新・聖書の学び(54)「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい」ピーター島田 子羊の群れキリスト教会

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新・聖書の学び(54)ダニエルよ、あなたの道を行きなさい 第11 章 終末論 Eschatology
旧約聖書の終末論

The Day of the Lord 「主の日」 イザヤ13章
The Day of Judgment 「裁きの日」
 
「わざわいなるかな、主の日を望む者よ、あなたがたは何ゆえ主の日を望むのか。これは暗くて光がない」(アモス5章18節)

 旧約では、メシヤの第一の到来(first coming) と第二の到来(second coming)の預言が並列して記されている。
   パルーシアの霊的ビジョンと歴史的現実とは、区別がされていない:

ダニエル書: 旧約の黙示書
 ダニエル書は1 章にあるような紀元前7世紀の所産ではなく、2世紀頃の作品
 史実の裏付けがない虚構?

  幻文学の意味:
   パルーシアの霊的ビジョンと歴史的リアリティの相関関係:
  「霊的なビジョンと歴史的現実に区別がない」ということは、霊的ビジョンを見る、見続けることによって、神の国が地に現れるという聖書のメーセージではないか。
   地上の歴史を変える力は、霊のはたらき

  四つのいきもの:7章の幻
   「四つのいきもの」は、地中海より同時に立ち上がっている
       黙示録の「四つのいきもの」と対比
    1 鷲の翼をもつししのような獣 (バビロニア帝国) 606BC
    2 熊のような獣 (メド・ペルシャ帝国)      530BC
    3 豹のような獣 (ギリシャ帝国)         331BC
    4 もっともどう猛な獣 (ロマ帝国)         68BC

  エレミヤの預言とメシアの幻: 9章
   エルサレムの荒廃とエレミヤの70 年目の預言(ダニエル 9章1-2節)
   聖書の預言はdouble vision をもって歴史上で繰り返す

すなわちわたしが祈りの言葉を述べていたとき、わたしが初めに幻のうちに見た、かの人ガブリエルは、すみやかに飛んできて、夕の供え物をささげるころ、わたしに近づき、わたしに告げて言った、「ダニエルよ、わたしは今あなたに、知恵と悟りを与えるためにきました。あなたが祈を始めたとき、み言葉が出たので、それをあなたに告げるためにきたのです。あなたは大いに愛せられている者です。ゆえに、このみ言葉を考えて、この幻を悟りなさい。あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ(罪にキリストの和解を宣告する)、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と予言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。  (9章21-24節)

 ペルシャの国の君: 10 章の幻
  Cosmic Battle
 
 終わりの時: 12 章

 主の大いなる恐るべき日: マラキ4章
  義の太陽

教会の務め:
そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。これは、わたしたちの救主である神のみまえに良いことであり、また、みこころにかなうことである。神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。 (Ⅰテモテ2章1-4節)

さんびは、地を救う:
主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕らわれ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、主の恵みの年とわれわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰め、シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために植えられた者ととなえられる。彼らはいにしえの荒れた所を建てなおし、さきに荒れすたれた所を興し、荒れた町々を新たにし、世々すたれた所を再び建てる。(イザヤ61章1-4節)

エデンの園の回復:
「見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。さきの事はおぼえられることなく、心に思い起こすことはない。しかし、あなたがたはわたしの創造するものにより、とこしえに楽しみ、喜びを得よ。見よ、わたしはエルサレムを造って喜びとし、その民を楽しみとする。わたしはエルサレムを喜び、わが民を楽しむ。泣く声と叫ぶ声は再びその中に聞こえることはない。わずか数日で死ぬみどりごと、おのが命の日を満たさない老人とは、もはやその中にいない。百歳で死ぬ者も、なお若い者とせられ、百歳で死ぬ者は、のろわれた罪びととされる。彼らは家を建てて、それに住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。彼らが建てる所に、ほかの人は住まず、彼らが植えるものは、ほかの人が食べない。わが民の命は、木の命のようになり、わが選んだ者は、その手のわざをながく楽しむからである。彼らの勤労はむだでなく、その生むところの子らは災にかからない。彼らは主に祝福された者のすえであって、その子らも彼らと共におるからである。彼らが呼ばないさきに、わたしは答え、彼らがなお語っているときに、わたしは聞く。おおかみと小羊とは共に食らい、ししは牛のようにわらを食らい、へびはちりを食物とする。彼らはわが聖なる山のどこでもそこなうことなく、やぶることはない」と主は言われる。 (イザヤ65章17-25節)

#終末#終わりの時#主の日

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