【ゆっくり解説】邪馬台国近畿説

【ゆっくり解説】邪馬台国近畿説



邪馬台国近畿説を解説します。

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歩いて学ぶ日本古代史 1: 邪馬台国から大化改新まで
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邪馬台国が絶対に見つからない理由

侏儒国『魏志倭人伝に登場する謎の小人の国』

交易から見た邪馬台国

親魏倭王

親魏大月氏王

狗奴国東遷説

卑弥呼共立の謎を解く

邪馬台国一万二千余里の謎を解く

倭人の入れ墨から見た邪馬台国

邪馬台国最大の謎『水行十日、陸行一月』

神武東征

神武天皇の崩御『後継者の行方』

伊都国が分かれば邪馬台国の場所が分かる

倭種

朝鮮半島から見た邪馬台国と卑弥呼

卑弥呼と神功皇后の同一人物説

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25 comments
  1. 九州にあった邪馬台国は、纒向の偉い人が痕跡を破壊したから見つかりませんよ!女が支配したなんて困るからね😅
    九州の古い昔話で語り繋がれてだけど今は誰も知らない😂鹿児島生まれだけど子供の頃に聞かされてたよ!

  2. 邪馬台国自体が存在してない派は高みの見物。存在してないからこそ考古学と歴史的資料の矛盾が生じる。

  3. 考古学では近畿説で決着がついていて、九州説を推してるのが一部の在野史家やインターネットの人達って時点で、色々もう答え出てるんだよなぁ。

  4. 興味深い本の紹介ありがとうございます。

    ちょっと読んでみましたが論文形式のマニアックな古代史ゆかりの地の観光案内といった体の本ですね。

    ただ最新研究成果の記述はそれほど多くなく10年、20年前のものが中心だなと感じました。
    多数決では決まるわけではないのに畿内が優勢だと書いてしまうのもどうなんでしょうね。

    邪馬台国畿内説の最新研究成果に限れば2025年1月に発売された「新・古代史 グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト王権(NHK出版新書)」が網羅的に紹介されておりオススメです。
    研究者へのインタビューを交えての構成で非常に読みやすいです。

    この本には纏向遺跡の発掘は2%程度であると見積もられていることが書かれています。
    北九州には有力な遺跡として那珂、吉野ケ里等があります。
    しかし大半の考古学者は纏向の残り98%から何か出てくるかもしれないという期待を込めて畿内説に「投資」しているのではないか?それが畿内説が優勢であるという認識の正体ではないのか?と思いました。

  5. 遺跡の規模で言うと近畿で決まり!…と言いたいけど出土品(鏡や武器)だと九州なので困ります。なので、その二か所以外の気がします。。

  6. 標高から考えて、吉野ケ里近辺よりも筑後川左岸、久留米ー八女、の平野部のほうが大きな人口を抱えられそうなんだけどなぁ
    博多で2万なのも今と比べて海がでかかったから……かもしれない
    そんで、筑後川、有明海が内陸まで広がっていたなら、太宰府から南下したところに海水が満たされた入江、があるような気がする

    近畿説が纏向に囚われているように、九州説の一部も吉野ケ里に囚われてるのかも……それもこれも、考古学上は遺跡が見つからないと
    お話にもならない妄想、で終わってしまうから仕方ないんだけども?

  7. 12000里にある女王国は
    代々王のいる伊都国平原遺跡
    壱岐対馬の方を足すとピッタリ12000余里になる

    1~3世紀の文献のツギハギだから読みにくいのよ

    魏の同時代資料である景初-正始年間の記事を素直に解釈すれば邪馬台国は大和(纏向)以外ありえない

  8. 魏鏡
    ・青龍3年(235年)方格規矩四神鏡→安満宮山古墳(大阪)
    ・青龍3年(235年)方格規矩四神鏡→大田南5号古墳(京都)
    ・青龍3年(235年)方格規矩四神鏡→出土地不明
    ・景初3年(239年)画文帯同向式神獣鏡→和泉黄金塚古墳(大阪)
    ・景初3年(239年)三角縁同向式神獣鏡→神原神社古墳(島根)
    ・景初4年(240年)三角縁盤龍鏡→広峰15号墳(京都)
    ・景初4年(240年)三角縁盤龍鏡→宮崎県から出土と言われているが不明。
    ・正始元年(240年)三角縁同向式神獣鏡→蟹沢古墳(群馬)
    ・正始元年(240年)三角縁同向式神獣鏡→竹島御家老屋敷古墳(山口)
    ・正始元年(240年)三角縁同向式神獣鏡→森尾古墳(兵庫)
    ・正始元年(240年)三角縁同向式神獣鏡→桜井茶臼山古墳(奈良)

    呉鏡
    ・赤烏元年(238年)対置式神獣鏡→鳥居原狐塚古墳(山梨)
    ・赤烏七年(244年)画文帯対置式神獣鏡→安倉高塚古墳(兵庫)

    こちらもご参考にして下さい。

  9. 大分県日田市日高
    大分県日田市が卑弥呼の生誕地。卑弥呼の土地、田だからヒタ市
    胡散臭い人間が関与したから学会から黙殺されているが、日田市から卑弥呼の鑑が出土している。
    卑弥呼は、天狗伝承福岡英彦山の天狗、つまり古代キリストユダヤにさらわれ特殊な能力を身につけ、日田市のお隣、福岡朝倉に移動した。福岡朝倉は昔から卑弥呼の里で町おこしをしている。
    卑弥呼はさらに佐賀に移動、何らかの理由で天草経由で熊本阿蘇に移動。たとえば豊前豊後は地続きだが、佐賀肥前と熊本肥後は地続きではない。卑弥呼前期肥前、卑弥呼後期肥後。
    卑弥呼は日を観る巫女、火を観る巫女、シャーマンだから占う火がある火山が近くにある必要がある。
    熊本阿蘇に行けば本能的に邪馬台の意味がわかる。山と城壁みたいに取り囲む台地。やまたい。
    古代都市は土地争いが激しかったはずだから、早くから土地はきちんと区画されてるはず。朝倉や阿蘇は広大な土地がきちんと細かく整備。
    阿蘇国造神社。
    大分県国東市。国の東と書いてクニサキと読む。クニの先端。宮崎日南市は真南ではない。古代人は我々と方向感覚が違うかも。国東と日南、つなげて阿蘇にクニ。鹿児島北部にはクニミの地名もある。
    神話の里、宮崎高千穂。神楽や天狗の造形は古代キリストユダヤがいなければあり得ない、だから体系的な神話。キリスト系シャーマン卑弥呼は、ときおり宮崎高千穂に行っていたかも。耶蘇教、阿蘇、邪馬台
    南阿蘇にはおそらく敵対勢力がいた。
    古代人は中国から知識を得る必要がある。しかし近いと攻められてしまう。だから中国には遠いと思わせるようにした。

    邪馬台の民は何らかの理由で大分方面に移動。大分県耶馬渓
    宇佐で別の部族と戦闘、卑弥呼は亡くなり埋葬。宇佐神宮。後継者トヨ、豊の国大分
    大分の別府は昔々からいまも街全体が温泉の硫黄の強烈な匂い。古代人からすれば別の府、地獄の入口。その先は死国。
    邪馬台の民は別府を避け北九州へ、思い切って下関から中国地方へ
    出雲あたりに侵入してきた部族と戦闘。そこで鉄の存在を知り、もってきた青銅を大量に廃棄。
    邪馬台の民は破れたが、いまの皇室に連なる部族は、邪馬台人の異能を認め、国譲りだと捏造。エセ邪馬台としてなりすまし。我々はシャーマン卑弥呼の正統な後継者、ヤマトだと主張、近畿に移動。卑弥呼と倭の湖、卑倭湖。優秀な邪馬台人は殺されずに雇われた。
    天草…熊本阿蘇…宮崎の高千穂や阿波岐原。
    淡路島…畿内…伊勢。地形を連動させた。阿蘇の倭だからアワ
    皇室は重要な事項は宇佐神宮から神託を受ける伝統。こんな感じかな?😊😊😊

  10. 帯方郡=百済🤝邪馬臺国=大和王権は親密。

    百済責稽王,〈或云靑稽。〉古尒王子,身長大,志氣雄傑,古尒薨,卽位。王徵發丁夫,葺慰禮城。高句麗伐帶方,帶方請救於我。先是,王娶帶方王女寶菓,為夫人。故曰:「帶方我舅甥之國,不可不副其請。」遂出師救之,高句麗怨。

  11. Net上で畿内説を唱えるのは珍しいですね。九州説ばかり見ます。畿内説によれば、狗奴国は今の桑名(三重県)、一宮(愛知県)あたりになって、距離的にも戦争になったのは分かり易いですね。

  12. ふみ国の次が女王国だろうな。女王との面談は完了。魏の使者は未知の地に行ってれば距離を書き案内人から聞いてたら日数を書くだろうな。さらに遠方に邪馬台国w何か接線か補助線を引かないと矛盾するな。魏志倭人伝は、使者は、忠実な報告より政治を優先する。弥生時代の日本の人口は60万人だ!と主張する考古学会もあるし。今回の魏志倭人伝の発生は遼東の燕国滅亡。魏の司馬懿がおまけに燕国との闘い殲滅の後に長安まで倭軍を連れて行ってんだろ。当時の魏は中華の大勢を決めつつあった。曹操の一族は多数存在し出世運動にまい進してる。そんな世界で外様の司馬懿は戦々恐々と出世を確実なものにしなければ行けなかった。もちろん成果である邪馬台国、倭人は強国の印象も必要だった。鉄鏡は銅鏡よりはるかに先進性がある。これが出てるとか大分の中津市の耶馬渓辺りに何ヵ出るかもよ。もちろん7万戸wじゃなくて社の跡とか。

  13. 魏の使者が、道中の道や航路としての東と南を間違えることはあるやろな。
    せやけど、各国の位置関係の方角まで間違えるのは無能すぎや。朝鮮半島の軍事的な安定という政策的な意図もあって来日しとるのに、
    そこをミスってたら、大国の使者としての機能を果たせてないわ。
    邪馬台国は伊都国の南にあるのだし、邪馬台国の南にはライバル国があるのだし、東に海を渡ると倭種の国があるんやし、さすがに位置関係としての
    方角は間違いないと考えなあかんやろな。
    ふみ国から1500里ということも無視して、記述された風俗が南方であることも無視して、後につながる大和王権と入れ墨文化の違いも無視して、
    ほぼほぼすべての記述を無視して、魏の使者を超アホと決めつけたうえで、「考古学で大きい国があったかことが分かったから、これが邪馬台国や」は、
    学問とはいえないんちゃう。
    「ヤマト王権のはじまりが見えてきたで!」なら学問やろうけど、それやと予算がつかないのかなあと邪推してまうわ。

  14. 魏志倭人伝は中国視点で書いているので中国視点で考えると、三国志の時代、魏は呉と蜀と争っており邪馬台国は呉への牽制のためもっと南にないと都合が悪いのでは?魏志倭人伝は日本のための書いているのではなく、日本には当時文字が無かったため記録がないことを考慮しなければならない

  15. いまだにどちらの可能性もあるから現時点で確定的な物言いをしてる人は信用するに値しないと判断できる

  16. わからないことがあるんだけど7万戸ってことは人口50万人以上の都市になるよね。当時の日本の人口は大体40万人から100万人と言われている。なんでそんなに人口が集中してるの?別に九州でも畿内でも構わんのだが。

  17. 関西生まれですけど邪馬台国近畿せつに拘る意味がわかんないです九州でいいじゃん。最も論理的ですよね。今だって首都東京でしょ?時代によって移動してても全然変じゃないし誰だったかの東方遠征のスタート九州じゃんね

  18. 邪馬台国がどこにあったかはわからないけど、大和朝廷に邪馬台国の伝承が残っていない(日本書紀では時代が明らかに異なる神功皇后を卑弥呼に擬するレベル)以上、邪馬台国は大和には無かったと考えざるを得ない。
    邪馬台国近畿説を支持する学者は、何故大和朝廷に邪馬台国の伝承が残っていないのか疑問にならないのだろうか?
    例えば、倭迹迹日百襲姫命について、記紀には事績に関する記載がいくつもあるのに『魏の使者を招いた』と言った記載は一切見られない訳で、そこを完全に無視して都合の良いところだけを引用するやり方は、学者にあるまじき行為だと思う。
    そこがクリアにならない限り、私が邪馬台国近畿説を支持する事は永久にあり得ない。

  19. 陵墓掘ったら証拠
    出てくるでしょう
    大王の先祖が
    クーデター起こして
    ヤマト政権作ったの
    でしょう

  20. 加治木義博著 「真説」日本誕生 卑弥呼は金髪で青い目の女王だった
           「真説」日本誕生 神武天皇が攻めた卑弥呼の邪馬台国は鹿児島にあった

  21. 魏志倭人伝では会稽東治の東に邪馬台国があったと書いてあるのだから、会稽東治の東にある鹿児島が邪馬台国。簡単明瞭。

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