べる などいく人かの英敏な研究者もまたあ問題 の所在にきづき始めているであるってなん だかなという書き方なんですよ ね要するに自分が1番便でえその 他6でもない研究者にはですねえ佐藤裕吉 のように英敏な自分に近づいてる人もいる ということでなんだかんだ言っても1番 褒めたいのは自分なんですよ ねで東島市はがはですね去年出した国家と はあバクとは何かでですねなんか インターネットで論客がいるけれどもろで もないみたいなことを言ってて どう考えても私なんですよ ねあのネットでガーシーを批判してる人 って別にそんなにいなくてですねあと学会 でもですねガシってあんまり相手にされて ないんですよ ねなんか絡まれると面倒だから あ警して遠ざけるみたいな感じでみんなっ ていてです ねまああんまり学者としては大した人じゃ
ないんですよ ね であとですね えま佐藤氏 のこういう関係を示すものとしてですねえ 谷口優太市 の中世や歯科の血闘と権威の後書きにです ねなんかちょっと面白いこと書いてあん ですよねうん うん谷垣ゆたしはま立派な研究されてる人 だと思います が私はですね え確かに珍しい資料を発掘しているの だろうけれどその材料でそこまで言うかと いう充実が多くてですねなんとも奇妙な 独語感を偉いたんですねでまたこの後書き がすごくてですねなんかものすごい えビジレクでですねえ自分 の指導をしてくれた人やあるいは知人友人 とですね褒めまくってるんですよ [音楽] ねで えま面白いからちょっと読むとアクロ文の 審査では主の高橋の竜樹先生及び 田子先生小川 先生先生桜井英二先生からご指導賜った今 思い出してもこれ以上望みべくもない先生 方でただひたすら教習するばかりだがそう した先生方に厳正活丁寧に指紋して いただけたことは私にとって最高の色み だったごたぼの中あの暑い8月に審査して いただいた先生方に改めて感謝を 申し上げる次第であるから始まってですね まよくまここまで言うなっていう感じで 書いてんですよねでその中に 一氏からは中研究に必要不可欠な実証理論 の両面で言い尽くせないほどお世話になっ たなとあってですねで研究室の制度え研究 員の制度や図書館の設備なども俺を言い まくってですねえで1番最後の方にですね 戦略において支えてくれた方々として 江本佐辻にとか書いてあんですよ ねまあちょっと変だなていう感じを私は 受けたんですがまあ佐藤を巡るですね え研究環境の一端を示すま人間関係を示す 一資料ではありますよ [音楽] ねそれでですね私が本格的に里の論文 をもう入手できるのもなみんなですねね 集めてですね読み始めたのは2021年に なってからですあというかそのもえ前年の 大晦日にちょっと色々あ前年のえ12月に ですねちょっと読み始めたんですけれども この当時私は太兵器のことをですね色々 やっておりましてえそれで
え結構ですねその正意対将軍に対する2者 択一パターンエピソードということで え大将軍 についてのですね評価が高くなったのは実 は あこの南北町のですね え室町バ階層期なんじゃないかなっていう ことを私は考えていてそんなことずっと 議論してたんですよねそして え 原道の務政権における川高の立場などを ですね一生懸命え読んでいたんですねそれ でまあある 程度目処が経ったなと思ったところにです ねえ読んだのが あ佐藤え佐藤のですね え鎌倉時代における天皇像と将軍特捜って いう論文なんですね でこれで やっぱりもう ちょっと特に特装の関係ですねこっちに 研究を広げなくちゃいけないんじゃないか なっていうことを感じたわけ ですそれでです [音楽] ねま太平について書くべきことは一応 見込みがついたなと思った直後に出会った のが佐藤佑紀氏の鎌倉時代における天皇像 と将軍特捜で私にとってこの論文はゲーム の終盤に意外なとこから登場した最大最強 の難敵ラスボスのように思えたんです ねで佐藤の問題意識をちょっとですねえ 紹介してみる と黒田川の議論は説明の明解さもあって上 からの合を重視する現在の研究動向に 大きな影響を及している一方武器政権の 成立を実態歴史の動員と見る立場から反論 がある佐藤新一は検問体制論を批判してえ 京都の調定型の論理でありむしろ望である まこれは有名なフレーズですよねえ検問 体制路っていうのは京都の京都側の願望な んだと論理ですらだえ論理ですらなくです ね願望なんだと いうことを佐藤はわ言ったわけですねで 近藤茂和は調定再建運動論に対して事件が 起きてしまってからそれを収束して平人に 戻るためのために機能するものであり歴史 の表層に見える指導者の論理に過ぎないと いう風に批判された とでそこがサトの面白いとこなんですねあ その次がですねしかしながら確かに願望で あり辻アースではあるが検問体性論的な イメージは中世に事象として存在していた そのことを正面から問わなければ議論は 平行線に終わるのではないか自省10の
戦争の偶然の産物として武政権が関東に 成立した鎌倉時代においては天皇と武との 関係をどのように考えるのかは中世国家論 の焦点であっ た同様に鎌倉次大臣の現代子認識において も難問であったためえ鎌倉時代には様々な 天皇像歴史術が生み出されてきた権威と 権力と権威実態と理念といった二分法的な 発想を元にして力点の際で繰り返されてき た議論の構図を抜け出すためには実態とし てあった天皇像を捉ええその歴史的変化を 問うべきではなかろうか物語やイメージに 対して歴史的事実を重視する傾向が伝統的 な歴歴史学にあったがあ例え挙行であった としても一旦生まれた天皇像がどのように 変容しながらどのように人々にリアリティ を持たせたのかが重要である現実に機能し た天皇像歴史像の元でどのように資料が 生成しそれらを厚生の歴史がどのように 読み解いたのか服装的 に議論を進める必要がある とま非常にあの高度の高度なことをですね これでもかと曇りにしてるのでなかなか あの一読したぐらいでですねえ理解するの は難しいとは思います が あのま あここですねあの確かに願望であり辻 合わせであるが検問体性論的なイメージは 中世に事象として存在していたとそれで ですね佐藤氏はそれがあ あ例えば自前の思想にそれがあるという風 に言われるわけですねそしてえ黒田あ黒田 はですね黒田敏男はあ自院の著作から検問 体制論の著作を着想を得たんだろうとさし は言われるわけです ねそれでま私はその点は佐藤が正しいと 思うんです ね 検問体正論的なイメージが抽選に事象とし て存在したとしたら顧問女を読める人が ですねえ顧問や国力読める人がですね一生 懸命勉強していくとですねえここにも検問 体制論が ありこっちにも検問体制論があるという ことでですね次々に検問体制論を発見して いくんですね検問体制論的なイメージを 発見していくわけですそしてえ体論者が ですねますます自分の検問体制論は正しい んだという風にですね自信を深めていく 小女小力を読める人ほどですねえどんどん どんどん純粋なより潔癖な検問体制論者に ですねってくというですね現象があるん ですよねま私はそういう風にシニカルに見 てるわけですが
あの高史なんかはそうですよ ねすごくコ記録読める人ですからねでえ あの人がコ記録を読んでいけばですね至る ところに検問体制のを発見するわけです ねちょっと面白いんですよ ねただですね私自身は あ要は あの中人が持っていた世界観だとかあ あるいは国家官ですよねえ中世の人って もちろん1つの国家があったと思ってた わけですよねで ええ東国幕がですね独立国家だだなと思っ てなかったわけですよそれは私も当然そう 思うを考えますねあの国家という概念自体 はそれが特に洗練された形に今のように ですね洗練された形になったのはこれ近代 に決まってるわけですよねで近代のそう いう概念でええ過去をですねえぶった切っ ていいのか という疑問は当然出てくるわけですよねえ 例えばあのグランドセオリー私的唯物論は 階級という概念を切にしましたよねところ が中世の人が階級なんか知ってるわけなく て階級なんて言葉知ってるわけじゃなくて あれはまさに近代的な概念ですよねそして 近代的な概念で古代から 中世金星え近現代までですねえバッサ バッサとぶった切っていくっていうのがあ ま私的物論になったわけですよ ねそういうそういう考え方がま破綻という かあんまり6な下を見出せないっていう ことがもう分かっちゃってそれでまそう いうのはあんまり流行らなくなったわけ ですよねそういうグランドセオリーはあ しかしそうかと言って資料に人選してる だけでいいのかと資料に人選してま差実証 主義と言いますけど昔の人がですねこんな ことをえま あ実証主義ってあの要はちまちまとした ですね事実をですね解明していくという ようなことがそれが歴史学なのか とやっぱりえ例え近代の概念であろうが 分析概念としては必要であってえ資料概念 だけでですねその時代を描き出すっていう のは無理で資料概念 と分析概念をですね適組み合わせなければ やっぱり歴史の実像っていうのは描けない んじゃないかと私は考えるわけですねでえ 私が重視する国家という概念はまさに近代 の概念であってえそういう近代的な概念で え過去を分析する必要を私は感じています 結局私結構ですねあの私的になんていうか その基本的な態度にですね好意的ではある んですよねあの意外に思われるかもしれ ませんがやっぱりそういう大きな理論
グランドセオリーがないとダメじゃないか という風に漠然と思っていてそれで [音楽] ま水林ですねちょっと一時的に浸水したり してるんですね水林はあのウェイバーの 理論家であるとともに あとえやっぱりマルク的なですね私的物論 的な要素相当残していてですねいわば ウェイバーとマルクスの合体みたいなこと なんですねで私は え水橋に非常に魅力を感じたんですけれど も色々考えた結果ですねあのやっぱり水林 が水林が持ってる数主義的な部分っていう のはダメなんじゃないかとウェイバー一筋 でいきゃいいんじゃないかという風に今は 考え方が変化しているわけですねま ちょっと佐藤さんの議論と離れてしまい ましたがあとにかく 資料を読める人子女国力をですね正確に 読める人がですね え資料を発掘していくですねえここにも あそこにも体性論があるっていうのは実情 なんですよねこれは非常にあの面白い現象 でちょっとこれリンクを貼らなかったん ですがあの岡田政治市あの 東北学院大学でしたっけえっと その教授でえ今名誉教授でえま外ご恒例の 方がですね長老クラスの方がですね やっぱりちょっと面白いこと言ってるんで 後でえリンクを見つけて貼っておこうと 思い ますさてですねあのえここでえ中10と いうのがすでに紹介した文章ですね現実の 最高実力者が鎌倉幕府特装であることを 持って検問体制論への批判とする類いの 議論が後を立たないが黒田も幕府が検問体 検問政治の指導権を持つことは認めている と ま私もそ議論を何度か繰り返していたわけ です [音楽] ねそして蒸気のような問題意識を持ちさし は鎌倉後期まで視野に入れて天皇像やその 担い手の変化を通的にたどり天皇像との 連環の元でえ将軍像特装像すなわち武器像 がどのように生成したのか歴史実践や資料 論の鑑定を交えつつ検討するということで えそれでえこういった論文の構成はこう なってるわけですよ ねで自衛の話はあ第1章第1説に出てくる わけです ねまあこれ初めて読んだ時はですね第章え 天皇像と将軍像の模索武官省の時代とです ね第2章文部健康の将軍像と天皇上級の乱 の戦後について素直に読めたんですが第3
章鎌倉機の天皇と創像武の定着については ですね佐藤氏も相当大胆なこと言われてん ですよ ねそしてです ねま佐藤氏の議論は旧来の退屈な特装先生 論鎌倉爆政治士大え3団会論ま佐藤日が 指導した議論ですよねえその枠組に取られ ていた私にとって本当に神戦で画期的な ものに思われたですがただサが特装天皇 関係の設を取り扱う具体的な利を見いて いると若干の懸念も覚えたわけ [音楽] ですでどういうことえどういうことかと いう と物語やイメージに対してえ歴史的事実を 重視する傾向が伝統的な歴史学にはあった が例え巨であったとしても一旦生まれた 天皇像がどのように変容しながらどのよう に人々にを持たせたのかが重要だとしてえ 巨の世界にサトはぐんぐん踏み込んでいか れるわけですよねでまそういう勇気は確か に認めますけれどもサトが何度か言及され ているマス鏡や五代帝王の物語なとこう いうですねえ文学的な世界の複雑さを私は あまそういう世界をずっと研究していたの でそういう複雑さを知っているんですよね でそのした私にとっては佐がまりに無邪気 で無であるようにえな印象を受けたわけ ですもうちょっと具体的に見ていくとです [音楽] ね 佐藤論文第3章特に重要なのは従来の爆風 権力の枠を超えてく本上への特装権力の 関与を強めていた法条さ時が鎌倉において 事実上の君としての意識を持っていたので はなかろうとかとする点ですねこの場合 事実上の君主っていうのは東国家の君主 じゃなくてえま私の要語で言えばですね 西国国家を含めた日本国全体の君主として の意識ということになるんですよ ねちょっと読んでみましょうかだが特装の 国政上の役割は必ずしも天皇将軍の補佐 のみではないあ鏡は執権を利決断しとする 日本中世では裁判する権限は必ずしも重視 されてこなかったと言われえ少なくとも剣 談権などと同レベルの特分権として裁判権 なるものが整形されることはなかったが 特装は格下政権や本所の支配権を尊重しつ 様々な入を行いバの裁判を求める社会の 要請に応えていく特装権力は諸国守護を 担当する将軍とは異なり裁判する権能を 自らのえ自らの新たな仕事として発見した のではなかろう かという点で え少なくとも一般論としてはですね優れた
着装だと思うんですね でこうした特装の役を示唆しあるいはこの ような立場となった特装を証言するような 資料を佐藤氏は発想されその中には無学 素原やラケ通りの文章に受ける平出の表現 などまなるほどなと思わせるものも たくさんあるんです がしかしですねえどうにも変だなと思わ れる資料もあるわけですね例えば佐は かつて細が鎌倉法条師の神話と歴史権威と 権力で詳細に論じた法条論じたところの 北条正子が神宮高校の北条義時が竹の内の 少の生まれ変わりだとの伝説をかなり重視 されるんです ねまあ私はですねこんなものは権力者に 思えたベンチャ神話だという風に考えいる わけです ね細川長の内容ちょっと紹介する と義時は周知のごとく追悼千住を被り ながら上級の欄に勝利したあ上級の欄の 結果結末じゃなくて結果ですかねこれああ いいんですね結末吉の勝利は当時の王朝 貴族にとってはまさにあってはならない点 同地の事態であった貴族たちは元の現実を 受け入れるため必死で洗礼を探したのでは ないかそして彼らがやっと見つけ出した 洗礼こそ竹の内少であったと考えられる 一方でえコ長文中はある人に目を見る部隊 をえ8万えとしているそして岩水 八幡宮シャム田中市は竹の内すの子孫で ある士とされていたあるいは義時の竹の内 少最短伝説はは岩清水者が鎌倉バクとの 関係強化などを目的として作成したものな のかもしれ ないだが義時没の30年後に成立した古今 長文中に記録されてされたことはこの話が 王朝貴族の間に急激に広まったことを示し ている貴族たちはこの話にまさに飛びつい たのではなかったかそして平の正感想に 記されたことは鎌倉武社会もまたこの話を 受け入れたことを示しているその理由は 言いまでもなくこの伝説が北上し特装の 派遣の根拠となったからであろうえ鎌倉 時代の貴族社会武社会は共に義時の竹の内 ス最短伝説竹の内ス最短伝説を受け入れる 必要性下地を有していたのであるであり かくてここに関東竹の内少伝説とでも言う べき中世神話が誕生したのであるという ことですねね細は元々こういう文化的な話 をですねあまりしない人だったんですよね えとにかく 資料を発送してえ非常に緻密なですね実証 的研究をされていて えだから細市にとってはあこの倉法条師の 神話と歴史っていうのはあ新た
な研究分野を開拓した期的な なんだと思い [音楽] ますまあこの論文の基礎となる細川の発表 望研究会で聞いてですねあるいは吉の 竹の内ス最短伝説は岩水が赤倉バクとの 関係強化などを目的として作成したものな のかもしれないということ言ったのは私な んですよねこれあの細坂は別に中でそんな こと書かれていませんけもまた あの誰々がこういったじゃなくてですねえ なんとなく曖昧な書き方をされてます けれども まこれ 私なんですねそしてです ね岩清水は訴訟やゴースが大好きな物欲 優先の宗教検問であってこの伝説は別に吉 が竹内少の再来だなどとですね岩清水関係 者が本気で信じていたことを示すもんでは なく岩水にもっと少寄進しろとバに要求 する請求所なのではないかと私は言ったん です ねま結構その場が凍りつきましたけど [音楽] ねま私はまた空気を読まない人間なのでえ この本がですね上司された後の勉強会でも 全く同じような発言を繰り返したわけです ねあと平ら摩擦な感想もですねこれマはあ 還元マニアというかちょっと扱いにくい 頑固の変人タイプの人な人だったんですよ ねだったと私は思うんですが しかし そうかと言ってですね あのいくら直原古事的なタイプの人である からと言ってですねえあんまり露骨 に幕去った時を批判するとですねそれ やっぱりちょっとまずいんで 竹の内え大震の最短みたいなことをですね えこれまたこっちはおベンチャラという よりは保険料ですよねこういっ た厳しいことを言う際にえ自分が処罰され ないようにですね保険料としてこういうの をちょっと書いておいたというのが私の 解釈でえーまあんまりまともに受け取る 必要はないんじゃないかなと思うわけです ねで細川は非常にまともに受け取っていて 佐藤勇紀氏もまともに受け取っているわけ ですがあまあ正直私にはなんだかなという 感じがするわけです ね そしてあと佐藤氏はですね え法条やす時のストイ更新つち最短節って のも紹介されてんですねこれ誰もほ誰も 知らなかったんじゃないかと思いますが ちょっと読んでみる
と当時の御作コトにとって祖であるごとは 異なりスはは自らの高等に正当性を付与 する存在ではなく音量でしかなかったこう した現高等とは異なる過去の天皇をに安時 を結びつけたことは御作コトへの遠慮と いう以上に安時の持つ大きな力に対する意 の念を見出すべきであろう過去の天皇像と の観念上の結合によって法上やす時の神格 化神話的な特装像が生み出されていたその 担い手はサトの友情のような強の仏教武行 人や武と交流のある貴族学者たちだった 前説で検討した神宮皇后たのえ地スの最短 とともにいずれも京都で語られていた関東 に関する噂であり関東のがもそれらを摂取 して自己造を作っていたそうした噂の世界 は切や式目注釈の世界に痕跡をとめていた ということです [音楽] がトイですからね これまた神宮護や あ竹の内少だったらあ偉い人ということで え最短伝説も素晴らしいかもしれません がストイの最短嫌ですよねきってお前も お前は音量の生まれ変わりかみたいなこと を思うの思われたらたまったもんじゃない ですよねだからこれおベンチら神話じゃ ないですよねで相当屈折した事情があった はず ですでこの神話との関係でえ5体底物 あたりへの若干の言及があるんです が私は5代帝王物あたりは相当真剣にです ね検討していて えマス鏡との関係を特にえ詳しくやってる んですねでまあの五代底物語も怪しい本で え捜索が相当含まれてることは明らかなん ですよねまあ例えばですね五代帝王もあに はえ賢くもえる子かなエピソードドって いうのはあるんです があこれ話すとちょっとなるので え今日のところはやめておきますえま鏡と ですねえ5台帝もたに同じようなパターン の記事があってですねえーま私は5代帝王 物語を参考に増鏡がの著者が書いたとは 思っていますが実は五代帝王物語の作者も ですねスカミとの作者と同じなんじゃない かとあ要は 歴史を書を書き始めたあ書こうと決意した ですねえマスカの作者がですねま手始めに ちょっとも鎌倉ジ全体ではなくもう ちょっと短い期間のですね歴史を書いてみ たんじゃないかなという風に私は思ってい て えま私はあの語とマの作者がドイと考えて いますがあ5台帝王物語もですねえごえ そのドイツ人物ご格さ2は書いてんじゃ
ないかなと思ってるんですねまこれはあの 後で詳細に述べたいと思い [音楽] ます そうですねちょっとあの少し長くなったの で今日は一旦ここで終わりにしてこの続き はまた 次回述べようと思いますま色々面白い話が あってですねただそっちに行っちゃうと 本筋が見えづらくなっちゃうのでどう しようかなと悩んでいますもう少しあの 整理してからですねお話したいと思います え今日のところは以上 [音楽] です
25:40 あたりで「オカダセイジ氏でしたっけ。東北学院大学教授で……」などと言っていますが、これは岡田清一氏(東北福祉大学名誉教授)の間違いでした。
岡田清一(1947生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%B8%85%E4%B8%80
「慈光寺本妄信歴史研究者交名」(その12)─「それは、黒田俊雄氏が指摘した権門体制論的な考えに近似」(by 岡田清一氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/655b39a76d172f8a5dce8d20931ec7bb