「フィネガンズ・ウェイクを読む」特別ゲスト回。チャット参加歓迎です。マナー厳守でお願い致します。m(__)m
多和田さんウェブサイト
https://yokotawada.de/
ゲスト: 多和田葉子
聴き手: 早川健治
配信日時: 2024年01月15日 (月) 22:00PM~23:30PM
『フィネガンズ・ウェイクを読む』公式ウェブサイト
音楽 / Music
Vltava [the Moldau] – Bedřich Smetana (作曲), Musopen Symphony Orchestra (演奏), PDM 1
Kinderszenen Op. 15 – Robert Schumann (作曲), Cristoph Zbinden (演奏), CC BY 3.0
Berceuse Op. 57 – Frédéric Chopin (作曲), Olga Gurevich (演奏), CC BY 4.0
Special Thanks: ライブ配信参加者のみなさま。(^^)
[音楽] N [音楽] T [音楽] OG [音楽] はい皆様こんばんはえ本日はあ月曜日の夜 遅くにも関わらずですねえフィネガンズ ウェイク読むの特別ゲスト会にお集まり くださりありがとうございますえ聞きての 早川です本日はですねえ作家の田田洋子 さんにゲストとしてご出演いたいており ます田さん本日はよろしくお願いいたし ますよろしくお願いしますはいえ結構です ねあのフィネガンズウェイクというのはあ まこう一般的にはもう読むのが不可能と いうかまもう何が書かれてるのか分から ないとでやせ役が出た時にねあのニュース になりましたけどあのその後もたくさん 翻訳もでまなんかこう1つのうんま文学の 1つのリミットみたいに言われることも ありますけど今日はこのウェイクについて まウェイクを切り口にえ田田さんの作品や あとま今回のテーマであるえ1度切りしか かかれない言葉とかえ夢の分隊という モチーフについてですねちょっと色々お 話してきたらと思い ますはいそれではですねえ最初にじゃあ あの話の出発点としてあの田田さんがあ夢 あるいは夜というモチーフと今までのご 活動の中でどう向き合ってこられたかその 辺りからお話しいただけたらと思い ますあそっから入るんですかあそっから そっからそっからですかフィネガン スピークじゃなくて分かりましたくのが いいですかえ私はそうですねま児童文学を 非常に読んでいた絵本とかま子供の本をね 読んでいた時期からそれが大人の文学にへ の関心へ移り変わっていく中学生から高校 生にかけてですねその時代にま昼ではなく て夜を書くということが文学じゃないか 本当真剣に思ったんですよねで現実という のはあるんですけどま学校に行って友達が いてというよあと家族がいてっていうよう なそうではなくってもっとなんかもっと 大きなもっと別の世界があるんじゃない かっていう気持ちま誰でも持つと思うん ですけれどもあと夢というのもそうでこの 当たり前のま理論とか世界の見方っていう ものよりもっと大きなもんが絶対あるはず だということでこの狂気ねというテーマに 非常に関心を持っていたんですねでそれが それとかま夢というのもは入は狂気では ないですけれどもでも常識というのがこう
どんどん壊されていく世界っていうのかな でものすごいダイナミックにこう別の エネルギーがこう爆発する世界みたいな 感じで関心を持ってたんですねでそういう ことをま書いたりもしたんですけどところ がそれがま大学に入ってその後2次回大学 生活が終わって22歳の時ですねドイツに 来てみるとなんか一瞬ねこのその関心が 少し薄れたというのはこの狂気が全くなく ても夜でなくても常識がどんどん壊されて いくという日上にこれ異文化単なる異文化 ですよね私がこれまでこれはこうである べきだと思ってたもんがもう全部通用し なくなって全てがこう逆立ちをしている 世界っていうのかなそれが昼の世界になっ ちゃったんですよねしかも最初会社に勤め てたんでその会社に勤めてる社会人の昼間 というまさにまともな時間ですねうんここ にあのとんでもない狂気というか夢という か夜の理論がこう現れてしまったわけです ねでもまジョイスの場合もねあの あのまヨリシーズとかなんか見るとすごい 普通の仕事をしてる人たちの昼間が描かれ てるわけで別に夜を描いてるわけじゃない し夢の世界でもないですよねうんでその 世界の中にが重なってでも全く違う世界と こう重なっているんだみたいなうんそう いうあの意識とそれからもう1つそうでは あるんだけれどもなんかどう言ったらいい のかなま普通に普通の服を着て普通に会社 に行くわけじゃないですかでもそれでも その体というものがね自分がいつもこう 背負っていなければいけないというか常に 持っていかなければならないこの体という ものの中にものすごいえっと不可解なもの が隠されていてその闇ですよね自分という この意識自分という主体のには コントロールしきれないようなものすごく たくさんのものがなんかこの体まさに体の 中に隠されていてそれがどういう風にね 言葉として外に出ていくのかっていうこと その繋がりはあるのか言語のシステムと このよくわからない身体の内部のシステム の間にこう繋がりはあるのかみたいなこと にこう関心を持ち始めてでそれで書いてた と思うんですけれどもでもその体っていう ものがだんだんねま20代の頃はすごく 自分の私の体みたいなことを1つの物を 書く時の基盤にしてた感じがするんです けどだんだんねこう年を取ってくるに従っ てその体っていうものが私個人のものでは なくて非常にもっと大きなあの歴史とかね なんかあがその中に詰まっているというか 影響を受けてるというかでできているもの でま必ずしも個人のものではないそれも1
つのものではなくてたくさんの体が体の中 にあるような感覚が大きくなっていったん ですねうんだから あのますごく最近の作品で3部作で地球に ばめられてなどではたくさんのま登場人物 がいてその1人1人が あのでなんて言うのかな自分の体の話をし たりそれについて深く考えたりするわけで はなくてすごくあのまいろんな国の歴史と かねそういう会話言語とかそういう テーマで会話をしてるんですけれどもでも それが え夜と夢なんですね私にとってはだから 非常にあの変遷してきたっていうかねそう いううん何が夜で何が夢かみたいなことに ついても私の中で随分変わってきたなと 思ってますああ分かりましたあの皆さん からいきなり確信の質問ですねとちょっと いきなり確信的な 入ってしまったんですがえっとすいません 生配信ならではあのあのまたちょっと マイクのあれがおこぶつぶつがちょっと 起こってるみたいで えっとそうです ねはい はいはいじゃあこれでやってみましょう あのそうですねま今お話があったじゃあ あのそうだないくつかもうなんかいきなり 今日の中心的なテーマを全部なんか ひっくるめてあのお答えいただいた感じも するんですけれどそうだ な異国に身を置くということと例えば眠っ ている状態で え何か想像したり考え るっていうことは共通点があるでしょう かそうですねどうでしょうねま異国に見と いうことはとりあえず 自分がうんによく理解できないものにこう 取り巻くれていてそれを解釈する次々解釈 しようとしてできないみたいな状態が ずっと続いていくことだと思うんです けれどもまそれどっちかっていうとフィネ ガンスフェイクを読んでる時の状態に似て いて夢っていうのはね色々あると思うん ですよね人によって本当に夢と一言で言え ないし1人の人にとってもいろんな夢が あるしその時期によってね私の実際の夢 うんメタファーとしてじゃなくて本当に私 が見る夢っていうのはすごく現実的で現実 以上に全くなんていうかそれを小説に全く 小説にも死にもならないんですよねうんだ からバスを待っていたらバスがなかなか来 なくて困ったとかそういう夢ばっかりなの でまこれをねメタファーとして見てもいい けどあまりにもつまらない文学で全く役に
ないというかですよねそうではないすごい 夢を見る時っていうのはまあ滅多になくて それを待ってたら滅多に本も書けないし 面白くないので夢をほ実際に面白い夢を 見ることを待つってことはないんですよね うんそうではなくてたまに見る面白い夢の 時のなんていうか物のものの考え方って いうのかなそれも1つ私の脳の中に もちろん私だけじゃないですけど人間の脳 の中に備わっている1つの能力としてもう 信じられないような夢を作り出す能力が あるんだろうと思うのでそれに近づける ように執筆している時にね努力するという ことはあると思うんですけどなかなかこれ は叶うもんじゃはないですよねそれと 比べるとこの異国を旅するっていうことは 旅よりももっとどっかに定住した方が もっとショックは大きいとですけれども その時に起こること観察できることの中に はこれ はどうでしょうね私の脳が考え出したこと じゃなくて外で怒ってるように勝手に 思えるとこが面白いとこですよねでも実際 には観察する側の見る目がなければ面白い ところを見逃してしまうわけでただ外国に いればなんかそうなるっていうわけでは なくてやはり自分がこう思って 何かなんでしょうねうんすいません失礼し ました えっとそうだなでもあの1つ思うのはま 先ほど申おしゃったようにあのジョイスは 結構その日常的な何気ないことをすごく うんモチーフとしては使っててでやっぱり そのなんて言うばいいのかななんか現象と して面白いことてこう分隊とか工夫しなく てもあの面白いというかうんうんうん文学 にする必然性っていうのはまある場合も 多いけどあのない場合もあるとうんそれに 対してなんかこう例えばバスを待っている だけの夢っていうのがあったとしたらそれ は文学にしないとその面白さが分からない ことでもあるかもしれないそう考えると なんかこうだんだん夢の分体を作る必然性 みたいなのが見えてくる気もするんそ そんなこう回路で考えてみたどいう風に そうですねま私の場合 はまでもジョイスもちょっとそうですよね あのユリシーズとかなの1つごく自然ごく 普通のね日常的な生活を描いていてですね そうなるとまた変身のためのオピウム みたいな話になるんですけれどもごく普通 の生活をしているごく普通の人たちがいて その人たちの仕事っていうのも大学の先生 とかお役人とかま普通の仕事をしていると でもその日常にね神話の神話が重なった時
それがねすごくなんか面白くな るっていうことは1つあるんですよねもう 1つはそれを表現する言葉そのものが 面白い時ですよねでこの2つによって日常 的な場面がこう文学になる瞬間っていうの を見てみるとまず神話が重なるっていうと すごい大げさに聞こえるけどもそうじゃ なくて私の場合は単にに この変身物語に出てくる ま登場人物の名前ですよね女性のねラテン 語のねそれをそれで置き換えてみる自分の だから周りにいるミュラーさんとか シュミットさんをその名前をあの神話の中 の名前に置き換えてその行動をこう考えて みるそれだけでなんかね全然違った風に こう違全く違ったが見えてくるわせですよ ね朝起きてシャワーを浴びるとか朝ご飯に 卵焼きを焼くとかそういう行為のね1つ1 つの中に何か別の広がりがこう出てくると いうことがあってでもう1つはこの言葉 小さな言葉そのものにこわ るっていうことでこっちはどっちかって 言うとフィネガンスウクの方に行くかも しれないんですけどこの卵焼きというね 単語ですよねシゲラ愛ドイツ語これがもう 非常に面白い鏡卵という言葉なんです けれどもそういう普通なんだけどもよく 考えてみる と目玉焼き日本語の目玉焼きもすごいです よね考え言葉はね目玉焼き怖いですよね そういう言葉そのものにとまってみて えっと日常を見るっていうのかなでそう いう2つの あのオペレーションつっちゃおかしいです けどを通してなんか違ったもんが見えて くるということ でそうですよねそれはまたスが面白い 面白いストーリーとか面白い人物を 作り出すということとは違ったアプローチ の仕方っていうのかな執筆に対するかなと も思います うんそうですね確かになんかコロスとか あのユノとかあの神の名前がつくだけで 例えばシャワー浴びてたりしてももう なんか全然感触が確かに違いますよねその 場面の ねいあのなんかどんどんそで名前について ねなんか許しズ最初の方でもあお前の名前 ギリシャっぽいなみたいなあお前のこそ キリシっぽいなみたいな自分の名前の中に ねななんらかのこうあ神話性っていうのか なをこう見つけてしまうっていうのかなで そっから始まるっていうそのそこの場面も すごく印象に残っててで面白いなと思って まさにえ地球に散りばめられてでもなんか
なぜかヒルコあのじ日本人と思われる留学 生の名前はヒルコでこれもそういう名前の 人もいないかもしれないんですけれども やっぱりなんか神話の名前をつけてしまう ことで須のひこっていうまり出てくるん ですけれど もそうすることで彼らの行動というのがね もう少し あの多義的になるっていうのかないろんな 層が現れるっていうのかな例えば留学と 言っただけでもね留学って言ったらなんか ま外国に行って勉強することですごく平凡 な単語なんですけれどもヒルコと言った時 にこの留学の流が流れるという え感じがを思い浮かべてそれでああ海外に 流されていってしまうという留学もあるん だという風に演奏がこう言ってですね留学 と言ってもま森外のように国家にこうね 送られてきて国を代表して留学する場合も あればある国にこううまく住み続けること はできなくてまるでその社会から流されて しまうようにねこのこの人はダメだこの子 はダメだみたいにヒル子ですよねまさに 乞食に描かれた流されるようにして留学し てきた子もいるというようなねそういう 繋がりになっていくっていうのか なうんあとドラゴンの風っていうのがあの 出てくるじゃないですか太陽ショートだっ たかなでそれの繋がりでね竜をドラゴンに してみるのもなんかエクソフォーユー っっていう字を見てこの龍っていう字の 意味が分からないこの方がねその竜の字を 見て課題の作を書くみたいなあのそういう あそうですよねうんありましたしなんか こう文字そのものをあのこれも先ほど おっしゃったことだけどあの1つの体とし て見てでまさに分体っていう言葉にも日本 語が体入って ますこう文字そのもののその質量としての 存在感っていうなんかそういうものを特に このま変身のためのオピウムとかま非婚と か文字色もそうかもしれないけれどなん 結構そういうところも追求されてるとねで そう時なんかこうなんかどれくらいその 一般的に広く読めるレベルの分隊にめて おくかみたいな判断ってのはどういう風に されてるん かそれは難しいですよ ねこれは本当に難しいですよね誰がその 読者というのは1人1人全く違うわけ でそれ でま日本語の場合 はどうですかね自分が面白ければいいと いうか自分があの基準になってるかもしれ ないんですけど
ドイツ語の場合ちょっと実感することも あって色々なんかすごく意外なところが 全然難しくなかったり難しかったりするし あとあの労働会で普通の文学好きの人が 集まってくるブッククラブみたいな朗読会 じゃなくて小学校とかななんかの朗読会に 行くとなんか意外な先生たちがこれは全然 わかんないって言ったし子供たちがいや 分かるわかるって言ったりこれも絶対 分かるだろうというか分かんない人がいる とは思っても見なかったところに質問が出 たりとかで何を人が何が分かって何が わかんないかはそれこそがまさに多様性と いうかね人間の多様性と文化の多様性を 表しててむしろ面白いと思うのでまみんな に分かるようにこう書くというのはありえ ないですよねそう書こうと思ったとして も無理であるしあんま意味がないという かそのみんなというのは存在しないかなと 思うんですよね うんただ同じような文学をこう好んで読ん できた人たちというのはまいるわけでねで その人たちがま面白いと思うっていうよう なことを書いてしまうというか書くという かそれは自然に起こりますよね多分ね うん いやあのやっぱりすごく素朴なことかも しれないですけどウェイクを読んでて1つ 常に思うのはジョイスはこれを誰に向けて 書いていたんだろうというのがあるんです ねでいろんな人がその自分のジョイスの 兄弟も含めてですねあの訳が分からない からもうこれ以上あなたの文学には 付き合いませんという手紙をなんか本人に 送ったりしてすごくこう傷ついたんですよ ねそれにねロイスもですごくこう落胆して てでも こう一読してね辞書にある言葉が並んでて 理解がスムーズに進むみたいな小説じゃ ないのはもう本にも分かっててやってたん でなんかこうどういう読者に向けてやって たのかなってすごく思うんですねでなんか あえてその昼昼の世界には読者がいない ようなものにしようとなんか努力してたの かなと かなるほどね私はちょっとこの人を見てい て思うのはもう読者という具体的な読者に 語りかけるというより はなんか1つの本当に1つの作品を作 るっていうのかなそこに紛れもないこう 文字というのは存在するものでもしかし たら言葉とか文字っていうのはねその石と か木とかでできたもの以上にこうしっかり と存在するものとして 捉えられててそれを作ると一度それを作っ
たらばそれは存在この世界に存在するんだ みたいなねそういう自信を感じるんですよ ね例え読む人がいなくてもまた少なくても それがそこにこうちゃんそういう形で彼が 思う形で作られたということで存在し 続けるんだというそれだけでもういいんだ みたいなねそういうあのこと感じることも あるしでもそれにしては割としてるって 言っちゃ変なんですけれどもこれを永遠の なんかいわゆる 名作としてこう作り上げたというよりは いろんな声が聞こえてきて割と オルガニックな感じというかあの石にね 掘られたものではなくてあのちょっと 聞こえては困るような声がどんどん 飛び出してきてしまうようなねそういう 勇気物というかそれを作ったみたいな感じ もあってそうなるとやっぱりそれを聞く人 とかねあの気に止める人とか忘れられない 人とか反応みたいなものもね想像できるん ですよねうんだから本当に不思議だなとは 思うんですけれど もまあのさっきも出てきたこの地球に 散りばめられていか産部作ではそのヒルコ という女性がですねあのヨーロッパに留学 しているうち に日本と思われるま祖国がなくなって しまってま祖国という言葉を私が使うのも 何かと思うんですけれどもあのそれでま ヨーロッパにい続けるしかないんです けれどもその架空のフィクションの時時間 ではヨーロッパはには誰でもこう滞在する ことできるんですけども1つの国にあまり 長くいてはいけ ないという風になってるんですねそれでだ からま自分あのスカンジナビアの国々を 点々としながら自分だけの言語作っていく わけなんですけどもというのは別に作ろう として作るんじゃなくて1つの国にいる 時間が短いのでうん完全に言語をマスター することができなくて次のま隣の国へ行く と共通校もあるし通じる部分もあるんで それでなんとなく通じるものを作っていく 逆なんですねだから通じなくてもいいから 自分の言語を作るんじゃなくてこれって もらおうという願いから最小限のいうか 最大公約数の言語を生み出していくでこれ はこの作品の場合私にとってはこの必然性 っていうのがすごく重要でなんか新しい誰 もやってみ見だことないことしてみたいな みたいな感じじゃなくてうんある必然性 からでこれ本当に実際にもある現象という かいわゆる移民がねこんないろんな言語を こう混ぜて喋っていると日本の人でこう ドイツに来て一生懸命まドイツ語喋れるん
だけどある言葉は英語でしか言えないので それが混ざってるとかまトルコ系のね ドイツ人の人たちが電車の中で話していて ドイツ語の単語がたくさん混ざっていると かねそういう混ざってる言語っていうのが 必然性から生まれて るっていうのが あの今の世界の状況の生み出す必然性です よねだから人々が常にこう移動していてで その移動が自分の意思でによって必ずしも 移動するんじゃなくてどうしても移動させ られてしまったとかするしかなくてこう 生きていくためにねそれで移動するとそう するとまたそこでは違う言語が話されて いるそういう中から1人1人がだからその 混ぜ方も違ってくるわけで1回切りのね私 だけの言語になってしまうんですけど結果 的にはあの人生のこの状況が違うわけでね 生きてるそういう意味で1回切りなんです けど別に私は1回切りの言語を 作り上げようと思って作ったわけじゃない んですよねそれ必然としての1回切り性で 私たちの言語はま大げさに言えば必ず1回 性があると思うんですよね私だってこれは まあ広い意味で日本語かもしれないんです けど私が今喋ってるのはでもこの通りに 喋る人はもう他にはいないわけじゃない ですかである種の日本語であっても私が そういうなんかある種のこう今分隊を作っ たり喋り方するのはそれはドイツ語のま 影響があるわけででそういう意味での ドイツ語の影響を受けるというのも非常に プライベートなあの出来事であるわけで そういう言語がドイツ語から影響を受けた 日本語という こうなんて言うのかな基準があるわけでは ないしそういう言語があるわけでもないの でこのみんな の言語どのなんて言うのかな1人1人の 話す言語がに一回性があるみたいなことに も関心があるんですよね私としてはうん 面白いお話ですねあのそれをと思ったのは 昼で特になんかこう社交的な場の言語って いうのはあの1回性の濃度が薄いと思う うんうんうんそれに対してあのあの夢の中 の言語 ってなんかあまりにも一貫性がありすぎて 起きた時の自分にすら解読できないことが こう夢の中でうんったでなんかうん昼の 言語でそれを誰かに言おうとするんだけど もう本当にもう水がこう指の間からこぼれ 落ちてしまうようにどんどんなくなってっ てしまうなんかそれをねジョイスはこうと かあのメッシュみたいなね細かい網の目を 言語で作ってですねなんとかこう拾い
救い上げてやろうみたいなこう着いを 感じるんですねガうんなるほど ねあこう夢とかその眠りの中ま夢だけでは なくて眠りの中にですね何かこうまだ文学 が上げられていないなん材料みたいなごく 埋まってるような気もするんですが どうでしょうかね そうなるほどね まそうですねま夢というのがでも何で何な のかですよね実際に見た夢の中では覚えて ないわけじゃないですかほとんどねもう9 割以上はねうん覚えてる夢は覚えてられる というだけことからしてそもそもあまり 深い夢でないかもしれないうん で覚えてない夢をどうやってあの書く かってことですよねつまりうんでその覚え てない夢があるからあのそこになんか大事 なものがあったっていう感覚だけが残る わけで例え覚えていたとしてもその一部を それを あの昼間の自分が思い出しただけでもう それとは別の夢になってるわけなのでうん それを繰り返すことはできないわけで昼間 の自分にはうんだからそれはは絶対触る ことができないものですよね夜の本当の夢 っていうのはでそれを あのそれをあの組みだすことはできないん だけれど もある種の方法によってそれとに対応する ものをね文学の中で作ることができるん じゃないかっていう試みだと思うんですよ ね私はでそれまシルアリストたちがやった ような自動所期みたいなのもその1つの心 だと思うんですけどジョイスの場合は全く 違って この麻薬飲んでねとか意識をこう こう特殊な状態にしてガーっと書くという のではなくてまさに覚醒の中の 覚醒知性の中の知性知識の中の知識をこう 駆使してですねそれに近い世界をこう 作り上げていこうっていうこのシ リアリズムと全く逆のえっと 文学運動だと思うんですけれどもま運動と も言えないですしね1人でやってるという ところでねそこも面白いと思うんです けれどもみんなやろうよじゃなくてまあ 1人でこれをやると決めてやったという ことですよ ねで あのでも確かにねそれを最初から予定して 計画してプロジェクトとしてやったのか どうかは知らないんですけれども確かに 文学文学をこのしとかね まあの私的な3分でもいいんですけど書い てい
て感じることっていうのはなんかそこで 動いているものがあるとでそれは普段のま 昼の自分とおっしゃってましたけどもそれ が知らない何かがこう動いているとでそれ を捉えるチャンスが言語の中にあ るっていうような予感ですよねでそれを 感じたとにそれをどうしても追ってみたい という風に思うわけでうんでそれ は伝達ということではなくてつまり コミュニケーションの言語で誰かにその それを伝えたいということではなくてそれ と似た世界を言語で再構築してみたいって いうようなことですよねそれはだから伝達 夢の伝達ではないんですよねそうじゃなく てま夢と似たものの 再構築みたいなことかなうんうん面白いの がその先ほど田田さんはウェイクはこう物 として世界にあこれがあった方が良いんだ みたいな自信を感じるとそのうんっててで そのでもなんかこうウェイクという本だけ では夢の最築は完了してなくてそれを なんか読者が読んだ時にあるのなんか読み をすると有名の最高地区に繋がる感じま その41年ちょっとあのこれご覧になっ てる方々とね一緒にこれ読み続けてきて あの僕思うのはやっぱりなんか2時間なり 3時間なりこう金曜日に読むんですよね夜 夜にこう日が暮れてからそうするとその2 時間なり3時間なりこう1つ1つの単語を 丁寧に読んでいくとげながらこう何が 起こってるのかが実感できて えマニアがてなんか300年頃に アルメニアがキリスト教化したみたいな 歴史がすごく書かれてるけどなんで いきなりこれが出てくんだろうと か一見突しもないことがたくさんあるんだ けどだんだんなんかまとまってきてですね で分かった気になるんだけどま大体その その日のなんかまでも次の日ぐらいには もうなんであれが分かった気になったのか がわかんなくなっちゃうんですねちょうど 夢を見た後の次の日の朝みたいななんか そこまでなんか含めてすこうここまで 含めると夢の再構築に なっいう不思議なテクスト なそうですねその読むという行為なしでは 成り立たない世界ですよねまそれ他の小説 でも一応そうなんですけどでもこの場合 特にですよね私も まああなんか雑音が時々入るかもしれませ んがすませんねこれこそノイズですねこれ は亡霊が現れていると思いましょうはい あのラジオあの集中してね1時間でもうん 1時間でもねあの集中してこう読んでいる と1つ1つの単語ね英語と比べてま日本語
の役を見たりとか英語を見たりしてねこう 読んでると確かに一種の別の精神状態に なる気がするんですよねでこの体験って いうのは私の場合は すごくまパウルチランのね死を読んでる時 がそうでで彼の死だからま言葉の数は ジョイスよりずっと少ないんですけれども 一応ま理解できないようなこの死の テキストというのがあってでこれを読ん でるうちにだんだん私自身の意識が変わっ てくるんです ね彼の場合もね同じような批判をま ほとんどの単語は普通の単語なんですけど えそれで も後期になって医学用語とかなんか色々 自書を見ないとわかんない単語も使い始め てで批評価に一体誰に読ませるつもりだと いうようなこの批判する人が出てきたり するんですけれどもうんそれもやっぱりね その彼の死もこのただ存在するという ことではなくてま読むという行為を通して 実現するっていうのかな面が すごくあると思いますねうんでもそのね 実現する夢なんですけど も今のレヤを聞いていと思ったんです けれどもその夢っていうのはね必ず しも個人に帰属するもんじゃないような気 がするんですよねレイクの場合もっていう のは夢って言うとまずフロイトなんです けど私の場合そのある1人の人間のま 例えばね性的に抑圧されたものが夢の中で こういろんな形でこう現れてこようとする それはとすごくナンセンスな翻訳みたいな 形で現れてくるものもある場合もあるそう いう面もウェイクにもあると思うんです けれども例えば あの何ですかあのフロイトだったらなんか お兄さんがえ洋服ダンスの中に入ってる夢 を見た人がいて患者がいてどうしてなの かって言った時にそのお兄さんが非常に ケチな人ででケチだという言葉がアイン しれけという言葉であのその節約すると いう同士の中に洋服ダンスという単語が 入ってるんですよねだから あのお兄さんが洋服せに入ってる夢を見た んだみたいなねそういうものすごいなんか 言葉遊びみたいなことが夢の中で色々 起こるということをフロイトが分析したと 思うんですけれどもそういう面も確かに あるんですけれどもでも読んでて思うのは ここになんかねヨーロッパの歴史がすごい 入ってると思うんですよねうんそれでだ から読んでてねなんか自分が今いるこの ヨーロッパっていうのが非常にね居心地 悪い感じになってくるんですよだから味わ
うっていうよりはもうずっと戦争があった といろんな戦争があったっていうモチーフ があらゆるところに現れていてとても安心 して生きていかれないみたいいられない みたいなねそういうあのヨーロッパの姿 っていうのかなそれはまシェイクスピアと かそれから私の好きなドイツの劇作家の アイナミラーなんかも描いている ヨーロッパだと思うんですけれども非常に 引用をコラージュでつげていったみたいな 形だったりハイナーミュラーの場合ね まとにかくねこの ちょっと日本に住んでた時とは違った感覚 の あのそいつあのまウェイクの場合でもこの 戦争とか軍艦とか武器とかね兵隊に関する 単語がものすごいたくさん出てきて知ら ないようなねでこれが非常になんか ざわざわなんですよねっていうのはでそれ によって今の現在の世界だけこう見てると なんか割とと西ヨーロッパは非常に平和で ででま東ベルリンの向こう側から向こうま ロシアから向こうは戦と かイタリアより南には大変なことが色々 起こってるっていう世界観持っちゃうん ですけども実はこれを読んでるそのなんか もうここはものすごい居心地の悪いところ であるとヨーロッパというのはなん とあのフランスとイギリスさえ戦争する ようなねまずっとしてきたわフランスと ドイもずっとしてきたわけでデンマークと さえしてきたわけでそれが全く感じられ ないようなこうのんびり暮らしてるんです けど毎日ここでねでも実は全然そうじゃ ないんだっていう感じとそれから私たちが 普段使ってる表現とかの中に戦争から来 てるものが非常にたくさんあるんだという ことのね冷やっとするとかねうんそういう あの感じもあるんですよね ああそれはね本当にまさにえ先週の金曜日 も何気ない単語が実は戦争中に使われてい たヒであるということが判明してピアット したりとかそういうこともましてジョイス はあのユリシーズであの自分の化身ま若い 頃の自分の化身であるスティーブン デイダラスにですねなんか歴史というのは 私が目覚めようとしている悪夢であると 言わせてるんああああなんかその悪夢を そのままウェイクになんか書いているん じゃないかとちょっと田田さんの話聞いて と思ったですけどただもう1つその上に 重ねてるのはなんかジョイスはイシズでは スティーブンとブルームの2人にこう主人 公役に合わせてますけどかなり対象的な 人物なんですよねでえそれと同じように
なんかこうウェイクでも単に悪夢で ヨーロッパの歴史ってのはひもんだ忘れ たいんだけど忘れられないで終わるんじゃ なくてそこにさらになんかあの陽気なおつ でどんちゃん騒ぎとかうんなんかこうもう 人間だけじゃなくてなんか世界中がこうお 祭り作業してるようなねそういうあのこう ハッピーとはちょっと違うんだけどなんか こう悲しいからこそなんか大騒ぎしよう みたいなあの意気込みみたいなもちょっと 感じるんですけどああそうですねうんそう ですねなんかでもそのお祭りってどういう お祭りかなって何回か考えたんですけど私 にはわかんないんですけどなんかしま戸村 というモチーフがあるわけじゃないですか なんか誰かわかんないけどま誰かが死んだ たくさんの人が死んだという状況があって 死者たちがたくさんいるとでもその人たち がねこうそれでもなんか声が聞こえてきて お祭り騒ぎがっていうのはそれはおつやな のかいやおつやじゃなくてこれはなんか 復活祭というかなんか蘇りっていうのかな 何かをこうまこういう形の言語活動によっ て蘇らせてまた声が聞こえてくるうるさく なっなってくるっていうのかなバカ騒ぎ みたいなとこありますよねすごいバカな ことをたくさんこう言うとか歌うとかねで このお祭りっていうのはすごいですねこの 迫力がなんと言ってもねこれもう楽しいと か悲しいとかいう次元を超えてです ね何なんでしょうね あの うんあでもなんかちょっと必然性がなんか 多言語を使う必然性が見えてきたというか あ多語ってジョイスの同時代のい言語だけ じゃなくて時間を超えた他言語なんですよ ねすごく昔の言葉とかなんか サンスクリットとかですね用語とかですね そこまであの入れようとするわけですよで なんでこんなに言語こだわるのかなでも 考えてみたら私たちが今座ってるこの場所 には過去に様々な言語を使う人たちがいて その人たちが全部走ってそれも全て響か せようとしてねそれでどんちゃん騒ぎだと したら当然その人たちの声もあの含め なきゃいけないわけですねあそうですね うんもしかしたら2000年3000年前 のこの場にいた人の声と今の私の言葉が 混ざったらウェイク語みたいになるのかも しれそうですねうんそれに私たちが今の 時代でもねこれを読んでいる私たちの多元 語星とテキストの中の多言語星がこうこう して響き合うわけじゃないですか だから意味がよくわかんないという場合に も私もなんか例えばバオマイスターみたい
な言葉が出てきて英語の辞書で引いても なくてでもこれどうどう考えてもドイツ語 ではあの大工のね頭領という意味なので そういう意味かなと思って見るとあ オランダ語でもそうなんだとかだんだん なんかねこの確かな意図で繋がれていくっ ていうかね この読む側もね自分のこう知ってる たまたま知っている言語であるとか自分 あのその人その人 の事情によってねでそれがなんかこう反映 されて多言語性がこうその都度別違った形 でねあのこの部分が強調されてはっきりし てこの部分があの見えないとかね見えない 部分もあっていいと思うんですよね やっぱり音楽でも聞こえない部分がある 音楽文学でも小説例え1つの言語で書かれ た小説でもあらゆる読書が平坦に同じよう に全ての言葉を同じように理解するわけ じゃないわけで全然読者によっては見え ない部分というのがあるからこそその人 だけに見える部分っていうのもあるわけで このでこぼこみたいな読みをねまさに極端 な形でねウェイクを読読む人たちは体験 するんじゃないかなと思うんですけれども うんそうです ねまそのあと先ほどあの戸村のテーマも1 つあると思いまし た こ者たちを調節に参加さ せる方法というかうん あのもジョイスかなり初期から試し続け てること です田田さんの小説にはあんまり幽霊とか は出てこない ねでもないどうでしょうね幽霊ねなんか 死んでるはずの人がこう出てきた りっていうのは あの一応ね幽霊っぽくないんですけども 例えばあ地球にチーバ見られてでもねて いうか太陽諸島あの第3部のねでももう 死んでるはずのポーランドの作家が出てき たりドイツの作家出てきたりするんです けどでもそれが幽霊であるってことみんな 気づかないんですよね普通の人だろうと 思ってこう話してるけどよく考えてみると やっぱあれはもうとくに死んでるあの作家 でしかありえないみたいなそういう意味で の幽霊は出てきてますよでも全然怖くない んですよ普通にね普通の人の中に混ざって こう普通に会話してるんでああご覧になっ てる方も太陽諸島の船のゲスト生きてるの か死んでいるのかはちょっとよくわから ないとうんそうそううんとかスノの年齢 どうなっているのか先ほどそのドイツ語の
ガイスがあの英語のゴーストと 語言が同じですということもっちゃってる 方いてうんうんそうですでもまあの確かに 変身のためのオピウムでもトーマステ クインスは明らかにあれはなんか読みの国 から帰ってきてる感じが ああとかでもまそれじゃちょっと今までの 話とすごくこう被ることで なんかのかな 幽霊の方が幽霊って言ったらちょっと変か もしれないけど死者の方が聖者よりもこの 世界には多い人数が多いじゃないですか 圧倒的にうんうんうんだからなんかこう 小説を民主的に本当にこう民主主義でです ねあのそれぞれの代表するとしたらなんか 死者が超多数派になっちゃう気もするん ですよねうんうんそうですねうんでなんか よく小説はねその記憶に残すことが1つの 役割であるとかそういうことが言われたり もしますけど本当にそうなんだとしたら 小説っていうのは死者によってこう99% ぐらい代表されてるはずなのになんか やたら聖者がたくさんこう小説という なんかこうページという場所をなんか支配 してるあの感じもするんですけどなんか 死者の代表っていうことはどう田さんはお 考え ですそうです ね私がちょっと考えたのは死者にも色々い てあのアレクサンダー大王みたいにね なんて言うのかな英雄として死んだ人の イメージとかその人の声っていうのはあの 今でもね大衆文学からそうでない文学まで こう非常 にあのなんて言うのかなプレゼントであ るっていうのは あのその声っていうのは常に聞こえてると 思うんですよね死者だからだから死者だ からこう影にしられてしまうっていうのは むしろ歴史の中での排者っていうか負けた 人力を失ってしまった人であってか勝ち組 みたいなそうだ日本語で勝ち組とか変な 言葉ありましたあんま好きじゃないけど今 使うと勝ち組のねこう死者たちはねやっぱ 文学の中でも祝ってると思うんですよこの 歴史小説とかもあるしねでも負け組の死者 たちですよねこの声がなかなかこう聞こえ ないとこれ民主的じゃはないんですけど それをどうするかっていうことで私は前 考え あの日本の大脳ですよねあの無元能とか なんかでこう出てくる幽霊っていうのは あれは必ず こう見捨てられて死んだ女性とか負けた侍 とかねそういう負け組なんですよねでその
人たちが現れて語るっていうのがもう1つ の形式としてね無限能のねこう定着してで まさに死者に舞台を渡すってことねそれが の1つの原則になっているま素晴らしい ことだなと思うんですけどもそれとそっ から連想して考えるとあのシェークスピア のハムレットの最初っていうのもやっぱり 負け組のね殺されたお父さんがこう現れて で語るというとこから始まってて勝ち組の このおじさんじゃなくてね負け組の お父さんのこの幽霊が現れるてとから 始まってるんでイギリスというか英語文学 でももしかしたらそういう ね幽霊にが現れることでその物語が始まる みたいなね初めてそっからあの物語を 始めるんだ語りなすんだとかね始めて語る んだみたいな意気込みっていうのがねもし かしたら英語文学師中にもあるのかなと いう然ことを考えたことありますああ あと死者ともう1つこのあんまり代表され てこなかったグループがその人間以外の 生き物たちとかあと生き物じゃはない無期 物たちとかうんうんうんでまあの田田さん も翻訳されたカフカは結構動物たちが予約 の小説とか短編もありますけどあのまそう いう試みはちらほらあるけどやっぱり マイノリティでみんなこう人間が言うこと やることににすごく興味があるあそれが すごくこう中心的なん ですウェイクの方はですねあのもう人間な のか何なのか分からないんですね全編通し てですねであの例えば主人公の5人家族の うちその2人のいつも喧嘩してる双子の 兄弟はですねえま双子か分からないけど木 と石が なんか木と石なんですようんうんでなんか こう人間以外のうん存在に語らせるかそれ を含めてなんかお祭りをや るっていうそういうものは どうどう見ていられるあるいはそういう こと を田さんの作品でそういうことが起こった とま返信のためのオピウム でなんかサボテンがなんか光り出したりと かいう場面 が そうですねあれはね あのオーディスのま変身物語 りっていうのは非常に私にとっては教会に ある文学という感じでそれ以前の文学と いう か あの昔話みたいな世界では動物が人間に 返信したり人間が植物に返信した りっていうことがね非常に普通に行われて
いたと思うですよねでま日本の場合もそう なんですけれども日本の場合もっと ヨーロッパと違って多分キリスト教の影響 がないのであのその辺がなんか今は人間だ けどもしかしたらこれから植物になるかも しれないとかねそういうことがま考え られるわけなんですけどでも変身物語の 時点ではねそういうことは起こるんです けどでも自由にこう起こるわけではなくて 必ずそれがね悲劇と結びついてるんですよ ねそれが何かの罰として起こると かあと結構よく出てくるのがされない よう に気になるとか牛になるとかとんでもない 話なんですけどもそういう理由でねなんか 全然楽しくないんですよねだから変身 物語りの変身っていうのはねああいや結構 きついんですよね うんでそれ以降のキリスト教化された後は 別に今のというか現代文学はねヨーロッパ のキリスト教の束縛を受けていると自分で は思ってないでしょうけれどもでも やっぱり動物が出てくるってのはおかしい また人間が動物になるっていうのも おかしいそれはメルヘンの世界であっ てあのそういうことはあってはいけないっ ていうような1つのね法律があって法律 じゃないですよね決まりができてるのは なんでなのかなってことを私はずっと考え ててどう考えても子供は違うんですよね 子供は 主人公がクでクが喋ってるっていうことの 方がずっと人間が喋ってるよりずっとなん か自然に思われてうんどう考えてもクの 主人公の方が人気あるというか自然なん ですよね子供にとってはまパディントンと かプーとか色々いるじゃないですか ねところがある時かところがそれが大人の 文学になるとそういうことは良くないとま そういうのは真面目 あのだめであるとま1つには自然科学の 影響で動物の考えてること私たちは分かる はずがないのでそういうにそれに彼らは 人間の言語を返していないからそれおかし いっていう考え方1つあると思うんです けどもう1つはキリスト教的に見て人間 っていうのは最初から動物とは違うものと して神によって作られたのでまアダムと イブもウェイクの最初に出てきますけど なんかその辺についてもちょっとお伺いし たいなと思ったんですけどなんでそこに アダムとイヴが最初から出てくるののか花 からでもとにかくアダムとイブはですね 最初から人間として作られたものであって 最初蛇だったけど人間になったとかじゃ
ないですよねうんだからそれおかしいと 変身っていうのはおかしいということが 意識の中に非常に大きくあって でそれってどうなんでしょうねそれをま 破ったというかその規則に従わなかった人 は滅多にいなくて ま狐になった夫人とかいうのあったけど 単発的にはあるんですけどねあとカフカは でもその代表的な作家でジイあのそう ジョイスの場合っていうのはどうなん だろうかその辺はどうしてそういうことが できたんだろうかというか何を考えたん だろうかっていうことでちょっとお伺いし たいなとは思ったんですけどまじゃあ ちょっとこれま後半にあのはい改めてそう ですねなんでイヴとアダムが最初に出て くるのかなぜジョイスはここまで自由に その話者を人間以外の人にできたのかうん はいうん面白いでもあのこうチャットで皆 さんにこうご指摘された雪の練習生はあの 語り手が北極熊でしたねていうこととそう なんですはい うんそういやなんか他にもいくつかあ犬 向こいるもそうですよねま語り手は人間の あの人ですけどま犬向こう入りですからね はいうんなんかでもその人間しかなんか 人間に常にフォーカスしなきゃいけない あの注目しなければいけないんだっていう なんか一種の脅迫観念みたいな特に キリスト教的な文脈で先ほどにあるとし たら なんかそれにこう人間人間にこだわりすぎ るっていうのはそこは不自由な感じがし ますかその説を書かれててなんか人間以外 のこといっぱい書きたいんだけどあんまり 人間をこう脇に置いてしまうとなんか話と して面白くなくなっちゃうみたいなそう いうこう圧力みたいのあるでしょうか話と して確かに私として はそうですね人間中心っていうのは ちょっと面白くないですねうんそういう とこありますけどでもねこれはなかなか 難しい問題も含んでると思うんですよねて いうのは今の若い世代はこのまアニマル スタディーズとかそういうのもあるぐらい で動物の権利ということを 非常にまとも真面目に考えるようになって いてそれはいいんですけれどもでもそう 簡単に は行かない部分もあってそうすると人権と いうのはどうなるのかっていう問題がある と思うんですよね私たちつまり人権って いうのは絶対に犯してはいけないものと いうところまで私たちは来てると思うん ですけどもどんな理由があっても人間を
殺してはいけないまこのま死刑がある国と かもありますけどもでもま絶対に人間と いうのをとにかく殺してはいけないって いう前提があるわけでこれと同じようにね 動物も絶対に殺してはいけないという限定 を前提を認めなければならなくなるわけ じゃないですか人間と動物は同じってなる とうんそうするとあらゆる 今日鶏肉を食べたとか魚食べたとかそれも 全部ダメっていうことでそのようでそう いう政府ができたらなんかお犬様将軍じゃ ないですけどそれを破った人を全部逮捕 する試験するみたいなねこうラディカルな 政府がなんか一部のアクティビストの中 から出てきたら怖いなという風に思うわけ でそれは方向として違うだろうという感じ がするんですねそれでハネハリハネですね ドイツの詩人の彼の死の中に彼もやっぱり クが出てくるアッタートロルっていう長い あの三分紙があるんですけどもその中にね で彼が問題としてんのはま当時はね ユダヤ人の権利っていうのが人間の権利 イコールユダヤ人の権利じゃなくてその 人間の権利の一部じゃなかったんですね ユダヤ人にはユダヤ人の権利があるけど 人間の権利はまた別にあってそれ全部 ユダヤ人が持てるわけじゃないみたいな そういう理論があったわけで今の私たちに はこう考えられないようなことですけども もちろんそういう歴史があったわけであと もちろん人種によってね何々人種の権利は 認めないみたいなことはごく最近まででも ねアメリカでもあったわけなんで そういうのが全部なくなった上でこう人間 全員が権利を持つって言った時にじゃあ 動物はどうなんだっていうところに来た わけですよねまこれは ねあのそういう意味で は非常に難しい問題であってでも一方では やっぱり人間だけ人間中心に考えていたら 人間も滅亡するというところまでも来てる わけですよねつまり当然ですけど動物が こうある種の動物たちが絶滅していって あと地目がこうなくなっていくという中 で人間は生きてあの生き延びていくことが 無理なわけでそうなってくるとだから最初 からね生命全部をこう1つの繋がりとし てあの認識して あとま樹木の言いたいことそれから北極の 言いたいことに耳を傾けるという能力が 人間なかった場合そういう人間はもう 滅びるしかないっていうこれは非常に文学 抜きでもですね現実的な問題として今 浮かび上がってきてるとも思いますうん そうですねとなんかジョイスに戻すとです
ねあのやっぱりジョイスはあのなんか生き てる動物たちや生きてるその気合しよりも やっぱり動物たちについてもですねなんか すでに亡くなってる動物た あええてるんけどあのカインがですね聖書 でアベルを殺してしまってでそのアベルを どうしようか考えてる時にですねこう近く にハサミムシがこう仲間の死んだ ハサミムシをこう土に埋めてるところを見 てあ自分も自分の兄弟をちゃんと埋めて あげないといけないという風に考えたって いうそういうあのま都市伝説というかそう いう考えがあったらしいんですね当時で それにジョイスインスピレーション受けて あハサミ虫っていうのは仲間をこうやって ちゃんと埋葬する虫なのかとだからあの 死んだハサミ虫ってのがすごく大切な存在 なんですうんうんうんうんでなんか動物の 権利っていう風にとあのついねなるべく 動物もたくさん生き多くの数をたくさん 生かしてみたいな話になってきてそれも 大切なんだけどやっぱり動物もあの死んで しまった動物の方が圧倒的に多いわけだ から か動物の死をどう我々のま心の中にガ 上がらせていくかみたいなすごく面白いと 思うちょっとじゃあ1時間ぐらい経ってる ので5分休憩入れて飯に行たいと思います があのよろしくお願いしますはいよろしく お願いしますはいじゃあ1回休憩入ります はい [音楽] OG [音楽] OG [音楽] OG [音楽] あ [音楽] [音楽] H [音楽] [音楽] OG [音楽] OG [音楽] あ [音楽] Y [音楽] Y はい皆様夜足までお付き合いくださり ありがとうございますえ後半もよろしくお
願いしますはいえっとま前半あのいきなり 本題に入って気がついたら1時間が経過し たんですがなんか話してて1つ思ったのは なんかウェイクが特殊なものであ るっていう気がだんだんしてこなくなっ てるというかなんか当然ある文学の形と いうような感じになんか気持ちがすごく私 ちょっと変わっててだとするとあの特に 現代日本語でこのような試みがなかなか出 てこないっていうか受け継がれてないのは なんでだろうなって いうねでなんかこうこういう作品に挑戦し てそれこそね15年とかかけて書いてに それをそれこそそのまま存在していいもの としてこう世界に置い てしづらくなってると思いますか今のあの ジョイスの当時に比べ てそうですねまでしょうねていうのは人昔 前そんな昔じゃないですけどやっぱ何です か失われた時を求めてとかねそれか白華と かそういう作品の話を聞いてもねなんか ずっと書いてて周りに読んでくれる人が数 人いればいいみたいな感じでな10年以上 こう1つの作品に取り組んでた作家って いうのはいるわけですよねで今もいるのか もしれないけどっていうかオーストラリア とかにまいなくないみたいですけどでも かなりメインスクリームじゃなくても日本 そうですね日本だけでもなん日本は特に ですよ日本だったらもう毎年必殺本出さ ないと作家じゃないみたいなこの世界です からね5冊ぐらい出してる人もいるかも しれないけれどもその中でこういう風に1 つの世界にこう取り組むっていうのが なかなか心境的にも難しくなってることは 確かですねでもあの読んでてちょっと吉増 剛三さんの死ですねとあのフガとあと多言 をこう使ってまなんかシャーマンのねあの がシアと語るような部分もあったりして 少し あの共通点を感じたこともあるんですね 日本での日本語での試みっていうことで ねなんかアイルランドがその心力によって 歴史が紡がれてきた国だとしたら日本って いうのはあのなかなかその侵略ってことが 少なかったと思う ねだとするとこう日本で先ほどのような 感じでね夢を紡ごうとしてもこ3000年 遡ってもですねなんか急に50個の言葉が 出てくるかどうかっていうはあるのとでも 他方ではねあの明治維新で標準後が導入さ れる前はみんな好き勝手に方言で喋ってた わけですから日本語っていうものはなんか そもそも存在しなくて本当はなんか アイルランドやねドイツと同じくらい重層
的な言語の歴史があるのかも しれどうなんでしょう日本語ではちょっと また英語やドイツ語で多元語性を持つ作品 を書くのっただいぶ違ってくる気もする けどそうでもない気もするその辺りはどう でしょう かそうですねまあ多元語性のあの種類が 違ってくると思うんですけれどもでもある 種の多様性っていうのが日本語の内部に ないとは言えないですよねでその1つが やっぱり看護とあのヤ言葉ってっちゃ変 ですけども別の日本語の系統でそれが振り がによって第1つになったりそれから カタカナでこう取り入れられていくま ヨーロッパの言語であるとか でそれからま音引の数が少ないせいかどう かわかんないんですけど同語がたくさん 非常にある中でうんなるのとあと方言も ありますよねそれらを駆使してやっぱり あの日本語役のねあのフィネガンスウェイ クっていうのは作られてると思うんです けれどもであのそういうものを掘り起こし ていくっていうことが非常に大切で もちろん あのその多性と多義性を比べ るっていうこともねあんまりできないと 思うんですよね性質が違うなってことは 感じるけどでもこのアイルランドの英語の 豊かさっていうこと ではあるけどま日本語にはね日本語のま あの歴史と多様性があると思うんで違った 性質ですけど少ないから日本語だとやり にくいと かではないんじゃないかっていう風に感じ ました特にこの翻訳を見ていてねで翻訳を 読んでいて私にはどうしてそうそう訳した のかま分かんない部分も分かんないのも ところもたくさんあったし分かってすごく 笑えたところも色々あってま楽しいなこう いう風に書くのは楽しいなと思いながら 読んでたんですよね例えばあのウロ語の あの中国の講師いるじゃないですかそれ ですかそうそれでドイツ語でもコンフシウ スって言うんですけどそれが コンフュージョンと似てるなと思ってた 講師今度講師 今後とかね いや面白いですねでもこれ思いつくのは なかなか大変だと思うんでずっとこう考え てあの出てきたものを時間かけてる でしょうねこのように いや面白いですねこういう風に書くという のはね是非もっとたくさんの人たちに日本 語でもやってほしいですねうんうんそう ですねなんか私はすごい潜在的には読者が
いて単にちょっとこう本を出す側がなんか ちょっと遠慮してしまってるところは多分 にあるんじゃないかともっと果敢にやって いいと思うああうんなんかそのことを なんかちょっとなんて言うのかな1つの なんか小さな証拠としてそれを残したいっ て意味でもなんかガ読やってるんですね なんかこ専門家だけが読む変な本じゃなく て実はそういう読書体験ってのはみんな うん取って楽しいもので あるそうですねじゃあちょっとこの辺りで 皆さんから頂いた質問に移りたいと思い ますはいでじゃあ1つ目はですねアドムと イヴはいいいですかねアドムとイヴどあ アダムとイヴどうですかなんかおっしゃっ てくださいあそうですねあのまコメントで あのてさんおっしゃってたえアダムとイブ に関連してそのキルコが伊と伊波のあの 子供の名前というこの繋がりはあの どそれは考え思いつきませんでしたね 面白いですねいさあと私の演劇でもあの イザ伊波の神話とそれからオルフォスの 神話をこうつげたみたいなのがあるんです よねどちらもも女性の方が死んでで男性の 方がその読みの国死者の死者の国ですね まさににこの女性を迎えに行くんだけれど も振り返ってはいけないと言われていて 絶対にそれでどうしてでも振り返ったら いけないのかっていう点がね日本の神話の 場合全然こう違っていて面白いなと思うん ですけども振り返ったら死体になって死体 にうが湧いてい非常に見にくい姿を見 なければいけないから振り返ってはいけな いっていうのはまあ日本の神話ですよね これジェンダー的に見ても非常に面白いと 思うんですけどもうんあの ええウェイクの方はあのリフィガの一番 真ん中ら辺にあのちょうどアダムとイヴ 教会っていうのがあってああそれへの レファレンスではないかとのが 説あとマダムとイヴが出る時は大体リリス も一緒に出てくんですね結構リリスがあの 影の役だったりするんですよあはいはい はいなるほどね日本の神話にはリリスに 相当する存在はいます かいないですかね うんいやでも面白いですねそこの回路で 繋げるとえての1つあるちょっとこううん 話が飛び飛びになってしまうんですがあの そうだなじゃあちょっと 剣闘士行くとですねまおそらく 東日本大震災の影響があるように思います がえその他に小説を書く上でなんか影響を 受けたま出来事ま作品や作家映画音楽も そうですがま出来事などなどあればお聞き
してみたいですというすごく広いご質問 いただきました がはいうんそうですねこれは本当にあのま 災害一般ということについて考えていて それで何よりもちろんあの石村美子さんの 不害上土我がみ病ですねの影響が非常に あってそこで このま病んだものっていうのかなに対して どういう視点視線を送るのかという問題 ですよねについて考えるにあたって非常に あの なんて言ったんですね影響を受けたって いう風に言うとちょっと違う感じがするん ですけれどもそれについて考える上で あの書かせない本って言うんですかね重要 な書物であったていうこととそれからもう 1冊あのスベトラーナアレクシさん のチェルノブイリの祈りという題で日本語 では出ていますけど もこの本も非常に重要だったんですねだ からまあの福島原発事故ということだけで はなくてそれがもちろんきっかけにはなっ てるんですけども描かれた世界そのものは ねどちらま あのチルノブリとそれから三股病というの が あのなんて言うんですかね うーん元になってますっていうのも おかしいですけどね あのそこがま出発点出発点になってます ましたはい ああ [音楽] うんちょっとじゃ関連してですね はいこ変身のためのオピウムなどに特に 顕著なその身体性の言語化とか体と言語の 融合のような主題がえ金策では重きに置か れず政治性を高めていく方向へシフトされ てるように見受けられますが何かきっかけ のようなものがあったのでしょうかという ご質問 あこれもこれはやっぱりそうですね東日本 大震災は1つのきっかけだったと思います ねでこれそのが起こることによってなんか まそれまでずっと私のテーマでもあったん ですけれどもというのは小学校の作文読ん でもなんか あの公害による環境汚染とかねジス差別 戦争とかそういうことばっか書いてあって 私の作文なんかあと熊がままあそうね熊が 冒険したとかいう話もありました けどとにかくそういう関心はあったんです けどそれが急にねなんかこう体の次元まで こう近づいてきたっていうのかなこの きっかけでだ
からあの小説の中でもそれが全面に出てき たようなところがあるのかもしれませんね うん うんこれも面白いのは あのえばいいのかななんか最近こう アイルランドであの出た短編小説集の中に 猫の視点からダブリンを描いたディストピ アっていうのがありましてはいでまその 作者の人に言わせるとま人間はたまに なんかこう自分の住んでいる場所が壊れる とこうますごく悲しみにくれてそれはま 当然悲しいことなんだけどま猫にしたら ですねもう毎日がディストピアであると ああ道路にはね車が通っていてこう人間も 何をしてくるかわかんないのをこうり ながらねうんなんかもう本当に人間に占領 された土地で生きてるみたいなねそういう 感じがするのだっていうことをあ発とした んですよねその時にねはいはいはいうん 先ほどのその身体性と言語ってことで言え ばその動物の身体性を基軸にしたらだいぶ そのうん仮に政治的なことを何か東日本に ついて言うとしてもだいぶ変わってくるの かな うんそうですよねだからあのものすごく たくさんま本が書かれたわけじゃないです かあの冷戦についてとかね例えばねうんで もそれからナチスについてもっとたくさん 本が書かれてますけどそれを人間がこう 繰り返すと同じまルートに乗って書いて しまうで新しいものが見えてこないって いうかもう何も見えてこないみたいな状況 になった時にだからあの猫の視点から見る とかね猫に猫だったらどうなるかみたいな ことが現れてくるっていのは必ずしも動物 じゃなくてもいいんですけれどもなんか今 のあの1つのパターンにこう囚われて しまうその人間っていうものがその パターンになってしまってはいけないと 思うんですよねでそのチャンスではなない チャンスを動物というのがま与えてくれる わけで仮にま動物じゃあでも動物の考え てることは本当には分かんないじゃない かっていう反論がよくあるんですけれども でもそれを言ったらばま隣の人間が考え てることも分かんないというそれが文学の 出発点としての他者性ですよね誰のことも わかんない自分のこともわかんない自分が 何を考えてるのか全くわかんないという これも出発点になってるわけでうんだから ま動物というの面白いと思いますねで身体 性っていうことについ て あのこの身体性っていうのとねあと政治 っていうの全然切り離せないと思うんです
よね私としてはだからそのま猫の目から年 を見るっていう話もそうですけども猫で なくてもた例えばこう1人若い女性がこう ある町を歩いているとでその時にその身体 によって認識されることまたはその身体に あの投げ投げかけられる視点から始まって あらゆる種類の暴力あるいは抑制そういう ことを考えていくとこの身体というものが あるからこそ私たちはこの政治から守られ た場所で生きることができないこれを無視 して生きることはできないという身体の 非常に不思議 な閉じられた場所のようであっ て身体があるからこそ常に世界に対して 開いてなければ存在できないみたいなね そういう身体性考えるとやっぱり政治と 身体っていうのの間に こう教会線引けないような気がするんです よねあとさっきもあの最初に今日言ったん ですけども自分の身体っていうことを考え た時に最初の頃は自分の個人としての記憶 がちまわれた場所としての身体っていうの をを主に考えてたんですけどもそれだけで はなくて私とは全く関係ない国の歴史も しまわれている私の身体っていうのを 感じるようになってそれ プラスま死んでいく身体なんだけどもでも もう死んでいくということが前提になって いるからこそあらゆる このこれまで死んでいった身体ですよねそ からこれから死んでいく他の色々な身体の 中にあってその自分の身体っていうものが 本当に閉じられたものとしてそこにあるの かっていうような疑問まないと思うんです けどもそういうところになんかね移行して いったように思います うん面白いあともう1つ身体性で言うと その覚醒してる時の身体性と眠ってる時の 身体性とだいぶ違うと思っねで当然自分の 意思で趣旨を動かしたりとか寝てる時は できないだけどある部分ではすごくこう 起きてる時では不可能なこのレベルで覚醒 が起るっていうあるじゃないですか ねでなんかこう文学でも その必ずしも夜をモチーフにしてなくても その眠りの身体性モードでこう文が紡がれ るってことはあるでしょう かああそれはあると思いますねな色々ある と思うけど例えば目まいとかね富裕感って いうのかななんかこの地上から足が浮いて いる感じですよねそれから移動の速さ みたいな勢いみたいな急に突然ある場所 からある場所はそうさっと移動してしまう 目まいっていうのは非常に高いところに 立っていて恐ろしい落ちそうで恐ろしいん
だけど落ちないみたいなフラフラとしてる で全然足元がこう おぼつかなんだけどもそこ落ちないみたい なねこの高いとこ歩いてく感じですよね それから水がねすごく私の場あってあんま 泳ぎが得意でなくて水が怖い方なんです けどこのフィネガンステイク読んでてもね 水川流れっていのが非常にま1つの私に とっては1つのモチーフみたいになってね こう流れてる感じがするんですけど死じゃ ないんですよね川かま水の中にあるので その言葉というのが必ずしも右から左へと か上から下へこう積み上げていくことが できないとなんか流れていって流されて いったり流れていったりする感じですかね それが体についても言えて体の中がを何か 流れていくという感じ体自身が水であるこ は まあ昔書いた小説で人間の体は80%を こう水でできててるっていこれ一体どう いうことなんだろうっていうようなねこの 身体性から始まっ てあの夢の中ではこう水が近くにあるとか 水の中に入っていくとか水の中を動いて いくみたいな感じが このありますね小説の中にも現れますね うん実際の現実には水に入ってなくても うん うんそうです ね ま確かにね あのウェイクだとこうなかなかでも川ま ギリシ小代ギリシャのレテとかはそハデス に続く側とかねああまあの誰だったっけな ちょっとすいません名前がど忘れして しまったんですがバッコスかなんかが船に 乗って冥界に行く時も えっと確か沼かなんかを渡るんですよで カエルがいっぱいこう鳴き声を上げてです ねああ うんっていうのがあったりとかなんかこう 水を渡ると死者の国に入るっていうのが なんか結構普遍的にあるありますねうん ここってなんか必然性あるんでしょうかね そなんで例えばそうだななんか死者の国に 行くとえばなんか机に座って本を書き始め たらいつの間にか死者の国に入っていたと かなんかそういう入り方ってあんまりない じゃないですかその川を渡ったりうんうん うん うん 川そうですよねないですよね川い三途の川 を渡ってですもんね日本だったらね うんうん まじゃあ次の質問はそうですねあでも
フィネガンスまさにフィネガンスレ最初の 単語なんか川 川戦争と役しあったかな川リバーラン みたいななんなそれって何なんですか リバランですかうん ああま雑行ですけどなんかドイツ語の エリルエリナルグとこもうちょっと響くと あそうなんですか へえていうそうなのへえそれは すごいそれそうなんですかええつまり 小文字で始まってるのであの戻ってきて るっていうニュアンスがあって思い出し てる [音楽] ああのドイツの翻訳をしたえっとねなんて いう人だったっけなシトーデルっていう人 だったと思うんですがはいうん彼の翻訳が それを全て反映させた最初の言葉になっ てるということを読んだことがあります ああ本は持ってないですね私一度図書館で 見てすごく驚いた記憶あるんですけどお 持ちですか さきからぶつかりぱなしさんの変身のため のオピウムのみたいですよ本当に あの まああすごい労作がありましてこの パトリックオニールという人がえ去年 トロント大学から出した本がですねなんと フィネガンズウイのでの翻訳事例を全て まとめて歴史って書いたんですよ ねすごいですよこれあの日本語も全て載っ てますう ああオグデンのあのベーシック イングリッシュはいとかもてましたそう ですかどうやってやるんだろうっていうの はちょっとあますうんちょっとすいません あのスールの方は見つからないので後で 調べてみよう はいうん そうえまちょっとこれまたあのなんて言う のかなキーが違う質問になっちゃうんです けどえっと田田さんご自身は作家としては どのような系統に属していると辞任されて いますかもしくは返信のためのオペに登場 するコロニストようにそのような寄付に 属されることをあのあまりよく思われない でしょうかといううんどうでしょうああ それはちょっと難しい質問ですねいやよく 思わないてことは全然ないんですけれども うんま読む人によってねあこれはこの系統 だろうっていうことをね考えてくれる人が いたらそれは 全然嫌だなとか思わないんですけどもうん までも 系統ということ言ったら例えばジョイスは
どういう系統に属してるんですかですよね あの系統ってよりもなんかアソシエーショ ンっていうかうんうんなんか連想させると かいう方がなんか私はしっくり来る あ例えばジョイスはねシェイクスピアを 当然連想させるけどシェイクスピアの系統 に属してるかって言われ たら難しいですよねそうですよ ねそうですよ ね やっぱりでも系統ってなんかこう線的な イメージそしてなんか ヒエラルキ的に考えるならなんか循環を ひたすらしてるようにそうですよねうん そうですね循環が重要ですもんねうんうん 確かTだったかなその私たちが新しいこと を書く時にそれは過去も同時に乗り換え ちゃうからうんうんうん線的ではありえ ない書いてたりとかああそうですよね確そ 私としてはなんかはいなんかすごいトピな ま自分かってなはあの連想なんですけど 時々ね日本語役でこのフィネガンス フェイク読んでて なんか型破りなっていうか1つヨーロッパ のこ文学師続いていく中でなんかをビリッ と破いた瞬間みたいな手触あってそ日本語 で読んだ時のもちょっと伝わる ドンキホーテとかねラブレとかねそういう のをね思い出すんですよねすごく ねあとトリストラム シャンディ のああれあのなん自分の事前書こうとする んですけどなんか第2巻ぐらいまで言って もまだ生まれないんです よはいはいはいちょっと話が複雑すぎて 説明してるうちになんかどんどんがりされ ていくっっていう ええいや なんかあのそこがねウェイクのなんか 不思議なところではいなんかよ私もつい 最高峰とかなんか災難感とか言っちゃうん ですけどちょっとこうあの下心があります よねそういう言葉にはねうんででもそう じゃないんですよねあの本当にたまたま ジョイスがその日読んだニュースの記事と かうんなんかたまたまあのその日あった あの名もなき人みたいなのがうんマイ ページ出てくるんです ういいですねそれねあいいですねそういう の うん おまあともう1つ今の話って言うとその 翻訳とオリジナルの関係にも繋がる話だと 思うんねはいはいうんでフィネガンズウイ クってすごくアイルランド的なテクストで
もうひたすらアイルランドとヨロ うんうん日本や中国はなんかあの味付け 程度にしかやっぱり出てこないんうんうん うんすごいヨーロッパですよねで読んでる となんかね あなんて言うのかなアイルランドは本当に ヨーロッパでイギリスはヨーロッパじゃ ないなみたいな感じがしてくんですよね すごくどうしてなんでしょうねイギリスを なんかねもちろん文学シェイクスピアも イギリスなんでしょうけどもなんか ねそうじゃないヨーロッパっていうのかな そういうのそれをねこう弾き出した ね感じがし てでもまさにヨーロッパを描いて るっていう実感 はありますねでもそれはね必ずしも私はね あの全然いいと思うんですようんえなんか ヨーロッパ中心主義とか言うとすごく悪い みたいに聞こえますけどそうじゃなくてね もうヨーロッパは中心でないこと分かっ てるんですから世界の今の時代は ヨーロッパ中心主義は良くないなんて言っ てもしょうがないわけでそうじゃなくて このヨーロッパという非常に小さなでも 非常に豊かなね文化的に この何なんだっていうことで徹底的に描く ていうのかなこうヨーロッパを描いてみ たいみたいなこのこういうなんか意欲私も あるんですよねだからいいなと思って読ん だんですけどその点は ああそういう試みってのはやっぱりあの東 アジア日本を含めた東アジアの文脈とか あのアフリカ大陸の文脈とか あもしかしたら北極とか南極の文脈でも あり得なくはないかもしれないなんかそう ですよそういうところでやっぱりこれから 出てくると思い うんそうですねでもヨーロッパっていうの の特殊性はなんかヨーロッパっていうもん が実際にあるわけじゃないんですけども はっきり言ってでもヨーロッパということ について色々考えた人たちがいて フィクションとしてねヨーロッパが非常に 歴史を持ってるし重みもと豊かさを持っ てるので うん1つの対象となりうるっていうのかな 文学のモチーフとしてそこが面白いと思う んですねうんでアジアっていうのはねそれ とはちょっと比べることができなくてこう アジアって言と色々問題がちょっと私の 場合色々 思い浮かびすぎてアジアを描こうとか言え ないんですよねあえでもねなんかそういう 1つの日本でも日本は嫌なんですよ日本を
描こうっていうのは絶対嫌ででもアジアを 描こうっていうのはなんかあのやっぱり 植民主義みたいで嫌でそうじゃないけどで も日本ではないなんかねこう多分化はもう ちょっとはっきりした形でこう歴史の中で 共存してきて難しいけどもなんか一緒に夢 を見ようとしてるようなねそういうのが あったらいいなあと思うんですけどそれが 日本とアジアの間になんか私にとってない んですよねだからもうしょうがないから 逃げてヨーロッパに逃げてですね ヨーロッパ書きたいとか思ってるんです けど も インドの方が近いああインドねうん うんインドだったらいいですよねで多分ね 中国でもね中国も思っているようずっと 多様だと思うんですよねだから中国を書 くっていうのの なんか人がいたらこの多義性多様な中国 ですよ官本民族中心の中国じゃなくてこれ はねなんかすごく面白いなと思うんです けど中国もといろんな文字ですねと いろんな言語で この中国版フィネガンズフェイクみたいな すごいなかける人がいたらすごいなと思う あでもそこなんですよねあのドイツ語役と かフランス語役だとなんか違和感がないん ですけど中国語役とか日本語役だとなんか 独特な味わいがあると思う一方でなんか それって翻訳なんだろうかちょっとこう 疑念がよぎるというかうんあのむしろ20 年かけて中国版を書いた方がああああ なるほどねはいはいそれこそ意みたいな ね [音楽] ああま翻訳っていうのもねある見方をすれ ば読書の1つの形ではなわけで非常に積極 的な読書の形なわけでこのフィネガンス ウェイクを読んでみんなで討論するって いうのも読書の形だし1人で読むっていう のも読書の形で翻訳しちゃうっていうのも 読書の形だしあと自分版フィネガンズ ウェイクを書くっていうのも広い意味では 読書の1つの形だと思うんですよねうん そう ですあのジョイスの小説は他の小説と比べ てやっぱりなんかこう1人で理解するって よりはなんか共同体でこうタックルすると いうかうんうんその方がいいですねうん 共同体がなんかねできてくるいのがねうん そうですね田さんもあの会とかされると なんか共同体がそこに生まれるっていうの あるん じゃああありますねうんま昔から知って
いる読書の楽しみっていうのはどっち かっていうと1人でしたけどもやっぱり学 の読書と朗読ということを始めてからそこ に集まってきてる人たちが一緒にこう読 むっていうねまこの楽しみは大学のゼミ なんかでもあの体験したんですけれどもで もあのいろんな自分の朗読だけじゃなくて まいろんな作家の行う朗読会のですねこれ が あのこの場っていうのがねなんか読書と いうものにこう空間が現れるわけじゃない ですか1つの場所に集まって読むからで そこに集まってくる身体ですよねやっぱり ねこの身体性っていうのかなドクシの 現れるわけでいろんな身体がその1つの 空間にこう集まって読むでそこにまた声と いう要素が加わってなんかね文学がこう 必要としてる豊かさ立体性不合性みたいな もんがね実現されるような気がするんです よ ねあのあっという間に1時間45分経って しまったんですけどああああはいはいはい あの今日はこのウクを読む共同体の一部 一員としてなんかこう話できたことすごく あの嬉しく思います本日は本当に ありがとうございましたあこちらこそどう もありがとうございましたはいじゃあ あのしますはい失礼し [音楽] ます
大変濃いトークをありがとうございました!
1:21:00頃のコメントで、「フィネガンズ・ウェイクのShemとShaunの石と木のモチーフから、古事記のイワナガヒメとクシナダヒメの姉妹を連想します」と書きましたが、正しくはイワナガヒメと「コノハナサクヤヒメ」でした。直前に読んでいた『太陽諸島』の終盤で印象的に出てきた櫛(クシナダヒメ)のモチーフで、記憶が変容(変身?)していたようです。失礼しました!