たどる記憶つなぐ平和#26「戦時遭難船舶と台湾有事」

たどる記憶つなぐ平和#26「戦時遭難船舶と台湾有事」



2025年06月20日 放送

 シリーズ「たどる記憶つなぐ平和」です。戦時下に海の上で犠牲になった船「戦時遭難船舶」を取り上げます。

 台湾有事の住民避難も取りざたされている中、この事実をどうとらえるべきなのでしょうか。2023年に放送した特集を一部再構成してお送りします。

 「どんなに船でですね、避難しようといったって、ミサイルの攻撃に遭えば、避難なりの話じゃなくて、ほとんど海で犠牲になってしまう」

 こう語る、名護市に住む大城敬人さん。太平洋戦争下の1943年12月、アメリカ軍に撃沈された定期船「湖南丸」に乗っていたおじを亡くしています。

 那覇から鹿児島に向かっていた「湖南丸」。遺族会が戦後に発行した資料には、数少ない生存者の証言が残されていました。

 生存者の証言録「月夜でしたので、顔の表情はわかりませんが、たくさんの人たちが筏にすがって泳いでいました。船はしばらくして船首を上にもたげて沈んでいきました」

 1995年に県が設置した委員会がまとめた報告書では、県関係で戦時下に撃沈された定期船などは26隻。県民の犠牲者は少なくとも3427人に上っています。「湖南丸」のような本土と沖縄を結んでいた定期船「対馬丸」のように疎開する人を乗せた疎開船、日本が植民地支配していた島々からの引き揚げる人を乗せた引き揚げ船などが米軍の標的になったのです。

 こうした海での犠牲の実態は、船舶会社の事故報告書が見つかる1980年代までほとんど解明されませんでした。大城さんはその背景をこう語ります。

 大城敬人さん「海軍が機密主義で、一切事故については報告されない明らかにされなかった」「風の便りで亡くなったらしいといっても、葬式を出そうというものなら、憲兵が来て、それを阻止する。止めろと。これは公表されていないもんだと」

 湖南丸が沈められた当時の沖縄近海の状況を示す資料が、県公文書館に収められています。湖南丸を沈めた、アメリカ海軍の潜水艦・グレイバックの行動記録です。湖南丸が沈んだ鹿児島県・口永良部島沖に「ATTACK(攻撃)」の文字が刻まれています。

 潜水艦は1943年末から44年の初頭にかけて、南西諸島各地で商船などを攻撃しており、沖縄への米軍上陸前から周辺海域がすでに戦場だったことを物語っています。

 「湖南丸」での県民の犠牲者は560人以上。少年飛行兵を志願した若者や、軍需工場に動員される人たちなど、戦争に協力するため移動していた人たちがほとんどでした。名護市議を務める大城さん。市民から相談を受けたことをきっかけに遺族の補償問題に取り組んでいます。

 大城敬人さん「国の戦争政策・総動員令で犠牲になっている」「国に責任があるんだと。何年たったからもう知らん顔するなんていうことは、許されないんだという思いで、いつも訴えているんですよね」

 いま、台湾有事などを念頭に、国民保護法に基づく有事の住民避難の議論が進んでいます。

 与那国町住民「危機が迫って、万が一こんなことになってしまった場合には、私たちは民間と軍は、一緒には逃げられないということは確かですよね」

 大城さんは台湾有事の住民避難と戦時遭難船舶の被害の実相を重ね合わせてみていました。

 大城敬人さん「南西諸島島しょ作戦ということで、島々を利用して戦闘する・展開するっていうんですが、それによって多くの県民が犠牲になるということとが分かりながら、戦争に巻き込むという状況下で、船で避難するなどということはさる戦争における戦時遭難船舶の実相というのを状況に見るにつけ、ほとんど県民の命を守ることはできないんだと」「ミサイル攻撃に晒されれば、戦前のあの大戦の時の比ではない。海での犠牲は。そういうことから鑑みれば、避難ということは無謀だと」

 那覇市の公園には、戦時遭難船舶の犠牲者を追悼する海鳴りの像がたたずんでいます。毎年、6月23日に執り行ってきた慰霊祭。再び海で県民が犠牲になる懸念を抱えながら、大城さんは海に消えた命を弔い続けています。

 大城敬人さん「台湾有事を作り出さないような国の外交力を利用し活用して、しっかりと県民が安心して安全に暮らせるような、そういう状況を作ることこそが、政治としても政府に求められているんじゃないかと思うんですよね」「国に対して犠牲になられた方々の補償などを要求してきても、国は責任を持たない。家族の遺骨がかえってくることはない。」「これをさらにまた多くの犠牲者を生むというようなことはね、あってはならないと。そう思うんですよね」

 大城さんら戦時遭難船舶の遺族会はことしの6月23日も、慰霊祭を開く予定だということです。一方でことし対馬丸記念館の調査で、1995年の県の調査とは別に、少なくとも沖縄関係の船5隻が被害にあっていたことがわかりました。

 戦後80年の今、戦時下の犠牲をなかったことにしないためにも、改めて詳細な調査が必要になってきています。

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続いてシリーズたどる記憶つなぐです戦に海の上で犠牲になった船南泊を取り上げます 台湾有事の住民避難も取り沙汰されている中この事実をどう捉えるべきなのでしょうか 2023 年に放送した特集を一部再生してお送りします どんなに船でですね避難したってこのミサイルの攻撃にあればね避難の話じゃなくてほとんど海で犠牲になってしまうと もうそろそろ案内こる名に住む大吉さん 太平洋戦争の 1943年12月アメリカ軍 に激沈された定期線コナン丸に乗っていた 叔父をなくしています 那覇から鹿児島に向かっていたコナ丸 遺族会が戦後に発行した資料には数少ない 生存者の証言が残されていました 月でしたので顔の表情は分かりませんが たくさんの人たちがい方にすがって泳いで いました 船はしばらくして選手を上にもたげて沈ん でいきました [音楽] 1995年に県が設置した委員会がまとめ た報告書では県関係で戦に激沈された定期 戦などは26席県民の犠牲者は少なくとも 3427人に登っています コナ丸のような本土と沖縄を結んでいた 定期線 津島丸のようにする人を乗せた線 日本が植民地支配していた島々から 引き上げる人を載せた引き上げ線などが アメリカ軍の標的となったのです こうした海での犠牲の実態は船舶会社の 自己報告書が見つかる1980年代までは ほとんど解明されていませんでした 大城さんはその背景をこう語ります 海軍が鬼滅主義で一切 事故についてはえその報告されない明らか にされなかった家の頼りで亡くなった らしいと言っても葬式を出そうというもの なら憲兵が来てそれを阻止するやめろと これ公用されてないもんだ コナン丸が沈められた当時の沖縄の状況を 示す資料が県公文所間に納められています コナ丸を沈めたアメリカ海軍の潜水艦 グレイバックの行動記録です コナン丸が沈んだ鹿児島県口の選ぶ島置き にアタック 攻撃の文字が刻まれています 潜水艦は1943年末から44年の初島に かけて南世諸島各地で小戦などを攻撃して おり沖縄へのアメリカ軍上陸前から周辺域 がすでに戦場だったことを物語っています コナン丸での県民の犠牲者は560人以上 少年非公兵を支願した若者や軍事工場に 同員される人たちなど戦争に協力するため に移動していた人がほとんどでした 名市を務める大城さん市民から相談を受け たことをきっかけに遺族の保障問題に 取り組んでいます 当然国の戦争政策 騒動委員でそれに基づいて犠牲になってる わけですね 国は責任があるんだとこの何年経ったからもう知らんかするなんていうのは許されないんだという思いでいつも訴えてるんですよね え次のページ27ページを 今台湾裕有事などを年頭に国民保護法に基づく有事の住民避難の議論が進んでいます こういうが詰まってもし万こんなことになってしまった場合には説は民間党は一緒には逃げられないっていうことは確かにですね [音楽] 大さんは台湾有二次の住民避難と戦争遭難の被害の実想を重ね合わせて見ていました やっぱりこの今裁判有事とか うん南性所党当初作戦ということでま島々 を利用して戦闘す展開するっていうんです がそれによって多くの県民が犠牲にな るってこと分かりながらその戦争に 巻き込むという状況化でその船で避難する などということはこの猿戦争における千 遭難船舶の 実装というのを状況から見るつけでえ ほとんどその県民の命を守ることはでき ないんだとミサイルの攻撃にさらされれば その戦前の あの対戦の時の日ではない海の犠牲はそう いうことから考えればこの 避難ということはその無謀だと 那覇市の公演には戦治遭難船舶の犠牲者を 追する海鳴りの像が佇んでいます 毎年6月23 日に取りなってきた慰霊祭再び海で県民が犠牲になる懸念を抱えながら大城代さんは海に消えた命を伴い続けています 台湾有事を作り出されないような国の外交力を利了しあ活用してしっかりと県民が安心して安全で暮らせるようなそういう状況を作ることこそが政治としても政府に求められてるんじゃないかという風に思うんですよね これに対してこの犠牲になられた方々の保障などを要求してきても国は責任を持たない もちろん家族のイコスが帰ってくるわけで もないこれをさらにまた多くの犠牲者を 生むというようなことはねあってはなら ないとそういう風に思うんですよね 大さら戦遭難 の遺族会は今年の6月23日も異祭を開く 予定だということです一方で今年津丸記念 館の調査で1995年の県の調査とは別で 少なくとも沖縄関係の船5が被害に合って いたことがわかりました戦後80年の今 改めて詳細な調査が必要になってきてい ます

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