7月スタートのこの番組は、
ゲストのこれまでの人生を振り返り、これまでの忘れられない出来事についてお話を伺う番組です。
初回ゲストは、とんねるず木梨憲武さん。
2週にわたってご出演いただきます!
#100年ラヂオ商会 #カンニング竹山 #神田愛花 #木梨憲武
カンニング竹山です。 神田花です。この番組は今年創業 100 周年を迎えた田村政作所提供のも、毎回多彩なゲストを招きし、これまでの人生の中で忘れられない出来事についてお話を伺っていこうという番組です。 竹山さん、田村政作書に 100 年の歴史があるように人に歴史あり、物に歴史あり、それぞれドラマがありますよね。 そうですね。だから神田さん、この番組はその人の歴史に迫っていこうという趣旨の元の番組てことなんです。 そういうことなんです。で、さらにゲストの方に関わりが深いテーマも取り上げて、その歴史にも迫っていきます。 竹山さんで言うとお年穴 うん。お年穴いことになります。 お年穴ね。いや、あんたの旦那んないけどね。同じぐらいの歴史だとの方がもうすごいので。 いやいや、あんたの旦那の方が先にしましたからね。ま、若い頃から同じようなことやってましたけど。 ありがとうございます。そういった歴史ちょっと聞いねんなゲストすることも聞いていこうという。 そうなんです。本当にね、お笑いが 100年前どうだったかとか。 ああ、知りたいね。 がどうだったとかすごい気にな。 ああ、そういうのも知りたい。他のジャンルも色々知りたいね。 そうなんです。はい。興味ありますよ。 で、初回のゲストなんと トンネルズのきなさんにお越しいただいております。 はい。はい。はい。 た山さん、きさんともお友達じゃないです。 いや、お友達じゃないです。もうずっと世話になってる大先輩ですけど 関わりが深いテーマといえばもう あんまり歴史とかそんな聞いたことないけど話さないんじゃないの? ええ、そうなんですか。 あんまりそういうことはあんまり話したことはないですね。 プライベートでもないですか? プライベートはもう本当に毎回ハワイ行きてえな、ハワイ行きてえなってお互いに話してるだけです。 あ、じゃそんなこういう歴史とか深い話みたいなのは たまに聞くよ。俺が俺の記憶の中であれのさん、あのテレビの時ってどうだったんですかとか我々見てたね、少年時代見てたようなそれは聞いたりしますけどでもあんまりそこがメインってわけじゃないよね。あそこの飯うまいだ。こないだ飲んだ時こうだったわ。 へえ。 あ、ハきたいないのを大体もおじさん 6人ぐらいで、ま、 1 回同じ話をしておりますけどね。そうですよね。 ま、サッカー部とかだからね、サッカーの話かその辺のね、学生時代の提供時代の話とか はい。そういうのもあるかもしれない。 お聞きしたいですよね。 で、番組の後半では田村政作所の歴史も掘り起こしていきたいと思います。 田村政作所さんは神田さんなんかラジオと非常に深い繋がりがあるんでしょ。 で、我々が今この収録している TBSの第6 スタジオっていうとこなんですけども、 ここのミキサーとかが全部田村政作さんの製品という そうなんです。まさに今田村政作の機材でこの声が収録されているんです。 そういうことなのね。 そうなんです。田村政作さんがなかったらもうラジオないかもしれない。 はい。ていうことですよね。その歴史みたい、歩んできて歴史みたいのもなんか面白そうですよね。ラジオの機会の歴史。 そうです。なので楽しみにしていてください。 ということでCM の後は本日のゲストきな典たさんの人生の歴史そしてきなさんに関わりが深いテーマの歴史にも迫っていきたいと思います。 お楽しみに。田村製作書プレゼンツカンニング竹山神田愛花 100 年ラジオ紹介。ここからはゲストの登場です。今回のゲストはトンネル図なしの典さんです。 どうもなしです。 よろしくお願いいたします。第1 回目よろしくお願いします。 本日はおめでとうございます。 あ、い、あ、どうも。ありがとうございます。ありがとうございます。なんかすごいこうなん医者提供の そう。すごい。 田村政作所さんのおかげで本当に もうなんかさっき聞いたら田村政作所さんがああいうラジオのこのなんか卓をの機会を 作って聞いたんでね。そうなんですよ。 ちょっと1つ2つもらおうかな。 いや、もらってもらっても使い道ないですよ。我々は ラジオさにかさん初めましてだよね。です。はい。お世話。 そう。それ2人初めてなのね。 テレビ出てますから。 その前からですけど、なんと旦那さんとはよくね。 そうですよ。旦那とは古いもんね。 ほぼほぼつるんでましたよ。 2 人で行ったりに乗ります。本当にありがとうございます。ちっちゃい隊から拝見しておりました。 ですよ。本当に存在するんですね。 はい。存在しますよ。でもそうね、我々そういう世代だからね。小さいとこから見てるとやっぱ本当にダてなりますよね。なります。もない。 ではのたさんのプロフィールを私からご紹介さん一応決まりなんでね簡単なプロフィールだの小さい方だけど 77あるっていうのだけでいいよ。 いやいやいや。 あら、随分大きいのね。伸びたって言われんですよ。 最近最近最近言われんだ。ええ、63 歳なのに伸びた。伸びた。 あとサッカーの方よ。そうですね。 サッカーの方。 野球の方じゃなくてサッカーの方。 サッカーの方。いや、ちゃんとご紹介させて。 さん、今一生懸命直してっから。今直してます。 さん直してるはずです。今一懸直してる。 木たさんは1962年3月9日までの現在 63歳でいらっしゃいます。 石橋高明さんとのコンビトンネル図として数多くの人気番組を世に送り出し日本のバラエティ会を設見。お笑いのみならず歌手俳優そして画家としても国内だけでなく 2 度の海外古典も成功させるなど他方面でその才能を発揮されていらっしゃいます。よろしくお願いします。 いやいや、基本的に全部バイトなんでね。 そう。あ、じゃ、そう言えちゃうのがすごい。 いやいやいやいや。本業はあの、その自転車屋なんだよ。え え、あの、自転車屋の長男なんでね。 うん。うん。あの、 お店に立ってらっしゃるんですか? いや、もう時間ある時は お店帰ってますよ。 お店はさんのもんですよね、あれ。一応 そうですよ。 あの県みたいな、乗りたさんが社長ってことです。未だに。 そうです。そうですか。 そんなも人に歴史ありということでさんのこれまでの人生で忘れられない出来事についてお話伺っていきたいと思います。 そんなそんな素敵な番組だったんだ。 はい。そうなんです。 まずはですね、 哲の部屋のラジオ版みたいなもんです。 へえ。やっぱりお聞きしたいのはさんそ聞きたいこといっぱいあるでしょ?初めてます。 聞かなさんと高さんがコンビトンネルをされた 1980 年ですか?80年ですか? いや、わかんないです。80年。 いや、でもそれくらいじゃない?80 年ぐらい。私生まれた年なんですよ。8 年。 ま、ネって名前になる前には高明たぐらいから、ま、 18歳からスタートなんで 高校で出会って、提供で出会って、 え、そっからなんとなく素人参加番組ああ、オーディション番組なんとなくトンネルって名前になった ていう。があれですよ。 で、売れるまでがすごい早いですよね。 早いんですよね。トンネルにさ、いくつで食えるようになったんですか? [音楽] 18 でなったんでしょ?トンネルって高校卒業でトンネルでしょ。 で、なんか、あの、なんつうだろう。それこそ赤坂の レストランシャーターがそこにあるんですけど、 TBSさんのすぐそばの レストランシアター。 ええ、そこにショータイムをやって、ナツきまさんとか、 そう、そう、そう。言ってた。 参巡りさんとか中尾さんなんかがゲストで 1 ヶ月で行ってダンサーの人たちが外人の皆さんたちも踊ってそして、え、フレンチを食べながら、賞ワインを飲みながら見るところで、 え、古くはもうこれすんごい説明から入りま、 おぼんコボンさんが10 何年やってたんです。タップタップダンスとかたけてるじゃないですか。お、おぼさん歌も歌うから。 大人の賞ですよね。だから、 え、そこに急にそこにぶっ込まれた。 急にま、お盆さんたちがテレビの世界へ行く。 はい。ョン始まってみいで。 へえ。 え、そん時に私は、え、就職してたんで、 お に。あ、そうなんですか。 高さんの方はセンチリー、あの、新宿ですか?ちゃんと俺言ってもしょうがないけどホテルマンですよ。撮ってたんですか? で、この先だと多分2 時間かかるんで、本でも呼んでください。ほ [笑い] ん。で、オーディションとかあってやめて ま、やめましょうよみたいな話で。 あ、会社をやめましょうよ。 そうですね。いや、食べていけそうだと。 食べていけるかいけないかがすぐなんかお金とかもらってたから。 はい。で、バイトしたとかそんな経験ないんですよね。 全くないです。で、23 ぐらいからもうドーンと行く。1期とかが 23ぐらいでしょ、あれ。ええ。え、 俺ナイト。そこが音楽が入ってくるのか。 音楽入ってきたら、俺と富士出たりとかそぐらいですか? [音楽] あ、そうですね。 ほら、もう早いんですよ。 もうそっからスターですもん。 なんかあの、今のその若手芸人さんとかって芸風に悩む時期ってあるじゃないですか。 はい。 こういうゲをしとなんか売れなかったからこうゲを変えてみたりはい。そういうことはないわけですか?トンネルさんは俺ら何やってたんだっけな。あ、モノマネ最初 [音楽] パワーってやってましたよ。モ ノマネとか漫才もやったことないんでどっちがボケも そのなんだろうあのツッコミとかもう その都度その都度コトやってましたよね。 ああ、なんか今度やれた後半、え、モノマね連発してたのが少しちょっとストーリーのあるコトを、 ま、やってみると真似ごでスタートしてったのが石橋さんなんかはもうあの中学時代から出てるから。 え、素人参加番組。そうなんですか。 それで1 人で、え、テレビジョッキーとか出てギターもらったりジーンズもらったりで勝ち抜いて 日曜の昼間にあったのよ。 で、そこの横にいんのは、え、そうですね。柳さし信吾ちゃん。 そう、そう、そう。 [音楽] 先輩には、え、竹中ナウトさん、 そう、銀座ナウって番組があって、 この辺の時代なんですよ。 で、俺はそれは見てたわけ横でこうやって高き勝ってったなんてだ、サッカーやってたから高校 2年やり分かってったなつって3 年あたりで俺もま、選手権が終わってさあどうしようかな会社かなんて言ってる時に 2 人で出る番組があったんで出ないな。あ、出る出る出る。なんかくれるからウォークマンくれるから出るみたいな そんなスタートです。 だから今みたいに今の若手の子みたいに 2 人で学校行った云んでコンビ組もうぜつってやろうぜっていうノりではなかったってことですか?学校同士の面白い 2人がちょっとあのオデション上2 人で俺も出てるのも出てるじゃ一緒に 2人で出てみねえかみたいなそり そうそうなんです。2人でテレビ東京の え番組のオーデションにま来いって言うからも 来てみたらどうだって言うから 2人で行ったんですよ。 マネージャーなければさんが 18歳だ。はい。はい。行ったら100 人ぐらいのこれからさ、オーディション受けるんですが椅子に座ったり横に立ってたりして 1つの部屋に並んでんの。 そこにガチャンって石橋と俺が 2 人入ってってバーンって入ってったら全員こうやって振り返って 高明のこと全員知ってるわけ。 素人同士で有名だから。う、 素人チャンピオンだから うわし来たみたいな。 うわ、猪の石橋だみたいな。 それ横で見てるわけ。 その 時点でその時点でもう戦いは勝ちい勝ち きなさいな。 そこの部屋には野沢直もいたらしいです。 へえ。同じ年代をいるからね。 へえ。 逆にア焦りみたいのはなかったんですか?相方さんがそんなにもう有名でで自分はア焦りとか別にないわけです。 あるわけないじゃん。 あるわけないんですか? うわ、すげえ。石しましさんみたいなね。 あ、そんな感じ。 はい。どきなさい。ジャーマネだよ。ジャーマネ。 はい。どいて。あ、そこちょっと開けてなんつって。今座るから。 すごい。へえ。 ネタやってやっぱ受けたんですか?周りのその子たちも笑ってたんすか? うん。うんとね。そのまま部屋でやったのか、隣の部屋に呼ばれたのか ちょっとあれなんだけどもうなんかあの審査する人たちも高きのこと知ってるわけ。あ あああで従ってあの100 何組中じゃあ来週とか再来週の撮影取り行ってみようかつったの 2組ぐらいだからうちらと誰かみたいな。 あ、もうでもそれで決まったんだ。 もうもうもうすぐスルーだから。はあ。 すごいですね。 なんか、なんかそういう18歳、19 歳をえ、くそ。その話も俺さ、ラジオってこういう風にやるんだ。 いや、あの、聞いてくれる人がいると 大体さん何にも俺のこと聞かねえから。あの、それが朝のラジオの方がちょっと普通のラジオよりちょっと違うんです。と、 ラジオってこういうことです。 ところが不思議なもんで、その俺が生まれて初めて出たテレビ番組ってのが 司会が所さんなの。ええ、テレビとさんが 256かな。俺らが18だから24かな。 初めてのレギュラード番組のドバドバ大爆弾っていう。 へえ。 なんかネタをやって値段がついてゲームやって成功したらはい。 70万円みたいな。 そういう、え、大手日さんの番組ですね。 はい。へえ。 今は笑ってくらえてとかやってます。え ええ。未だにだからこのたちと、ま、番組長年やってますが 出出しはそこですね。 不思議ですね。 でもそれから何十年も経ってもう毎週土曜日にとさんと一緒にね、仲良くラジオやって 2 人で音楽作っていろんなね、アーティストやって若手でやってるんですもんね。 こういう風にプロジェクトってのはあの高やってたから あ、リーダーがね。 ま、秋本さんがいたり、 え、新しいグレーターがいたり、いや、これやったらトンネル面白いんじゃないかなってのが、まあも石橋さん担当だから 高さんからでトンネルはこういう方向に行くぞって言って、音楽知り合いもすごい近くに、え、プロデューサーたんで、あ、とんで音楽行そうと。で、ま、ネタ番組やら音楽とダブルになったからうわ、楽しい。カッシュのバイト楽しいってキャーとか言われてるみたいな。そっからスタートですよ。 ええ。 これこい聞いたんだけど初めて音楽の ツアーライブみたいなのもあった 色々ま全国回らさせてもらったんだけどその初めてのライブのツアーの福岡のお客さんに 竹山が見に来たのよ。中学 中学時代に福岡ですって言って当時 2000 人ぐらい中で言うと中野サンパラみたいところで 大雲してるとこですか? えの横のでかい当時福岡で 1 番でかいホールにトンネルズがやってきたのよ。 客入ってなかったのよ。嘘、本当1/3 ぐらいしか入ってなくて、その1/3 だから俺たのよ。え、 でも翌年やったのよ。 チケット取れないのよ。その1年でも それはなんでかつったらバッてステージ出てったら お客さんがパラパラ後ろの方開いてたから はい。ふざけんなと。はい。 お前ちゃんとしろよお前つってこっちは一生懸命回ってんだから。 東京で大たよトンネル。 え、誰に言ってるんですか?それ。 いや、お客さん、お客言。お前らいい加減にしろと。な んで来てねえんだよって。呼んでこいよ。 ああ、知り合いと すげえ。お前来た時本当に満杯になってないと許さないからなって。 言ったんです。 言ったら満杯になってたね。 え、それどうして行こうと思ったんですか? いや、俺はトンネルさんが好きだったから。 元々テレビに。 そうだ。兄貴がこっちに大学生で住んでたりして兄貴に来たりして俺と藤士とか見てたのよ。あは。 で、トンネルですげえって言ってけど、福岡にはまた浸透してなくてこっち関東ローカルが多かったから。 なるほど。なるほど。 なのに全国ツアー行くって無謀なね、 時代だから九州だったら長崎も行って宮、え、福岡行って鹿児島行ってみたいなこうツアーがあるわけです。バス乗っかって [音楽] うん。はい。 そこのバスの後ろのバンドにうちらのバンドの、 え、コーラスとベス担当のバンマスはドリカムですよ。 はい。ええ。ああ、中村っちと美が 中村と美わが バリバリい音とすげえ最高のコーラスでやってくれたじゃ。 ドリカム前ってことですか? ドリカム前です。 ドリカム組む前のアーティスト時代 スタジオアーティスト でトンネルズのコーラスの前にキョんキョンとも一緒にやってるからです。同じなんですか?イベントというかそういう仲間たちがいてあじゃあ今度のこのトンネル図歌手じゃないけど面白そうだからやってみたらつったら来てくれたみたいで。 へえ。 で、バスの中で移動してるところで車に乗っかれながらなんか中村と話してたらねえねちゃん今度さもうバンド救って行くからあの新宿でやるから来てねとか必ずすげえことになるから見ててねっつったのがどれか中村ですね。 [音楽] ええ、すごい。そんな時からも 青春時代すごいリンクするんですね。だから そうなんですよね。 同じ時代をね、こうんだ人たちは でも絶対にありません。挫折が。 挫折。 こんな大イスターでもそういう瞬間がある。え、書いたりした時期はちょっとあれですか?ちょっと 1 回離れようじゃないけど、ま、ちょっと自分の世界に入ろうみたいなな、なんかあったんですか? 全然最高の暇つぶしなんですよ。 は、ちょっと待って。 いやいやいや、もうそれも全て番組のワンコーナーであのまえ、岡本太郎さんが芸術が爆発だって爆発させればいいんだって言って番組の中で爆発させながら作品を作ってったらまんまとそこから、 え、未だに生の時代から始まってたのが今同じようにやってそう。 やっぱりあれですね、人生の先輩方とも常に会うことで色々吸収されて うん。もうあるでしょうね。ついたっていうね。 [音楽] 今ね、あの、またちょっと音楽活画像始まるんだけど、 これが、えっと、 6月ぐらいから、6月5日にあ、 ことは放送今抹中だと思うんですけど、 JRAさんから、あ、 これですか?JRAさんから8きまして、 あ、へえ。パットで買う20 周年のちょっとイベントで、 ね、スマホで買えるのよ。 それでちょっと20 年経ったっていうちょっとお祭り騒ぎするんで、そのイメージの音楽を、え、私ボーカル担当と、え、ミュージックビデオも撮ったりして、 え、ちょっとこの歌で いつもあの新浜レオンとさんの流れで演化チーム じゃない方で全然関係ないチームで、 あの、ちょっとみんなダンスで踊りながら で、死の内容は伝説のレースをレースだけじゃなくて一緒に盛り上がっていこうっていう、そういうちょっと音楽 お6月5 日に配信が開始されていますきなさんの新曲振りをお願いします。 いやいやなんだっけな。曲なんだっけ?これでこれで ちょっとこれでみんな後半戦ね、え、上がって盛り上がって、え、自分の、え、ダービーなんかもでっかいレースがいっぱい来ますから盛り上がっていきたいと思います。え、ファンファーレ聞いてください。 はい。 きなさんの新曲ファンファーレお聞きいただきました。 すいません。ありがとうございます。さあ 、田村制作署ンツ100年ラジオ紹介。 この後は田村政作署の歴史も掘り起こして いきましょう。人に歴史あり、物に歴史 あり、会社に歴史あり。2024年5月 11日に創業100周年を迎えた田村政作 署。その歴史は未来への挑戦の連続でした 。ここではそんな田村政作書の挑戦の奇跡 を紹介していきたいと思います。第1回と なる今回は時計の針を1924年に 巻き戻してみましょう。 ラジオナイtomeユ。 1924年対象文化が鼻開き映画館や美術 館などの文化施設が次々と建設されていた この年。現在の東京都新宿区長に田村政作 署の全進である田村ラジオ紹介が開用し ました。創業者である田村徳松はこの時 37歳。島根県で生まれ育った徳松は幼い 頃に父親をなくし、家計を助けるため 20十歳にしてたった1人で遠く離れた 異国の地アメリカへと渡ります。これが 朝鮮の始まりでした。 アメリカへ渡った徳松は様々な仕事をし ながら故郷への仕送りを続けていましたが 、やがてアメリカの技術を学び退得しよう と考え、自動車工業の中心地であった中西 部の都市デトロイトへ向かいます。自動車 製造の現場で技術者として検算を重ねてい た徳松はこのデトロイトの町でその後の 人生を大きく変えることとなる経験をし ます。それがラジオとの出会いでした。 1920年デトロイトでラジオ局が解局し 、人々の間でラジオが急速に普及していく 様は若き徳末の脳りに戦列なインパクトを 残したのです。 それから2年後の1922年35歳となっ た徳松は祖国日本へと帰ってきました。 デトロイトでの経験から日本にもラジオの 時代が来ると予見した徳松は1924年 海外から最新のラジオや部品を輸入販売 する田村ラジオ紹介を創業します。実に 日本のラジオ放送が開始される1年前の ことでした。 創業者田村徳松の常に新しいことへ 飛び込んでいくチャレンジングな姿勢。 まさにそれが田村政作所の石となっていたんです。そして田村政作の未来への挑戦はまだまだ続きます。次回をお楽しみに。そろそろエンディングの時間になってしまいました。 はいはいはい。もう終わっちゃった。 はい。きさん皆さんにあのお伝えしたい告知など え展覧会やります。え、 7月のね、19 時から大阪からスタートして多分 23年かかって東時帰ってきます。 23年あるん、 その出しが大阪、え、確か前回の 2、3 年前もそういうスタートだったんですけど、大阪スタートして、 え、タッチというタイトルで触れる後のものとかそういうのもありますし、 えっと、人のさっき言ってたコラボ、え、山波てあの知的障害のチームと 100人体制んですね。 その作品と、ま、俺の作品と混ぜたり、俺が触らしてもらったり、 え、コラボの新作と、ま、昔の作品なんかも美術館でやりますんで、そこ数やりますんで。東乗りた店のタッチ詳しくは公式サイトご覧ください。 そしてもう1 つありますよ。ありますね。んすか?ああ。ああ。あ、これ、これ、これ、これは俺も楽しみにしてんだ。 お、東京フィルハーモニーと オーケストラのライブを。はい。 ま、あの、つものバンドのチームじゃない本格的な東京フィルフハーモニー、これ 100人体制で、 え、きなクラシックというですね、え、これも場所がですね、オペラシティですよ。 は、東京オペラシティコンサートホール 9月3日。 これ余計なことやったら怒られますよ。こういうとこは すごいね。優勝正しいとこですからね。あの、飲み物もこぼしたら怒られますよ。これ 飲めないじゃない。 ここで、ま、素敵なちょっとゲストと、え、何人かとですね。 はい。 受演が竹さんで式が三橋子さんで演奏が東京フィルハムに公共学も新鮮な組み合わせですね。 すごい。この三橋さんは前回ももちろん、え、もう 2 回、え、振っていただいたんですが、ま、ヨーロッパで活躍して、え、なぜ俺と組んでくれたのかが、え、不思議なぐらいに素敵な。 でも、あの、なんつうか、あの、言う通りありますんで、あの、ドラムがリズムがないんでね。 2 番入りづらい時にはちゃんと後ろ向いてはいって言ってくれますから。 ま、でもチームできてますからね。 そうですね。音楽方面も、 え、ちょっと本気に やってみようかなと思っております。9月 3日是ひお越しください。 すいませんね。宣伝活動。 いや、さあ、ゲストの乗りたさんと共にお送りしてまいりました。今回の 100年ラジオ紹介。この2 人なら安心だわ。あら、嬉しいこと。 さすがだわ。俺が万が一この番組やったら自分のことばっかペラペラしてないから。 ごめんなさいね。本当に楽しかったです。 でもまだまだやっぱ聞きたいことがありましたのでなんと次回もなさんゲストにお願いします。 1つお願いいのいいの?来週もう お願いします。このままいれば大丈夫ですから。このままいれば 1週間経ちますから。お願いします。 よろしくお願いします。お願いします。 ではまた来週お耳にかかりましょう。さよなら。 さよなら。Ja.