永井荷風「抄録 断腸亭日乗」昭和23年部分の朗読です。約30分です。
朗読を 楽しむ長井 花風敵6団長定日 条昭和 23 1948 年 昭和23年土上根正月 記号花風 三神年 701月元日 晴れ来放者 なし終日家に あり以下 首相 70になし明日の寂しさを誰には言松風の 声1月初に 晴れ短期春の ごと三菱銀行八幡 天長それがし きり不書房を振り出し手た 大晦日中には様子判明せり氏がふたりには なるマジとの ことなりとにかく不書房ほど太き死国の 出版社は なし1月小 3今日も晴れてだん なり去年のくれより野菜統制のため闇ねえ またまた冒頭し大根1本金 10円人参3四本金20円と なる街灯にニゴもを来ることも多く 駄菓子屋の雨売れることびた だし歯板タコもよく売れると いうこれ市川似てみる戦後第4年新春の 光景 なり三が日 文子諸子の来る なし生後近藤より帰り 春本濡れ雑子を そうすまた老後の一教 なり1月 諸晴れ 団後家小鮮にて浅草駅に至り美電車にて 菊屋橋より公園に 入る理彩後3年今日 初めて東京の地を踏む なり菊屋橋 門寺門前の石の 筒がなくして あり中店両側とも焼けず伝法員 無事公園池の茶屋 繁生池の富士筒 なし露天の大半古屋 なり木馬館元のご その傍に小掛にてエロスサイという看板を
出し女の裸を 見せる木戸線 10円ロックぞは元のオペラ館に似たる レビューと劇とを見せるらしく木戸線 60円の札を出し たり公園の内外UFの人落EST太様戦争 前の ごと路上を商戦にて 帰る加堂平いあたりの町まちバラック山西 ス1月10日晴れ 団来訪者を叫んと五家市川駅前より発する 上野行きのバスに乗り浅草雷門にに 至る歩みてこい橋を渡り白髭に 至る白髭神社連下ジ共に明け ず 外祖父角道先生の日無事に立てるを 見る地蔵坂下より秋葉神社前に出る横長に 元玉のいの消化遺 せりこの辺も焼けざり氏が ごとし向島は西陽まれしところ随分ある よう なりこい橋際は電車通りの片側また東橋 東詰にも河屋根の2階所々に残れるを 見る 理彩の遺憾はいちいち実地について調査 するにあれば知り がし秋葉神社前にて金町行きバスに 乗り途中乗客ざとして降りることわ ず金町に至り京成電車に乗り換え4時頃家 に 帰る岡山三門町 星がきを郵送せ らる1月30日晴れ風 覚し午後向島を 干すこの頃聞く街灯の流行り歌 に 1古い日記のページには涙の後のそのまま に帰らぬ夢とと 懐かしく頬に良させる寂しさよああ懐かし の ブルース涙に寄せて歌う 歌 21つ浮き雲夜の 空なぜか胸にしみじみと思い出遠く流れ 行くああ懐かしのブルースの1人 歌う 歌 3重く悲しい歌なれど生きてゆみの つれづれに夕やみ遠く行成の望みははき 口ずさみああ懐かしのブルースのこの世の 夢の歌う 歌2月初に晴れ 団午後銀座を 歩む千木裏の喫茶店 キベル10年前のごとく営業
しおり松坂屋前の露店中に古本屋の 山崎また依然として故障を並べ おり立ち話して互いに無事を がす尾張町の藤屋に消息して後有楽町の駅 より商戦にて 帰る2月20日晴れ午前カブト町長田市来 はすり箱及び座布団 経蔵5号銀座偶然総市に会い西7丁目万年 堂樋口市の喫茶店を 問う茶家を強制 らる白保家に 帰る犯りの月 よし浅草大星の手紙 にえ先日新宿帝都座5会のエロレビューを 見た人の話に裸踊りの他に西洋名作も語と かするもの ありゴガの太地刀の娘とかセザンヌのなん とやらと台を描いた紙を1人の踊り子が 見物に見せた後幕を開けると額縁の中に裸 の女がそれらしい形をしたポーズをなし まず1本ぐらいは動かずにおり申し そろジャズ踊りとは違いじっとしている だけ昨日の寒さはいかにも木のとにて一向 に挑発的ならずつまらなきものにござそろ 云々2月21日左右終日山 ず2月22日 日曜日晴れまくり 農家より白米を 買う一途金2000円 なり午後小滝市と共に浅草公園に 至る日曜日のざとことに 離しロックの初撃場皆裸踊りの看板を掲げ たりかっぱ橋より電車に乗り町所に至り 大鳥神社焼跡を過ぎて吉原遊郭に 入る中の蝶に桜の若木を列しすえ生家はみ バラックにて三口の天才向島の消化と 同じく喫茶店の札を掲げ勝負各々34人亡 に立ちて通行人をを呼び とむ風俗両家の市女のごとく中に要望 すこぶる良きもの あり年齢害して 若し専属長を歩みて再び公園に戻り地下鉄 にて新橋に至り小滝市の知るところの品 料理屋に入り晩餐を なすオレコロッケ肉汁飯酒2号その 値 金 1800円 なり有楽町より商戦にて 帰る4月初4 日曜日 晴れ午後大沼金山 磯村 大沼次郎氏はめ鹿の信吾氏漁師来は大沼 次郎氏は年40前後主にて花高く相合癒し
かららず戦争前は浅草 牛吉久に働きいたりと いう初め鹿の市は自動車運転手なりという 共に立石付近のアパート子雲総に住むと いう4月初5 晴れ両総師来は午後浅草王家 爛漫4月初6 晴れ白房5月に似 たりボケ米桜 あんず花 美咲午後浅草業 楽屋4月書7 晴れいよいよ あし五家小来は共にいでて生川の王家を 見る満会の花未だ散に至らずまさに見頃 なり 工房寺の石油を登るに本道の傍に年振り たるしだれ桜ありこれも花ラマ たり小鮮駅前の査に生計し別れて家に帰れ ば不在中両総子来訪セられしと いう5月小7晴れ 東京朝日新聞に世の旧作襖の下針を秘密に 隠形接しも警視長に交流すられし記事 いず午前中買い物にいでの良師 来訪世の帰りを 待つついで きる市川所の巡査来りて即自警視庁へ出頭 すしと いうあ小西氏世に変わりこた氏と共に警視 庁に 行く黄昏れ愛携えて帰り来たりこと決して 重大なら ず来週月曜日係りの刑事きりて長所を示す べしとなり 2君の親切誠にさす べき5月初8午後 左右当国中央高論者栗本山本西北車内に 噴上ありこた止むことを得ず大社のことを 継ぐ5月職日曜 半ば曇り半ば 晴れ庭のこ 作他林こ漁師来は東国小岩 買い物5月10日曇り午前警視庁警部2人 来り調査書を作り世の署名院を 6月初194月24日 曇り午後浅草公園大都座 楽屋ラタ武島一時禁止の噂あしがその後は ますます盛にて時ロック座大都座の山座 争いてこれを演じつつあり今日を見たる 大都座にては日本服来たる女踊りながら 赤きしきを解き長盤を脱ぐところまで 見せる午前10時会場と共に角座満員の よし東国 帰宅アレクサンダ ゼーベス
マファ イディスを 読む6月書2夜に入り 雨6月書3晴れ まく9月13 日衆院アイス べし 中川奥戸橋部を歩むに水田の否早くも 刈り取られしところ あり羽合玉の最に児童4つで網を 通ず日々熟したの 花明帰宅後とか狩翔太郎長続き物の 上し大川筋に一千蒸気と言われし乗り合い かいしこなり秋晴れの1日この船の上より 川筋の光景眺めゆく折り から水に望める家いえの窓また縁先に 女の子そで帯び盤の数々川風にさらし出さ れたるそが中には前の第2話流行りし 染色染模様の混じりたるを目にして我は ふと泣き祖母のおかげさては我が母の若き 姿をさえ思いでて移り行く月日の早きを 傾きやき秋の西にたべ て限り知れず悲しきものに数えしもいつの 頃なり そは元より我ら東京の町に住し人々震災の 日をさえ知らざりし昔なるをそれよりも さらに恐ろしかりし繊細の日もまたいつか 治まりし後のある日 なり狩正太郎氏尋ねきたりてその表せし肝 のと題する一思を示しその続行をもしたれ ばとて服色流行の団何くれとなくつき去る ほどに我はその昔川筋の家家にさらされ しいもののことを 思い出コルがままにそのことを記して死が 信長の女となすに なん昭は20 9月花風 三9月20日曇りバカビュ午後 浅草中店おいおい復旧し佃煮に塩漬けなど 昔見しも次第に店頭に出るようになれり子 や梅園も先月来 9月21日晴れ午前高市 和9月22日晴れ夜小岩 散歩夜見つりたる道の傍に屋台を作り バンドの学45人歌歌いの女にてを前にし 流行り歌を歌い踊り子2人いでて踊る 様浅草大都座の舞台に異なら ず群衆ざとほとんど歩むべから ず夜見には1冊10円にて映画娯楽雑誌を 売るも34件に及べ り9月 23日分 曇り午前島中社長来は前週第2回印税金 25万 1933なり
寿量州サッカ林文子 和昭和56年頃牛にて知りたる 信子突然訪ね くる去る頃より深川不道前に住みこの頃 菅野女学校のほりなる兄の家に到りしいる と いう牛込にあし時は年18くなれば今は 278なるべきに見たところまだ 256洋食以前よりはかって良くなれ り深川の議会おいおい立ち直りてそうに 繁盛の よし11月23日晴れ午後浅草六学 や11月24日終日雨 11月25日晴れ後に曇り風なく暖気春の 後年11月26日曇り他木戸市 和11月27日 ビ午前高 和木村義 和終日 こが11月28日日曜日晴れ午後浅草大都 座学屋風にわかに 寒し月市来翔端末にく あり客車 偶成冬立や今日のスの今言葉 東山眺めてなる日か な12月13日 改正温暖春の後年後家小林市と共に八幡の 陶所に 至り売主代理人と会見し家の陶器を なす小林市というは 和様服装の売買をなすもの与とは深き 交わりあるにあらず今春世はただ23着 洋服を返しことあるのみしるに夜が年末に いたり突然矢より追い立てられ途方にくれ たるを見て気の毒に思いその老母と共に 終戦することをすこぶる親切なり今の世に も親切核のごとき人あるは異相外と言う べし小の老母はなお心当たりを探して女中 になるべきものを求めて後引っ越しの世話 をすしと いう万事を頼み家に帰り疲労を休めて後 東国浅草に行きて遊を きす もさり待ちを 込め月影 明し菅野1124番地平館河原屋根 か18つ金 32万円当期引子台 2400円当期少々記載金金 5万円 12月25日曇り時に左右あり午前高市 前週フランス物語 自賛保持押し上げより東橋手前にて電車を 乗り換え本条深川の町を 見る清住町公園に沿う諸人家わずかに焼け
ざるがごと 富丘八幡宮また不三村の道とに最後のカブ に なり不動前古石の川に添える着外は新築の かくのきをつねラロをたどりて東橋に至り ツダにて物か公園にいるにとか早くも散乱 たり福島喫茶店に一差して家に帰るラジオ 総たり10時頃その静まるを待ち走行を 作ること23 用よは早くも参考 すぐ12月28日密雲3ず 天候を気遣いつつ荷造りを なす門前の小林氏続いて中央高論者の 高し同者の九字を伴いてき たるあらかじめ頼みをきる荷車も 来る今主人夫婦に糸を告げてさらんと思い が2人ともその姿見えばそのまま荷車と共 に2年ほど置きしる家を去り ぬ天の始末重いの他にはり高し午後2時 近くに自死てさ れりゃの飯を食い終わりていす いす目覚れば 天晴れ夕日窓に得ず あたり鳥形作るうち夜になりしが伝統の光 暗きこと初行の ごとく物見ることを得ず林家の人に聞くに この近辺は電力薄弱のため舞を格のごとく ラジオもかけられませんと えり優秀金字 がしヤ引きのべため行きつきつつ眠りに つき ぬ12月29日晴れ風あり正号中大高論者 富田来和前週第3回印税 金 28万20 7円なり 寿量12月30日晴れ午後 段小岩に行かんとする途上偶然木戸市に 合う白保 帰宅小林市迫力電流に通用すべき電球を らる外しまた石油ランプを ご大下 600円石油1号100円と いう12月31日 晴れ28日来るべきはずなりし留守バの ローバ都合ありて参られぬよし申しきたり とて世話する人世に対して気なりとて午後 より自ら代わりて留守バに来たり ぬ平た通りの戦闘また郵便局に行きそれ より牛肉野菜タバコなどあがい来たれば4 時を過ぎて空早くも 暮らし遊を終わりしと停電と なる昨夜外の北石油ランプにて過労じて この日のことを 記す暮れ方よりフリーでし雨世と共に次第
に激しく風も吹きい たりかして戦後の第4年は過ぎ去り ぬ JA
大変 格調高い 文章でした❤ 七十歳で スケベ心は大したもんだ😮