2024 順三・妙二忌の集い
日時:2,024年2月25日(日)13:00―16:45
場所:東京労働会館 地下・中会議室
研究発表:
渡辺順三:嘉部明子
赤木健介:松崎重雄
佐々木妙二:吉田万里子
え皆様こんにちはえ本日は足元の悪い中お いでくださいましてありがとうございまし たえそれでは時間少々遅れましたけれども えただ今より2024年え純増大事期の 都合を開催いたしますえっと本日司会を 務めさせていただきます小林克です よろしくお願いいたし ますえ今日は2月25日ですけれどもえ 明日は2月26日えと純三渡辺純三のえ 明日になっておりますえ渡辺純三はえ 1972年え78歳で亡くなりましたで ちょうど明日2月26日でえっとちょうど 没後52周年ということになります えそれで世界を見回すとあのまだ ウクライナガザの戦争が続いておりますえ そんな中ですけれどもあの私たちがこの ようにして一同に返してあの純増大治期の 都を開くことができることの喜びそれをえ 今噛みしめており ますえそれではあの初めにここであの代表 津田道にあのご挨拶申し上げるところなん ですけれども今ちょっとあのZOOMの 関係でそれが繋がっておりませんで時間も ありますのであの先に進めたいと思います ではえっと本日発表をしてくださるお3方 紹介をいたします始めにえ渡辺純三の発表 をしていただきますえっと壁明子さんです え部さんはえ東京町田市所属でございます はい次にえ赤木賢介の発表をしてください ますえ松崎茂夫さんですえっと松崎さんは え茨城県古賀支部所属でございますはい それで最後になりますがえ佐々木大治の 発表をしてくださる吉田まり子さんになり ますはい吉田さんは東京の清瀬所属という ことでございますそれではえ早速ですが えっとサカの方から発表お願いいたし ますありがとうございますああのマスクを 取ってもいいかなちょっと声が変です けれどもよろしくお願いいたしますえっと 渡辺純三って誰よていうのが私 の私のまず考えたことで増について調べて 研究発表してくださいてわ研究えていう 感じでで藤田さんからいいのよいいのよ 知ったことをこんなこと知ったこんなこと 知ったっていうことだけ発表してくれれば いいのよっていう風に言われましたので その通りにいたしますのであの本当にあの 拙いものですけれどもよろしくお願い いたしますえっとレジュメにありますが あの純増の年をあのご覧くださいえっと 全部読んでるとすごい時間かかるのでここ は読みませんただえっと宇田のさんの一途 の道というこういう本があるんですがそこ に端末の年譜がありましてそれをに従って えっと書きましたそれでえっとムの方すい
ませんちょっとレジュメの用意がありませ んので聞だけにしてください今年はあの 先ほどございましたように生誕130年 没後52年ですでえま生れた1894年 明治27年ですけれども木は8年前に 生まれていました北と宇田の田渡辺純三は えま年の離れた木がお兄さん8歳上の お兄さんというようなそういう関係です それから純増の年齢を考える時は1900 何年って今が70年でしたらば6足と年齢 になりますですからそういう風にと私も そういう風にやってみましたそれから えっとじゃあのプリントはあの純増の年配 は時々見ることがあると思いますのでえ 省略しますでその次坂道の思い出という ところはあのレジメはございません えこれ写真ですけども10年前にえ宇田 先生と一緒にえ本郷とかそれからあの菊坂 とかそれから白木の終焉の地とかという ところの文学散歩をしましたその時にえ妙 の駅から え白木の終焉の地のとこまで行こうよ行く ということになったんですが是非その前に え進行出版萩原印刷のあったところを是非 あの訪ねてくれ僕がいなくなったら誰も 知らなくなるからと言われてえ私たちこれ 全部で言ったかどうかも覚えてないんです けれども妙kindのネからえっと元の 教育代の横の道をずっと東下の方に降りて いきまして植物園に石川植物園にあの ぶち当たりますがそこをまたさらに上へ 登っていきますそうすると文教10中と いう中学校がありましてそこの右そこを右 に曲がって2件目のところが えっと萩原印刷というのがあったところだ 萩原印刷は1954年から1970年まで あのえなんだ 新日本家臣を印刷してくれたでその萩原 萩原さんという方はあのご主人は1968 年亡くなるんですが70年まで奥さんが 引き継いでやってくれでえ大変あのあの 共同印刷の食事校をされていた方でで太陽 のない町に町で表されているようなあの 共同印刷の大葬儀ですねそこであの首を 切られたその方でその方がまその方も含め てそあの戦前に戦前から戦後ちょっとは 進行印刷というのをあのその場所でやって たとでその進行印刷があの中村さんという 方がやってたんだけれどもあのその方が 引退されてその後萩原さんという方が 引き継いでで渡辺純三はこの坂をこのえ 新日本家人のあのゲラとかそれから現行と か持ってえ残りあ下り登りそしてまた下り 登ってあの何回も往復したんだよという ことをあのえ宇田先生がおっしゃいました
私はその時純増の荒木遣いせに聞きこの道 登りしのこと語りたいぬという歌を読んだ んですがこの度あのえっと全然私は純増の 歌っていうの読んだことがなかったんです が渡辺純三全州全加州というのを読んだら ばえっと波動というあの歌手の中に息切れ をこらえこらえ登るこの坂道この坂道が僕 にはだんだん険しくなるという歌があって でそれはあの この進行印刷萩原印刷への道をのことを 言ったんだなっていうことが分かりました そしてえその頃あのえ純増は肺を病んでい たのでえ肺活量は1350しかなかった 通常の方は3500ぐらいあるあるそう ですけれどもだからその半分ぐらいのうん あの快活量で登り下りしてたんだという ことを聞きまして本当にあの大変だった ことだろうなということを思いました そして え あのこなんだっそしてあの本当に無視と いうか新日本家人のために本当に自分の 財産っていうか生活を全部投げてそして あの尽くしてくださった方だったんだなっ ていうことをあの一途の道やその他のもの を全部読んであのつくづく感じたところで ございますそれから2番あの3番目に行き ます近代単価市というのを読みましたで あの藤田さんから近代単価士っていう本を あの送られてきたんですねこれこれはあの 上官ですけれども2巻あって下間と上官と あるんですでえっと これは上官の方ですけれどもこれは大体 大正時代までのえ江戸時代から大正時代 までについての単価の歴史をえ渡辺二三が 書いたものですでえ下間を持ってこうと 思ったんですが藤田さんがすっごく熱心に 勉強されてもう背表紙が途切れ取れるよう になっちゃってもしかして取れちゃったら 困ると思ってえ持ってきませんでしたで あのとにかくあのこのこういう近代単価市 という本これはえっと 年配にもありますけれどもできたのがこ こうされたのは1964年ですえ定本近代 店感化市外間が64年え上官は63年に出 ていますこんな立派な本があってえ 素晴らしいなと思ったんですけどもこの えっと下間の方のえっと1番最後のところ にえこう いうえことが え書かれているんですけども要するに えっと私たちのが何のためにこのあれを歌 を作るかとかいうようなことについての えっと人像の言葉なんですがその大事な ところがどっかに行ってしまったのでまた
見つかったら紹介しますがえ あの あれそれが1番大事なところなんですけど ねえあの コピーしたのがどっかに行ってしまいまし てちょっと待ってくださいあるか なであのその中で えっと私が覚えてる限りで言えばえっと 結びというのがあって近代単価市の最後の 最後の外間のところに結びという文章が あってそこの中にあの簡単に言えばこれ あの単価が民衆のものになってきたことを あのえあのという風に考えればいいあの 歴史だったっていうこととそれからえっと その頃ちょうどあの戦後あの第2芸術論と かえま単価とか配布とかそんなのはダメな んだというような論がいっぱいありました けどもその時に えあの久川鶴次郎という人が えっと民衆のものでないっていうことをね あ民衆が作るからと言ってそれをあのなん だあの価値がないなんていうのはおかしい とであの文化っていうのは民衆が作り出し てるもんだっていうことをあの述べている んですねそのそのことが私はとてもえ感動 しましたえでこの本があるということも 知らなかったんですけれども会った以上 知った以上これはやっぱし勉強した方が いいんだろうなっていうことをすごく感じ ましたえでもあのよくよく見ていますと えっと松野里さんなんかはこの近代師を 読んでというのをこのえっと新日本家人の 本に出しておりますのでやっぱりさすがに 勉強される方はしてるんだなっていうこと 思って私は全然知らなかったということで え本当にあの学ばせていただきましたえ その次行きますえっと純増全科種を読んで これがえこれはあのカバーの箱は外しまし たけども渡辺純三全科という本ですでこれ 岡島さんからお借りしたんですけどもあの 藤田さんからも送ってていただいたんです けどもあの初めて私は渡辺純三の歌って こういう風にまとまったのを見たのは 初めてなんですねで あので1ページ目見たら窓っていう台が ついていてここに書いてありますが仕事場 の小さい窓から覗かれる灰色の空が自分の 心 だ今日もまたに胸が痛む暗い心が窓から 梅皿を眺めていたのだそれからみんな黙っ ていてくれ物を言うと泣きだしたくなる俺 の心だっていうそういうのが1番最初の1 ページ目にあったんですねでこれちょうど 100年前です 1924年にあの発行されてるんですねで
100年前だけども今の私の気持ちと同じ じゃないかなっていうことをすごく思った のでそしてまたもう1つはこの産業分の業 分っていうものの力強さというかそういう ものの価値っていうのを私は初めて このえっと歌手え貧乏の歌を見て思いまし たであの業だけじゃなくって文語の業一業 書きもありますでその文語の一業はガキの 中にあの朝顔のつ伸び伸びて青喜の博に 高く1つ避けるみゆとか窓のに枝差し伸べ て紫の霧のタバ先盛るみゆとかいうような 歌がありまして私は青喜の木とかえ霧の花 が好きなのであ私と同じものが好きなんだ ということでとても親しみを覚えましたで この貧乏の歌の最後は端末の歌はじっと 見るじっと見る俺が今吐いた一塊の ドス黒い地だっていう風にどんどん病状が 重くなっているということを表すあの歌で 終わっています歌は生活を歌うというので 36歳の時の歌ですでえそこの中に歌は私 の生活のため息だ私はしみじみそう思うっ ていう言葉が出ていてあそうか純三はそう いう風に思って歌を読んでたのかっていう ことをちょっと思いましたここでもあの私 の非常に変なあれですけども切畑の歌が いっぱいあってあこれは純増があの核職人 だったから霧の人がかって興味あるのかな とかねちょっと思ったりしましたで あのでもこれだけが俺の生活かひょっとし てえこの驚きにぶつかった今日とか アクセクと働いてもついに1枚の春着も できぬ今の惨めさとかいうねこういうの 戦前の本当にえっとヒクのに会いでいた あの生活者の歌が述べ乗せられています それからえ第3州立風の町次のページです けどもこれはあの業分けです3業分けが なくて4行とか5行とかそういうの6業と かそんのばかしでしたでこれについては あのある子供は大きな柿の木を書いていて カレダの中に1つ赤赤とみよっていうこの 歌この歌がなんか問題になったんじゃない かっていう説がありますがその辺はえ島 さんがなんか詳しく調べていらっしゃる ようなのでえそこでその方はいいと思い ますえっと番目の歌は戦後の新しき日と いう歌手ですで あのこのプリントでは冗談には戦争前戦争 中の歌極中にあったですねその時の歌が 述べられてあのやりましたそれからスボダ は戦後の歌ですま私はあのうん風になる 焼きの大木よ空高く枝差し伸べて揺れに 揺れいるとか新しく日を迎えたる喜び横の とは目をうませてとかいうそういう歌が あの心に残りましたで早く早くになります 日本の地図というのが大国歌集ですでこれ
はいろんなものがありまして業で保護や 文言ですけども3業のもあれば4行のも あれば5業もありますただこの過しは えっと現代金遣いで書かれていますで あの有名なのは1番最後のところにあり ますが見解の総意とは裁判長何を言う見解 の総意で試験にされてたまるかというあの これは松川事件の裁判の時の歌ですねこう いう歌も こうが載ってるのが日本の地図ですこれの 意味とかこのテスのあこの過小の意味とか 意義とか えーとかいうなこと私全然分かりません けれどもあのそれはいろんな方があの書い ておりますのでそれを覧いただければと 思いますでも私はあの自分ながら呆れる ほどの器用さがいつも失敗となり悔いと なるとか自分で自分がやりきれなくなる むっつりと今日も朝から口を聞かねばとか これってなんか私の子でつんのかなと思い ながら読みましたで最後の第6家集は波動 という名前ですただこれは本当は産業明け にしたかったんじゃないかなと思うけども 全部一業書きになっているそこら辺は私も 詳しくは分かりません藤店不藤店の方が 抜けてます苦戦しか書いてありますよねで あのこの歌もいろんな歌がありますけども あの最後に僕の好きな花木蓮霧桜大山国 なんて書いてあってあ私と同じのとかね また思ったりとかそれから虹が出たと誰か が声に出せば一斉にじゃ客の目が窓の外に むくってこれ私同じこと読んだわとかね そういうことを思いながらこの歌をあの 歌手を読みましたでもあの最初に書きまし たがあの足のとも一歩1歩行くより仕方が ないその一歩1歩の歩み確かにっていうの がま決意みたいな歌ですけれどもそういう のがあって心に残りましたで1960年 65年以後の作品はえの中では日と歌詞の 新名の色の違いなど今年初めて知った喜 びっていうのがあってえ私もなんか新しい とことを知った時はすごく嬉しいですね そういうのを歌にするっていうのがあ純三 もやってたんだ同じだなと思思いながら 読みましたで我が胸の卯木切なし今朝見る 赤旗の写真ベトナム少女っていうのがん ですが私もこのベトナム戦争の当時もう 毎日赤旗を見るたびにえっと新聞の 切り抜きをしたりしましたその切り抜きが えっと日記のところに貼ってあったんです ねでたまっそれそれ以外にも えなんだあの単価ラなんかも貼ってあった んですでえ10年ぐらい前にあの物を整理 しようと思で日を見たら単価のところに 渡辺純三線って書いてある歌が単価欄が
あって私中身は自分が投稿したわけじゃ ないんですよその人がこの歌がいい歌が あったなと思って単価欄をあの切り抜いて はった張っといたんですけどもそれをそれ をたまたま見たら渡純三って書いてあっ たっていうこのそのことも歌にしてあるん ですけども自分の歌私はあの千じめ渡辺 純三と鹿とあり切り抜きは古びよ黄みたれ と思ってあのこれは2014年に作った歌 ですがそんな風に書いてあってあ全然知ら なかったわけじゃないんだとあのその子 やっと気がつきましたま歌については以上 ですそれから宇田先生からの電あともう ちょっとしか時間がありませんけれども あのえ牛田先生が え2015年の え 2015年の2月後かね えっと2015年の新日本家人の2月後に あの書いていらっしゃること です201ましで えこれか なにあるんですけどあのごちゃごちゃする ので私もあれですがあのでこの えここであの牛田先生は私たちが単価で 表現する言葉を分かりやすく言えば敵をも 味方にしていく言葉が必要だ味方も嫌に なる言葉は最低だし読んでも飽き飽きする 歌っていうのはちょっとどうしようもない ね立場が違い思想も違うそういう人でも なるほどお前の言うことを分かるこの歌は いい歌だという風に感じさせることが必要 なんじゃないかと思うっていうよなことを おっしゃっているんですねでえ純増が ええ1941年にの太平洋戦争の翌日捉え られて刑務所っていうか高知上ですか立地 場に入れられてた時にえっと夜に夜中に 1人の巡査があのやってきた私の書いた ものを読んで名前を知っているっていう 巡査がやってきたわざわざ中上に尋ねてき てくその人はこんな妙なところでお会い できようとは思いませんでした体に気を つけてくださいと言って帰っていったって いうこれはあの立風の中をという純増の 単価の自序での中に書いてある話だそう ですであの巡査って言ったらま権力の側で ありましてこちらから言ったら敵という 言葉はふさわしいかどうか分かりません けれどもそういう方も純増の歌を何かの時 に読んでそして心を寄せていたんだという ことですでえこれはあの佐木孝太郎と田 先生が書いたものからの孫引きでごめん なさい沢崎孝太郎という作家があの書い てるあの無名というところにエピソードが あってえ小林竹治が虐殺されたのは2月
20日ですよね2月20日の夜えっとうん 築地書の警官が青白い顔あの飲み屋にい たらね築地書の警官が青白い顔をして何杯 か酒を飲むと滝を殺してしまったと何回も 言って青くなるまで飲み続けたっていう ことが出ているとでそれはそのまう先生は もしかしたらこの滝を殺してしまったって 言ってる警官とあの純増にえこんなところ でお会いできようと思いませんでしたって 言って言ったねあの警官とはもしかしたら 同じ人だったかもしれないっていう風な ことをおっしゃってますで あの小林市治についてあの山下秀之助と いうあのお医者さんが読んだ歌があって それは階級の手もみ方も称えたる君が誠実 は昔よりしかりきという歌があるとでそれ も紹介されてるんですがこれもでつまり敵 もみ方も こう称えるようなそういう歌を私たちはま 読んでいかなければいけないんじゃないか でえ関連してですが辻井孝志さんという方 が日本民主主義文学会の創立40周年の 記念文芸講演会であの文学は何を語れば 良いのかというところでであの敵を味方に する力だこれは人間の最も美しい法則だと いうことを言っているんですねであのでも 相手のつまり相手の心に届く言葉を持た なきゃいけないでも相手の心に届く言葉を 持つためには相手の本当の願いを受け取る 取れる力がこちらになければならないと いうようなことを述べていますでそれは この本に書いてあったのを発見したんです けどもあ宇田先生がなんとかっていう本に 書いてあるからって言うんですが一生懸命 探したけどないのでやっと探しましたら 憲法に生かす思想の言葉という本の中に出 ていましたであのま終わりになります けれどもあの私はこの純増という人100 年130年前あの本当に苦しい生活の中で え奮闘してそして 708歳の障害を終えたわけですけれども あのやっぱし知らないよっていうのでは いけないなっていうことあのしみじみ感じ ました新日本家人の創立者として本当にあ もう1つ言わなきゃいけないこと新日本 家人の創立の時にあの創立の宣言を書いた のもあの うん渡辺純三なんですけれどもその創立の 宣言 が出てからしばらくしてこれもあの一途の 道屋なんかに出ていますけれどもあの アンドリールスアンドルーロスですかと いう方があのま読売新聞に えっと書いてることえこれはあの是非知ら せて欲しいということで言っておりますの
であの え1946年の5月27日の読新聞で アメリカ人評論家のアンドルーロスが人民 単価に現れたような日本市の民主主義と 民衆家の試みについての報道に深い勘弁を 受けた他のいろんな雑誌がいっぱい出てる 中で人民単価というもののあの素晴らしさ をあの取り上げてあの始めててかあの多分 あまり知られてないことだので是非知らせ て欲しいということですそれからもう1つ は あのえ戦後のマックによる検閲の話ですね でえこれは60年の家人市の中にこういう あの表紙があるんですけれどもここに7つ の歌が載っていますでこれはあの えっとすえっとね明治大学の学生の雑誌の 駿大論長というものに載せた歌なんですね でこの中のこの7番目の歌この7番目の歌 っていうのがあのどういう歌かっていうと 原始 ええ原子爆弾にやれ町を貫きて水泡と葉 弘川っていう歌があってその歌その他の6 種はえっと あの自民文学にあ人民会に乗ってるんです ねですがこの7番目の歌だけ載ってないん ですでこの歌がこの明治大学の学生雑誌だ から大丈夫だろうと思ってこの7つを載せ たらばの明治大学ではあ明治大学明治大学 やったんじゃないでしょあの占領軍の CCDという検閲組織ですねこの検閲組織 っていうの調べ調べたって書いてあること を見るとあの日本人が5000人ぐらいそ からアメリカ人が1000人ぐらいで 6000人ぐらいでえっと検閲をすると いうそういう大きな組織だったそうですね でその中でえそのでもアメリカはどうして このことをこれがえっと検閲に引っかかっ たのかっていうことを全部あの メリーランド大学のえブラン教主という方 がメリーランド大学に送って保管したで それをあのえ堀場さんという女性の研究者 の方がこの メリーランドメリーランド大学に行って 調べてそしたらこの原文が見つかったと いうことですねでここにこの白金っていう 英語の意味私英語で発できませんので八金 っていうのが大きく出てるで最後のこの1 種だけがあの八金の理由になるわけですね で発見理由としてこの市は破壊された町の 行形のうん呪術と破壊に直面した人々の抱 惨めな感情とからなっているとま詳しくは あのえ宇田先生の本に出ていますがで最後 にこの詩人には連合国に対する意識的ない し無意識的な反感な適が見出され るっていう風に書いてあるんですけども
吉田さんはこの文章を書いたこの筆者紛れ もなくそれは日本人でしょうけれども純増 の作品に対してある種の親愛を込めた実に 優れた作品評価をしているとつまりえ権力 の側にあったそういう検閲する立場の人も こののこれをあのこれはダメだって言うん じゃなくて価値をちゃんとあの言わざるを 得ないぐらいの意味をあのこの歌にあの 見い出していたっていうことですだからま そういう意味で敵も味方にするっていう そういう歌をこれから私たちは作っていか なきゃいけないんだろうなっていうことを 思いました以上ですあのご聞き苦しくて ごめんなさい失礼いたしますありがとう ございましたありがとうございましたでは 続きましてえ松崎さん赤木制をお願い いたしますどうぞよろしければおあのお 座りのままでお願いいたしますえ皆さん おはようございますえ松と申します よろしくお願いしますえったままでやらさ せていただきますえ私のCOは家人赤木式 を学ぶということでえ34前のレジメに 作ってありますのでえご参考にして いただければありがたいですえ私がこれを 発表するに先立ちましてえ副代表である 藤沢さんの方から治療を 色々お貸しいただきましてえ勉強させて いただきました改めてお礼を申し上げます ありがとうございますさてあの私の発表と いいますのはあそちらにいくらかレジメで 載してありました が えの書の中でべていります参加の思想ま それと参加理論と利用 基準単価はどこが面白いのかということを ちょっとランダムに拾ってえそこに抜粋し ましたのでそれらを中心に皆さんと共に 読みながら勉強していきたいという風に 思いますのでよろしくお願いします え 単価の思想っていうのはこれは単価の理論 昭和19年3月発行のかり分厚い本ですね えその中で えま大事かなと思うことが述べてありまし たのでちょっと長いですが読みながらあ 一緒に考えたいと思いますのでよろしくお 願いますえ単価は女々師であるという名題 は外して一般の証にを置いている規定で あろう女女師とは人間感情の私的表現で あって受験の詳細な描写を目的とするもの では ないそれはジシア三分に譲られるべきもの であるまたロティア思想の追求を直接の 目的とするものではないそれは評や哲学の 仕事であるしかし受業師の視界は単に人間
感情の一面ばかりを取扱もので女児やロジ や思想はそのおからべであるというならば これは誤って いる主的であるとされてきた はあの読んでるわからないはいどこ読ん でるかわかんない分あ今最初申し上げまし た私のレジメの下の相という罰がえ3枚目 です 表紙で3前目えっと表紙がありましてその 次のページが3ってなってるんです がしてあるのでは2ページ目がないです2 枚目が2ページ目がね私コンピしたんじゃ ないんでわかんないんですがえごめん なさいねあのちょっとやりがうまくいか なかったのというページありますかない ですないですえそれの今 646ないない印刷されてない入ってない のない2ページ目はないえこれはねえあの 誠に申し訳ないんですがあ資料作成の段階 で何かあったんだと思いますのでえ私が 読みますのでちょっとこの部分お聞き いただければと思いますえコピー渡して あったはずなんですがコピーがないという ごめんなさい ね えじゃあもう1回最初から早くやり ましょう かよろしいですかはいどうし ましょう最初からお願いしますはいえ今 から読み上げますのは単価の理論えこれは あ赤木賢介さんが昭和19年3月に発行し たあ単価の理論という本ですその中の1説 で単価の支障という項目がございましてえ これは大体ページ46ページから47 ページありにですがそこを私が一分抜粋し まして参考になるかなということで抜粋し ましたではそれではもう 1度資料がないというのでえ読みます単価 は女々師であるという名題は外して一般の 主に置いている規定であろうと女々師とは 人間感情の私的表現であって事件の詳細な 描写を目的とするものではないそれは女児 シア産に譲られるものであるまた論論理や 思想の追求を直接の目的とするものでも ないそれは評論や哲学の仕事であるしかし 女々子の世界は単に人間感情の一面ばかり を取り扱うもので女やドジや思想はその 範囲からさ追行されるべきあるというなら ばこれは誤っている主情的であるとされて きたパカがその歴史をいかに広く触れる特 があったかはでるまでもないことである それは国民生活の一切と交渉を持ちそれを 表現しある時には女児的となりある時は 論理を貫きある時は思想を現に出した無で しかしそれがやはり女々子であったという
のはそれを表現する時に生きた人間の主体 的感情を通じて全ての女性的なるものを どかしまた民族の言葉を通じて現実的に 虐待を表現したからであるしまって単価 また広く徐々種は単に感情の奉仕によって 成り立つものではないと同時に31音また はそれに近いものの形式さもられれば生の ロジ思想も直に固と称されるというよな ものではないのであるジョア論者思想が 単価となるためにはそれらはと実を通じて 助蔵されなけばならないちょっとあの理屈 て難しいことですがま平たく言えば あ物事の事件やなんかはあの調査について はその日の専門家に任せればいいと歌と いうのは あ赤井の言葉をあれば主体的な感情を通じ てそれをを自分の動かした目で呼びなさい と り単に物事をこう歌ってればいいとあの 物事を歌った通に歌えばいいということ じゃなく て感情と演じを通じてあの歌にしなさいと いうようなことを言ってるだと思いますで 特に私がここで強調したいの はまああなんと言いますか今話題になっ てるような [音楽] あ事事問題ですねこれをお尋にする時に 特にえ私を注油する必要があるかなという ことでこれをこの部分を取り上げたつもり でおりますえそれはこの赤木さんが言っ てるよう にパパンにその事件女児ですね女児や時を そのまま生で言葉にしたんではだめだよ とそこには単価としての期的な市場と言っ てますが主体的感情を通じて生きた人間の 主体的感情を通じて全ての女々的なるもの をどかしまた民族の言葉を通じて縁日的に 客体を表現したからであるこれは難しい ことですよねエ識に客を表したかこれ 優しく言えば要するにえ死後長というか 伝統的なこの調べを通じてえその人その人 が持っている主体的な価値観思想世界観 そういうものを通じて物事を見て歌に表現 しなさいと単に誰かがどこかで殺された 大変だ悲しいということには歌にならない あるいは赤様は別のページでこと言って ます単なる風景を描写では死ではないその 風景美容者の中に自分の感情が何らかの形 で反映されてことを死であり単価である いう風なことを強調されているところも ございますこんなとこでえ単価の思想と いう大げさなあま大きな課題でありますが あそのこと をま私はあ
まここでえ発表するといいんではないかな ということに取り上げました え次に単価の理論と批評基準というページ がございましたこれは単価の理論という本 の362ページ値に現代単価論と批評基準 ということがありましたのでえこれも我々 の現在の払いにとって大事なものかなと いうことでえこれもないですかコピーは ない [音楽] これたら機械ある回あるんだったらコピー 取ってもらえばいいけどああるじゃあ取っ てもらったら2ページだけそれま持ってっ て2ページだけ取って ください [音楽] ないあのではすみませんあの一部あの楽長 がありましたけれどもえこのまま続けます でえ後であの皆様にはが差し上げるように いたしますよろしくお願いしますという わけでえちょっとあのとりましたがご用者 をお願いしたいと思いますえ次いに今 申し上げましたよう に赤木啓介え著書のパカの理論という本が ございましてえ項目を変えまして現代カロ 歌の理論と批評基準という項目がござい ますのでそこをちょっとコピーして 差し上げたつもりですがコピーがないので 私の手元のオリジナルを読読ませて いただきますのでよろしくお願いしますえ まず第1に彼えこれは非評価を言ってます ま丸第一に彼は対象を理解しその本質を 掴みあその本質をつめとる能力がなければ ならぬ彼は大のの非常的機能を代表する ものだとは いえ読者の一般的水人を代表するもので あってはならないそれを抜く理解力と把握 力を持ってなくては批評はできないこれを 特殊な費用感覚を持つと言い換えても良い 第2位彼費用するものは原料を持ち障基準 を持たなければならない現時の遠批評はの 意味での指標ではないのであるしかし現状 を持すということは景色用意では ない第3に死は具体的にものに対する豊富 な経験を持っておらねばならんその領域に 属する体制を大く読みかつ考えることなく していくら現状把てても優れた批評はでき ないのである細分に対する豊かな把握と それに対する鋭い感じ性がなくては地表は 公式論にとまるということをおっしゃって ますこれは言わばその通りのということで え特に深く論じる件もないかと思いますが えこういう場数のでえ相手え赤木さんが 言っているものを我々は今どう理解すべき なのかということを少し掘り下げて考えて
みたいと思います第一に言ってることはあ その歌の中身というんですかねそれをまず 掴み吊る力がなければだめだよ とでま一般大衆読者の感情という非常能力 を代表するものだってだとしてもさらに それ一歩上のものを持ちらない と単なるその一般大衆と同じレベルでええ 賛同機動哀楽を表してはいけないそれを 抜く力と把握力を持ってなくては批評は できないもう少し高い水準高い検地から歌 を秘読みいなさいということを言ってるん じゃないかと思いますまこれは特殊感覚を 持つと言い換えても良いと言ってますがあ この辺は ちょっとま難しいとこだとですえ第2に彼 は現を持ち批評準を持たなければあなら ない無限事の印象批評は本当の意味の批評 ではないので あるしかし現実を持つということは決して 用意ではないということ言ってますが え批評する原理を持てということはこれは 非常に え大きな勝つ深い名題でしてえこれをどう 捉えるべきかということは あまああ新日本家人の 会員の立場からしても非常に大きな明大だ という風に私を受けておりましたえなぜか と申しますとこの本の出版されたのは昭和 19年まさに戦争武直の頃ですねでま建や なんかもあの厳しい時代で本当の言ってる ことをなかなか言えない時代であったと いうことをの社会的な背景をお考えながら この文を読むと原理を持ちなさいという このの原理とはなんすよということを我今 考えなくてはならないと思い でま先ほど来え渡辺蔵さんとかあ赤井賢介 の歴史来歴などを見るとこれは新しいその 発生の時代戦争のから自由なものを 求めようというでそれは何かというと赤木 介さんのこれも抜けてるから先にえ大力 歴史のことによりましたが彼は有研究物 研究会というにも入って活動してるいう風 な様々な視点からこの原理とはなんとやと いうことを解き明かすためにしまっていく とどうしてもこれは難しならば あ私的物論歴史の必然的なあ進む方向を 理解しかつ信じて え単価なるものを見読みする力があここに 求められているんではないかなと思うのは 私の個人的な見かでりまんが私はそういう ことを強く持ちましたもう一度繰りします と参を批評する原理というものを持つけど も持ちなさいと言ってるけどもこれは生半 なものではないとでその現実はなんでやと いうことは歴史的な背景から私の個人的な
見解では的唯物論あるいは沢島の矛盾論と に論島に基づく歴史の自然的進むべき方向 の信頼と確信これをベースにしたものの見 方考え方によって え歌を身傷 しするのが道きたという風に暗示してる ように私は理解しますまこれが私の偏見か どうか分かりませんが一応発表され て第3に師匠家は具体的に対する多くな 経験を持っておらねばなるんその領域に 対する対象を多く読みかつ考え込むなくし ていくら現状把握してもすぐて秘法はでき ないのである細部に対する豊かな把握と それに対する鋭い感性がなくては用は公論 にとまるえこれは非常に専門的で難しい ことも含まれていますが要は自分の狭い 見分や知識を持って安易に人の歌を批評 するなということ言ってるんだと思います 少なくとも人の歌を批評するには広いま叶 な限りですよね広い知識と経験に基づいて その歌を見なさいということではないかと 思いますです から その何と申しますか狭い自分だけの狭い 景色世界観物の味方でもって人の歌の義足 え質の高ささを表してはいけないと可能な 限り広い見地と 確かなものの味方によって歌を読んで批評 しなさいということがあ書かれているので はないかなという風に思いましたえそんな わけであの資料がない不十分さを誠に 申し訳ないと思うんですがあ現代あ単価の 思想と現代過と批評基準という項目をこれ で終了させていただきますえ次に私が 取り上げたいと思いましてこれは個はどこ が面白いかというコピーがないですかそ ありますありますかあすございますあ ございますかこれは本を別にして昭和 207年3月に発行されたタンカはどこが 面白いかというあ本の名前はタンカ教室と いう本があるんですがその中に単価はどこ が面白いかということを書かれています えもう一度言いますと昭和27年発行の 単価教室その中の10ページほどに単価は どこが面白いかということを書かれており ますのでその点についてちょっと触れたい と思います大体時間はまだ大丈夫ですよね 時え大丈夫ですね 分ああとあと5分ぐらいねえこれはねえ よくあの 家士などで見れてますんでえ え軽く流したいと思いますえ単価その面白 さは読む人と作る人でいくらか違うまず 単価を読むしつまり読者の立場に至って その面白さを考えてみようそれは広く言え
ば文学としての面白さつとい場所としては 面白であることは疑いが疑いがない読者は 誰も単価さえあれば自分のこの糧として 十分だとなどとは考えていない言い換えれ ば単価を絶対非常的なものとは考えてい ないそれが文学として死として面白い限り で単価を配するのであるその場合に歌われ ている内容が面白い同感であるというだけ では答えにならないもちろんそれも大事な ことであるが単価という形式に引きつける 力があるのであるわずか30読で短いから すぐに読めるし長子調べがあるからさむ こともできる読んだ後で文字ではなく書れ たことでなく何か残るものがあるそれを 余剰余韻などという形が短いために省かれ たものの美しさ難しい言葉言い換えれば 省略の日で ある余剰余韻省略のびは他の文学にもない わけではないまた音楽や絵画などにもある しかし単回早くは形が特別短いためにそれ が運命的に必要となり重要な魅力となって いるまこれは あ他の講座 あ家人士などでも疑われてるので一応高木 さんもこういうことを言っていたという ことにとめたいと思いますえ誠に残念です がもう少し え言いたいことが本当あったんですがうん 時間の配分の下さとあれに際によってでき なえ特に私 がもう少し言いたいかなと思ったら項目 だけ申し上げますとえ単価の理論という 同じ先書の本の131ページに単価の明日 ということでえこと とこれ昭和17年白の歌手というのがある んですがその後期で え要する にちょっと読んじゃいますか1分ぐらい ちょっといいですかはいえこのイヨという 過小の国旗の部分だけちょっと読ませて いただきますこれはあ皆さんに配ってない んですが私に私の単価に対する愛は数千年 を通じて生生初出と脈動してきた単価の中 にきづかれた民族精神の文学的表にあると 考えているそしてその精神が伝統的な形式 と結びつく時には今日の文学のあり方から して形式をある程度打開して進むより他は ないのだと思っているつまり非定型的な 生き方の中に新しい単価精神の真実がある と思うだと思ういうことでええまというか 非というか交互参加というかそういうもの を強く表していたのだということを皆さん にお伝えして私のあ報告を終わらせ いただきますどうもありがとうございまし た松崎さんありがとうございましたえ
こちらの方のあのあの際であの資料に楽が ありましたこと松崎さんとそれから皆様に お詫び申し上げますでは続きましてえ最後 になりますがえ佐々木大治をえ吉田子さん よろしくお願いいたし ますくさってくださいえ皆様こんにちは吉 まり子と言いますよろしくお願いしますえ 私はあの会議について何も知りませんでし たさあの正さんだとばっかり思っていまし たあと思い込んでいたんですがあそのこれ ですね新日本家人の歌なんですけれども その表紙にえ小さくですねえ先女辺のタビ って書いてあるんですこれを見た時 からあのびっくりしましてねあの間違に気 が付いたですねそれからあの私はあのタ さん全部知らないもんであのあの私の 小さい時にね活躍した方で日本カジに入っ ていった人だろうぐらいなという認識でい たんですけれどもお調べてみますと 1997年ですかえその時亡くなってい ますのでこの頃は私は50代でしたあのの でえもっと早くたらタトを始めていたらね あの大治さんにあるいはお目にかかってい たのかもしれないと思ってちょっと残念に 思いましたえある資料ですねえちょっと 読みますがあの医者に家人は多いが人民の ための福の家人であるこれは佐々木大育を そう言っているんですねでそれをしてから あの学習勉強してみようという気があの 起きましてえそれからあの南冊のの過やら 資料本を 読みましたえそのうちこのいろんなことが 頭の中に混乱してきましてあのちょっと 整備してみようということで皆様のご資料 にえ年譜が入ってると思うんですねえこれ はあの大治をよくご存知の方はもう見る までもないと思いますしもっと詳しい資料 があ残されていますがあこれは私があの 対人が大きな病気を実してますしえ歌やあ 歌や本を色々出していますがその頭の中で ね何歳の時にずどいう病気をしてえどんな 過しがないようのね歌が作られたかという ことをおちょっと順だけて整理したかった なんでそういうそのためのあの主用ええ 簡単にあの読んでいきます え佐々木返は1903年にえ秋田県大竹に 生まれていますえ本名は大竹しさ思いと ですねで一婦と叔父と父親あそれぞれあの 単価を作っていたま単価の素があったと いうことでしたええ大治は大え中学校卒業 後小学校のバオ共を1ますえちょっと時間 をはりたいと思いますので簡単に飛ばし たいと思いますでえ税関連絡戦でえ北海道 にってえ小樽商業学科商業あこれちょっと 字が逆ですね高等商業え商業高等学校です
に入学しましてえ2年生の時に配信人と いう病気で2年間に中学を作ていますえ そこをまた不学してえ卒業後全備所に名に 努めましてえ秋田市販学校の共有の住め ますえところが その昭和6年にえ追放されますま その時の県令政権になったちょっと不労な 人間ということですねえそれで大治があの 国にならない仕事ということでえ医師に 医者になることをえ出しましてえ東京へ出 ましたえ昼間は呼び声通って夜は東京浅草 さやの矢学校に教員をして開いています えその時にえあのまだ本はですえ都立 大久保病院の3婦人会として勤めましてえ その子は渋笹塚にえ開業をしていますえ歌 がその時にえ佐タ歌が出ていますで敗戦後 46年にですねえ新日本加減協会の創立に 参加あ人民感化の相関その年の12月後で は日本家人に最明をしていますえその次に 下衆新庄室すが参されまして え00の一部を新人総会事務所に提供して おりますで昭和45年え直長がの手術をし ています えちょっと飛ばしますけど純増がなくなっ た後はえ代表管理をしましたえあと歌的 心情とこれはこではありませんがえ写真限 のと改めましてえ51年に今度は農点線で れていますえ阪神部になっていますえ監修 がその後聖命と出されましてえその後のも は下衆ではあ3から感ロボえそのたべに 出されていますえ1991年の2月10日 に23歳でっています え大まかに言ましたけれどもこの中であの 色々調べたいこともっと知りたいことが たくさんあるんですけれどもお2点に限っ てえちょっと資料を読んでみましたあの1 つ目はあの大治の歌というか形式っていう んですかねあの私が歌作るのはあの一業 書きで合合のあのたまに打明けなんてね そういう作り方をしていますけれどもお 大義の確を読んでみますとあ7行とかね5 行が3行とか2行とそれからひがばかりに いたとかですね言葉言葉1つずつこう開い ていたりとか天方あの目新しい感が私に とってはですね多かったその点をもう ちょっと知りたいと思うのともう1点は うんこの経歴にちょっと書きましたがえ 小林各と佐々木大治の出会いと言いますか その関係をもう少し知りたいと思った点 ですえそれではあの資料 のになり ます2のところで え両あ大治の現代合参加とですねで業工合 自由率と書いてありますがあえこれでえ中 学校でえ文語の定感化を作り始めた人です
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えこのタイムさんの写真を見てなんか親し に感じなんですけれどもえその後ですねえ 長男えさの亡くなった後の文章なんですが ちょっとこ簡単に読みますえ父が文学上の ことのみならずあらゆる点で意識し影響を 受けたのがあ小林たであったはい月は常に 自分の位置を焚を不順にして特定していた ように 見えるそのような小林たを持った父は幸福 でありましたとこういう ですね え地は早くなくなってえ胎児の心の中に 生き続けていたという安明深い話だと思い ました え次に4番下衆よりとしましてえ何周か出 ているまとってもたくさんあったんです けれども心に残る歌も多くて全部出したい くらいですが頭中のほんの部ここに 書き上げてでおきましたえ時間もあって それも全部読んではいられませんので 飛び飛びに読んでいき ますおめおめ搾取されている市は模範小 作人だと祭られて おるたたしに母の手紙にやすく飲まされて なるものか最もな好の言葉に従いかに私は 日こくてえ2番の領室重立単価ですえこれ はねあれ読まないですけれども大義があの お金も払えないようなねあのま貧乏の家庭 でも呼ばれれば夜中でも押しに行って見て あげたという話でそういうとがあの他にも たくさんあるんです です選挙の立補にもなっていましてえ街角 で演説しているというそういう他も数々 ありましたえ3番え仕事日これはさぶでの 意思としての日々が歌われています4番 家臣です えの3つ目で北爆を正当化するテレビ解説 裏がちが終わりができてそれはアメリカの 門先生の私だと思いますその次この空の 果てに今の今もさり君があり雲1つない 青い 空同じことが今日 も起きていますね え本当に今の現状にまさに当てはまるただ と思いますえ5番限りなくえ不重な体と癌 の再発に怯えながら懸命に生きているそう いう歌がたくさん出ています え急ぎましたけれど [音楽] もあのまあ何も知らなかった私のあの大に ついてえ大の歌をこれ読みますあの整形と か充実とかもっと勉強しないといけないと は思いますがあの治の歌そのものに非常に あの親しを感じましたえ大治の歌手には 幸せというえ言葉が多く出てくるんですね
え平和でみんなが幸せな世のた世界を作る ため になかの力はさやかだけれどもおま不自由 な身でありながら頑張ってきたサジからの 雑音を受け取った気がし ます私があの不慣れなこととま時間も短い こともありましてえ大変中途半端な報告と なりましたえ最後にです [音楽] ね失礼しましたえ長南の佐々木純さんの 水頭部にだからちょっとしてもらいます え父はできるだけ秋田から距離を置いて 行きようとしているように見えた半ば逃れ 中場追い出されるように秋田の血を離れた 経緯が素直な海響を父に許さなかったのか もしれませんと書かれているんですね故郷 を出てえ故里に帰れまでの長い生害を全通 して歌を残した タに多くのことを学りました最後に私が何 回も読んで心に残った歌を紹介し ます秋田県大竹市の太の墓の入り口に8が られています歌です ね父も母ももう誰もい ない故郷の私の育った父を住みたい耐え 終わり ますどうもありがとうございました え時間が許せばの話なんですけれどもあの どうしてもあのこれだけは質問したいと いうことがありましたらえわずか10分 あるかないかというところなんですがあの 皆さんいかがでしょう か あのお手上がらなければあのこのままあの ここであのおしまいということにいたし ますがえっとそれではですねえっと ちょうどあの新日本人代表のえ津田さんが えもう入られてますかはいで先ほどあの 最初に挨拶をいただくことになってたん ですけれどもまだスタンバイできていませ んでしたで今ちょうど用意があの整いまし たのでじゃあここでえ家協会代表津田さん にえご挨拶をいただきますよろしくお願い いたします はいえっとお集まりの皆さんそれからあの 今日のあの報告をえっとお願いをした えっと3人の皆さんえっとずっとお話を 伺ってましたありがとうございましたえ 時間が本当に短い中でえよくままった報告 をされたと思いますえ是非あのえっと 新日本家人本市の方にですね今日のお話を できるだけえ再現していただけるように あの是非お願いしたいと思い ます私あのここをしばらく えっと人民単価それから新日本家人のあの バックナンバーをずっとやっぱり読んで
まして特にあのえっと1940年代から 50年代の始めにかけて純三さんそれから 大治さんそれから賢介さんこの3人の方が あの え次々にあの交代交代でえっといろんな あの表からえっとえ次表それからえっと 新日本家人の活動のまとめそういうのの ずっとあの3人の方が書かれていてでそれ が多少論争的な問題も含めてえっと活発に 色々意見交換をされているのですねであの やっぱりその姿勢って言いますかをあの すごく えぱ私たち受け継いでいかなきゃいけない なっていう風にすごく感じておりまし たで えっとこの中でえっと先ほどあの アンドリーロスのお話もありましたしそれ から赤木さんそれからえっと大さんのお話 にもありましたけども私やっぱり1つ 受け継いでおかなきゃいけないのがあの もちろんあの花壇の民主化から単価の民主 的な発展えっとそういうものに対するあの 情熱がすごく感じてるわけですけどもあの それが単にあの新日本家人協会の狭い範囲 にとまらずにあの壇全体に非常に大きな 影響を与えていたっていう風にあの思って い ます例えば えっと 民主単価という言葉があのえっと単価の 用語の中に歴史的な用語の中にあります けども単価の民衆化っっていう問題につい て あの方の中ではもちろん家人協会新日本 家人がいち早くこの問題を取り上げたわけ ですけども課全体でやっぱり大きな インパクトになっ て広まっていったのがやっぱり久田内房 から久田正一郎さんのえっと単価の民衆か 民衆単価というあの提言ですねこれがに 非常に大きな影響をやっぱり与えたと思っ てい ますで元々あの渡辺純三はあの単価の出発 が小田ウボの元での え学びからあの出発をしていったわけで そういう点で言うとえっと久田うつぼから 学んだもの を純増なりにやっぱり所職をして広めで それをまたえっと提言した内容がえっと クブがうつたちのえっと流れの中にまた 完了されていくでこういうやっぱりこう 総合交流の中でえっと単価っていうのは やっぱり前進してきたんだろうなっていう 風にえっと思っております でそういう点で言うとあの是非えっと3人
のあの今日のえっと報告をですねえっと もう一度あの単価市全体の中でえっと位置 づけてえっとまとめていたくっていうこと が非常にあの大事になってくるんじゃない かという風に思ってい ますでえ新日本家人協会はあの昨年の総会 で改めてあの名の会員を目指そうっていう の会員読者を目指そうっていうことをあの 確認をいたしましたで え単価の大衆化っていうのはそういう点で 言うと えもう戦前から北人道が定義したことでも ありますけれどもえこの流れをさらに 受け継いで今一層国民の中に広げていく そういうあのえっと優た価単価えっと読み あのさするそうした取り組みを是非えこれ からも続けていきたいと思っていますえ 会場に参加された皆さんそしてあの報告者 の皆さん今日どもありがとうございました 以上 です田さんどうもありがとうございました えすいません津田なんて言い津田道明さん ですあこの新日本家人のかそうですこの あの代表になりましたはいあの分かりまし たあの私が知ってる津田さんねもう ちょっと若い人なん です同じ人だ 間違それは皆さん等しくあの少しはおめさ れるのかなと思現代家人協会がね前年あの セやってるでしょそこの渉であったんです よ56年前ですかあ56年前ですかねはい 分かりましたありがとうございますえそれ ではあの今日発表していただいたおさ方に 改めて拍手をお願いしたいと思います ありがとうございましたえそれではこれ からあの休憩に入りますがあの皆さんのお 手元にえ感想用紙が入っているかと思い ますあのこの時間にあの書いておいて いただければと思いますのでよろしくお 願いいたしますはいそれからえっと今あの 小さんの方から歌新聞のコピーそれが あの来ましたそれで皆さんのお手元の方に あの一部ずつ差し上げますのでどうぞご覧 になってください [音楽] ませではえっと疑いですけれどもえっと 14時45分からということになります どうぞよろしくお願いいたし ます の