タイトル :『希望を生み出す品性』
清書箇所 : ローマ人への手紙 5章1~5節
メッセージ : 重見通典 牧師
ローマ人への手紙 5章1~5節
1 こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
2 このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。
3 それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、
4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。
5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
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今日のえ御言葉をやりたいと思いますがで はローマ美の 手紙ローマ美の手紙の1章あ5 章ローマ手紙の5章の1節から5節まで 言葉 ですよしでしょうかローマの手の5章1 から5まで はいごに ましょうこうして私たちは信仰によって義 と認められたので私たちの主イエス キリストによって神との平和を持ってい ますこのキリストによって私たちは信仰に よって今立っているこの恵に導き入れられ ましたそして神の栄光に預かる望みを喜ん でい ますそれだけではなく艱難さえも喜んでい ますそれは艱難が忍耐を 見出し忍耐が寝られた品性を 生み出し寝られた品性が希望を生み出すと 私たちは知っているから ですこの希望は失望に終わることがあり ます なぜなら私たちに与えられた精霊によって 神の愛が私たちの心に注がれているから です メン今日はこのところから希望を生み出す 金星と題して言葉を取りてきたいと思い ます えパウロはローマの教会信徒たちにあてえ この信仰のが恵みそして私たちにその え私たちの信仰を励ましておられますその とこによってこの信仰の恵み私たちは神様 に見出されてえその信仰を義として くださっ たそれよに神様と和解し私たちは平和を 持つことができたということです誠の平和 ゆない平和の中に私たちは平います そしてそれと同時に信仰によって私たちは 今この恵の中に導かれてそこに立っている だそしてこの神様の栄光またあに預かる 望みをを喜んでいるということであります 本当にえ幸大なこの天の恵みが本当にこの 形の目の前に本当にえ描くことができる そのようなえ 神様 のえ計いですねそその恵を感謝しています しかしパウルはそこだけで我がないという ことでえそれだけじゃなく て艱難さえも喜んでいますとです ね本当に私たちはえ神様の恵みに満たされ て生かされていますけど本当に えその喜びだだけなくて苦しいことそれも 喜びとして受け止めことができるまそれを また私たち進めているわけでおりまた 励ましているわけであり ますまそこから今日この希望を生み出す 品性といういうことをえ今日はえ見てそこ 焦点を当てているわけでありますがこの 艱難さに喜ぶことができる信仰ととはと いうことでもありますがその遊園がえそ 今日の御言葉の中にあるわけでありますえ それはま希望につがる品性ということで あります がまこの希望をにつながる品性という言葉 はまこれはえこの今日の勝過小を えそ4証明していたわけでありますけどま 品性ということです ねまま私たち一般的に品性というこという 時どうですかねま自称的に言えばま公人 公事園ではこう言ってますが道徳面から見 たえ性質あ人格ま人柄ということあります ねま品がいいとかこの人は人格者だとかね そんなえ言い方が見方がれ方がありますと ままちょっとは質が高いというか ですね品質ということが品物のメアがです ね品質のえ品質をえかすというと思うです けどあそこで今日はそう いうそういうえ半中にとまることがない できないこの え金星というものなんですねそれそれで 取れることはできないえ素晴らしい品性 そこに豊かさがあるわけでありますがそれ 今日それのとこにおいて寝られた品性と いうことが今日の言葉の締めのとこにある んですねさっきそ結論の方からえ今日は 言っているわけでありますけど寝られた 品性ということまこれが希望を生み出す 神性ということなんですねそんなように パウロは語っているわけ ですま日本語で品聖徒を訳しておりこれも 役に訳する人たちは悩んだんじゃない でしょうかでも品性ということにおいては え多くの日本語の聖書は語っておりますえ まその中にって私たちはこのギリシャ元の ギリシャを見てみるとどうなってるかと いうことですねでその意味この聖書は 語ろうとしてるパウロが語ろうとしてる この品性はどういうものかていうことを つのギリシャ語から私たちはこに取って いくことができますえドメとですねド ドキュメンタリーという言葉まこっから来 てるからなと思いますけどドメという言ん ですねえそれはどういう意味かというと え試されてそして実証済みの確かさという ことね試されてもうこれはもう実証済みで この えま品質でばもう承認済みですねえそう いうええ言葉なんですそういうところのえ 品性ということありますま英語の聖書を 約すとま2つのタイミが出てきますねえ プルーフというぼとキャラクターま キャラクターねあのハあのキャラクター なんてある同じ同じ言葉ですけどプルーフ ま同一語でプローベネラルプローベねいう プローベという同じ語言ですけどまそれは え証明するまた検査をするとかそういう ものねプローベな えその確かなものであるということの まそ 調べることなんですねそしてそれがこれで もうそれを証明されたということになって くるわけですねそしてえ えキャラクターというのはこれも元々 ギリシャ語から来てる言葉らしいですけど 刻みつけ という刻みつつけるというそれは承認の感 ですね刻印をオていうですねえ刻印なん ですねまそっから記号ということから今度 性格という意にこう繋がってきている言葉 なんですね英語ではその2つの言葉が使わ れていますまそちらのがえより言語に近い 表現品品性狙られた性っていうのは ちょっとどういうことかなということです けどでも今日のこの箇所読めばこの日語の 意味がよく分かってくるわけでありますが ま狙このお承認されたもうもう確かなえま 人格といういうことです ねま順がが高いま純粋な心から生まれて くる言ってもいいかもしれませんね え朝空え私は朝空の不安で え続けて見てんですけどね今はえ え翼の虎というえですね反対虎のつですか どっちたっけ虎にあ虎にかえなんですか ちょっと前い ええそれはえっとですねあの女性せ 戦前ですねあの日本日本の女性のえ弁護士 最最初のえ女性女性弁護士の1人なんです ね死合試金にとった最初のえ1人なんです けどそしてまたえ戦後えGHQの指導に よって法法律が変わってええ新しい新憲法 が交付されてそれに伴って民事の民事が こう幻覚されていくということ自衛の地図 のもえなされていったわけですけどその 作業その え本務局までは本局のとこで彼は彼女が 戦後え勤めることになってそしてそこで彼 はえ家庭裁判所ね民主家庭裁判所お立て あげるという今もりさはなかったんです けどえそれを立てあげるに人力したえ女性 ですえだから家庭裁判者の歯とあのちに 言われた女性ですねまえ女性えま放送会の まレジェンドでもありますけどまた最初の またえ女性はえ裁判間半もなれなかったん ですけどあの最初にのはえ3番もなったか ことでまた裁判所またえその家庭裁判所の 所長までやったというえ経歴がありますま この家庭裁判所を作るということで定常に えその前前までの古い考え方そのえ専門家 の人たちも中によってもう先々楽々のえ 議論がなされてえ阻まれてたんですね難し ただったんですけどそこで え彼女を励ましたのはこののえその担当の 役のあえま法律家ですねま阪神もしてき たけですけどえ彼に片ました譲の聞かない そうですけど彼女に一言いい言葉が言って 私の海にピンと残ったんですねああ なるほどなてそんなことがですねあその まずそのえ女性の話名前言ってなかった ですね三淵よし子さんていうことですね その三淵よし子さんがえ本当に えかな え悩んで壁にえ当たってる時え前に進め ない時に励みこの言葉を言ったですね度が 高いほど力発揮するんだよね度が高いほど 力発揮するね度この子あ純粋な こと本当にこの今やろうとしてることその 理想としてることそれが本当にえ純粋なら ば純粋な混ざり気のないもなければない ほどそこに人々をを動かす力があるんだと いうことなんですねま今の時代の中にて 理想を抱えるとかねそういうことは本当に 気気迫でえ現守備走ていること私はうい ますけどしかしの中が本当に変革していっ ていい方向にえ行くには理想はなければ できないそしてその理想を本当にこの考え がまた思いが本当は 純粋であればあるほど力があるんだという ことでありますがこのえ狙えた品性あそう いうこと今日の御言葉と重ねすことが出 てるなとえいうことが思うんですねえ金性 のそそのった人そういう意味において品性 のった人と時私たちはその影響に影響を 受けるわけでありますまそれは本当に じゃあやかにその人いやねえ尊敬しても そのえその人がやっていたことをね知識を え得てもまた真似しようとしてもそれえ 自分の身につくものではないんですね成は そういうものじゃないですかまそういうに おいて私たちはこの聖書が何と語ってるか という とこの人を見よというねこの聖世の フレーズ先年のヨハネがイエス様が登場し た 時選挙を始めその最初にイエス様が無から 来てミ世の罪を取り除く神の呼と叫んだん ですね身をこの人をということであります 私たちはこのえ品性ということをも思う時 に考える時にその狙れた編成見る時にこの イエス様こそがそういうお方であるという ことをまず私たちはしっかりとまずえ心に え明記したいわけであり ますそしてじゃあこの寝られた日はどの ようにして私たちはえ え読み出すことはできるのかということで 今日の御言葉が語れてるわけであり ます艱難さえも喜んでるということが 始まっているわけです ねそれはまた艱難が忍耐を生み出すんだと いうことであります が私たちはこの艱難を喜ぶ信仰 まえヤコブ もこのことを方こういう風に語っている ですねヤコブの手紙の1 章私の兄弟たち様々な試練に会う時はいつ でもこの上もない喜びと思いなさい と またその後で12節のところで知に耐える 人は幸いです 耐えにいた人は神を愛する者たちに約束さ れた命の冠を受けるからですとですね 支援支援はこう歓迎すべきことではないね ま現代の風潮としてはこういう苦労は なるべく避けて通る苦労しない痛い目は ない ねだからなんかこう理想を掲げようとして も夢をくここうとして も足がひんでしまうんですねそれはやって みたら苦労があるし心配もあるし辛いこと があるし苦労せやなくそれも楽な方を選ん の方がいいという風調じゃないです か楽な方楽な方便利になりましたよまあ これやらなくても誰かやる でしょうまあほどほどにあるからいい でしょしかしや変えなくちゃちゃいけない ことは承知自分分かっているまそれ自分の 生き方のおいても人生においてもそのよう な風潮の中に染まっているそのような現代 社会ですだからいとこ で問題が起きている政治では政治が本当に 堕落して しまう今なんて始まったことじゃないん ですけどね それに対して私たちは何 の務もなくすに流されて いきこの試練というものを避けて通ると いうですねしかし聖者は支を喜べてです ね支を喜べ喜ぶことができるというこの それは信仰において私たちはそのが出て いるこの力強さを私たちは頂いているん ですよ ね難さえも喜ん喜べる信仰こんな信仰は 本当 に無敵だと思います ね私たち人生の中においていつもこう艱難 がお背負って生きてるわけじゃないですよ ね順調にいてる時も あるしかしこれからなそうとしてること もう分かってるしかし避けて通れない いろんな 艱難苦難があるそれぞれ1人1人の人生の 歩みの中においてねまた思ってもいない ような艱難が振りかけている わまたあの紛争が耐えない地域のよう な戦争に込まれていく正常が悪くなって いくそのような艱難幸いにそういう艱難 ないとしてもでも私たちは相の中において いろんな小さな問題小さな艱難小さな 苦難があるわけですよねそれを私たち は上手に上手に避けてとるということ本当 はそこを処理しなければ始まらないんだ けどまあいいやねということで後回し 後回しにしてしまって何も根本的な問題を 変わらないで全然ま進まないところか悪化 してしまうということとかありますね 私たちはそそうじゃなくて本当に真っすぐ にその感の問題にまっすぐにえ目を向けて そしてそこ叫になってに狭きもを取り なさいとイさんおっしゃったからね愛な方 を選ぶになくて背きもををから入り なさいそのように進めてるのはこの今日の 御言葉と繋がるんじゃないでしょうか でもイエス様と共に艱難を取ることにそこ にそれは喜びとなっていくんだということ がね私たちは信仰の恵みであり ますそしてその艱難が忍耐を生み出すんだ ということこのようにパウロは語ってるん ですね艱難が忍耐を 生み出す別なところでパウロはこのように 語っていますねコリントびの手紙の第10 章13 あなた方が経験した試練は人の知らない ものではありません神は真実な方ですから あなた方を耐えられない自に合わせること はなさいませんむしろ耐えるように自然と ともに脱出の道を備えてくださいます あめん 然というものは神様がまた私たちをって 私たちをさらに努めようとするあえて司令 を備え与えて与えられるといことがあり ますまた良きしないこともありますしま 私たちの罪が原因でそのようになある しかしそれも私たちの側の問題また神様が さらに私たちを寝ようとしてえ積極的な身 を言って支援を与える書神様の見の中に あって私たちはこの信念を経験するわけで あります しかしそれ は神様は真実な方なんだということですね それ は私たちがに私たちに自然を与えるだけで なくって耐えることができるようにしって くださるという ことこれが人体ですね私たちがその自然 に耐えることができるように知って くださるというとこの忍耐というものが またえ私たちに与えられること三玉の身で あっあります 忍 ね私たちはこのグナの中にあ遭遇した時に それを耐えていくそれを乗り越えていく その時に必要なの引退であります 引退我慢というこの 先が見えない我慢じゃなくってちゃんと先 に希望が ある我慢忍耐あていますよねそれはイエス 様が共におられるから です私たちはこのキリスト共に歩む人生の 中においてその人生の経験を通し てその 恵を頂いていくことができる その艱難をがカそのその多の中において 艱難が忍耐を生み出してそしてその忍耐は この狙られた金星を生み出すと書てです ね狙られた品性とい たるこの信仰生活イエスキリストと共に あるこの人生の経験を通してと理屈じゃ なくっ て誰かに教わったからということではない ノーハウじゃないこれ私たちが実際自分の 足で自分の手で自分の体で持っ て経験していかなければそれは得ることが できないものであります代わりに誰かが やってくれるものではない自分が 自ら歩んでいくその途上その相の中その 経験を通して それは艱難が忍耐を出して忍耐を通して狙 られる寝 られる寝られるそしてそれが私たちの人格 となって品性となっていくんだということ です ねペテロはこのように語っていますね読ん でみましょうかはいペテロ手紙の第1の1 の7 試練で試されたあなた方の信仰は日で精錬 されて もののされてもなお口ていく金よりも効果 でありイエスキリストが現われる時小さと 栄光とほれをもたらしますとあるですね ここで自然をこの日の中で精錬される金と 例えていうわけですよ 寝られる焼かれる精錬さ れるいろんな表現がある でしょう私たちはこの自然というものをを 経験すればするほど寝られて いくそして精錬されていく ま練り物もそうですよね美味しい麺を 食べる時ねえそれは相当熱ってですよね やっぱまずいのと美味しいのはその練り 具合だと思いませんがま私もえ四国の うどんうどんの国で生まれだったんですね 美味しいうどんちゃとこのうどんの歯が 意外とこだわってしまうところあるんです けどえ寝り具合なんですよ ね まそうすとアが出 てく制限金もそうですね大石もそうし こ 金金の原石 は泥まみれの岩ですよねそのからこう金を 見つけるキっ光るちょっと元に出てるん ですねしかしそのままでは不純物が いっぱいあってえ科も十分じゃな ねそれを炉の中に入れることによって物が 焼てそして どんどん科学金本来の科学を出していく わけですねつまり純度が高くなってくわけ でしょ需要な資金とかねえこうそれ投球が あるじゃないですかこれもブルーですよね ブルーサイですねえ試されてそしてこれは このえジトだいうねえ国印が抑れたわけ でしょ そのように私たちはこの自然を通してこの 自分に狙られて純度を上げていく自分の 人格がそのようになっていくということを この聖書を語っていわけ です そして この狙れた金星 ええ忍耐が狙られた人性を生み出しそして 寝られた世が希望を生み出すと私たちは 知っているのですこが長い文章なんです実 はパウロも私は知っているということを 上がってこれは最最後に来てますけどね はいギリシャ語の文章見ると長いんですよ ねこの文章4章だけ見る と日本語のあれこれピタっと来ないんで うんとこうえ私もえちょっと考え込んだん ですけどこれは全体1つなんです ね寝られた品性が希望を生み出すんだと いういうことであってえ希望生み出す品性 ということ今日のタイトルであり ます寝られつまり希望を生み出す品性とは 寝られた品性であるということがいいこと ができますねだ狙れた品性は希望を 生み出していくんだということであります そして私たちはこの え希望この希望は失望に終わることがあり ませんとパウロはさらにそれを念している わけですなぜそういうことが言えるの か私たちはいろんな立派なものを見て もどっかで死亡してしまうんですねねアを 探してしまう決定を 見つける教会でもそうですよ教会でねま みんな本当にイエス様みたいな人ばっかり だったいいんですけどねみんな癖がある わけです よそしてきちんと同がねつまづくんですよ また教会に来た人があの人ねクリスチャン クリスチャンに傷つけられたなんねそんな 言い方もすることがありますよ人につま それまた問題もあるでしょうししかし完全 じゃないですから私たちはどんなに立派な 人でもあを探そうと思ったらああ見つかっ てどっかでぶつけるとあ厳密してしまった んだてことよくあるわけですよね失望希望 に希望を持ととするんだけど失望てしまう ていうでもこの希望は決して失望に終わら ないというパウルは念を知っているんです よなぜか つまりそれ はキリストこそが望みだ からキリストこそが私たちの望みだから です寝られた金星は希望を生み出しそれは 失望に終わら ないそれはイエス様がもう実長済みなん だイエス様は皇障害を置いて神の栄光を 表しそして神の子としてのこの人格は輝き 出ていたんですよ神の栄光に輝いていって みんな希望を持っていたんですよ神の栄光 に預かりたいと思ってねそにこの恵みに 預かりたいと思ってみな 行く そして罪の許しを得るために しかしイエス様はそれを果たすためには さらにさらに十字架の試練を通らなければ ならなかった避けて通れ通れないその試練 がイエ様には待っていたんですよねそれ 向かってイエス様はまっすぐにそれを 避けること なく突き進んでいったあのドロさの道人々 からけ調整されて鞭打たれて十字架を 活かされて倒れながら もゴルゴタに行ったあのイエス 様神のみこなの にそれまでみんなイエス様イエス様と言た 人たちが手のひ を返し て罵倒する長承する神の子ならは自分を 救って降りてこいこの山で言われるしかし それ はその人たちのためにだったまた私たちの ためであっ たそれはイエス様が この名試され てそしてそして実証を受ける人があった そしてイエス様がそれをやり遂げたです よパウロはフィリピのめでこのように語っ てい ます一緒に読んでみましょうフィリピの 手紙の2章の6から9はいキリストは神の 姿であられるのに神としてのあり方を捨て られないとは考えずご自分を虚しくして下 の姿を取り人間と同じようになられました 人としての姿を持って 現れ自らを低して死にまでそれも十字架の 死まで従われましたそれいえ神はこの肩を 高くあげて全ての女にさる女を与えられ ましたまさにここにまとめているんですね イエス様の 交渉このように民の身は生まれてくださっ た弱い私たちの姿肉体を持って同じ姿に なってそして使えるものの姿がってそして それはその使えるものの姿はその純粋に なる心は十字間まで従十字間死ぬまで従っ ていった純粋な心 ですピアなん です そして十字架がやりとことによって 商人をされた父なる神はこの神はこの巫女 イエスをよしとさ れ あめんやり遂げたということです そして証人を押されて天に帰りま全ての何 さる権を与えて私たちを導き取りなして くださっているんですねあめんこのイエス 様がまずそれを届けてしえ試されてその 証人を得て証人済みだということであり ますじゃこのイエス様のこの純粋になる心 は 何かこれ は十字まで伝われたこの神の愛じゃない です か神は私たちを滅びに至るないように巫女 を信じるものが全て救われるよう にそのためにいこイエスをこのように 使わしてくださっ た神の 愛そのように私たちを愛せくださってこの 愛は十字架でもって私たちに明らかに示さ れ たつまりこれはこのキリストの愛が誠で あることが受賞されたことさたことじゃ ないですか このまの愛が実証済みなんだというこの 好きが私たちにはあるこのイエスその イエス様と共に私たちは会いでることが できるんですよそそうした時に狭い文に 入っていった時にイエス様と2人で入って いきそれはもう先に苦が見えている黒が 見えているしかしそこを通らなけはなら ない また私たちはもっと大変な艱難苦難を経験 するかもしれませんしかしそういう信仰の 歩みをしていなければいざとそういう本当 に本当に大変な時になった時に私たちは 耐えられるだろうかその信仰があるんだろ か日頃からその信仰が生かされなけれ ばそれは危う も日頃私たちはこの信仰に立って小さな人 つとしての自分の行いをに忠実に正しい孫 からつまりこのイエス様の誠の愛を持って 歩んでいくということであります ねそして そのこの愛が今日の御言葉の最後のところ ですねこがいいですね5節も1回見てみ ますか 5節読てましょはいこの希望は失望に 終わることがありませんなぜなら私たちに 与えられた精霊によって神の愛が私たちの 心に注がれているからですメン今も注がれ ているということですこれは注がれたじゃ なくて注がれ続けている常に注がれている んだよていうこの済みの余ったりいい加減 ないじゃないです よご自分の命を磨いとして捨ててくださっ たそれほどまで私たちを愛してくださった それを実際にな成し遂げてくださったこの キリストの真実な愛ですよあめんこの真実 な愛を私たちは常にその愛が注がれて いるそのところ にままさにここに まさにここにこのことにおいてそしてまた まさにこの方に希望が私たちあるわけ です メン忍耐は希望を増やしていくあごめん なさいあのこの品性は忍耐からえ苦難から 始まって忍耐を通りそして品性がこんなに 輝け出るそしてそれは一時的なものなくて 希望を生み出していくそれはキリストの光 なんですよ ねそれがまさに私たち弟子としての歩みを 表しているんですよイエス様は何と おっしゃったか皇障害の中にいて弟子たち にこのように語っ たルカの印書 のルカの福書の9章23節 読んでみましょう はいイエスは皆に言われた誰でも私につい てきたいと思うなら自分を捨て日々自分の 十字を背負って私に従ってきなさいとね誰 でもイエス様従ってついていきたいと つまり弟子ですね私たちも神イエス様に 救われたもの1人がこのようにイエス様の 弟子となたイエスさと共にある人生を決断 し たそうそしてさらにその安をしたいと思う ならば自分を捨てて日々ですよ時々じゃ ない日々自分の十字さよって私に従ってき なさいって言ってんですよいつもですよ 日その意味が分かるでしょう かそして14章のの27節も語ってます 自分の十字架を背負って私についてこない ものは私の弟子になることはできませんと 語ってるんですねこれがまさに今日の語っ てるこの信仰の歩みですそしてその経験の 恵みですこれは恵みなんです ね私たちは自分を捨て て自分の捨てるとこはこう純粋な 心イエス様だけを求めていく心 でしょそしてこのイエス様の愛に生きて いく私たちの 信仰それを私たちは古い自分が邪魔をして しまうわけ ですそれを十字間につけていくっていう ことはすに私たちは この艱難を忍耐をいうまさに艱難を見た その路で精錬されていくことが必要なん ですよ ねそれを払わなければならない人物が いっぱい混ざってる私たちですよもう私は もう大丈夫だ1回も綺麗になったから東 持ちますよてねじゃなんです よ車を洗車するんじゃないんですよね 私たちは日々日々汚れるんです私たちは常 にこの十字を背負ってつまりイエス様の 洗いを受けるということです ねそして私たちはここ のそのことを通して私たちは寝られていく んですよ寝られて磨かれていくんです そしてその結果またまとわりつく不純 物罪というものが取り払われていくんだと いうこと私はこの信仰この愛において経験 していくことこれがとても大事なことなん ですよ私は必要ありませんじゃなくて私 こそが必要なんですよあめん そして神の愛 が注がれて いく私大丈夫なんですよ常に神様の愛が あなたに仕れてるから励まされて力はもう ダメだもうふみそうになるこれ耐えられ ない放棄したい 逃げたいしかし神の耳はどうですか大丈夫 だこの私がそこにいるそしてこの神の愛が 精霊を持って今日も常に常にですよこれ神 の愛が私たちの心に注がれているからです 今日も明日もですあンだから私たちはむ 必要がないるなだめなんですよ今そうとし ていること小さなこと大きなこと重大な ことね個人的なこと様々かもしれませんま そのそういう小さのことから私たちは逃げ てはならなすべきことが ある分かっていればそそそういうことまた 相手そのことによって私たち はキリストの愛が自分の中で試されている んです よイエス様はあの十字架で持って解けて くださった完全なる愛じゃそれを受けてる 私たちがその愛を本当にどのように私たち の愛が純粋かどうか真心持って姉妹たちを 愛しなさいという説明がある通りあります がまず神様と私たちの愛が純粋であるか どうか ね都合の糸だき神様神様って言ってねもう よがなければも全然世の中の基準でやて しまうこれは正しくないでしょいつも神様 崇めてそしてもすにいい時も悪い時も神様 見を求めていくということです ねそれは心を尽くし思い 尽くし能力尽くしてあなたの尽しのしなり 神様を神を愛神を愛しなさというこの立法 のまず第一の教えです よこれはイエス様において完成されたん イエス様がそれを示してくださったんです よ父なる神様とも従順さそして今度私たち は自分を愛するように田人を愛しなさいと いう2番目の愛があるんですよまさ十字架 ですよイエス様この十字で試されたこの愛 ですよ誠の愛がこの十字でて実証されたん ですよ私たちの愛もこの真実の愛として神 様との愛がこの死を通して純度が増して いき隣人を愛していくこの愛ねこれも純度 が増していくんじゃないでしょうかそそう すると金星がとこにそのでくですねこれ 品性とどういうもか口で言えないんです よそ人の人から俺さあだああだこだもう こうその存在があそこ にこの兄弟のとこ行けば本当になんか ほっと するなんかイエス様を感じるねみたいな イエス様知なくてもなんかえあの人行くと なんかねえ嬉しくなるほっとするやがね なんかイエス様を醸し出すそのような人格 が自分は気はつかないけどそういうのが出 てくるそんなそのような自分になってきた しね私は自分がなってると思わないですよ いや本当にじゃそういうドイツで進行持っ た時にそういうクと何か じゃそいうイエス様 信じるその 方なんかこううんそこにやっぱり私はその 時やらなかったけどイエス様を見てん でしょうねイエス様人格がそこに映し出さ れてんでしょうねあ私たちもそのように なってきたいそのようなええ自分になって いきたいそれは私たちは艱難さえも喜んで いくその信仰でありますそしてこの神の愛 が私たちは不完全になってもじゃダメなん じゃなくてだからこそ私たちはこの神の愛 が必要なんで出会ってこの神の愛を注ぎ いただいてでさらに順動を上げての自然を ね通してえ見えていこうじゃありませんか そしてますますキリストねあ兄弟を通して 映し出していくその輝 ね品性ってのは輝きだと思いますよ ね人をまた引きつけるいうということも あるですねただしかし失望に終わらない イエス様自分はダメだもイエス様は私たち がそれを写真にしてことというこの幸いを 感謝します最後にこのコリントの手紙の第 の3章18節の御言葉をご緒に読んでおき ましょうはい どうぞ私たちは皆大いを取り除かれた顔 に鏡のように死の栄光を移しつつ栄光から 栄光へと死と同じ形に姿を変えられていき ますこれはまさに精霊なる主の働きによる ですまさにこの言葉が表されてんじゃない でしょうか今日の 御言葉私は応れてィこれは神との隔ての壁 です よね古い立法ですよそ罪ですよ罪を暴く罪 このこうい 私私から私たちの顔からこの罪が閉離て いく とス様の栄を美しさしていくとに変えられ ているということですねあめんこのように えさらに考えていきましょう あめね試練をどんと来いね念ハレルヤねは 喜んで受けた受けたたとこういう信仰の 勇者でりたいと思いますお祈しますハレ 感謝し ます世には艱難があるしかし勇敢であり と私はそれを本当にえ先のことのように 思うしかし日々 の人生の愛の中において小さな小さな 私たちの判断の中においてこの試練 問題また 目標また 課題それから見さことなるようそれを本に あなたから与えられた試練などして受けて 向くことができますそれはだから喜んで それを受けることができるのですそして それに耐えることができるようにあなたは 私たちを支えてあなたの注がれる愛によっ てそれを私たちは耐えることができるです そしてこのあなたの愛の注ぎによってその 向き寝られてそして輝き金星を生み出して いくその品性は望に決して終わらない あめんごそよな私たち人とならせて くださいますようにどと導いてください主 様の等々名前によってりいたしますあめん