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皆さんおはようございますおはようござい ますそして私もちょっと今日礼拝が久し ぶりだったのでお久しぶりですえ今日は父 の日礼拝ということであのま父の日父と いうところに少しフォーカス当てたあのお 話をお話メッセージをしたいなと思います あま父の日ということで今日ここに伝われ たま父お父さんと呼ばれる方々いつも ありがとうございますさてあの父の日と いうのはどのように始まったか皆さんご 存知でしょうか私は全然知りませんでした のでちょっと調べましたけれどもま世界で 最初の父子の日はまあ1910年に遡る そうでアメリカのワシントンにま住むま ソノラというま女性がいてま父親に感謝を 捧げる日が欲しいとま教会にお願いをした ということがえ始まりですまこのソさんの えお父さんウィリアムさんはま南北戦争で 軍人をした後ま農業をしていましたま しかし6番目のお子さんが生まれた時にま お母さんエレンさんが亡くなってしまいま 父ウィリアムは生まれたばかりの赤子含め 子供たち6人をもう男で1人で育てあげた しかしその後再び戦地へ行きま戦死をする ことになったま長女だったそのらはその父 ウィリアムへの深い尊敬と感謝の思いを形 にしたいとえ考えてますでに母の日は 始まっていましたので是非父の日もえ記念 したいと協会にお願いしてま最初の父の日 が1910年の6月19日に行われたま それがこの父の日の始まりだそうですあ 先生のある時代に男で1人で子供6人を 育てた売山さん素晴らしいお父さんだなと 思いつつまそのような素晴しいおさと思い ますしま本当にどうしようもねえお父さん だなっていう人もいると思いますけれども ま今日はそんな風にしてお父さんにま思い を巡らしつつ本日はガラテアへの手紙短い 説ですけれども聖書に記される父なる神の 姿神様が私たちの父でいてくださるこの ことの恵みを確認したいと思いますお祈り しますはいすての神様御言葉に行こうと するこの時間を感謝いたします主がこの 時間祝福してご精霊様で満たしてくださっ てあなたの見をあなたの御言葉を共に 味わいしる時間としてくださいまた時 同じく韓国で礼拝してらっしゃるB先生 ジン先生その拝をそして韓国での改を特に ジョ先生の会長をえ主がお守り祝して くださいこれからの時間の一に待します イエスキリストのを通していし ますなんて皆さんの中にはま父である人も いるでしょうしまそうでないかともいい ますあるいは皆さんのお父さんまどんな人 だったでしょうかま優しいとかあ怖い 怖かったなとか仕事熱心だなとかま真面目 だなとかいろんなイメージがお1人お1人 にお父さんはどんな人ですかと言われると あると思いますまそして様々な事情の中で えお父さんはいなかったと あるいはもう死んでしまったという方も いるでしょう中にはまお父さんを 思い起こすことにま色々な難しさやえ痛み が伴う方がいらっしゃるかもしれません父 の日というものをま単に嬉しい日喜ばしい 日とは思えない思いや背景を抱え今日を 迎えている人もいらっしゃるかもしれない ということを私たちは心に止めながらもま その上で 与えのに聞きたいと思います今の所短い ですのでもう一度お読いたしますガテの 手紙4章そしてあなた方が子であるので神 は安父をと叫ぶ巫女の様を私たちの心に 使わされましたですからあなたはもはや 奴隷ではなく子です子であれば神による続 人です今日はえま3つのポイントでお話を したいと思い ます1つ目はなぜ神を父と呼べるの か皆さんは祈る時どのように神様に 呼びかけているでしょう か愛する天の神様と か天の お父様ま在天の父なる神様とかね 恵神様とかまいろんな呼びかけすると思い ますたまに愛と恵みと慈しみに飛んでおら れて今も生きておられる私たちの神様とか こうどこまで言うんやってぐらい祈るかも いいますがま昔あの私が東京キリスト教 大学にあの新学校に入学した1年生の時 当時4年生だったあの先輩がいましてお 祈りする時に天のお父さんってあの貴も なんとかでってお祈りしてたんです まふざけてとかじゃなくても普通にこう どんなこう共同のこう大の祈りでも天の お父さんて祈る人いてお父さんマジで お父さんて言ってるわてす思ってたのを 印象学覚えてますまそのように私たちは 祈る時にも神様を父なる神様と天のお父様 と 呼び呼んでいますまふと考えてみるならば まイエス様が父よって呼びかけるこれは いいですよねなぜならイエス様 のだからしかしじゃ私たちが神を神 をと呼べるのはなでしょうかま私たちは もうこう習慣のように言ってるんです けれども今日改めてそこを考え たいあの大学からの私の親友でま職場の 同僚でもあるあの仲間がいるんですけれど もま彼の娘たちはま父親そのま私の友達の 彼のことをねパパとかさんとかじゃなくて ま父って読むんですよそういう風にこう 教え込むで父ってでま子供食堂でこういつ もあの一緒に子供たちもいますからま父 ってこう大好きで父って言うんですよで あのも私もつい可愛いんでね子供たちが はい父ですよとか言って私も1人の父親と してこうこう追いかけたりするわけですで そうするとまその末っ子はやだって 逃げ回りそして上の子はいやっの父じゃ ないでしょとあなた違うでしょうともう 遠慮なくこう 一切り飛ばしれ ちゃうあるいはその子供食堂でまそこに いろんなこう集う子供たちがいましてま こう私にこう抱っこを求めてきたりま背中 にこう音部しててのしかかってきたりま片 生ぜって言ってきたりするわけですよ出て そういうことがあるんですでまそれを見 ましそれを見たまマチルドレンがですねま なんでパパは他のこのパパじゃないのに そんな抱っこしてあげるんだ とま私たちのことはそんなにここで抱っこ しと肩車とかしてくれないじゃないかと こうま突っ込まれたりしていやいやま大変 ですまそこにはま私の父親は誰なのかと あるいはパパの子だから遠慮なく抱こして もらえる存在なんだというま父とこの関係 性そしてそこから生じるま認識と行動が あるんだなと思うわけです ですから私たちが信じる神様のことを父よ お父さんて呼ぶのはま単なるその呼び方な のではなくてそこに意味があるんです ちゃんと理由があってそう呼んでいると いうことなん ですそしてその理由はまずイエス様 がえ神を父よとイエス様が呼ばれてそして 私たちにも祈る時こう祈りなさいと教えて くださったからですマ6章9節ですから あなた方はこう祈りなさい天にいます 私たちの父を死のです ねそしてもう1つ大切な理由は私たちも また神の子供とされているからなん ですすなわち神という存在は私たちにとっ て 父のよなていう例えとかじゃなく あるいは神様が私のお父さんだったらいい なっていう願望でもないんです事実として 神はお父さんとなってください私たちは 子供となっただから父と呼べるんだという こと ですですからあなたはもはや奴隷ではなく 子です しか読んでいませんけれどもパウロがこの 手紙を書きましたパウロの書いたこの ガラテアびの手紙や有名なローマびへの 手紙のま文脈を踏まえていきますと要する にま私たちはかつてはま奴隷だしかも罪の 奴隷だったというわけ ですしかしイエスキリストの十字のあの故 に罪が許された今は罪の奴隷ではない神の 子供とされたということ です私たちは知っています私たちの古い人 がキリストとと共に十字架につけられたの は罪の体が滅ぼされて私たちがもはや罪の 奴隷でなくなるため です罪の奴隷であった私たちが神の子供と されたので神を父と呼べるこれは実は ものすごい変化なんなぜなら神様は聖なる お方なので神と罪というのは最も遠い 手当たりのあるそして奴隷と子供という ものも最も隔たりのある対局にある者同士 にもかわらず罪の奴隷であった私たちが神 の子供とされたそこに変化があるんだよと パウロは語るん ですローマびの 手紙神の見に導かれる人は皆神の子供です あなた方は人を再び恐怖に入れる奴隷の霊 を受けたのではなくこする見たを受けたの ですこの見たによって私たちは安父と叫び ますまですので私たちが神様を父って呼ぶ ことのできるを考えますと の神様はイエスキリストのお父さんなん ですしかし神は罪の奴隷であった私たちの ことも愛してどうにかしたいと思って くださったので愛する独り子イエスを十字 架にかることによって罪を完全に許し 私たちを神の子供としてくださったそして この見たによってねペンテコステが動に ありましたが与えられた玉精霊によって 助け支えられながらなる神と呼ぶことが できるまですので私たちは祈る時 にま以前私がちょっと代表祈りの時にです ねイエスキリストの騎なる神様ってこう 呼びかけて祈りましたらま直後にリ先生に ですねあの間違ってはいないけどまあたか も他の他人のお父さんみたいな言い方に 聞こえて誤解を招くかもしれないんで代表 の祈りでは使えない方がいいかなみたいな 感じなねこうマイルなちょっとこご指摘を 即座に受けたということがえあります けれどもま厳密に言うとイエスキリストの 父でありそれゆえに私たちの父でもあら れる神様というのがまこう正しい言い方に なるわけ ですつまりイエスキリストの父である そしてそのイエスキリストの故に私たちの 父でもあれる 神このキリストにあってそして見たによっ て私たちは神神様父と呼べるんだという ことをまず1つ覚えたいと思い ます2つ目に誠の父は唯一という話をし ます最近は父親親子の関係に様々な難しさ や複雑さ が私たちの信じるお方は父である表現する 時ま苦しみや痛みを感じる方がいる父親に 対してま全然いい思い出がないとですから 聖書の神がお父さんだと言われても到底 受け入れがいそういう方もいらっしゃるか もしれませんいくら神が愛のお方だ 素晴らしいお方だと分かっていても父なる 神と呼ぼうとする時自分の中にすでにある 父親像あるいは自分の中に積み重なった父 理解が重なってしまってまイメージし づらいという方もいるかもしれません しかし私たちが大切なことは私の持ってる 父親ぞ最初に皆さんに皆さんのお父さん どんな方ですか聞きました私の経験に 基づいた父親理解そういうものを土台にし て私たちの父なる神様を考えるのではない のだということです自分の経験則に基づい て父なる神を捉えそして見てしまう時それ は本当の父なる神を 歪んでしまったり狭めてしまったりする 恐れがあるん です私の抱いている私が経験してきた父と の関係性そこからイメージしたり広げて いってその延長沿いに父なる神はこういう お方だよねと理解するのではなくて聖書を 通して示された神のお姿を通して誠の父 なる神様がいかなる存在であるのか父なる 神の愛がどのようなものかを知っていく ことが大切だと思うん です第一ヨハにこのような言葉があります 私たちが神の子供と呼ばれるために道地が あなたのお父さんじゃない道がどんなに 素晴らしい愛を与えてくださったのかを 考え なさいそして聖書に示されたこのこの父 なる神の愛お姿を実際に私たちが味わって 経験していく時その時私たちはま自分自身 のあらゆるま経験ま良いものもあるいは 痛んだ過去を超えて誠のお父さんがまどの ようなお方であるか知って見ていくことが できるのではないでしょう かそもそも私たち人間の中に完璧な お父さんというのはいるのでしょうか実は 聖書に登場してきます人物もあのした人で あってもお父さんとしては実は不完全で あったり失敗が多かったそういう人物 だらけなんですあのノアの白舟のノア そしてサムエルを成長させた予言者エリ あのサムエルもう父親としては子育てと いう観点ではもう大失敗ですイサクと ヤコブあるいはあのダビデでさえも息子 アブシャルムとの関係には課題や困難が ありました唯一でありそのお方を見上げ 覚えることこそ大切であるということ ですあなた方は地上で誰かを自分たちの父 と呼んではいけませんあなた方の父はただ 1人天におられる父だけ ですま私たちの父はただ1人天におられる 父なる神様だけだまこの御言葉はさどたの 完璧な親良い父親立派のお父さんになら ないとというま父親としてのプレッシャー やま釈からそうできない釈から解放して くれますあるいは私は良いお父さんに 恵まれなかった立派なお父さんに育てられ なかったどうしようもね親父だったそう いうまことこの立場としての葛藤やなんて 言んでしょう不全感みたいなものから 私たちは苦しまなくていいんだよ 今日ここにいるまお父さんと呼ばれる方も あるいは皆さんお1人お1人のお父さんも 誰1人完璧ではありませんむしろ不完全で 失敗や愚かさがありますそれゆにその父と この関係において素晴らしい思いでもあれ ば悲しみや葛藤も抱えているんですです から私たち はあなた方は父を出たを自分たちの知識 呼んではいけないあなた方の父はただ1人 天におられる父だけだとイエス様は言って くださった父なる神の前には1人1人は神 の子供であり私たちが見上げるべきは天に おられる誠のお父さんこのお方を覚えるに が大切なんだということですですから今日 私たちが覚えたい2つ目はそれぞれの お父さん像その地上のお父さんとの記憶は 様々あると思いますけれども聖書に示され た天の神こそが私たちの唯一誠のお父さん であるそして私たちは地上の歩みにおいて その立場は父であったり子であったりする わけですけれども父なる神の前には 1人1人が等しく神の子供として唯一誠の 父なる神を共に見上げるものでありたいと いうことを覚えたいと思い ます今日3つ目に覚えたいポイントはアバ と呼べる特権 です今日開きましたテキストをもう 1度そしてあなた方が子であるので神はア 父をと叫ぶ巫女の御たを私たちの心に 使わされました皆さんはご自身の父親をま 日頃あるいはかつて何と呼んでいる でしょうか私 は父さん父さん いますねお高さんは何と指になってますか お父ちゃんお父ちゃんああ 素晴らしい松下さんにかでしょうか お父ちゃんですお父ちゃんあそうですか はいはいあこちゃんをお父様と何て呼ん でるんですか何 があ大好きなパパ あねあの私この前あの聞いたら英語県英語 お家で喋るからダディって言まお父さんも とかおじとかいないとこで親父とか言たま 色々ありますイエス様はお父さん何て言う んだろアバと先だて書いてありますこれは アラム語で赤ちゃんがお父さんを呼ぶ言葉 ですまアバ呼ぶ音をそのまま言葉にした ような呼び方で私たち言とパパアバアパ これもう世界的にこうアバとかアッパと かこれを改めて思うとこれイエス様が子供 幼少期自体の呼びじゃないんですよ十字間 の上でもアバって言ってるんですなかなか 衝撃的なことじゃないでしょう かひしさんがもしお父様がご存命でいらし てパパさって呼んでたらああひしさんパ パっていうも呼んでるんだめちゃめちゃ仲 いんだなってもこう多分こう衝撃をきて家 帰ってあそこパパて思ってたなると思うん ですよでもイエス様は実際にそう呼んで たっていうことなんですよね マルコの印書ア父よあなたは何でもお出に なりますこれはお父今よろしいでしょうか とかじゃなくてもうパパてもうパパなんで もできて本当すごいみたいなそういうもう すごい親しみと距離感を持ってるわけ です世を学び始めました神は主なるお方で あり脳の神で世界の者なですがなのに 私たちが巫女イエスによって神の子供とさ れたゆに図々しいほどの親しみと距離感を 持って神に近づくことが許されて いるエの紙私たちはこのキリストにあって キリストに対する信仰により確信を持ち 大胆に神に近づくことができ ますですから私たちは赤ちゃんがパパと することなく父をしたい呼び止めるように 神様に遠慮なんかいらない頼っていい願っ ていい甘えていいそのような特権が私たち 1人1人には与えられているということ です以前私が中原協会でえ説教をしている 際に説教をしている真最中に私のこうとに こう来てくれた子がいたんですそしていつ までもこう私の足元についたかたりして くるのでまお母さんがこうしゃがみこう来 てあるいは新学生がこう2人ぐらい こつって一生懸命こう呼び寄せようとする んですがま私の足にまとわりついて離れ ないでまどうにも本当にこう説教の本当に 読んでるマサなんでまちょっとこう無視し てみたりちょいちょいかやってみたり色 するんですけどもこ離れないんでちょっと こう考えた結果私はまその子こ抱き上げて まそのまましばらくたそのまま説をしたん ですま考えた3あると思いますが説教の後 まこ最前列で聞いていたご夫人がはさんの お子さん可愛いわねはさんのことが大好き なのねらずに抱こしてあげて感動したわて 言ってくださいました はま私の娘ではなかったですねその子は実 は1年前にお父さんを病気でなくした ばっかりの女の子でし た私はその亡くなったお父さんのケア マネージャーをしてお家に何回も行ってい ましたのでその子と久しい関係でしたしま その子の心情を思う時に抱き上げずにはい られなかったん です私たちがア父 パパと呼ばせてもらえる父なる神はどの ようなお方かいや今私は忙しいんだ時と 場合を考えなさい後にしてくれしり飛ばし たでしょうかパパと呼ばせてくれるんです いやきっとパパと私たちが寄りすがるなら 愛する声をどうした身元に引き寄せていか なる時も抱き上げてくださるそれが私たち が アバ呼ばせていただける父なる神のお姿な のではないでないでし ですので私たちは大胆に図々しいほどに このお方にいやきっとこき君はこのお方 なんて言わないと思いですこき君は お父さんを何と呼んでらっしゃるん でしょう かパパ パパなのでこのお方にとえず私たちは天の パパにいつでもどこでも近づきその胸に 飛び込んでいけるこの特が与えられている んだ私たちは再確認したいと思います そしてそのお父さんは子である私たちに 良いものを与えてくださるお方なんです イエスは言いましたあなた方の中で子供が 魚を求めているのに魚の代わりに蛇を 与えるような父親がいるでしょうかそれで はのそれなら名のこと天の父はご自分に 求める者たちに精霊を与えてくださいます 人間の大したことない父親だって良いもの を子にはえようとするでしょうましてそれ ならのこと父なる神があなたに良いものを 与えてくださらないことがあろうかいや 絶対与えてくださるそれが天のお父さんの 姿 ですそしてではこれらのことについてどの ようにいるでしょうか神が私たちの味方で あるなら誰が私たちに退できるでしょう 私たち全てのためにご自分の巫女さえも 惜しむことなく死に渡された神がどうして 巫女と共に全てのものを私たちに恵んで くださらないことがあるでしょうかここに 父という言葉は出ませんがここに記された 神こそまさに私たちの天の お父さんなので天のお父さんが私たちの 味方なんだから誰も私たちには敵対でき ません絶対に恵んでくださる恵みを注いで くれる 約束されてますですので私たちは学校や 職場で何があっても友達に裏切られたり 見捨てられたと思っても1人ぼっちだなと 思っても神はあなたの味方でいてくれる 現実の家庭の中でいろんなことがあるかも しれません家の父さんはもうどうしようも ない人かもしれませんそれでも父なる神は あなたのこと見捨てないしあなたの味方で ててくださいますしそしてあなたには良い も を恵みを与えようとして病むことがない これが私たちの父なる神の圧倒的な愛 さその現れのさえたるものが神は自にその 独り語をお与えになったほどによ愛された それは巫女を信じるものが1人として 滅びることなく永遠の命を持つためである という御言葉の通りイエスの十字に示され ているということこの父なる神の愛この深 さを私たちは今日もう1度噛みしめて 受け取りたいなと思い ます今日はえ父の被礼拝ということで 私たちはなぜ神を父と呼べるのかそして この父なる神様こそ唯一誠のお父さんで ありこのお方私たちはアバパパと叫んで 図々しいほどに近づいていけるということ を学びました私たちはこの父なる神に愛さ れるものとして そしてイエスキリストの十字架によって神 の子供とされたものとしてそしてこする 三玉を受けたものとして私たちは大胆に天 のお父さん天のパパと叫び呼ぶことの できることを確認し今日から始まる1週間 を始めていきたいと思いますそして今一度 習慣ではなくて父と呼ぶことのできる恵み を覚えて神様を唯一誠の父さんとして 見上げ歩むものでありたいと思いますあ それではお祈りをいたし ます愛する天の お父さんあなたをア父と呼び叫ぶことを 許してくださりありがとうございます 愛する1人イエスキリストによって私たち をのの奴隷から神の子供としてくださり そして大胆にあなたに近づくことのできる 恵みを感謝いたします今日から始まるこの 1週間お1人お1人がそれぞれの場所に 使わされて歩んでまいります学校で職場で 幼稚園で保育園で家庭で様様々なことが ありますが私たちはただ1人唯一誠の お父さんをいつも覚えてこの方が私たちの 味方でいてくださことをいつも覚え歩む ことのできる1日1日としてください見は 感謝しますこのお祈りを愛するイエス キリストの皆を通して未にお捧げいたし ます メンそれではそれぞれが応答のお祈りと 思いを思い巡らしながら少し祈りの時間を 持ちその後に松さんに応祈りとのお祈りを していただき ますH [音楽]