ヨハネによる福音書13章1~11節
「洗足と旅立ち」
荒井道夫師
T [音楽] [音楽] ます [音楽] MEN [音楽] T [音楽] [音楽] H [音楽] T [音楽] til [音楽] H [音楽] 2024年6月16日になりました6月第 3誠治の礼拝を始めてまいります招きの 言葉今日の聖服をお読みいたします四辺 51遍19節神の求める生贄は砕かれた霊 神を砕かれ食いる心をあなたはあなとり ませんどうぞお立ちになる方はその場でお 立ち くださいそれで は3秒ご一緒にさせていただきますえ神聖 科の50番をご一賛否いたしましょう [音楽] K SHYK [音楽] OG うのな です [音楽] げろし からす て 主に 捧げ てを [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] OGOG に [音楽] くあてよう のまま でご一緒に読文を読み返します本日の読文 は市辺51編 ですスクリーンにございますのでになって ご一緒に調和ください細を司会者読みます ので太地を皆様でご承和 くださいでは読み返し ます四辺第51遍神を私を哀れんで くださいあなたの慈しみによって深い 哀れみによって私の背きの罪を拭って ください誤ちをことごとくあいり私を罪 から清めてください 私は自分の存を知っています罪はえず私の 前にありますあなたにただあなたに私は罪 を犯しましたあなたの前に感を行いました あなたの言われることは正しくあなたの様 にれはありませんあなたは心の奥底に真実 を望みれたとで恵をさてくださいますヒで 私の罪をりて取り払ってください私は清く なるでしょう私をって くださ はあなたが喜びと祝いの声を聞か せ美顔を私の罪から 隠しをて ください神を私のために清い心を作り私の 地に新しく確かな霊をさけてください あなたの前から私を知りとけず聖なる霊を 私から取り去らないで ください私救いの喜びを私に返し自ので私 を支えてください私は背きの罪のあるもの にあなたの道を教えます罪はあなたのもの にります神の求める生贄は砕かれたれ神の 砕かれた無を あたどうぞご着席 ください今日の礼拝のために者会者を祈り させていただき ます神のまとめる生贄は砕かれた霊神を 砕かれ食える心をあなたはなりませんとり 向い手の様感謝いたします あ様がこうしてあ様を礼拝する礼拝に 私たちを導いてくださりありがとうござい ます先週週間私たちは思いと言葉と行いに おいて様々なところを通ってまいりました どうぞ見舞にイエス様によっておとお許し くださいますようにまた感謝いたし ますこうして見舞にあなた様が愛しておら れる方々と共に礼拝を捧げられる恵みを 喜びをありがとございますどうぞこれを共 に集ってる方々また配信を通してあなた様 を共に礼拝してる方々お1人お1人のうち にあな様を望んでくださいますようにあな 様の御言葉をお答えくださいますようにお 願いいたします今日語られる新井先生を とくお持ちくださいご精様が導して くださって語る言葉を自由に語ることが おできになるように望んでくださるように お願いいたし ますやむずいろんな様々な事情でこの礼に 集えない方々お1人お1人をあなたがその 場で覚えてくださいどうぞあなた様が 私たちと同じようにあなた様の恵みを会て くださいますようにあなた様の平安が心の うちにありますように助けを導いて ください厳しい疑を通ってられる方々 どうぞあなた導いてください癒しを求め てる方々にあなたの癒しをお与えください 今日の1日をごごも集会が予定されてい ます第礼拝もございます賛美集会もござい ますが1つ1つの集会をあなたが覚えて ください見てにれます皆様の度に合わせ ます愛する主イエス様の名前によって感謝 してお祈りいたします あそれではもう一度お立ちなれる方はお 立ちくださいご一緒に首都信条を告白し 信仰を告白いたしますスクリーンご覧 なれる方はスクリーンをご覧 ください新世科をご覧になる方はオレンジ のページ826ページにございます首信条 になります 首信条我は天地の作り脳の父なる神を信我 はその後我らの主イエスキリストを主は霊 によりてり乙女マリアより生まれポンテ ピラトの元に苦しみをけ十字につけられ死 にてられに3日目に のうに脳の神の にしよりてけるものと死にたるものときた 我は精霊を信じ聖なる行動の教会聖との 交わり罪の許し体の りしの命を信じあどうぞご釈くださいご 一緒にももう1つもう1節賛美したいと 賛美いたしましょう272番になります [音楽] すれ しのと せる めか レ さて くしの からせた も君のしし お りい あし U もお お での [音楽] K K JAS イス は のどの あさ てユ を主 のせた をさ i i JO I on EL jesu さ てユ の 白く ならせた も君のてのがし もれ [音楽] イ れ もらを りさ てき せ たそれでは本日の聖書の箇所を配属いたし ます本日は新役聖書ヨハネによる福音書 13章1節から11節になります新教同 聖書ですと新約聖書の190ページになり ますヨハネ竜福音書第13章1節から11 節まで11節まで拝読いたし ます過越たの前にイエスはこの世から父の 元へ移るご自分の時が来たことを悟り世に いるご自分のもたちを愛して最後まで愛し 抜かれ たのであった既に悪魔はシモの子イカ手の 板の心にイエスを裏切とうとする思いを 入れていたイエスは父が全てをご自分の手 に委ねられたことまたご自分が神の元から 来て神の元に帰ろうとしていることを悟り 夕食の席から立ち上がって上着を脱ぎ 手ぬいを取って腰に巻かれたそれからたに 水を組んで弟子たちの足を洗い腰に巻いた で吹き始められたシモンペトロのとに来 られるとペトロは主よあなたが私の足を 洗ってくださるのですかと言ったイエスは 答えて私のしてることは今あなたには 分からないが後でわかるようになると言わ れたペトロが私の足など決して洗わないで くださいと言うとイエスはもし私があなた を洗わないならあなたは私と何の関わりも なくなるとお答えになったシモンペトロは 言った主よ足だけでなく手も頭もイエスは 言われたすでに体を笑ったものは全身清い のだから足だけ洗えばよいあなた方は清い のだが皆が清いわけではないイエスはご 自分を裏切とうとしているものが誰である かを知っておられたそれで皆が清いわけで はないと言われたのである それでは専属と旅立ちと題して新井先生に 御言葉を取り付いていただき ますそれでお祈りをいたし ますあなたは え私たちのこの肉眼では見ることはでき ません がま私たちの目が見るにまさってこの手が 触るにまさって豊かな臨在を持ってえこの 場においでになられること を感謝いたしますあなたの見舞に今日も 御言葉をいただきます主をこの喜ばしい 一時を祝福して ください永遠の身を持って私とも いる動きやすいものを支えてくださり今週 も豊かな旅を続けていくことができるよう に主をどうぞお恵み くださいあなたの手に追いして主イエス キリストの皆によってお祈りいたします メンえ と旅立ちというラをつけましたま戦man という言葉だけでもよろしいのですがえ 戦国がどこに向かっているかということを も含めてお伝えできればとそのように思っ ておりますえ少し言葉を変えますとモテ なしという言葉にしても良いのかもしれ ませんえ私たちの生活ではえモテなしと いうのは1つの文化その国その国に独特の 文化がありますよねでま私よくわからない んですけどもえお茶を嗜む方たちが いらっしゃってえお客様をどのようにして モテなすのかというそんなようなえ世界も 私たちの日本には持っておりますこの聖書 の世界ではええまた独特のものがあります えその1つはえ足を洗うということとです ねこれはもう生活に深くねざしています もちろん私たちの生活の中でも全然ない わけではないんですけどもええ食事を一緒 にしましょうっていうのはとても楽しいお 誘いだと思うんですけどその前に足を洗う というようなことなのですね少しあの聖書 の中で今お読みした箇所ではなくて少し 遡って1番最初に足洗ったということが あるところとそして今おみいただきました 少し前に書かれている足を笑ったという ことではないかという箇所2箇所まずえ皆 さんと味わいながら先に進んでいきたいと 思ってい ますえ足を洗うという言葉が1番最初に出 てくるのはえアブラハムというえ イスラエル信仰の1番元にある人物に戦 manという言葉が出てまいります えアブラハムはえ故郷と離れてそして イスラエルのパレスチナの地方にええ 暮らすようになりましたま点々とまして いる部分がありますよねまそんな時にま 昼下がりにえこの天ま まテントというのは軽軽軽すぎるかもしれ ませんがえそういう自の家の入り口に座っ ておりました時に旅人がそこをこうとま 通ろうとしているま昼下がりだったとで その時にえまあ都会ではあまりこう現代 社会では取りがかりの人をどうぞ寄って くださいなということはなかなか できるものではありませんけどもま非常に こうのどかな世界の中であまり人とそれ ほど出会うかなという世界の中で旅人が こうそこ通過しようとし て何かアブラハムはひらめくものがあり ましてどうかうちに寄ってくれませんかと もう懇願をするようにして えー招き入れるんですよねどうぞ足を洗っ てください洗ってってください食事をし てってくださいまこんな風にしてモテなす のでありますで今日のモテあの足足を洗 うっていうことはあの過去のことにこう心 を向けるって言うんでしょうかあ長い旅を 歩いてきてても足も汚れてしましまいまし たよねというその振り返りというかどんな ところ取ってきたのかということ以上に これから行く先に対する思いというものが 大きいんですよ ねえ非常にこう緊張感を持ってえ旅人たち は真剣なお思いでとそこ通ってやがて 行こうとして いるえまそんな中でえ彼はモテなしをして あのご馳走というのはそうというのを走る ということを書きますけどもまさに アブラハムのモテなしの仕方はえもう あっち行ったりこっち行ったりこっち行っ たりあっち行ったりしながら駆けずり回っ てえこの植物を集めてそしてできるだけの 精敗のもてなしを持ってこの方たちを もてなしたまそういうことなんですよ ねえまその中で思いがけず自分たちにえ もうぜもう与えられないであろうと思って いたお子さんが来年与えられますよという ようなことがこう言われたりですその中に まえこの神様がいらっしゃるというん でしょうかあのえジニ以前のイエス様が いらっしゃるまそういうことでしょうかえ ま旅人持てなせと いうそういうお互いの言葉共有してる言葉 があったのですがその1つの理由はですね その旅人だと言っているのに実は神様が 混じっている神様3人の中の1人は神様ご 自身であるまそんなことがあってですね こう旅とてなすってとても大事だっていう 文化があるんだろうと思い ます誰かわからない私たちは現代社会では ちょっと恐ろしさが感じますけど神様が そこにいらっしゃるそういう神様を丁寧に 持出したことにななるいうことになった わけですよねそして少し先をの話をすれば この神様は えソドムゴモラという街を視察に来ていた んですねそしてこのお待ち を滅ぼすかもしれない場によって滅ぼして しまうまそういう覚悟でえそこを通ってい たんですけどアブラハムがそれを打ち明け られてですねいやいや私の親戚もいるん ですよまそんなお話に展開していくんです けど モテなす足を洗うっていうことの中にえ 大切なメッセージがすでに込められて いるまたこのイエス様が足をま洗って くださったわけですけど今の話とは反対 ですよねイエス様が洗ってくださったの ですからもう1つのことですねイエス様に 対する深い感謝を持った姉妹がいまし たもう自分の息あこの弟が死んでしまっ た本当に深い悲しみを抱えていたその弟が イエス様の手によって蘇ることができた 生き返ることができたま望む以上のことが 我が家に起こったまそんなところでま感謝 会のようなものが開かれてそしてどんな風 に感謝表してらいいんだろうかこのマリア はマリアという人は考えてそして自分の宝 もののようにしてずっとこう思ってまり ましたものこの時だともうこの時のために 自分はこれ持っていたんじゃないかと思う ほどにその宝物を差し出してイエス様の足 に注ぎ出したま則という言葉は使われて おりませんけども自分の神の神でこう タオルで拭ったわけじゃなくて自分の髪の 受けでまその香りがですねこの片隅で多分 怒ったはずなんですけど人誰も彼も見えた わけではないんです けどその香りが部屋住にこう満ちてですね 香りがいっぱいになったのでかどういう ことかとみんなが注目をする中 でイエス様に最高の球のモなしをお感謝を 表したとまこんな出来事もすぐ前にあった んです ねまそんな中でえもうよもやという出来事 が今日起こっているのであり ます夕食の席から立ち上がって上着を脱ぎ 手ぬいを取って腰に巻かれたそれからたい に水を組んで弟子たちの足を洗い腰に巻い た手ぬいで吹き始められ た え行いのメッセージというのがあるんです 皆さんも是非知っておいていただきたいの ですそれは皆さんのそのいろんな私も含め てこう行動ですね心配の時は心配のような こうこうアクションしますよね心配ああ 何か心配にあるのって人が聞くような 私たちのこの言葉じゃなくてこの姿勢とか あその態度とかそういうものは他者から このメッセージとして受け取られる場合が あり ますこれはもう正式に言うとあ予言 者予言的な行動と言いますそのアクショ ンっていうのはメッセージを持ってるん です ねイエス様の行いにはメッセージが非常に 深いメッセージが込められているの ですま握手をするという文化が割と世界的 な共通の文化としてあるそうですねこれ どういうメッセージがあるんでしょうか これはある国のから起った習慣だそうです けどもそれはえ今の時代ではなくてもう かなり遡った時代 に私 は剣を持ってませんっていうメッセージだ そうですね 相手ブスっと刺すとそんな気持ちは全く ありません とあなたに対して心を開いていいます手の ひを差し出して特に右手を差し出すと右手 は聞き手ですのでま左手が聞き手の方も いらっしゃいますけどま剣を持つこの右の 手で手を差し伸べ て 親しく仲良く生きていきましょうそういう メッセージが1つの 形になって今日までありますねだからお 互い教会の者たちもですねお互いお互いに 悪所しあったりねまハグっていうのは日本 の文化ではあまだまだ馴染み馴染みが 少ないんですけども全然なしとは言いませ んけどまそんな風にして行いには重要な メッセージが込められてい ますでこの服を脱ぐという言葉と手ぬいを 取ったという言葉は何気ない言葉なんです けどもえこれはえこう使われているイエス 様が過去過去において語られた言葉の中に 重大なその内容が込められています え私は良い羊会であるとイエス様 おっしゃいました良い羊会は羊のために命 を捨てるんだこ言いました誰かが私の命を 奪うんじゃないんだ私が自分の命はこう 置くん だと いうそして再びその命 を取り戻すのだこれイエス様のもう勝て 語ったメッセージですねイエス様はこその 行動の中にすでにもうメッセージが込め られている私は命 を手放し ますしかし命をもう1度得ます誰かが奪う のでは ないそのようにしてえーイスもは [音楽] え上着を 手放しそしてえ手ぬいを取っ たこの同士は等しい同士として用られて いるの です [音楽] え洗うという行為なんですけどもえ食事と 共にえ日常的な行為だとすでに申し上げ ました通常は [音楽] え下部がそれを行うっていうのがもうもう その世界で見る 光景旅人が旅人なり家の人が帰ってきた 場合外から帰ってきたその人の足を奴隷が 洗うしかもまその国の奴隷ではなくてよそ よその遠い国のおそういう異邦人奴隷が 行うという低いえ仕事であったと言われて おります えこのようなことをイエス様がなさった イエス様がなさったというところ にとてつもないメッセージが込められてい ます えま杉野先生という先生の 記念の日を特にえホーリネス弾圧の 日曜日を記念して来週の日曜日はその日に なるんですけどえなんでったでしょうかね ええと100万人の福音と いうキリスト教の察しに菅野先生の都市 先生の墓が特集で乗ったんとあのそれを テーマに取り上げて今最新の9月後はあ 記事になってますので是非ご覧になって くださいえ何ヶ月か前に え取材がありまして えその取材に答えてですねえその記事が 載っておりますでその記事がこう全国に こう流されて書物が届けられてえその中 から問い合わせが来まし た杉の俊先生とあそこにその戦後に いらっしゃったそのたけしていうすの たけしっていう人とはどういう関係 でしょうかというあの問い合わせがあり ました親子関係ではないかなと思うんです が親子でしょうかそういう問い合わせが ありましたホームページを通してで私は はいその通りですという風にお答えいたし ましたでどうしてそのような質問なさるん ですかという問いかけをいたしましたそう しましたらえ50年以上前のえキリスト教 のやはり研究察しをこうメールで送ってき てくれましたそこには え杉のた先生の2ページに わる文章が載せられていました科学者とし てま東大のま教授として部長として非常に こう評価されていたそしてその科学と信仰 についてずっと文章を書いているそして 実際的なホーリネスクリスチャンとしての 生活態度のことも詳しく書かれて いるまその中で罪というのはえ何かと言う と想像者と同等に自分を扱うことが罪なと 書かれていまし た創造者と同等に自分を 扱うあかも創造種と偽造物である 人間それが偽造物が創造地と同じく並べて 生きるということが罪なん だどうでしょうか現代社会を見回してえ何 をお感じになるでしょう かそして自分自身あるいは周りの人はどう いう風に思いになるでしょうか しかし今日のメッセージはそうではないん ですそうではないということではありませ んがその罪の問題を解決するということの ために同等なんていう話じゃなく てそれ以下になった創造主が人間と同等だ という風にレベルになったというのでは なくそれよりも低くを置いたという とんでもない出来事が起こって るっていうことですもうここはとんでも ないことなんだっていうことが今日の メッセージの中心なんですありえない でしょそんなことは想像の神様が我々と 同じだなんていうレベルの話じゃないそれ よりももっと低くなってもうなんか雑巾 そのもののように低くなってその足を綺麗 にをとさ れる圧倒的な出来事が今起こっているん ですね圧倒的な 出来事この行いによるメッセージはこれも 圧倒されなければならないところ ですですのでこれから先はえそのお弟子 さんとイエス様とのやり取りにえなります シモンペテロのところに来られるとペトロ は主よあなたが私の足を洗ってくださるの ですかと言っ たイエスは答えて私のしていることは今 あなたには分からないが後で分かるように なると言われたペトロはペトロが私の足 など決して現ないでくださいと言うと イエスはもし私があなたを洗わないなら あなたは私と何の関わりもなくなるとお 答えになったシモンペテロは言った主よ足 だけではなく手も足 も先ほど申し上げたのです がイエス様は自分の命を置くとおっしゃい ました これを捨てるっていう風に訳されています けども別な表現で言えば自分の命を 置くあの出来事を よ予言している おペトロ は私の足をあなたが笑うんですか そのように問れまし たイエス様のお答え はこうですよということではなく て後で分かるようになりますという風に 答えたんですねまイエス様のお言葉はあ時 にその今もそうですね今分からないという ことがあって何十年もしてえ分かったなど ということはあるんではないかと思います 私も恩師にえ50年前に言われたこと え最近なってあそういう恩師の心かという 風に思ったこともあるんですけどその時は 分から ない今イエス様が何をされてるのかどう いうメッセージなのかわから ない見たい ペテロとんでもないことだという ペテロしかしそれを必要だとおっしゃる イエス 様 え少し後にイエス様解説をなさ るっていうことも1つあるんですけども この一連のことをずっと読み続けていき ますと人人にはえ神様の世界のことという のは単なる では分から ないということですのでお弟さんたちに 精霊を与えるいう風に約束をしております でその精霊というお方はイエス様が何を 言おうとしていたのか何を言われたのか何 をされようとされているのかを思い起こさ せてくださる1つの働きがあります神様の 世界のお心を 開いて私たちにえ与えてくださるんです ねですので後で分かるようになる今分から ないということをあまり不安に思わずにえ きっと分かる時が来るまそんな風に思い なられても良いのではないでしょうかま 聖書通読が進められていきます時にもう何 もかもわからないと先に進めないという風 な姿勢ですとおなかなか聖書全体に向かっ て読むことはできませんよねあ分かる ところが少しでもあれば幸いだなとそんな 風に思ってえ読み続けていっていただき たいという風に思うの です さてペテロは私の足など決して洗わないで くださいと拒絶をいたします えとんでもないことだということなん ですもし私があなたを洗わないならあなた 私と何の勘かかりもなくなるある聖書の役 では私のお弟子では なくなるということですね先ほど申し上げ ました関わりということはこれから のこれからどういう道筋をたどることを イエス様は想定されていらっしゃるのか それで今何が必要なのか これから先に起こることがいくつかの段階 においてあるんですねまさもう私たちは先 の先までずっと読むことができますので 少し先取りをしますといくつかの段階が あり ます究極はおそらく うイエス様 は最終的には 神様の身元に変 るっていうことそして弟子たちもそこに やがてはこう帰っていくそういう道づくり をする栄子ないを するそういう関わりの中に弟子たちを招き こんでいるんですねだからそれと関係あり ませんということではなくてその関わりの 中を生きるようにえイエス様は招いて いらっしゃいます しかしもう少し間もなく起こる出来事の中 で1つのことはえ15章の直前にさあ 行こうこういってですねこの今2階座敷と 言われているアパルームと言われている この男州のの男の前の晩 の晩餐をした部屋からさあ出かけていこう という時に された足はやがて出かけていきますこれは 一緒に出かけていくことになり ますしかしながら道はこう別れていき ます12弟子の1人は暗闇に紛れて1人 行ってしまった暗闇の中に行ったら つまづくざる得ないんだとイエス様は警告 を走ているのですがもちろん夜の時間です から暗闇に出ざる得ないという目もあるん ですが1人のおじさんは暗闇の中に消えて いってしまいましたしかし残された11人 はこの建物から出かけていきまし たイエス様のお話によりますとイエス様は 場所を備えに行くておっしゃいましたけど その前に えあなた方は私を置いて自分の家に帰って しまうよてこういう風に言っているんです ね私を残して自分の家に帰ってしまうと こういう言葉も残されておりますですから このアパルームから離れてやがてはイエス 様と離ればになってそしてえ自分の家に それぞれ帰ってしまうまそんな時が 来るイエス様 はその中でお1人 だけ天国の道を作るということがどんな こと意味してるかと言えば それ は捉えられるということ ですでユダが裏切るその裏切るって言い ますかそのイエス様が捉えられる原因に なるわけですけど もその裏切るという言葉は大変重い言葉な んですけどもこれは極めてシンプルな言葉 なんですこれから先に繰り返し使われる 言葉なんですこれ裏切るっていう言葉は えーはっきりとした意味が込められてい ますけど元々の意味はそういう意味では 意味ではないと言いましょうか元々元々の 意味は渡すっていうただそれだけの意味な ん ですつまり自分の意思でこの人をどうする かって自分で決め て そしてイエスの捉えたいという人の手に 渡した とそういうことなん です井はそのようにして引き渡したま イエス様渡されだからイエス様から側から すれば渡されるという状態を許して いらっしゃるエス様ご自分の命 を手放して置いて くださりその命を自由に使う権利を 人に委ねていらっしゃるユダはそれを使っ て自分の考えの元にイエス様を引き渡した の ですでもイエス様の願い はやがてそのこの自分の家に帰ってしまう かもしれない自分のそれぞれの道に行って しまうかもしれ ないそんなあなたであっても私であっても あの時こんなことをしてくださったん だとんでもないことを私の足にして くださったん だお前は大事なん だお前は大切な存在なん だだから私の命 を手渡して構わない イエス様はだからどうしても足を洗っ て差し上げたいと考えてくださったんです ねもう本来は逆なんですけども主人が弟子 に洗って もらう弟子 が主人に洗ってもらうという関係へと逆転 をした関係その関係を受け止め てただ足を洗うていう話ではないん です命が捧げられ て血が流されて罪なき物の血が流され て罪あるもの の命が永遠に強いものとして現れて いく先祖だ大々繋がってまいりました 私たちの命がどんな知なのかお互いに そんなに深く考えたことはありません けれどイエス様のような清い清い命であっ たと はとても良うことはできませんがイエス様 の清い命 が血の力が人類のそれまで担ってき た神への 反抗するもう同等じゃないかそれ以上だ とそのように想像しを奴隷のように使って しまう人間の罪を許し清めそして罪なき もののごとに雪よりも白くしてください そしてイエス様が作った道を作られた道を 辿って 神の国に はあ私の人生ここがゴールなん だ栄光の素晴らしい神様の身元に私の豊か な居所が永遠にあるん だその旅に向かっ て歩き続けることが できるそれ が私たちに 開かれている出来事なの です船息とそして旅立ちなのですですから 今日はあ自分の思いのままにそれは現代 社会では自由という言葉で言うことが できるそれは素晴らしい特権でもあります しかしイエス様の恵みに捉えられ て富という風にえこの瞬間的に思う方も いらっしゃるんですけども私もそういう風 に堅苦しいのかなと思いました けれどそうではなくて本当の自由と解放の 旅へと主は招いて いらっしゃる現代社会に生けるものが 2025年 問題だんだんとこの世界っていうのは 暮らしにくく なる年金の問題とか税の問題とか労働人口 の問題とか少子家とか高齢者ばかりになる とか2025年は大変な年になるという風 にえニュースでは流れてい ますそれはある面では確かなことでしょう 全然当たってないということではない でしょうしかしながらどこを見据えて歩ん でいくの かどこを見据えながら 歩んでいくのかイエス様今日通っている ように思うんですよねイエス様ご自分の命 を置いてください上着を脱ぐようにして 置いて くださりそして人の手に委ねてください まし た私たちもイエス様がもしですねイエス様 の前にね私の命はあなたにお預けし ますこの命だけは他の人のものではない私 のものだというこの命をあなたの手の中に 託しますイエス様はそうなさってように この命はイエス様の命 だそのようにえ託す方は幸いであります どうか豊かな豊かな歩みに向かって共に 歩んで参りたいと思いますお祈りをいたし ます天の父なる神 様戦国と旅立ちという台をつけてえししの 時を持ちまし た御言葉が真実で ありどんな人間的な言をも貫いてことを 遂げていく命の言葉であることを信じて おりますどうかあなたの前に自らを置き ますので主をどうぞ御言葉のままに見たの ままに導いて ください主エスキリストの皆によってお 願いいたします あめんありがとうございまし たそれではご一緒に賛美を捧げましょう 新世科の355番をご一緒に賛美いたし ます主と共に歩むです [音楽] 主に ない その のさ よ主 のし ごな OG GOD SSYSY [音楽] I JALI K KS SDATA JESUS TA tevas SSi [音楽] SHY SYSYfar [音楽] 主 ユな ひし きし 主 ま すレ [音楽] それではメッセージの応答メッセージの 応答と献金感謝のお祈りをお願いいたし ます愛する天の父 様今長もあなたが私たち1人1人の名を 呼び見舞と招いて くださり新井先生を通してあなたの御言葉 を聞くことができたことを感謝いたし ますイエス様が私たちのために命を手放さ れたそのそれをいい愛の行動によって いかに私たちのことを愛されているのか そのメッセージを改めて示してくださり ありがとうござい ます天長を想像し全ての権威を持っておら れる方がご自分の身を低くされ 私たちの汚れを洗ってくださったその深い メッセージを示してくださりありがとう ござい ますペテロのよう に主あなたが私の足を来になるのですかと その一方的な愛 を拒んでしまいそうなことがあってもなお あなたは私たちを 招きあなたとの関わりの中で生きていく ようにとそうてくださいますから私たちも あなたの愛を全身で受け止め てこの日改めて全てあなたに委ねあなたが 作られた道の上を歩んでいくことができ ますように歩み続けていくことができます ように1人1人を導いていて くださいま今与えられたものの中から一部 お捧げいたしましたこれを極めてあなたの 働きのために用いてくださいこの祈りを イエスキリストの皆によってお祈りいたし ます あーんありがとうございますそれではあ 先生に報告をお願いいたし ますはいそれでは今週の黙想をおみいたし ます1イエス様は将来に向かって今必要な こととして行動されますそのような出来事 を個人的に経験されました かえお知らせのところ第1番目のことなん ですがえ鶴見教会はえ新市によるオン ライン礼拝ですえ鶴教会のためにお祈り くださいと今日第3週なんですが第3週 日曜日に関してはえ今日から少し変化が あります鶴協会の礼拝説教は当日の横浜 協会の第一礼拝の配信を用います10時半 からえ鶴協会は映画が始まりますけど説教 の部分だけは今日のものが切り取られて ええ配信されたものを持ってえ礼拝を 捧げるということになっており ますそれから本日の第2 礼拝後午後12時20分から1時まで賛美 集会を開催いたしますえプログラムは掲示 板をご覧ください共に三業したいと思い ますえ3つ目はすでに先週来種類している ことですがまマスク着用義務の解除につい てえ知しており ます他に係りの方とかご連絡報告あります でしょうかよろしいですかはいそれでは皆 様お立ちになれる方もう一度お立ち ください省63番を賛美し頭新井先生に いただいて礼拝とじてまいります [音楽] OG OGI [音楽] え願は我らの主イエスキリストの恵父ある 神のご愛精霊の親し交わりが身にあります 全ての方々の上に今も後もよよ限りなく ありますようにアーメン [音楽] どうぞ着席くださいこれをもって愛礼拝を おげいたしますありがとうございました