#いとうせいこう #東北モノローグ #福島モノローグ #想像ラジオ #東日本大震災 #能登半島地震 #被災学 #東北学院大学 #河出書房新社
▼東日本大震災から13年。「福島モノローグ」に続き、いとうせいこうさんが東北を訪ね歩いて聞いたインタビュー集「東北モノローグ」を刊行しました。歳月が経過したからこそ聞けた話への驚き、見える課題、能登半島地震での怒り、これから取り組もうとしていることとは?
▼震災を題材にした小説「想像ラジオ」(2013年)に込めたある秘密も、いま明かします
00:00 短い予告
00:20 能登半島地震、怒り
04:37 13年経ったからこそ
06:22 被災地に生じる分断
11:57 在宅被災者問題
12:55 NHKアナと「想像ラジオ」
17:00 「当事者」ではないけれど
23:48 「想像ラジオ」のラストに
26:31 「モノローグ」誕生の瞬間
29:23 声~ラップもルポも小説も~
32:32 「ノーライフキング」もそう
34:58 顧みられない災害を
▼聞き手:平川翔
▼撮影・編集:宮崎晃
▼制作・著作:共同通信社
BGM
曲名 :「Drift」作曲 : YASUFUMI FUJIKI Gt : RYU ITO
https://www.youtube.com/watch?v=8zmeuIC3_N0
びっくりしましたよね僕もそれ聞いたこと ないって分断してしまうアナウンサーが どんな思いして悔しく思い続けてきたか 言ってこなかったかもしれないんだけど 最後さ想像ラジオっていう言葉にエコーが かかるんだけどそれは本当に非常識なこと で本当に悔しかった何年経ったんだよあれ からってなんとかしたいんですよねだから ね全くあの対処の仕方がここんなに交代し てるんだっていうああでじゃあ東北で 苦しんだ人たちは何のためにあの時苦しん だんだっていう怒りにもほぼ怒りですね あああすごく思いましたでさっきも ちょっとその話してたんだけどはいはい えっと僕同時にそのえっとあの国境なき 医師団の取材もずっとやってそれで本に それを書いてま我山にも入ったりとか色々 してしてたわけですけどででそこでうんと 南スーダンの奥でもウガンダの奥でもま これあの同じ故郷性なだからどっちからで も行けば奥になるんだけどそういうところ とかあるいはギリシャにいろんなところ から海で命からがら来る難民の人たちと かっていうものがキャンプを貼るわけじゃ ないですかはいと あんなどっか体育館に掘っておかれるよう なことはどこにもないですああはいはい はいヨーロッパにもないアフリカにもない え他のま場所にもないんですよあんなこと は本当に非常識なことではいはいはいあの 人間をあんなプライバシーのない状態に 置くて置いて当たり前のようにして るっていうことははいはいはいでそれが また起きてしまっているうんっていうそれ があるんで違うこともありますよって話も 遠くモローグではあそう いう視町村というかきちんとしたところも ありますよって話もここに載せてはいこれ からこれを持ってそれから東北学院大学の 人たちとその今まで彼らが出していたえ 震災学っていうのをどんどん出してたんだ けどそれを被災学っていうに名前を変えて えいろんな被災に関するどういう風に我々 は被災すべきかというかある意味日本の ようにあの災害が多いところでそしてえ 我々がええ得てきたこの経験からしてどう いう風に人が扱われるべきかということの 提案を世界に向かってやりましょうとはい はいはいえ言っていてさあ確実あの細かい 打ち合わせは1月何日にしましょうねっっ て言ってたらノが起きちゃってうん本当に 悔しかったうんそしてまた同じ絵だった はいはいはい子供たちもおじいちゃんもお ばあちゃんも一緒になってはいはいしかも 寒いのにそうですようん毛布1枚の上かよ
てはいそこに何か落としに行く人たちもい ないのかてなんて国なんだっていうはいま もう怒りですねとそれとその間に合わ なかったっていう気持ちはいはいですだ からとにかく もうもうもうもういいからそそこのそこに 何があるべきはい何が届けられるべきかえ どういう精神会がどういうことをすべきか うんということをあのその被災学っていう ものをどんどん出すことによってあの早く 作らなきゃなっていう うんでもとにかくもう本当に悔しい悔し いって言ったらま自分は当時者じゃない からまたねあれなんだけどそうですねこれ はないだろうっていう気持ちですね うん 何年経ったんだよあれからってそうですね うんしかもその間にもね熊本もそうなん ですそうなんですそうなんです水害があっ てとかっていうことがあるじゃないですか うんでそそういう人災みたいのもあって また原発で変なことに人災があってという こと全部に全く対応ができてないんだなっ ていうことに驚くほわないっていうか うんなんとかしたいんですよねだからね 関係ないのになんとかしたいん ですもちろんもちろんあのそもそも1番頭 に持ってきた語りべになっている人とか あるとお父さんを亡くされたえ当時高校 中学生だったかなえ学生だった人でてなる と自分が その誰かをなくしてからからえっとの年月 っていうものが全部このインタビューの中 に出てくるじゃないですかはいはいはいで で新しい自分の道をなんとかさ見つけて そっち行こうとする若い人たちの話とかを 当時は聞くことができなかったからはい はいはいましてその時にその実は学級崩壊 みたいなことが起こっていて本当ちょっと びっくりしちょっとびっくりしましたよね 僕もそれ聞いたことないってあのま確かに そすごいショックを受けてるわけだから 子供たちがえま学校教室から出てっちゃっ たり戻ったり あるいは学校の中で使ってはいけない言葉 がねあることある種の言葉津波っていう 言葉が出ちゃったりするとものすごいこと になってしまうっていうそういう状況を 私たちはえとメディアで知らなかったはい でで当時そうだった状態でも多分彼女たち は僕には言ってくれなかったと思ううん うんうんそれはやぱ言えないっていうか その時でさえちょっと言いにくそうだった やっああはいはいでも今やっぱり言っとか なきゃなっていう気持ちの方がまさってき
たはいはいはいはいその時に聞けたのは とても幸運なことだったなっていう風に 思います うんその中でももう全然違う立場があって でそれがまう言葉に現れてはいはいしま うっていうでそのことていうのは結局 えっとあのまどんどんマンションみたい マンションっていうか団地みたいなの建て られるけどそこののここの部分では結構 流されてる人たちこの塔はそんなに流され てない人たちみたいになってたのね当時 やっぱり取材に行ってた時島モノローグと かはいそうするとそこに対立が生じるので あの一緒になってあのこうしろっていう 要求ができないようにされてるんだと僕は 見たんですああはいはいはいでそれは やっぱり石村さんがあの書いてたことと ほとんど同じっていうかはいああの 当時の水本で あの反抗それに対して何か声をあげようと する人たちがこう分断されていくっていう やり方を同じようなやり方がやっぱりあっ たとも思うししかもそこにそれそういう やり方があったかなかったかは別として 人間がそう分断してしまう部分があ自分 たちと自分たちでないもの持ってるもの 持たさるものみたいなもあこれかってここ をなんとかすぐしなきゃいけないんだなっ てだからそういう意味でもまこれこれ今回 言ってですうん これを元にしてはいややらなきゃいけない ことがいっぱいあると僕は思っていて インタビュー集なんだけれどもはいはいえ じゃあ被災した人たちはどうどういうよう なえテントの中にいるべきかはいはいえ 被災した人たちはどういう風にえっとご飯 を配られるべきかそういうとこにいる女性 たちはどういう風に整理用品をもらいどう いうところでそれを使うべきかうえそれが 常識になるべきかというようなことがの ヒントがこのあの10何年経ってから出て きた言葉の中にたくさんそのヒントがあっ てええ そしてのが来てしまい全くそのことがそう あのきちんとなんかなんだろう なもっともっと前前に出してそのことを わあわあ言ってればはいもも少しは違った のになっていうあはい はいしかし自信はいつ来るかわからないの ではいこんなことになってしまうんですよ ねものすごく急いだつもりなんですけどね これはい応あのさっきおっしゃってたあの みの話の一応確認というかニュアンスとし てあのあれて要は患者さんの認定が結構 あのばらけたじゃないで最初に認定した人
ほど補助が大きくて例えばうん うん言そうそうそうそうそうそうそうそう もちろんそうでそれはあともう支配の構造 になってたんだろうな当時からいうはいえ で同じようなことがずっとこの原発でも はいそうですねも福島でも起きたしえその 前にもいろんな災害に関して起こってきて いてでそこがあのえその分断を破ることが できにいるんですよね私たちはでそのこと はすごくこうじじある思いが誰に聞けば これこの分断を分断でなくする方法がある んだろうという風にうんうん次はそれを 聞きに行きたいですねやっぱいろんな社会 学やってる人とか哲学やってる人たちに どうすれば人間はこういった基本的な分断 に陥ってしまう構造みたいなのの外に出 られるのかはいはいこんなに愚かなことは ないのにということは もうまんまガの問題にもつながることだと 思うではいはいはいだそこにまたフェイ クっていうことが入ってきちゃったもんだ からねあのみの時さらにあのめどくさい ことになってますよねはいそこをどうする かっていうこと は緊急にいっつも知りたいなでも考えても 考えてもこうどうすればいいか難しいです ねうんあの時はゆるま村社会だとかそれに 気するま抽象とか嫉妬みたいなことだそう そうだったのでまある意味分かりやすい 買ったかかもしれないんだけどもう違う もんね事実が違うんだって言い出す人たち が出てきちゃうからそうあの勝ち組負け組 みたいなさ対戦の後のあんなような状態の ものが出てきてしはいはいでれお金をかけ た方が勝つっていうはいはいま今回 イスラエルのそだけどそういうことになっ てんのよね うん救われてない人たちはまだ全然いて ほっとかれちゃうっていう災害があるたび に多分今回のノでも絶対にそれがもうあら 明さにむしろあらさに起こるでしょ はいそれからまあの え在宅被災者の問題とかあんまりね言われ てない問題ですねあれは1番ストレートに ジャーナリストなところだなとは思います うんそうですね自分の家にいて被災し ちゃう反回でさえない場合自分の家に住ん じゃったら最後えちゃんと保障してもらえ なくなるっていうもうなんとももう残酷な ただの精度の問題ですよねはいはいで しかもそういう人たちが何百人もまだまだ いるんだと現地にはいるとええということ はこれこれから先もそういう方方があの 何かの災害が送りたびに出てくるんだて いうことになっちゃうのでうんえそうじゃ
ないように えっとこっ からやれることがあできできていくといい なとはいはい思ってい ます想像本当に想像ラジオだったって これれは本当にそうなんだすごい 答え合わせだなとびっくりびっっくりした よね あ同じようなまそれは僕のね所説の場合は 死者が語ってたけどもはいこう反転してる 感じ聖者でもうほとんど何にも状態が今 どうなってるか分からない状態のまま ラジオを朝まで続けなければいけない何の 情報も入ってこ ないそれはちょっとしましたねやっぱり 聞いててね うん書いてる時にこう想像していた暗闇感 とすごく似てたからああなるほど何にも わかんないままだって想像ラジオの場合は 上を向いた状態で遺体が杉の面にになっ てるから見えないわけですよね下がねその 状態で喋ってるじゃないずっとはいはい 同じなんですよねあの人が経験したこと はそして未だに怒ってる自分にも怒ってる しはいメディアをこすべきだったのにえ きちんとあの市民ラジオみたいなものと 自分たちが結ばれていなかったことによっ て情報がみんなに伝えられなかったでそれ で苦しい思いをさせてしまったということ を今もずっと悔み続けているっていうええ でま悔み続けているってことはみ多分皆 さん同じなでそれ濃度というか話す時に出 てくるのことの濃度が違うだけでそのこと がやっぱり年月経っても同じなんだなって いうことは重要なことだなと思います うん今回そののの地震の時のまNHKの あの呼びかけであったりとかていうのは やっぱ明らかにこのうん経験があって 変わったま回されたあるじゃそう叫びに なったっていうのはすごい取り入れたんだ よねえそれでやっぱりアナウンサーの中で 常識化し てトレーニングもやっぱりやったってこと ねそう確かにあれはあの 珍しく何かになってなってい たほっとしたことの1つではありましたよ ねそれに対してなんか言う人もいたけど いやそうじゃないんだってこれ読んでよっ てその時にアナウンサーがどんな思いして 悔しく思い続けてきたかはいはいでしかも どうしても見に行ってしまって巻き込まれ てしまう人がどれだけ実は多いかっていう まここの中で言うとえ実際1人も被害者を 出さなかったっていうとこねあそこねそう ですはいちょっと揺れただけでも未だに
もう全員で逃げるっていう場所があ るっていうですね驚いちゃうよねあれあの 最後長長さんでしたっけ逃げてくれて ありがとううんそ逃げてくれてありがと うって挨拶する拶がすごいなすごいああ いうこと要するにああいうことが常識化さ れてこうえみんなにこのこの本から伝わ るっていうはいうん そんなことがあるところがあるみたいよと かえ消防隊がもう命はの命がけであの海岸 に見に行かないようにみんなと喧嘩して上 にあげてくらしいよとかってああいうこと がすごく 重要そこにどうしてもその光が当たん なかったんですよねそういう情報になぜ だろうこんなあのはいまこんな言い方あれ だけど面白い話というか興味深い話よね うん はい不思議だよねだってあれがちゃんと それぞれの市町村に当たり前になっていっ てくれればええ うんこ今後何かの災害があった時に確実に もそれが聞いてくるってこなわけじゃない ですかはいえだそういう意味でモノローグ でモノログってのは僕に話しかけてる みたいに見えてるけどこれも社会に向かっ て言ってるものみたいに思ってもらえると 嬉しいですうん にやっぱりま想像ラジオのところのまや せこさんってその東北の出身でもなけれ ばっていうところでそれでそういう風に まず書かなければっていうモチベーション に向かわせたものはなんだうんうんなん だったんだろうねいやまとにかく一緒に柳 あの慎吾さんあの野牛慎吾さんっていうま なくなっちゃったけど僕の年下の演芸家が 誘ったんですよ僕をで彼はいろんなその そのフリージアだっ推薦かな求婚をみんな から集めてはいはいえ庭にあるやつを集め てそれを東北にいろんなとこに埋めてい くっていう運動をすぐ始めたんですよま 演芸からし考え方だしそれの素晴らしいの はみんなが自分の庭でから取れたものを 東北にってそこで花を咲かせるってことで そろそろ咲頃だからこれ時期的に伊藤さん 一緒に見に行きませんかって言ってじゃあ 行きましょうって言っていって そしてまそそこのうつっていう場所なんだ けどうつっていう場所のの出身の えあの加藤の先生女性の先生もいてそこ 出身なんですよそこの病院のその病院も 何にもなくなってて全く何にもないような ところに遠くから見えたんだよね 輪最の黄色いやつがわあってなったよね もうみんなで走っていてみてそれでそこの
近くのにお金をちゃんと落とさなきゃねっ て言ってう宿に止まってでご飯を食べに 行こうっつってタクシーを借りて真っ暗闇 で何の意味があるんだろうこの信号はって いうようなのが続くところ行ってるである ところ赤信号だから止まるよね意味ないよ ねこれ何にもないんだからでもその時に 昼間そういえばこあそこにの杉の木の上に 遺体が引っかかってて取れなかったんだっ ていうことを2人の人に聞いたはい よっぽど悔しかったんだよその人たちは ああ悲しかったし悔しかったんですねで そのことを思い出した途端にま多分あの ラジオからは放送が流れてたと思うだで 野牛さんが隣にいたからこれ誰もいない ように見えてるけどみんな喋ってるよねっ てってうんうんでラジオからも声が聞こえ ててでその時もう想像ラジオっていう タイトルがもう浮かんじゃってあ はいああそうかってじゃあ書かなきゃいけ ないんだてそっからですよ苦しいのはなん で俺が書かなきゃいけないだってあね 特に遺体のをに少しでも描写が寄っていく はいですこの不謹慎さものすごく不謹慎な うんでもそれが寄っていかなければ小説に ならないうん過剰書きになってしまうはい でそこみたいなところをずっとでま なくなった人たちからどんどんそのラジオ にお手紙がお便りが来るからメールが来 たりあの電話がかかってきたりするえと海 の底にまでそれが繋がっててそこにも遺体 があるってそこにもやっぱりどうしても よっていかなきゃならはいはいはいそれは もうめちゃめちゃ苦しかったですねうん俺 本当に俺がやんなくていいじゃんって何度 も思ったしはいはいでも僕それまで10何 年間物をかけないずにいたからまようやく 少し短編かけるようになってね佐々木当 るっていう人に消しかけられて怒ってない で社会に怒ってない今社会に起ってないで 小説も書いた方がいいんじゃないかみたい に言われてうん少し書いてたんだけどでも その時にまとにかくそういう想像ラジオ みたいなていうかえそれが少しかけてた時 にこの問題を書かないで別なことを書いて たら俺は最低だなってそんなの書かない 書かない方がマだよなって思ったんですよ やっぱりこんななまにも人が一気に死んで いることをなかったことにして別なことを 書いてるなんていうことありえないねだ から書かなきゃもしここのまま自分が作家 に戻りたいなら書かなきゃなんないんだっ てうんでも作家に戻る必要もないよねって 誰にも言われたわけでもないわけだから ここが苦しかったですねまそれでも最終的
に書きましたけども うんそしてもう誰にもインタビューされ たくないと思ったからインタビュー全部 断ってもう少しでもニュアンスが違っ ちゃうとやだから傷つけちゃう人が出てく だうんうんやだったその時に唯一何年か 経ったら東北学院代の人たちとそのコから 新市のひ方さんたちが僕を呼んでえ東北に 呼ばれたら行かざるえない思って言ったそ したらそこにい た当事者の人がまそれは僕が行きゃそれは ね良かったでて言ってくれ うんてくれたんありがとううんあはいそれ でなんか肩のが降りたんだよねそれがこう いうことにこの礼みたいなもんはいはい 礼参りみたいなもんだ僕の代わり にあのあじゃ僕を利用して語ってくださ いってああはいうんさこないだ僕が語っ ちゃってすいませんでしたって色々言っ ちゃって見てもいないものを言っちゃって すいませんでしたってで皆さんの体験を あの言ってください僕はまとめますんでて いうことだよねこってね はいさっきおっしゃったあのその花一輪の 花が咲いてたあれっていつ頃のことといだ からいつたのかな22月とか3月とか割と 早く咲くんですよねその推薦とかは翌年 ですかあてもうねも何年かあと2年後かな だってねえっと想像ラジオが とにかく3回機に間に合うように書きた はいはいどうしてもそうです2013年の 多分1月に文言に出てたと思うのででて いうことはその前のま何ヶ月かをかけて ずっとそれ書いてるんですよねそうなそう そう そうそのそのその小説ってあの想像ラジオ のことですけどあの最後さ想像ラジオて いう言葉にコがかかるんだけどそれは エコーなんだよねはいはいエコーだったの 回る無垢だエコーあエコーうんエコだった のそれはそういうものとして書いてんだ からお経みたいなはい はいそうそれを今までだ言ってこなかった かもしれないけどまそういうことだから3 会機に間に合わなきゃいけなかったそれ はエコのために書いたの で 創造ラジオが出た時ってまだそのいわゆる 当事者でない確保付きの当事者でない人が 語ることの是みたいなものが割と問題に なってなってるで今って多分そういうこと を議論する人ってかなり減ったというか そうかやっぱり減ってくれてるのかなええ 僕はそのやっぱり自分は当事者じゃないの に死者を描写してしまったていうことに
関してえ書いてる時もずっとものすごい もう揺れてたしああああで出してからも 揺れてましたうん えななのでそのもうほとんどお詫びのよう にしてこれをやってるみたいなところがま ああるあはいぐらいえでもねもちろんね あの非当時者だからコスできることがある のであってえもちろん当事者は当事者で やれることがあ えそれぞれにあるんだというようなことに 落ち着いてきたと思うんですねでそのこと 自体はあのあの間違いはないと僕も思っ てるんですけどうんでだけどもやっぱり やってしまったものとしてはうん あのどっかに そのこれま大りでは言えないあんなものを 書いたものですがていう風に当事者の方に は言わなきゃならないなと思う自分がいる うんうんでも その罪悪感みたいなものとかそのま迷い みたいなものをこのモノローグっていう 形式をよく自分でも思いついたなと思うん ですけどはいはいとにかく自分の言葉を1 個も入れないっていうか全部切 るっていうか質問からないから全部切 るっていう形をおま作ることで自分がなん とかき生き延びたっていう感じかなうん それで福島を呪にそれがなっていったん ですよねはい想像ラジオの文庫が当時出て はいはいそれでそれが書店に並んで平に なってたんですよそれでま遠くの書店には 行って挨拶しなきゃなと思ったから行って えまサイン書きながら回ってよろしくお 願いしますっていう話をしてった時にえ こここのの文庫のところにこういうなんか 電波島みたいなこう誰かが作ったんだよね それ宣伝のためにあはいでそれでえまあの ポップみたいなもんです よそれがもう完全に もう今までは この電波灯から外にあのDJアークって いう人が話すっていう小説だったわけじゃ ないですかはいはいはいだけどここに 向かってみんなが話すっていうイメージが パーンって来ちゃったのあなるほどあこれ だと思ってはいはいはいでそれで福島での あの取材が始まってあああの話をきに福島 へっていうのを東京新聞でもうゴリ押しの ようにしてやらせてもらってでさらにそれ をもっとあの詳しくすごい人たちが いっぱいいたんではいはい あのそのままにはしておけないなと思って 川でに言って連載させてもらったもんがこ れっていうことになるだ確かにずっと 繋がっているますねうんで福島もモノログ
をやってる間にもうすでにもちろんこれ 福島あの第一ケパの問題があったんで当然 福島に集中して話を聞きたいと思ってやっ ていたけどもはいはい え宮城でもえ岩手でもあの話をやっぱり 聞かなきゃだめだよなっていうのはもう この時からもう思っですよでこれはすごく あのえ荒氏っていう さんさんあの名物男とそれからその えと新法のえっと小関さん編集長文化部の 編集長だった小関さんがえっといろんな人 たちを紹介してくれたり車で連れてって くれたりしてもう全然関係ないのにやって くれてはいうんでそのまんまもう東北 モノローグですよだからあのこの東北 モノローグはえ文芸にもも載ってたけど 同じ東北モノローグていう名前で違う人に 取材を言ってんのこれ家国神法にも載っ てるっていうそれを許してくれて両方が うんだからものすごい速さでこれが いろんな人たちの声がま集めることができ たでそういう感じでずっとだからなんか 自然にやってたらこなことになっちゃっ たっていうなんですよね伝えたい欲って いうのは確かにね僕すごい長くコタを習っ たり人形上流の上る習いに大阪に行ったり 今も脳の歌を習って今日も本当はの朝お 稽古だったんですあそうなんです僕 ちょっと出れなかったんだ けどそういう 何か意味とか形式がいっぱい入ってる文章 がまずまず好きなんですけどそういうはい えまラップで言えばライミライミングです よねはいはいはいなんだけどそれを声の 説得力で突破して伝えてくるっていうもの がやっぱ名人でやってくることなわけよあ まあまあうまく書けることはさあるじゃ ないそのぐらいのことだけどそれを何言っ てんだかもう最終よくわかんないんだけど すげえなんかすげえバイブスですねラップ で言うとバイブスと言いますがはい バイブスが超えてくる瞬間がもうたまら なく芸能が好きなんだねだからはいはい はい はいそういうものと小説みたいなものが 好きなことが混ざってるからこんなことに なっちゃうんだねなるほど なっちゃうんだよだから今僕はこのカーデ であの日本文学全もやらしてもらってはい え山東殿を1個とえ近松問のそ神獣を訳さ せてもらってでそれを今度文庫にするんで 他の作品も訳そうってことになって ちょっとまずさ東京でから約してるんだ けどはい学校の先生たちに悪く言うわけ じゃないけど研究者の方々がやってるのは
下にこうやって解説がつくでしょでここに さこう掛け言葉になってるわけじゃない ライミングがあるわけじゃないでそれここ に説明になってるわけねでもみんなはここ を見たり聞いたり読んだりしてたわはい はいはいはいからこのの中にこれを入れ たいわ俺はああそ2つの意味をこの中に 入れたいしえ党員を踏んでたら党員は踏み たいわけ一緒にでそれが訳す僕にとって 訳すことだと思ってるでそれはものすごく 大変なことなんだけどそうですねだけど やっててなんかなんかやる気が出るという かですねうんあのこの芸能がこういう風に 芸能が好きだってこととほとんどなんか こう近しいものがはいはいあるよねその 勉強の部分じゃなくて伝わってきちゃう 何かからねだから読んで声を出して読めば 伝わってきちゃう何かがご現出したいわけ はいはいはいどういうことかねうんどいう ことかねラップが先なのかラップより前が 先なのかあんまり自分でもよくわかんない んだよねでも確かに名人の上りとか聞くの 好きだはい はいうーん不思議なんだよな古い話で こじつけかもしれないですけどうんノー ライフキングってゲームをま多分意図とし ては当時多分ゲームっていうものがうん うんあまり大に馬に馬鹿にされ大人に特に 馬鹿にされていてあれはま1つの立派な 文化なんだっていう多分あるよあると思 あるあるある一方であれ自体がちょっと ゲームっぽいというかああだってクリアし ないき読んだ後になんか小説を読んだって いうよりもゲームの世界に迷い込んだ みたいな結体感型の感じがそうねだって街 がなっちゃうんだもんねゲームの画面に なっちゃうんだもんねそれ多分自分でも 何かの時に体験したんだと思うよあのこの 石がたまたまこう3連とかで置いた見た時 にさゼルダじゃんみたいな感じに当時は なったよねみんながそうなったよはいえ あのその感じあの感じでも当時はあの感じ をに注目して人がほとんどいなくてはい はいだってあのノーライフキングも身長者 の人には本にして欲しいんだけどつって 中森明夫とかが頑張ってくれて持ってっ たり持ち込んでたんだよね彼がはいえでも 1年ぐらい出なかったからわからないって 言わ ていやわからないってもう待重そうなん ですけどみたいな俺にとってみたらはい はいはいでもよ良かったのはあそんだけ 言うんだったら出しましょうつって出して くれた時にようやく世の中が追いついたん ですよはいはいはいだからその前に出して
たらみんなにとってもわけのわかんない もんで終わってた可能性があるのちょうど ちょっと時期がそうそうちょっと分かった みんなにそれはあったんだよね不思議な ことだったなあれうんでもそのね今 おしゃったの体型体験型というか訳すので は訳す時にその解説じゃなくてそうそう そうそうそうそう声にせば分かるみたいな ていうなんかそういうイズムをちょっと今 思うちょっとズ多分江戸時代の人はそう いう風なのを楽しんでたはずとかそこが 面白いまだからラップの楽しみ方と同じ ですよねうんあこんな細かいとこまで ライミングしてんだとかってけどやると 分かるみたいなはいはいちょっとかっこ いいなってなるって いう今言ってたようなその東学院大学の 問題とかとかと一緒にやる問題ととも含め てはい実は公共なき医師団の中でよく言わ れるえっと帰り見られない熱帯病っていう のがまありましてでこれはもう大体 アフリカのあの奥地であのある電線病なん だけどこれ誰かが直そうとして研究した ところでおいにならないのではいはいはい 製薬会社も大学もお金病院も手を出さない んですよねなので彼らは病気になってただ 死ぬだけなんですよでそれをまあのMSF の人たちは帰り見られない熱病と言って彼 らの看病みたいなことをするんですけもえ 日本の中にその熊本でもあったけどその 近くでも絶対あるしえこのえっと東日本大 線とこでも中部で長野県のあのえ道路とと かがやられたりもしてたのをそういえば ニュースで見たなとかはいはい大きなもの があると小さなものはどうでもよく見えて しまうっていう日本の本当に良くない今度 ノのことがあったら東日本が少し遠いた 感じさえあるうんうんでそういうことが たくさんいろんなとこで起きてるはいこの 帰り見られていない災害それからそこは手 がそこに保証が行ってないとかはいはいえ 道路がきちんと治ってないとかえトンネル がそのまんまだとかいうようなことをでき たらそのえ被災学で連載さしたいんだけど なって僕は言ってるあでそれで帰り見られ なかったところを帰り見られるようにし たいうんと思ってるけどそれがまあでもね 結構な旅費もかかるからはいはいはいはい うん彼らにどのぐらいまでできるのかも ちょっと分からないんだけどうんでもそれ はちょなんかいつやりたいなとは思ってた からなんかの形ではやると思いますはい うんなんでそれはそのまもしかしたらノか もしれないですしそういうところに行って お話を聞くこと聞でのですごくあの
マスコミが入ってるけどこっち側こっち側 の違う件でも実はここの部分だけはあの こんなガタンてなっちゃって直すお金が はいここに降りなくてとかいう話はかず あうはいそうですねそれは一体何なんだっ ていうはいはいことをあので実際どういう 風 に耐えてるのかっていうと うんだってその人たち はあんな風にならなくて良かったんだから ねって言って我慢してると思んですよ日本 人のパターンなじゃないですか東北でも たくさんそうれはもう本当にみんなね あんまりガツガツしない人ただだからま私 なんてって言うけど私なんてって言ってる 人が憎しをなくしてたりするそうですよ びっくりするんですよこれ途中途中まで 聞いててええって途中で驚くっていう俺が はいはいはいそういうことのためにそのな そこはもういいですよいいですよって あそこよりはいいんですからみたいなこと はやめましょうよってうんはいはいでも 少なくともそれがこうなってるってこと だけ は人にアピールしたいなってはいはいはい それはまやってきたことのがあるから認め てもらえるところもあるかもしれないから やっ結局自分がやるべきことなのかなとは 思っていますどうやるのかは分かりません でもいいですねとは言っていました被災学 の人たちがああうんまでしまさにそれま僕 らもやるべきことなんですけど第3者に しかできないことでもありますうんうん うんそうそうそうそうそう全く大3者だ から聞け るっていうあのし向こうも話せるっていう かさっきあの え隣の人はもっとこんなに被害を受けてる から言えないつって黙ってるあはいは非 当事者には言いやすいからうんそのことが を利用して本当の こと知らせたい うん不思議だねジャーナリズムのつりは けど全くないんだけどねもう頭が下がると いう いやいやこちらこそありがとうござい ます