2024年 3月 31日(日)主日礼拝(日曜礼拝)復活日、復活祭

2024年 3月 31日(日)主日礼拝(日曜礼拝)復活日、復活祭



この日曜日は、復活祭(復活日、イースター)でした。
春らしい暖かい日になり、みな集まれて感謝でした。

聖書 ヨハネの福音書21章1-25節
宣教(説教)「あなたは私を愛しますか」 谷清志牧師

宣教(説教)メモ
✞ ヨハネの福音書を続けて開いて来ました。今日はヨハネの福音書の最後の箇所です。
✞ 何度か復活のイエス様に出会った弟子たちは、故郷のガリラヤ湖地方へ帰って、漁師に戻っていました。そこへ復活後のイエス様が来られました。
✞ イエス様は漁をしている弟子たちのために食事を用意されていました。食事には「一緒に食べた人は仲間である」という意味があります。まずイエス様はペテロに「あなたは仲間だ」「私はあなたを赦(ゆる)している」と示されました。
✞ ペテロはイエス様を知らないと3回否定した過去があります。そのペテロに3回「私を愛しますか?」と尋ね、ペテロは3回「私があなたを愛することはあなたがご存知です」と答えました。
 これによって、ペテロは過去の悪い告白を打ち消すことになりました。
✞ 聖書の基準では、罪は「血を流すこと」=命の犠牲でなければ赦されません。イエス様の十字架が、罪の赦しのための命の犠牲です。
 人は、罪を赦された結果として善い行いをします。愛されたので愛します。命を与えられたので命をささげます。与えられたので与えます。
 ペテロはそのように、残りの地上の命を教会の信仰者を教え導くために使いました。私たちも同じです。

礼拝プログラム
祈り
主の祈り
賛美
 ジーザス・イズ・アライブ(ミクタム、リビングプレイズ、他)
 今もなお注がれる(吉田恵)
 よみがえりの主(その他)
特別賛美
  キリストは生きている
聖書朗読
宣教(説教)
信仰告白  ニケア信条
賛美
 愛しています(中山有太)
感謝献金
賛美
 キリストの花嫁(津川晋平)
祝祷
後奏
報告

以上

それでは皆さんお立ち上がり ください最初に主の祈りを持って祈って いきます主の祈り天にいます私たちの父を 皆が崇められますように国が来ますように 見が天で行われるように父でも行われます ように私の事の糧を今日もお与えください 私たちのおをお許ください私たちも私たち においのある人たちを許しました私たちを 心みに合わせないで悪からお救いください 国と力と境はしにあなたのもだから ですえそれではしていきたいと思い ます 主を褒めよう 死を打ちに蘇られ た勝利のイスは生きておら れる 今 ハレルヤ主を褒めよう 打ち破り読みられ た勝利のイスは生きておら れる今こは主は フレオが永の 神罪の呪いは 打ち砕かれ た神の 生きておら れる今こハ ハレルヤ主を褒めよう 死を打ちに読みられ た勝利のイスは生きておら れる今 こ主は主は アルファレオ永遠の 神罪の呪いは 打ち砕かれ た神の子羊は生きておら れる今こハレルヤ ハレルーヤ 主を褒めよう 地を 打ち破りみえ られ勝利のイスは生きておら今ここに今 こアルファで主アルファで オガの 神罪の呪いは 打ち砕かれた 神の羊は生きておら れる今はアルファでオメガ主はアルファで オメガ永遠の 神罪の呪いは 打ち砕かれ た神 のは生きておられる今主はアルファで オメガ主はアルファで オメガの

神罪の呪いは 打ち砕かれ た神の羊は生きておら れる今 ハヤ ハレ [音楽] よえ続けて寂していきたいと思い ますほられ たほられ た に 平 [音楽] は流され た地によっ て我ら はかもう一度ほられ たほられ た 羊 に あれ流され た主によっ て我らは ちかった今もな今もな を 注が れる主イエス の趣 を今もな を るイスの 十字たのみ わもろ初めからほられ たられ た 辻に えこ [音楽] あれ流され た地によっ て我らは ちかっ た今も を 注がれる 主イス の主 を今もなを るイスの じかのは 今魔を 注がれる す

の を今もを るイス のかの身は今 も今もな を 注がれる 修 の を今もを 力イス の のくさい今それぞれ十にイエス様の十字 また流された父をまた復活の身業を覚えて 十に乗っていき [音楽] ましょう [音楽] もう一度初めからサしていきましょうられ ほられ た 必に 栄 [音楽] をれ流され た地によて我ら はか 暇も を 注がれる 主イス のシ を今もなを るイスの じかの み今 もの今もなを 注がれる 主イエス のシ を今もなを るイスの 十のみは の 十の 身最後十の 見 家の [音楽] 身えそれでは今月の賛美の蘇りの書3して いきたいと思い [音楽] ます 弱いものでも 弱いもので

も 強いと 言える 貧しいもので も豊かだと 言える逃げ ないもので 見えると 言えるそれが主イエス のなされ た ざ 放 放神 の 羊 放 放射読 が命の顔 で 命の 顔 救いの 恵て 注ぐ 救いの歌 をイス に [音楽] 捧げる主はそを見 て自由 にれ [音楽] ほ 神の じ 放 放読 が ほ [音楽] 放神 の [音楽] 放 大夢が ほ の ほ 大神 の 放 大海 [音楽] が

の ほ 大神 の 大 大海が兵 の はいえそれではですねえ今日は特別賛美に 移っていきたいと思いますおはようござい ますえヨハネの福音書をですねずっと順番 に開いていましたけども今日でヨハネの 福音書は最後の箇所ですねになりますで え教会の暦ですね教会歴の中ではあの今日 はですね復活祭え復活日ということでま カタカナではですねイースターと言ったり しますけどもおそういう日ですでイエス様 が復活されたことをま記念する祝う日です ねイエス様はこの復活される3日前あの 日曜日も含めてえ日曜日の前が土曜日 土曜日の前が金曜日ということでえ金曜日 にですねイエス様は10時間ににかかられ て死なれたわけですけどもその3日後に 復活された蘇られたということを記念する 日ですえこれはあこの単にですねえ 生き返ったということではなくて永遠の体 もう滅びない体口ない体に新しい体になっ てイエス様は蘇られた復活されたという ことですそしてこのイエス様の復活につい てはまたイエス様の弟子たちは本当にこれ はありましたと私たちはこのイエス様を見 たんですイエス様と話をしたんですという ことを何回も何回も書いています今日の 箇所もそうですイエス様は私たちがこの 故郷のですねガリラヤ湖のそばに帰って両 をしていた時にそこにイエス様来て くださって復活のイエス様にまた私たちは 出会いましたということをですね語って いるわけですでなぜこれが大切なのかと いうことなんですけどもえイエス様は復活 された後ご自身をえ弟子たちだけに表され たわけです私は復活しましたよま死んで 終わりではありませんよということを見せ られてえ先週の聖書箇所だったらトマスと いう弟子にですねえこの釘の手の釘の穴に 指入れてみなさいこの脇の脇腹の槍を刺さ れたとこに手を入れてみなさい私ですと いう風にこう言われたんですねまた他の 箇所だったらですね私は幽霊ではありませ んま幽霊って書いてないんですけど霊では ありませんと霊だったらこんな足体はない でしょ触ってみなさい触れるでしょという 風に言ってですねえこの弟子たちに見せ られたえそういう風に弟子たちは単に イエス様がですねのイエス様が現れたんで はなくって復活されたイエス様体を持って

永遠の体を持ってえ復活されたイエス様が 私たちの前に出てこられてそしてその イエス様に私たちは出会いました復活は 本当にあります永遠の命は本当にあります ということをえせ聖書は語っているわけ ですではそれをえ伝えようとしたわけです ねでえま今日の話ですけどもえ人の許さ れること罪の許されることは私たちの行い ではなく神様の身業によるということです えま最後にお話しますけども人の罪が許さ れるのは人の行いによるのではなく神様の 身業ま別の言い方すると神様の行いによっ て罪が許されて私たちはそれをただ 受け取るだけいただくだけプレゼントとし て恵みとしてえいただくだけだという話に なりますえ少し聖書の中の説明をして まいりますけど もはいえ何度か復活のイエス様に出会った 弟子たちは故郷のガリレア地方に帰って 漁師に戻っていましたこれには理由があっ てですねイエス様はえ復活された後マリア にこうこづけて言ったわけですね弟子たち にガリレア地方に行きなさいと言って くださいそこで私に会うことができますと いう風にですねイエス様言っておられたの で弟子たちはエルサレムから一旦故郷の ガリラヤ湖地方に戻りました多くの弟子 たちはそこで元々漁師として仕事をしてい たわけですねペテロはどうやらその漁師の ですねえ漁師長みたいな責任者であった よう ですですからえこの両をしていた弟子たち はえペテロトマスナタナエルゼダの子って いうのはヤコブとヨハネですねえその他に 2人の弟子はえ両しに行こうということに なったわけです彼らが両するのはガリラヤ 湖っていう湖です琵琶よりも小さい えあの関東の人に行くとま霞が裏ぐらい だっって言うんですけど全然ピンとこない 例えなんですけどあのらしいですえあの1 回だけイスラエル旅行に行く機会があり ましたけどもえガリレア旅行の横ですね横 を見るとですねえ向こう岸が見えますで 向こう岸を見るとですねどうもああそこ人 が歩いてるなっていうのは分かるぐらい目 がいい人だったらなんか手を振ったらです ねえこっちもも振ってくれるみたいなえ そういうぐらいの距離の小ささの湖 ですそこで量をしていたわけで湖ですから あのどこか遠くからですね遠くの方から魚 がやってきてえそしてえこっちで取れ たっていうことはないわけですねその湖の 中で育った魚しか取ることができないわけ ですですから今日のように大きな魚が たくさん取れ

るってことはほぼなかったという風に想像 し ますというか弟子たちはたくさん取れるの を見てえ怖くなったって書いてあるところ もあるんですねこれはえ弟子たちがこの 聖書の箇所から約3年前イエス様と初めて 出会った時の話ですけどイエス様が ガリレア湖のそばに来てえこの話をされ るっていうことで ちょっと船貸してて言われてこのペテロ たちの船に乗ってですねそしてちょっと湖 の上から船に乗って話をされたんですねで ある人によりますとこういう風に話をする となんか湖からの風に乗って話がよく 聞こえるんだっていうことらしいんです けどでその後にですねイエス様はえ沖に こぎ出して網を下ろしてみなさいという風 に言われたわけですところが弟子たちは この私たちは一晩中両しましたけど全然 取れませんでしたでもお言葉ですからやっ てみましょうということでえちょっと起き に行ってそして網を下ろしたらえ船が沈み そうになるほどの魚が取れたそれで弟子 たちは恐ろしくなったって書いてあるん ですねそれでイエス様に従っていった今 までま何十年両をしてきたか分かりません けどもこんなことは1度もなかったの でそんなどこのどこにこんなたくさんの魚 がいたんだろうと思わせるほどの魚が取れ たので弟子たちそのペテロたちは恐ろしく なってイエス様に従っていった私について きなさいはいついていきますということな あったわけですねこれが1番最初の出会い ですそして今日の箇所でもう1度あのこと が起きたわけですね船の右側に下ろして網 下ろしてみなさいそしたらたくさん取れた あれこれなんかあった なイエス様に出会った時にこんなことあっ たな弟子たちを思い出してあれは主だ イエス様だそれでペトロは急いで上着を着 て飛び込んでえ騎まで泳でった他の弟子 たちはえ魚をですねあごめんなさい網を こう引っ張りながらえーま騎士に近かった ので船に魚を入れずにもそのまんまえ騎士 まで戻ったていうことです弟子たちは 思い出したわけですねイエス様だあの時の 出来事がまた起きたえそれでえイエス様の 元に帰ってきたわけですけど もはいで次に行っていただいていいですか ねでイエス様はと言いますと両している 弟子たちのために食事を用意されていまし たでえこの地域ま日本もそうかもしれませ んけど食事にはですね一緒に食べた人は 仲間であるという意味があり ますですからえここでイエス様が食事を

用意されてで弟子たちと一緒に一緒にパン と魚を食べたっていうのは大きな意味が ありますというのはこの前3日前弟子たち はイエス様を見捨てて逃げていったわけ ですねえペテロはと言うとイエス様あなた が捕まえられたら私も一緒に捕まえられ ますともう死ぬまであなたと一緒ですと 言いながらいざそういう危険が迫るとえ 逃げていった弟子たちみんな逃げていった わけですイエス様1人残されて捕まえられ て十字架にかけられていったわけですね えですから もしイエス様が弟子たちを許していなかっ たらこのえパンと魚え朝ご飯ですけど 朝ご飯はイエス様は1人で食べていたと 思いますねあイエス様私のために私たち 一晩漁してたんでもうお腹ペコペコです 用意してくださってたんですか何を言う かね3日前考えてみろねえみんな私を 見捨てて逃げていっただろうもう私1人で 食べるえ自分の分は自分で用意しろって これがあの許さなかった時のイエス様の 言葉ですところがえ書いてないですけど イエス様はさあ食べなさいって言って一緒 にご飯を食べたわけですねということは それを食べた弟子たちは分かったわけです ねあ許されたね3日前イエス様見捨てて 逃げていったけどイエス様怒ってない許さ れてる えあんな大変なことしたけどイエス様許し てくださったえそういうことが分かった わけですねえもう何もイエス様言ってませ んよまあここは日本人的というかこう行動 で示すというかですねわざわざ言わない けどえ行動で教えるみたいなところですね えイエス様はこの一緒にご飯を食べようと いうことであなたを許しているよ弟子たち みんな許したよね3日前私を見捨てて逃げ ていったけどでももうあなたを許している からもう仲間だからえ一緒にご飯食べよう という風にしたわけですねえそういう意味 がありますえここでイエス様はえ弟子たち を許されたということですねえその後はい えっとあはいここでいいですはいでペテロ は加えて ペテロという弟子はですね加えてえイエス 様のことなんか知らないという風に3回 続けて言ったという過去がありますえその 3日前ですねイエス様が捕まえられた後え ペテロは後ろの方からついて行ってイエス 様はどうなるかっていうのを見に行った わけですねそしてえこの相の庭まで入って そしてま寒いですのでこのエルサレムはの 上で寒いので日に当たっていたら周りの人 があれあなたあのイエスという人の弟子

ですよねっていう風に言われてまドキッと してですねいやそんな人なんか知らないえ というわけですえそれが3回あなたはあの 人の弟子ですよね見ましたよいやそんな人 知らない私はあの人の弟子ではない いやいや確かにあなたはあの人の弟子だ そんなことはないもうそんなそれが本当 だっったら呪われてもいいって言ってえ イエス様を否定し ます3回否定するんですねそのペテロに 対してイエス様はここで3回私を愛します か私を愛しますか私を愛しますかとこう 聞かれたわけですねでペテロははい愛し ます気持ちはそうなんですけど言えなかっ たんですねなぜかと言ともう3日前のこと があるからです え死ぬまでついていきますって言いながら できなかった自分ね え心は燃えていても肉体は弱いという言葉 がありますけどもそれが本当にわかって ここでペテロははい愛しますそう言い たかったんですけど罪許されてえあなたを 否定したこと許されてえありがとうござい ますもうこんなことを言えるもんではあり ませんというような感じですけどペテロは はい愛しますと言いたかったんですけども 言えないのでイエス様それはあなたがご 存知のことです私があなたを愛するていう のはあなたご存知ですという風にこう ちょっと遠慮がちに言っていますね3回と もそうですではいあちょっと戻りますけど もはいえ1回目イエス様言われた時ににえ こういう風に言われていますそれ15節 ですけど もえっとちょっと誤解があるのでここは 説明しておかなければならないところだと 思います15節彼らが食事を済ませた時 イエスはシモンペテロに言われたヨハネの 問あなたはこの人たち以上に私を愛します かとイエス様聞かれています ねでこれ読むとなんかイエス様を愛する 競争みたいなえペテロが私が一番イエス様 を愛してるんだて言ったら隣でヨハネが ですねいやそうじゃない私の方がイエス様 を愛してるえそしたらヤコブがですね2人 とも何を言うかね俺の方がイエス様を愛し てるんだそういうイエス様を愛してる合戦 みたいな競争みたいな風にですねこう見え なくもないですねイエス様が煽ってるね ペテロ他の人よりもあなた1番か私を愛し てるかどうだみたいなそういう風にこう嫁 なくもないですよねえですけどおまそう いう風に訳せなくもないんですけどあの 英語が分かる方は英語の聖書見てもらっ たらと思うんですけどえこれはですねこれ

ら以上に私を愛しますかとしかイエス様 言ってないんですねこれら以上に私を愛し ますかでこれらが何かっていうのは はっきりしないん ですということはまこういう風に訳せなく もないんですけど別の意味でも取ることは できます例えば今弟子たちは両をしてまし た船があって網があって自分の生活があり ます自分の仕事自分の量という仕事以上に 私を愛しますかという風にも取れますこれ らとしかイエスも言ってないので ねもう1度言いますね大事なことだから もう1度言いますねえイエス様がこう言わ れたのはあなたは自分の仕事よりも私を 愛しますか大切にしますかという風に聞か れたという風にも取ることができ ますまたもう1つ別の ええ意味としてはですねペテロが他の弟子 たちを大切にする以上に私を大切にします か愛しますかというにイエス様が聞いたと いうこともそういう意味も取れ ますまたもっと別の言い方をしますとこの 世界を見せてですねえこのガリラヤ湖の そばて綺麗ですね静かでいい場所ですえ この湖がある山がある綺麗な自然がある けどもこの世界この世界の何者よよりも私 を愛しますかそういう風にイエス様が ペテロに尋ねたということもでき ますとにかくイエス様はこれらよりも私を 愛しますかという風にえ聞かれたわけです ねその時にペテロはえはいえ私があなたを 愛することはあなたがご存知ですと答え ましたこれが3回たわけですねえそのこと によってペテロがですね3日前イエス様 知らないイエス様知らないイエス様知ら ないと言ったこの3回は今度それは 打ち消されましたえはい私があなたを 愛することはあなたご存知です私があなた を愛することはあなたご存知です私が あなたを愛することはあなたはご存知です えイエス様を否定したペテロは過去のもの となって今度はイエス様を愛するという ペテロに変えられていったわけですねえ このようにイエス様はえ私たち皆さんお 1人お1人にも罪許されたものとして 私たちを取り扱ってくださってえそして私 を愛しますかという風に導いてそして 私たちを信仰の成長へと導いてくださるお 方です ですえ最近え見たことでですねえあるま クリスチャンでない方がですねこう書いて いたんですけども えキリスト教っていうのはですねえ良い 行いをするだけでは罪を許してくれないと いうえそういうキリスト教の神様はうん

なんというか うんこうケチだというかあそういう意味の ことをこう書いておられたわけです ね えこれはあの基準価値観の問題ですねえ 日本人的に考えるとま良い行いをしたら神 様がその罪悪い行許してくれるだろうと いう風に考えるわけ ですですけどもえ聖書の基準によるとそれ は違うわけですね はい聖書の基準では罪はえ血を流すこと つまり命の犠牲がなければ罪というのは 許されないんだということですそう聖書は 言ってい ますでえもしですねえ例えばま先ほどの ですねえこの方が言われていたようにその 良い行いで罪を許さないのがまケチだと いう風な人がいたらですね私はこういう風 に質問してみたいなと思ったんですね であなたが例えば例えばあなたがある人に ま100万円でもま1000万円あれば 1000万円でもですね貸したとして貸し た人がですね私は毎日いいおいをしてる からあなたから借りた100万円許して くれって言ったらあなたはどうしますか って聞いてみたいなと思ったんですね えっと分かります私のが分かります ねもしあなたが誰かに100万100万円 にしましょう100万円貸したとしてその 貸した相手が私は毎日いい行いをしてい ますねえ毎朝早起きしてちゃんと仕事も 行ってねえ仕事終わったらそんな遊びにも 行かずに家に帰ってねえ家族高校もして いるので100万円許してくださいって 言ったらあなたは100万許します か ねいやそうはいかないですね確かにあなた はいい人かもしれないねえ真面目に働いて いいことをしてるかもしれないでも 100万円とは別の話ですよね100万円 はちゃんと返してもらわないと困りますと いうことになると思うんですねそういう 価値観の違いだと思いますで聖書によれば 神様の価値観によれば神様に対する罪と いうのは人の良い行いで長しにされるよう なものではなくて命の犠牲がなければなら ない血が流されれなければならないんです ねで しかも罪のない 誰かが身代わりに罪を追って死んで犠牲を 払わないといけないそれは人間には不可能 です人間は全員え罪の下にいてえそして 擬人正しい人ってのは1人もいないという ことですから人間が誰かの代りに地を流す 犠牲になるってことはできませんという

ことは結果としては神様ご自身が人となっ て罪のない人間として生きてそして神様ご 自身が人間の身代わりに死んで命を 投げ出して血を流してえ罪を身代わりに 負わなければ罪の許しはないというのが 聖書の価値観です良い行いではそれは実現 しませんまあえて言うならば神様の良い 行い神様の犠牲え神様が命を捨てて くださったという行いによって私たちの罪 は許され ます えですから私たちは良い行いをしていき ますけどもそれは罪許されるためではなく 罪を許されたものとして良い行いをして いきます今日の箇所でもペテロがイエス様 をイエス様にあなたを愛しますと言った けどもそうしないと罪が許されないから じゃなくって罪が許されたものとしてねえ 3日前にやった自分の大変な失敗をイエス 様がもう許したよねあなたは私の仲間だよ えそういう風に言ってくださったのでえ その心をあえ そのそういう風にですねえ許されたものと してペテロはイエス様あなたを愛しますと いう風にこう言ってるわけですね私たちも 同じでえ私たちが罪を許されたので私たち は え許されたものとしてイエス様に従って いくもの ですイエス様がそれほどまでに私たちの ことを大切にしてくださったのでえ私たち もイエス様のことを大切にしていきます ますこのえ愛という言葉ですけどももう この愛するという言葉ですね愛してるとか ですね愛するという言葉ですけどももう これは今や日本ではこう男女感のえ異性の 何か好き嫌いのそういう言葉になって しまってい ますところがうんよくよく考えてみると ですね必ずしもそういうものじゃなくて もっと大きなもっと広い意味があると思う んですね えまこう別の言葉で言うとま大切にすると すっごい大切にするとかですね大事にする とかもう貴重なものとしてこう取り扱う みたいなえそういうえ言葉があると思い ますえ言葉だと思いますね愛す るっていうのはええ別のまた別の言い方 するとちょっと仏教的ですけどこう慈しむ とかですねえこのそういう意味でもこの 美しむっていうのはえ親やえおじいちゃん おばあちゃんがですねそのちっちゃな子供 をこう大切にするていうようなそういうえ 意味なんですけどもそういう気持ちですね 単に男女感の好き嫌いではなくてなんか

こう本当に大切にするという気持ちですね でペテロはまた他の弟子たちはイエス様に よって自分がそんなに大切な もの自分は自分たちはイエス様のことを 知らんとかですねえイエス様の元が逃げて いったり存在な扱いをしたにも関わらず イエス様は変わらず私たちのことを大切に してくれた え裏切ったの許してくれたえ変わらず 私たちに接してくれているそういうイエス 様のそのそういう愛ですねそれを受けて 弟子たちはイエス様あなたを愛しますとお 大切にしますとイエス様あなたが私たちの 1番ですとえそういう風にイエス様のこと をこう言ったのではないかとそのように 思うわけですねですから私たちはまず イエス様が愛してくださったので私たちも イエス様を愛しますえまずえイエス様が命 を与えてくださったので私たちもイエス様 のために命を使っていきます命を捧げます イエス様がまず与えてくださったので 私たちもイエス様に与えていき ますでペテロまたその他の弟子たちもその ようにえ残りの地上の命を教会の信仰を 教え導くために使っていきまし たペテロが亡くなったのは大体えっと西暦 の60何年65年とか66年だったと思う んですけどちょっと間違ってたすいません えですからこの時から約30年ですね残り の生涯えペトロはえイエス様のためにえこ ということでこの教会を導くためにえ 新しく信仰を持った人たちのためにそのえ 命を使っていったわけですあですいません ちょっと言い忘れていましたけどもえこの ペテロが答えたとイエス様は私の羊を買い なさいという風に言われていますでえこれ はあの羊というのはですねあのえ新しく イエス様を信じた人間のことですほんまの 動物の羊ではなくて人間のこと新しく イエス様を信じた人たちのことをイエス様 は羊だという風にこう言ってるわけなん ですけどもですからえペテロはですね イエス様の愛を受けてそしてイエス様を 愛しますというその愛の現れとしてえ教会 の人たちえ新しくイエス様を信じた人たち を教え導いてその人たちのために命を使っ ていったわけですねでペテロの最後はと いう風に言われるとですねあの聖書の中に は書かれていないんですけどもペテロはえ その最後はですねローマでえこの皇典ネロ の時にいなくなったという風に言われてい ますでえそういうま小説があるんですけど もペテロがですねえローマにいては危険だ ということでローマからこの別の場所に町 にですねえ逃れようとしていた時にまこれ

小説ですよ聖書では書かれていないんです けどその時にえイエス様がそこに現れて くださってですねでえペテロよあなたは どこに行くのかでいやローマ危険なので別 の町に行こうとしますで私は今からローマ に行くえローマには私の民がいる から でペテロもまそれそのイエス様の言葉に 従ってローマに行ってでローマにえローマ で捕まってそして十字架にかけられ るっていうことになりましたけどもペテロ はいやイエス様が十字架にかけられる時に 自分が同じではもったいないとお自分は 逆さにして十字架につけてくれと言ってえ そのようにしてえこのさえ亡くなっていっ たという風にこう言われています えまですけどもその時まで30年間ですね ペテロはえこの自分の時間自分の力を使っ てですねえイエス様に言われた通り教会の 人たちを助け教え導て導いていく働きをし ていきました私たちにもイエス様同じよう にそれぞれにできる働きを与えてくださっ ていますでそしてそれを行っていくことが 私たちのイエス様への愛の現れですええ イエス様私はあなたを愛していますから このことを行いますこのことをしていき ますこれがイエス様への愛の表現ですです から私たちそれぞれ与えられた働きがある と思いますえいろんな 仕事ある人は職場ある人は家庭ある人はま 学校でえ勉強したりえそれぞれの与えられ た場所があると思いますけどもそれそれら 与えられてる働きをえイエス様への愛の 現れとして愛の表現として私たちはそれら を働きを行っていくものですイエス様が 私たちを許してくださったその許し罪の 許し私たちを愛してくださったその愛に 答えてそれが1つ1つを行っていきたいと 思いますお祈りし ますえヨハネの子シモンあなたはこの人 たち以上に私を愛しますかペテロはイエス に言ったはい主よ私があなたを愛すること はあなたがご存知ですイエスは彼に言われ た私の子羊を買い なさいえイエス様私たちも同じようにして あなたに罪を許していただいたものですえ 色々なえ間違いやあこの悪い行いがあり ましたけれどもそれにも関わらずイエス様 あなたは私たちをえ仲間だあなたの罪は 許されたえそして受け入れてくださって 愛してくださっていることをありがとう ござい ますその愛に答えて私たちもこれからの 人生これからの命をイエス様のために使っ ていくことができるよう導いてください

この祈り主イエス様の名前を通してお祈り します あめんではそれぞれでご一緒に祈りたいと 思いますおりしますえそれでは今日は第5 日曜日ですので私たちの進行告白としてえ ニア信条という心情の言葉を持って私たち の信仰告白といたします信仰 告白私たちはただ1人の神全てを支配さ れる父天と地と見えるものと見えないもの のの作りを信じますまたただ1人の主 イエスキリストを信じます主は神の巫女恩 独り子であってよよに先立って父から 生まれ光からの光誠の神からの誠の神作ら れたのでなくて生まれ父と同質であって 全てのものは主によって作られました主は 人間である私たちのため私たちの救いの ために天から下り精霊により乙女マリアに よって受にし人となり私たちのために ポンテピラトの元で十字架につけられ 苦しみを受け葬られ聖書にある通り 3日目に復活し天に登られましたそして父 の右にざしておられますまた生きている ものと死んだものとをさくために栄光の うちに再び来られますその三国は終わる ことがありませんまた精霊を信じます精霊 は主命の主であり父と子から出て父と子と 共に礼拝され共に栄光を着せられます そして予言者によって語られました私たち は1つの聖なる行動の首都的な教会を信じ ます罪の許しのための1つのバプテスマを 認めます死者のとるべき世の命を待ち望み ます あめんではあ賛美を持って今日の捧げ物 いたします皆さんお立ち上がりください 最後に賛美していきたいと思い [音楽] ます私 の 愛する方 なんと 美しくし はしりこの目 もこの心 も 全てあなたのも花嫁 は花嫁は待っています 花子が来られるの をいつの日か顔と顔を あわせ御場に行く日 まであなた を あなたを 愛してい ますあなたの全てが 愛し心

つくし見も花夢も待ち のむ来て ください 花 イスよあなた を あなた を愛してい ますあなたの全て がし 心尽くし 見も 花嫁も待の む来て ください 花イスよ心尽くし [音楽] 心尽くし [音楽] 見も 花嫁を 待ち望む見て [音楽] ください [音楽] イエスお祈りしますどうか平和の神ご自身 があなた方を全く聖なるものとして くださいますように主イエスキリストの 来臨の時責められるところのないように あなた方の霊魂体が完全に守られますよう にどうか主イエスキリストの恵みと父なる 神の愛と精霊の交わりがあなたと共にあり ますように主イエス様のお名前を通して 祈ります [音楽] メン [音楽] おりくださいえそれでは報告をお願いし ます

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