山下達郎、大瀧詠一…シティ・ポップの成立【邦楽通史#16】

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25 comments
  1. 優れた作家は音楽に限らず自分の制作物に関する哲学やこだわりなどの「縛り」を持っており、その縛りを守ることで個性的で高度な創作に繋がったと思う。「縛り」は幅の狭いものではなく、たくさんの作品を見聞きし知識を得た「自分なりの表現の流儀」のようなものだ。シティ・ポップはそういった「自分なりの表現の流儀」を持ったものたちが、自分以外の人たちのために職業作家として創作することを始めたのが源流になっているように思う。
    大瀧詠一による太田裕美や山下達郎や佐野元春、細野晴臣らによる松田聖子、松任谷正隆によるユーミンなど、楽曲の提供からプロデュースまでをそれまでの「自分なりの表現の流儀」から解放され、その高い知識と技術力でトータルに支えることでそれまでの歌謡曲の世界からワンランク上のシティ・ポップと呼ばれる作品群の潮流が生まれたのだと思う。
    シティ・ポップと重なるようにニューミュージックという流れもあるがフォークソングをベースにした作品群も多く、それらもフォークシンガーのソングライティングの力量だけでなく、1960年代後半のグループ・サウンズ時代に活躍した星勝などのプロデュースによる編曲やソングライティングに関する厳しい指導があってこそ質の高い作品群が生まれた、井上陽水や安全地帯なども星勝による支えの賜物だろう。
    筒美京平・大瀧詠一・細野晴臣・星勝に限らず、スキヤキソングの中村八大のような職業作家も存在しており、優れた楽曲にはアーチストの創作だけではなく背景には必ず優れたプロデューサーや編曲家やスタジオミュージシャンらが存在し、彼らがいなければ優れた楽曲は生まれないといっても過言ではないだろう。ビートルズでさえ天才と呼ばれる才能を持ってしても、ジョージ・マーティンやジェフ・エメリックは不可欠だった。優れた職業作家のプロデューサーや編曲家は若い時代から多くのジャンルの音楽に接し、膨大な時間をその歴史や背景を学び徹底的な反復練習に勤しむことに費やすことで、知識と技術と経験を獲得した。
    彼らに共通するのは「温故知新」の精神だ。古きを尋ね新しきを知る・・若い人らには音楽に限らず、すべてのジャンルにおいて好奇心と共に「温故知新」の精神で挑戦してほしいと思う。みのミュージックさん、いつも楽しい配信をありがとう。長文失礼しました。

  2. ある歌い手さんの新曲を聴いて
    なんだろう心の奥底を掴まれるエモい感じがして
    理由が知りたくてディグりまくっていたらシュガー・ベイブにたどり着きました!
    その歌い手さんがシュガー・ベイブを知っているかは分かりませんが
    音楽って繋がってるんだなーと実感。今の音楽も、50年近く前の音楽もどちらもステキですね

  3. シティーポップっていう「流行を作り出す為のキャッチフレーズ」みたいなジャンルは好きじゃないけどね。

  4. いわゆるシティポップ的な音楽がたくさん出てきたことは、アメリカのポップス界の流行の反映でしかないよ。簡単な話。そりゃその背景は?みたいな話ならいくらでも話せるが、そんなのは後付けの屁理屈でしかない。世の音楽ライターの皆さんの仕事がそれだとしたならば、そんな戯れ言はもうお腹いっぱいなのよ

  5. 山下達郎をシティポップのミュージシャンって言い方するのなんだかしっくり来ない…🤔

  6. 16:45 〜あたりの分析についてはボカロの世界でも似たようなことが言えると思っていて、自分の作った楽器を自分で歌うか誰かに提供するかという2つの選択肢の中に新たに第3の選択肢としてそれが出てきたと言えると思う。特にボカロの場合は実際に歌ってるのはボーカロイドでありながら、フィーチャーされることが多いのは楽器を作った人間であるという点で自作自演にも楽器提供にもない特徴があると言え、そう言った視点でボカロ出身のアーティストが作った楽器を捉えてみると面白いのではと考えている。

  7. シュガーベイブが出た頃,世の中はディスコ・ブームで,シュガーベイブの曲が浮いてたなぁ・・・・好きだったけど

  8. ミノさんの主張にはいつも通り、ほぼ同意しますが「シティポップという言葉は’70年代後半に登場して’80年代に一般化した」ということに関しては全く同意しかねます。それは言葉がではなくて、そういった音楽の登場と一般化がその時期であったということです。
    自分は既にその当時、熱心な音楽ファンだったし音楽誌もけっこう読んでいましたから、自信を持ってそう言えます。
    「シティポップ」という呼称は今世紀に入ってから外国の人たちが使い出したのではないでしょうか。
    まぁいずれにせよ、あまり好きな呼称ではないですね。でも当時の呼称「ニューミュージック」よりかは、音楽性をある程度よく表している分、マシかなとは思います。

  9. シラケ世代の更にその子供世代だけど、リアルタイム世代に聞くとシュガーベイブらへの風当たりはかなり強かったと聞きます。90年代後半からは特にシティポップはダサさの権化として扱われた氷河期を経て、ようやく正当な評価を受け始めた。50年、時代を先取りしていたことになりますね…恐ろしい。 そしてその氷河期にシティポップを取り入れていたキリンジの先見の明 笑

  10. 海外にはテイラー・スウィフトやケイティ・ペリーに曲を提供しているマックス・マーティンとか。

  11. 珍しく今回の内容は薄かったです。もうちょっと突っ込んで話して貰いたかった。

  12. 1980年前後に「シティポップ」なんて言葉、あったかねー…全然記憶ないね。「都会的」ってホメ言葉はあったけどね。何だそれって感じではあった。それに「シティポップ」の「再来」は、サンプリングアーティストが盛大に取り上げたからじゃないの? YouTubeで盛り上がったのはその結果で、全然リスナー主導ではないっしょ? ちなみにアーティストなら世界中の音楽の勉強してるのは当然だ。

  13. CMとのタイアップによって大ヒットがたくさん生まれた—それは間違いないけれど(1976〜1982ぐらいね)それはシティポップだけじゃなくニューミュージック全般ですね。

  14. 個人的には日本の80年代は、「はっぴぃえんど」の細野晴臣氏、大瀧詠一氏、松本隆氏に共鳴する坂本龍一氏、山下達郎氏、大貫妙子氏、吉田美奈子氏、矢野顕子氏、竹内まりあ氏、鈴木雅之氏等がメインストリーム、という印象かな~。

    自分の場合、これにRCとJ,L&Cがあれば、お腹一杯だったw

    後は、洋楽で SteelyDanとDonaldFagenがあれば、まあ時間が足りないぐらいだったw

    ただ、他にもメジャーどころではユーミンやサザン、高中正義氏、CASIOPEA他、YAMAHAポプコン出の「ニューミュージック」のミュージシャン達もたくさんいて、四畳半フォークの生き残りの人達やいわゆる歌謡曲、アイドルもまだまだ元気で、音楽的には豊穣な時代だったんだろうね~。

  15. シティポップて言葉は近年に、海外から再評価されるようになってから敢えてカテゴライズさせる為の造語でしょ
    まあ、しっくりは来るが、歌謡曲風味の曲まで何でもかんでもシティポップ括りにするのはちと無理があるな、と思ったりする

  16. 70年代80年代の最先端の洋楽を分析して日本でも取り入れていく姿勢って、もしかしたらグローバルチャートを制するまでのK-Pop制作陣のマインドにもしかして近かったのかな。翻って、山下達郎や筒美京平の時代にインターネットがすでにあったなら彼らこそ東アジア人としては最初にグローバルチャートを賑わした人たちになっていたのかも、ってタラレバ妄想をしてしまいました。

  17. シティー・ミュージック(ポップでは無い)の最初は布施明作詞作曲の窓を開ければ(1974)です。大橋純子のペイパームーン(1976)シンプル・ラブと続き大橋純子がシティ・ミュージックをけん引します。深町純が関係しています。
    つまりはっぴいえんどまったく関係ないと思います。
    筒美京平は1976年作曲家10周年に方向転換しかなりのチャレンジをします。スリーディグリーズの曲提供で細野晴臣と共に録音しその関係で日本のポップを二人が認識しイエローが生まれたと云ってもいいです。
    しかしシンセの登場で譜面にドラムのオカズまで書き込むアレンジの筒美が音色を書き込めなかったからスランプに。そして編曲を辞め若手に任せます。

  18. サザエさんのエンディングとビヨンセとJAY Zのマッシュ・アップがハマるのもそういうことなんですね

  19. サムネ段階で売り上げ的にはヤマタツには及ばないが角松が話題に挙がるかと期待していたが、筒美さんに😂
    筒美作品シティーポップ枠だけじゃ語れない。
    80年代アイドル黄金期の屋台骨の松本-筒美の功績は偉大なのは間違いないけど。

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