「見ちゃいかん」滑走路のない旧日本海軍「秘匿基地」海面から飛び立つ”下駄履き特攻”で若者が死んだ

「見ちゃいかん」滑走路のない旧日本海軍「秘匿基地」海面から飛び立つ”下駄履き特攻”で若者が死んだ



海面を滑走路代わりにして飛び立つ水上飛行機を旧日本海軍は数多く運用していました。
実は福岡でも製造され、その基地もあったことはあまり知られていません。
アメリカ軍が「速度が遅い」と記録していた水上飛行機までも特攻に使われていました。

◆「地元のものすら知らない」
玄界航空基地RKB 今林隆史記者「牡蠣小屋で有名な福岡県糸島市の船越地区ですが、この海には大戦末期の隠された歴史があります」
冬場は牡蠣小屋でにぎわう福岡県糸島市・船越漁港の一角に建つ記念碑。
大戦末期に海軍の「秘匿基地」=玄界航空基地があったことを伝えるものです。
建立されたのは戦後60年近く経ってからでした。
記念碑建立に尽力した中田健吉さん(81)「誰も知らないです。地元のものすら知らないくらいだから」

◆「海軍終焉の地」運用は終戦間近の数か月だけ
実家が銭湯で、兵士を受け入れていた中田さん。
知られていない基地の歴史を掘り起こすことに力を注いできました。
基地が運用されていたのは終戦間近の数か月だけです。
中田健吉さん(81)「玄界は海軍終焉の地なんだ。海軍航空隊じゃないですか、水上機といえども。ここで終戦を迎えたという意味だと思います」
航空隊の基地と言っても滑走路は無く、新たな施設も建てられませんでした。

◆”集落に溶け込むように”兵士は民家や寺で寝泊まり
兵士たちは民家に分れて宿泊。
そのうちの1軒が当時8歳だった大部節子さんの家です。
大部節子さん(87)「あっちこっちに何か松原に隠してここは4機か5機ぐらいですかね。もう見ちゃいかん。近寄ってはいかん」
当時とほとんど変わらない2階のこの部屋に整備兵たちが寝泊まりしていました。
大部節子さん(87)「『私はここで死ぬ覚悟でしたから』と。なんかものすごくここに名残り惜しいようなそういう気持ちを持ってあったみたい」

◆水面から発着する「零式水上偵察機」
地元の資料館は玄界航空基地に関する展示を2年前から行っています。
志摩歴史資料館 稲冨聡さん「あえて基地としての施設を大がかりに作らない。住民の中に集落の中に溶け込むような感じで、施設も全ての集落の中の民家やお寺とか旅館なんかを借り上げて、基地の施設とした」
ロビーに展示されているのは基地で運用されていた零式水上偵察機(れいしきすいじょうていさつき)の部品です。
零式水上偵察機は、翼の下に浮き=フロートがあり水面から発着する飛行機で、主に偵察任務に使われていました。
大部さんが資料館に託した部品からこの偵察機が、福岡で作られていたことがわかります。
志摩歴史資料館 稲冨聡さん「銘板がついているんですよ」「製造所が株式會社渡邊鐵工所と書いてあります。九州飛行機のことですね。使用機体は零式水上偵察機一一型」

◆戦時中に軍用機を生産した「渡辺鉄工」
福岡市博多区の「渡辺鉄工」は戦前から続く会社です。
戦時中は「九州飛行機」という名前で軍用機を生産していて、当時の建物が今も使われています。
ただ、終戦直後にほとんどの資料が処分されたため詳細は伝わっていません。

◆「ゴジラ-1.0」に登場した「震電」も製造
その九州飛行機が製造したのが映画「ゴジラ-1.0」に登場した局地戦闘機「震電(しんでん)」です。
大刀洗平和記念館はゴジラの撮影で使われた「震電」の実物大の模型とともに九州飛行機について紹介しています。
大刀洗平和記念館 岩下定徳さん「学徒動員の方たちも含めて2万人以上の方たちが九州飛行機で働いていました。零式水上偵察機も戦時中1200機以上の生産を九州飛行機が手掛けていました」
現在の春日公園や陸上自衛隊の基地を含む広大な敷地があった九州飛行機で零式水上偵察機の8割が製造されました。

◆太平洋進出で重宝された水上飛行機
太平洋の島国パラオの海に沈んでいる零式水上偵察機。
広大な太平洋に進出しながら飛行場を十分に整備できない中で重宝されたのが水上飛行機でした。
現在、国内で唯一その機体を見ることができるのが鹿児島県南さつま市の万世特攻平和祈念館です。

◆国内「唯一」機体の展示
RKB 今林隆史記者「砂に埋もれた状態で発見された機体。福岡県の糸島にあった基地から飛来したものでした」
糸島の玄界航空基地から飛び立ち指宿の基地を経由して沖縄方面を偵察した零式水上偵察機。
米軍機の追撃を逃れながら帰る途中、燃料が切れて不時着したものです。
糸島の資料館に展示されているのと同じ部品が見えます。
有名な戦闘機零戦=零式艦上戦闘機と同じ1940年に採用された機体は大戦末期には旧式化していたということです。
万世特攻平和祈念館 楮畑耕一さん「アジア太平洋戦争中というのは、航空機の進化というのは非常に早かったと考えられています。陸海軍の戦闘機でも当時の連合軍の戦闘機にはおそらくかなわなかったのではないかと思いますので、零式水上偵察機はだいぶ旧式化していたと思います」

◆アメリカ軍が「遅い」 撮影された零式水上偵察機
1944年、アメリカ軍が攻撃中に撮影した零式水上偵察機の映像です。
この時、米軍の記録では零式水上偵察機について「速度が遅い」と報告されています。
「Jakeswereslow」
その水上飛行機も特攻に使われていたことを伝えている鹿児島県の指宿海軍航空基地の跡地。
水上飛行機の基地があった指宿からはあわせて44機・82人が爆弾を抱え片道分の燃料だけを積んで飛び立ちました。

◆「特攻に志願」零式水偵の搭乗員だった98歳の男性
速度が遅い水上機による特攻はフロートを下駄に例えて「下駄履き特攻(げたばきとっこう)」と呼ばれました。
なぜ当時の若者は特攻に飛び立ったのか?零式水上偵察機の搭乗員だった神馬文男さん98歳も上官に特攻に志願するか尋ねられたことがあります。
神馬文男さん(98)「搭乗員20人くらいで並んだんですけど、その時に『特攻を志願する者、一歩前に出れ』って。出たです、私。みんな出た。みんなが出た。残ったら大変でしょう。出なかったら。いや俺は行かないっていうね、そういう者が出るはずがない。環境が違う。出なければならない。行かなければならない」
神馬さん自身は特攻に飛び立つことはありませんでしたが、多くの戦友が特攻で命を落としました。
神馬文男さん(98)「みんな仲間が行った、次々行った。いつ自分の番になるだろうか。その方がむしろつらかったですよね。戦争終わったって聞いた時は何とも言えないね、感じだったんですね」

◆今も残る機体 戦争の理不尽さ
下駄履き特攻にも使われた零式水上偵察機に関する展示を行う意味を担当者はこう話します。
万世特攻平和祈念館 楮畑耕一さん「80年前にはこういう飛行機がたくさんあって、実際戦争に参加して、実際それには人が乗っていて、亡くなっている人たちも結構います。実際そういったことがあるということを喚起させる何かがこれにはあると思います」
志摩歴史資料館 稲冨聡さん「ここから沖縄に毎晩往復攻撃に出ました。
かなり過酷なものだったと思います。死地に向かうのと同じなので、今平和だからこそここでそういった人たちが生活していたんだといったことを知ってもらいたい」
戦争を体験し証言できる人が減り続けている中、下駄履き特攻という言葉と今も残る機体は戦争の理不尽さを静かに語りかけています。

詳細は NEWS DIG でも!↓
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1348503

39 comments
  1. 政府と軍上層部がアホなせいで貴重な青年期を人殺しに費やすことになったのは同情する。英霊に感謝合掌。

  2. 経営者は震電を製作したのは恥だと思っているのが残念ですね。それだけの物をゼロから考えて形にした。って誇りは当時から続く日本の風潮、そしてマスメディアによって潰されてしまいました。兵器は兵器でしかありません。使う者によって武器にもなるし、武器にもならない。余りにも震電が不敏でなりません。産みの親に嫌われたのだから。

  3. 対潜哨戒機の東海も作った。
    KMXと言う磁気感知機で潜水艦を感知して爆弾を落として攻撃した。
    KMXはソニーの井深氏が周波数増大させる装置を作りそれから信号を増強して感知する機械だった。

  4. 神馬さん98にしてはスゲー若いな!!
    喋りもしっかりしてるし
    元気なうちに話を聞けてよかった

  5. 98!?とても元気に見えます!何はともあれ元気に長生きされていてよかったです。

  6. 博多湾内に名島や雁ノ巣に水上飛行場があり太平洋戦争以前より中国、台湾、東南アジアなどを結ぶ国際飛行場として利用され国内最大規模の飛行場でした
    航空戦の重要性により博多海軍航空隊を置き練習教育、偵察飛行等を訓練、海軍航空隊の水上機発着場は博多湾内に数ありました
    戦時中も重要な軍用空港となりました

  7. 2005年に指宿の特攻慰霊碑に訪れました。
    大々的な展示の資料館も良いですが、静かに海にたたずみ、往時を偲ばせる碑がいまも心に残っています。
    それから20年後、隊員の方のお話を伺えて感無量です。
    「次は自分の番かと思っていたら、戦争が終わって何とも言えない気持ちだった」
    時代の巡り合わせのいたずらが、前途ある若者の生命を奪ってゆく。
    いま一度平和について考えさせられました。
    良い番組をありがとうございます。

  8. 日本を護ってくださり、ありがとうございました。そのご意思は、後世に受け継いでいかせていただきます。

  9. 今は勇ましい発信を多方面でする人が多いから特攻要員は十分確保出来そうで安心です。

  10. 神馬さんのところ、これじゃ『志し』なのか『圧力』なのか、わからんよ
    最も大事な部分があやふやになる編集はしないて欲しい

  11. 命懸けで🇯🇵日本や亜細亜を護って下さり有り難う御座いました
    靖国神社二礼二拍手一礼合掌🙏

  12. 特攻隊は、天皇家の菊の紋章入りの覚醒剤入りのチョコレートを食べてハイになって特攻したんですよ。
    マスコミ報道しないからね、なんかなー

  13. 万世特攻平和記念館は知覧に比べるとマイナーだけどここも戦争の跡をひしひしと感じれる資料館でとてもいいですよ。何度かお邪魔させて頂きました

  14. 特攻隊の一歩前への話題は水戸黄門やってらした俳優の方も丸々同じ事を体験談として語ってました‼️父は共産主義思想でしたが海軍幼年兵に志願して特攻隊震洋の訓練受けていたみたいです‼️徴兵制で戦争のある時代普通に誰もが召集イコール死ぬ覚悟を自然なことと思っていたみたいです‼️万歳突撃もアメリカの資料で事実と解ってるのに小学校の先生は死ぬ間際に事実はお母さんだったと授業で話してました‼️事実や真実は一つではない、本当の事だけと全てではない‼️

  15. 今年1月に99歳で、逝った、特攻隊の生き残りの叔父は、知覧から、飛行していました。
    生還していますので、片道燃料ではなかった⁉️
    ずっと疑問でした。
    福岡に、秘匿基地が有り、指宿から、片道燃料で、特攻隊が散って逝かれた事は、知りませんでした。😱
    死ぬも、地獄、生き残るのも、地獄です。
    肩の荷を降ろして、安らかに…🙇😢

  16. 書類は処分、話してはならないっていうのが多かったから知られていない歴史が沢山あると思う。

  17. やっぱり戦争には勝たなきゃいかん。アメリカをぶちのめしていれば世界はもっと平和になったろう。

  18. ZEROがリチャードハモンドならアメリカのはジェレミークラークソン並みですから

  19. 7:10 片道分の燃料で特攻することはほとんど無いぞ。出撃したけど敵を発見できなかった、なんてこともあるわけだし。

  20. 下駄履きで遅いって言うがあくまで大戦末期のP51やF6Fと比較しての話だから世代が違うんだよ。
    最高速度は400キロを超えるので決して対戦初期の戦闘機と比較すれば少し遅いぐらいで滑走路を必要としない利点を考えれば高性能戦闘機です。
    アニメのジパングにも登場したけど所詮下駄履きでしょ、余裕でぶっちぎって逃げますよとか言ってたけどターボシャフトの海鳥の速度に追いつき攻撃を受けた。

  21. いい世になった 当時ドローンがあればこの悲劇は防げた。 今後はドローンに期待し 侵略軍に 抵抗しよう。 特攻隊の皆様ありがとうございました。 今後はドローンにやらせます。 世界ではロシアのように 侵略軍が実際に表れています。 特攻隊の皆様どうか今後も日本をお守りください。

  22. 誰が考えても
    特攻は最終手段。
    毎年8月になると
    空を眺めながら
    戦争で亡くなった
    人たちのことを
    考えてしまいます。

    Noと言えない日本人って言うのが
    ついこの間まで続いていましたから。
    今の子達は戦争になったら
    逃げ出すかもしれませんね。

    戦争は起こしてはいけない物だと
    強く感じます。

    ただ、攻めてこられたらと
    思うとその時は覚悟を決めねばと
    思う次第です。

  23. 水上偵察機なんだから速力が遅くても問題ない。
    低速時の安定性が求められるので。
    そもそもの使い方が違うだけで。

  24. 大東亜戦争は形式上は敗戦ですが、植民地主義は一掃されました。千代様の、他国での善意の積み重ねで日本国パスポートは世界最高峰 感謝 合掌

  25. そりゃ平和が一番だけど当時の状況として選択肢が少なかった事も理解しておく必要が有ると思う。
    満州から撤退するような選択は当時の世論では取れなかっただろうしマスコミも戦争しろって論調だった(戦後は軍に強要されたって責任押し付けてる)

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