#72 グランパスでベンゲル、ジュビロでゴン中山…U-22代表・大岩剛監督が3つのJクラブを渡り歩き学んだこと

#72 グランパスでベンゲル、ジュビロでゴン中山…U-22代表・大岩剛監督が3つのJクラブを渡り歩き学んだこと



ゲストはサッカーU-22日本代表監督の大岩剛さん。

今回は、「名古屋、磐田、鹿島でのプロ生活」をテーマにお話しします。

協力:日本サッカー協会

#大岩剛 #名古屋グランパス #ジュビロ磐田 #鹿島アントラーズ #ストイコビッチ #

ベンゲル #中山雅史 #ジーコ #槙野智章 #中川絵美里 #Jリーグ #サッカー日本代表

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★大岩 剛(おおいわ・ごう)さんプロフィール

ロサンゼルス五輪を目指す世代別代表監督。現役時代はセンターバックとして名古屋、磐田、鹿島で活躍。現役引退後は鹿島アントラーズのコーチに就任。2017〜19年には鹿島監督を務め、18年にアジア・チャンピオンズリーグを制覇。1972年生まれ、静岡県出身。

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[音楽] 読み売り新聞ゲが来た途端にやっぱりもう本当に真剣に [音楽] やるようになって 絶対勝てるようになるって言って ストイコビッチがもう戦闘切って練習やるみたいな感じ。 その負けることへのま感って言い方合ってるかどうかわかんないんですけど うん。その悔しさをなんかこう人 1倍持てるという [音楽] サッカー元日本代表の牧とです。 読売り新聞記者の川島健二です。 キャスターの中川えです。 この番組はサッカーを愛する 3 人がゲストを招いて普段は聞けないサッカーの世界の裏側をお届けするポドキャスト番組です。今回はサッカー U22 日本代表監督の大岩号さんと名古屋岩田鹿島でのプロ生活をテーマにお話ししていきます。 ピッチサイド日本サッカーここ小だけの話サポテッバイずほフィナンシャルグループさのゲストをご紹介します [音楽] U22 日本代表監督大岩号さんです。よろしくお願いします。 はい。よろしくお願いします。 お願いします。 よろしくお願いします。 大岩監督とはこのポッドキャストのエピソード 7071でもお話ししています。 そちらも是非お聞きください。では川島さん早速お話伺っていきましょう。 はい。大さんは市民商業からつば大台卒業されて 95 年ですね。名古屋グランパスエに加入されました。 95年3月開幕のJ リーグでデビューされて名古屋入りを決められたというのはどういう理由で決められたんですか?当時はあの名称アーセンベンゲルが監督にやって間もない頃ですよね。 はい。はい。 アーセンベンゲルさんが監督やるとも全く聞いてなくてです。 [音楽] あ、そう。 はい。 何チームかあるうちのグランパスにあのお世話になるっていうのをシンプルに決めました。はい。 うん。 これはつば大学も在学中にもうオファーをもらったってことですか? はい。そうですね。 うん。 うん。な んであれなんですか、名古屋に決めたんすか?その決めてみたいのありました。 やっぱりオファーがなければこうね、入れない世界なのでオファーがあるうちのまっていう本当にシンプルなあの地元の清水からはなかったので うん。 はい。 なかったので はい。 もうシンプルにか どこでも やっぱりあれですか、地元でプレイしたいって思え強かったですか? いや、当時はなかったですね。そういう気持ちがなくても本当にプロサッカー選手になりたいっていう一心だったのでうん。うん。 特にそのどこじゃないとダメだっていう気持ちはなかったですね。当はい。 あ、入ってどうでした?こう大学作家もちろんねやってたと思いますけどもプロの世界での試合練習含めてどうでした? うん。 ま、大卒ってね、今もそうですけど、側戦力としてやっぱりこう受けられるので うん。 もうそのプレッシャーでしかなかったです。入った時はもう早く試合出なきゃ、早く試合出なきゃっていう気持ちでしか 本当になかったですね。 うん。 結構早とデビューしたと思いますけど。 はい。うん。 ゴさんがこん時に 95 年対戦してる中でこの選手すごいなみたいなました。 うん。もう忘れもしないけど開幕戦が波大阪だったんですね。 で、プロタソフとか当時の プロタソフは それソレンソ連が多かったね。 ガンバはそうです。 アリーニコフとか はい。 もうちょっとレベルの違いに あ、そうなんすか。 もう圧倒されましたね。 へえ。な、中でもやっぱ、え、その 2人ですか? 2人がやっぱりもうすごかったですね。 へえ。 もう感じたことのないもん。 うん。 ストイコビッチもだチームメイトにいるじゃないですか。 どうですか?ストイコビッチはもう普段から練習してもそうですけど、 もうまさものすごくこうありましたよ。当時もあのユゴースラビアン代表 でしたし、代表選手でしたし。 ベンゲルがやっぱり彼曰く当時のものすごくこうヨーロッパでも有名な監督我々知らなかったので はい。 ストビッチに聞くとすごい監督が来ると うん。 来たと言われて、ま、彼自身もちょっとこう余裕があって Jリーグでやってたんですね。 前年かな?来たのが名古屋に。 うん。うん。うん。 で、アンベンゲルが来た途端にやっぱりもう本当に真剣に あえ やるようになって 絶対勝てるようになるって言って はい。 ストイコビッチがもう戦闘切って練習やるみたいな感じ。 へえ。そうなんだ。 うん。 ストイコビッチを書いてしまう監督だったんですね。ベンゲルが。 もう我々は知らないだけでもうヨーロッパではもうすごく有名 モナコで実績をぱ作ってことですよね。 え、さんがこうこれまでいろんな監督とやられてたじゃないですか。ベンゲルっての教えだったりなんか残ってることってあります? うん。あのなんかこうワードをね色々こう言ってくるというよりも今はこう指導者になってま、当時の彼がこういろんなアプローチを日本人にするわけじゃないですか。 はい。うん。 そのなんていうのシンプルさとかその選手に求めるこの基準の高さとか うん。 そういうものは全てやっぱりこう計算されてたというか、意図的だったっていうのがなんかすごくよくわかるなっていうのが、 ま、当時はもう一生懸命やるしかないので うん。 ま、オフになったらこう愛によく行ってますけど、 そういう時に話をしても、ま、あの、日本人のね、その特徴を生かしたこう作家をね、 当時は意識してたっていう話をされると やっぱりこう全てこうなんて言うんですかね、意図的だったっていうのはね。 うん。へえ。そうなん。 シンプルなんですか? うん。もうそんなとあのこれもやれ、あれもやれとはいうことはなかったですね。もうポジションごとにやっぱりやるべきことをシンプルにこう与えて それをこう選手は一生懸命やることがなんかこうしていくうくなっていくというか は まそういうサイクルではあったかなと思います。 うん。センターバックにコンバートしたのもベンゲル監督。 そうですね。うん。うん。 その当時は経緯とか伝えられ その当時はない。 そのじゃは言われてなくて、ま、怪我人が多く出て、 ま、記憶にあるのは何もこう言われずに うん。 練習試合かなんかだったと思うんですけど、もうメンバー表の真ん中にこうトーレスと大祝岩って書かれたっていうようなこう記憶がね うん。 あるだけかなっていう風に思います。それからはもうこれはどこでも言ってますけど、トーレスっていう隣のセンターバック、ブラジル人センターバックに もうついてくだけ、見て盗むだけ。 うん。うん。 真似するだけ。 うん。 うん。 それがずっと続いたかなっていう風に思いますよね。 うん。 でもそのセンターバックをやるにあたってトーレスが横にいたってのはやっぱり大きかったすか? うん。 もうそれはもう僕自身にとってはね、ものすごく大きなことで全てと言っても過言ではないかなと。 あ、うん。 また違う選手だったら変わってたかもし もう全然違うと思います。 年で行ったらいくつ違う? いくつ違うんですかね?年ちょっと覚えてないですね。 あの有名なカルロソアルベルトの息子さんですよね。 1970 年の優勝した時のブラジル代表のキャプテンの息子さんですよね。トレさん。 [音楽] うん。2人には多分かんないと思う。 わかんの。 でも1つ 似てますよ。そっくりです。 そっくりですよね。 ええ、そうなの? そっくりですよね。 でもゴさのキャリアの中でもじゃあやっぱりそのコンバートで一緒にトーレストやれたっていうのはターニングポイント。 もう全てです。ターニングポイントどころかも うん。 そこが全てのような気がする。 へえ。 うん。 後に聞いたんですか?理由は監督から 聞きました。あのアーセナルの練習に行ってね。 はい。 当時今でも氷があるって言ましたもんね。 そうですね。うん。ま、ただもう今もうね、アじゃなくていいのされてるんでなかなかこう会うことはね 叶わないんですけど。 うん。 ま、メールしたりしてますけどね。 ええ、すごい。 ま、そんなグランパス時代を経て 2000年8 月にジュビロ岩田に移籍されました。 当時のジビロは清水出身、静岡県出身の選手も多くらっしゃいましたし、日本代表クラスを本当に揃えていらっしゃいました。え、当時 Jリーグを代表する競合で 2001年にファーストステージ優勝。 2002 年には当時市場初めてファーストステージセカンドステージの双方で優勝する完全優勝も果たされています。 そしてゴさんも2001年にJ リーグのベストイレに選出されていますけれども、このジビロ時代、ま、タイトルも取られていますけれども、印象深い出来事とかありますか? いや、もう、ま、マ野はしてるかな、この時期って。もうしてんのかなね。 もう選手がものすごくレベルの高い選手たちがいて うん。 七もいたりしてね、 藤田さんもいたりして うん。Nボックスですよね。 はい。はい。 みんなサッカーがうまくてなんか自分が 1番下手だなって思わせされて おお。 ついてたい思いがある時代だったですね。うん。 普段の練習からですか? もう全然レベルが違ったね、グランパスとは。 へえ。 これっていうのはそのレベルが違うっていうのは練習の中でろんな要求含めて なんすかやっぱりもうレベルの高さってかもう分かる。 うん。まさにまさにそうなのよ。 はい。 基準が高いんですよ。 へえ。 うん。ミスすればね、当然ね。 はい。 色々言われるわけじゃないですか。 だ、そのレベルが高いっていうことですよ。 突き詰めるっていう感じですか? そう。で、やっぱりこう強いチームって ミスが目立つじゃん。 うん。そうですね。はい。 うん。だからそういうとこにいると はい。 やばいやばいってなるわけでしょ。 はい。はい。 こうね、トレーニングも一生懸命やるっていうか、ま、そういう中で、ま、自分もね、みんなに引き上げられたっていうイメージがありますね。うん。うん。なんか特にこの選手ジ備の時に印象的だったなって方いらっしゃいます。 うん。いや、中山さんかな。練習から。 練習からもあの人のね、スタイル全力だから はい。はい。 対戦すればもうゴール前ね。 うん。 平気で うん。 頭から突っ込んでくるし、 もう練習からそうなんで はい。うん。 こっちも気が抜けないというか。 ああ。 うん。で、やっぱり練習前後のあの人のそのサッカーに対する姿勢っていうのはやっぱりすごくこう刺激になったよね。 準備の部分。 もう準備で うん。 誰よりも入っ 怪我が多かったからあの人。 はい。ケアとかあとはもう準備でえよね。 うん。 筋トレやってからこれトレーニング入るとか、ま、今ではもう当然当たり前なんだけど、それをもうあの当時からねやってたっていうのは当時はすごく刺激になったかなって思いでありますけど。 うん。 サッカーを愛する皆さん、こんにちは。出口ナツきです。世界一を目指す侍ブルー。どんなに難しい挑戦でも熱くまっすぐに挑み続ける。 [音楽] その姿はまさに青い挑戦ですよね。さあ、最高の景色を水みずほサッカー日本代表と全ての青い挑戦を応援します。 [音楽] ゴンさんってどうなんですか?チームメイトとかにもテレビの前とかね、あれだと結構こうなんかお茶らけじゃないですけどもそういう姿っていうのはね、いろんな方たちは分かりますけど、 [音楽] あれですよ。あの、普段はもう科目ですよ。あんまり喋らないです。 あ、そうですか。 練習中みんなにこうガッ行ったりもする。 特にないかな。 ええ、すご。 逆にやっぱりこう背中で見せるタイプピッチでは え、そうなんすか? え え、普段の公式戦の中でもそうすか? そうだね。 ロッカーロッカーでグって言う時はあるけど、普段の練習とかもう自分のそのコンディションうん。うん。 をこう整えるっていうこうぐやって入り込む人だから はい。 週めのね、フィジカルト はい。 もう戦闘走ってないと気が済まんない人だから。 ええ、そうなんすか。 もうあの人が行く。 はい。 ハットが行く。 はい。 斜が行く。 すごいメンバー。すごいメンバー。 うん。 そこで競争しちゃってる。それ タイムソじゃなくなっちゃうんです。 全力層になっちゃうんですよね。あの人たちは走る。いいな。 あ、でも練習からそれぐらいもう暗いついて皆さん行ってた。 いや、すごいメンバー。 代にアントラーに移籍ました。 もう当時とアントラーズ Jリーグのその派遣を争うタイトルをこう ナダーですから 同士のチームをこう渡り歩くってこれは大きな 1つ決断だったと思うんですけど当時の うん 理由も伺ってもいいですか? 理由はね、あんまないですよ。だからオファーがあったからですよ。 それはでも他からも当然きはい。うん。 あった中でオファーがあったからですよね。 うん。 うん。それしかないす、理由は。 え、ジビロでタイトルを取ったりもした中で、じゃあ次は違うチームでっていう思いではなかった? いや、あのね、試合にやっぱりこうなかなかこう出られなくなったっていう時期でもあって怪我とかして うん。 で、やっぱりそのなんて言うんですかね、年も 30歳ぐらいだったのかな。 少しもうこうちょっと自分でも危機感があってうん。 うん。 オファーがあった時にこう決断はしましたけどね。 はい。 そん時の周りの反応含めてどうでしょう? 今でこそね、こうやって笑って話せますけど、当時はね、やっぱりそういうチーム感のライバル試されてたんで うん。 ざわざわはしたんじゃないですか。僕自身はそんなにあの気にせずに行こうかなと思いましたけど。 はい。当時のことを考えたらじゃあゴさんが 結構な大きな遺跡の 1人でもありますよね。 どうだったんかな。 ナショナルダービーだったりでそこの遺跡切りっていう選手あんまりなかったじゃないですか。 うん。うん。 うん。 でも、ま、僕自身から言うと はい。 ま、鹿島もそういうことがある前提で声をかけてくれてるわけじゃないですか? そうですよね。うん。 プレッシャーもあるわけですよ。 だ、そのそういうその 息というか、心きというか、 ま、そういうものは感じたのは覚えてますよね。 はい。 あ、30歳の大決断みたいな感じですね。 はい。でも今考えると うん。 ものすごくこういいお話を頂いたんだなって思いますよね。うん。うん。 ま、そのアントラーズでは2011 年の天王杯優勝まで 10シーズンにわってプレイされました。 2007年から9年はJ1リーグ初の3 連覇を達成するなど多くのタイトルを獲得されました。先ほどあのジュビロにこう移籍されてそのレベルの高さに少すく驚いたというお話ありましたけれどもそこからこうアントラーズに行っていかがでしたか? うん。年齢もね、あの、30 歳になってて、少し余裕もありましたし、またこう違う意味で色が違うじゃないですか。はい。 その鹿島の色ってあるので、そういう意味ではすごくこう 強いクラブのあるべき姿は変わらずあったかなっていう風に記憶してますよね。 うん。うん。うん。 なんでこうなり鹿島までタイトル取れるんすか? ぶれないからじゃないですか? うん。 うん。 うん。そのなんて言う?事故さんがね、 来てうん。 事己スピリットって言いますよね。 はい。あのスタイルをやっぱり貫抜き通してましたし うん。 選手自身もそうですし、サポーター、あの、クラブの人たちもそういうイメージでやってたので、 そういう空気感っていうのはやっぱりこう積み上げていかないと作れないものだと思うので、 そういう分でそういうのが うん。当時あったのかなと思いますよね。 うん。うん。 だってこの長いJリーグの歴史の中で3 連覇してるのは鹿島しかいないじゃないですか。そうですね。え、マキノはやってるよね。 僕の時もちろん対戦してます。 はい。もう びっくりするぐらい強かったですよ。 うん。 はい。最後の方は、え、マキ野は何年? 僕2006年から 広島なんだよね。 広島なんではい。 いや、もうすごかったですよ。この時の鹿島は うん。 止められなかったです。 勝負良かったですよね。 いや、もうそうなんですよね。 90 分やったら結局鹿島が そういう感じですよね。 勝ってたって。うん。 うん。 だ、その勝者のメンタリティってまさに鹿島マンターズにぴったりの言葉だなっていう。うん。 うん。93年にJ リーグがスタートしてオリジナル X10チームで最初やってうん。 え、1 回も落ちてないのは鹿島とマリノスしかないんですよね。そうで、ま、マリノス今すごく苦労されている時期なんですけど、その鹿島がずっと強いっていうのは うん。 これ伝統とかっていうのは簡単なんですけども、 そのやっぱりぶれない今おっしゃったような部分っていうことですか? はい。難しいすね。 1 つじゃないんですけど、ま、ぶれないっていうことが前提にあってうん。はい。 勝ちにこだわる姿勢とかってよく言うわけじゃないですか。 でもそれもな んだろう。勝つ回数をすごく言われるんですけど 同じか同じあの倍以上負けてるわけですよね。 [音楽] はあ。 なのでその負けることへのま、嫌悪感って言い方合ってるかどうかわかんないんですけど うん。その悔しさをなんかこう人 1 倍持てるというか、他のクラブより持てるっていう感覚が やっぱりジコさんが植えつけたそのなんだ、ジコスピリットの うん。うん。 ま、根底にあるのかなとは思いますよね。 負けてるとおっしゃるのはその優勝を逃すって意味ですね。 そうですよね。あの、 そう、それがイコール負けるなんですね。もう そうなんですよ。うん。 なので20巻かな。今の現20間かな 勝ってるっていう タイトルがいくつあったかわかんないけどうん。 例えば100あるうちの20であれば80 回は負けてるっていう感覚を うん。うん。 いかにその強く持てるかっていうのが そか そこはあんまり他のクラブないと思いますよね。そういうそれを負けという風に捉えるっていうこと。 そうなんです。だから鹿島ってどの大会でも [音楽] 1年間に4大会あるのかな。AC も含めたら だ、自分が監督やってた時もその 4大会を全て取りに行くし うん。 そのどれかをこう警視するわけでもないので そうすよね。 うん。4 つ取れなかったら4 つ取れなかったっていうことだし うん。 ま、そういうのはね、他のクラブと比べてあの勝つっていうことよりも負けることへのそのうん。 うん。 嫌悪感は どのクラブよりも 強いのかなとは思ってます。今でも思いますよね。 そう。 考えが他のクラブにはでもないんじゃないですか。 うん。 うん。だからあの鹿島に所属した選手たちが他のクラブに行くとみんなそれって言うんですよ。そのなんだろう。はい。 [音楽] 勝ちにこだわることが その 鹿島より強いとこはないとな。なぜならその負けることにすごくこう慣れちゃって言い方変だけど [音楽] 慣は ていう空気があるっていう風に言いますよね。 うん。 なんか1 つタイトル取れればいいなみたいな。 うん。うん。 クラブ結構多結構多いと思う。それそれが取れたら上ですよみたいなクラブが大半だと思いますよね。うん。うん。 [音楽] なんか先日ね、鹿島ズのクラブハウスに訪問した時にやっぱり シーコスピリッツのこのね、 いろんなポガル語と日本語でこう書いてあるんですけど、 書いてあります。 あ、なんかな、クラブとしてこういう言葉を大事にしてるとか鹿島ってこういうこう理念というか うん。広島とかないんですか?神戸とか いや、ありますよ。あるんですけど、 この歌マントラズイコールジーコスピリッツっていうのが はい。 ちゃんとこう受け継がれてるじゃないですか。 もちろんクラブによってはそういう理念含めてあると思うんですけど、それが受け継がれてないクラブとしての なんて言うんですか、そのぶれないっていうゴさんが今おっしゃいましたけど、それがやっぱりこうなんか大事にされてないっていうのはあると思います。 うん。 ドイツはどうだったの?その いや、しっかりしてます。 そうだよね。 しっかりしてます。はい。 だってそれがさ うん。100 年以上あるじゃね。はい。 なのでなんかちょっと歴史が違うというか うん。 Jリーグもすごくこうね、30 年以上やってきて はい。 今なおこう成長はしてるんだろうけどなんかそのバックボーンというか歴史がまだまだこう足りないのかなとはもう言うよね。うん。ま、そのクラブの歴史とかストーリーっていうとやっぱ大事かなと思いますけどね。うん。うん。 [音楽] はい。 それがね、こう選手が変わってもずっと変わらずかれてる鹿島っていうの。 うん。鹿島やっぱすごいチームだなと思いますけどね。 はい。 さて、お時間となってしまいました。次回はですね、ゴさんのゲスト会、あっという間に最後の会になります。指導者の道をテーマにお話伺っていきます。お岩監督、ここまでありがとうございました。 はい、ありがとうございました。 ありがとうございました。 次回もよろしくお願いします。 [音楽] ピッチサイド日本サッカーここだけの話。サポテトイみずフィナンシャルグループは毎週火曜日にニューエピソードが配信されます。 読み売り新聞オンラインの他、 ApplePodcastASTト、 Spotify,AmazonMusic などリスニングサービスにてお聞き いただけます。是非フォローボタンから フォローをお願いします。リクエストや ご質問はPodポスト概要欄にある メッセージホームから是非送ってください 。ご感想はXでハッシュタピサイトをつけ てポストしてください。ピッチサイドは カタカナです。ご質問、ご感想お待ちして おります。また読み売り新聞 Podポドキャスト公式X では収録の様子を撮影した画像や番組情報をポストしています。ポッドキャスト概要欄からフォローしてチェックしてください。 ここまでのお相手はサッカー本日本代表の牧友明と 読売新聞記者の川島健二と キャスターの中川えでした。 世界の頂点に挑む時誰かが言うかもしれない。まだまだ青いね。 [音楽] でも青さはうちに秘めた情熱の色だ。最後 まで諦めない挑戦者の色だ。そうだ。青さ は強さなんだ。侍ブルーみずほ青い挑戦を 応援したい。さあ、最高の景色を私たちは サッカー日本代表と全ての青い挑戦を応援 します。出口なきでした。