室町教会 聖書入門講座 第7回「聖書について⑧ 新約聖書 後編」

室町教会 聖書入門講座 第7回「聖書について⑧ 新約聖書 後編」



2024年 1月 30日(火) 10:00~11:30 日本キリスト教団 室町教会
【50:17】動画
※使用テキスト『新共同訳 聖書』巻末「聖書について」pp.17-18
○新約聖書:各「手紙(書簡)」
・パウロ書簡(7書) ・パウロの名による書簡(6書) ・ヘブライ人への手紙 ・公同の手紙(公同書簡:7書)
○他:『讃美歌21』484番「主われを愛す “JESUS LOVES ME”」解説

【参考文献】
・小友聡、木原桂二『1冊でわかる聖書66巻+旧約続編』、日本キリスト教団出版局、2023
・荒井献、中村和夫、川島貞雄、橋本滋男、川村輝典、松永晋一『総説 新約聖書』、日本キリスト教団出版局、1981
・内田和彦『改定新版 「聖書は初めて」という人のための本』、いのちのことば社、1999,2023(改定新版)
・日本聖書協会編『はじめて読む人のための 聖書ガイド』、日本聖書協会、2011
・日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌21略解』日本基督教団出版局、1998

えそれではえこれ よりキリスト教入門口座を始めたいという 風に思い ますえ今日 の3日か21ですけれどもえっとそれは えっと484番まシレをアイスです ジーザスラブズMeをあの歌いました えこれはあの日本におけるま プロテスタントま選挙の初期にま日本語に 訳されたま賛美科の1つです特に作者の アナバーレックスはですね分泌業ま小説も 書くような方でえっと特にまウエスト ポイントというところのアメリカ陸軍志間 学校の近くに住みそこで60年近くも バイブルクラスをあま開いてあの生徒たち の宗教教育に尽くしたという風に言われて い ますそしてまこのまジーザスラブズです けれどもまこれはあのま賛美科としてま曲 がつけられたのはまウィリアム ブラッドベリさんがですねまあの作曲をし そしてえ1862年えゴールデンショアー というま3美科州にですねえ納められ そして独立者三美科としてま歌われるよう になりましたであのこの三美科実は日本に ですねま選挙師が来てでですねま最初期に ま翻訳をされて歌われたそういうま賛美科 のま1つですえ特にですね1872年え ですからもうあのゴールデン ショアにですね載せられて10年後のです ね 秋在日選挙師会議日本で行われたまそう いったものがあった時に教師のま ジェームズバラによってこの歌がですね みんなで歌われたということがま載せられ ていますそれのですねま試みの役主役は ですねま交互でですねこのようにあの訳さ れているという風にま書いてございました エ我を愛します う聖書申します彼に子供な か新すれば属すハイSアイスまSというの まイエスですねハイSアイスハイSアイス 総聖書 モスしかしですねまこのま2年後1874 年にはですねあのもう最初の日本語賛美科 州が出されまその中ではもう文語町のま役 になっているそうですそして1903年の ですね20世紀のもう初めに三美かという ものが出てまほぼ現在の形になったという ことですであの私自身えっとこのですね あのこないだもあの礼拝でもまむしろ文語 役の昔のあの賛美科の方がですねあ私なり はですねま とてもま多くの方がそうだという風に思い ますがシレをアイスという方があのま

とてもあのこう普通に入ってくるというが ま中に入ってるという風に思いますけれど もしかし法語訳をですねあの歌いましたま そこにはですねあの聖書は言うイエス様は 愛されますこの私よという風にま言われる んですけどもまそこのま繰り返しのところ 聖書は言うというのはなんかちょっと合わ ないなという風に実はま感じておりました がま実はこの えっと説明というかあの三科聖書会321 の聖書略解によると実は 原始原科中にですフザバブルtells MESOというま言葉というのは聖書が そう告げるからの部分がま入っておりま これがまこの歌のキーワードにまなって いるまそういう重要なフレーズなのでえ それをですね3日下21の交互役をですね 新しく作った時にそれを繰り返しに復活を させた1903年以後の役からはま脱落を していたからということでありまして なるほどという風にま本当にこの胸落ちが ましたわけでありますまなのでまこれから またえっとこのま文語訳もま引き続きです けども交互役などの歌詞もですね用い ながらえっと賛美をしていきたいという風 に思う思いましたま一応ま今日のですねま 3日下のところは以上でで終わりたいと いう風に思い ますそれではえ聖書入門講座のですねま 今日 え実際のところですねま入っていきたいと いう風に思いますえ今日はあまいよいよ ですねま前回はですね3つの教官福音書 マタイマルコルカそして第4福印書として のヨハネそしてその後のですね死都現行6 までですねその事柄をまいたしました そして今日は新薬聖書27章中のですねま 大分を占めるま所管についてま手紙につい てですね今日はえっと少しま学びを深めて いきたいという風に思ってございます新薬 聖書の後編各所管ということですであの実 はこの各所管についてですけどもまこれは あのこう所管全章でございますけれどもま これは実 はこの4つにですねま分けようという風に するとま分れていくわけであり ますまパウロの名よって書かれているその ま手紙ま所管はですねま実はえ7+6の ですね13章ござい ますましかし最近のですねま聖書学の研究 によでパウロがま実際に書いたまその手紙 まパウロ書館というものは実は7章えそれ はローマのシトの 手紙ですでそしてまコリントシトの手紙1 そしてガラテアのシトの手紙フィリピ

そしてテサロニケの手紙1フィレモンの 手紙まこの え7つまこれは2つありますから え7書がまパウロがま実際に書いたそう いう手紙であろうという風に言われてます その他えっとパウロの名よる所管がま6章 まこれえま コロサエフェソそしてテサロニケの2 そしてえその下ですねま3章あるんです けどもま手もての1手の2そして テトスでこのま特にテモテとテトスはま また別にま北海書館とも言われますそれは また後ほどですねま説明をしたいという風 に思いますそしてまパウロ書館そして パウロの何よる所管パウロの何よる手紙 そしてヘブライ人への手紙そして行動所管 まあの大のですね教会のために書いたと いう行動書館が7章ヤコブの 手紙まペトロの12でヨハネの手紙123 そしてユダの手紙まこれ7章これで前21 章ということでございますそれではえっと またですねあのこのえ新共同薬の聖書の 裏面えそこにま書かれている新薬聖書それ のまここの17ページの中ほど からですねま少しえっとまたえっと読んで 参りたいという風に思い ますパウロの手紙は彼が創設した諸教会 尋ねようと思うローマのキリスト教徒 あるいは彼の協力者に当てられたもので 手紙の配置は年代順では ないはいありがとうございますえっとです ねまパウロの手紙は彼があの作ったパウロ という人はですね伝動旅行をしてえそして ですね あのそれぞれ各地電動力を3回も増したと いう風に言われてますそして各地に教会を 立てた特にコリントガラテアフィリピま そういったところにですね教会を立てて いった大伝動者と言いましょうかまその ような方でありますであのままずちょっと パウロという方についてですねあのもしか するとあのまだあのちょっとあのぼんやり されている方もいるかもしれませんので 少しパウロのあの説明をしたいという風に 思いますシトパウロまパウロはですねま ディアスポラのまイデアとしてまその ディアスポラえっとあのもうこの主イエス の時代ですねこのまイスラエルそこはです ねまローマ帝国のですねま統治下になって ございましてえ宗教あるいは文化はま ローマ帝国において認められておりました がしかしもう独立国家あるいは王国では ありませんでしたまその王国はですねま はるか昔北イスラエル王国そして南ユダが ですねまそれぞれえ滅びていったまその

ダビデの王国がですね別れて北た南そして その北王北イスラエルも滅びそして南ユダ え王国もですねえそのバビロンバビロン 保守によってま滅びていくまそういう中で その後自分たちのですね王国として国とし て独立王国としてはえっとなかなか立た なかったでその時にえっとその当時のです 世界各国にバラバラになっていったそう いう風にこの離散をしたまユダヤ人離散を されたまそれがディアスポラという風に こう言いますけどもそのまディアスポラの ユダヤ人としてまその ギリシャギリシャのですねまローマ帝国の 中のですねまキリアのま 首都えタルソに生まれましたえですから えっとギリシャ語はですねあのとてもあの もうペラペラなわけでございますよくあの 喋れるそしてそのゆはですねしかしえ厳格 なユダヤ教のですねま家庭であったパウロ 自身がえでユダヤ人中のユダヤ人という風 にこう言うほどですねま幻覚でそして彼は ま非常にこう熱心なユダヤ教徒であったと いうことがですねまその手紙において言わ れていますその熱心査は キリスト者キリスト教ままだその当時は 文化されていませんからえっとユダヤ教の まちょっと一派と言いましょうかま おかしな人たちが出てきたという風にこの まこのパウロは思ったナザレから出てきた そのイエスというものをなんか旧聖主で あるキリストであるメシアであると崇める そのようなおかしなあ宗教まユダヤ教が出 てきてしまったということでまそれは えっとなんとかしなければそ排除しなけれ ばならないという風になり本当にこう熱心 にですねそのキリスト者を投獄をしたりま 捕まえたりですねま本当に色々なことをし たましかしまそういう風にこうしてる間 ですねまダマスコに行く途中にまそのま レノと言いましょうそこでですね あの復活のキリストと出会うわけです急に バーっとこう光にですねもう照らされて ですね地に打ち倒される そしてまそこの地の上でですね地に 打ち倒すれてる中でえサウルサウルまこれ はパウロのですねあの前の名前ですけど サウルサウル なぜ私を迫害するのかそういう声を聞くま そういった中でこうまさにこの キリスト十字架つけられしママの本当に この傷を折ったそのキリストとですねま 出会うでも彼自身ま実はま後々え告白さ れるような中ではですね本当に彼自身弱さ を負ったま実はその体にまその取り去られ ない傷があったまそういうですねこの痛み

を追いそれを何度神様に願っても取り去ら れなかったでもその痛みはそのあなたに とってですねま必要なものいやいや弱さの 中でえあなたはですね本当にもう12分に ですね恵みが与えられているまそういう ですねま声も聞くそういうですね本当に 痛み本当に血を流される重につけられし ままのキリスト出会いまさにそのキリスト によって自分自身のですねまその思いと いうかまその柄がですねまむしろ180度 変えられてえユダヤ教の熱心査がまむしろ そのキリストを伝える熱心さといういう風 にこう変わったまそういうですねま会心の 出来事がまですねま起こるわけ ですまそしてえ彼はですねこの熱心 にまそのキリストをまむしろ自分自身のま 賜物としてまタラントとしてギリシャ語が 喋れるということであのローマギリシャ後 のですねま通用するようなま異邦人 あるいは外国人という風にユダヤ人からた 言ってもいいという風に思いますがそこに ですねこの一生懸命ですねま伝動する福音 を述べ伝えるっていくわけですま彼え自身 ですねどういう人であったかというと伝動 者でありまし たそして木介者でもあっ たそしてま進学者でもあっ た本当にその障害をかけてですねその権 つけられしままのそのストそしてえその くき様々なですねまその縛りからですねま 自由にされるまそういったしかもその色々 なえ異邦人であるとかユダヤ人であるとか そのような関係なくその福音はですねま そのイエスを信じることによってのみま 与えられるまそういうことを熱心に伝えた 伝動旅行を3回もしたまそういう伝動者で あったそそしてえまたえっと彼自身はです ねまその様々なま教会を立てたいったわけ でありますけどもその教会の行った後に いろんな問題が出てきたコリントの教会 コリントの教会コリントシト手紙にはま 本当にその問題行った後にですねま分配 争いが起こってしまっ た私はキリストにつくいやいやいやいや私 はパウロにつくいや私はアポロにまそう いうアポロというま伝動者が来たんですね でそういった中でそれぞれ喧嘩をしている まそんなことで本当にいいのかということ そういったことについてですねま彼は心を 痛めてその木介をするそのために手紙を 書いたでえそういう中でえ実はえ色々な タラントがあるで えその異言を語る人あるいは教える人 そして働く人と色々な あ人たちがいるような中でそれぞれがいや

あの人たちと私たちは違うそうで私たちは 私たちとあの人たちという風にこう別れて いくようなその教会の中それ今でもあるか もしれませんそうではなくてまむしろ本当 に体の部分が色々なものがあるように手が あるように目があるようにそして足がある ように本当に耳と鼻全然違うような姿形が あってその持てるものが違っていてもでも 1つの体として大切にされるしかも弱い ところがより大切にされていくっていう ことがですねまコリントのまシトの1の 12章に書いてあってその後にそれで とっても大切なことを教えましょうという ことでま愛の参加ま愛愛するということを ですねま彼はですねまて解いていくまそう いった意味で本当にま優れたますごい木介 者でもあるそして色々な遺がですねその 教会にま押し寄せてくるあるいはその ユダヤのですねあのうんユダヤ人のですね まキリスト者がですねまやってきてえと いうもうあなたたち異邦人でその活がなく てえこの教会に入ることはできないまそれ まだその頃ままだですねあのユダヤ教と キリスト教未文化てませんでしたので えっと活がなければその放棄ですねその 陰部の放棄男性ですねの法費を切り取ら なければそれはえっと信者となれない 信じるものとなれないっていうまそういっ たことに対してですいやいやいやそんな ことはおかしい本当にそんな体の傷では なくてえ私たちはま心にですねままさに その活Deathを持ってですねま生きて いるそういうようなことをですねま徹底し てのの語っていったまそういった意味での ま進学者でもありそして復活がなければま 私たちの信仰は無に本当に無駄だっていう こともですねま言うまそれがですねま パウロという人でしたえですからこの人が ま実はいなければこのまパウロという人が ま実はいなければおそらくこのキリスト教 とはなっていなかったでしょうえっと本当 にそのそのパレスチナ地方の位置ユダヤ教 の一派えナザレ人の文化という風に書いて ますねそういうま文化としてまそして えっと様々な時代のま中でイエスの事柄も 消えていったましかしこの人はパウロがい たからこそキリスト教としてえまさに世界 宗教とし て世界をですね舞台としてえこのキリスト 教の教えが広まっていったというまそう いう重要な方まそれがまパウロですしかし パウロはえっともう1つ言っておくとま実 は生前のイエスには合っていませんま あえて首都という風に彼はもう胸を張って え主張するわけですいや弟子ではなかった

でそのイエスともま実際に会っていなかっ たもしかし私はキリストと出会ったのだで その意味において私はキリストのま死と そしてまその使わされたものとして今私の この全障害をかけるというまそういうです ねま思いを持って頑張られたというかで その方のですねま実は色々なその えユダヤ人の教会と言いましょうか エルサレム教会まその当時の中央のですね ま教会ですよねまそこからいやいやこの人 はいややっぱりそういう風に活がなくても オという風にこう言ってるし元々そのま 迫害者であったのになんか怪しいんじゃ ないのかという風にこう思われていたりし たでもそれでも彼はですねあの一生懸命 ですねあのそのそうではないということで この各地にですねギリシャの各地にま述べ 伝えていったまそれがですねまパウロと いう人でありまし たさてえ今まそういうような形でえ少しま パウロの説明もいたしましたであの実はま このまちょっと見ていただくとあれなん ですけれどもえパウロの所管が7書あって まローマコリントガラテアフィリピ テサロニケフィレモンの手紙えという風に こうありますけれどもえ実はローマには 行っていませんえなのでえっと実は手紙 ですから えっとこの手紙というのはまそれぞれの そこ地の教会のですね教痛みということに ついてですねま直接的に答えるまそういう 国会的な手段でもありそしてそれは進学 そしてそのキリスト教のですね根幹的な ところもですねま書かれていますのでま 教会では大切にされてきた本当にま実はま こういう風にこのキリスあの聖書にですね こういう風にこうパウロの所管そして パウロの何よる所管ということでまこれ だけでですねまま本当にこう13え21の 13ですから本当に半分以上まあるしかも パウロの所管だけではなくてパウロの名 よって書かれた他の後代の所管があると いうことはえっとこれはですねまパウロの 名前においてですねもうその教会の危機で あるとかあるいは乱れであるとか様々な 混乱さを乗り越えようとしたまそういう ですねまことからの現れであるという風に 思いますこのパウロの名前でなければなら なかったそういうことがあるんだという風 にこう思っていただい結構ですそしてま このパウロの所管が1番ですねまこの実は えっとこの新薬聖書の中で古い特に テサロニケの手紙の1がですねま50年 1番古いその新薬聖書の中のえっとものが ですねまテサ2家の位置としてまあります

えっとそれではですねあのもう内容のこと についてはですね新共同薬聖書のこの新役 聖書のこちらの方17ページ以下のところ ですねあの引き続き読んでそちらの方に ほぼ任せていきたいという風に思って ございますではよろしくお願いいたします ローマの信徒への手紙は神の恵みの力罪人 である人間の姿信仰による救い信仰者の 新しい生き方死んで復活したキリストとの 一致また精霊による新しい生活などパウロ の説教の重要な初代を扱っているコリント の信徒への手紙はパウロが1年半滞在して 創設したコリントの教会に当てられている その中の第一の手紙は彼の出発後分裂した 共同体を一致させ提起された諸問題に答え ているよく知られている愛の参加は13章 に見られる第2の手紙はパウロの不在中に 反対者が現れたコリント教会の危機時代を 垣みせパウロの和解の熱意と和解に続く 大きな喜びが知らさ れるパウロは本書でエルサレムの教会への 献金を進めているが後半の数章10から 12章はパウロの心を示す自伝的なもので あるガラテアの信徒への手紙も異なる信仰 の危機への応答でありパウロはキリストが もたらした新しい契約の特徴を情熱を傾け て 語るはいありがとうござい えローマの新との手紙からまなってござい ますけれどもまこちらにあの書いてある 通り非常に詳細でまとめられた内容がです ねま神の恵みの力罪人である人間の姿信仰 による救いということがま書いてあります そしてその後信仰者の新しい生き方死んで 復活したキリストとの一致また精霊による 新しい生活とという風に書いてございます であのローマの真という手紙は実はえっと 11章までがですね そのま進学書と言います進学論文と言い ましょかまそういうものであります あの福音の中心を告げ知らせようとしたま そのパウロのですねま福音理解がですねま この前半にま書かれているそしてま この特にこの前半のところにはですねま とても有名なま信仰 擬人信仰によってのみ議とされるというこ 義人がですねまていますえそしてま その後とかですねまその中にはですね本当 に正しいものは1人もいないという深い 人間理解でもそこからまさに正しいものは いないが故に私たち立方によってはですね ま本当に人をさばいていくようなこ自分は できていてそれできればできるほど人を さいていくようなそういう人間の本当に その恐ろしさというか闇が見えてくるでも

そういった中で私たちはどこに向かうべき かと言えばそれは神に向かうしかないのと いうまそういうしかもあのイエスに示され た主イエスがにを本当イエスを主であると いうまそういう告白を する必要があるという風にこう言われます そして後半12章からはですねま倫理的な 進めえがですねまこうずっと続いています キリスト者としてはまどのように生きるの かまえ聖書でいくとまこの信仰者の新しい き方 からまその後ですねま死で復活たキリスト との一致あもう1つえっとですねあのま パウロはですねま特にあの復活について ですねまこの復活がなければえっと私たち は本当にそののシクは虚しいという風にも 言いますえっとそのことはですねもう 繰り返し述べられているまところであり ますそしてですねまコリントの真という 手紙でありますけどそれ先ほどま言いまし たあ通りですねあの本当に様々な教会の所 問題について教会内の紛争についてですね ま助言をしそしてそうであってはならない というま進めがされる説とあと復活につい てえですねまそれは述べられてい ますそしてえコリントのま新と手紙の2に ついてはですねえ者が現れたコリント教会 の危機時代そのことについて えその教会を守ろうということ信仰を 守ろうということをま言っているそして パウロ自身ですねまその教会員からも疑い がかけられそういう中でですねパウロと 教会の間で生じた圧力その誤解をですね 解決をするまそのことのためにですねもう ですねまこの手紙は書かれていますそして その後半コリントの2のですねま後半部分 ではえ人間パウロというものにですねま 非常にこう出会うえパウロの自己紹介的な ですねまパウロ自身のことがですねすごく こう書かれて いるまものであるパウロはですねまの性格 あるいは強い信仰を理解する手助けとなり 貧しくなったイエスと出会い弱さの中で 発揮されるその恵みに生きるまそういう ですねあのこうパウロのま信仰に出会って いけるものがまコリントの2そしてまえ ガラテアシトの手紙はえキリストのま十字 架の福音を信じるようにですねま促す親 主義ま異邦人に活を求めるそういうあり方 はま奴隷状態そこにですねばられてしまっ ているそこからま自由になりそれがま キリストの十字架によってま自由になれる のだその自由がま民族やですねま様々なま 立場の違いそういったものま壁を超えてま 仲間になっていくこれはこれこそがま十字

架のですねま大切なところだというまそう いうですねまこともですねま書かれている まところでござい ますそれでは次ですねまた読んでいって いただきたいという風に思い ます 3つの手紙とフィレモンへの手紙とは パウロが牢獄で書いたものであるまず エフェソの信徒への手紙はユダヤ人異邦人 を問わずキリスト者は全てキリストに一致 してキリストの体を形作っていることを 説明した後後半ではこの一致を日常生活の 中で生きるように促しているフィリピは パウロがした西洋の最初の教会であり フィリピの信徒への手紙には援助への感謝 が述べられて いるパウロは国中にあってもキリストに よる喜びと信頼とに満たされており喜びの 手紙と言われるコサはエフェソの東方の町 でキリスト教の共同体はパウロの弟子に よって創設されたパウロは殺さの信徒への 手紙の中で主事の宗教思想によって惑わさ れているキリスト者を助けるために救いに おけるキリストの卓越した役割を解くはい ありがとうございますえっとですねま今 えっとこのような形でえ聖書にですねあの 並べられてる順番で言っていますでえ ローマコリントガラテア行きました次 エフェソですでエフェソはまパウロの何 よる所管なのですえまこれちょっとあの 年代見てもらったらま分かるんですけども まローマの寝台の手紙は55年56年 ぐらいそしてまコリントも54年ま ガラテアも54年ままコロサなどはま少し 後のですねま80年そしてエフェソもま 80年まあのどうしてこういう風な並びに なったのかなっていうのはまちょっと具体 的にはちょっと分からないんですけどま おそらくそのま分量的なものとあとその 獄中に入っていたっていうそういう記述が まあるのでまそのような形でこう並べられ たまそういう風にま思いますでパウロは ですねあのこの晩年え多く極地に入れれ ましたローマあのですねま獄中に入れ入れ られてそこの獄中からま手紙を書いたで中 というものをですねま多く書いていますで そのあの獄中からの手紙がある そしてまずまエフェソのですねま真との 手紙なんですけれどもですねキリストに よる一致を求めそして信仰者としてのま 生き方を教えるまそういうですね魔物 そしてえ十字架を通して両者を1つの体と して神と若いさせ十字によって敵滅ぼされ ましたというとても大切な言葉が載せられ ていますあ十字架によって敵を滅ぼすので

はな敵を滅ぼしたということあのそのこと がですねこう言わ れる壁を超えてま壁を超えて本当に神と 和いさせ人間と神が和解するそういった 十字架の事柄そして神に愛されている子供 も神の子そして光の子として歩むという こともですねまこのエフェソのま真と紙で はま言われ ますそしてえ続きましてまフィリピですえ でフィリピはこうまさにえパウロがその 獄中に入れられてる間に書きましたでその 獄中書館はですねま現代のですねま近い 時代でもデトボフェファであるとかまナイ にこう入れられてそこの獄中からたま手紙 そしてマーチンルーサキングもま獄中に 入れられてですねまそこから書いた手紙 そういったものもまたくさんございます 本当にそのような中でま なおこの福井のためにえ今極地に入ってる そして心理のためにそしてえそういったま 差別であるとかそういったものを 乗り越えるために国中に入るまそこからま しかしその獄中で書いた手紙はフィリピの 手紙喜びの所管であった本いう手紙を書い たしかもこのフィリピはえっとパウロが ですね本当に創設したま初めてのま教会で ありそしてこのフィリピそれ自体ですねま ずっとですねパウロはま非常に良好な関係 を保っていたまそのことが非常にこうよく 分かるまものでありますキリストと共に 苦難のただ中を歩む信徒の歩みというもの があの強調されていますしそしてフィリピ のこの中にはまとても古いですねキリスト 参加がですね込められていますほ無になり そしてえそこまで減りたってえですね10 時間にかかりそしてまあげられるまその 歩みまそこにですねまそこそういう愛の 歩みその私たちそのキリストに習うならば そこににま行きつくそういったことの参加 がですねま載せられているまとても大切な ものでもありますそしてま殺さの新とに神 でございますけれどもま殺さま様々な人を 交わせるま思想やま習慣などがまあるでま ここでですねま古い人を脱いでま日々新た にされてということもですねま言われる ようなまあのあり ますま主のま宗教思によって惑わされてる キリスト者を助けるためにあの救いにおけ るキリストの卓越した役割を解いたまそう いうにこう言われるものでありますそれで は続きましてまた読んでいただきたいと 思います太の信徒への手紙1はパウロの 最も初期の手紙で未熟で迫害にさらされて いる信者たちを力づけるために書かれて いるの手紙はキリストの再臨を見られない

のではないかとの不安を抱くキリスト者に 答えているありがとうございますえとこの テサロニケの手紙はですねあの少しあの 年代が違います えっと50年まとてもあの早い時期であの 先ほど言いました通りえこの新薬生書中で 1番えっと早くに書かれているもので ござい ますまこれはあのキリストのですねま というもののですねあの質問に答えたもの ですえっとなかなか再臨あのキリストが来 ないもうすぐにでもですねあのキリストが 来るという風にこう信じていた ああの皆さんであったキリスト者であった わけでありますそれがなかなか来ないで先 に天に召されていった人たちはどうなるの かそういった中でこう不安に覚える覚えて いたまそういう人たにするですねあの パウロの答えというものがこう載せられて いますそしてまこのテサロニケにはですね まとても有名ないつも喜んでいなさい対 祈りなさいそしてどんなことにも感謝し なさいというまそういうま言葉もま載せ られているまそういうまものであります そしてでテサロニケのあの2であります けどもまそこはアイリを信じる人の生き方 についてですねまノベルまこれも少しあの 10年ぐらいですねこのえっと間が空いて ございますがでもこの時代えっと60年代 のですね後半というのはこうまさにですね えもうエルサレム神殿がですねま崩壊する 前え本当にですねローマとですねまその ユダヤのですね本当にもう高層期と言い ましょう恐ろしいですねあの混乱した時代 ですそういう混乱した時代にええ色々な ですねあの偽り のま予言者であるとかあるいはまそういう 支配者に取り憑かれてしまうあるいは神の につこうという本当こう偽の支配者に惹か れてしまう危険があったそれはそういう ことはましないようにそのような誤ちを 繰り返さないためにも神様の救いを信じて そして慌てず騒がず今日なすべきする務め を果たすべきだといういう風にですねま このテサロニケの2ではですねま進め られるまわけでありますですからえっと この年代をま知るあるいはまいつぐらいに 書かれたかを知るということはその当時の 状況特にこのイエス様が生きられてそして このえうんあのこの新薬聖書がですねえ 作れていった時代というのは本当に激動の 時代ですまさにユダヤのですねまその エルサレムの神殿が破壊されえ70年にえ 破壊されそしてえローマ帝国がですねま力 を持ちそしてえでもそのユダヤ教血統的な

ユダヤ教はですねま認められていくでも遺 としてまのキリスト教はですね排除されて いくそういったこの時代がですねこの それぞれの年代であったまだこのパウロの 生きていたえっと50 の半ばぐらいとはですねだいぶとまたその 60年70年あの福井者が書かれた時代と またその後の時代大ぶとですねこの違った あの背景がありそのことを踏まえながらで もそのことのそこに生きているキリスト者 1人1人にですねその時々に慌てないよう にとか落ち着いて歩むように今こういった ことが起こってるけどでもイエス様はここ にいるでパウロはこう言ているっていう こともま与えるためのまものだということ もま覚えておいていただいたらいいかなと いう風に思いますそれではよろしくお願い いたしますテモテとテトスはパウロの協力 者でパウロは彼らに託された教会をよく 指導するよう励ます3つの手紙テモテへの 手紙12とテトへの手紙を送るフィレモン はパウロの友人協力者であり中のパウロは 主人の元から逃亡し自分のとろでキリスト 者となったフィレモンの奴隷おしを兄弟と して迎えるよう勧告するヘブライ人への 手紙は長い勧告の書であり旧約聖書を引用 しながらキリストが予言者天使モーセに 勝ることまたその祭祀職は旧約のそれを はるかに両がすることを指摘しよく知ら れる1章には進行の素晴らしさが述べられ ている本章がどこで誰に当ててしめられた かは分かっていないございましたえっと ですねあのまここからえっと手持1に テトスというまこちらの方に移ってきます えっとこれはもう100年え前後100年 前後に書かれてもだいぶとこう後半の部分 に書かれてきているものでありますであの ここはですねこのえテモ12にテトスはま 特に木介書館という風に呼ばれますまその 教会指導者に対してですねあのむしろ当て られるそれでえっとその教会指導者がです ねま他の道にまれてしまわないようにそう いう初期キリスト教会の責任者を任せられ た指導者へのですねまそういう具体的な 指示がま書かれているそういうものです ガイドという風にこう言ってもいいかも しれませんそしてヘブライ人への手紙は また特別ですえっとはいですねま両的にも えっとローマそしてコリントガラテアと ですねこうま量的にもこう大体この前半 部分に量の多いものがありますけど ヘブライ人の手紙もですねすごい量があり ますしかし後半に載せられているまこれは ですね えっとこの手紙はえおそらく説教集であっ

たという風にこう言われますえをですねま 大祭祀と見るまそういうですねま非常に 特徴があるまそういうですねあのま手紙で それ自身色々なですねま教ですからあの あるんですけどもまなかなかあの独特なま 手紙であるという風にこう思います長い 韓国の書という風にこう書いてありますま そうその後旧約の引用があるのでその 繋がりがですねあのこうよく分かるような ですねまそういったものでもあるという風 にこう思いますのであのこれもまたあの 読んでおいていただいたらとも思います それでは続く手紙のうちヨハネの手紙23 以外はキリスト者全体に当てられている ヤコブの手紙は信仰生活の実際的側面特に 共同体内での人間関係や家の問題に指針を 与えるペトロの手紙1は迫害によって質の うちにあるキリスト者を勇気づけペトロの 手紙にとユダの手紙は遺に対して信仰を 純粋に保つよう求めるヨハネの手紙1は キリスト教の本質である愛を語るこの手紙 とヨハネの手紙23は神の子の受肉を否定 する説に直面しているキリスト者の信仰を 強める目的で書かれて いるありがとうございますえっとこれえ ですねあの今あの言っていただいたえっと ヤコブそしてペトロそしてヨハネでユダえ えこれはですねま行動の所管行動所管と いう風に言われますあのま宛先がですね こう明確でなかったたりえそしてまむしろ ま全体の教会にですね言ってるであろうと いうまそういうものですで行動というのは 一体何かというとま一般に認められたとか ですねま正当的なっていうまそういうま ありますけどもまま手紙であるということ ですヤコブの手紙はま信仰を持つ人はどの ように生きるべきかについてですねま語ら れていますそして信仰だけでなく聞いて 終わるというまそれだけでなくてこう まさに行いをしなさいというまそこにです ねますごくですね重きを置くわけですま それとえっと信仰のみあのあの信仰義人の こととですねまこう対立するんじゃないの かっていう風にこう思います確かに対立し ますでもこれも聖書ですでも頭だけ頭 でっかであの信仰だけしてれば頭で考えて ば信じてだけいればいいんではなくて本当 に行いが大切だということも言われてい ますそれもですねしっかり聖書に入ってる これもやはり私たちはあの特に プロテスタント人間は心に止めなけばなら ないのかなという風に思いますしでペトロ の1も2もですねま信仰を持って生きる人 にま試練が訪れることを踏まえて本当に 助言と励ましを与える本当に辛い中ま

かなりあの後半ですからその辛いえ迫害が あったりそういった中でま その支えをですねこう言うそれがですね このペトロの手紙そしてヨハネヨハネはま 愛の手紙という風に言われます反キリスト に揺れるですねまその教会に向けて愛に 生きる信仰を進めるためにまかれたまそう いうものそしてま最後ユダの手紙でござい ますけどもまユダの手紙はイエスキリスト を否定しみだな行いに吹ける不信人なもの たちに信仰をもっ立ち向かうそのことを 進めているということまこの手紙手紙と いうのはま具体的なですねまその教会の 苦しみ痛みそしてその苦しんでる痛んでる あれば困難を抱えている分裂をしている そういうことはま今の私たちも通じていて でそのことに対して具体的にキ者として どういう風にまについてま対処をしていく かそしてそのことについて2人または3人 がま祈るあるいはまどのようにこうこの 問題を解決してそして乗り越えていったら いいのかということを進行的書かれるま そういうことのためにですねすごく大切な ですねま本当に半分以上がですねまここに ま載せられているようなまものであると いうことですえっと最後にえ問講座のです ねえこにしてる文献についてえですえっと 大哲さんそして木原慶治さんのですね1冊 で分かる聖書66巻プラス旧約続編という ものまそれがですねえっと最近2023年 のえっと本キリスト教団出版局から出てい ますまたあこれはもう古典ですけども 1981年に創設新薬聖書という本がです ね待たされておりますしあるいはあの内田 和彦先生がですね海底審判聖書は初めてと いう人のための本という本がですね海底 審判であの昨年出されていますそしてもう 1つ聖書日本聖書教会からですね初めて 読む人の聖書ガイドそういったものも出さ れておりますしまそれなりをま参考にし ながらまたえっとそれぞれえ聖書の方です ねま読み進めていっていただけたらいいか という風に思いますえこれでは所管の方は ですねまの方は今日はこれで終わりたいと いう風に思いますえっと次回はえの目視録 あの目視録についてですねまであります けどもそれをしたいという風に思います どうもありがとうございまし た

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