2024 1 21【日曜礼拝】堀江佳奈牧師・ヨハネによる福音書1:1-18「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」

2024 1 21【日曜礼拝】堀江佳奈牧師・ヨハネによる福音書1:1-18「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」

本日与えられた御言葉の本文をご一緒にお 読します本日与えられた御言葉はヨハに よる福音書の1章1から18節になり ますヨハによる福音書1章1から18節を 私と皆さんで交合でお読みし ましょうヨハによる福音書1章1 節初めに言葉があった言葉は神と共にあっ た言葉は神であったこの言葉は初めに神と 共にあった万物は言葉によってなったなっ たもので言葉によらずになったものは1つ 何1つなかった言葉のうちに命があった命 は人間を照らす光であった光は暗闇の中で 輝いている暗闇は光を理解しなかった神 から使わされた1人の人がいたその名は ヨハネである彼は証をするために来た光に ついて証しをするためまた全ての人が彼に よって信じるようになるためである彼は光 ではなく光について証しをするために来た その光は誠の光で世に来て全ての人を 照らすのである言葉は世にあった世は言葉 によってなったが世は言葉を認めなかった 言葉は自分の民のとへ来たが民は受け入れ なかったしかし言葉は自分を受け入れた人 その名を信じる人々には神の子となる資格 を与えたこの人々は地によって地によって ではなく肉のよくによってではなく人の欲 によってでもなく神によって生またので ある言葉は肉になって私たちの間に宿られ た私たちはその栄光を見たそれは父の 独り子英語であって恵みと心理とに満でい たヨハネはこの方について証しをし声を 張り声を張り上げていった私は私の後から 来られた方は私より優れている私よりも先 におられたからであると私が言ったので 言ったのはこの方のことである私たちは みんなこの方の満ち溢れる豊かのさの中で 恵みはさらに恵みを起きた立法はモを通し て与えられたが恵みと心理はイエス キリストを通して現れからである最後は 一緒に今かつて神を見たものはいない父の 古とにいる独り子である神 この方は神を示されたのであるあンこの 本部を持って言葉は肉のなって私たちの間 に雇られたというタイトルで堀か士が メッセされ ますおはようござい ます1月3週目の一礼拝を捧げられる皆 さんを心から歓迎いたし ます京都少し雨が降ってえ肌寒い日が続い ていますが皆さんのご健康を守られてい ますでしょう かえ昼過ぎからやむとえ聞いています けれどもお帰りの際も足元守られるように お祈りいたしますえ先週ですね私たちの 教会はえ佐藤明先生という牧先生をお招き

してえ特別な恵みの集会を持ちましたえ私 もたくさんの恵みをいだきましたけれども えその中のの1つでえ佐藤先生が明日が あることは決して当たり前なことではない とそういう風におっしゃったことが印象的 な1つの言葉でし た明日があることは決して当たり前なこと ではないとだから今日という日に心から 感謝して最善を尽くして生きていき ましょうというそういうメッセージだった んですねえ本当にそうだなと思いますえ 私たちが今日という日を迎えられたことも え神様の恵みでありますしまたこの礼拝に 招かれたことも神様の恵みでありますえ この恵みに感謝しつつえ今日これからの 時間共に礼拝を捧げていきたいと願い ます礼拝に際して与えられた御言葉は ヨハネの福音書の最初の部分になり ます2024年の1年間は毎手術ヨハネの ヨハネによる福音書から分かち合っていき たいと思ってい ますイースターやクリスマスなどの特別な 手術はえ別の箇所から説教いたしますがえ それ以外の手術は基本的にヨハネによる 福音書から御言葉を分かち合っていき ますえ皆さんご存知のように2021年 からえ2023年までの3年間聖書通俗の 箇所からえ手術や木曜日また毎朝ですねえ 御言葉を分かち合ってまいりましたえ3 年間の聖書通読の目的は神様の大いなる 救いのご計画の全容を知ることえそして その経画に私たちがどのように招かれて いるのかっていうことを1人1人考えて いこうということを目的としてえ3年間の 聖書通読をやったんですねえ通読が終わる に終わりに近づくにつれてえ2024年の 手術礼拝はまどうしましょうって祈ってき まし た祈りの中で今年はイエス様についてえ皆 さんと一緒に分かち合っていきたいという 思いが与えられたんですねえもちろん聖書 全体がイエス様について語っているもので ありますけれど も特にですねまイエス様についてって言っ たら印書なんでですねえマタイマルコルカ ヨハネの4つの福音書がまイエス様のご 障害十字架復活についてよく語られている ものになり ます4つの福音書がイエス様が語られた 言葉なさった事柄について詳しく書いてあ るっていうことなんですねえ次にヨハネを 選んだ理由なんですけれども4福音書の中 でえヨハネによる福音書っていうのは 奇跡物語が1番少ない福音書だっていう風 に言われてい

ます事実としてイエス様がなさった奇跡 っていっぱいあるんですけれどもそして 福音書の記者たちは自分の福音書に必要な イエス様の奇跡について選んでそして自分 の福音書に納めるようにしまし たま選んだ数を見ますとヨハネが1番 少ないんですねえ参考までに申し上げます とまたによる福音書は20の奇跡物語が 納められていますマルコは18ルカはマタ と同じ20ヨハネはいくつだと思います かヨハネは8つなんですね8ま他の3人に 比べて半分以下っていうことになり ますまこれはもうわざとそういう風にし たっていうことになりますヨハネは会えて そういう風にしたんです ねヨハネがと言うと誤解を招いてしまい ますので変えますとヨハネを通して精霊様 がそういう風になさったていうことになり ますじゃあヨハネによる福音書はま奇跡 物語が少ない分全体的な分量もですね他の 福音書と比べて少ないかって言ったらそう ではないんです ねマタによる福音書は全部で28章マルコ は16章ヨルカが24章ヨハネは21章に なります全体量から見とヨハネが1番 少ないかって言うとそうでは決してあり ませんえということですはということは ヨハネは奇跡物語を入れる分他のものを 入れたっていうことになりますよね21章 分ありますの でヨハネが代わりに入れた内容って何だっ たんでしょう かそれがイエス様の言葉なんです ねヨハネによる印はイエス様の言葉が断に 盛り込まていることで有名な福書 です例えばイエス様は私は何々であ るっていう風におっしゃったんですねま私 は羊飼であるとか武道の木である命のパン であるっていう風にご自分を何かに例えて えメッセージを語られましたがこれは イエス様の7つの言葉っていう有名なもの でまヨハネによる福音書の特別な独特な もの ですまこのようにヨハネによる福音書は イエス様の奇跡物語よりもイエス様がお 語りになった言葉に注目をして記された 福音所 ですじゃあヨハネがそういう風にした理由 は何だったんでしょうかヨハネの意図と ひいては精霊様の意図っていうのは何だっ たんでしょう かえそれはこの福音書が書かれた年代に 関連しているという風に言われています ヨハネの福音書は4つの福音書の中で1番 最後に書かれた福音書なんですよね1世紀

末に書かれたと言われてい ます1世紀末と言いますとどういう時代か と言いますとイエス様についての生商人 たちが次々と天に召されていく時代になり ますイエス様についての生商人がですね 次々と天に召されていく頃がま1世紀末 ですイエス様は紀元前紀元後を分けてお 生まれになった方ですよねそして33歳で 十字に書かれて死なれましたですので 紀元前1世紀っていうのはこのイエス様と 同じ時代を共有した人たちが次々と天に 召されていく時代っていうことなんです [音楽] ねえここでヨハネの福音書が書かれた目的 についてえ見てみたいと思いますヨハネは はですね自分が福音書を書いた目的につい てはっきりと福音書に記してい ますそれはイエス様が神であることメシア であることを読者が信じるためえそして 信じて永遠の命に預かるためだとヨハネは 記していますそのところについて一緒に 御言葉を読んでみたいと思いますヨハネに よる福音書の20章30と31節を開き くださいヨハネによる福音書20章の30 と31節 ですさ一緒に読みますせーのこの他にも イエスは弟子たちの前で多くの印をなさっ たがそれはこの書物に書かれていないこれ らのことが書かれたのはあなたがたが イエスは神のの子メシアであると信じる ためでありまた信じてイエスの名により命 を受けるためであるメンえこれがヨハネに よる福音書が書かれた目的になり ますえそしてヨハネは自分の福音書の内容 としてイエス様のメッセージお話を分断に 取り込みまし たイエス様が本当に神様であることま本当 の誠の救い主であるということをヨハネが 読者に紹介するため にイエス様がまイエス様の奇跡物語よりも イエス様がお話しされたことに批准を置い たっていうことなんです [音楽] ねえそして繰り返しますがそれはヨハネ 福音書が書かれた時代イエス様の奇跡物語 のまリアルな生商人たちが次々と天に召さ れていく頃合いだったっていうことと関係 して ます福音書の内容についてこれは本当の ことが書かれているんだよと自分もその 現場に言わせて自分もこの目で見たんだ よっていう人たちが次々と天に召されて いく頃合いに書かれたっていうことですよ ねそのような時代においてヨハネはイエス 様が誠の神の子であることを読者に伝える

ために福音書を書きまし たイエス様がお語りになったことを分断に 入れた福音書を書きまし たつまりヨハネはヨハネがやろうとした ことはイエス様が誠の神の子であるという ことをイエス様がお語りになったお話を 通して示そうとしたということなんですね ねイエス様が誠の神の子であることを イエス様がお話しされたことを通して読者 に語ろうとした示そうとした伝えようとし たていうことになり ますイエス様がお語りになった 言葉それは誠の神様しか語ることができ ないようなそういう輝きを持った言葉が たくさん入ってるとたくさんあると私も 思い ます人間には語り得ない言葉だな とヨハネはそういったものを自分の福音書 に納めることによってイエス様が誰なのか ということを読者に知らしようとしたと いうことになるん ですこのヨハネの意は今を生きる私たちに もとってもありがたいものになるのでは ないでしょう かイエス様がそのご生涯で次々と起こされ た跡これらを持ってしてもこのお方が誰な のかということは分かると思い ますけれど今の時代もヨハネの時代と 同じくその生商人たちは次々と天に召され ているそういう時代になり ますですからこの時代にあってもイエス様 が誠の神様であることを知ること信じる ことにおいてイエス様がお語りになった 言葉に 耳を傾けるということはとても大事なこと だと思うんです ね私たちもイエス様のお言葉によって イエス様のお言葉を通し てこのお方が誰であるか誰であるかを知る ことに導かれるん ですイエス様のお言葉を通して誠の神様と 出会って永遠の命に預かる恵みに招かれる んです え兄弟姉妹の中にはいろんな方が いらっしゃると思いますある方は私はまだ あんまりイエス様を知りませんえまだ 信じる気にはなれませんっていう方が いらっしゃるかもしれませ んそのような方がヨハネ福音書を通して イエス様のお言葉に耳を傾けることによっ てこのお方と出会われることを心からお 祈りいたし ます またこういう方がいらっしゃるでしょうか 自分は今信仰が停滞気味です

と初めの愛の喜びを失ってしまったかも しれませんという方がいらっしゃる でしょうかえそのような方がこの1年 ヨハネによる福音書を分かち合うことで イエス様のお言葉に触れていくことで信仰 の回復が与えられるより深いところで イエス様に出直す恵みがあることを願い ますえそのような祈りと期待を込めてえ 2024年の手立礼拝はヨハネによる福音 書を公開説していこうと考えてい ます私たちの共同体がイエス様のお言葉に 触れてイエス様のお言葉のシャワーを 浴びることによってこのお方が誠の神で あるということの確信が新たにされる1年 となることを心からお祈りいたし ますそしてイエス様をより知ってイエス様 をより愛する共同体へと作り替えられて いくことを願い ますえこれからはヨハネによる福音書の 始まりの部分1章の1から18節を一緒に 読んで分かち合っていきたいと思い ます1節から5節をもう1度ご一緒にお 読みしましょう1章の1節から5節になり ますせーの初めに言葉があった言葉は神と 共にあった言葉は神であったこの言葉は 初めに神と共にあった万物は言葉によって なったなったもので言葉に終わらずになっ たものは何1つなかった言葉のうちに命が あった命は人間を照らす光であった光は 暗闇の中で輝いている暗闇は光を理解し なかった アーメンヨハネはイエス様について独特な 表現をしまし たイエス様のことを言葉だっていう風に 表現したんです ねえ言語のギリシャ語を見るとロゴスって いう単語が使われてい ますロゴスてっていうのを日本語で言葉 って訳したんです ね私たちがま生活の中でよく使う言葉って いうのは言葉っていう言葉単語は言って いう感じに葉っぱの歯で言葉ですよ ねえ けれどイエス様については言っていう言葉 だけでま言葉っていう風に読ませてい ますこれはイエス様っていう言葉が人間の 言葉ではないということをはっきりさせる ためにまこういう特別な表現をしたという 風に言われてい ますではそもそも論としてですねなぜ イエスはなぜヨハネはイエス様のことを ロゴス言葉っていう風に表現したん でしょう か当時のヨハネによる福音書の読者はその ほとんどがユダヤ人とギリシャ人だっ

たっていう風に言われていますえそして この両者は両者ににとってロゴスっていう 言葉は特別な意味を持っていたと言われて い ますユダヤ人にとって言葉っていうの は人間の言葉っていうよりも神様の見を 実現させるものだていうそういう認識が ありましたユダヤ人にとって言葉っていう のは神様の御心を実現するものっていう そういう理解があったんです ねイザヤ所にはこういう風に記されてい ます私の口から出る私の言葉も虚しくは私 の元に戻らないそれは私の望むことを 成し遂げ私の与えた使命を必ず果たすと いう風にあるんです ねなので言葉っていうのは私たちが普段 使っている衣装の意味を持っているんです ね神様の身心を成し遂げるそういう役割が あるっていうそういう意味 です またギリシャ人にとってもロゴスって特別 な意味がありました彼らにとってロゴスっ ていうのは神様とこの世界の掛け橋の役割 をする存在まそういうものだっていう理解 があったんですね神様とこの世界を駆け whichする役割を持つそれがロゴスで ありましたま神様がこの世界と関わりを 持つために用いるツールのような意味を 持っていたんです ねヨハネはロゴスっていう言葉がユダヤ人 にとってえそしてギリシャ人にとって特別 な意味を持つ単語だっていうことを理解し てだからイエス様のことをロゴスという風 に表現をしたん ですそしてこのロゴスが受肉したこと人と なったことっていうのはこの世界にとって ま最大級の 神様からの歩み寄りでありまし たロゴスが受肉したこと人になったことは この世界に対する神様の最大級の関わりで ありまし た1章の14節を読みしましょうヨハネに よる福音書の1章14節になり ますせいの言葉は肉となって私たちの間に 宿られた私たちはその栄光を見たそれは父 の独り子としての栄光であって恵みと心理 とに満ちていたあンえ言葉は肉となって 私たちの間に宿られ た約2000年前にま前代未もの本当に魔 不思議なことが起こったっていうことなん です ね神が人となって世に来られ たイエス様は最も弱い 存最も小さな存在としてこの世に来られ たっていうことになり

ますえ私の妹がですね昨年の11月末に 出産をしてま12月の初めに会いに行った んですねまこのように誕生して2週間も 経っていない赤ちゃんを抱かせてもらった 時にまちょうどクリスマスのシーズンだっ たということもあって私はイエス様のこと を思されまし たまこんなに小さい存在として弱い存在と してイエス様世に来られたんだなってこと を思わされたん ですそんな存在が神の子イエス様だて言わ れてもこれなかなか信じることが難しい ことですよ ね人間の理解を超えるというかも神がね人 の姿を取ってこられた肉をしたで本当に 不思議なことなんだなってことを改めて 思わされた出来事でし た神の子の受肉まこれは本当に不思議な ことでありますし同時に本当に恵みなこと であり ます本当に喜びなことであって本当に感動 な出来事でありまし た主なる神様のこの世に対する最大級の 歩み寄りだったん ですまた14節を見るとイエス様が来られ たことをヨハネがこれは旧約聖書からの 流れだってことを伝える単語を使ってい ます宿られたっていう言葉 です14節の最後宿られたっていう言葉が ありますよ ねこの宿られたっていう言葉もまギリシャ 語で見ますと天幕をるっていう役が直訳に なります日本語に直訳すると宿られたって いう言葉が天幕を張るっていう風に訳すの が直訳になり ますつまり言葉は肉となって私たちの間に 天幕を張ったっていうことになるんです ね天幕っていうのは旧約聖書以来神様と人 との関わりにおいてとっても重要な アイテムだったていうこと皆さんご存知だ と思います 何だったかどういう風に使われたかいつ出 てきたか覚えてらっしゃるでしょうかえ そうです旧約聖書の必エジプト期に幕屋 っていうのが登場しますよね神の 幕屋イスラエルの民はエジプトを出てから 始まった40年のアノの旅において神の 幕屋っていうのを作ってま神様から作る ように命じられてその神の幕屋とともにに 40年のアノの生活を送ったわけ ですイスラエルの民たちの宿営するど 真ん中に貼られたのが神の幕屋でありまし た神のお家のようなものが神の幕屋です ねそのようにして主はご自分がイスラエル の民たちと共におられるお方なんだって

いうことを示されたん ですイスラエルの民たちは幕屋を見るたび にああ主なる神様は自分たちと一緒にいて くださる方なんだってことを知ることが できるようになりまし た実感したんですえそして約束の土地に 入ってから幕屋はその役割を終えて神殿と いう形になり ますカナの土地で気づかれていくま イスラエル王国時代において神殿が神様の お家のような役割をしていき ますそして時が満ちてイエス様がお生まれ になりまし たヨハネがこのお方が来られたということ を言葉は肉となって私たちの間に天幕を 張ったと言ったんです ね聖書の聖書の重要なメッセージの1つが 神は私たちと共におられるです これ聖書の最も大事なメッセージの1つ ですインマヌエルヘブル語でインマヌエル インマヌが私たちと共にでエルが神インマ ヌエルっていうのは神が私たちと共におら れるっていう言葉 ですとっても大事なメッセージですそして 聖書を読み進めていくとこのインマヌエ ルっていうメッセージは同じ色で書かれて いる示されているのではないなってことが 分かりますえ聖書66巻の流れの中でこの インマヌエルっていうのの色合いま色味が どんどんと強くなっていって るっていうことが分かるんです旧約から 新役の流れの中でインマヌエルの色味が 強くなっていってるまインマヌエルの実現 がどんどんと豊かになっているということ になり ますえ先ほど幕屋から神殿神殿からイエス 様そういうお話をしました神様の臨在の あり方が変わっていって るってことですよね幕屋から神殿神殿から イエス様全部インマヌエルなんですけど インマヌエルのあり方が変わってますし インマヌエルの深さがどんどん深くなって いってるっていうことになり ますそしてこの変化には続きがあります イエス様の次が精霊様であります今精霊様 の時代なんですねイエスキリストを信じる 全ての人たちに精霊様が与えられました私 の中にも皆さんの中にも精霊様が住んで おられるっていう恵みの時代 ですそして次 に精霊様の次のインマヌエルの形は何かと 言いますとヨハネの目視録に記されている こと です21章にはこうあります 見よ神の幕屋が人の間にあって神が人と共

に住み人は神の民となる神は自ら人と共に いてその神となるヨハネの目録の最終シの 御言葉ですねこれは つまり将来起こることでありますけれども インマヌエルが完成するっていうことに なりますインマヌエルの完成はヨハネの 目録21章で約束されているっていうこと ことになり ますつまり聖書66巻の流れっていうのは 神様のインマヌエルの形が変わっていっ てるそして同時にこのインマヌエルの色味 が深くなっていってるインマの インマヌエルの実現が豊かになっていって るっていうま矢印ですかね矢印が見えて くるっていことになるん です世界の始まりを見ると思い出すと神様 って人と共におられましたね祖籍を見ます と神は人と共におられましたけれど人が罪 を犯して神様に反発をして神様から離れて 生きることを選びましたこの時神の インマヌエルっていうのは失われまし たしかし主なる神様は人間と共にあること を諦めないでインマヌエルの回復を スタートされたん ですこれが昨年まで年間やってきた大い なる救いのご計画の内容なんですね言葉 変えますとそれはインマヌエルの回復のご 計画っていう風に言え ますこのインマヌエルっていうのはただ神 様の愛によってのみなしとげられる出来事 です私たちの中にある罪やこの世界にあ 存在しているあらゆる悪い例の働きはいつ も人を神様から離れさせようとしてい ますけれど神様はそれらの人間の罪性だっ たり悪の働きだったりっていうのは束に なってきても束になってかかってきても この神の愛には勝てないっていうことなん です ね先ほど読んだヨハネ1章5節にこあり ます光は暗闇の中で輝いている暗闇は光を 理解しなかったえこの暗闇は光を理解し なかったっていう言葉は暗闇は光に 打ち勝てなかったっていう風にも訳せます つまり神様の愛っていうのはどんな悪い 働きにも打ち勝ってる神様のインマヌエル を阻むものは1つもないていうことになり ます主なる神様は人を救いインマヌエルの 完成を実現するために今も力強く働いて くださっているっていうことになるんです ねインマヌエル神様は私たちと共におら れるえこの心理は本当に恵みの心理であり ますそしてこのインマヌエルは今も完成に 向かって火事に深められていってい ますえこの恵みに対して兄弟姉妹の皆さん はどのように応答されていらっしゃる

でしょうか 神様のインマヌエルに感謝をしてこの インマヌエルに答えていくような歩みをさ れていらっしゃるでしょう か具体的に言うと皆さんの心のうちにおい てインマヌエルの恵みっていうのは深め られていっているでしょう か昨日よりも今日もっとイエス様の臨在を 感じますという恵みの告白が私たちの口 から出ているでしょう かえ例えば昨日あ例えば昨年ですね 2023年振り返ってみるならば私たち どういう時にインマヌエルを失ってしまっ たでしょうか忘れてしまったでしょう か不安や落ち込みの中で忘れてしまった ことがあるでしょう か悲しみや怒りの中で忘れてしまったこと があったでしょう か 私たち はいつでもどこでも神様のインマヌエルに 包まれていまずこれ事実心理ですけれど 私たちが忘れてしまうっていうことは しばしばあります私たちの側がこの インマヌエルの恵みを忘れてしまうことは しばしばあるんです ね私たちはもう一度今日を心に覚えていき たいです私はいつでもどこでもこの インマヌエルの恵みに抱かれて いる私たちはいつでも見えない神様の見て によって守ら れ支えられて導かれてい ますそして私たちはいつでも神様 から私たちの心に語りかけてもらってい ます不安でいっぱいな時は恐れるなと主は 語りかけてくださってい ます悲しみにくれる時は私があなたを 慰めようと語りかけてくださってい ます落ち込んでいる時は勇気を出しなさい 私はすでに世に勝っていると語りかけて くださってい ますこのように私たちはいつでもどこでも 神様のインマヌエルに抱かれているんです えそれをどれくらい私たち は日々の生活の中で受け止めているん でしょう か 新しい1年の中 でインマヌエルの恵みインマインマヌエル を私たちが受け取って喜ぶことにもっと 豊かになるこの1年になることを私と皆 さんになることを心からお祈りいたします メッセージを終わります主ありがとう ございます今日はインマヌエルについて その恵みについて分かち合いまし

たいつでもどんな時でもあなたは私たちと 共にいてくださいますこれ以上の恵みは ありませんけれど私たち は悲しい時苦しい時怒っている 時落ち込んでいる時このインマヌエルを 忘れてしま ますそしてもっとひどい状態になっていく ことがありますどうか主は哀れんで くださいこの2024年あなたの インマヌエルをもう1歩豊かに深く 受け取る私たちとされますように助けを 与えてください感謝してイエス様のお名前 によって祈りますアーメン

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