永井荷風「罹災日録」より、1月から3月までの朗読動画です。1時間になります。
断腸亭日乗から荷風の罹災・疎開・終戦・終戦後東京に帰るまでの期間の日記を抄録したもので終戦の翌年出版されています。基本的に「断腸亭日乗」昭和20年と同じですが、出版用にかなり筆を入れているらしく、日付の一致しない箇所もあります。転居の事情などもこちらが筋が通っているようですが、荷風に都合よく説明しているのかもしれません。
朗読を 楽しむ長い 花風理財 日昭和20年1月から3 月理彩日録は他年ヨ筆する団長帝日常の中 より西暦 1945年我が昭和20年の武王抜擢接し も なり日常は元より 公表すべき心にて起するものにあるを持っ て記事の清楚文章の確 日により時に従って同じかららずこれを 通覧すれば必SCに均一なく飽満無雑の 煩いスコブル伊藤べきの勘 ありしかれど も 今いたずらにこれを改めざる わ乱脈の分かえって理彩当時の状態を見 するの敏あれば なり また少々記事を加除し人命を返しものある は必死現在の境遇よりして事情止むことを 得ざるがため のみカンビするところのためな春水はその 走行幸いにして友人草案主人の家にありし がため災いを免れ たり今記念としてここにこれを配員せしめ て付録と なす昭和21年10 月花風三神 シス理彩 日長井 花風想定 著者リサ 日理 昭和20年日記賞長い 花正月元日曇りて風なし歌 40°この日誌も今は数重なりて29巻と はなりぬ考極まりなくかって筆に しし きや五を来たりヤグ衣類を真州知人の家に 送りたり と稽古時を移してコボに 去るこの夜空襲 なし1月2日晴れ無事戦闘によす 1月3日晴れほ種だし来 は1月4日晴れ午前種出し再び来り罪一袋 みか計らをた らる妙やボドを助けて新州に行くと えり夜2 警報1月5日未報あり 晴れ寒さ花し夜初行また 警報1月無日晴れ午後安倍幸子来り フランス文典を 学ぶ谷崎君
来翔さゆ続行執筆中なりと いう伊藤秀子 演習三宿立ち木先より小よす夜警報2回 あり1月7日晴れほこヶ来 は1月8日晴れ無事寒さ花し厨房の飲食物 ことごとく 凍る1月9日晴れ 5か両市きりのり星垣を恵ま2次警報あり 反再び法制を 聞く両祖市の 団浅草大地流行艇の辺り下谷岡町末広町 東川竹町西町当たりまた浅草中店も消防す と いう1月10日 晴れ菅原 来所進行 警報1月11日 曇り桜寒さことに 離し 万感左右 やがて雪となる 進行警報眠りをさることを霊の ごし1月12 日思いの他雪にもならず北星の風激し けれど空はよく晴れたり午後森戦争師来は 三谷町の近藤に 行く裏町や 寺の冬子 だち小や坂道急ぐ湯の 帰り1月13日 晴れ 福吉町高野書店にてパリ 座しその他をあうこの日無事夜も警報を 聞かず 1月14日 日曜日晴れまた曇り無事昼のうは掃除炊飯 に急がしい炭もガスも思うように使うこと あわざれば兵の古いたみか箱の破片などを 燃やして炭の代わりとす案外に時間を 要する なり朝10時においで飯を炊きて食し 終われば1時過ぎな 室内の散りを払い湯に行き帰り来たりて茶 などすれば日はいつか傾きてまた晩飯の 支度すべき頃とはなる なりされば心のけく読書するは晩食の後 とかを転じてより後のことにて舞を覚えず 12時過ぎとはなるなり今年の冬ほど読書 に教を得ること未だ勝って なし夜 初行菅原来たり 話す1月15日晴れ 無事1月16日晴れ朝10時警報午後木戸 市和朝草中店の家事はその中ほど 旧料理店隣写真屋一件また宇の里料理店の
辺りなりという戦争も今年8月頃までには 敗北して終極となるべしと いうTD ウゾ の絵画 略 1891年 を 読む1月17日 晴れ23日来 換気激しく なり進行 警報1月18日晴れ 無事ムルト長ルーマニア現代文学者 1938年版を読む木端の配給なきため 近隣伊豆子も取り壊しかの古いをわが飯を 炊き おり1月19日晴れ午後 警報1月日晴れ無事1月21日曇り 後に はる酔い好きの光さえ渡る頃と なり78日頃の月なる べし代々木より大根を買う1本2円なり 配給舞1章闇値15円なりと いう1月22日晴れおりおり 曇るヤハ警報 2度1月23日晴れ後に 曇り夜種だし新州立ち退き先より来り星 がき桂バレー症 恵ま許可種だしせ 琉のある島に派遣せられし が重の代わりにただその形しる木星の棒を 与えられしのみ武器の結望哀れむべしと 語れ り1月24日晴れまた曇り午後三谷町の 近藤に至る 子役人らしき四十年配の男45 人その中の1人帳簿を携え人家の入口に 番号を書きし四辺を張り行くを見 たり霊南坂教会した石段の元木坂編より 崖下 北川町 べきことを示す なり世の雪なし近藤もまた取り払いとなる なり東京住民の被害は米国の飛行機よりも むしろ日本軍人内閣の悪性に基づくこと 花大なりという べし我が変官もいつ取り払いの命令を送る や知るべから ず1月25日晴れ寒さ 花午後伊藤秀子演習 御し立ち退き先より 来るかの地方は一体に空襲をこること 甚だしくまた米軍上陸の恐れなしとせず 人身興教たりどこか安全なる地に転したく
その心にて状況接しなりと語れ り1月26日晴れ午後岩本歯科委員に至り 治療を 行う深夜警報2 回1月27日曇り後に 晴れ午後1時頃空襲 あり爆音法制然 たり古いに出るに銀座編かと思われる東北 の方にあたり黒円ももとして登るを 見る3時頃警報解除となりたれば三谷長の 戦闘に 行く客わずかに数人 のみその語を聞く にあぶ長坂班ほどより左へおしお長に日本 の飛行機一期墜落し人家数剣消防し たりまた橋より 銀座町及び 有楽町築地あたりも焼けたる よし有国2階の水道凍結のため蛇口破裂 す数日来歌 378の寒さ なり1月28日日曜日 晴れ寒さますます はし午後戦闘にいし不在中代々木より この姫2切れ醤油1章金15円を送り きたれり進行警報3度 あり1月29日晴れ称号種田来り話す持を 恵まこの日を聞か ず1月30日晴れてまた曇り午後故所書え 辰の主人来り一作28日夜の空中にネゴ源 の辺りより千々へかけて火災あしと語れり 寒さいさ緩やかになり ぬ1月31日晴れ 午後三谷町の戦闘にて一客より銀座通り 被害の商報を 聞く尾張町四辻東側は無事西側より スア山代がのあたり爆弾のため一円破壊 また消防せり京文官安田銀行菊ビル等 破壊取時計店も内部の破損花し築地にては 小竹事務所をさにかかりしと いうコボ代々木より牛肉を送りきた れる2月所1雪もいの空暮らし他岩本司会 し をの2月初2昨夜いつの間にかふし行き 今朝はすでに あたり午後岩本しを問う晴れて風 激し2月初3晴天風止ず午後岩本を問う木 使いのものに米を持たせ使わ去るこの日 またリカのババ白米一生を持ちきり 闇値1章45円なりと言え り他近藤に [音楽] 行く客の花事に去27日午後銀座理彩の時 水道破裂し地下鉄道洪水となり乗客の歴史 接しもの3四白人に呼びしと
いう2月4日曜日晴れ換気忍び がし大所 の水間の中より氷て解け ず春の来は今明なるべきにこの寒さにては 豆を巻くも鬼は家のうよりさらざるべし この日警報を聞か ず 2月 初午晴れ寒さますます激しい果実ネより 伊坂編の火災に大外先生艇もうとなりし よしただし昔の千田山山房はすでに千年 消防しその後の新築家に遺族類まり子 氏住居セられ氏なりという今日も幸い警報 を聞か ず2月小6 晴れ数日前辰の主人見舞いに来たりしと 何かお望みのものあらは探して参るべしと いうに今星もにて手にいらぬは砂糖と 牛楽亭と砂糖1日目と持ちきり 佐藤は向島の心やすき待ち合い茶屋にて得 たるものその家にはウォカ日本酒なども 隠しもてる様子 なり 佐藤は1巻目 450円なれど当月中には500円を小 べしと なり午後近藤に行かんとする時同元治の ほりにて両祖師の来に 会う新富町の事務所空中に愛し時の話を 聞く視聴者少なからぬ よしコボ安倍幸子来たりフランス文典を 学ぶ上風二束を 送る猿家の 男酔い闇に紛れて住一票を持ちきり 闇値50円なりという夜への付近去年より 住の配給中絶するがゆえ なり夜地人の家より軽肉を送りきた れりゃ 3円血肉1は金50円なりと いう2月小7晴れ後に 曇り朝9時警報 主にして解除と なる2月小 8 暗期窓外を見るに雪いつかつもりで空は 晴れ たりコボ菅原より 電話2月小く晴れ午後 警報立ちまち 解除2月10日晴れ朝10時警報午後3時 再警報ありただし東京の市街は無事なりし と いう4時過ぎ手ぬい片手に近郊の戦闘にて 休まずにいるところを探し 歩む初め三谷町に行き坂を
登り江戸見坂途中より桑野町 に 下り神谷町及びイクライタリ氏がいず子の 近藤も本日休業の札を下げ たり虚しく家に帰れば日はむにクレントス 夕やけの空いかにもはらしくなりしが風 なお さし食後古雑誌 レバーデデク モンド閲覧 閲読進行に及ぶことをマオの ごと住民語サレに目覚ことサイトに 及ぶ2月11日日曜日 晴れ朝11時警報風寒く山折消えず昼に 近くまたサレのなを 聞く3時過ぎ今藤より帰り来たるにご導師 とその子と共に庭に立ちて世のカルをちい たりご導師の子 本年行政中学をいで来月上野音楽学校に 入学の試験を送るつもりなりと語れ りこの夜隣人より白米2章を買う1章 40円2月12日 晴れ不育開放を見る に蘭月王の金栄を のすその中世の好む もの川風やこた座敷の遊 掃除行年の角松船屋 小川夜8時警報あり倉光を入れたる川包み を下げて庭に いず消えやらぬ名残の雪や門の 闇さえ渡る北斗の影や屋根の 雪2月13日晴れ木戸きり牛肉ネギ大根 持ち等を 恵ま長腕比べフランス物語その他走行の 手元にあるものを一まとめにして同士の館 に送ることを 訳すコボ町田紳士きり牛肉を 恵まとか読書舞の ご2月14日晴れ朝 警報2月15日晴れ午後1時半 警報夜初行再び 警報とかフランス院 学士楽しかし日のことどもと題する分断 階層期を 読む年代はあたかもヨがかの国にありしこ にてリオンマユ市街の観察を記せしく ところ ありそういうの昔を思う 安をすまたベルトランが初めて雑誌パリ 評論にその作ドンジャの敵を掲載接しとき その報酬6000フランのうち前金 2000フランを得たりしことを せり6000フランは約我が2000 200円にあたる明治30年代のことなれ ば火が分断の事情
のいかに総意するかを知るにたる べし2月16日晴れ夜10時頃よりサレ 響き 渡り法正 豪日暮れに至ってにわかに止むただし にはちりしよしコボ待ちだしきり浅草のり を 恵ま2月17日晴れ日光ようやくはる らしくなりて浦の山折も消え失せたり早朝 よりサイレン法制の響き渡ること昨日の ごと他警報初めて解除となる総師より電話 あり昨日横浜の市街空中に愛しという夜に いり警報採算に 及ぶ2月18日日曜日海晴の空雲影なく 東風初めて上場 たりご正号きし下木に住1票大根1本を 持たせ使わ さるち夏 姿野心地獄の 花諸が服23本の保護を 託す午後両三師を待ちしが来らず同元坂下 の近藤に よす2月19日 晴れ午後3時サイレンに続いて法制を 聞く新宿駅金棒に火起こると いう2月20日両名警報晴れて風再び 寒しコボ待ちだしきりて牛肉を 恵ま2月21日 午後板倉片町の床屋に行き利発戦とする時 警報発せ らる去年12月の初めに借りたる神なれば 今は伸びて耳を覆うほどになりし が床屋の主人警報団詰所に行くとていさ たれば虚しく家に 帰る木戸庭に所立してちい たり日暮れまるまるし来たり米軍硫刀に 上陸接しとて人身前たりと語れ りほれ草不経蔵せ らる2月22 日昼に近く眠りよりに肺のごとく細かなる 雪振りたり檻からサイレンの音聞こえしが 均衡弱々として人の声もなく雪の音さえせ ず天地全くしるが ごとし昭和11年2月内乱起りより ちょうど10年目なれば世の中再び変わる べき全長なる べし夜半すぎ川の窓より見るに月光昼より も明るく積もれ雪を照らし たり堀の上など5寸ほど積もり たり2月23日晴れ午後床屋に来て帰るに 年来たりてちい たりその友人中出版業を営むものあり最近 検閲もいさ関大になりたればヨが金作来放 者踊り子など上司しずやと言え り共にいでてよは谷町の近藤にいたらんと
するに辺りの人家卒きりて引き倒しの最中 なり別れて家に 帰る読書信仰に 及ぶ警報を聞きしが週にして解除となれ り2月24日晴天なれと 桜井瞬間礼屋内の水ことごとく凍る午後 止むことを得る用事あり丸の内三菱銀行に 行く正月以来この辺りに騎士子と泣きを 持って すきや橋次郎11時半沖いずる に3日前のごとく細か雪振りたり飯たかん とする時 隣人雪を踏んできたり午後1時半米国飛行 機数台とやら来週するはずなれば心せよと 告げてさ れりゃ心何とも知れず落ち着かねば食後膝 を接しコーヒーを 沸かし砂糖をおしげもなく入れパイプに これも飛蔵の西洋タバコを詰めむに煙を きすもしもの場合にもこの世に思い残す ことならしメとて なりとかするほどにリンカのラジオに続い て法制凝りガラス道をゆすりしが雪降る うちに小貝の穴には入るべくもあら ず夜棚の下に入りて様々のこと思うとも なく思い続く うち門ようやく静かになりやがて警報解除 と呼ぶ人の声 す時計を見るに午後4時にて奥内すでに 暮らし窓外も雲低く空を閉ざし音もなく雪 の降る様常に見るものとは異なりて ものすごさ限り なし平和の世に雪を見ればおか場所の区 などを早期しまたそういうの昔を思い返す が常なるに今日ばかりは世の終わりまた身 の終わりの迫りきれるを感ずる のみ再び台所に行き今朝たし飯の残れるを 温め人よりもらし負にて遊を 食すとか読み直しのパリを開きほど に10時頃またもや警報あしがこの旅は 法制を聞か ず風吹き出て底樹の小より雪のる響きして よは心身と吹け行き ぬ2月26日一点晴れ渡りて なし 尺余り 風吹きつけしあたりは人の膝に達するほと なりリカの上屋に雪を払わせんと接しに数 日前より埼玉に行きたりというに止むこと を得ず手塚喋るとしが手慣れる力技に疲労 配するのみ ようやく人の歩むだけの道を作りて 止む ほ都町電車通りの近藤に よす2月27日晴れて日の光少しく温かに
なりぬ隣人門外にて一昨日午後空中に愛し まちまちのことを語れ どもいずれも田舎での人にてその言う ところ明確なら ず有国両祖市の電話によりて初めて つまびらかにすることを得たり 今川橋神田駅編より古殿馬町 浅草橋倉前 雷門馬道公園内は無事 菊屋橋あたりまた神田川南岸泉橋南北の 町まち 御徒町より上野駅東南側の町まち 一体に照度と貸したりと いう同道の文行堂うさぎ屋は無事なれど 月屋橋あたりに爆弾落しため人家のガラス ど多く壊れ たり上のひじもやしと いうとかいつものごとく読書にうれいを 忘れんとせしが様々のこと心に浮かいでて 読むことわ ず枕に尽きしも眠ることを得ず屋根の雪の 滑り落ちる響きに驚き起きること再 なり月名昼の ご2月28日晴れ気温可し 48°隣人より密かに配給枚3章を買う1 章金15000なりと いう3月初1晴れて風再び寒し 午号谷町に す夜小島県吉郎のしな三分校を 読む3月書 にカ ひたりコボ安倍幸子フランス文典を学ば とて 来るケラ4皇 もらう26日以降警報を聞か ず3月諸3 改正春風にはかに温か なり生誕し書あり初中の国自局可能 きさらぎと 題し小に鬼は外とは隣か な理機や何もなき世の枯れすすき 企画機の日まで行きなば苦を読ま ん3月初4 朝9時 警報夜暗く風再び寒し午後に至り風雪にわ かに襲いくる 秋田県 金浦町安倍聖八市鉄道便にて古代生干持を 送る雪代に入りて編む夜半すぎ警報品品 たりえ3月 正午曇り晴れ定まりなく風寒し 夜雨とともに法制の怒るを 聞く3月初6晴れ後に曇り5か木きり 話す2月25日石中市内理彩地のことを 聞く
東橋 西勝てオペラ踊 だとおりおり茶飲みに行きし丸山喫茶店の 辺り雷本郵便局を除き中店一体に 消防馬橋の上に爆弾落下の後ありまた山手 にては一ヶや堀端の町まちも消防接し よし市内祝の左をまれしところをおい 少なくなれり我が変器官果たして無事に 終わるやいな や四周変期間銀bil冬の夜語の走行を 降伏 すこの日警報昼1回夜1 回3月小7 曇り生後近く警報あり西の久保の近藤に よす生誕死の病をとんと思いが雨きたらん とする空合いなればそのまま江坂を登りて 家に 帰る隣組の馬場武道種の配給あしとて一瓶 を持ちきたれりゃ金2円50 戦味わいてみるにブドの身を絞りたるのみ 酸味 甚だしくほとんど口に しし肖像の方を知らずしてみに酒を作らん とする なり外国の事情をつまびらかに接して戦を 開くのグナルに似た 笑うべく哀れむべくまた恐るべき なりいつも午後の3時町の湯の悪王遅しと 行列する群衆と共にロボに佇みて待つ間 戦闘のこと何くれとなく思いずるに元より 湯の設備ある家に生まれしみなれば町の 戦闘はシャフ馬庭の汗を流すところとのみ 思いりしに二十歳の頃より吉原がいを覚え 津田の行田のということに浮身をやすよう になりていけの朝も昼近く女の反転借りて 根巻きの上に引っかけ我こそ天下1の色男 と言わぬばかりの顔して今町2丁目裏の クスゆというに生しこそ思い返せば戦闘に 入りしはめなる べけれ吉原より朝帰りには池の端の 揚げ出し見の忍川などいう料理屋にて湯の 二間に人風呂浴びて咲夜のうりがを 洗い流しぬその頃上野浅草ありの料理は 赤月より朝帰りの客を向かうるため風呂を 沸かしおく習わし なき新橋の義家に木がせこには主に土橋に 近しい丸屋町のゆに行き築地に詫びせみ しい頃は路地の入り口のゆまたは 築地川カルコバの近くなる戦闘に行き ぬ浅草大地がにありしとは大川にのぞみ市 深川邸という修郎の隣なる柿六角湯に行き なれたり ゆの前に 画オち住み たり昼頃入浴するはいつも地波与と2人
のみ なき町の湯の早朝は株屋などの来るゆえ 人切り賑やかなれどそれより3時頃までは ほとんど人なく万に背中流させつつ世間の 噂聞くによかりし なりあぶに勃起してより後は神路町3丁目 にひしき女の待ち合いをいし至ればその町 の湯に行き湯舟の中より稽古の歌を聞きて さらに寝りを模したるも思い返せ ば早くすでに 14年の昔となり ぬ何事も今は皆2度とは見られぬ夢なり けり ああ3月初発半ば晴れ半ば 曇り午後神田富山町の焼け跡に日外を尋ね 用事を弁 かく焼けたれど社員は地下室にて事務を 取りおれるなりたち火屋町のあたり体2 焼け原なり菅田町小川町敦賀大下も同じ 電車にて九段を過ぎ赤坂福吉市町の高野 書店を遠に店はいつのほどにか取り片付け られて主人の姿も見えず家人いきたり店は 本年正月すでに始末をなし近日浦へ転居 する心をなりと いう震災の頃より馴染みの店なれば心寂し さいわかなし家に帰るに木ち書房主人を といきり 離す小説来訪者の走行 す3月9日天気改正夜半空し あり欲生4時に 至り我が変官消防 す日は初め鳥水坂の中ほどより 起こり北の風に煽られ立ちまち一 表通りに炎 すよはちとの 窓日の光を受けて明るくなり隣人の叫ぶ声 たならぬに驚き日及び走行を入れたるテカ を下げて庭にいで たり谷町ありにも火の手上がるを 見るまた遠く北方の空にも火の光の繁栄 する あり日の子は立風に舞いぷぷとして定常に 落つよは司法を願望し到底災いをまがる ことあわざるべきを 思い早くも立ちまよう煙の中を表通りに 走り出木戸市が見た日坂の屋敷に行かんと 角の交番にて我善坊より飯倉に出る道の 通行しうべきやいやを遠 に千国山より 神谷町あたり焼けつつあれば行くこと語る べしと いう道を転じて長坂に至らんとするも途中 日ありて行きがき様子 なり時に78歳なる少女老人の手を引き道 にえるを
見世はその人々を導き住友邸の傍より同元 寺坂を下り谷町電車通りにいでため池の方 へと逃しあり ぬよは三谷町の横町より坂上にいで スペイン甲子館側の空地に 行こう加減の植月前として赤子山の方に 登るを 見る荷物を背負いて逃れくる人々の中には 平成顔を見知りたる金林の人も多く打ち 混じり たり世は風の方向と火の手とを 見はり逃べき道の方角おさが知ることを 得れ ばあぶの地を猿に 望み26年住し変器官 のやけをつる様を心の行く限り眺め明かさ んものと再び田中指の門前に歩み戻り ぬ査 卒の門をけめ導くものをさえぎりとどが ゆえ世は電柱または立ち木の影に身を隠し 小計の外れに立ち我が家の方を流る 時リンカのフロイドスペンスしドテラに スリッパを吐き帽子もかぶらず逃れきるに 合う崖下より開い日火に煽られその家 まさに焼けつつあり君の家も類しをまれ まじといううち我が門前のたじまその隣の 上屋も続いてきたり先生のとへ火が移りし ゆえもうダメだと思い各々その家を捨てて きたりしよしを 継ぐよは 五歩横丁に進み入りしが用人の家の歌の木 とヨガ庭のシの 大木延々として 燃え上がり黒炎風に渦巻き吹きつける きたるに撃し近づきて家の焼けタルルを 見ることわ ずただ火炎のさらに1激しく空に 舞い上がるを見たのみこれ変器間老場万感 の図書一時に燃え上がりしがためと知られ たり日は次第にこの勢いに上表通りへ燃え のけ住とも田中漁師の邸宅も危うく見えし が卒出動し三宅門内の家を守り防火に務め たり 蒸気ポンプ23両北利子はようやくこの時 にいて発火の時より3時間ほどを経 たり消防府ロボの防火用水道口を開きしが 水切れにて水出ず火は表通り曲がり角まで 燃え広がり人家なきためここにて静まりし 時は空すでに赤くよは開け放たれ たり3月10日朝会の男来たり理彩のお方 は炊き出しがありますから中野町の国民 学校にお集まりくださいと呼び あむ行てみるに向こう側なる視岩もしその 家人と共にあうにあるに 会う握り飯こ食い茶をきっするほどに朝日
輝き染めしが関風は咲夜に劣らず今日も また肌を切るが 今年よはひとまず代々木なるいこきや五そ の家にいたり身の置き所を図らんと三河台 電車停留場にいたりしが電車のする様子も なし六本木の交番にて聞く に 青山一丁目より渋谷駅までは電車ありとの ことにその夕雅ごとく渋谷に生しが小鮮の 札場はざとして近寄ることわず関風に 吹きさらしれて路上に立ってバスの来るの を待つこと半時間 あまり午前10時過ぎよにして五その家に たどり着き ぬ一同と共に昼飯を寄食 す飯合五層は2時を伴い返気間焼け跡を見 に行きよはこたに入りて いす昨夜路上に立ち続けし後川を捧げ青山 1丁目まで歩みしなれば筋骨痛み困窮花し ああ我は木のみ木のまま家も同所もなき身 とはなれる なりよは返期間に印相し分泌に親しみこと 数売れば26年のひ式に呼べるなり されどこの23年追いのせまるにつれて 日々掃除断言のロクに耐えやらぬ心地する にたりしが戦争のため卑complの雇わ るるものなく園庭は来らず果実行の 降り積もりし朝などこれを吐く人なきに 困り果てし次第なれ ばむしろ思いに増を売り払い身軽になり アパートの一室に死を待つにしじと思う こともあるようになりいたりし なりえ昨夜日に空いて無一物となりしは かって老後安心のもいなるや知るべから ず されど44年前欧米にて あし 左右の所管今や再びこれを手にすること あわざるを思えば相席の 城なんともなし がしコボ五及びその西帰り来たり市中の 見分を 聞く大略次の こと昨夜はほとんど 東京になしたり北は千住より南は新田町に 及べり浅草間道五十の党吉原遊郭 消防志宗祥寺 及び病霊病も右に きす明治座に避難接しものことごとく消し す本所深川の町まち 亀戸天人向島 一体玉のいの色里と全てうとなれると いう合戦2次に至り心に つく火を消し目を閉じるに火のこふふとし て安中に飛び風船少々として鳴り響くを
聞きしがやがてこの影も次第に消えうせ いつかそこなき眠りに落ち ぬ3月11日 日曜日世の眠りし一室は離れ座敷にて道路 に 近く往復する自動車小鮮電車の響きのみ ならず通行人の足音話し声さえ倉元に 聞こえきたりてそのやかましさ耐えがけば 風花寒氏が8時頃に起き出 たり午後5時五層の2時再び返期間の肺を 書くとていで けり世も後より行くに偶然両導師の見舞い に来れるに 遭う滋賀大森の方には理彩者数命を収容せ ざるべからざるよし なりリンケフロイドスペルデルフィン を焼きバターをつけて馳走せ らる五層の子肺の中より掘出しもを 示す手に取りてみるに谷崎君が送られし ところの団長帝の委員楽焼きの茶碗に 先行来世先生が小防と大世しもまた和国道 先生の日常を手にせられしい着せるなり 理彩の記念これにまさるもの なしこの三品いずれもいさの破なきは きなりと言 べし代々木に帰りてこの世も一度と 談話午前2時に 至る3月12日晴れ午後千間書房主人古田 和3月13日 曇り午前木戸は午号小堀氏の勘案を 浮く白房五層のこと外炎を 干す3月14日 曇り本妙日渋谷新宿のあたり焼き払わべと の風説品 人身前 たり3月15日晴れ午後菅原明郎北 とある千書房主人吉田市 大和3月16にて曇りて風れ なり 斎藤哲おし来は 美は缶詰2個を 恵ま夜半 警報3月17日曇り晴れ定まらず午後警報 解除の後丸の内三菱銀行に至り直に 帰る代々木の主人より砂糖2巻目を 買うまた終戦する人あり 白米3とを 買う近きうち米の配給量半減セらるべしと の 風雪しばしばなれば なり3月18日日曜日 晴れ悲願のいる日なるに北の風吹きて寒 こと冬のごしみたなる木より電話あり午後 3時過ぎ生きて 大筆神の類いを
恵ま日暮に 帰る3月19日 晴れ春風ややダ なり3月20日晴れ昼に近く小堀ヶ自転車 にてきたり事態いよいよ切迫したり幸いに してその隣人自用自動車と貨物自動車とに 家財を積載 せ新州 上諏訪坊野というところに避難の支度中 なれば画伯も祭祀を伴いその車に 乗り遅くも今月末までには東京去るつもり なり世にも東京に未練を残さず共に避難 せよ記者には相番乗りがかるべしもしこの 機械を生す時は遠からず東京にて餓死せず ば消しするより他に道なかるべしと言い手 を取らぬばかりに解き進められ たり午後S氏を大いこぼしのことをを告げ 我がの処す土地を問うS氏はすでに川越に 近き主義のほりに避難すべき家を借り置き たれば万一の際には車を頼らず徒歩して いく心なりと いうよは老病のみの貨物自動車に揺られ 遠路を失踪すべき体力なきを 知り 人に手を引かれ助けられるとも徒歩するに 仕事と思いこぼし死の行為を射することに 決意し檻から合わせたる帽子と共にいでて 夜11時宮社に 帰る犯りの月空に あり3月21日晴れ春風 昨日にひしてさらに断 なり近郊人家の庭にバカの開を 見る空中火災の後世上全く一辺 せり3月22日曇りて南風激しく人煙もも たり午後一米町焼け跡にいり町会事務所を 問う事務所は住友市の店内に立ち退きたる なり郵便物及び町内有子より理財者への 見舞金を受 のす一書体につき金 10000円東栗より別に金5円を 恵まれる なり 3月23日 晴れ夜菅原市 来訪浜を 恵ま3月24日朝9時えサイレンの響きに 驚き 寒風寒きこと2月に似たり夜半また警報 あり3月25日日曜日 晴れ北風 寒菅原く来は夜半 警報3月26日晴れ風関単 花木戸古田 西和3月28日晴れ風言え ず関
花市3月29日 晴れ夜菅原君来りて病を とる3月30日 晴れ3月31日 晴れ風未だ言え ず JA