ゲストのこれまでの人生を振り返り、これまでの忘れられない出来事についてお話を伺う番組です。
最終回、13回目のゲストは、平井一夫さんです。
#100年ラヂオ商会 #カンニング竹山 #神田愛花 #平井一夫
カンニング竹山です。 神田愛花です。この番組は創業 100 周年を迎えた田村政作提供のも毎回多彩なゲストを招きし、これまでの人生の中で忘れられない出来事についてお話を伺っていこうという番組です。田村政作書に 100 年の歴史があるように人に歴史あり物に歴史ありそれぞれドラマがあります。さらにゲストの方に関わりが深いテーマを取り上げてその歴史にも迫ってまいります。 さあ、竹山さん、前回はソニー元社長の平井和夫さんにお越しいただきました。 そうですよね。ソニーに入社される前のお話とかね、入社して音楽業界から、え、ゲームのね、世界に入る話とか 聞きましたけども はい。 世の中とこう映り香わりがあるのに 未だにやっぱソニーって はい。 日本一と言ってもいいじゃないですか。 トップ企業ですよね。 そこを立て直した話聞きたいんすよね。 なるほど。 物語はクライマックスに参ります。ということで今回も平井和夫さんがゲストにお越しくださっております。 ありがとうございます。 CM の後は夫さんの人生の歴史、そして平井さんに関わりが深いテーマの歴史にも迫ってまいります。お楽しみに。田村製作書プレゼンツカンニング竹山神田愛花 100 年ラジオ紹介。ここからはゲストの登場です。先週に引き続きソニー元社長平井和夫さんにお越しいただきました。 今週もよろしくお願いします。 よろしくお願いいたします。 改めまして平井さんのことご紹介させていただきます。 平井和夫さんは東京都ご出身の現在64歳 です。2012年から2018年まで ソニー株式会社現在のソニーグループ 株式会社の代表執行役社長兼CEOを 務められ経営 が続いて会社を再生させ た役者としていらっしゃい ます。本日もよろしくお願いいたします。 はい、よろしくお願いします。 ま、前回は幼少期からアメリカでプレステを販売されるところまでお話を伺いました。 そうですね。はい。ね、かなり興味深い話も出てきましたけども 早速 2012 年いよいよソニー株式会社現在のソニーグループ株式会社の社長県 CEO に就任されたところからお聞きしてまいりましょう。 うん。 まず社長に就任されたのはどのようなきっかけだったんでしょうか? そうですね。あの当時ですね、え、ま、 CEOを 務めてました、え、ハワードストリンガー。 はい。 もうそですね、本、え、年仕事をしてて、ま、次のステージがあるかなっていうに感たのと同時に、え、ま、会社の状況もですね、かなり厳しくなってきたということがあってですね、ま、あの、ハワードから、え、突然電話がありまして、え、君やらないかっていうようなオファーがあってですね、 [音楽] あの、ま、本人から直接オファーがあって、で、ま、これは当然、あの、本人が決めることではなくて、え、当然報酬委員会とかですね、指名委員会とかいん委員会があって、ま、取島の皆さんが最 ことなんですけれども、ま、ハードが最初にお話があって、それで、ま、取締役の皆さんが一応承認して、え、ま、社長のポジションについたっていうことになりますね。 うん。はい。 どんなところが評価されたってご認識ですか? あの、聞いたことないんで分からないんですけれども、多分当時ソニーが置られていた厳しい状況の中では、え、ま、あの、ビジネスも大事なんですけれども、やはりかにこう社員のモチベーションを上げていくか、盛り上げたことができるかっていう風なリーダーを求めてたんじゃないかなっていう風に実は思ってるんですよね。 うん。 あの、よって、え、その企業のはいんなにしてどういう風なリーダーがいるか、もう全く違うリーダーが求められるので、当時は、ま、あの、言い方悪いかもしれないですけど、チアリーダーと言いますか、みんなで頑張ろうよって言えるようなやっぱりリーダーを、え、ま、取締めの皆さんも求めたんじゃないかなと思いますね。 白井さんがこう性格的にもそういう感じというか、明るいというか、みんなで積みのをこう引っ張っていくみたいな感じっていうのをみんなが見たってことですかね。 うん。 ま、あの、元々ソニュージックで、え、ま、いろんなエンターテイメントの仕事をさせてもらったりとか、ま、ゲーム業界もエンターテイメントですから、どちらかというと、ま、みんなで盛り上がってやろうよっていうそういう文化じゃないですか。 あの、よって、あの、どちらかというと、ま、あの、そういう風な、あの、雰囲気の中でみんなを盛り上げて仕事をするっていうか、お前こうしろ、あしろじゃなくて、みんなで頑張ろうよってやっぱり私はしたかったし、そういう風なマネジメントずっとしてきたんで、ま、そういったものが期待されたのかなっていうのは思いますね。 具体的には日々どういう風なお仕事の仕方だったんですか? そうですね。 あの、例えばですね、まずはあの、ファッション、あの、ネクタイとスーツで会社行かないで、え、ま、まさしくあの、アロハシャツ着てったりとかですね、夏はもポロシャツにジンとかであの、行ってスタッフにさすがに短パをやめてくださいねって言われたんですけども、まずそうやってもうカジュアルにするとかですね、あとは常にやっぱり現場に行って話を聞いて、あの、自分のオフィスにいてですね、なんかレポートしようじゃなくて、自分からやっぱり現場に行って話をするとか、あとは社員とあの対話するタンホールミーティングってなるんですけども、ま、いろんな現場に、全世界の現場に行って [音楽] と対話するっていうスピーチしてで質問受けたりとかするそういったイベントですね。私あの社長 6年やったんですけど70 回やってますから月1 回どっかの世界中のソニーのどっかのビジネスの現場に行って社員と対話をする。 うん。 やはりもう自由な発してもらってんなクリエティを発揮してもらうためにはやっぱりそういう雰囲気をまず作んなればくてそれもリーダーにしかできない仕事ですから社長にしかできないのでま、そういった現場に行ってそういう話をしてそれで何し新しい商品とか新しいサービスユニークのとこどんどん考えておでそういうアイデが来たらこれいいねもう盛り上がろうよっぱりやっていかないともうあの赤字でしたからもう皆さんやっぱり社員もどちらかというとこうい加減というかもう私たちはもしかしてダメかいうな雰囲気 中でやっぱり社長もですね、あの、もうダメかもしれないて言ったらもう終わっちゃいますから、社長は何でしょう?明るくみんなで頑張んなきゃいけなめじゃないかってやっぱりやるっていうのがやっぱりリーダーの仕事だと私は思ってましたし、それができて初めて じゃあもう1 回頑張ってみようっていう、もう1 回クリエイティブなアイデア出してみようってことはやっぱりなるんですよね。 なんかすごいなと思ったのはソニーの歴史みたいなのちょっとこないだみんな話たち勉強したことあるんですけど トランジスターラジオからこう始まってる会社じゃないですか。 で、それから始まって本当にあの憧れの家というか憧れの音楽のね、聞けるとかそういうのいっぱい作ってで、それからだんだん世の中そういうものがこう売れなくなり、頭打ちになり、いろんなこう仕組みが変わってくる。その時にやめるものはスパッてやめてくじゃないですか。 はい。 ほんで新しい 保険とかさ はい。あ、 そういうそれに保険もあるじゃバンバン見るでしょ。 ああいうのもあれば音楽に対エタめの権利とかエタ目作ったりとかゲームもそうだし系もあるしそっちに行ってどんどん他の他者の大手はずっとこだって家電作ったところはその部署なくなったり外国企業に買収されたりっていう中で結局今どうなってる方さんはソニーとして大きな企業残ってるじゃないですか。いろんなビジネスにチャレンジしてきたっていうのはやっぱりソニーの歴史ですよね。 ですから、あの、私が入社した CBSソニーも創業1968 年なんですけども、それってあの、東京通信工業っていうソニーの全進があの設立されたのは 1946年ですから22 年後にはもうレコードビジネスに参入してるんですよね。 あ、 で、その11 年後にはもう金融に参してますし、もう過間にどんどんビジネスでチャレンジしていくっていう精神っていうのは、これは本当にもうソニーの DNA で今あのアフィーラというブランドで、え、今度はあのアメリカをスタートでするんですけども、あのバッテリー EV のビジネスもあのホンダさんとのジョイントベンチャーで始めてますし、 だ、そういったものをどんどんやっぱりチャレンジしていくっていうのはやっぱりソニーの精神ですよね。うん。 あの、赤字が続く中で社長に就任されて、で、その立て直しを測る中でソニーというのは何をする会社なのかという定義付けをされたそうなんです。それがそういうことなんですか? はい。そうですね。あの、ま、え、先ほどお申しったように金融もありますし、エ、エレクトリクスもやってますし、ま、エンターテイメントもあって、で、それもあの、音楽もやってれば、映画もやってれば、ゲームもやってる、え、ということで、あの、私たちの会社は何なんだろうってことはなかなかやっぱ見えづらいんですよね。 [音楽] で、同じ方向に向かって、やはり会社っていうのは進んでいかなければいけないので、じゃあどういう風な存在意義があるんだろうかってことを結構考えて、 で、当時のマネージメントとも議論してですね、そこでやっぱり出てきたアイデアが感動という言葉なんですね。 で、あの、私の社長の時に、え、ソニーの、え、存在議というのは、え、お客様に感動を提供するために存在してるんだと。で、それは本当エ歴でも映画でも金融でも全て感動を提供してもらう。 あ、こすごいこんなことできるんですね。うい。 やっぱり感じてもらう会社なんだっていうことで定義させていただいてで、あのそれがですね、あの私の公認の吉田も、え、感動というキーワード使ってますし、吉田の公認の今という社長が、え、今頑張ってるんですけども、ま、彼もそれを使ってくれてますので、ま、ある意味ではその感動を提供する会社なんですっていうコンセプトがもう [音楽] 10 年以上車内以外に、ま、あの、伝えられてますので、ま、かなりこれ定着してきたんじゃないかなっていう風に思いますし、ま、ソニーの社員に聞いてみてもうちらの存在、私は感動を提供するためにソニーにるんでう にだんだなってきましたよね。 感動を提供するね。確かに。 確かに感動いただいてます。 感動いただいてますね。 ありござ 確かにね。 でもそのお話のあるように、ま、ご自身たちで生産したものを、ま、これ使うためにまた別のものをこう作っていくっていう話ですけど、失敗することはないわけですか? 失敗することいっぱいありますよ。 あるんですか? 失敗することいっぱいあります。新しい商品のアイデア、新しいサービスのアイデアどんどんやっぱり出てくるわけですよね。 で、あの、当然、え、ま、 53 を出す時はこれは素晴らしいねと思って 53 を出して、それで、ま、あの、実際に成功するものあるんですけど、残念ながらうまくいかない商品もいっぱいあるわけですよね。でもそこで私がつも大事だという風に言ってるのは失敗してしまったからと言って、お前らなんでそんな失敗したんだと言って、それでもうあの、 2 度とお前新しいプロジェクトやらせないからなとか、もう他に行ってしまいって風に言った瞬間に他の人たちも見てて、この間だ A さんってなんかうまくいかなかったらばどっか行っちゃったよ。 飛んだ。飛んだらしいよ。 だからもう絶対に自分もやろうと思わないじゃないですか。 はい。 だから私がいつもやったのは素晴らしい商品だと思ってみんなで力合わせて出して残念ながらうまくいかなかったとしてもこのアイデアを出したことでこの実際にものを作って実際に商品出して頑張ってやったというそのプロセス自体に対してはこれはもうみんなで盛り上がろうよってことでちゃんと飲み会をやってよくやってくれたっていう風にするとあ失敗してもそっからいろんな学びがあったらばちゃんとマネージメント評価してくれるしもう 1回やってみようってなるんですよね。 うん。 そこで闇から闇に褒ったらばもうとやろうと思わないですから。そうしたらクリエイティビティは発揮できないのでうまくいったのは当然褒めるんですけどもうまくいかなかったとしてもそのプロセスはちゃんと評価するってのは大事なんですよ。 だからその人材とかその部署にもう 1 度チャンスを上げるということをやるわけです。 なるほど。 そして社長に就任されまして 2017 年度の決算では当時の過去最高駅を達成されます。 今まであのくつかそのポイントお話だきましたけども再生させることができた 1番の要因っていうのは何だと分析され 1 番の要因はですね、もうこれは、え、誰が何と言うともやっぱり社員の皆さんが本当にその感動を提供するんだっていうメッセージを受けていただいて、それで自分たちでやっぱりこの会社をもう一度良くするんだ。特にエレのビジネスが大変だったんですけども、エレクトロニクスのビジネスをもっと良くするんだ。 [音楽] [音楽] うん。 え、いうことをですね、やっぱり本に真剣に考えてもらって、そして新しい商品をどんどん出してもらって、で、かつですね、もうあの本当にレッドオーシャンと言われた、もうあのどこの会社も似たような商品出してるじゃないっていうエレのビジネスの中でもやいやソニーっていうのは違うんですと。例えばテレビでもあの価格は高いけれどもえっと音と画質は誰よりも自信が持てますっていうはやっぱりどんどん出してくっていう商品をやっぱり出してくるようになってきたんですよね。 で、それはやっぱり社員のだ、それからあ、は数は少なくてもいいから高くれる商品にしようってことで、もうマインドセットを変えたりとかですね、いろんなことをやっぱりあのクリエイティビティを発揮してくれてビジネスをよくしようっていうドライブがかってくれた社員の皆さんのおかげだと思ってますよね。 うん。 あ、 で、現在は一般社団法人プロジェクト希望でお子さんの相対的貧困や若者への感動体験の提供、公演活動などに勢力的に取り組まれているということです。 ここでやっぱり短感動っていう言葉が出てくるんですね。 そうですね。あの、相対的貧困っていうのは実は日本ですごい大きな問題になってまして、本当にあの、そう苦しんでるお子さんは結構いらっしゃるんですよね。で、あの、いろんなやっぱり体験の格さがあるんですね。 例えばあの遊園地に行ったりとかスポーツ感染に行ったりとか皆さんしてることがなかなかできないお子様がいっぱいいる中であの私たちの団はですねお子様に対してま、あの担当体験を提供しましょうっていうことであのいくつかの団体さんとですね、コラボレーションしながら、え、お子さんをろんなとこにお連れしたりとかして、あのつい最近で言いますと、あの 6 名ですね、オーストラリアに、え、ま、海外、え、体験ということで、え、 2週間弱ですね、6 名の、え、ま、学生さんに、あの、オーストラリアに行ってもらったそういったことをう 的時にサポートさせていただいたりとかいろんな感動体験を提供するってことを今やってます。 へえ。 なんか感動をやっぱ軸としてそれ聞きっかけとしてはやっぱ人材育成っていうのもやっぱ人というのが 1 番のこう宝的なとこあるじゃないですか。 そうですね。 まあ、社員も宝でしたし、私はもう今日本の子供たちは宝だと思ってますし、日本の将来を背負うのは子供たちですから、もう彼らにね、あって日本のリーダーシップを発揮してもらなきゃいけないわけですから、あの、貧に苦しんでるお子様って、もしかしたらそん中から首相が出てくるかもしれないし、そうな社長が出てくるかもしれないんですから、彼女らに、彼らにやっぱりチャンスを与えるっていうのが大人の使命だと私は思ってます。 [音楽] [音楽] ああ、素晴らしい。 さあ、ここからは平井和夫さんに関わりの深いテーマについて迫っていきたいと思います。 はい。 今回のテーマはズバりソニーグループです。 本日のゲスト平井さんが社長を務められていた日本を代表する企業ソニーグループ株式会社その歴史に迫っていきたいと思います。ソニーグループは 1946年5月資本金19万円従業員数約 20 名の会社東京通信工業株式会社としてスタートしました。創業当初はラジオの修理や改造を行っていたんです。 で、なんと創業者の1 人である正さんは早稲田大学の学生だった頃に田村政作所の全進である田村ラジオ紹介の店舗に入り浸たるように訪れていて、創業者田村特徳特松と家族同然の付き合いをされていたそうです。 そうなんですか。 はい。で、1955 年に日本初のトランジスタラジオを発売。 1965年世界初の家庭用 VTRビデオコーダを発売。 1979年にウォークマンを発売。 ああ CDプレ発売。 そして1999年23 年に世界初のブルーレイディスクレコーダーを発売ともう本当にこう世界初日本初が多いんですけどもこの初の商品も世に送り出していますが、こういった商品の数多くを生み出してこられた理由というのはどういったところにあったんでしょうか? そうですね。 あの、やはり、え、ま、マネージメントを含めてですね、やっぱり、あの、人がやらないことをやるんだ。 え、やっぱり世の中をギャフンと言わせてやろうとか。 ま、ですから、あの、そういった意味では私が感動って言ってるとこにちょっと通じるところがあるかもしれないんですけども、だから私もそこからその感動っていう言葉を、あの、ま、それなりにやっぱりあの考えことができたのかなと思うんですけども、 [音楽] え、うん、 大きい他のあの家電ーカーいっぱいある中でやっぱり自分たちがソニーと存在感をやっぱり傷するためには違うことをやる。 だから人よりも小さいものを出すとか、え、それからあとはまさしく、え、音楽を持ち運んでみたらね、持ち歩ける。 [音楽] とかそういったやっぱ発想するということとあとはそういった発想をするということがもう日常日とか求められてるんですよね。 うん。 まだこれからもじゃあ色々ね新しいことが起こるんでしょうね。ソニーさんっていうのは そうですね。 あの、私ももうそは卒業しましたけれども、やっぱり、あの、外から見てて応援してますし、ま、いろんな新しいことをこれからもやってくれるんじゃないかなってすごい期待はしてますし、だからまさしくあのバッテリー EV のビジネスなんかも、や、車もやるんだっていうぐらい私も驚いてるんですけども、ま、それもでもやっぱりソニーらしさ、 [音楽] え、ま、本田さんと一緒にやってますけども、本田らしさ、ソニーらしさがやっぱり本当にあの、詰め込まれてるようなやっぱり車に仕上がることを期待してますし、やっぱり他とは違うなってやっぱり言ってもらえるうて ですよね。 もう将来もうずっと準風満パなんですか、ソニーは。 いや、あの、私がいつも言ってるのはですね、あの、今はソニーは本当にあの、非常にいい状況にありますけども、あの、卒業する時に私が社員に行ったのはですね、最高を出したんだけれども、お願いだから、あの、苦しかった時を絶対に忘れないでくれ。 うん。 あの、自分たちが成功したとか復活したとか、もう素晴らしい状況にあってもう大丈夫だと思った瞬間に やっぱり良かことが起きるからもう必ずですね、あの、浮かれる前にあの苦しかったことを思い出して走にまた行かないようにするためにはどうするべきかってことをちゃんと考えて、特にマネージメントは覚えてるわけですから、昔のことをそれは忘れないでくださいってことでつも言ってました。うん。うん。うん。 [音楽] いや、2 週にわって大変なお話の数々ありがとうございました。 ありがとうございました。 さて、遺んと言われながら経営者として異を成し遂げて来られた平井さんに最後にこんな質問をさせてください。 はい。人生100 周年を迎えたその時、あなたは何をやりたいですか? そうですね、あの、今も先ほど申し上げたようにプロジェクト希望を通してお子様の、え、ま、感動体験を提供するってことをしてるんですけども、ま、あの、自分が 100 歳になった時もですね、え、ま、え、元気な限り、え、可能な限りお子様のやっぱり将来、え、のサポートをしていきたいという風に思ってますので、ま、あの、 1つ期待してるのは100 年ですから、え、今からも 30何年後ですので、あの、まさに サポートしてる子供たがいや 30 何年前に実は平井さんの希望でこんなことを体験させていただいたので今私はこんな仕事についてるんですっていうのを フィードバックいただける これが楽しみですよね。 そうですね。始めた年というかここの子たちがちょうど社会的にも役立つというか必要な人になってる年ですもんね。 そうです。 そこでもう日本のやっぱり、ま、世界で活躍してくれてて、あの会社のトップになってたりとか、もう本当にいろんな活躍をしてくれてる中でですね、あの時の平井さんの希望のあの活動が私を人押ししてくれたんですって、こんな言われたらもう泣いちゃうじゃないですか。 うん。感動だ。 感動です。それはもう私が感動いただきますから。 そしてまさしくご最後にあれです。本当に 100年ですね。 本当にも100 年の大事さっていうのが分かりますよね。 分かりますね。 はあ。さあ、田村政作プレゼンツ 100 年ラジオ紹介。この後は田村製政作の歴史も掘り起こしていきます。人に歴史あり、物に歴史あり、会社に歴史あり、創業 100 周年を迎えた田村政作所の歴史は未来への挑戦の連続でした。 さて、これまで今につがる田村政作所の 挑戦の奇跡を紹介してきましたが、最終回 となる今回は創業者田村徳松が残した言葉 と現代表取締り役者長中村が発信した言葉 を紹介していきたいと思います。言葉で つぐこの100年。 まず会社が目指すところについて。創業者 田村徳松はこのように語っていました。 我が社は必ずしも大会社になろうと思って いない。しかし田村が作り出すトランスを はじめとする全ての製品はいずれも世界 一流品でなければならない。 この言葉こそ徳松が掲げた経営理念であり 会社はこの理念を追求しながら100年を 歩んできました。 そしてこの理念を受け継いだ現社長中村 光たは会社が目指すところについてこの ように語っています。 まだ誰も見たことのない田村ならではの 独自の材料開発とその材料を生かした確新 的な製品開発に挑戦する。また顧客第1 主期に立ち帰り未来に向かってお客様が 求めるサービスに挑戦する会社を目指し ます。 創業者の理念を胸に新たなる挑戦への歩み を止めないという現社長の強い意思が 感じ取れる言葉ですね。 続いて社員に伝えたいことについて創業者 田村徳松はこのように語っていました。 私は昔から普通ということが嫌いだ。だ から社員には普通以上の仕事をやって もらいたい。普通の仕事をしていたって 世界一流品なんて目指せない。一流品を 製造する社員に対しては日本一の対遇を 持って報いる。 これらの言葉には特の一流品を製造する ことへのプライドとそれを生み出す社員へ の大きな痛の心を感じますね。 そして現社長中村孝は社員に伝えたいこと としてこのように語っています。 目標達成に向けて自分のことだけでなく 周囲で支えてくれる仲間のこともリタの 思いで考えて行動していただきたい。 リタとは仏教に由来する概念で他人のため に行動しようとする心を表します。そして 現社長はこう続けます。 リタの思いでつなぐワンタ村を実践し、 常識や過去の経験に囚われず、躊躇なく 安心して想像と挑戦に取り組んでほしい。 人と自分を比較せず他人ごを自分ごとに するために上下関係なくまずは仲間として 意見に耳を傾ける姿勢と相手に対する経緯 が必要だ。立場の上下なく互いに フィードバックしい気づき上げた信頼関係 はさらには挑戦への土上になる。 この言葉には創業者と同じく社員への痛 な挑戦がしやすい職場環境作りを大切に しようという現社長の思いが込められて いるのだと思います。 いかがでしたでしょうか?田村政作所の 100年をつぐ言葉たち。そこに詰まった 確かな思いは次の100年に向けた新た なる挑戦の扉をノックしてくれること でしょう。 田村政作書の挑戦はまだまだ続きます。そろそろエンディングの時間です。平井さんお知らせお願いします。 はい、ありがとうございます。え、プロジェクト希望ではですね、え、先ほども申し上げたようにいろんな活動をさせていただいております。え、相対貧困に苦しんでるお子様たち感動体験を提供しております。あの、もし、え、興味がある方々はですね、え、私たちのウェブサイト、え、プロジェクト希望.org、え、是非、え、見てたいですね、私たちの、え、動、え、チェックしてただければと思います。 え、そして何かサポートしていただけるなことがあれば是非よろしくお願いいたします。 よろしくお願いいたします。竹山さん 2 周にわって平井和夫さんと共にお送りしてまいりました。いかがでしたか? はい。や、ソニーさんってね、やっぱりあのすごい企業で本当にあのことがあっていろんな計算してやってんのかなて勝手に思ってたんですけど、 今日平井さんと喋ってみるとま、1 つ大事なこと分かった感動ですよね。 うん。 やっぱ感動ってものすごい大事だなと思、それによって人と人も繋がるし で、それでね、未来もこう繋がっていくしなんかそれを改めて学べたような気がしました。 ありがとうございます。 最先端のものを常に作り続けてるんですけども、原点はすごいなんか そうです。人間の心ですよね。大切なのはね。それがすごい学びました。 はい。分かりましたよね。 そして竹山さん、この100 年ラジオ紹介残念ながら今回で最終回ということになります。 残念でしたけどね。 月さん本当に様々なゲストの方の人生をお聞きしてまいりました。 いや、色々ね、触手も色々な方いました。ま、タレントさんからアスリートの方からね、内さんの宇宙飛の方もいましたしね、みんなの色々話を聞いたんですけどうん。 [音楽] やっぱりなんか人の話聞いて [音楽] 1 つ分かったのはやっぱその人のやっぱりこうなんていうかな、うんと 1つ思いがちゃんとあるとか うん。やっぱ人に対してのこの思いもすごく皆さん思ってらっしゃるし、自分もやっぱこうなりたいんだとかこうするべきだとかね。で、あとうん。なんか社会をよくしようとみんななんかどっかで思ってる。なんかそういう活動よく皆さんにやってらっしゃるとか。 ええ。 ええ、だ、人間としての生き方がそれが楽しいんだなってなんか改めて思ってる気がしますよね。 そうですね。なんか幼少期の頃からのお話皆さんにお聞きしましたけども、なんか後悔をしてる方が誰 1 人いなかったなっていうのが私全部その後々に あのプラスに考えてらっしゃる方ばかりだったなっていうのはすごく印象的だした。 そう。あと人のためになんかやってる人が多かった。 ああ、確かにそう。 やっぱりね、やっぱそれ大事なんですよ。 そうなんですね。 最終回のゲストは平井か和夫さんでした。平井さん、どうもありがとうございました。 どうもありがとうございました。 ありがとうございました。 では皆さんまたいつかお耳にかかりましょう。さよなら。 さよなら。