徳之島節 松山京子 西孝志 奄美民謡 奄美シマ唄 2004, 12, 5 徳之島町文化会館
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奄美・徳之島は世界自然遺産の島となりました。奄美は東洋のガラパゴスとも言われ、多様性にあふれた動物・植物があふれています。生きた化石と言われ世界で奄美と徳之島にしかいないアマミノクロウサギに会いにいきましょう。
奄美民謡は、シマ(集落)や唄い手により同じ唄でも違いがあり多様性に溢れています。
島唄の言われは、奄美のこのシマ(集落)唄からきています。
奄美民謡の多様性が解る唄遊びとなっています。
一説ではこの唄は、薩摩支配下のさとうきび圧政時代、徳之島伊仙町の犬田布での一揆があった。その時の責任者として遠島の処分にあった島人が徳之島を想って歌ったといわれていますが諸説色々あるシマの人々に好かれている名曲です。奄美では「徳之島節」、永良部島では「犬田布節」と唄われ、徳之島では「みち節」「ニ上がり節」「はやり節」などとなって唄われています。この頃のさとうきび作りは、黒糖地獄と言われる程に厳しい圧政だったと言われています。黒糖は、薩摩藩の重要な財政となり木曽川修復や明治維新などの財源になったとも言われています。
・奄美諸島 (世界自然遺産の島)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%84%E7%BE%8E%E7%BE%A4%E5%B3%B6
・徳之島 (世界自然遺産の島)
https://www.google.com/search?q=%E5%BE%B3%E4%B9%8B%E5%B3%B6&oq=%E5%BE%B3%E4%B9%8B%E5%B3%B6&aqs=chrome..69i57j35i39j69i61j69i60l2.3619j0j4&client=ms-android-sonymobile-rev1&sourceid=chrome-mobile&ie=UTF-8
・犬田布騒動
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E7%94%B0%E5%B8%83%E9%A8%92%E5%8B%95
‘’ 徳之島節 ‘’
エーイ
仇ぬ ゆ(世)ぬ 中に
長生き すぅ(居)りば
( スラヨイ ヨーイ )
朝夕 血ぬ なだ(涙)や
すでぃ(袖)どぅ しぶ(絞)りゅる
すでぃ(袖)どぅ しぶ(絞)りゅる
※ 仕方や ねぇ(無)んど ねぇ(無)んど
吾きゃが たまし(運命)
エーイ
かしゅてぃ 気張たんてぃん
たぁ(誰)が たむぃ(為)が 成りゅる
( スラヨイ ヨーイ )
やまとぅ(大和) ちゅんまぐぇ(頂髷)主んきゃぬ
たむぃ(為)どぅ 成りゅる
たむぃ(為)どぅ 成りゅる
※ ちゅんまぐぇ(頂髷)主んきゃぬ
なぁ 恨むぇしゃや
エーイ
島ぬ ガジマルや
石抱ちどぅ ふでぇ(育)り
( スラヨイ ヨーイ )
吾ぬ ちゅんまぐぇ(頂髷)主んきゃや
仇どぅ
ふでぇ(太)てぃ いきゅり
ちゅんまぐぇ(頂髷)主んきゃぬ
たむぃ(為)どぅ 成しゃや
・頂髷主: 薩摩役人
・ガジマル: ガジュマル(榕樹)
参考:シマ唄は唄い手やシマ(集落)により、解釈や伝説が色々あります。
奄美シマ唄は昔から楽譜等は基本なく口伝の為に多様な特色があります。奄美は文献史料等は薩摩支配時代に禁止処分でほとんどない状態です。薩摩役人が書いた、南島雑話が有名な文献となっています。
(訳意)
仇なこの世で長生きをすれば、
朝な夕なに血のような涙をながすばかりだ。
袖を絞れば流れる程の涙ばかり。
※仕方がないよ、これが島人の運命だから
こんなに、頑張って働いて誰の為になるものか。
薩摩役人達の為にしかならない。
※薩摩役人達の恨めしい事よ
島のガジュマルは石を抱いて大きくなっていく。
仇な薩摩役人達は、島の人達を搾取して太っていく。